定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

旅の終わりにまた旅を想う 2009年1月6日

帰りの飛行機が出るのは夕方。

 


まだ自転車の梱包をしなくてはならないが、そこまで急がなくてもいい。

朝はゆっくり食事をし、宿をチェックアウトするとまずは昨日の自転車屋に向かった。

自転車屋に続く坂道を登る。


自転車屋のドアを開けるとスキンヘッドのオヤジが私の顔を見て、
一瞬、「何だ?」って顔をしたが、
すぐに思い出したようで"bikebox!"と言った。

なんとなくそうだろうなと思ったが、
予想通り、GIANTの段ボールが出てきた。

段ボール代はいいと言うので、土産にGUのエナジージェルをいくつか買った。
まだ日本に入っていなかったものだ。
こういうのはあまり高くなくて、サイクリストたちにはいい土産になる。

スキンヘッドのオヤジに礼をいい、店を後にした。

一旦、インフォメーションセンターに行き、もらってきた段ボールを預けた。

それから海に向かった。海に行って見たいものがあった。

それはオーストラリア本土メルボルンタスマニアを結ぶフェリー"Sprint of Tasmania"だ。

せっかくの機会なので乗ろうかとも検討したが、
本土とタスマニアの間のバス海峡は潮の流れが激しく、フェリーはよく揺れるらしかった。
ニュージーランドの北島から南島に渡るフェリーで酷く船酔いしたのを思い出してやめてしまった。
今思うと勿体無い。

海に出るとタスマニアらしい強風が海を渡って吹き付きけてくる。



何度こうした風に悩まされただろうか。

帰国して随分になるが、強風の日に自転車に乗ると、ふとタスマニアを思い出すことがある。
そして、そのたびに「タスマニアに比べたらマシだ。」と思うのだ。




海沿いの道はとても明るくて気持ちがよかった。






 

もしかしたら今日は停泊していないかと思ったが、幸い"Sprint of Tasmania"、
港に停泊していた。


あれで本土からタスマニアに渡って来たらワクワクするだろうな。

立派な船体だ。

昔、フェリーで北海道や四国に渡ったときのワクワクを思い出した。


昼食を食べるため、モリーマローンズへ戻る。

宿の方ではなく、宿の下にあるバーの方だ。

 

 


昼間のバーはすいていた。


ランチはサーモンのソテーを注文した。
そしてお供はアイリッシュバーではお約束のキルケニー。



食事とアイリッシュビールを堪能すると今回の旅を振り返ってみた。

 

一番の問題はやはり英語であった。


いつも困ったときには誰かが助けてくれた。
当たり前だが、知らない誰か。
あるときは同じ旅人であり、またあるときは通りすがりの人。

そんな人ともっと上手に話がしたかった。


それから、旅ということについて考えた。

今回、出会った多くの旅人達は、放浪を続けている人よりも
日常から少し離れてやってきた人が多かった。
それはこのタスマニアという土地の性質かもしれない。
 長い旅、というよりはきっと長い休暇、という人が多かったと思う。


日常の延長線上にある、非日常。
それを休暇と呼ぶのか、旅と呼ぶのかは、その過ごし方によると思う。

ただ、その素晴らしい時間を過ごした後、みんな日常に帰っていく。


日常の延長にある旅。


キルケニーが1パイント空くころ、次の目指すべき地平が見えた気がした。



モリーマローンズのそばのリカーストアで土産のスパークリングワインを探した。

東海岸のBay of fire で飲んだスパークリングワイン"Kreglinger"が印象的だったので
どうしても土産にしたかった。

無事にKreglingerを手に入れ、 インフォメーションセンターに戻る。

空港までのシャトルはここにに来るので、
インフォメーションセンターで自転車の梱包を始めた。

あまり重いものを調子に乗って段ボールに詰めると
また飛行機のチェックインで追加料金を取られかねないので、
考えながらGIANTの箱に自転車とキャンプ道具を詰めた。
ここは前回アラスカの帰りで3万円余分に払った痛い経験が生きた。
昨日土産に買ったカッティングボードがなかなかの重さだったので、手荷物に回した。

後の話だか、空港の手荷物検査で女性の職員に「これ何?絵?」と言われ、
「カッティングボードだ」と答えて不思議な顔をされた。そりゃそうだよな。

手荷物には寝袋を入れるのを忘れなかった。
今日はメルボルンまでの移動で、
明日が国際線のフライトなので、空港で一泊しないといけないからだ。

何とか梱包を終えると、荷物を再びインフォメーションセンターに預け、少し歩いた。
ネットカフェを見つけて入る。

日本への最後の連絡をし、マフィンを食べ、コーヒーを飲んだ。
現金の残りはもうわずかだ。

再びインフォメーションセンターに戻り、シャトルバスを待つ。

時間より早く着いてまっていたが、時間になっても当たり前のようにシャトルは来ない。
フライトに間に合うかと心配になり、自分の心配性に笑えてきた。

予定よりずいぶん遅れてシャトルが来た。

「間に合うのか」とドライバーの女性に聞くと
「何時のフライト?大丈夫よ!」と自信満々で笑った。

シャトルが走り出し、車のスピードで景色が流れていく。
いつもと違う速さでながれていく景色を見て、旅が終わることを思い知らされた。


空港でのチェックインはすんなりいった。
窓の向こうで自分の自転車が積み込まれるのが見えた。





歩いて飛行機に搭乗すると、ほどなく飛行機は飛び立った。


しばらくしてワインをもらった。
ワインを飲みながら、物思いに耽った。



思えばいろんなことがあった。


いつも行く先にあった激坂の上り

旅を始めて3日目に襲われた腹痛

行く先々で出会った老練なサイクリストたち

フレシネ国定公園アモス山から見たワイングラスベイ

"favor"という言葉の意味

車に轢かれたフェアリーペンギン

長い上り坂と向かい風の後に街が見えたときの喜び

焚火にかけてあったお湯をくれたグレッグとスー、それからかわいい犬のミッチー

ウェストコーストの寒い日々

雨に降られて、心が沈んでしまったときに知らない人とジェイムズテイラーを歌った大晦日

ヘンティ砂丘の年明け

美しい風景の中に自分がいることに気が付いた瞬間






素晴らしい旅だった。






機上から窓の外に目を向けるとオーストラリア本土の半島が見えた。

あの半島から見える景色はどんなだろう。

晴れの日はどんな感じだろう。
雨の日はどんな感じだろう。
風の日はどんな感じだろう。

果たして私がたどり着くときは、どんな感じなんだろう。

一本の道さえあれば、一台の自転車さえあれば、私たちはどこまでも行ける。



旅は終わらない。



このタスマニアの旅は終わってしまうけれども、私はまた旅に出るだろう。



日本かもしれない。海外かもしれない。アフリカかヨーロッパか。またアラスカか。

自転車で行くかもしれない。車かもしれない。ヒッチハイクかもしれない。

30代か、60代か。

今回の旅で私はまた自由になった。

旅に出たい、この気持ちさえあれば、いつでも旅に出られる。
もう焦る必要はない。歳も時間も関係ない。

自分が旅に出たそのときにしか出会えないものが
いつもそこにあるということを知ることが出来たから。


タスマニア編          完



Gone Riding 2009年1月6日

 
 
 

帰国まで3日。今いるシェフィールドから最後の滞在地になるDevonportまでは
わずか30キロほどしかない。
ふつうに2時間見ておけば問題ない距離だ。

残された時間をどう使うか。

デボンポートに到着すれば、お土産を買ったり、
帰国に向けた準備を始めることになるだろうから、
時間の許す限り、ゆっくり過ごそうと決めた。


周辺の小さな街を回りながら、デボンポートを目指す。


まずは、トピアリーが有名だというRailtonへ。

トピアリーってなんだ?と思って『Lonely Planet』を見るが
説明を読んでもよくわからない。


街の入り口の看板を見て、やっと理解。
植物で動物とかの形を作るやつのようだ。

民家の庭先にそれらしいものがいくつかあった。


ワイヤーで樹木を動物をかたどったりして作るものらしい。

トピアリーの街、と言う割には、そんなに数がなかった気がする。。
私のまわり方が悪かったか。

まだ生育中の作品もあった




トピアリーは眺めていてなかなか楽しかったが、ほかに見るものもなく、
街を一回りするとレイルトンを後にした。

シェフィールドもそうだったが、こじんまりした街で少しいくとすぐ町の外に出てしまう。
小さい街はなんだか親近感が湧く。


次の街は、Latrobe。
ここはぜひ行きたいところがあった。
Anversという会社のchocolate factoryがあるのだ。

ラトローブについたが、まだ早い時間なので
図書館でネットを使い、日本に連絡を入れた。

料金は1時間で数ドルだったと思うが、
管理してる兄ちゃんは別に時間を計るわけでもなく、
終わって帰るときに「どのくらい使った?」と聞いて、お金を払っておしまいだった。
ゆるい感じがいいな。


お腹が空いてきたので、少し早いが昼食をとることにした。
「Cafe Gilbert」という店に入る。


メニューを眺めて、today's specialを注文した。
実は海外で今日のおすすめを注文するのは初めてだったりする。


魚がメインのランチ。15ドル。
カプチーノはマグサイズで4ドル。

日によっては一日の生活費だな。帰国間近になるといろいろ緩くなってくる。

ランチはワンプレートで足りるか心配なボリュームだったが、
食べてみれば、まあボチボチの満腹感。

味も非常によく、タルタルソースをグラスに入れて添えるのも斬新だなと思った。
この盛り付けはうちでも使えるアイディアだ。


 


カフェで空腹をそれなりに満たし、アンバースのチョコレート工場へ。

アンバースへは少し迷った。

工場は思ったより小さく、見学できるのは、
デパ地下の実演販売をちょっと大きくした程度しかなかった。

こちらは観光客向けのデモンストレーションで工場自体はもっと奥にあるのだろう。


まあいい。

さてさて、甘いものを食べなくては!


カフェスペースでショーケースの中をゆっくり回るケーキを しばらく眺める。


決められない。。。

 

 




悩んだ末、ブルーベリーチーズケーキとチョコミントチーズケーキを注文した。



なかなかのサイズのケーキ。私の手よりちょっと小さい程度か。



味はなかなかいい。うまいじゃないか。
むっ、若干甘いか?いや、だいぶ甘い。

ブルーベリーのほうは日本でもありそうだが、
チョコミントチーズケーキは日本ではお目にかかれないケーキだ。
ミント感よりチーズ感が強かった。

私は年中ミントチョコを食べているが、おそらく、このころからよく食べるようになったと思う。


ランチを食べたばかりだが、なんとか二つとも食べきった。

さすがに毎日朝から晩まで自転車で走っていると、
どこまでもお腹が空いてしまう。

ケーキを完食し、コーヒーを飲んでいると、
隣のテーブルに30歳ぐらいの日本人女性が二人やってきた。

かなりエグイ女子トークを展開したあと、
ケーキのサイズと甘さに文句を言いだしてかなり鬱陶しかった。

クドくて甘いのなんて当たり前だろ!文句言うなら食うな!と一人で思ってしまった。


こちらをチラッと見て、「日本人?」と思ったようだが、
旅の前半に東海岸の強烈な日差しに焼かれた黒い肌と、
レーサージャージ&パンツという格好に日本人かどうか判断つかなかったことだろう。



ケーキを満喫したあと、工場の直売コーナーでチョコレートファッジを5箱買う。
試食したが、これまたおいしい。



帰国したらだれかにくれてやろう。



アンバースのチョコレート工場からデボンポートまで10キロほどだったが、
もはやおなじみ著となったタスマニアの激坂と強烈な向かい風で
なかなかデボンポートに着かない。

下りでスピードを確認すると、わずか時速12キロ。

進まないわけだ。


大きな橋を越え、デボンポートに入る。



橋から見る海が美しい。

デボンポートは水俣姉妹都市らしい

橋から国道を離れて、川沿いに進むとビジターインフォメーションセンターがあった。
ここで空港までのバスを予約した。10ドル。

自転車分の追加料金が取られないようだ。よかった。
ニュージーランドでは、後で追加料金取られたのだ。


手持ちの現金が10ドルないので困っていたが、それは宿で解決した。

今回の旅の最後の宿は”Molly Malones"。

当初、日本からバックパッカーを予約しようとしたら
そこが改装中で予約できなかったため、旅行中に予約したのだ。

ストローンに滞在中、『Lonely Planet』を見ていて見つけたのがここだ。
同名のアイリッシュバーがニュージーランドの首都ウェリントンにあり、
印象が非常によかったので、ここに決めた。

ちにみにモリーマローンはダブリンを代表する歌の名前らしい。


デボンポートの中心にあるモリーマローンズ。一階はアイリッシュバー



到着するとチェックインでデポジットととして10ドル支払いをしたが、
クレジットカードで対応してくれた。
チェックアウト時は現金で返金してくれるという。助かった。


宿はやや安っぽい感じではあったが部屋は悪くない。


自転車は室内に置かせてくれた


自転車は中でいいと言われたので、遠慮なく自転車を室内に入れた。

行きたかったが行けなかった場所、北東部の「The Nut」


壁にかけられた写真を見るといきたかった場所だった。

今回の旅で心残りがあるとすればこの"The Nut"であろう。



まだ日が高いので、宿に荷物を置き、街をブラブラする。



宿のすぐ前にショッピングモールがあり、
キッチンを品の店でカッティングボードチーズナイフ買った。

ほとんど使っていないカッティングボード&チーズナイフ。そしてさっぱり切れない包丁




それからよくお世話になるスーパーのウールワースでピンク色のお菓子を買う。
あと感じのいい包丁を安く見つけたのでそれも買う。

ただ、帰国後それを使ったが、包丁は全くと言っていいほど切れなかった…

 


帰国に向けて、自転車を飛行機で運ぶため、
自転車の入る段ボールを手に入れる必要があるのだが、
自転車屋を見つけることができず
インフォメーションセンターに戻り、場所を聞いた。

自転車屋へ向かう坂道



自転車屋は丘の上の街にあった。




GIANTをメインでやっている店らしい。

店はあまり大きくなかったが、商品がよく整理されていた。
スラムのコンポがたくさん置いてあり、日本との違いを感じた。

店内に吊られたロードのフレームに目がいく。
新しいTCR ADVANCEだ。友人がオーダーしているのと同じだ。
BB周りがかなりしっかりしている。
今でこそ、剛性を上げるためにBBまわりが肉厚になっているのは珍しくないが、
当時としては革新的だったと思う。
マジマジと見入ってしまった。

スキンヘッドの感じの良いおじさんに
自転車用の段ボールを欲しいと言うと、
少し考えた様子で
「今はないが、明日なら用意できる。明日の12時までに来てくれ。」と言われる。
明日はデボンポートカップがあって道が閉鎖されるそうだ。

「Twelveね、」と繰り返すと、君は若いから大丈夫だ」みたいなことを言われる。

どういうことだ?寝坊するとでも思われたのだろうか。

段ボールは無料でいいらしい。

この店がいいなと思ったのは営業時間。

平日は午後5時半までの営業で、日曜日は「Gone Riding」と書いてある。




午後5時半で店を閉めることができるタスマニアは素敵だ。
この時間なら、店を閉めてからでも、十分走りに行ける。

日曜日が休みではなく、"Gone Riding"というのがいいじゃないか。
日本の自転車屋もこんな風に出来るといいのに。


自転車屋の周辺も店が立ち並んでおり、
いくつか店をのぞく。

ニュースエージェンシーで絵葉書を買い、店のおばさんと話す。


デボンポートカップは馬のレースらしい。
てっきりヨットのレースかと思っていた。

自転車でタスマニアを回って明日帰国だと言うとおばさんは驚いていた。
いやいやそんな奴この辺にごろごろしてるよ。
私はそう思い、苦笑した。

宿へ戻る道すがら、自転車以外の荷物を送るための段ボールは
スーパーマーケットでもらってきた。



宿に戻り、キッチンで食事を作りニュースを見る。

テレビをつけると連日、ニュースでやっているイスラエル問題を放送していた。
もっとも私には詳しい内容はわからないのだが。

キッチンでくつろいでいると、日本人の女の子がやってきた。
少し話したがあまり考えずにタスマニアに来たようだ。
話していることが中途半端過ぎて、話すのが嫌になってしまった。大丈夫かなこの子?

いつものパスタとタスマニア産ビール「カスケードドラフト」



宿のキッチンでこうして普段通りビールを飲みながら日記を書いていると、
まだこれからずっと旅が続くんじゃないかという気がしてくる。

明日の朝6時ごろには目が覚めて、朝の支度をし、8時ごろには出発して、10時には腹が減り、ランチまで我慢できず何か食べたりしちゃうんじゃないか、そんな気がしてしまう。

 


この日々が終わってしまうのか。

空になったカスケードドラフトの缶を持ち上げつぶやいた。

「お世話になりました。カスケードドラフト。」


 

Sheffield 2009年1月5日

朝、テントの外に出ると、昨日ほど快晴はないが、悪くない天気。

旅の最大の目的地であったクレイドルマウンテンも満喫出来て良かった。

チェックアウトするため、テントサイトにぶら下げていた名札を受付に返却する。

精算してもらうと、2泊で30ドルでいいという。
ラッキーだな。

予約の電話からチェックインの対応までしてくれた感じのいい女性は残念ながら不在だった。
記念に一枚写真を撮りたかったのだが。

受付の建物にあったパソコンでメールが来ていないか確認する。
知り合いの小学生とフレシネ半島で会ったヒロキくんからメールが来ていたが、
文字化けして読めなかった。


さらば、クレイドルマウンテン。
少し曇った空の中、走り出す。




もう少しでこの旅も終わりなんだ、と思うと少しさみしい。


クレイドルから北に進むにつれ、気温が上がってくる。
この10日あまり、ずっと冬のような恰好をしていたが、タスマニアは今、夏なのだ。

昨日、キャンプ場から実家に電話したところ、
「こっちは気温5度だ」というと、それは日本より寒いと言われた。
全く、どっちが冬なのかわからない状態だった。


冬物のサイクリングジャージを脱ぎ、半袖になる。
これほど日差しを浴びて走るのは、いつぶりだろうか。
Tamar Valleyあたりか。


寒冷な地域から離れていくのを体で実感する。
道が下りになり、ガンガンペダルをふんでいると、
私を追い抜いた一台のセダンが路肩に停まった。


「何だ?」


車からカップルが下りてきた。Tullaの宿で会った人たちだ。
女性の方の顔を見て思い出した。

宿のキッチンでピールやワインを飲みながら
ニュージーランドの話などをしたな。

旅人同士、こうしてまた会って、少し話しするだけでもうれしいものだ。


こういうことも旅が終われば、もう無いんだなと思うと寂しかった。


カップルと別れ、Gowie Parkという集落へ向かう。


今度は上りがガンガン来る。
タスマニアの道は長い周期のアップダウンが続くことが多いが、
この道は珍しくひたすら上ってサミットに行くパターンだった。


けっこう斜度がきつく、腰が痛くなってきた。
上っていくと、地元のライダーだろうか、たくさんのサイクリストが下ってきた。
このあたりだとDevomportあたりの人が走りに来るのだろうか。









峠を抜け、Gowie Parkへ。

分岐で悩むが、ずいぶん腹も空いてきたし、上らない方へ向かう。

Gowie Parkはキャンプ場とバックパッカーがあるだけで、
食事出来る店が無く、何も食べられなかった。

空腹で少しいらだってきたが、手持ち最後のインスタントラーメンを食べてしのいだ。


簡単な昼食を終え、走り出すと
いつしか周囲は淡い緑の草に覆われた丘陵地帯になっていた。


丘を抜けていく風が心地よい。


ときおり、強烈に吹いてここがやはりタスマニアであることを思い出させる。


気持ちがよくて、ペダルを踏む足に自然と力が入る。


気持ちよく丘を抜けると、Sheffieldの街に着いた。

 



 

 




シェフィールドは街の至る所に描かれた壁画が有名だ。
後に調べたところ、1970年代に人口が減少し、
その際に観光の呼び物として描かれるようになったそうだ。




インフォメーションで宿を聞くと、キャンプ場もバックパッカーもなく、
普通のホテルしかないらしい。

やはりか。『Lonely planet』にキャンプ場が書いてないということは、
つまりそういうことだった。

インフォメーションの人によるとバックパッカーならゴーウィパークが最寄で
キャンプ場ならデボンポートだという。

戻るのも面倒だし、デボンポートは帰国準備をするために
もう明日から宿を抑えてあるから、無理に行きたくなかった。

 
 
 
 
 
結局、インフォメーションでバーの2階にあるホテルを紹介してもらう。
宿は45ドル。高いが仕方がない。
 
バーで支払いをしてチェックインする。
タスマニアはこの手の宿が多い。
宿に関して言えば、ニュージーランドよりイギリス色が強いようだ。
 
宿自体は悪くない。部屋に荷物を置いて、街に出た。
 
 



昼食をちゃんと食べていなかったので、ベーカリーカフェを見つけて入った。



午後ということもありもうあまり商品が無かった。

よくわからない名前のパイとカプチーノを注文する。
おばさん二人でやっている感じのいい店だ。

  



ほかに客がいないな、と思いながら日記を書いていると、
店に人に閉店だといわれる。

そうか、ベーカリーだもんな。


  



ベーカリーを出て歩いて、街を歩いて土産ものを買ったりする。

デボンポートから近いからだろう、
小さな街の割に土産物屋がいくつかあった。

街の目抜き通りは少し歩けば
すぐ端まで来てしまう。

こういう普通の街が好きだ。



歩いているとなんだかだるくなって
宿でしばらく横になった。


夕方、この街で有名なジェラート屋へ行くが、
機械の調子が悪いらしく,ジェラートは売っていなかった。

ここは一緒にチャイニーズのテイクアウェイをやっていたので、晩御飯用にチャーハンと春巻きを買う。
そろそろ米が食べたかったところだ。

宿に帰り、バーでビールを買って、
ビールを飲みながらチャーハンを食べる。


チャイニーズのテイクアウェイはたまに使っていたが、今回のはびっくりするぐらい不味かった。
自分で塩を振り直し、かきこんで、ビールで流した。

窓からシェフィールドの街を見る。

まあ、こんなこともあるさ。

明日はいよいよ、最後の街デボンポート。このタスマニアで走るのは明日が最後だ。

旅の時間 2009年1月4日

昨日、遅く寝た割に早く目が覚めた。
習慣とは恐ろしい。
だが、テントから出る気になれず、グズグズしていた。

顔を洗い、キッチンへ行くとすごい人だった。さすがに人気のキャンプ場だ。

食事をしていると、昨日話しかけてきた日本人夫婦と話をした。
旦那さんはメルボルンで家具職人をされているそうだ。

何でも、以前は日本的なものを作っていたが、
工房が火事になり、今は別の場所で仕事をされているそうだ。

どのくらいのお休みですか、と尋ねると
四週間の有給だという。

うらやましい。

今回はそんな休暇で来ていて、今日は一日歩くらしい。
朝食を済ませ、クレイドルマウンテンに向かう。




クレイドルマウンテンは国定公園になっており(もちろん世界遺産でもある)、
車で行けるアプローチの道が一本しかなく、
途中のビジターセンターからは専用バスでしか行けない。



Dove Lakeがクレイドルマウンテン散策の起点になる。
そこまでのボードウォークでアプローチするRonney Creekというところで
バスを降りようと思っていたのだが、バスのドライバーのアナウンスが聞き取れず、
Ronney Creekのバス停をスルーしてまう。


結局、Dove Lakeのすぐ前のまでバスで来てしまった。

バスを降りると外は素晴らしい快晴。空の青がこれまでにないくらい眩しい。


少し乗り越したぐらい、まあいいじゃないか。




快晴のクレイドルマウンテンとDove Lave。
なんて美しいのだろう。

この一週間の苦労が報われたというものだ。
自然に笑顔がこぼれてくる。

 



クレイドルマウンテンの代名詞の小屋


ここからは予定通りGlacier RockからHansons Peakを回ってDove Lakeのサミット、
それからLake LillaとWombatpoorを回るルートで決まりだ。

というかこのルートぐらいしかDove Lakeをぐるっと回ることができるルートがないのだが。

中央の大きい湖がDave Lake。その周囲を回る。


駐車場からウォーキングトラックに足を踏み入れ、歩き出す。

最初、観光客も多く、イージーなものかと思っていたが、
やがて軽い登山になり、最初のポイント、Glacier Rockを過ぎたあたりから
観光客の姿は見当たらなくなった。

 

 

 

グレーシャーロックから

 

 

 

 

 

 


道は楽ではなかったが、晴天の中、美しい湖を眺めながら歩くのが楽しくて仕方がなかった。

途中、あるドイツ人と一緒になった。
なんとなく一緒に歩く。

彼は名をグレゴーといい、オーストラリア本土に住んでいるそうだ。

日本人でも小柄な私と比べ足の長い彼は、当然のようにトレイルをガンガン進んでいく。

早いよ、グレゴー。



リトルホーンに至る道。この先がやばかった。

Lake Wilkの見下ろせる山で昼食にする。
昼食は昨日作っておいたステーキサンドだ。なかなかうまい。

いつものようにコーヒーを淹れ始めるとグレゴーが
「ここでか?」と聞いてくる。

これは私のこだわりだから仕方ないのだ。

グレゴーはと言うと、マンゴージュースとビーフジャーキーしか持っていないという。
何か食べるか、と聞くが「いいよ」という。昼はあれで足りたのだろうか。

左がLake Wilk,右がDove Lake  

 

湿地帯はボードウォーク

 

 


グレゴーと話しながらトレイルを進む。
彼は日本のサブカルチャーに興味があるらしい。

意外とサブカルチャーは浸透しているんだな。


 

グレゴーが撮影してくれた写真

 

 


私が景色に感動して写真を撮り続けていると
「どうしてアジア人は写真ばかり撮りたがるんだ?」とグレゴーが聞いてくる。

「自分が見ている風景を少しでも、いつでも見られるように残したいからかな。」
私が答えた。

そう答えながら、写真撮らない方がなんとなく格好いいなと思ったが、
こうしてブログを書いていると、写真をたくさん撮ってよかったと思う。

写真でいろいろな記憶がよみがえってくる。
写真も見るまで思い出せなかった些細なことや、旅の空気感も。

 

 

グレゴーは下りも早い

 

 


グレゴーと歩いていると反対側からアジア人の一団とすれ違った。
「おい、写真撮ってやらなくていいのか?」とグレゴーがおどけて言うので
肘で小突いてやった。

 

 

グレゴーはなぜか階段が遅い

Lave Daveはもちろん、Hansons Lakeもその先にあった名前のわからない湖も
どれも美しかった。

ほんとうにここまで来てよかった。

 

一期一会とはまさにこのことだろう

スタートの駐車場まで戻り、グレゴーと別れた。
なかなかおもしろいやつだったな。



バスで自転車を置いてあるビジターセンターまで戻る。

バスで戻る途中、運転手が今日はクリスマス以来のナイスデイだ、と言っていた。
ほんとうについているな。

キャンプ場に戻ってシャワーを浴びよう。
今日はなかなか疲れた。


*************


旅のこうした時間が好きだ。
つまり、特にやることもなく陽だまりの中でぼんやり本を読み、ビールを飲む時間。


今日の場合は、シャワーも洗濯も終わってしまって、かといって夕食には早いから
こうしているわけである。

何にも縛られない、こうした時間の自由さ。

旅の終わりはそう遠くない。あと3日。
3日後にはタスマニアを離れ、メルボルンの空港にいるだろう。

こうして気ままに過ごす時間はもうほとんどないのかもしれない。


「あまり幸せをむさぼってはいけない」

この旅の間、読んでいた隆慶一郎の『一夢庵風流記』の一節だが、
そう思わせるほど、今は幸せだった。


だが、幸せも、ないときにはない。


この一週間のウェストコーストの雨の日々を思えば、
今の幸せもプラマイゼロなんじゃないだろうか。

こうしたことをあれこれ考えることは無意味なことという気がする。

とりとめのない思索を巡らすこと自体、すでに幸せなのだろう。


とりとめのない思索が勝手に進んでいく。


この旅の間、世話になっているカスケードドラフトは
キリンのクラシックラガーの足元にも及ばないが、今はこれでいい。


旅に疲れてきた、というのも実際にある。
そろそろバスタブと天丼と日本のビールが恋しい。


だが、次の旅がいつになるかわからないから
この旅の時間が残り少ないのは何とも言い難い。


今は今を、ただ楽しもう。それでいい。





風景に至る道 2009年1月3日

朝8時出発。悪くない時間だ。




だいたい2時間ぐらいで最初のジャンクションまでたどり着くことが出来た。
Murchison Hwyは一番高いところでも標高690mが最高だった。




ジャンクションから3キロほど進んだ道の脇で昼食にした。

昼は昨日宿で作ったステーキサンドだ。
味はテリヤキペッパーに、テリヤキ七味、山椒醤油の三種類にした。
一番うまいのはテリヤキペッパーだ。

野菜はいつも保存の効くタマネギぐらいしか持っていないので、
バーガーに挟んである野菜はいつもスライスオニオンぐらいだ。
今日もなかなか辛い。

温かいコーヒーを淹れて落ち着く。

今日も寒い。

足元から冷える感じだ。
雨は降る様子は無かったが、朝からずっと曇り空だ。



服装は下から、ソックス、フリースソックス、レーサーパンツ、レッグウォーマー、
半袖レーサージャージ、長袖起毛のジャージ、レインジャケット、グローブ二重といった感じ。

結局終日その服装だった。
一昨日を思えば、そう寒くなかった気がする。



昼食の後はひたすらアップダウンの繰り返し。

しばらくして晴れ間が覗いてきた。

長い時間、ペダルを踏んでいると、思索にふけることが多い。
がつがつ走っているときはないが、
ロングライドやツーリングではしばしばあることだ。



考えていたのは動機の言語化だ。
言語化出来る動機は、大した動機ではないのではないだろうか。

例えば、「どうして仕事に行くの?」と言われれば、
生活していくためとか、理由は明快だ。
あえて聞くほどのことでもないだろう。

だが、「どうして旅に出るの?」と言われれば、
楽しいからとか、好きだからとか、いろいろ言えるのだろうが、
決定的な理由を説明することは出来ない。

ただ、日常の中で「また旅に出たいな」という想いが、
ふっと心のどこかにわき上がってきて、それが日に日に強くなっていくだけだ。

そして、それは或る日押さえきれなくなる。それだけのことなのだ。

旅の動機を言語化するのは難しい。
私にはそれぐらい、生きる根本的な問題になってしまっているのだ。

そんなことを考えていると目の前に
もはやおなじみになったタスマニアの急な坂が現れた。




来た!来た!来た!

またエグいほどの急な上り。
迷うことなく、ギヤを軽くし、サドルの前方に座り、上りポジションを取る。

そして、例のごとくひどい形相になりながら頂上を目指した。

写真ではさして急に見えないのが残念



頂上までかなり苦戦したが、標高はわずかに960m。


気分的には1500mぐらい上った感じだ。



なんだか損した気分だ。
補給に持っていたリンゴ出してかじった。



気持ちよく峠を降りる。




峠を下り始めると素晴らしい景色が広がった。



美しい。



アラスカでツンドラを見たときの感動がよみがえった。

草原の間を抜ける下り坂を一気に駆け抜けていく。
美しい景色が流れていくのがなんとも惜しい。



感動のあまり、不覚にも涙が出そうになった。

この1週間の苦労を思い出していた。

雨にも、風にも、霙にも、寒さにも、坂にも、とにかくいつも挫けそうだった。

だが、ここまで来た。この景色に出会えた。
この感動は何ものにも代えがたいものだ。


それを思うと何も言葉が出てこなくなった。

弱音を吐いても、自分の力でたどり着くことが
どれだけの感動になるのか、
このことを思い出すのに、ここまで来なければならなかった。

こんなことは分かっていたことだった。
日本でも、ニュージーランドでも、アラスカでも、いつも同じだった。

ただ、今、理解するには、ホバートから3週間かけてここまで来なければ分からなかった。



タスマニアに来て良かった。ここまで来られて良かった。

眼下に広がるこの景色は、
他の人から見れば、何でも無い風景かもしれない。
だが、私はこの風景をずっと忘れないだろう。

ここまでやってくる力を与えてくれたすべての人、すべての風景に感謝した。




峠からはいつものアップダウンが続き、
そのままクレイドルマウンテンに向かうジャンクションだった。




もっときつい道かと思っていたが、あっけなかった。

ジャンクションからキャンプ場までは2.9キロ。
近くの駐車場で、コーヒーを淹れて休憩した。


キャンプ場はストローンで泊まった系列のところで、Discoveryというところだ。

Discoveryキャンプ場の受付。web上より転載



受付で名前を伝えると
「あなたがカズヒロね!ストローンからようこそ!」と受付の女性が笑った。

このクレイドルマウンテン一帯はタスマニア屈指の人気トレッキングエリアで
キャンプ場の予約が必須の場所である。

ストローンに滞在中、いつクレイドルに着けるかを計算して
ストローンのバックパッカーから、何度か問い合わせと予約をしていたのだ。

そうか、この女性が応対してくれたのか。

「無事についてよかったよ」私は笑顔で答えた。


キャンプ場は思った以上に広かった。

文字通りクレイドルマウンテン探索の拠点だから当然なのかもしれない。

テントを張り、キッチンやバスルームをチェック。

キャンプサイトは指定がある。


キッチンは広いが冷蔵庫がない。まあそれはたいした問題ではない。


洗濯は手洗いでいけそうだ。物干しワイヤーもたくさんある。

一日自転車乗ったあとで、キャンプするのに洗濯するのは正直面倒だが、
ほかの客が洗濯しているのを見ると、うれしくなる。

洗濯しなければいけないほど、キャンプができるなんて
日本人の感覚からしたら、とても素敵なことだと思うからだ。

キャンプ場内で行き会ったカナダ人サイクリストと話す。
私が日本人だというと「ヤマガタが好きだ」と言う。
山形県かヒロヤマガタかどっちだったんだろう?

キャンプ場に早く着いたので、
少しクレイドルの近くまで行くことにした。

クレイドルマウンテンを望むDove Lakeを見に行く。


景色はなかなか良く、おおっというところもあったが、そこまででもないかなとも思った。

急にひどい疲れに襲われて、一時間余りで引き揚げた。

キャンプ場のレセプションでビール、シャンプー、ジャムなどを購入。

疲れて何でもよくなってしまった。
そろそろ風呂が恋しい。


旅もあと4日を残すところとなった。
そして今日もビールは2本で11ドル。

まあまあ。

1本目が終わるのも風前の灯火だ。
だか、やめる気もない。

明日は一日クレイドルマウンテンを軽く歩こう。


行く手の山は雪を抱き 2009年1月2日

朝、雨が強烈だった。
ジーハンのスーパーマーケットで
トーストスライスのパン1斤とカメラのフィルム、コーヒーを買った。

スーパーを出るころには、幸い豪雨は収まっていた。

それでも、雨がやんだと思うと、急に晴れて暑くなる。
そしてしばらくすると、ザーザー降りに逆戻り。

相変わらず難しい天候だ。

とはいえ、概ね晴れになってきたので、
雨用のオーバーグローブは外して走った。


昼、ローズベリーに着く。まぁいつもの感じのアップダウンでここまできた。

冬の始まりのような山。季節は夏なのだが。。



寒いはずだ。ローズベリーの街から見える山々、
おそらく1000級だと思われるが、雪が積もっている。

足下は、靴下二重で真冬状態だが、じっとしているとやはり冷える。


「The Blue Dolphins Cafe」という店で昼食。
ハンバーガーにチップス、カプチーノをマグで。10ドル90セント。


ハンバーガーはバンズに肉が挟んであるだけで他に具のないそっけないものだった。

カフェで食事をしていると、私が向かっているTullahの方から
サイクリストがやってきた。

また老練な感じの男性だ。話を聞く。


聞けば、この老練なサイクリストはサウスオーストラリアの人で、
北中部、デボンポートからクレイドルマウンテンを回ってきたらしい。
ちょうど私がこれから行くルートを来たようだ。

今日はこれから、ジーハンハイウェイでクィーンズタウンに抜けるらしい。

ガイドブックを眺めていたので、見せてもらうと
Lonely Planet』のオーストラリア、サイクリスト版だった。



オーストラリア全土を網羅しているものだが、
思った以上にタスマニアの情報が多かった。
私もこれにするか迷ったが、結局、更新されたばかりの
Lonely Planet』のタスマニア版を使っていた。

サイクリスト版は私もニュージーランドで使用したが、
モデルルートと高低差が示されていたり、
ライターの実際走った感想なども掲載されていて、とてもいいガイドブックだった。
もし、海外にツーリングに行く方がいれば、ガイドブックにおすすめしたい。

老練なサイクリストが撮ってくれた写真。恰好が完全に冬だ。

老練なサイクリストと別れ、街のスーパーに入る。

ローズベリーは山間の小さな街でメインストリートが北に向かって坂になっている。


スーパーは街の規模相応の小さなところで
店主の子どもだろうか、15歳くらいの女の子がレジを打ってくれた。

彼女はなんだかとても退屈そうに見えた。

タスマニアの山間の小さな街に暮らす少女の日常が少しだけ垣間見えた。




ローズベリーを出てしばらくのところに赤で「REDUCE SPEED」の看板があり警戒した。

ニュージーランドで同種の看板を見たのが、
南島の西部と東部の境、Auther's Passと同じく南島のTakaka Hillで
どちらも早々にインナーローを使ってしまうようなかなりの峠だった。

この赤い看板がある峠は危険!と思ったが。。

だが、今回は中部の湖沼地帯の激坂に比べたらたいしたことはなかった。


ローズベリーからは天気は大きく崩れず、小一時間ほど上った。
おおむね予定通りだ。


相変わらず、右膝の調子はよくないが、まあ行けるレベルだ。
明日は難所のクレイドルマウンテン、明日もこうだといいが。

 

 


やがてTullahの街に到着。今日はここの宿を予約してある。
宿はLake Roseberryの湖畔にあった。


標高180mとあるが感覚的には1000mぐらいだった


本日の宿泊先、Tullah Lakeside Chaletはかなりいいところだった。
いつものように相部屋の部屋をお願いしたのだが、
南国リゾートホテルのような雰囲気だ。

宿を間違えたのではないかと思い、確認したが
間違っていなかった。一泊25ドル。


あまりに立派なので、レセプションで「料金は?」と恐る恐る聞くと
「25ドルだよ」と言ってくれた。素晴らしい。

宿泊棟は4棟あり、雰囲気は違うがアラスカのカリブーインを思い出した。
宿泊客はあまり多くないようだった。

部屋に荷物を置く。部屋はまたもや私一人のようだ。
おお素晴らしい石鹸とタオルがある。
石鹸はもったいないので、封を切らずにもらっておいた。


キッチンでロースベリーで購入した肉を下ごしらえし、
きのうびしょ濡れになったテントを外に干した。


テントを干していると、カップルのサイクリストがやってきた。
二人はアデレードから来たという。

アデレードから来たサイクリストカップルのバイク。スポークの間にトランプが挟んであった。



彼らもロースベリーで出会ったサイクリスト同様、私の逆のルートを来たらしい。

私も明日はクレイドルだ、と言うと彼女のほうが

「私たちも今朝までクレイドルだったの。本当に寒くてびっくり!道は凍っているし、グローブ持っていなかったから、冬用のグローブを高いお金払って買う羽目にあったわ」
と矢継ぎ早に話し始めた。

聞けば、気温は一度しかなかったらしい。


おいおい、北極圏の夏より寒いぞ、クレイドルマウンテン!


彼氏の方が「テントは凍るし、雪にも降られてね」と参ったといった感じで言っていた。

大丈夫か?ここまでとは正直聞いていなかったが、
幸い装備はなんとかなるレベルだ。
クレイドルマウンテンがどうあれここまで来たら行くしかない。



夕食の前にビールを買いに宿のバーに行くと
ビール2本で11ドルだという。

何!?

普通の倍の値段だぞ!

高かったが、ないと困るので、しぶしぶ購入した。


キッチンで夕食を作る。
インスタントのトマトスープにカレーソースで味付けして
パスタを加えた。

 

 


ソースが余ったので、パンにつけて食べた。

ジーハンで買ったパン。キャラウェイシードの香りが効いておいしかった。

食事をしていると、さっき話していたサイクリストカップルが何か口論していた。
英語能力が低いおかげで何を言っているかさっぱりわからなかった。
まぁ、首を突っ込むべき話ではないだろう。


キッチンで日記を書きながら、ビールを飲んでいると
「お前見たぞ!」とまた別のカップルに話しかけられる。
旅をしているとしばしばある。


私はビール、彼らはワインを飲みながら話す。
聞けば、彼らは今回車でタスマニアを回っているが、
過去に自転車でニュージーランドを回っていたことがあるらしい。

しばらくニュージーランドの話で盛り上がる。

それにしてもタスマニアを旅している人たちの多くが
ニュージーランドを旅しているのはどうしてだろう。

私もニュージーランドを旅しておいてよかった、と思った。


 

Henty Dune 2009年1月1日

 
2009年になった。
 

何となく正月らしいことをしないといけいような気がしたが、
すぐにどうでもよくなった。それより気になるのは天気だ。

まぁ天気もはっきりしないうえに突然変化する
いつものタスマニアンウェザーだろう。


朝、バックパッカーのキッチンにスティーブがいたが、はじめ誰だか分らなかった。
しばらくしてケリーがやってきてようやく、スティーブと分かった。
きのうとはずいぶん感じが違った。

今朝は二人とほとんど話せなかった。残念。

朝食は、トースト3枚と卵にリンゴ、そして言うまでもなくコーヒー。
まぁいつも通り。いや、卵があるだけ少し豪華か。


午前9時頃、ストローンの街を後にする。
今日はストローンの隣町、Zeehanまで行く予定だ。
少し雨がパラついていたが、気になるほどではない。

風は珍しく追い風。
このタスマニアにあって、年のはじめが追い風とは幸先がいい。

海辺にも関わらず、森の中を行くハイウェイを快走した。

今日、ぜひ立ち寄りたいと思っている場所がある。


Henty砂丘だ。


砂丘まで少しかかるんじゃないかと思ったが、思いのほか早く着いた。


看板に従ってハイウェイを外れ、途中、自転車を降りて、
トレイルを進むと森と海の間に突然ヘンティ砂丘は出現した。



広大な砂丘だ。
海から吹く強烈な風が、砂丘の砂を巻き上げていく。


国内の砂丘は静岡の中田島砂丘鳥取砂丘に行ったことがあるが、
どちらと比べても海が遠く感じられた。




ピクニックエリアできのうバックパッカーズで
作っておいたステーキサンドを一つ食べた。

なかなか美味い。


ステーキをマリネしておいてから焼いたのだが、マリネに使ったオリーブオイルの香りが強く出てしまったので、もう少しサッパリしたオイルで漬けるといいかもしれない、と思った。

ステーキサンドを4つ作ったつもりだったが、見たら3つしかなかった。
バックパッカーズの冷蔵庫には名前を書いた袋にしまっておいたので食べられてしまった、
ということはないと思うが…
常に空腹という状態が続いているので食べ物に過敏になっているかもしれない。




ヘンティ砂丘を出発。



引き続き追い風だ。
上りの道でもよく進む。
今日は本当に快走日だ。

暑くなってきて、ジャケットを脱ぐ。
半袖のジャージで十分だ。


しばらく行くと展望台があり、上からは遠くにヘンティ砂丘が見えた。



展望台で車で来ていた一家に写真を撮ってもらった。
気にしていないと、自分の写真がほとんどない、ということがよくあるのだ。

ジャージはロンセストンの「Kathmandu」 で購入したもの


再び走り出した。


天気が急速に悪化し、雨が降り出したかと思うと、一気に気温が下がり、冷え込んできた。

脱いだジャケットを再び着る。

雨は程なくして霙になった。

霙。夏のタスマニアの気候は油断ならない


本当にタスマニアは夏なのか。


朝、バックパッカーズの受付のインフォメーションボードに
これから行くハイランド地方の天気が"SNOW "となっていたのを思い出した。

書き間違いだろう、ぐらいに思っていたが、
この調子だと、どうやらハイランド地方は普通に雪が降っていると考えてよさそうだ。
これから行くハイランド地方、今回の旅の最後の目的地、クレイドルマウンテンは
どんな天気なんだろうか。



雨が激しく振った後、すぐに晴れ間が出てきたりする。タスマニアな天気


晴れ間が覗うて、日差しが暑く感じられる頃、
再び雨が降り出して、一気に気温が下がった。

体力がみるみる奪われていく。


寒い。


タスマニアに来て、一番の寒さではないだろうか。
パニアバッグからすぐに出せる上着で凌ぐ。

この地域でのレイヤードは本当に考えなくてはならない。

タスマニア、特に東部の川や湖の水は植物から染み出るタンニンで赤茶色に染まっている


本日の宿泊地であるジーハンにつくころには
雨は上がっていた。

青空が眩しい。

かなり雨が降ったのであろう、
雨に濡れた街は太陽の光を浴びてキラキラ輝いていた。

 

 




キャンプ場にチェックイン。
今日は距離も短く、ヘンティ砂丘を見物してた割には早く着いた。


雨がまた降りそうなので、キッチンスペースそばの木の下にテントを張った。



ここのキッチンスペースはかなり充実していた。

ガレージのような作りで、入り口にはドアなどなかったが、
奥に長く、リビングエリア、テレビ、ガスコンロなど何でもそろっていた。

雨の日にこれぐらいあるとかなり落ち着くことができる。

キッチンスペースがあるだけで正直かなりうれしかったが、
設備もこの上なく、また、フリーフードのラックにはトマト缶とペンネが置いてあった。

今夜の晩御飯が決まった。

となれば、やることは一つ。
街に出て、酒を買いに行くのだ。



夜も冷えるだろうから、ビールよりワイン、と思っていたが、
カスケードドラフトの看板を掲げていたモーテルに入ると
そこにはワインがほとんどなかった。

まあ、いつものカスケードで十分だ。

 



キャンプ場に戻り、晩御飯を作る。
手持ちの玉ねぎ、ニンニクを刻み、オリーブオイルで炒める。
旅先でトマト缶からトマトソースを作るのも悪くない。

ただ、ペンネの量がわからなくて、足りないと悲しいと思い、
全部茹でたら、かなり多かった。常時空腹状態にあって、満腹になった。

味は良かったからよしとしよう。

 
 
 
 

パスタを作るのと並行して、砂糖を煮詰め、
最後に牛乳を加えてキャラメルソースを作った。

先日、クィーンズタウンで安く買った大瓶のイチゴジャムが
ほぼ砂糖とゼラチンでしょ?という代物であまりに残念だったため、
パン用のスプレッドに作ったのだ。

カロリーの塊だが、旅の間はこれぐらいでちょうどいい。


キッチンにはずっと私一人だった。
ニュースを流し、ビールを飲みながら日記を書く。

夜になりかなり冷えてきた。

装備はほぼ日本の冬の太平洋岸を行くのと変わらないぐらいの
防寒具を持っているが、この先がもっと寒いかもしれないと思うと
今ここで、これ以上厚着をしたくないのが本音だ。
まぁ、今が一番寒いのかもしれないが。


テレビの天気予報では明日も追い風のようだ。
素晴らしい。


手持ちの食料を確認すると、パンが明後日ぐらいでなくなる。
しばらく街らしい街がないので、明日ジーハンを出る前に購入しよう。

 







ストローンの大晦日は歌とともに更けて 2008年12月31日

朝起きると、Mattはすでにいなかった。
まぁ、私が三日で行く予定のところをその日のうちに行くと言っていたから
朝が早いのも当然だろう。


休息日の大晦日。


休息日と言っての走らないだけで、特に予定があるわけでもない。

朝も宿でゆったり過ごした。

宿の庭に現れたウサギ



少し自転車のメンテナンスをする。
ブレーキシューの減りが気になったので予備と交換。
ペンチを持っていなかったので、宿の人に貸してもらった。

「何に使うんだ?」と聞かれて、説明したがうまく伝わらない。
実際にブレーキシューを交換している作業を見たら

「おぉ、そんなふうに交換できるのか」と感心していた。


とはいえ、あと2,3日は上りしかないだろうから、活躍するのはしばらく先だろう。


だが、使い古したシューと新品のシューを比べるとゾッとするぐらい
古いシューは減っていた。




宿の庭に洗濯物を取り込みに行くと、夜雨が降ったのか洗濯物は半乾きであった。
さすが、西海岸。降っては止んでのタスマニアンウェザーだ。
外に干すのはよそう。

部屋のヒーターを入れ、乾かすことにした。


宿ですべきことは終わってしまったので街に出る。
といっても、特段ストローンの街で何かするわけでもない。

ストローンはゴードン川クルーズの観光の拠点として栄えているが、
所詮タスマニア西海岸である。


栄えているといっても、人口1000人に満たない小さな街で、
一部の商店、公共サービスもクリスマス休暇のさなかという有様である。

わずかにある土産屋みて回ったがこれというものがないし、
ゴードン川クルーズなんてものに興味は湧かなかった。
どのみち船酔いするのがおちである。

観光案内所で少しインターネットを使うが勝手が悪い。

インターネットの後はスーパーで食料、リカーストアでカスケードドラフトを購入。

カーストアでは缶ビールを紙袋に入れてくれる。缶ビールを裸で持って歩いてはいけないらしい



昼は宿に戻りインスタントラーメンで済ませた。

スーパーで買った卵。賞味期限が1ケ月後。加熱前提ということだろう。


珍しくスーパーで牛肉を買ったので、
明日の昼食のサンド用にオイルと香草でマリネにした。

安い肉を柔らかく、おいしく食べるオススメの方法だ。
やり方はニュージーランドのTakakaでバックパッカーを経営している日本人に教わった。
Takakaか。あの日も雨だったな。

晩御飯。自分で作るチャーハンがやっぱりうまい。



宿のキッチンでコーヒーを淹れて地図を眺める。
相変わらずはっきりしない天気とまだ数日続く山岳ルートにいいかげんうんざりしていた。
それからこの数日でかなり金を使っていて、それも気分を沈める要因になっていた。

「どうしたもんかな。。。」

ニュージーランドの南島西海岸のHaastにいたときのことを思い出した。
数日続く雨と、これと言って何もない街。

何とも陰鬱な気分だった。

あのときは、祖母の訃報を宿で受け取って、急遽帰国したが、
今思えば、そんな閉塞的な状況から逃げたくて帰国したのかもしれない。



誰かが付けっぱなしにしたらしいテレビからは「New Year's eve」という言葉が聞こえてきた。

各地のお祭り騒ぎがとても遠いことのように思えた。






机でビールを飲みながら日記を書き出した。

『今日は大晦日。これといって書くことはない。』

これだけ書くと止まってしまった。
なんとさびしい大晦日か。



カスケードビールを眺めていると外からギターの音と女性が歌う声が聞こえてきた。

私は誘われるように表へ出た。


テラスの隅でクーラーボックスに座った男性がギターを弾き、テラスの手すりに背中を預けていた女性がビール片手に歌っていた。

歌は反戦の歌のようだった。
"no war"とか"for children"とか歌っていたと思う。

歌い終わったところで私は小さく拍手した。

少し驚いたように二人が私を見た。

女性が微笑んで煙草に火を点けると私を手招きした。



女性の名前はケリー、男性のほうはケビンといった。
20代の子供がいるという。
二人はオーストラリア本土、クィーンズランドから車とフェリーで来たらしい。


「あなた自転車で旅してるんでしょ?どうして?こんなに坂だらけなのに?ほんと信じられないわ?」
ケリーは絵に描いたようなオーバーなジェスチャーをして見せた。

そう問われて、自分でもどうしてなんだろうな、と少し考えた後、

「自由だからかな。自分の意思でいつでも停まれるし、
ベリーファームだってワイナリーだって寄り放題だ」
と答えてみたが、ケリーは馬鹿げてると言わんばかりに大きく首を振った。


時折、ケビンの演奏でケリーが歌うのを聴いて、それぞれにビールを煽った。


「とても静かな夜ね。タスマニアでも人のいないところですものね。」

いろんな話をした。


二人が一時住んでいた中国のこと、日本のこと、クィーンズランドのこと、
文化について、教育について。

「教育が受けられるってとても幸せなことよ。
私たちの子供たちは戦争を体験せずに済んでいるし。
戦争があって教育を受けられない子供がたくさんいるのに」

ついさっきまでおどけていたケリーがしみじみ話す。

「私はちゃんと教育を受けさせてもらたけど、
学生の時はどうして勉強しなきゃいけないか理解していなかったよ。
今はとてもそのことに感謝している。」 

タスマニアでこんな話をするとは思わなかった。



「ところで、あなた、歌は何を聴くの?」ケリーがきいてきた。

「実はジェームズテイラーとキャロルキングだ」と私がいうと二人はハハッと笑った。


「そりゃまた古いな、『Tapestry』か『too late』だな」と
ケビンが「too late」を弾き始めたが、よく思い出せないようだった。

「私はあれよ、『Carolina in my mind』よ」とケリーはアカペラで歌いだした。
思わず私も歌いだす。

「Yes,I'm gone to Carolina in my mind」合唱して乾杯した。


やがてケビンが「寒くて指が動かないよ」といいながらまた歌いだした。

「カスケードビールを飲んでるシマは明日ストローンへ自転車でいくのさ~♪
彼の望みは晴れと追い風さ~♪」

それから「フラットな道ね」ケリーが付け加える。

私は大きな声で笑った。


「日本人にとって大晦日は特別な日なんだ。
ついさっきまで独りで過ごすと思っていたんだ。
こんなに静かで素敵な夜を過ごすことができてとってもうれしいよ。ほんとうに有難う。」

2009年はそこまで来ていた。



P.B.Pの男 2008年12月30日

 

クィーンズタウンは今日も朝から雨。毎日こんな天気が続くのだろうか。

気持ちはイマイチ乗らないが、今日は隣のStrahanの街へ行くだけだ。
距離は50キロというところか。

ゆっくり出ても昼には着けるだろう。

キャンプ場のレセプションで自転車のパンク修理が買えないか聞いてみると
ガソリンスタンドを紹介された。

街の中心部にあるガソリンスタンドへ行く。

クィーンズタウンから世界遺産国定公園のすぐ横を走り、ストローンに続く観光鉄道


ガソリンスタンドで用向きを伝えると、自転車用ではなく、
モーターサイクル用のものを出してくれた。
大きいのは使えないが確かにこれで十分だ。

必要な装備を補充したところでクィーンズタウンを出る。

昨日とは違う道だが、谷底にある街から出るのに急な坂を3キロ登る。

これでクィーンズタウンとおさらばだ。
全く,
すごいところにある街だったな。

急な登りは落ち着いたものの、その後も緩い登り。

楽ではないが、焦りはない。
天気が良くなくても、目的地が遠くないというだけで、気持ちの面でだいぶゆとりがあった。


天気は相変わらずの小雨。

 
 

 


一瞬晴れたかと思うと、また急に雨が降って。ということを繰り返した。
ニュージーランドも似たような天気だったが、こちらも負けていないな。


ストローンの街の手前で道は下り基調になった。




ストローンだ。

街のメインストリートから海が見えた。

西海岸だ。


東海岸を離れて10日。タスマニアは南北のハイウェイが発達しているが、
東西はそうでもない。ここまで来たと思うと少し感慨深かった。

 


ストローンの街はクィーンズタウンと比べてかなり華やかだった。
ゴードン川のクルーズをはじめ、シーカヤッキングなど
各種アクティビティが楽しめるだけのことはある。

もっとも、期待していたゴードン川クルーズはクリスマス休暇で休みだったが。


海を臨むメインストリートのカフェでランチにした。



チョコレートマフィンにフレンチバニラ(写真右)、
パニーニサンドといつものカプチーノを注文した。

パニーニサンドはとても美味しかったが、フレンチバニラ(写真右)は激甘で何とも微妙であった。
久しぶりの外れスィーツだった。

パニーニはおいしかった

時間に余裕にあるのでカフェで手紙を書く。



普段、手紙など書かないが旅先ではこうして手紙を書くことが多い。
行く先々で買ったポストカードで書けば、内容はさておき、
土産代わりになるかなと思っている。

余談だが、そうやって旅先から手紙を送っていた少年(今は立派な青年)から
同じように旅先から手紙が来たときにはとてもうれしかった。


ストローンにて。同じ日とは思えない晴天


Discoveryという系列のタスマニア各地でキャンプ場を経営しているところに行き、
ドミトリー(相部屋)を2泊取った。

明日は休息日だ。

正直部屋を取って泊まるのは痛い出費だが、
雨が降ったり止んだりの不安定な天気では落ち着かないので
無理をせず部屋を取ることにした。


Discoveryは広くて清潔だった。


部屋は二人部屋だったが、滞在中、私だけだったので気楽に使えた。

同じ宿にクィーンズタウンで見かけたサイクリストがいた。




少し話をし、後で飲みに行こうということなった。

シャワーと洗濯を済ませ、街へ戻った。


タスマニアのビール「カスケードドラフト」を扱う店で飲む。

ビールのオーダーは簡単でいい。
「ペールエール、ワンパイント」これだけだ。


彼は名をMatthewといい、ずっとブルベをやっているらしい。

ブルベとは200キロ以上の距離を既定のコースで制限時間内に走るもので
世界各地で開催され、近年日本でも盛んになってきている。

なんと彼は4年に一度開催されるブルベの祭典、
パリ-ブレスト-パリ1200キロに4回出場しているという。

2007年は60時間で完走。2003年にはわずか56時間で完走したという。

またすごい男に会ってしまった。
私は"Great!"としか言えなかった。

帰国後、オーストラリアのオーデックスのページをみると
役員のところに彼の名前があった。納得である。


さらに話すと彼の姉か妹は沼津に住んでおり、英語の教師をしているらしい。
また、日本にも一度来たことがあり、広島から大山のあたりまで走ったそうだ。

日本のオーデックス1200キロにも出たいと言っていた。
(日本ではAudexをオダックスと言うが英語圏ではオーデックスと発音するらしい。)
ぜひまた日本で会いたいものだ。


2杯目のビールを取りに行ったが、なぜか彼の分も私が支払っていた。
まあいい。
 
彼のバイクはメルボルンの工房で作られたハンドメイドのクロモリでなんとWレバー。





これでP.B.Pを走っているらしい。

「カーボンバイクも持っているけど、オーデックスはこれだ。」とのこと。


 

宿に戻り、夕食はインスタントのラーメンとマッシュポテトで済ます。
食事を簡単に済ませるとすぐに寝てしまった。


しかし夜中、目が覚めてしまい、なんとなく宿の中庭に出た。
昼間に干しておいたアームウォーマーが飛んで行ってしまったらしく
誰かが物干しのワイヤーに縛ってくれてあった。いやはや有難う。

獣の気配がしたので振り返ると、すぐそばの木にモモンガがいて
私と一瞬目が合うと、そのまま飛び去ってしまった。


街のキャンプ場で野生動物が姿を見せるのいいな。

私は部屋に戻り、再び眠りについた。




GTに乗ったサイクリスト 2008年12月29日

レイクセントクレアのバックパッカーは宿泊客の割にキッチンが狭かった。

昨日相席になったおっさんは声がでかくてうるさくてかなわなかったが、
今朝はドイツから来たという40くらいの綺麗な女性が前に座っていて、
ある意味落ち着かなかったが、周囲は静かで穏やかな朝食だった。


少しお互いの話をした。彼女は旅慣れた人らしい。


「ジャムもらってくれる?余っちゃって」と使い切りタイプのジャムのパックを
いくつか分けてくれた。

ジャムを切らしそうだったのでこのささやかなギフトはうれしかった。

朝食を済ませると、彼女は席を立った。
彼女の静かで、どこかさびしげな印象はなぜかずっと頭の片隅に残った。

ワラビーもよく見かけるようになった


レイクセントクレアからは、三日連続の吹きっさらしの道。
強い風とゆるい上りで思ったより、距離が伸びない。

天候は朝から雨。

長距離を意識していつもより一時間早く出たが、
途中の平原で強烈な向かい風に阻まれ思ったより距離が伸びない。


この二日間は一日60キロほどしか走っていないが、
今日は100キロを越える予定。

食糧が心もとない、酒がない、という理由で何としても次の街、
クィーンズタウンまで走り切らなければならない。

イライラが募る。

ようやく西部に入る。ここも世界遺産

 


複雑なタスマニアンウェザーは突然雨がやんで
晴れ間が来たと思うと、また降り出すといったことを繰り返す、
という自転車乗り泣かせのものだ。

雨だったとおもうと突然晴れ間が現れる




途中で下りになり、一旦ペースを上げるが、
雨が激しくなり、コーナーもタイトになり結局スピードが出なくなった。
その上、雨が霙になり、体を激しく打ち付けた。


「痛い!イタイ!」
唯一、肌が露出していた顔に霙が激しく当たり、下りの速度がそれに拍車をかけた。


なんなんだ、一体?

ひどい道だ。

道沿いにウォーキングトレイルがあったので、立ち寄る。





少し歩いて回り、トレイルの入り口にいた男性と話す。
なんとイスラエルから来て家族で旅行しているらしい。
イスラエルの人と話したのは初めてだった。

コールスのインスタントラーメンと勢川のマッチ。よくわからない組み合わせだ



屋根のある休憩所で、少し早いがここでランチ。

とにかく寒くてコーヒーを二杯淹れる。
食事に昨日のパイの残りといつものようにインスタントラーメン。


足下がやたらと冷えるので、フリースの靴下を重ね履きした。
上も寒いので、起毛の長袖レーサージャージを着る。本当に夏なんだろうか。

旅に出る前、友人のスイス人サイクリストの忠告に従って、冬装備を持ってきてよかった。



後に知ったことだが、タスマニア西部は冷帯雨林気候で、
アフリカから西に吹く風が海から水分を吸収し、途中に遮る大陸もないことから、
タスマニアの山にぶつかって絶えず、雨をもたらすそうだ。
そのため、西側は雨が多く、寒いのに対し、東側は雨が少なく暑いらしかった。


その後は下り基調の道になった。


途中でアデレードから来たというクロモリロードに乗ったサイクリストに
あっという間に抜かれる。

2,3言話すとさっさと行ってしまった


その後、雨で体力を消耗していたこと、
それから気が滅入っていたことでやる気が起きず、ダラダラと進んだ。


差しは時折射すものの、とても夏とは思えない寒さで、
足はレッグウォーマー、上もジャケットを着るのが普通になった。

それで雨も降ればさらに寒さは増し、冬の日本を旅するのと遜色ないような状態であった。


 

そうした状態にあっても、それに耐えうる装備を持っていたのでよかったが、
悪条件は重なるものだ。


Victoria Passという峠の前で、スローパンク。


雨が降ったりやんだりする中で、積んだ荷物を下ろし、タイヤを外す。
雨のパンク修理ははサイクリスト一人を惨めな気分にするのに十分である。


今まで良すぎたツケがきたのか。それにしてもひどいな。


予備のチューブもこれで使い切ってしまった。
工具入れの中を確認すると予備パッチもイージーパッチしかない。
しまった。ロンセストンの宿で買っておけばよかった。


後悔しても仕方が無い。次のクィーンズタウンで買おう。


パンク修理を終え、再び走り出す。

下りでもやはり強烈な向かい風に阻まれ、思うように進まない。

苦戦した峠はわずか標高530mだった


峠まではダラッとしたのぼりだったが、頂上まで全然たどり着かなかった。


Nelson Falls。疲れていても寄り道。


バーバリーレイクという湖の横を通過。クィーンズタウンまで、残り15キロ。

雨が強く降るたびに、道路脇の木陰に避難し、今日どこまで行くか思案した。

 


雨が激しくなったので、少し雨がやむのを待とう、
と木の陰に入って補給食をとっていると、
反対側からグレーのGTに乗ったサイクリストがやってくるのが見えた。

レインギアフル装備の私とは対照的に
彼は蛍光イエローのウィンドブレイカーを羽織っただけで、
なんと下は海パンで足はサンダルだった。


私は習慣的に「Hi !」と手を挙げたが、
彼は私が立ちすくしてるのを見ると、片手をぶんぶん回して微笑み、
そのまま走り去って行った。



この彼の姿を見たとき、私はシビれてしまった。


彼はまるで「おいおい、何やってんだよ?走れ走れ!!」そう言っているようだった。


なにをやってるんだ?私は?

フル装備で、全身びしょぬれというわけではない。

装備に守られて中はまだ温かい。
それなのにここでどうして止まってるんだ?

彼は私よりはるかに軽い装備でなんでもないように走っていた。


そうだ、私たちはサイクリストだ。
雨がどうした。
ペダルを踏むのを止めたらどこにだって行けやしないんだ。


彼が答えを、エネルギーをくれた。


私はすぐにまた自転車にまたがり、ペダルを踏みだした。


「行くとも、そうさ、こんな雨ぐらいなんでもないよな」


名も知らぬサイクリストが前に進む勇気をくれた。
いつも誰かが、前に進む力を与えてくれる。




私は再び走り出した。

壮大な山々が正面に見える。
クィーンズタウンはあの山の向こうにあるようだ。
途中、かつて使われていたのだろうか
何かの採掘用の大型重機が放置されていた。


クィーンズタウンにようこそ、という看板から随分上った


タスマニア特有の急峻な山道を上っていく。距離にして3キロぐらいだろうか。
疲れがピークに達していて、一番軽いギアを踏むのがやっとでなかなか山頂が見えない。


ふと視界が開ける。

正面の山のてっぺんに「WELCOME TO QUEENSTOWN」の文字が見える。


街は山の下だ。

クィーンズタウンは周囲を谷に囲まれた街だった。
すごいところだな。

昨日、セントクレアで「ニュージーランドのクィーンズタウンと比べてみて」といわれたが、
なるほど大違いだ。
NZのそれは湖畔の風光明媚な観光地だが、こちらは辺境の鉱山の街だ。



下りになったこと、街が見えたことで私は少しだけ再び元気を取り戻した。

街に入った。
街には古い建物が点在していた。


街の反対側にあるキャンプ場を目指す。

タスマニアのキャンプ場は5時過ぎになると受付が閉まるので
慌てて行った。

キャンプ場にいくと今まさに閉めるところだった。

ボロボロびしょびしょなので、高いがキャビンを取った。


一旦、市街に戻り、買い物をする。
なぜかスーパーでツナ缶を買うつもりが、オイルサーディンを買ってしまう。
「おお安いツナ!」と思って買ったのが、パッケージには間違えようがないほど
デカデカと「オイルサーディン」と書いてあった。

よほど疲れていたのだろう。

間違えて買ったオイルサーディン。温めて醤油と山椒をかけて食べた


ワインも買い、キャンプ場へ戻る。

すっかり暗くなったキャンプ場のバスルームで
昼間、私を颯爽と抜き去ったローディーを見かけた。

彼もここに泊まっているようだった。



キャビンに戻り、ストーブの前でぬれた服を乾かす。
すぐに服から水蒸気が立ち上っていく。

疲れ切った体でパスタを料理し、ワインを開ける。


とにかく、一日走りきった。

スーパーで買ったリンゴ。日本のそれより小さいが「フジ」である。


私にとってタスマニアのクィーンズタウンは恐ろしく山の中にある、
という印象になってしまった。

雨模様なので、空が暗くてよくないが、晴れならばいい街に見えるだろう。

明日は晴れて欲しい。