定着から放浪へ 放浪から定着へ

自転車の旅、そのほかの旅について書いています。

Coromandel -Cycling NewZealand -

ようやくニュージーランドを自転車で走り始めた。


幸い天気は快晴。



Papakuraの駅を出ると、少し家が点在しているだけで、
あとは緑の広がるのどかな道が続いていた。



かつて自転車で旅をした北海道も広大だったが、
それよりもはるかに広く感じられる。

そして、空の青さが眩しい。
日本の空より青く見える。



オークランドから近いためか、多くのサイクリストとすれ違った。
みんな軽くあいさつをしてくれる。こういうのはいつでもうれしい。



やがて最初の町「Cleredon」に到着。
市街地はどこだろうと走っていくと、そのまま町の外に出てしまった。
小さい町だ。町と言うより集落と言ったほうがいいか。
集落が終わると急に建物がなくなるので、
日本との違いにおどろいたが、その後の小さな町はどこも似たようなものだった。

店があったところまで戻り、店に入る。
店主はマオリの人だった。

飲み物の補充にペプシワインオープナーやライターなど小物を買う。
このとき買ったフランス製のライターはとても使いにくかった。日本製はよく出来ているのを実感した。

支払いにクレジットカードを使い、漢字でサインをすると、
マオリの店主は不思議な顔をした。私は顔を見合わせて微笑んだ。




ツーリング初日はMirandaという街で一泊。温泉があり、体を休ませることが出来た。
もっとも温泉と言うよりは温水プールだったが。
それでも湯につかれるのはありがたかった。

翌日は朝方、曇り空だったが、出発する頃には晴れてきた。

ニュージーランドは日差しが強く、皮膚ガンの発病率が高い、と言われるが、なるほど日差しは強烈である。
前日に日焼けしたところが痛かった。

朝食をパンだけで済ませたせいか、走り出してしばらくすると猛烈におなかがすいた。
そういえば、この数日、パスタばかり食べている。肉もタマゴもご無沙汰だ。
「何かボリュームのあるもの食べたいな」一度そう思ったら、しばらく食べ物のことしか考えられなくなってしまった。

Thamesの街の手前でカフェを見つけて入った。
こういうローカルなカフェに入るのは初めてだ。少しどきどきした。

タマゴとベーコン、マッシュポテトのサンドとレモンシュガーの乗ったスィーツをもらう。
マオリ人の奥さんがとても感じが良かった。

ゆっくり食事をしていると、トラックの運転手がやってきて、
サンドウィッチを買うとすぐに出て行った。
何気ない光景だが、なんかこういうの海外っぽいなと思った。

Thamesの近くのワイナリー。白ワインを一本薦めてもらい購入



一日100キロくらい走るのが、日本での私のキャンプツーリングスタイルだが、
この日の目的地のThamesまで30キロ程度しかなく、のんびりしていた。

Thamesはちょっとした街だった。

メインストリートには大きな店もあり、賑やかだったが、
一本裏通りにはいると閑静な住宅街が広がっていた。
その先はもう海だ。



そんな住宅地の中にバックパッカーズはあった。


バックパッカーズに行くと、ドミトリー(相部屋)かテントサイトか訊かれる。
どういうことか確認すると、テントサイトは言ってみれば庭にテントを張って宿泊できるそうで、中のキッチンなどの共同スペースはドミトリーの客同様使っていいらしい。
外ということで、少し料金が安いようだ。
天気もよさそうなので、テントサイトにした。


ワイナリーで買ったワインを早速いただく


テントサイト、といっても宿の庭の一角にテントを張っていい場所がある、という程度だったが、テントを張ったら、なんだか落ち着いた。
やはり自分のテントが一番だ。長年使っているので、だいぶヨレヨレだが。

ニュージーランドが一人旅に向くと思う理由のひとつに、宿泊施設の充実性があると思う。
街の郊外にには「Bed & Breakfast(B&B)」と呼ばれる民宿のようなところが数多くあり、
また、街にはたいていキャンプ場がある。

街のキャンプ場はキッチンやリビングなどの共同施設が使えるというところが多く、
非常に快適である。

もちろん、我々が想像するようなキャンプ場も国立公園などには数多くあり、さすがはアウトドア大国である。


宿には猫が。ペットを飼っているアコモデーションも多い。



少し街を歩こうと宿を出ようとしたところで、宿のオーナーに会った。
手には竿と釣り道具。これから釣りに行くという。

釣れるといいな、
私は「Good luck!」と言うと彼は振り返り、「そうだな、おれには運が必要だよ」と苦笑し、
軽く手を上げて、海に向かって歩いて行った。

Thamesの海
 




Thamesから先、コロマンデル半島を回る。

 

コロマンデルの街。観光地とあって多くの人でにぎわっていた



ここはとにかく登りがきつかった。
その後、Auther’s PassやTakaka Hillといった有名な峠を登ったが、
ここの斜度は特筆ものだ。後にサイクリストと会うたびにここは話題になった。
(Auther’sPassも相当キツイが。)



キツイ中、なんとか100キロほど走り、日が暮れる頃、Whitiangaという街にたどり着いた。



もうほんとうにヘトヘトだった。
この街は観光地らしく、宿は高かったが、疲れていたので構わずベッドを取った。


部屋で荷物を解いていると、Jackwolfskinのジャケットを着た女性が話しかけてきた。
「あなたどこから?ここはいいところよ、長居するといいわ。コロマンデルは山を越えてきたの?私もあそこを越えてきたの。すごい坂よね。」
いかにも旅慣れたサイクリストらしく、日によく焼けた肌がとても健康そうだった。

キッチンで食事を作っているとやけに日本人が多いに気が付く。
一人つかまえて話を聞くと、ここには8人の日本人がスタッフとして働いているという。
なんでもオーナーが日本人好きらしい。

わざわざこんなところまで来て日本人と話していることに違和感を覚えた。

とはいえ、慣れない旅の始めで、日本人と話せることで少しほっとしたのも事実だ。

一通りニュージーランドを回ったという一人の日本人と仲良くなり、
いろいろ旅のアドヴァイスをもらった。

夕日のきれいな日だった


少し滞在すればいいじゃないかと薦められたが、宿代が高いこと、
それから日本人が多いのがどうにも耐えられず、翌日、朝食を食べると出発した。

 
Thames郊外の店。TIPTOPのアイスはおいしい

 


きのうの日本人に薦められたWhitianga から比較的近い
HaheiというところにあるCathedral Coveというところへ向かう。


とにかく絶景だから、ということだった。


自転車や車で行けるのは途中までで、Cathedral Coveまでは遊歩道になっていた。
海に向かう小さな半島の道は歩いていて、とても気持ちが良かった。


すれ違う観光客がみんな「ハイ!」とか「ハロー!」とか軽く挨拶してくれるのがうれしい。



30分ほど歩いただろうか。砂浜に出た。




「おお」私は思わず声を上げた。



ニュージーランドはほんとうに美しいところばかりだが、ここは最高だ。
海に浸食され、大きく削られた岩の向こうに青い空と海が見える。


また、ここがいいな、と思ったのはこの景色の中で普通に人が遊んでいることだ。
波と戯れたり、泳いだり、カヌーをしたり。



日本だったら、柵がしてあったり、遊泳禁止などと書いてあったりしてげんなりするが、
そういった余計なものがなくて、自然体で遊べることがよかった。

そんな様子をしばらく眺めたり、少し海に入ったりして楽しんだあと、Cathedral Coveを後にした。


途中、カフェ「Colenso Country Café&Counrtyshop」に入る。

庭の素敵なカフェだ。

 



ショーケースの中のパイを眺める。どれもおいしそうだ。
悩んでパイを二つとサラダを注文し、ペロッと平らげた。


北島にいる間は、昼はカフェで摂ることが多くなったのはこの頃からだ。
日記には「毎日、お金がかかって仕方がない」と書いているが、
こんなものを毎日食べて、酒も飲んでいたのでは当然だと思う。


その後はTairuaという街まで行った。

Pakuという山。マオリの言葉で"women's breasts"




キャンプ場に行くと、管理人不在。


入り口にメモが。


勝手にやっていいようだ。
キャンプ場には、私のほかにもサイクリストがいた。

一組はドイツから来た一家で、夫婦と10歳くらいの子と3歳ぐらいの子連れだった。
父親の自転車のサドルのところから、後輪の下に向かって一本パイプが伸びていて、そこにハンドルとペダルがついた椅子がついていて、子供はそれに座っていた。
(残念ながら同じものは日本で見たことがない)

アタッチメントの参考イメージ。こんな感じのバイクで子供を二人牽引していた。こんなに飛ばしてはないはず(笑)



父親はテントを張っている間、母親は洗濯をしており、まさに旅する家族といった感じだった。



ニュージーランドではキャンプ場のことを「Holiday Park」とか「Caravan Park」と呼ぶ。ニュージーランドではキャンピングカーなど旅をする人も多く、そうした人の利用も多いからそう呼ばれるのだと思うが、この家族は、まさにキャラバンだった。

あんな風に家族で旅をしたら、きっと子供の心にずっと残るだろうな。
私も家族とあんな旅がしてみたい。



もう一人は女性のサイクリストだった。



外のベンチで一緒に食事をした。
私はこの日、スーパーで玉子と鶏肉を買ったので、親子丼を作って食べていると、
「何それ?」と怪訝な顔で聞いてきた。とてもおいしそうには見えなかったのだろう。

親子丼をうまく説明できなかったので、「卵と鶏肉を使った日本料理だ」と説明しておいた。

彼女のほうはと言えば、フィッシュ&チップスを食べていた。
「とても大きくておいしいし、安かったのよ」と言っていた。

彼女はスイス人で43歳。スイスの人材派遣会社でマネージャーをしているという。
管理職でもこうしてキャンプ道具を満載した自転車で海外を旅が出来るなんて、素晴らしい。日本じゃ考えられない。
私は職場では一番下っ端だったのに、ここに来るために仕事を辞めて来なくてはならなかった。彼女の国との文化レベルの差を痛感した。


夕食を終えて、くつろいでいると、一人の男が近づいてきて、何か言った。


「オーナーだ」


はじめ何のことだ?と思ったが、スイス人サイクリストがパッと立ち上がり、
「あぁ、オーナー!お金払います!」とテントに戻っていった。


続く。。

 

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勤めていたホテルを辞めて旅に出たのは
ちょうど10年前だった。

私が目指したのはニュージーランド

いつか海外を自転車で旅がしたい。
ずっとそう思っていた。

10年前の旅が自分にとってどんな時間だったのか。

記憶が完全に風化してしまう前に
昔の日記やガイドブックを読み返し、そのときのことを振り返ってみたい。


**********


当時、勤めていたホテルにはワーキングホリデーで
ニュージーランドやオーストラリアに住んでいた先輩が何人かいて、
深夜の勤務時間によくそんな話を聞いた。

そのうちニュージーランドに行ってみたい、
いつか自転車で海外を旅してみたいという長年の想いが抑えきれなくなっていた。


職場の先輩の後押しもあり、2005年の暮れ、上司に仕事を辞めることを伝え、
2006年2月、学生時代から旅をともにしてきたマウンテンバイクとともにニュージーランドへ飛んだ。



空港まではホテルの先輩が送ってくれた。
私が仕事を辞めることを一番残念がってくれた人だが、一番応援してくれた人でもあった。

この先輩はワーキングホリデーでニュージーランドに住んでいたことがあり、
海外経験を積む必要性や、ニュージーランドのすばらしさについて、
仕事の合間によく語ってくれた。
もちろんホテルの仕事も、ほんとうによく教えてくれた人だった。


チェックインを待つ間、二人でコーヒー飲んだ。
先輩は細々したことまで、いろいろ心配してくれた。
少し鬱陶しく感じてしまうほどだったが、今ならあのときの先輩の気持ちが分かる。
私が逆の立場なら同じようにしただろう。


出国手続きのゲートで先輩と別れた。

「シマ、GOOD LUCK!」

私は振り返り、小さく手をふった。



長いフライトの後、やがて眼下にニュージーランドの大地が見えた。

青々とした緑が一面に広がる広大な大地。

その緑の中に細く伸びる一本の道が見えた。

あんなところを走るんだ。じわじわと期待が膨らんできた。


到着したのはニュージーランド北島北部に位置する最大の都市オークランド

空港で入国審査。

ニュージーランドは検疫が厳しいらしく、
植物や土を持ち込ませないため、
持っていたテント、タープは一旦全部、洗浄にかけられてから戻ってきた。

自転車の入った段ボールを受け取り、空港の外に運び出した。
すると、空港に自転車を組み立てるスペースがあった。



すごいな。それだけ自転車を持ってくる人が多いということだろう。



自転車の組み立てをし、インフォメーションで町の中心部への行き方を聞く。
ついでに自転車の入っていた箱の処分を頼んだ。


まずはオークランドの中心部へ。

学生時代のツーリングから数年ぶりの荷物を満載したマウンテンバイクは
これでもかというほど重かった。



初めて自分の目で見る海外の景色。




建物、横を走り抜ける車、道路の標識、時折晴れ間を見せる空。

目に映る全てが刺激的だった。そしてまたそれらは不安でもあった。


右も左も分からない私は、とりあえずと勤めていた会社の先輩がオークランドを訪れた際、
泊まったところと同じバックパッカーを目指した。
(※バックパッカー:相部屋の安宿。一泊2,000~3,000円程度で共同キッチンやリビングが使える。)



バックパッカーは街の中心部、クィーンストリートにあった。


バックパッカーに着くとラウンジに多くの若者が楽しそうに話していた。



みんな何だがとても熱く、エネルギッシュに会話をしていて
不安だらけの私はその勢いについていけず、見ているだけで疲れを覚えた。


相部屋のベッドを確保し、ボーっと地図を眺めていると、
やがて大きなバックパックを背負ってやってきた白人の男性が話しかけてきた。

彼はドイツ人で、名前はマーティン。
これからビーチで泳ぎに行くんだ、と嬉しそうに言った。


みんな、目的決めて来ているんだな。

自然に楽しそうにしているマーティンが眩しく見えた。

私は?走ること以外何をしたらいいのか分からない。

私はとりあえず、自転車で遠くに行くことしか決まっていない。
旅のあとのことはもちろんのこと、オークランドの次にどこへ向かって行くかすらも決まっていない。


私は何をしているのか。
私は何者なのか。


眠る前書いた日記に書いてあった。


こうした不安はどう考えてみても拭えない気がした。



翌日、街で食料の買出しなどをし、宿に戻る。



自分から動かないと、何も変わらない。
話せない英語でも話しかけていこう。
自分の世界のありかたは自分にしか変えられない。


この一日、全く話さなかった私の向かいのベッドにいた青年に勇気を出して話しかけた。
ろくにあいさつもしない彼のことを一方的に感じの悪いやつだなと思っていたが、話してみるといいやつだった。

彼からすれば、私の方がそう見えたかもしれない。

彼の名はヤン。ノルウェーから来たという。

私はヤンを飲みに連れて行こうと思い、つたない英語で誘った。
始めはなかなか理解してもらえなかったが、何度か話しているうちに理解してくれた。


宿から近いバーに入り、ビールを飲みながらヤンと話し始めた。
ヤンは現在22歳。大学で何か理系の勉強をしているそうだが、何をやっているかはよく分からなかった。
ヤンはこれから仕事を探して、それからニュージーランドを回る予定らしい。


とても上手に話せたとは言えないが、お互い笑顔で宿に戻った。


出来るところから少しずつ。ささやかな勇気を出してやっていこう。




翌朝、オークランドから郊外のPapakuraに出る電車に乗った。

ニュージーランドではオークランドと首都ウェリントンでは
郊外に出るためには電車か自動車専用道路しかない。


ともかく街から抜け出して自転車に乗ろう。



電車では、女性の車掌が自転車の乗せ方を教えてくれた。
私が心配そうにしていたのだろう、
通りかかるたびに「あと2駅よ」などと声をかけてくれた。



車窓を流れる景色を見ながら早く自分の足で走りたい、そう思った。



電車はやがてPapakuraに着いた。



自転車とともに電車を降りる。
車掌さんにお礼を言いたかったが、そのまま行ってしまった。

自転車に目をやった。
初めて自転車で旅した日からずっと私を支えてくれたマウンテンバイク。

なにをどうすればいいか、この異国の地では正直まだよくわからない。

でも、このマウンテンバイクに乗ればどうすればいいか、それだけはよく分かっている。
電車を降りるとこの二日間、ときに憂鬱に見えた空もこの日はどこまでも青く見えた。


「そう、青空の下で走りたかったんだ。」


青い空が不安を全て吹き飛ばした、とは言えなかったが、

青い空は素晴らしい旅が始まるのを予感させた。

「自転車に乗りさえすれば、自分の旅だ。」

荷物を満載した自転車を揺らしながら、私は走り出した。

旅の終わりにまた旅を想う 2009年1月6日

帰りの飛行機が出るのは夕方。

 


まだ自転車の梱包をしなくてはならないが、そこまで急がなくてもいい。

朝はゆっくり食事をし、宿をチェックアウトするとまずは昨日の自転車屋に向かった。

自転車屋に続く坂道を登る。


自転車屋のドアを開けるとスキンヘッドのオヤジが私の顔を見て、
一瞬、「何だ?」って顔をしたが、
すぐに思い出したようで"bikebox!"と言った。

なんとなくそうだろうなと思ったが、
予想通り、GIANTの段ボールが出てきた。

段ボール代はいいと言うので、土産にGUのエナジージェルをいくつか買った。
まだ日本に入っていなかったものだ。
こういうのはあまり高くなくて、サイクリストたちにはいい土産になる。

スキンヘッドのオヤジに礼をいい、店を後にした。

一旦、インフォメーションセンターに行き、もらってきた段ボールを預けた。

それから海に向かった。海に行って見たいものがあった。

それはオーストラリア本土メルボルンタスマニアを結ぶフェリー"Sprint of Tasmania"だ。

せっかくの機会なので乗ろうかとも検討したが、
本土とタスマニアの間のバス海峡は潮の流れが激しく、フェリーはよく揺れるらしかった。
ニュージーランドの北島から南島に渡るフェリーで酷く船酔いしたのを思い出してやめてしまった。
今思うと勿体無い。

海に出るとタスマニアらしい強風が海を渡って吹き付きけてくる。



何度こうした風に悩まされただろうか。

帰国して随分になるが、強風の日に自転車に乗ると、ふとタスマニアを思い出すことがある。
そして、そのたびに「タスマニアに比べたらマシだ。」と思うのだ。




海沿いの道はとても明るくて気持ちがよかった。






 

もしかしたら今日は停泊していないかと思ったが、幸い"Sprint of Tasmania"、
港に停泊していた。


あれで本土からタスマニアに渡って来たらワクワクするだろうな。

立派な船体だ。

昔、フェリーで北海道や四国に渡ったときのワクワクを思い出した。


昼食を食べるため、モリーマローンズへ戻る。

宿の方ではなく、宿の下にあるバーの方だ。

 

 


昼間のバーはすいていた。


ランチはサーモンのソテーを注文した。
そしてお供はアイリッシュバーではお約束のキルケニー。



食事とアイリッシュビールを堪能すると今回の旅を振り返ってみた。

 

一番の問題はやはり英語であった。


いつも困ったときには誰かが助けてくれた。
当たり前だが、知らない誰か。
あるときは同じ旅人であり、またあるときは通りすがりの人。

そんな人ともっと上手に話がしたかった。


それから、旅ということについて考えた。

今回、出会った多くの旅人達は、放浪を続けている人よりも
日常から少し離れてやってきた人が多かった。
それはこのタスマニアという土地の性質かもしれない。
 長い旅、というよりはきっと長い休暇、という人が多かったと思う。


日常の延長線上にある、非日常。
それを休暇と呼ぶのか、旅と呼ぶのかは、その過ごし方によると思う。

ただ、その素晴らしい時間を過ごした後、みんな日常に帰っていく。


日常の延長にある旅。


キルケニーが1パイント空くころ、次の目指すべき地平が見えた気がした。



モリーマローンズのそばのリカーストアで土産のスパークリングワインを探した。

東海岸のBay of fire で飲んだスパークリングワイン"Kreglinger"が印象的だったので
どうしても土産にしたかった。

無事にKreglingerを手に入れ、 インフォメーションセンターに戻る。

空港までのシャトルはここにに来るので、
インフォメーションセンターで自転車の梱包を始めた。

あまり重いものを調子に乗って段ボールに詰めると
また飛行機のチェックインで追加料金を取られかねないので、
考えながらGIANTの箱に自転車とキャンプ道具を詰めた。
ここは前回アラスカの帰りで3万円余分に払った痛い経験が生きた。
昨日土産に買ったカッティングボードがなかなかの重さだったので、手荷物に回した。

後の話だか、空港の手荷物検査で女性の職員に「これ何?絵?」と言われ、
「カッティングボードだ」と答えて不思議な顔をされた。そりゃそうだよな。

手荷物には寝袋を入れるのを忘れなかった。
今日はメルボルンまでの移動で、
明日が国際線のフライトなので、空港で一泊しないといけないからだ。

何とか梱包を終えると、荷物を再びインフォメーションセンターに預け、少し歩いた。
ネットカフェを見つけて入る。

日本への最後の連絡をし、マフィンを食べ、コーヒーを飲んだ。
現金の残りはもうわずかだ。

再びインフォメーションセンターに戻り、シャトルバスを待つ。

時間より早く着いてまっていたが、時間になっても当たり前のようにシャトルは来ない。
フライトに間に合うかと心配になり、自分の心配性に笑えてきた。

予定よりずいぶん遅れてシャトルが来た。

「間に合うのか」とドライバーの女性に聞くと
「何時のフライト?大丈夫よ!」と自信満々で笑った。

シャトルが走り出し、車のスピードで景色が流れていく。
いつもと違う速さでながれていく景色を見て、旅が終わることを思い知らされた。


空港でのチェックインはすんなりいった。
窓の向こうで自分の自転車が積み込まれるのが見えた。





歩いて飛行機に搭乗すると、ほどなく飛行機は飛び立った。


しばらくしてワインをもらった。
ワインを飲みながら、物思いに耽った。



思えばいろんなことがあった。


いつも行く先にあった激坂の上り

旅を始めて3日目に襲われた腹痛

行く先々で出会った老練なサイクリストたち

フレシネ国定公園アモス山から見たワイングラスベイ

"favor"という言葉の意味

車に轢かれたフェアリーペンギン

長い上り坂と向かい風の後に街が見えたときの喜び

焚火にかけてあったお湯をくれたグレッグとスー、それからかわいい犬のミッチー

ウェストコーストの寒い日々

雨に降られて、心が沈んでしまったときに知らない人とジェイムズテイラーを歌った大晦日

ヘンティ砂丘の年明け

美しい風景の中に自分がいることに気が付いた瞬間






素晴らしい旅だった。






機上から窓の外に目を向けるとオーストラリア本土の半島が見えた。

あの半島から見える景色はどんなだろう。

晴れの日はどんな感じだろう。
雨の日はどんな感じだろう。
風の日はどんな感じだろう。

果たして私がたどり着くときは、どんな感じなんだろう。

一本の道さえあれば、一台の自転車さえあれば、私たちはどこまでも行ける。



旅は終わらない。



このタスマニアの旅は終わってしまうけれども、私はまた旅に出るだろう。



日本かもしれない。海外かもしれない。アフリカかヨーロッパか。またアラスカか。

自転車で行くかもしれない。車かもしれない。ヒッチハイクかもしれない。

30代か、60代か。

今回の旅で私はまた自由になった。

旅に出たい、この気持ちさえあれば、いつでも旅に出られる。
もう焦る必要はない。歳も時間も関係ない。

自分が旅に出たそのときにしか出会えないものが
いつもそこにあるということを知ることが出来たから。


タスマニア編          完



Gone Riding 2009年1月6日

 
 
 

帰国まで3日。今いるシェフィールドから最後の滞在地になるDevonportまでは
わずか30キロほどしかない。
ふつうに2時間見ておけば問題ない距離だ。

残された時間をどう使うか。

デボンポートに到着すれば、お土産を買ったり、
帰国に向けた準備を始めることになるだろうから、
時間の許す限り、ゆっくり過ごそうと決めた。


周辺の小さな街を回りながら、デボンポートを目指す。


まずは、トピアリーが有名だというRailtonへ。

トピアリーってなんだ?と思って『Lonely Planet』を見るが
説明を読んでもよくわからない。


街の入り口の看板を見て、やっと理解。
植物で動物とかの形を作るやつのようだ。

民家の庭先にそれらしいものがいくつかあった。


ワイヤーで樹木を動物をかたどったりして作るものらしい。

トピアリーの街、と言う割には、そんなに数がなかった気がする。。
私のまわり方が悪かったか。

まだ生育中の作品もあった




トピアリーは眺めていてなかなか楽しかったが、ほかに見るものもなく、
街を一回りするとレイルトンを後にした。

シェフィールドもそうだったが、こじんまりした街で少しいくとすぐ町の外に出てしまう。
小さい街はなんだか親近感が湧く。


次の街は、Latrobe。
ここはぜひ行きたいところがあった。
Anversという会社のchocolate factoryがあるのだ。

ラトローブについたが、まだ早い時間なので
図書館でネットを使い、日本に連絡を入れた。

料金は1時間で数ドルだったと思うが、
管理してる兄ちゃんは別に時間を計るわけでもなく、
終わって帰るときに「どのくらい使った?」と聞いて、お金を払っておしまいだった。
ゆるい感じがいいな。


お腹が空いてきたので、少し早いが昼食をとることにした。
「Cafe Gilbert」という店に入る。


メニューを眺めて、today's specialを注文した。
実は海外で今日のおすすめを注文するのは初めてだったりする。


魚がメインのランチ。15ドル。
カプチーノはマグサイズで4ドル。

日によっては一日の生活費だな。帰国間近になるといろいろ緩くなってくる。

ランチはワンプレートで足りるか心配なボリュームだったが、
食べてみれば、まあボチボチの満腹感。

味も非常によく、タルタルソースをグラスに入れて添えるのも斬新だなと思った。
この盛り付けはうちでも使えるアイディアだ。


 


カフェで空腹をそれなりに満たし、アンバースのチョコレート工場へ。

アンバースへは少し迷った。

工場は思ったより小さく、見学できるのは、
デパ地下の実演販売をちょっと大きくした程度しかなかった。

こちらは観光客向けのデモンストレーションで工場自体はもっと奥にあるのだろう。


まあいい。

さてさて、甘いものを食べなくては!


カフェスペースでショーケースの中をゆっくり回るケーキを しばらく眺める。


決められない。。。

 

 




悩んだ末、ブルーベリーチーズケーキとチョコミントチーズケーキを注文した。



なかなかのサイズのケーキ。私の手よりちょっと小さい程度か。



味はなかなかいい。うまいじゃないか。
むっ、若干甘いか?いや、だいぶ甘い。

ブルーベリーのほうは日本でもありそうだが、
チョコミントチーズケーキは日本ではお目にかかれないケーキだ。
ミント感よりチーズ感が強かった。

私は年中ミントチョコを食べているが、おそらく、このころからよく食べるようになったと思う。


ランチを食べたばかりだが、なんとか二つとも食べきった。

さすがに毎日朝から晩まで自転車で走っていると、
どこまでもお腹が空いてしまう。

ケーキを完食し、コーヒーを飲んでいると、
隣のテーブルに30歳ぐらいの日本人女性が二人やってきた。

かなりエグイ女子トークを展開したあと、
ケーキのサイズと甘さに文句を言いだしてかなり鬱陶しかった。

クドくて甘いのなんて当たり前だろ!文句言うなら食うな!と一人で思ってしまった。


こちらをチラッと見て、「日本人?」と思ったようだが、
旅の前半に東海岸の強烈な日差しに焼かれた黒い肌と、
レーサージャージ&パンツという格好に日本人かどうか判断つかなかったことだろう。



ケーキを満喫したあと、工場の直売コーナーでチョコレートファッジを5箱買う。
試食したが、これまたおいしい。



帰国したらだれかにくれてやろう。



アンバースのチョコレート工場からデボンポートまで10キロほどだったが、
もはやおなじみ著となったタスマニアの激坂と強烈な向かい風で
なかなかデボンポートに着かない。

下りでスピードを確認すると、わずか時速12キロ。

進まないわけだ。


大きな橋を越え、デボンポートに入る。



橋から見る海が美しい。

デボンポートは水俣姉妹都市らしい

橋から国道を離れて、川沿いに進むとビジターインフォメーションセンターがあった。
ここで空港までのバスを予約した。10ドル。

自転車分の追加料金が取られないようだ。よかった。
ニュージーランドでは、後で追加料金取られたのだ。


手持ちの現金が10ドルないので困っていたが、それは宿で解決した。

今回の旅の最後の宿は”Molly Malones"。

当初、日本からバックパッカーを予約しようとしたら
そこが改装中で予約できなかったため、旅行中に予約したのだ。

ストローンに滞在中、『Lonely Planet』を見ていて見つけたのがここだ。
同名のアイリッシュバーがニュージーランドの首都ウェリントンにあり、
印象が非常によかったので、ここに決めた。

ちにみにモリーマローンはダブリンを代表する歌の名前らしい。


デボンポートの中心にあるモリーマローンズ。一階はアイリッシュバー



到着するとチェックインでデポジットととして10ドル支払いをしたが、
クレジットカードで対応してくれた。
チェックアウト時は現金で返金してくれるという。助かった。


宿はやや安っぽい感じではあったが部屋は悪くない。


自転車は室内に置かせてくれた


自転車は中でいいと言われたので、遠慮なく自転車を室内に入れた。

行きたかったが行けなかった場所、北東部の「The Nut」


壁にかけられた写真を見るといきたかった場所だった。

今回の旅で心残りがあるとすればこの"The Nut"であろう。



まだ日が高いので、宿に荷物を置き、街をブラブラする。



宿のすぐ前にショッピングモールがあり、
キッチンを品の店でカッティングボードチーズナイフ買った。

ほとんど使っていないカッティングボード&チーズナイフ。そしてさっぱり切れない包丁




それからよくお世話になるスーパーのウールワースでピンク色のお菓子を買う。
あと感じのいい包丁を安く見つけたのでそれも買う。

ただ、帰国後それを使ったが、包丁は全くと言っていいほど切れなかった…

 


帰国に向けて、自転車を飛行機で運ぶため、
自転車の入る段ボールを手に入れる必要があるのだが、
自転車屋を見つけることができず
インフォメーションセンターに戻り、場所を聞いた。

自転車屋へ向かう坂道



自転車屋は丘の上の街にあった。




GIANTをメインでやっている店らしい。

店はあまり大きくなかったが、商品がよく整理されていた。
スラムのコンポがたくさん置いてあり、日本との違いを感じた。

店内に吊られたロードのフレームに目がいく。
新しいTCR ADVANCEだ。友人がオーダーしているのと同じだ。
BB周りがかなりしっかりしている。
今でこそ、剛性を上げるためにBBまわりが肉厚になっているのは珍しくないが、
当時としては革新的だったと思う。
マジマジと見入ってしまった。

スキンヘッドの感じの良いおじさんに
自転車用の段ボールを欲しいと言うと、
少し考えた様子で
「今はないが、明日なら用意できる。明日の12時までに来てくれ。」と言われる。
明日はデボンポートカップがあって道が閉鎖されるそうだ。

「Twelveね、」と繰り返すと、君は若いから大丈夫だ」みたいなことを言われる。

どういうことだ?寝坊するとでも思われたのだろうか。

段ボールは無料でいいらしい。

この店がいいなと思ったのは営業時間。

平日は午後5時半までの営業で、日曜日は「Gone Riding」と書いてある。




午後5時半で店を閉めることができるタスマニアは素敵だ。
この時間なら、店を閉めてからでも、十分走りに行ける。

日曜日が休みではなく、"Gone Riding"というのがいいじゃないか。
日本の自転車屋もこんな風に出来るといいのに。


自転車屋の周辺も店が立ち並んでおり、
いくつか店をのぞく。

ニュースエージェンシーで絵葉書を買い、店のおばさんと話す。


デボンポートカップは馬のレースらしい。
てっきりヨットのレースかと思っていた。

自転車でタスマニアを回って明日帰国だと言うとおばさんは驚いていた。
いやいやそんな奴この辺にごろごろしてるよ。
私はそう思い、苦笑した。

宿へ戻る道すがら、自転車以外の荷物を送るための段ボールは
スーパーマーケットでもらってきた。



宿に戻り、キッチンで食事を作りニュースを見る。

テレビをつけると連日、ニュースでやっているイスラエル問題を放送していた。
もっとも私には詳しい内容はわからないのだが。

キッチンでくつろいでいると、日本人の女の子がやってきた。
少し話したがあまり考えずにタスマニアに来たようだ。
話していることが中途半端過ぎて、話すのが嫌になってしまった。大丈夫かなこの子?

いつものパスタとタスマニア産ビール「カスケードドラフト」



宿のキッチンでこうして普段通りビールを飲みながら日記を書いていると、
まだこれからずっと旅が続くんじゃないかという気がしてくる。

明日の朝6時ごろには目が覚めて、朝の支度をし、8時ごろには出発して、10時には腹が減り、ランチまで我慢できず何か食べたりしちゃうんじゃないか、そんな気がしてしまう。

 


この日々が終わってしまうのか。

空になったカスケードドラフトの缶を持ち上げつぶやいた。

「お世話になりました。カスケードドラフト。」


 

Sheffield 2009年1月5日

朝、テントの外に出ると、昨日ほど快晴はないが、悪くない天気。

旅の最大の目的地であったクレイドルマウンテンも満喫出来て良かった。

チェックアウトするため、テントサイトにぶら下げていた名札を受付に返却する。

精算してもらうと、2泊で30ドルでいいという。
ラッキーだな。

予約の電話からチェックインの対応までしてくれた感じのいい女性は残念ながら不在だった。
記念に一枚写真を撮りたかったのだが。

受付の建物にあったパソコンでメールが来ていないか確認する。
知り合いの小学生とフレシネ半島で会ったヒロキくんからメールが来ていたが、
文字化けして読めなかった。


さらば、クレイドルマウンテン。
少し曇った空の中、走り出す。




もう少しでこの旅も終わりなんだ、と思うと少しさみしい。


クレイドルから北に進むにつれ、気温が上がってくる。
この10日あまり、ずっと冬のような恰好をしていたが、タスマニアは今、夏なのだ。

昨日、キャンプ場から実家に電話したところ、
「こっちは気温5度だ」というと、それは日本より寒いと言われた。
全く、どっちが冬なのかわからない状態だった。


冬物のサイクリングジャージを脱ぎ、半袖になる。
これほど日差しを浴びて走るのは、いつぶりだろうか。
Tamar Valleyあたりか。


寒冷な地域から離れていくのを体で実感する。
道が下りになり、ガンガンペダルをふんでいると、
私を追い抜いた一台のセダンが路肩に停まった。


「何だ?」


車からカップルが下りてきた。Tullaの宿で会った人たちだ。
女性の方の顔を見て思い出した。

宿のキッチンでピールやワインを飲みながら
ニュージーランドの話などをしたな。

旅人同士、こうしてまた会って、少し話しするだけでもうれしいものだ。


こういうことも旅が終われば、もう無いんだなと思うと寂しかった。


カップルと別れ、Gowie Parkという集落へ向かう。


今度は上りがガンガン来る。
タスマニアの道は長い周期のアップダウンが続くことが多いが、
この道は珍しくひたすら上ってサミットに行くパターンだった。


けっこう斜度がきつく、腰が痛くなってきた。
上っていくと、地元のライダーだろうか、たくさんのサイクリストが下ってきた。
このあたりだとDevomportあたりの人が走りに来るのだろうか。









峠を抜け、Gowie Parkへ。

分岐で悩むが、ずいぶん腹も空いてきたし、上らない方へ向かう。

Gowie Parkはキャンプ場とバックパッカーがあるだけで、
食事出来る店が無く、何も食べられなかった。

空腹で少しいらだってきたが、手持ち最後のインスタントラーメンを食べてしのいだ。


簡単な昼食を終え、走り出すと
いつしか周囲は淡い緑の草に覆われた丘陵地帯になっていた。


丘を抜けていく風が心地よい。


ときおり、強烈に吹いてここがやはりタスマニアであることを思い出させる。


気持ちがよくて、ペダルを踏む足に自然と力が入る。


気持ちよく丘を抜けると、Sheffieldの街に着いた。

 



 

 




シェフィールドは街の至る所に描かれた壁画が有名だ。
後に調べたところ、1970年代に人口が減少し、
その際に観光の呼び物として描かれるようになったそうだ。




インフォメーションで宿を聞くと、キャンプ場もバックパッカーもなく、
普通のホテルしかないらしい。

やはりか。『Lonely planet』にキャンプ場が書いてないということは、
つまりそういうことだった。

インフォメーションの人によるとバックパッカーならゴーウィパークが最寄で
キャンプ場ならデボンポートだという。

戻るのも面倒だし、デボンポートは帰国準備をするために
もう明日から宿を抑えてあるから、無理に行きたくなかった。

 
 
 
 
 
結局、インフォメーションでバーの2階にあるホテルを紹介してもらう。
宿は45ドル。高いが仕方がない。
 
バーで支払いをしてチェックインする。
タスマニアはこの手の宿が多い。
宿に関して言えば、ニュージーランドよりイギリス色が強いようだ。
 
宿自体は悪くない。部屋に荷物を置いて、街に出た。
 
 



昼食をちゃんと食べていなかったので、ベーカリーカフェを見つけて入った。



午後ということもありもうあまり商品が無かった。

よくわからない名前のパイとカプチーノを注文する。
おばさん二人でやっている感じのいい店だ。

  



ほかに客がいないな、と思いながら日記を書いていると、
店に人に閉店だといわれる。

そうか、ベーカリーだもんな。


  



ベーカリーを出て歩いて、街を歩いて土産ものを買ったりする。

デボンポートから近いからだろう、
小さな街の割に土産物屋がいくつかあった。

街の目抜き通りは少し歩けば
すぐ端まで来てしまう。

こういう普通の街が好きだ。



歩いているとなんだかだるくなって
宿でしばらく横になった。


夕方、この街で有名なジェラート屋へ行くが、
機械の調子が悪いらしく,ジェラートは売っていなかった。

ここは一緒にチャイニーズのテイクアウェイをやっていたので、晩御飯用にチャーハンと春巻きを買う。
そろそろ米が食べたかったところだ。

宿に帰り、バーでビールを買って、
ビールを飲みながらチャーハンを食べる。


チャイニーズのテイクアウェイはたまに使っていたが、今回のはびっくりするぐらい不味かった。
自分で塩を振り直し、かきこんで、ビールで流した。

窓からシェフィールドの街を見る。

まあ、こんなこともあるさ。

明日はいよいよ、最後の街デボンポート。このタスマニアで走るのは明日が最後だ。

旅の時間 2009年1月4日

昨日、遅く寝た割に早く目が覚めた。
習慣とは恐ろしい。
だが、テントから出る気になれず、グズグズしていた。

顔を洗い、キッチンへ行くとすごい人だった。さすがに人気のキャンプ場だ。

食事をしていると、昨日話しかけてきた日本人夫婦と話をした。
旦那さんはメルボルンで家具職人をされているそうだ。

何でも、以前は日本的なものを作っていたが、
工房が火事になり、今は別の場所で仕事をされているそうだ。

どのくらいのお休みですか、と尋ねると
四週間の有給だという。

うらやましい。

今回はそんな休暇で来ていて、今日は一日歩くらしい。
朝食を済ませ、クレイドルマウンテンに向かう。




クレイドルマウンテンは国定公園になっており(もちろん世界遺産でもある)、
車で行けるアプローチの道が一本しかなく、
途中のビジターセンターからは専用バスでしか行けない。



Dove Lakeがクレイドルマウンテン散策の起点になる。
そこまでのボードウォークでアプローチするRonney Creekというところで
バスを降りようと思っていたのだが、バスのドライバーのアナウンスが聞き取れず、
Ronney Creekのバス停をスルーしてまう。


結局、Dove Lakeのすぐ前のまでバスで来てしまった。

バスを降りると外は素晴らしい快晴。空の青がこれまでにないくらい眩しい。


少し乗り越したぐらい、まあいいじゃないか。




快晴のクレイドルマウンテンとDove Lave。
なんて美しいのだろう。

この一週間の苦労が報われたというものだ。
自然に笑顔がこぼれてくる。

 



クレイドルマウンテンの代名詞の小屋


ここからは予定通りGlacier RockからHansons Peakを回ってDove Lakeのサミット、
それからLake LillaとWombatpoorを回るルートで決まりだ。

というかこのルートぐらいしかDove Lakeをぐるっと回ることができるルートがないのだが。

中央の大きい湖がDave Lake。その周囲を回る。


駐車場からウォーキングトラックに足を踏み入れ、歩き出す。

最初、観光客も多く、イージーなものかと思っていたが、
やがて軽い登山になり、最初のポイント、Glacier Rockを過ぎたあたりから
観光客の姿は見当たらなくなった。

 

 

 

グレーシャーロックから

 

 

 

 

 

 


道は楽ではなかったが、晴天の中、美しい湖を眺めながら歩くのが楽しくて仕方がなかった。

途中、あるドイツ人と一緒になった。
なんとなく一緒に歩く。

彼は名をグレゴーといい、オーストラリア本土に住んでいるそうだ。

日本人でも小柄な私と比べ足の長い彼は、当然のようにトレイルをガンガン進んでいく。

早いよ、グレゴー。



リトルホーンに至る道。この先がやばかった。

Lake Wilkの見下ろせる山で昼食にする。
昼食は昨日作っておいたステーキサンドだ。なかなかうまい。

いつものようにコーヒーを淹れ始めるとグレゴーが
「ここでか?」と聞いてくる。

これは私のこだわりだから仕方ないのだ。

グレゴーはと言うと、マンゴージュースとビーフジャーキーしか持っていないという。
何か食べるか、と聞くが「いいよ」という。昼はあれで足りたのだろうか。

左がLake Wilk,右がDove Lake  

 

湿地帯はボードウォーク

 

 


グレゴーと話しながらトレイルを進む。
彼は日本のサブカルチャーに興味があるらしい。

意外とサブカルチャーは浸透しているんだな。


 

グレゴーが撮影してくれた写真

 

 


私が景色に感動して写真を撮り続けていると
「どうしてアジア人は写真ばかり撮りたがるんだ?」とグレゴーが聞いてくる。

「自分が見ている風景を少しでも、いつでも見られるように残したいからかな。」
私が答えた。

そう答えながら、写真撮らない方がなんとなく格好いいなと思ったが、
こうしてブログを書いていると、写真をたくさん撮ってよかったと思う。

写真でいろいろな記憶がよみがえってくる。
写真も見るまで思い出せなかった些細なことや、旅の空気感も。

 

 

グレゴーは下りも早い

 

 


グレゴーと歩いていると反対側からアジア人の一団とすれ違った。
「おい、写真撮ってやらなくていいのか?」とグレゴーがおどけて言うので
肘で小突いてやった。

 

 

グレゴーはなぜか階段が遅い

Lave Daveはもちろん、Hansons Lakeもその先にあった名前のわからない湖も
どれも美しかった。

ほんとうにここまで来てよかった。

 

一期一会とはまさにこのことだろう

スタートの駐車場まで戻り、グレゴーと別れた。
なかなかおもしろいやつだったな。



バスで自転車を置いてあるビジターセンターまで戻る。

バスで戻る途中、運転手が今日はクリスマス以来のナイスデイだ、と言っていた。
ほんとうについているな。

キャンプ場に戻ってシャワーを浴びよう。
今日はなかなか疲れた。


*************


旅のこうした時間が好きだ。
つまり、特にやることもなく陽だまりの中でぼんやり本を読み、ビールを飲む時間。


今日の場合は、シャワーも洗濯も終わってしまって、かといって夕食には早いから
こうしているわけである。

何にも縛られない、こうした時間の自由さ。

旅の終わりはそう遠くない。あと3日。
3日後にはタスマニアを離れ、メルボルンの空港にいるだろう。

こうして気ままに過ごす時間はもうほとんどないのかもしれない。


「あまり幸せをむさぼってはいけない」

この旅の間、読んでいた隆慶一郎の『一夢庵風流記』の一節だが、
そう思わせるほど、今は幸せだった。


だが、幸せも、ないときにはない。


この一週間のウェストコーストの雨の日々を思えば、
今の幸せもプラマイゼロなんじゃないだろうか。

こうしたことをあれこれ考えることは無意味なことという気がする。

とりとめのない思索を巡らすこと自体、すでに幸せなのだろう。


とりとめのない思索が勝手に進んでいく。


この旅の間、世話になっているカスケードドラフトは
キリンのクラシックラガーの足元にも及ばないが、今はこれでいい。


旅に疲れてきた、というのも実際にある。
そろそろバスタブと天丼と日本のビールが恋しい。


だが、次の旅がいつになるかわからないから
この旅の時間が残り少ないのは何とも言い難い。


今は今を、ただ楽しもう。それでいい。





風景に至る道 2009年1月3日

朝8時出発。悪くない時間だ。




だいたい2時間ぐらいで最初のジャンクションまでたどり着くことが出来た。
Murchison Hwyは一番高いところでも標高690mが最高だった。




ジャンクションから3キロほど進んだ道の脇で昼食にした。

昼は昨日宿で作ったステーキサンドだ。
味はテリヤキペッパーに、テリヤキ七味、山椒醤油の三種類にした。
一番うまいのはテリヤキペッパーだ。

野菜はいつも保存の効くタマネギぐらいしか持っていないので、
バーガーに挟んである野菜はいつもスライスオニオンぐらいだ。
今日もなかなか辛い。

温かいコーヒーを淹れて落ち着く。

今日も寒い。

足元から冷える感じだ。
雨は降る様子は無かったが、朝からずっと曇り空だ。



服装は下から、ソックス、フリースソックス、レーサーパンツ、レッグウォーマー、
半袖レーサージャージ、長袖起毛のジャージ、レインジャケット、グローブ二重といった感じ。

結局終日その服装だった。
一昨日を思えば、そう寒くなかった気がする。



昼食の後はひたすらアップダウンの繰り返し。

しばらくして晴れ間が覗いてきた。

長い時間、ペダルを踏んでいると、思索にふけることが多い。
がつがつ走っているときはないが、
ロングライドやツーリングではしばしばあることだ。



考えていたのは動機の言語化だ。
言語化出来る動機は、大した動機ではないのではないだろうか。

例えば、「どうして仕事に行くの?」と言われれば、
生活していくためとか、理由は明快だ。
あえて聞くほどのことでもないだろう。

だが、「どうして旅に出るの?」と言われれば、
楽しいからとか、好きだからとか、いろいろ言えるのだろうが、
決定的な理由を説明することは出来ない。

ただ、日常の中で「また旅に出たいな」という想いが、
ふっと心のどこかにわき上がってきて、それが日に日に強くなっていくだけだ。

そして、それは或る日押さえきれなくなる。それだけのことなのだ。

旅の動機を言語化するのは難しい。
私にはそれぐらい、生きる根本的な問題になってしまっているのだ。

そんなことを考えていると目の前に
もはやおなじみになったタスマニアの急な坂が現れた。




来た!来た!来た!

またエグいほどの急な上り。
迷うことなく、ギヤを軽くし、サドルの前方に座り、上りポジションを取る。

そして、例のごとくひどい形相になりながら頂上を目指した。

写真ではさして急に見えないのが残念



頂上までかなり苦戦したが、標高はわずかに960m。


気分的には1500mぐらい上った感じだ。



なんだか損した気分だ。
補給に持っていたリンゴ出してかじった。



気持ちよく峠を降りる。




峠を下り始めると素晴らしい景色が広がった。



美しい。



アラスカでツンドラを見たときの感動がよみがえった。

草原の間を抜ける下り坂を一気に駆け抜けていく。
美しい景色が流れていくのがなんとも惜しい。



感動のあまり、不覚にも涙が出そうになった。

この1週間の苦労を思い出していた。

雨にも、風にも、霙にも、寒さにも、坂にも、とにかくいつも挫けそうだった。

だが、ここまで来た。この景色に出会えた。
この感動は何ものにも代えがたいものだ。


それを思うと何も言葉が出てこなくなった。

弱音を吐いても、自分の力でたどり着くことが
どれだけの感動になるのか、
このことを思い出すのに、ここまで来なければならなかった。

こんなことは分かっていたことだった。
日本でも、ニュージーランドでも、アラスカでも、いつも同じだった。

ただ、今、理解するには、ホバートから3週間かけてここまで来なければ分からなかった。



タスマニアに来て良かった。ここまで来られて良かった。

眼下に広がるこの景色は、
他の人から見れば、何でも無い風景かもしれない。
だが、私はこの風景をずっと忘れないだろう。

ここまでやってくる力を与えてくれたすべての人、すべての風景に感謝した。




峠からはいつものアップダウンが続き、
そのままクレイドルマウンテンに向かうジャンクションだった。




もっときつい道かと思っていたが、あっけなかった。

ジャンクションからキャンプ場までは2.9キロ。
近くの駐車場で、コーヒーを淹れて休憩した。


キャンプ場はストローンで泊まった系列のところで、Discoveryというところだ。

Discoveryキャンプ場の受付。web上より転載



受付で名前を伝えると
「あなたがカズヒロね!ストローンからようこそ!」と受付の女性が笑った。

このクレイドルマウンテン一帯はタスマニア屈指の人気トレッキングエリアで
キャンプ場の予約が必須の場所である。

ストローンに滞在中、いつクレイドルに着けるかを計算して
ストローンのバックパッカーから、何度か問い合わせと予約をしていたのだ。

そうか、この女性が応対してくれたのか。

「無事についてよかったよ」私は笑顔で答えた。


キャンプ場は思った以上に広かった。

文字通りクレイドルマウンテン探索の拠点だから当然なのかもしれない。

テントを張り、キッチンやバスルームをチェック。

キャンプサイトは指定がある。


キッチンは広いが冷蔵庫がない。まあそれはたいした問題ではない。


洗濯は手洗いでいけそうだ。物干しワイヤーもたくさんある。

一日自転車乗ったあとで、キャンプするのに洗濯するのは正直面倒だが、
ほかの客が洗濯しているのを見ると、うれしくなる。

洗濯しなければいけないほど、キャンプができるなんて
日本人の感覚からしたら、とても素敵なことだと思うからだ。

キャンプ場内で行き会ったカナダ人サイクリストと話す。
私が日本人だというと「ヤマガタが好きだ」と言う。
山形県かヒロヤマガタかどっちだったんだろう?

キャンプ場に早く着いたので、
少しクレイドルの近くまで行くことにした。

クレイドルマウンテンを望むDove Lakeを見に行く。


景色はなかなか良く、おおっというところもあったが、そこまででもないかなとも思った。

急にひどい疲れに襲われて、一時間余りで引き揚げた。

キャンプ場のレセプションでビール、シャンプー、ジャムなどを購入。

疲れて何でもよくなってしまった。
そろそろ風呂が恋しい。


旅もあと4日を残すところとなった。
そして今日もビールは2本で11ドル。

まあまあ。

1本目が終わるのも風前の灯火だ。
だか、やめる気もない。

明日は一日クレイドルマウンテンを軽く歩こう。


行く手の山は雪を抱き 2009年1月2日

朝、雨が強烈だった。
ジーハンのスーパーマーケットで
トーストスライスのパン1斤とカメラのフィルム、コーヒーを買った。

スーパーを出るころには、幸い豪雨は収まっていた。

それでも、雨がやんだと思うと、急に晴れて暑くなる。
そしてしばらくすると、ザーザー降りに逆戻り。

相変わらず難しい天候だ。

とはいえ、概ね晴れになってきたので、
雨用のオーバーグローブは外して走った。


昼、ローズベリーに着く。まぁいつもの感じのアップダウンでここまできた。

冬の始まりのような山。季節は夏なのだが。。



寒いはずだ。ローズベリーの街から見える山々、
おそらく1000級だと思われるが、雪が積もっている。

足下は、靴下二重で真冬状態だが、じっとしているとやはり冷える。


「The Blue Dolphins Cafe」という店で昼食。
ハンバーガーにチップス、カプチーノをマグで。10ドル90セント。


ハンバーガーはバンズに肉が挟んであるだけで他に具のないそっけないものだった。

カフェで食事をしていると、私が向かっているTullahの方から
サイクリストがやってきた。

また老練な感じの男性だ。話を聞く。


聞けば、この老練なサイクリストはサウスオーストラリアの人で、
北中部、デボンポートからクレイドルマウンテンを回ってきたらしい。
ちょうど私がこれから行くルートを来たようだ。

今日はこれから、ジーハンハイウェイでクィーンズタウンに抜けるらしい。

ガイドブックを眺めていたので、見せてもらうと
Lonely Planet』のオーストラリア、サイクリスト版だった。



オーストラリア全土を網羅しているものだが、
思った以上にタスマニアの情報が多かった。
私もこれにするか迷ったが、結局、更新されたばかりの
Lonely Planet』のタスマニア版を使っていた。

サイクリスト版は私もニュージーランドで使用したが、
モデルルートと高低差が示されていたり、
ライターの実際走った感想なども掲載されていて、とてもいいガイドブックだった。
もし、海外にツーリングに行く方がいれば、ガイドブックにおすすめしたい。

老練なサイクリストが撮ってくれた写真。恰好が完全に冬だ。

老練なサイクリストと別れ、街のスーパーに入る。

ローズベリーは山間の小さな街でメインストリートが北に向かって坂になっている。


スーパーは街の規模相応の小さなところで
店主の子どもだろうか、15歳くらいの女の子がレジを打ってくれた。

彼女はなんだかとても退屈そうに見えた。

タスマニアの山間の小さな街に暮らす少女の日常が少しだけ垣間見えた。




ローズベリーを出てしばらくのところに赤で「REDUCE SPEED」の看板があり警戒した。

ニュージーランドで同種の看板を見たのが、
南島の西部と東部の境、Auther's Passと同じく南島のTakaka Hillで
どちらも早々にインナーローを使ってしまうようなかなりの峠だった。

この赤い看板がある峠は危険!と思ったが。。

だが、今回は中部の湖沼地帯の激坂に比べたらたいしたことはなかった。


ローズベリーからは天気は大きく崩れず、小一時間ほど上った。
おおむね予定通りだ。


相変わらず、右膝の調子はよくないが、まあ行けるレベルだ。
明日は難所のクレイドルマウンテン、明日もこうだといいが。

 

 


やがてTullahの街に到着。今日はここの宿を予約してある。
宿はLake Roseberryの湖畔にあった。


標高180mとあるが感覚的には1000mぐらいだった


本日の宿泊先、Tullah Lakeside Chaletはかなりいいところだった。
いつものように相部屋の部屋をお願いしたのだが、
南国リゾートホテルのような雰囲気だ。

宿を間違えたのではないかと思い、確認したが
間違っていなかった。一泊25ドル。


あまりに立派なので、レセプションで「料金は?」と恐る恐る聞くと
「25ドルだよ」と言ってくれた。素晴らしい。

宿泊棟は4棟あり、雰囲気は違うがアラスカのカリブーインを思い出した。
宿泊客はあまり多くないようだった。

部屋に荷物を置く。部屋はまたもや私一人のようだ。
おお素晴らしい石鹸とタオルがある。
石鹸はもったいないので、封を切らずにもらっておいた。


キッチンでロースベリーで購入した肉を下ごしらえし、
きのうびしょ濡れになったテントを外に干した。


テントを干していると、カップルのサイクリストがやってきた。
二人はアデレードから来たという。

アデレードから来たサイクリストカップルのバイク。スポークの間にトランプが挟んであった。



彼らもロースベリーで出会ったサイクリスト同様、私の逆のルートを来たらしい。

私も明日はクレイドルだ、と言うと彼女のほうが

「私たちも今朝までクレイドルだったの。本当に寒くてびっくり!道は凍っているし、グローブ持っていなかったから、冬用のグローブを高いお金払って買う羽目にあったわ」
と矢継ぎ早に話し始めた。

聞けば、気温は一度しかなかったらしい。


おいおい、北極圏の夏より寒いぞ、クレイドルマウンテン!


彼氏の方が「テントは凍るし、雪にも降られてね」と参ったといった感じで言っていた。

大丈夫か?ここまでとは正直聞いていなかったが、
幸い装備はなんとかなるレベルだ。
クレイドルマウンテンがどうあれここまで来たら行くしかない。



夕食の前にビールを買いに宿のバーに行くと
ビール2本で11ドルだという。

何!?

普通の倍の値段だぞ!

高かったが、ないと困るので、しぶしぶ購入した。


キッチンで夕食を作る。
インスタントのトマトスープにカレーソースで味付けして
パスタを加えた。

 

 


ソースが余ったので、パンにつけて食べた。

ジーハンで買ったパン。キャラウェイシードの香りが効いておいしかった。

食事をしていると、さっき話していたサイクリストカップルが何か口論していた。
英語能力が低いおかげで何を言っているかさっぱりわからなかった。
まぁ、首を突っ込むべき話ではないだろう。


キッチンで日記を書きながら、ビールを飲んでいると
「お前見たぞ!」とまた別のカップルに話しかけられる。
旅をしているとしばしばある。


私はビール、彼らはワインを飲みながら話す。
聞けば、彼らは今回車でタスマニアを回っているが、
過去に自転車でニュージーランドを回っていたことがあるらしい。

しばらくニュージーランドの話で盛り上がる。

それにしてもタスマニアを旅している人たちの多くが
ニュージーランドを旅しているのはどうしてだろう。

私もニュージーランドを旅しておいてよかった、と思った。


 

Henty Dune 2009年1月1日

 
2009年になった。
 

何となく正月らしいことをしないといけいような気がしたが、
すぐにどうでもよくなった。それより気になるのは天気だ。

まぁ天気もはっきりしないうえに突然変化する
いつものタスマニアンウェザーだろう。


朝、バックパッカーのキッチンにスティーブがいたが、はじめ誰だか分らなかった。
しばらくしてケリーがやってきてようやく、スティーブと分かった。
きのうとはずいぶん感じが違った。

今朝は二人とほとんど話せなかった。残念。

朝食は、トースト3枚と卵にリンゴ、そして言うまでもなくコーヒー。
まぁいつも通り。いや、卵があるだけ少し豪華か。


午前9時頃、ストローンの街を後にする。
今日はストローンの隣町、Zeehanまで行く予定だ。
少し雨がパラついていたが、気になるほどではない。

風は珍しく追い風。
このタスマニアにあって、年のはじめが追い風とは幸先がいい。

海辺にも関わらず、森の中を行くハイウェイを快走した。

今日、ぜひ立ち寄りたいと思っている場所がある。


Henty砂丘だ。


砂丘まで少しかかるんじゃないかと思ったが、思いのほか早く着いた。


看板に従ってハイウェイを外れ、途中、自転車を降りて、
トレイルを進むと森と海の間に突然ヘンティ砂丘は出現した。



広大な砂丘だ。
海から吹く強烈な風が、砂丘の砂を巻き上げていく。


国内の砂丘は静岡の中田島砂丘鳥取砂丘に行ったことがあるが、
どちらと比べても海が遠く感じられた。




ピクニックエリアできのうバックパッカーズで
作っておいたステーキサンドを一つ食べた。

なかなか美味い。


ステーキをマリネしておいてから焼いたのだが、マリネに使ったオリーブオイルの香りが強く出てしまったので、もう少しサッパリしたオイルで漬けるといいかもしれない、と思った。

ステーキサンドを4つ作ったつもりだったが、見たら3つしかなかった。
バックパッカーズの冷蔵庫には名前を書いた袋にしまっておいたので食べられてしまった、
ということはないと思うが…
常に空腹という状態が続いているので食べ物に過敏になっているかもしれない。




ヘンティ砂丘を出発。



引き続き追い風だ。
上りの道でもよく進む。
今日は本当に快走日だ。

暑くなってきて、ジャケットを脱ぐ。
半袖のジャージで十分だ。


しばらく行くと展望台があり、上からは遠くにヘンティ砂丘が見えた。



展望台で車で来ていた一家に写真を撮ってもらった。
気にしていないと、自分の写真がほとんどない、ということがよくあるのだ。

ジャージはロンセストンの「Kathmandu」 で購入したもの


再び走り出した。


天気が急速に悪化し、雨が降り出したかと思うと、一気に気温が下がり、冷え込んできた。

脱いだジャケットを再び着る。

雨は程なくして霙になった。

霙。夏のタスマニアの気候は油断ならない


本当にタスマニアは夏なのか。


朝、バックパッカーズの受付のインフォメーションボードに
これから行くハイランド地方の天気が"SNOW "となっていたのを思い出した。

書き間違いだろう、ぐらいに思っていたが、
この調子だと、どうやらハイランド地方は普通に雪が降っていると考えてよさそうだ。
これから行くハイランド地方、今回の旅の最後の目的地、クレイドルマウンテンは
どんな天気なんだろうか。



雨が激しく振った後、すぐに晴れ間が出てきたりする。タスマニアな天気


晴れ間が覗うて、日差しが暑く感じられる頃、
再び雨が降り出して、一気に気温が下がった。

体力がみるみる奪われていく。


寒い。


タスマニアに来て、一番の寒さではないだろうか。
パニアバッグからすぐに出せる上着で凌ぐ。

この地域でのレイヤードは本当に考えなくてはならない。

タスマニア、特に東部の川や湖の水は植物から染み出るタンニンで赤茶色に染まっている


本日の宿泊地であるジーハンにつくころには
雨は上がっていた。

青空が眩しい。

かなり雨が降ったのであろう、
雨に濡れた街は太陽の光を浴びてキラキラ輝いていた。

 

 




キャンプ場にチェックイン。
今日は距離も短く、ヘンティ砂丘を見物してた割には早く着いた。


雨がまた降りそうなので、キッチンスペースそばの木の下にテントを張った。



ここのキッチンスペースはかなり充実していた。

ガレージのような作りで、入り口にはドアなどなかったが、
奥に長く、リビングエリア、テレビ、ガスコンロなど何でもそろっていた。

雨の日にこれぐらいあるとかなり落ち着くことができる。

キッチンスペースがあるだけで正直かなりうれしかったが、
設備もこの上なく、また、フリーフードのラックにはトマト缶とペンネが置いてあった。

今夜の晩御飯が決まった。

となれば、やることは一つ。
街に出て、酒を買いに行くのだ。



夜も冷えるだろうから、ビールよりワイン、と思っていたが、
カスケードドラフトの看板を掲げていたモーテルに入ると
そこにはワインがほとんどなかった。

まあ、いつものカスケードで十分だ。

 



キャンプ場に戻り、晩御飯を作る。
手持ちの玉ねぎ、ニンニクを刻み、オリーブオイルで炒める。
旅先でトマト缶からトマトソースを作るのも悪くない。

ただ、ペンネの量がわからなくて、足りないと悲しいと思い、
全部茹でたら、かなり多かった。常時空腹状態にあって、満腹になった。

味は良かったからよしとしよう。

 
 
 
 

パスタを作るのと並行して、砂糖を煮詰め、
最後に牛乳を加えてキャラメルソースを作った。

先日、クィーンズタウンで安く買った大瓶のイチゴジャムが
ほぼ砂糖とゼラチンでしょ?という代物であまりに残念だったため、
パン用のスプレッドに作ったのだ。

カロリーの塊だが、旅の間はこれぐらいでちょうどいい。


キッチンにはずっと私一人だった。
ニュースを流し、ビールを飲みながら日記を書く。

夜になりかなり冷えてきた。

装備はほぼ日本の冬の太平洋岸を行くのと変わらないぐらいの
防寒具を持っているが、この先がもっと寒いかもしれないと思うと
今ここで、これ以上厚着をしたくないのが本音だ。
まぁ、今が一番寒いのかもしれないが。


テレビの天気予報では明日も追い風のようだ。
素晴らしい。


手持ちの食料を確認すると、パンが明後日ぐらいでなくなる。
しばらく街らしい街がないので、明日ジーハンを出る前に購入しよう。

 







ストローンの大晦日は歌とともに更けて 2008年12月31日

朝起きると、Mattはすでにいなかった。
まぁ、私が三日で行く予定のところをその日のうちに行くと言っていたから
朝が早いのも当然だろう。


休息日の大晦日。


休息日と言っての走らないだけで、特に予定があるわけでもない。

朝も宿でゆったり過ごした。

宿の庭に現れたウサギ



少し自転車のメンテナンスをする。
ブレーキシューの減りが気になったので予備と交換。
ペンチを持っていなかったので、宿の人に貸してもらった。

「何に使うんだ?」と聞かれて、説明したがうまく伝わらない。
実際にブレーキシューを交換している作業を見たら

「おぉ、そんなふうに交換できるのか」と感心していた。


とはいえ、あと2,3日は上りしかないだろうから、活躍するのはしばらく先だろう。


だが、使い古したシューと新品のシューを比べるとゾッとするぐらい
古いシューは減っていた。




宿の庭に洗濯物を取り込みに行くと、夜雨が降ったのか洗濯物は半乾きであった。
さすが、西海岸。降っては止んでのタスマニアンウェザーだ。
外に干すのはよそう。

部屋のヒーターを入れ、乾かすことにした。


宿ですべきことは終わってしまったので街に出る。
といっても、特段ストローンの街で何かするわけでもない。

ストローンはゴードン川クルーズの観光の拠点として栄えているが、
所詮タスマニア西海岸である。


栄えているといっても、人口1000人に満たない小さな街で、
一部の商店、公共サービスもクリスマス休暇のさなかという有様である。

わずかにある土産屋みて回ったがこれというものがないし、
ゴードン川クルーズなんてものに興味は湧かなかった。
どのみち船酔いするのがおちである。

観光案内所で少しインターネットを使うが勝手が悪い。

インターネットの後はスーパーで食料、リカーストアでカスケードドラフトを購入。

カーストアでは缶ビールを紙袋に入れてくれる。缶ビールを裸で持って歩いてはいけないらしい



昼は宿に戻りインスタントラーメンで済ませた。

スーパーで買った卵。賞味期限が1ケ月後。加熱前提ということだろう。


珍しくスーパーで牛肉を買ったので、
明日の昼食のサンド用にオイルと香草でマリネにした。

安い肉を柔らかく、おいしく食べるオススメの方法だ。
やり方はニュージーランドのTakakaでバックパッカーを経営している日本人に教わった。
Takakaか。あの日も雨だったな。

晩御飯。自分で作るチャーハンがやっぱりうまい。



宿のキッチンでコーヒーを淹れて地図を眺める。
相変わらずはっきりしない天気とまだ数日続く山岳ルートにいいかげんうんざりしていた。
それからこの数日でかなり金を使っていて、それも気分を沈める要因になっていた。

「どうしたもんかな。。。」

ニュージーランドの南島西海岸のHaastにいたときのことを思い出した。
数日続く雨と、これと言って何もない街。

何とも陰鬱な気分だった。

あのときは、祖母の訃報を宿で受け取って、急遽帰国したが、
今思えば、そんな閉塞的な状況から逃げたくて帰国したのかもしれない。



誰かが付けっぱなしにしたらしいテレビからは「New Year's eve」という言葉が聞こえてきた。

各地のお祭り騒ぎがとても遠いことのように思えた。






机でビールを飲みながら日記を書き出した。

『今日は大晦日。これといって書くことはない。』

これだけ書くと止まってしまった。
なんとさびしい大晦日か。



カスケードビールを眺めていると外からギターの音と女性が歌う声が聞こえてきた。

私は誘われるように表へ出た。


テラスの隅でクーラーボックスに座った男性がギターを弾き、テラスの手すりに背中を預けていた女性がビール片手に歌っていた。

歌は反戦の歌のようだった。
"no war"とか"for children"とか歌っていたと思う。

歌い終わったところで私は小さく拍手した。

少し驚いたように二人が私を見た。

女性が微笑んで煙草に火を点けると私を手招きした。



女性の名前はケリー、男性のほうはケビンといった。
20代の子供がいるという。
二人はオーストラリア本土、クィーンズランドから車とフェリーで来たらしい。


「あなた自転車で旅してるんでしょ?どうして?こんなに坂だらけなのに?ほんと信じられないわ?」
ケリーは絵に描いたようなオーバーなジェスチャーをして見せた。

そう問われて、自分でもどうしてなんだろうな、と少し考えた後、

「自由だからかな。自分の意思でいつでも停まれるし、
ベリーファームだってワイナリーだって寄り放題だ」
と答えてみたが、ケリーは馬鹿げてると言わんばかりに大きく首を振った。


時折、ケビンの演奏でケリーが歌うのを聴いて、それぞれにビールを煽った。


「とても静かな夜ね。タスマニアでも人のいないところですものね。」

いろんな話をした。


二人が一時住んでいた中国のこと、日本のこと、クィーンズランドのこと、
文化について、教育について。

「教育が受けられるってとても幸せなことよ。
私たちの子供たちは戦争を体験せずに済んでいるし。
戦争があって教育を受けられない子供がたくさんいるのに」

ついさっきまでおどけていたケリーがしみじみ話す。

「私はちゃんと教育を受けさせてもらたけど、
学生の時はどうして勉強しなきゃいけないか理解していなかったよ。
今はとてもそのことに感謝している。」 

タスマニアでこんな話をするとは思わなかった。



「ところで、あなた、歌は何を聴くの?」ケリーがきいてきた。

「実はジェームズテイラーとキャロルキングだ」と私がいうと二人はハハッと笑った。


「そりゃまた古いな、『Tapestry』か『too late』だな」と
ケビンが「too late」を弾き始めたが、よく思い出せないようだった。

「私はあれよ、『Carolina in my mind』よ」とケリーはアカペラで歌いだした。
思わず私も歌いだす。

「Yes,I'm gone to Carolina in my mind」合唱して乾杯した。


やがてケビンが「寒くて指が動かないよ」といいながらまた歌いだした。

「カスケードビールを飲んでるシマは明日ストローンへ自転車でいくのさ~♪
彼の望みは晴れと追い風さ~♪」

それから「フラットな道ね」ケリーが付け加える。

私は大きな声で笑った。


「日本人にとって大晦日は特別な日なんだ。
ついさっきまで独りで過ごすと思っていたんだ。
こんなに静かで素敵な夜を過ごすことができてとってもうれしいよ。ほんとうに有難う。」

2009年はそこまで来ていた。