定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

NZトラフィックジャム - cycling NewZealand -

気持ちよく下り坂を下っていると先を行くダニエルが、ブレーキをかけて止まった。何かと思えば、前方には牛の群れ。

「すごいな、ダニエル。日本でトラフィックジャムといえば車だが、NZは牛なんだな」と私が言うとダニエルが「ハハッ」と声をあげて笑った。

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カールが抜けて、チェン、ダニエル、ルティアの 4人になった我々は、思い思いのペースで走っていた。チェンはロードで平地は楽そうだが、上りはギアが重くとてもつらそうだった。道は朝から上りが多い。

みんなそれぞれのペースなんで、私は景色のいいところで休憩しながら写真を何枚も撮った。

 

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[海沿いの道はアップダウンが続く]

Tolaga Bayという街の素敵なカフェでみんなで休憩。ホテルの一角がカフェになっているらしい。

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[洒落た店内に地元の人だろうか、タンクトップの男性がいるのが笑えた]

カフェと言えば、カフェに入るとたいてい、カプチーノかブラックコーヒーを頼むようになっていたが、このころぐらいまでどちらを頼むときも困っていた。

カプチーノを頼むと「Cinnamon or chocolate on top ?」と聞かれることが多いのだが、ずっと「シナモン」が聞き取れずにいつも「チョコレート」と答える日々が続いていた。或る日、シナモンが聞き取れて、「ああ、シナモンね!」と激しく納得したのを覚えている。

それからNZのカフェでコーヒーとオーダーすると、ミルクと砂糖の入ったコーヒーが出てきて、ブラックコーヒーは出てこない。NZの人はブラックコーヒーを飲まないのかとも思ったが、ほかの客を観察しているとそうでもないようだった。こちらも或る日、「Longblack」がいわゆるブラックコーヒーであることに気が付いた。

こんなことに気が付くまでに1週間以上かかっているということから、私の英語力がどの程度かは容易に察しがつくと思う。

ちなみに「Shortblack」と言うとエスプレッソが出てくるそうだ。

 

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[ルティアはテラス席が好き]

 

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[私は旅の間、カフェでチーズケーキとマフィンばかり食べていた]

 

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強烈な日差しが照りつける中、アップダウンの続く道を走り続けるのはなかなか大変だった。この頃、左ひざの調子がだんだん悪くなってきていて、上りが本当につらかった。

 

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[昔、よく読んだウォラーの『ボーダーミュージック』に出てきそうな家]

 

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しばらくいいペースで走り続け、海岸に出られる場所があったので、道を外れ、海岸に出た。

 

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[右からチェン、ルティア、ダニエル、私]

 

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[ダニエルのバイク。スイスのハンドメイドバイクらしい]

 

比較的早い時間に、目的の街Gisborneに到着。街についてもそこから、スーパーで夕食の買い物をし、キャンプ場まで行って、テントを張り、ビールを飲み、夕食を作ってビールを飲まないといけないから、少し早いぐらいの時間でつくのがいい。

120キロぐらい走った気分だったが、実際は90キロほどしか走っていなかったようだ。

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[ルティアのテント。私の好きなJackwolfskinのテント]

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[チェンのテント]

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[私のテント。使いすぎて床の防水が相当弱くなっていた]

 

チェンがここで別れることになったので、夜でみんなで飲みに行こうということになった。

 

まずは各自、腹ごしらえ。

私はスーパーでアボカドが安かったので、それとサーモンを購入し、アボカドサーモン丼を作った。米を炊いている間に、750mlのビールを空けたらけっこうアルコールが回ってしまった。チェンは私の食事を怪訝な表情で見ていたが、あとでなぜか米をくれた。

 

飲みに出かける前、チェンが「僕、長そでの服とかフォーマルな服持ってないんだ。大丈夫かな」と真面目な心配をしていたので、「そんな店行かないよ。おれだってこの恰好さ」と私はTシャツ、ハーフパンツ姿で答えた。

 

暗くなる少し前、街に出て小さな店に入った。みんなで乾杯。ダニエルがビールの王冠を素手で開けたのでビックリしていると、なんてことはない、頭は王冠でもスクリュートップになっているのだ。海外のビールではよくあることのようだ。

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それぞれのことをあれやこれや話す。チェンはマレーシアの大手通信会社に勤めており、休暇できているらしい。そのうち北海道にも行ってみたい、とも言っていた。店を出る前、みんなでメールアドレスや住所を交換し、暗くなった街をキャンプ場へと戻った。

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TOUR of EAST CAPE - cycling NewZealand -

陸地の先っぽに立って世界を眺めると、空と海はどこまでも青く、水平線で淡く溶け合っていた。

遠くではやさしい色をしている空だが、私の真上では見るもの全ての印象を一色にしてしまうほどの濃厚な青の世界が広がっている。

その中で唯一、存在感を際立たせているのは、地上のものを容赦なく照りつける白い太陽だけだった。

文字通り肌を焼く日差しに私は目を細めた。

 

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「今日も暑いわね。シマ、あなたちゃんとクリーム塗ったの?また耳だけ日焼けするわよ。私が塗ってあげまちょうか?」
ルティアがおどけながら、注意してくれた。ニュージーランドは紫外線が非常に強く、マメにUVクリームを塗るのかわ欠かせない。私がその辺いい加減なので、ルティアは心配してくれたようだ。ルティアはなにかにつけて私の心配をしてくれる。私はそんなに頼りないように見えるのだろうか。

ニュージーランド北島、イーストケープ。
ニュージーランドの最東端に位置し、世界で最初に朝日が昇るといわれる半島をルティア、ダニエル、私の三人ですでに半分回った。

朝、Te Kahaのバックパッカーで見かけたアジア人がいたので話をした。彼はマレーシア人で名をチャンという。彼はロードバイクで旅をしていた。

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キャンプ場には他にもサイクリストがいて、そのドイツ人サイクリスト、カールを加えてこの旅最大の五人で出発した。



計画性も無く、国も違う五人が一緒にツーリングをすれば面倒なことになりそうだが、みんな旅慣れたサイクリストだった。

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[朝立ち寄ったpohutukawaの古木。pohutukawaはニュージーランドクリスマスツリーと言われる木で、これが最も古いそうだ]


それぞれでペースの合う人間と走り、時に勝手に止っては写真を撮ったり休憩したりしていた。すぐ先に行ってしまうダニエルも適当なカフェで待っていたりした。
みんな勝手で気を遣わなが、なんとなくみんな一緒。この集団は心地よかった。

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[Tikitikiにあるセント・メアリー教会。建築は洋風だが、内装はマオリ風。]

 

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[イーストランドはマオリの文化が濃い]

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昼食はTikitikiにあったポストオフィス、集会所、カフェが集まっているところで食べた。

昔のアメリカ映画に出てきそうな、なんだか時間に取り残されたようなところだ。ダニエルは「なんてビックシティだ」と言っていた。

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[カフェのおばさんは見事なほどに無愛想]

チェンはベジタリアンで、フルーツバーガーう注文したが、普通のハンバーガー中にパインが挟んであるだけだったので、肉はダニエルに食べてもらっていた。

 

昼食を食べているとテレビでは大昔の映画をやっていた。途中、バレンタインのCMが流れた。ああそうか、明日はバレンタインだ。チェンが「君は彼女がいるのか。」と聞いてきたので「ああ、でもバレンタインなんて忘れてたよ。」 と私が答えて、2人で苦笑した。

さらにチェンが「彼女に『アイシテルー』って言うの?」と日本語で言うもんだからびっくりした。「そんなのシリアスな時にしか言わないよ」と答えると「何だ、君と彼女はシリアスなのか」と言われ、英語は難しいなと思った。

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昼食後、おのおの出発の準備をしていると、ポストオフィスのカウンターに誰かのパスポートが置いてあった。

ダニエルが中身を検める。

 

カールのものだった。

 

しばらくして、カールが建物から出てきた。

そしてパスポートがないことに気が付き、慌てはじめると、ダニエルが意地の悪い笑顔を浮かべながら、ドイツ語で何か言った。不思議なものでこの手のやり取りは身振りだけで十分わかる。

カールは少しダニエルにからかわれて、パスポートを取り戻した。

 

出発前、カフェの外で作業人の男性がルティアに声をかけた。
「何人いるんだ。リーダーは?」

ルティアは振り向いて 「五人よ。リーダー?いないわ」と笑った。


午後も相変わらず日差しが強い。道が上りになるとダニエルとカールがあっという間にいなくなってしまう。私はチェンとそこそこで上っていった。タフなルティアもこの日ばかりは遅れをとっていた。

 

途中の店で、みんなを待たせたから、と言ってルティアがアイスをおごってくれた。NZはアイスが安い。2スクープ、つまりサーティーワンで言うところのダブルで1.6ドル。当時1ドル70円程度なので相当安いんじゃないだろうか。

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夕方、Tokomaru Bayの街に到着。ここでカールとは別れた。

残りの4人でキャンプ場へ。

 

キャンプ場でスーパーの場所を確認し、近所のスーパーにいつものように買い出しに行く。FourSqureというNZの田舎によくあるスーパーにはビールがなかったので仕方なくワインを買った。

 

キャンプ場の外のテーブルに座り日記を書きながら、ワインを飲んでいると、ダニエルが「シマ、ワインをくれ」とカップを出してきた。そうかダニエルはビールだけでなくワインを飲むのか。そりゃそうだよな、スイス人だもんな。私は彼のカップにワインを注いでやった。

 

少し離れたところでマオリの一家が楽しそうにしてるなと思ったら、ゴルフボールがテーブルの上に飛んできた。

びっくりしてボールの飛んできた方を見ると、感じの良いマオリのお母さんが、ゴルフクラブを振りながら、「ごめんなさいねー。」と遠くから声をかけてきた。

日本でなら怒っているところだが、なんともNZらしくて、怒る気も起きなかった。

ダニエルと私は、ワインの入ったカップを持ち上げて、軽く会釈した。

 

ささいなことは何事もないように許せてしまう。これもニュージーランドの雰囲気なのだろう。ニュージーランドの一日はいろんなことがあっても、静かに緩やかに終わっていく。

私は空になったダニエルのカップにワインを注いでやった。

 

海岸へ - cycling NewZealand -

快晴。実に2日ぶりだ。朝からベーコン焼いていると、ルティアが「シマ、ランチ作ってるの?」と聞いてきた。ルティアはあまり朝から肉は食べないらしい。
「日本人は朝何を食べるの」と聞かれたので、「ライスと味噌スープ、それからフィッシュだ」と、答えておいた。通じただろうか?

 

バックパッカーを出るとき、アジア人にすれ違った。日本人かな。と思ったがよく分からなかった。

貸切別荘のような素敵なバックパッカーを後にして、スイス人2人と共にひたすら走る。この日は私が前を引いた。

快晴というだけで非常に気分がいい。海岸沿いの道を東へ進む。

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どこを切り取っても美しい景色が続く。ペダルを踏むたび、汗が噴き出す。前日の雨の寒さが嘘のようだ。

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[休憩中のルティア]

 

途中の街で昼食。「いい天気だから、外の席で食べましょう」とルティアが言った。日本人はテラス席があっても、あまり使わないことが多いが、外で食べるのは、なるほど気持ちがいい。ダニエルはまたビールを飲んでいた。彼がビールを飲んでいるとビールが本当にソフトドリンクではないかと思えてくる。

 

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[駐車場では犬が休憩していた。海外の犬の行儀がいいのはなぜだろう]

 

午後からもいいペースで走り、この日の目的地Te Araroaに到着。予定よりも早い時間にホリデーパーク(キャンプ場)に着くことができた。アップダウンが比較的少ないとはいえ、90キロ走ったので悪くない。天気がいいと、こうも違うものか。

ホリデーパーク内には、移動販売車がいて、バーガーやフィッシュ&チップス、それにビールを売っていた。

 

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 [田舎なので高くつくかと思ったが、良心的な値段だった]

 

せっかくなので、三人で夕食はそこで食べることにした。

英国系のニュージーランドは食文化にもその影響があり、フィッシュ&チップスはメジャーな食事だ。しかし、私はNZに来てからこれまで食べたことがなかった。いい機会なのでフィッシュ&チップスを初体験した。

 

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 [NZのビールと言えばこのSteinlager。味は…]

 

他にバーガーか何か注文しないと足りないかと思ったが、魚は30cm近くあるし、ポテトも山盛りで、一日走った空腹のお腹にも十分な量だった。そして安くて美味しかった。これ以降、しばしばフィッシュ&チップスにはお世話になった。

 

食事後、まだ明るかったので、近くのビーチに行こうということになった。ホリデーパークからビーチに続く小道があった。

 

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[この看板がお気に入り。ここから海岸線へ]

 

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[ビーチに向かって歩いていくダニエルとルティア]

 

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 途中、きれいな小川を越えて行くと、急に視界が開けた。

 

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なんて素敵な海なんだろう。

波打ち際でしばらく、海を見つめていた。

写真を撮っているとルティアが話しかけきた。

「シマ、カメラ貸して。」ぼーっと海を見ていた私は言われるがまま、ルティアにカメラを渡すと、私の写真を撮ってくれた。

「いいのが撮れたわよ、シマ」ルティアが微笑を浮かべて、カメラを返してよこした。

 

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 これほどリラックスして、何をしてもいい時間を楽しんだのはNZに来て以来、初めてだったかもしれない、と思う。

 

少し暗くなり始めるころ、私たちはキャンプ場へ戻った。

 

 

旅するサイクリストたち - cycling NewZealand -

 

この日は初めて終日、雨の中を走った。

 

キャンプ場で朝食をダニエルと食べていると、雨が降り出して来た。慌てて屋根のあるところにテントを移動させ、撤収。

撤収は少し大変だったが、走り出せば何とかなった。

 

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雨のPapamoreBeachを後にし、途中雨が止み、ウェアを脱ぐ。

しかし、しばらくするとまた雨が降りまたウェアを着込む。

「It's New Zealand!」

 

私がうんざりしながらウェアを着たり、脱いだりしていると、

ダニエルがそう繰り返す。

 

なるほど。

 

これがニュージーランドの天気のなのだ。

この天気とうまく付き合方を覚えていかなければいけない。

 

ルートは幸い平坦だった。

もし風が強く雨で上り坂ばかりで、しかも1人で走っていたら、

きっと惨めな思いをしていただろう。

しかし実際はダニエルがいてくれて

私が遅れれば、「no problem!no problem!」とか、

雨が瞬間、激しくなったりすれば「too much rain!」とか、いろいろ声をかけてくれたのでなんだか落ち着いた。

 

ただ、休憩を取ろうにも、途中何もないところが続き辛かった。

 

Matataという街で昼食。

ニュージーランドにはよくある小さな小さな町で

これまた小さなカフェで何とか食事ができた。

 

テーブルが数席しかなく、われわれは扉のそばの席についた。

雨の中も濡れて走った私からすれば、屋内で食事ができるだけでもありがたかった。

だがダニエルはもっと良い店で食事がしたいらしくずっと不平を口にしていた。

やはり、ダニエルはお金にゆとりがあるようだ。

 

小さなカフェでは繁盛しているようで、

途中たくさんの人が車でやってきてはバーガーを買って帰ったり、

車で食べていたりした。

 

午後からはとてもよく走り、目的の街、Whakataneまで

比較的早い時間に着くことができた。

もっとも、このペースがダニエルにとって早いペースかどうかは不明だが…

 

不要な荷物を送ろうと思ってポストオフィスに行こうとしたが、

ダニエルにうまく伝えることができなかった。

彼はスイス人で、英語もそこそこといったところで、

一方、私の英語力も褒められたものではないので、仕方がなかったのだが。

 

ワカタネの町では、バックパッカーズに泊まった。

ダニエルはテントにしたいと言い張ったが、

私はずぶ濡れの中、街まで来たのだから、暖かい布団で寝たかった。

ダニエルは知らない奴と一緒に寝るのがどうにも気に入らないらしく、

随分抵抗したが、幸い部屋はダニエルと私の2人で使うことが出来た。

 

チェックインの手続きをしながら宿の女性と話すと、

彼女は日本に行ったことがあるらしく少しそんな話題で盛り上がった。

また、子供の頃、父親と一緒に自転車で旅をしていたことがある、

とも言っていた。

ニュージーランドではこうした人にほんとによく出会う。

 

日本では特別に思えることを彼らは普通のことのように話す。

こういうことを経験してきた人が普通にいる。そしてみんないい顔している。

今、自分がしている旅は決して特別なことではない、と思えた。

 

宿では意外な再会があった。

 

タイルアのキャンプ場で出会ったスイス人の女性サイクリストだ。

走るルートが同じようだったので、いつか会うこともあるかなと思っていたが、思いのほか早く再会を果たした。

食事を済ませた後、彼女が話をした。名前をルティアと言った。

 

ルティアの英語は非常にわかりやすく、私の英語力でもそこそこ会話ができた。

彼女と話すのはとても楽しかった。

 

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 [ブリコのサングラスが似合うルティア]


朝、出発の準備をしていると、ダニエルとルティアが私を待っていた。

どういうことか、と訝しく思ったが、

どうやら昨夜のうちにダニエルとルティアの間で、一緒に行こう、

と言うことで話がまとまったらしい。

そういえば彼らは2人ともジャーマンスイスだった。

 

ルティアは本当によく走るので驚いた。

私はなかなかついていけずに、ヒーヒー言っていた。

私の様子を見たルティアが「あなた、サドルがちょっと低いんじゃないの?」と指摘してくれた。


なるほど。そういえば。

今もポジションは比較的無頓着だが、この頃は相当だった。

 

サドルを上げポジションを調整すると膝の負担がかなり減り、

ルティアにもついていけるようになった。


Opotikiという街まで45キロほど飛ばす。

この2人と一緒ならずっといいペースで走れそうだ。

朝は、ろくについていけずに「もうほっといてくれよ」などと思ったが、

2人の助けのおかげでポジティブな気持ちになれた。

 

本当に2人には感謝の気持ちでいっぱいだった。


この日の昼食は、Te Kahaの前のどこかの街でで食べたようだ。

当時の日記では「テカハで食べた」となっているが、

当日はテカハで泊まっているため、おそらくその手前のTorereかOmaioだろう。

 

店でダニエルとルティアはtoday's specialを注文していたが、

私はどうしてもバーガーが食べたい気分だったので、

バーガーをオーダーしたが、出てきたのは、

2人のtoday's specialが食べ終わる頃だった。

運んできた店の女性に、遅いよと言ったら、そんなの注文する方が悪いのよ、と言われた。


2人を待たせては申し訳ないと思い、私は慌ててバーガーにかじりついていると、

ダニエルはその様子をハンディカムで撮影していた。

かなりあわてて食べていたのだろう、ダニエルはその後、旅の途中、

ビールを飲みながら、何度も見返しは大笑いしていた。

 

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今日も途中雨が降ったりやんだりの繰り返しだったが、

ウェアを来たり脱いだりを繰り返してうまく走ることができた。

私は雨が降ったりしてネガティブな要素が出てくるとすぐ弱気なってしまう。
2人はいつもポジティブだ。

「100キロ?大丈夫でしょ。」と、言った感じだ。


日本ではキャンプ道具を積んで自転車で旅をするのは、学生がほとんどだ。

日本では、そんなのは学生のやることだ、というある種の固定観念があると思う。

ダニエルもルティアも当時40代だったが、決して彼らは特別な存在ではない。

その後、旅をした国で、国籍も年齢も性別も違う多くの旅するサイクリストに出会った。皆、ダニエルやルティアのように心から自転車の旅を楽しんでいた。

 

彼らのような40代になろう、と心に誓った。

 


この日は110キロほど走り、テカハのバックパッカーへ。

ここのはとても良いところで、15ドルでキッチン、ダイニング、テレビ付き。

しかも、受付のところはジェネラルストアになっており、野菜やビールも手に入った。

言うことなしだ。

しかも3人で1部屋が使えたので、一気にリラックスできた。

 

そして例のごとくダニエルがビールを半ダース買ってきた。

 

部屋のキッチンで3人で、それぞれ持っていた食材を出し合って、一緒にパスタを作った。

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ダニエルの買ってきたビールを飲みながら、3人で大いに盛り上がった。

 

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その男 -Cycling NewZealand-

ダニエル・クーマーに出会ったのは、Waihiの街だった。

彼に会わなければ、私の人生は大きく変わっていたと思う。
旅と日常とどう付き合って生きていくのか、
そうした人生の可能性を私に教えてくれた男であり、
数年後、私がタスマニアに行くきっかけを作った男でもある。


*******

Tairuaを出た後、あまりペースが上がらず、
ダラダラ走っていたが、午後になり雨模様になった。

雨は容赦なく身体を打ち付ける。

濡れて冷えた身体から、体温がじわじわ奪われていく。
 だんだん気持ちが重くなるのも当然だろう。


Waihiの街に着く頃には、雨はだいぶ弱くなっていた。
泊まるところを探すため、インフォメーションセンターを探したが、見つからなかった。
Tiptopのアイスクリーム屋に入り、店のじいさんに道を聞いた。
じいさん耳は遠いが、ちゃんと教えてくれた。

余談だが、インフォメーションセンターの看板を見つけて入った建物は別の施設だった。
のちにWaihiに行った友人にその話をしたら、
彼女も同じように間違えた、と言っていた。どうもあそこは分かりにくい。


インフォメーションセンターには、いかにも世話好きな感じの年配の女性がおり、
こちらが何か言う前に向うからあれこれ聞いてくれた。
紹介してくれたキャンプ場はバックパッカーズもキャビンもあり、
今日ならバックパッカーズもキャビンも空きがある、とのことだった。

インフォメーションセンターの女性はとてもゆっくり話してくれて、
私でも十分に英語が理解できた。
これは私の思い込みかもしれないが、クレバーな人ほど、
相手の語学力を配慮して、ゆっくり話してくれることが多い気がする。


泊まる所へ行く前に、スーパーで買出しをしなければ、と街をさまよっていると、
ひとりの長身のサイクリストが声をかけてきた。


それがダニエルだった。


私が何か聞いたわけでもなく、私の姿を認めると
「スーパーか?スーパーなら、こっちだ。キャンプ場ならあっちだ。」と教えてくれた。
「スーパー、そのあとキャンプ場だ」というと、
いっしょにスーパーに行ってくれ、さらにキャンプ場まで連れて行ってくれた。


この男は何者だろう?


キャンプ場では、結局バックパッカーズを取った。
このずぶ濡れの状態で、テントを張る気にはなれなかった。
幸い、この日はあまり宿泊客がいなかったようで、部屋は私ひとりだった。
荷物を広げ、濡れたものを乾かす。


疲れたな。


窓の外を見ると、個人用のキャビンの前に先ほどのサイクリストのバイクが見えた。



彼はキャビンか。いい身分だな。

キャビンは戸建ての個室なので、どうしても高くつく。
相部屋の2,3倍はかかるのではないだろうか。
結局、私はこの旅の間、使うことはなかった。


夕食の支度でもするか、と思っていると誰かが、部屋をノックした。

出てみると、先ほどのサイクリストだ。



「ハイ、ビール飲もう!」そう言って、笑顔ででかいビール瓶を差し出してきた。

私は少し面食らったが、悪いやつではなさそうなので、
部屋の中に招き入れ、座ってとりあえず乾杯した。


彼は自分のことをいろいろ話し始めた。


彼は名をダニエル・クーマーといい、ドイツ系スイスで歳は44歳。
国ではペインターをしており、けっこういい稼ぎがあるらしい。
冬の間、だいたい2か月ぐらい海外を自転車で回るのが毎年の通例だという。

なんて羨ましい生活をしているんだ。
海外の人は休みが長く取れるとは聞いていたが、これほどとは。

ダニエルはニュージーランドに来るのは7回目で、
これから北島を回り、南島のクライストチャーチを目指すという。

彼は他にも、自分の自転車のことや、当時活躍していた自転車選手のことなど、
ほんとうにいろいろ話した。

特に自転車選手の話は盛り上がった。
彼はパンターニチッポリーニが特に好きだという。
彼は仕事用の車をチッポリーニ風にゼブラに塗ったといって、写真を見せてくれた。


ダニエルが自分のキャビンに戻っていった後、夕食を作りにキッチンへ行った。


スーパーで買った牛肉で牛丼を作ったが、肉が厚くてあまりうまくできなかった。
このころは食事で苦戦していたことが多かった。



そんな夕食をひとりで取っていると、またダニエルがビールを持って現れた。
「君の分だ。」持っていたビールを一本、私によこした。

それからまた、ビールを飲みながら長々と話をした。

朝食。トーストはバッグの中でひしゃげてしまう。



翌朝、雨も上がり、外で荷物をパッキングしていると、ダニエルが話しかけてきた。

「どこへ行くんだ?」

私は地図を広げて、
「タウポ、ロトルアに行きたいけど、その前にイーストケープを回りたいな。」
そう言うとダニエルが「おれもイーストケープに行くんだ。一緒に行こう!」と言い出した。


私はペースが遅いぞ、と言ったが、
「No problem, No problem!」と笑顔で繰り返すだけだった。


かくして、ダニエルとの旅が始まった。


私が前を走り、ダニエルが後ろからついてきた。


天気は幸い快晴。


彼は過去に同じルートを走ったことがあるようで、
道の分岐では、「あっちだ」とすぐ教えてくれた。

私は決していいペースではなかったが、ダニエルは私のペースに合わせてくれた。

途中、休憩を入れてTaurungaまで走る。




ウランガは明るい街だ。


しばらくぶりの都会。


昼食にしようということになり、
一軒のカレー屋に入った。

ダニエルは迷うことなく、ビールを注文した。
「ツーリング中もアルコール飲むのか?」私が尋ねると、
「何言ってるんだ。ビールはソフトドリンクだぞ。」とうまそうにビールを飲んだ。



運ばれてきたカレーは真っ赤だったが、見た目ほど辛くなかった。

昼食後は前後をダニエルと交代する。

始めは頑張ってついて行っていたが、すぐに大きく遅れてしまった。
ダニエルは折をみて、止まって待ってくれていた。
「遅れてしまっても君は困らないか。」と聞くと「いや、No problemだ」と言ってくれる。
ほんとうにやさしい男だ。


その後も、ペースが上がらず、
ウランガからそう遠くないPapamora Beachで一泊することになった。
ダニエルによれば、いいキャンプ場があるらしい。


街のスーパーで食事の材料を買う。
レジの女性が「バケーション?いいわね。」と声をかけてくれた。
私は笑顔で「Yes!」と答えた。

本当に何気ないやりとりだが、こういう些細なことは
10年たっても忘れないから不思議なものだ。


ダニエルはスーパーで売っていたビールの種類が気に入らなかったらしく、
別のリカーストアに行くといった。
私は1リットルの大きなビールをスーパーで買っていたので、外で待っていると、
ダニエルは6本パックのビールを買って出て来た。


「一人で全部飲むのか?」

「そりゃそうさ、こんなの4.9%か?ソフトドリンクだ、こんなの。
おれの彼女なんかもっと飲むんだぜ」と笑った。


まったく、どうなってるんだジャーマンスイス。


ダニエルが案内してくれたキャンプ場は「Top10 Holidayparks」というところが
経営するキャンプ場で、とても施設が清潔だった。

ダニエルはここの会員証を持っていて、会員料金だ。

会員証はユースの会員証などと同じで、20ドル(確か)。


作ろうかどうしようか悩んでいると受付の女性が
「何か月、ニュージーランドにいるの?2か月?
ならかえって高くついちゃうかも。
使う見込みがあればいいけど、予定がないなら無理に作らなくてもいいんじゃないかしら」
と言ってくれた。

こんなにちゃんとしたキャンプ場を運営しているのに、
商売第一じゃないとこにとても好感が持てた。

その後も似たようなことがあったが、
ニュージーランドの人はほんとうに相手のことを考えてアドバイスをくれる。
ニュージーランドの印象がずっといいのは、あの美しい景色のせいだけではないと思う。

左が私のMTB、右がダニエルのもの




受付を済ませ、目の前にビーチの広がるところでテントを張っていると、
早速、ダニエルはビールを出した。また一本くれる。

「乾杯はドイツ語で何ていうんだっけ?」
「プロッシュトだ」

「プロッシュト、ダニエル」

私がビールを軽く掲げると
「プロッシュト!ええっとお前名前なんだっけ?」とダニエルが聞いてきた。

おい、今頃かよ。

「シマだ。シマ。コンポーネントシマノのシマだ」。そう説明すると、

シマノ、シマ!プロッシュト!」ダニエルはようやく私の名前を覚えたようだ。


少し雲は出ていたが、せっかくのビーチなので少し泳いだ。


ダニエルに泳がないのか、と聞くと泳がないという。
海がない国の人間なので、てっきり海にあこがれがあるのかと思ったら、そうでもないようだ。

ダニエルはかなりのアナログ人間らしく、
デジカメも持っていなければ、メールアドレスすら持っていなかった。


旅の記録は主にビデオカメラでするらしく、ビデオを回していた。


泳ぎ終わって、テントに戻ると、ダニエルがランドリーを洗ってくれるという。
走るペース合わせてもらったり、いろいろ助けてもらって申し訳なく思ったが、
ダニエルの方はさして気にしているわけでもなさそうだった。


ようやく、ニュージーランドに来て、1週間が経過しようとしていた。






Coromandel -Cycling NewZealand -

ようやくニュージーランドを自転車で走り始めた。


幸い天気は快晴。



Papakuraの駅を出ると、少し家が点在しているだけで、
あとは緑の広がるのどかな道が続いていた。



かつて自転車で旅をした北海道も広大だったが、
それよりもはるかに広く感じられる。

そして、空の青さが眩しい。
日本の空より青く見える。



オークランドから近いためか、多くのサイクリストとすれ違った。
みんな軽くあいさつをしてくれる。こういうのはいつでもうれしい。



やがて最初の町「Cleredon」に到着。
市街地はどこだろうと走っていくと、そのまま町の外に出てしまった。
小さい町だ。町と言うより集落と言ったほうがいいか。
集落が終わると急に建物がなくなるので、
日本との違いにおどろいたが、その後の小さな町はどこも似たようなものだった。

店があったところまで戻り、店に入る。
店主はマオリの人だった。

飲み物の補充にペプシワインオープナーやライターなど小物を買う。
このとき買ったフランス製のライターはとても使いにくかった。日本製はよく出来ているのを実感した。

支払いにクレジットカードを使い、漢字でサインをすると、
マオリの店主は不思議な顔をした。私は顔を見合わせて微笑んだ。




ツーリング初日はMirandaという街で一泊。温泉があり、体を休ませることが出来た。
もっとも温泉と言うよりは温水プールだったが。
それでも湯につかれるのはありがたかった。

翌日は朝方、曇り空だったが、出発する頃には晴れてきた。

ニュージーランドは日差しが強く、皮膚ガンの発病率が高い、と言われるが、なるほど日差しは強烈である。
前日に日焼けしたところが痛かった。

朝食をパンだけで済ませたせいか、走り出してしばらくすると猛烈におなかがすいた。
そういえば、この数日、パスタばかり食べている。肉もタマゴもご無沙汰だ。
「何かボリュームのあるもの食べたいな」一度そう思ったら、しばらく食べ物のことしか考えられなくなってしまった。

Thamesの街の手前でカフェを見つけて入った。
こういうローカルなカフェに入るのは初めてだ。少しどきどきした。

タマゴとベーコン、マッシュポテトのサンドとレモンシュガーの乗ったスィーツをもらう。
マオリ人の奥さんがとても感じが良かった。

ゆっくり食事をしていると、トラックの運転手がやってきて、
サンドウィッチを買うとすぐに出て行った。
何気ない光景だが、なんかこういうの海外っぽいなと思った。

Thamesの近くのワイナリー。白ワインを一本薦めてもらい購入



一日100キロくらい走るのが、日本での私のキャンプツーリングスタイルだが、
この日の目的地のThamesまで30キロ程度しかなく、のんびりしていた。

Thamesはちょっとした街だった。

メインストリートには大きな店もあり、賑やかだったが、
一本裏通りにはいると閑静な住宅街が広がっていた。
その先はもう海だ。



そんな住宅地の中にバックパッカーズはあった。


バックパッカーズに行くと、ドミトリー(相部屋)かテントサイトか訊かれる。
どういうことか確認すると、テントサイトは言ってみれば庭にテントを張って宿泊できるそうで、中のキッチンなどの共同スペースはドミトリーの客同様使っていいらしい。
外ということで、少し料金が安いようだ。
天気もよさそうなので、テントサイトにした。


ワイナリーで買ったワインを早速いただく


テントサイト、といっても宿の庭の一角にテントを張っていい場所がある、という程度だったが、テントを張ったら、なんだか落ち着いた。
やはり自分のテントが一番だ。長年使っているので、だいぶヨレヨレだが。

ニュージーランドが一人旅に向くと思う理由のひとつに、宿泊施設の充実性があると思う。
街の郊外にには「Bed & Breakfast(B&B)」と呼ばれる民宿のようなところが数多くあり、
また、街にはたいていキャンプ場がある。

街のキャンプ場はキッチンやリビングなどの共同施設が使えるというところが多く、
非常に快適である。

もちろん、我々が想像するようなキャンプ場も国立公園などには数多くあり、さすがはアウトドア大国である。


宿には猫が。ペットを飼っているアコモデーションも多い。



少し街を歩こうと宿を出ようとしたところで、宿のオーナーに会った。
手には竿と釣り道具。これから釣りに行くという。

釣れるといいな、
私は「Good luck!」と言うと彼は振り返り、「そうだな、おれには運が必要だよ」と苦笑し、
軽く手を上げて、海に向かって歩いて行った。

Thamesの海
 




Thamesから先、コロマンデル半島を回る。

 

コロマンデルの街。観光地とあって多くの人でにぎわっていた



ここはとにかく登りがきつかった。
その後、Auther’s PassやTakaka Hillといった有名な峠を登ったが、
ここの斜度は特筆ものだ。後にサイクリストと会うたびにここは話題になった。
(Auther’sPassも相当キツイが。)



キツイ中、なんとか100キロほど走り、日が暮れる頃、Whitiangaという街にたどり着いた。



もうほんとうにヘトヘトだった。
この街は観光地らしく、宿は高かったが、疲れていたので構わずベッドを取った。


部屋で荷物を解いていると、Jackwolfskinのジャケットを着た女性が話しかけてきた。
「あなたどこから?ここはいいところよ、長居するといいわ。コロマンデルは山を越えてきたの?私もあそこを越えてきたの。すごい坂よね。」
いかにも旅慣れたサイクリストらしく、日によく焼けた肌がとても健康そうだった。

キッチンで食事を作っているとやけに日本人が多いに気が付く。
一人つかまえて話を聞くと、ここには8人の日本人がスタッフとして働いているという。
なんでもオーナーが日本人好きらしい。

わざわざこんなところまで来て日本人と話していることに違和感を覚えた。

とはいえ、慣れない旅の始めで、日本人と話せることで少しほっとしたのも事実だ。

一通りニュージーランドを回ったという一人の日本人と仲良くなり、
いろいろ旅のアドヴァイスをもらった。

夕日のきれいな日だった


少し滞在すればいいじゃないかと薦められたが、宿代が高いこと、
それから日本人が多いのがどうにも耐えられず、翌日、朝食を食べると出発した。

 
Thames郊外の店。TIPTOPのアイスはおいしい

 


きのうの日本人に薦められたWhitianga から比較的近い
HaheiというところにあるCathedral Coveというところへ向かう。


とにかく絶景だから、ということだった。


自転車や車で行けるのは途中までで、Cathedral Coveまでは遊歩道になっていた。
海に向かう小さな半島の道は歩いていて、とても気持ちが良かった。


すれ違う観光客がみんな「ハイ!」とか「ハロー!」とか軽く挨拶してくれるのがうれしい。



30分ほど歩いただろうか。砂浜に出た。




「おお」私は思わず声を上げた。



ニュージーランドはほんとうに美しいところばかりだが、ここは最高だ。
海に浸食され、大きく削られた岩の向こうに青い空と海が見える。


また、ここがいいな、と思ったのはこの景色の中で普通に人が遊んでいることだ。
波と戯れたり、泳いだり、カヌーをしたり。



日本だったら、柵がしてあったり、遊泳禁止などと書いてあったりしてげんなりするが、
そういった余計なものがなくて、自然体で遊べることがよかった。

そんな様子をしばらく眺めたり、少し海に入ったりして楽しんだあと、Cathedral Coveを後にした。


途中、カフェ「Colenso Country Café&Counrtyshop」に入る。

庭の素敵なカフェだ。

 



ショーケースの中のパイを眺める。どれもおいしそうだ。
悩んでパイを二つとサラダを注文し、ペロッと平らげた。


北島にいる間は、昼はカフェで摂ることが多くなったのはこの頃からだ。
日記には「毎日、お金がかかって仕方がない」と書いているが、
こんなものを毎日食べて、酒も飲んでいたのでは当然だと思う。


その後はTairuaという街まで行った。

Pakuという山。マオリの言葉で"women's breasts"




キャンプ場に行くと、管理人不在。


入り口にメモが。


勝手にやっていいようだ。
キャンプ場には、私のほかにもサイクリストがいた。

一組はドイツから来た一家で、夫婦と10歳くらいの子と3歳ぐらいの子連れだった。
父親の自転車のサドルのところから、後輪の下に向かって一本パイプが伸びていて、そこにハンドルとペダルがついた椅子がついていて、子供はそれに座っていた。
(残念ながら同じものは日本で見たことがない)

アタッチメントの参考イメージ。こんな感じのバイクで子供を二人牽引していた。こんなに飛ばしてはないはず(笑)



父親はテントを張っている間、母親は洗濯をしており、まさに旅する家族といった感じだった。



ニュージーランドではキャンプ場のことを「Holiday Park」とか「Caravan Park」と呼ぶ。ニュージーランドではキャンピングカーなど旅をする人も多く、そうした人の利用も多いからそう呼ばれるのだと思うが、この家族は、まさにキャラバンだった。

あんな風に家族で旅をしたら、きっと子供の心にずっと残るだろうな。
私も家族とあんな旅がしてみたい。



もう一人は女性のサイクリストだった。



外のベンチで一緒に食事をした。
私はこの日、スーパーで玉子と鶏肉を買ったので、親子丼を作って食べていると、
「何それ?」と怪訝な顔で聞いてきた。とてもおいしそうには見えなかったのだろう。

親子丼をうまく説明できなかったので、「卵と鶏肉を使った日本料理だ」と説明しておいた。

彼女のほうはと言えば、フィッシュ&チップスを食べていた。
「とても大きくておいしいし、安かったのよ」と言っていた。

彼女はスイス人で43歳。スイスの人材派遣会社でマネージャーをしているという。
管理職でもこうしてキャンプ道具を満載した自転車で海外を旅が出来るなんて、素晴らしい。日本じゃ考えられない。
私は職場では一番下っ端だったのに、ここに来るために仕事を辞めて来なくてはならなかった。彼女の国との文化レベルの差を痛感した。


夕食を終えて、くつろいでいると、一人の男が近づいてきて、何か言った。


「オーナーだ」


はじめ何のことだ?と思ったが、スイス人サイクリストがパッと立ち上がり、
「あぁ、オーナー!お金払います!」とテントに戻っていった。


続く。。

 

NewZealandへ -Cycling NewZealand -

 
 
 
 
 
 
 
 
 

勤めていたホテルを辞めて旅に出たのは
ちょうど10年前だった。

私が目指したのはニュージーランド

いつか海外を自転車で旅がしたい。
ずっとそう思っていた。

10年前の旅が自分にとってどんな時間だったのか。

記憶が完全に風化してしまう前に
昔の日記やガイドブックを読み返し、そのときのことを振り返ってみたい。


**********


当時、勤めていたホテルにはワーキングホリデーで
ニュージーランドやオーストラリアに住んでいた先輩が何人かいて、
深夜の勤務時間によくそんな話を聞いた。

そのうちニュージーランドに行ってみたい、
いつか自転車で海外を旅してみたいという長年の想いが抑えきれなくなっていた。


職場の先輩の後押しもあり、2005年の暮れ、上司に仕事を辞めることを伝え、
2006年2月、学生時代から旅をともにしてきたマウンテンバイクとともにニュージーランドへ飛んだ。



空港まではホテルの先輩が送ってくれた。
私が仕事を辞めることを一番残念がってくれた人だが、一番応援してくれた人でもあった。

この先輩はワーキングホリデーでニュージーランドに住んでいたことがあり、
海外経験を積む必要性や、ニュージーランドのすばらしさについて、
仕事の合間によく語ってくれた。
もちろんホテルの仕事も、ほんとうによく教えてくれた人だった。


チェックインを待つ間、二人でコーヒー飲んだ。
先輩は細々したことまで、いろいろ心配してくれた。
少し鬱陶しく感じてしまうほどだったが、今ならあのときの先輩の気持ちが分かる。
私が逆の立場なら同じようにしただろう。


出国手続きのゲートで先輩と別れた。

「シマ、GOOD LUCK!」

私は振り返り、小さく手をふった。



長いフライトの後、やがて眼下にニュージーランドの大地が見えた。

青々とした緑が一面に広がる広大な大地。

その緑の中に細く伸びる一本の道が見えた。

あんなところを走るんだ。じわじわと期待が膨らんできた。


到着したのはニュージーランド北島北部に位置する最大の都市オークランド

空港で入国審査。

ニュージーランドは検疫が厳しいらしく、
植物や土を持ち込ませないため、
持っていたテント、タープは一旦全部、洗浄にかけられてから戻ってきた。

自転車の入った段ボールを受け取り、空港の外に運び出した。
すると、空港に自転車を組み立てるスペースがあった。



すごいな。それだけ自転車を持ってくる人が多いということだろう。



自転車の組み立てをし、インフォメーションで町の中心部への行き方を聞く。
ついでに自転車の入っていた箱の処分を頼んだ。


まずはオークランドの中心部へ。

学生時代のツーリングから数年ぶりの荷物を満載したマウンテンバイクは
これでもかというほど重かった。



初めて自分の目で見る海外の景色。




建物、横を走り抜ける車、道路の標識、時折晴れ間を見せる空。

目に映る全てが刺激的だった。そしてまたそれらは不安でもあった。


右も左も分からない私は、とりあえずと勤めていた会社の先輩がオークランドを訪れた際、
泊まったところと同じバックパッカーを目指した。
(※バックパッカー:相部屋の安宿。一泊2,000~3,000円程度で共同キッチンやリビングが使える。)



バックパッカーは街の中心部、クィーンストリートにあった。


バックパッカーに着くとラウンジに多くの若者が楽しそうに話していた。



みんな何だがとても熱く、エネルギッシュに会話をしていて
不安だらけの私はその勢いについていけず、見ているだけで疲れを覚えた。


相部屋のベッドを確保し、ボーっと地図を眺めていると、
やがて大きなバックパックを背負ってやってきた白人の男性が話しかけてきた。

彼はドイツ人で、名前はマーティン。
これからビーチで泳ぎに行くんだ、と嬉しそうに言った。


みんな、目的決めて来ているんだな。

自然に楽しそうにしているマーティンが眩しく見えた。

私は?走ること以外何をしたらいいのか分からない。

私はとりあえず、自転車で遠くに行くことしか決まっていない。
旅のあとのことはもちろんのこと、オークランドの次にどこへ向かって行くかすらも決まっていない。


私は何をしているのか。
私は何者なのか。


眠る前書いた日記に書いてあった。


こうした不安はどう考えてみても拭えない気がした。



翌日、街で食料の買出しなどをし、宿に戻る。



自分から動かないと、何も変わらない。
話せない英語でも話しかけていこう。
自分の世界のありかたは自分にしか変えられない。


この一日、全く話さなかった私の向かいのベッドにいた青年に勇気を出して話しかけた。
ろくにあいさつもしない彼のことを一方的に感じの悪いやつだなと思っていたが、話してみるといいやつだった。

彼からすれば、私の方がそう見えたかもしれない。

彼の名はヤン。ノルウェーから来たという。

私はヤンを飲みに連れて行こうと思い、つたない英語で誘った。
始めはなかなか理解してもらえなかったが、何度か話しているうちに理解してくれた。


宿から近いバーに入り、ビールを飲みながらヤンと話し始めた。
ヤンは現在22歳。大学で何か理系の勉強をしているそうだが、何をやっているかはよく分からなかった。
ヤンはこれから仕事を探して、それからニュージーランドを回る予定らしい。


とても上手に話せたとは言えないが、お互い笑顔で宿に戻った。


出来るところから少しずつ。ささやかな勇気を出してやっていこう。




翌朝、オークランドから郊外のPapakuraに出る電車に乗った。

ニュージーランドではオークランドと首都ウェリントンでは
郊外に出るためには電車か自動車専用道路しかない。


ともかく街から抜け出して自転車に乗ろう。



電車では、女性の車掌が自転車の乗せ方を教えてくれた。
私が心配そうにしていたのだろう、
通りかかるたびに「あと2駅よ」などと声をかけてくれた。



車窓を流れる景色を見ながら早く自分の足で走りたい、そう思った。



電車はやがてPapakuraに着いた。



自転車とともに電車を降りる。
車掌さんにお礼を言いたかったが、そのまま行ってしまった。

自転車に目をやった。
初めて自転車で旅した日からずっと私を支えてくれたマウンテンバイク。

なにをどうすればいいか、この異国の地では正直まだよくわからない。

でも、このマウンテンバイクに乗ればどうすればいいか、それだけはよく分かっている。
電車を降りるとこの二日間、ときに憂鬱に見えた空もこの日はどこまでも青く見えた。


「そう、青空の下で走りたかったんだ。」


青い空が不安を全て吹き飛ばした、とは言えなかったが、

青い空は素晴らしい旅が始まるのを予感させた。

「自転車に乗りさえすれば、自分の旅だ。」

荷物を満載した自転車を揺らしながら、私は走り出した。

旅の終わりにまた旅を想う 2009年1月6日

帰りの飛行機が出るのは夕方。

 


まだ自転車の梱包をしなくてはならないが、そこまで急がなくてもいい。

朝はゆっくり食事をし、宿をチェックアウトするとまずは昨日の自転車屋に向かった。

自転車屋に続く坂道を登る。


自転車屋のドアを開けるとスキンヘッドのオヤジが私の顔を見て、
一瞬、「何だ?」って顔をしたが、
すぐに思い出したようで"bikebox!"と言った。

なんとなくそうだろうなと思ったが、
予想通り、GIANTの段ボールが出てきた。

段ボール代はいいと言うので、土産にGUのエナジージェルをいくつか買った。
まだ日本に入っていなかったものだ。
こういうのはあまり高くなくて、サイクリストたちにはいい土産になる。

スキンヘッドのオヤジに礼をいい、店を後にした。

一旦、インフォメーションセンターに行き、もらってきた段ボールを預けた。

それから海に向かった。海に行って見たいものがあった。

それはオーストラリア本土メルボルンタスマニアを結ぶフェリー"Sprint of Tasmania"だ。

せっかくの機会なので乗ろうかとも検討したが、
本土とタスマニアの間のバス海峡は潮の流れが激しく、フェリーはよく揺れるらしかった。
ニュージーランドの北島から南島に渡るフェリーで酷く船酔いしたのを思い出してやめてしまった。
今思うと勿体無い。

海に出るとタスマニアらしい強風が海を渡って吹き付きけてくる。



何度こうした風に悩まされただろうか。

帰国して随分になるが、強風の日に自転車に乗ると、ふとタスマニアを思い出すことがある。
そして、そのたびに「タスマニアに比べたらマシだ。」と思うのだ。




海沿いの道はとても明るくて気持ちがよかった。






 

もしかしたら今日は停泊していないかと思ったが、幸い"Sprint of Tasmania"、
港に停泊していた。


あれで本土からタスマニアに渡って来たらワクワクするだろうな。

立派な船体だ。

昔、フェリーで北海道や四国に渡ったときのワクワクを思い出した。


昼食を食べるため、モリーマローンズへ戻る。

宿の方ではなく、宿の下にあるバーの方だ。

 

 


昼間のバーはすいていた。


ランチはサーモンのソテーを注文した。
そしてお供はアイリッシュバーではお約束のキルケニー。



食事とアイリッシュビールを堪能すると今回の旅を振り返ってみた。

 

一番の問題はやはり英語であった。


いつも困ったときには誰かが助けてくれた。
当たり前だが、知らない誰か。
あるときは同じ旅人であり、またあるときは通りすがりの人。

そんな人ともっと上手に話がしたかった。


それから、旅ということについて考えた。

今回、出会った多くの旅人達は、放浪を続けている人よりも
日常から少し離れてやってきた人が多かった。
それはこのタスマニアという土地の性質かもしれない。
 長い旅、というよりはきっと長い休暇、という人が多かったと思う。


日常の延長線上にある、非日常。
それを休暇と呼ぶのか、旅と呼ぶのかは、その過ごし方によると思う。

ただ、その素晴らしい時間を過ごした後、みんな日常に帰っていく。


日常の延長にある旅。


キルケニーが1パイント空くころ、次の目指すべき地平が見えた気がした。



モリーマローンズのそばのリカーストアで土産のスパークリングワインを探した。

東海岸のBay of fire で飲んだスパークリングワイン"Kreglinger"が印象的だったので
どうしても土産にしたかった。

無事にKreglingerを手に入れ、 インフォメーションセンターに戻る。

空港までのシャトルはここにに来るので、
インフォメーションセンターで自転車の梱包を始めた。

あまり重いものを調子に乗って段ボールに詰めると
また飛行機のチェックインで追加料金を取られかねないので、
考えながらGIANTの箱に自転車とキャンプ道具を詰めた。
ここは前回アラスカの帰りで3万円余分に払った痛い経験が生きた。
昨日土産に買ったカッティングボードがなかなかの重さだったので、手荷物に回した。

後の話だか、空港の手荷物検査で女性の職員に「これ何?絵?」と言われ、
「カッティングボードだ」と答えて不思議な顔をされた。そりゃそうだよな。

手荷物には寝袋を入れるのを忘れなかった。
今日はメルボルンまでの移動で、
明日が国際線のフライトなので、空港で一泊しないといけないからだ。

何とか梱包を終えると、荷物を再びインフォメーションセンターに預け、少し歩いた。
ネットカフェを見つけて入る。

日本への最後の連絡をし、マフィンを食べ、コーヒーを飲んだ。
現金の残りはもうわずかだ。

再びインフォメーションセンターに戻り、シャトルバスを待つ。

時間より早く着いてまっていたが、時間になっても当たり前のようにシャトルは来ない。
フライトに間に合うかと心配になり、自分の心配性に笑えてきた。

予定よりずいぶん遅れてシャトルが来た。

「間に合うのか」とドライバーの女性に聞くと
「何時のフライト?大丈夫よ!」と自信満々で笑った。

シャトルが走り出し、車のスピードで景色が流れていく。
いつもと違う速さでながれていく景色を見て、旅が終わることを思い知らされた。


空港でのチェックインはすんなりいった。
窓の向こうで自分の自転車が積み込まれるのが見えた。





歩いて飛行機に搭乗すると、ほどなく飛行機は飛び立った。


しばらくしてワインをもらった。
ワインを飲みながら、物思いに耽った。



思えばいろんなことがあった。


いつも行く先にあった激坂の上り

旅を始めて3日目に襲われた腹痛

行く先々で出会った老練なサイクリストたち

フレシネ国定公園アモス山から見たワイングラスベイ

"favor"という言葉の意味

車に轢かれたフェアリーペンギン

長い上り坂と向かい風の後に街が見えたときの喜び

焚火にかけてあったお湯をくれたグレッグとスー、それからかわいい犬のミッチー

ウェストコーストの寒い日々

雨に降られて、心が沈んでしまったときに知らない人とジェイムズテイラーを歌った大晦日

ヘンティ砂丘の年明け

美しい風景の中に自分がいることに気が付いた瞬間






素晴らしい旅だった。






機上から窓の外に目を向けるとオーストラリア本土の半島が見えた。

あの半島から見える景色はどんなだろう。

晴れの日はどんな感じだろう。
雨の日はどんな感じだろう。
風の日はどんな感じだろう。

果たして私がたどり着くときは、どんな感じなんだろう。

一本の道さえあれば、一台の自転車さえあれば、私たちはどこまでも行ける。



旅は終わらない。



このタスマニアの旅は終わってしまうけれども、私はまた旅に出るだろう。



日本かもしれない。海外かもしれない。アフリカかヨーロッパか。またアラスカか。

自転車で行くかもしれない。車かもしれない。ヒッチハイクかもしれない。

30代か、60代か。

今回の旅で私はまた自由になった。

旅に出たい、この気持ちさえあれば、いつでも旅に出られる。
もう焦る必要はない。歳も時間も関係ない。

自分が旅に出たそのときにしか出会えないものが
いつもそこにあるということを知ることが出来たから。


タスマニア編          完



Gone Riding 2009年1月6日

 
 
 

帰国まで3日。今いるシェフィールドから最後の滞在地になるDevonportまでは
わずか30キロほどしかない。
ふつうに2時間見ておけば問題ない距離だ。

残された時間をどう使うか。

デボンポートに到着すれば、お土産を買ったり、
帰国に向けた準備を始めることになるだろうから、
時間の許す限り、ゆっくり過ごそうと決めた。


周辺の小さな街を回りながら、デボンポートを目指す。


まずは、トピアリーが有名だというRailtonへ。

トピアリーってなんだ?と思って『Lonely Planet』を見るが
説明を読んでもよくわからない。


街の入り口の看板を見て、やっと理解。
植物で動物とかの形を作るやつのようだ。

民家の庭先にそれらしいものがいくつかあった。


ワイヤーで樹木を動物をかたどったりして作るものらしい。

トピアリーの街、と言う割には、そんなに数がなかった気がする。。
私のまわり方が悪かったか。

まだ生育中の作品もあった




トピアリーは眺めていてなかなか楽しかったが、ほかに見るものもなく、
街を一回りするとレイルトンを後にした。

シェフィールドもそうだったが、こじんまりした街で少しいくとすぐ町の外に出てしまう。
小さい街はなんだか親近感が湧く。


次の街は、Latrobe。
ここはぜひ行きたいところがあった。
Anversという会社のchocolate factoryがあるのだ。

ラトローブについたが、まだ早い時間なので
図書館でネットを使い、日本に連絡を入れた。

料金は1時間で数ドルだったと思うが、
管理してる兄ちゃんは別に時間を計るわけでもなく、
終わって帰るときに「どのくらい使った?」と聞いて、お金を払っておしまいだった。
ゆるい感じがいいな。


お腹が空いてきたので、少し早いが昼食をとることにした。
「Cafe Gilbert」という店に入る。


メニューを眺めて、today's specialを注文した。
実は海外で今日のおすすめを注文するのは初めてだったりする。


魚がメインのランチ。15ドル。
カプチーノはマグサイズで4ドル。

日によっては一日の生活費だな。帰国間近になるといろいろ緩くなってくる。

ランチはワンプレートで足りるか心配なボリュームだったが、
食べてみれば、まあボチボチの満腹感。

味も非常によく、タルタルソースをグラスに入れて添えるのも斬新だなと思った。
この盛り付けはうちでも使えるアイディアだ。


 


カフェで空腹をそれなりに満たし、アンバースのチョコレート工場へ。

アンバースへは少し迷った。

工場は思ったより小さく、見学できるのは、
デパ地下の実演販売をちょっと大きくした程度しかなかった。

こちらは観光客向けのデモンストレーションで工場自体はもっと奥にあるのだろう。


まあいい。

さてさて、甘いものを食べなくては!


カフェスペースでショーケースの中をゆっくり回るケーキを しばらく眺める。


決められない。。。

 

 




悩んだ末、ブルーベリーチーズケーキとチョコミントチーズケーキを注文した。



なかなかのサイズのケーキ。私の手よりちょっと小さい程度か。



味はなかなかいい。うまいじゃないか。
むっ、若干甘いか?いや、だいぶ甘い。

ブルーベリーのほうは日本でもありそうだが、
チョコミントチーズケーキは日本ではお目にかかれないケーキだ。
ミント感よりチーズ感が強かった。

私は年中ミントチョコを食べているが、おそらく、このころからよく食べるようになったと思う。


ランチを食べたばかりだが、なんとか二つとも食べきった。

さすがに毎日朝から晩まで自転車で走っていると、
どこまでもお腹が空いてしまう。

ケーキを完食し、コーヒーを飲んでいると、
隣のテーブルに30歳ぐらいの日本人女性が二人やってきた。

かなりエグイ女子トークを展開したあと、
ケーキのサイズと甘さに文句を言いだしてかなり鬱陶しかった。

クドくて甘いのなんて当たり前だろ!文句言うなら食うな!と一人で思ってしまった。


こちらをチラッと見て、「日本人?」と思ったようだが、
旅の前半に東海岸の強烈な日差しに焼かれた黒い肌と、
レーサージャージ&パンツという格好に日本人かどうか判断つかなかったことだろう。



ケーキを満喫したあと、工場の直売コーナーでチョコレートファッジを5箱買う。
試食したが、これまたおいしい。



帰国したらだれかにくれてやろう。



アンバースのチョコレート工場からデボンポートまで10キロほどだったが、
もはやおなじみ著となったタスマニアの激坂と強烈な向かい風で
なかなかデボンポートに着かない。

下りでスピードを確認すると、わずか時速12キロ。

進まないわけだ。


大きな橋を越え、デボンポートに入る。



橋から見る海が美しい。

デボンポートは水俣姉妹都市らしい

橋から国道を離れて、川沿いに進むとビジターインフォメーションセンターがあった。
ここで空港までのバスを予約した。10ドル。

自転車分の追加料金が取られないようだ。よかった。
ニュージーランドでは、後で追加料金取られたのだ。


手持ちの現金が10ドルないので困っていたが、それは宿で解決した。

今回の旅の最後の宿は”Molly Malones"。

当初、日本からバックパッカーを予約しようとしたら
そこが改装中で予約できなかったため、旅行中に予約したのだ。

ストローンに滞在中、『Lonely Planet』を見ていて見つけたのがここだ。
同名のアイリッシュバーがニュージーランドの首都ウェリントンにあり、
印象が非常によかったので、ここに決めた。

ちにみにモリーマローンはダブリンを代表する歌の名前らしい。


デボンポートの中心にあるモリーマローンズ。一階はアイリッシュバー



到着するとチェックインでデポジットととして10ドル支払いをしたが、
クレジットカードで対応してくれた。
チェックアウト時は現金で返金してくれるという。助かった。


宿はやや安っぽい感じではあったが部屋は悪くない。


自転車は室内に置かせてくれた


自転車は中でいいと言われたので、遠慮なく自転車を室内に入れた。

行きたかったが行けなかった場所、北東部の「The Nut」


壁にかけられた写真を見るといきたかった場所だった。

今回の旅で心残りがあるとすればこの"The Nut"であろう。



まだ日が高いので、宿に荷物を置き、街をブラブラする。



宿のすぐ前にショッピングモールがあり、
キッチンを品の店でカッティングボードチーズナイフ買った。

ほとんど使っていないカッティングボード&チーズナイフ。そしてさっぱり切れない包丁




それからよくお世話になるスーパーのウールワースでピンク色のお菓子を買う。
あと感じのいい包丁を安く見つけたのでそれも買う。

ただ、帰国後それを使ったが、包丁は全くと言っていいほど切れなかった…

 


帰国に向けて、自転車を飛行機で運ぶため、
自転車の入る段ボールを手に入れる必要があるのだが、
自転車屋を見つけることができず
インフォメーションセンターに戻り、場所を聞いた。

自転車屋へ向かう坂道



自転車屋は丘の上の街にあった。




GIANTをメインでやっている店らしい。

店はあまり大きくなかったが、商品がよく整理されていた。
スラムのコンポがたくさん置いてあり、日本との違いを感じた。

店内に吊られたロードのフレームに目がいく。
新しいTCR ADVANCEだ。友人がオーダーしているのと同じだ。
BB周りがかなりしっかりしている。
今でこそ、剛性を上げるためにBBまわりが肉厚になっているのは珍しくないが、
当時としては革新的だったと思う。
マジマジと見入ってしまった。

スキンヘッドの感じの良いおじさんに
自転車用の段ボールを欲しいと言うと、
少し考えた様子で
「今はないが、明日なら用意できる。明日の12時までに来てくれ。」と言われる。
明日はデボンポートカップがあって道が閉鎖されるそうだ。

「Twelveね、」と繰り返すと、君は若いから大丈夫だ」みたいなことを言われる。

どういうことだ?寝坊するとでも思われたのだろうか。

段ボールは無料でいいらしい。

この店がいいなと思ったのは営業時間。

平日は午後5時半までの営業で、日曜日は「Gone Riding」と書いてある。




午後5時半で店を閉めることができるタスマニアは素敵だ。
この時間なら、店を閉めてからでも、十分走りに行ける。

日曜日が休みではなく、"Gone Riding"というのがいいじゃないか。
日本の自転車屋もこんな風に出来るといいのに。


自転車屋の周辺も店が立ち並んでおり、
いくつか店をのぞく。

ニュースエージェンシーで絵葉書を買い、店のおばさんと話す。


デボンポートカップは馬のレースらしい。
てっきりヨットのレースかと思っていた。

自転車でタスマニアを回って明日帰国だと言うとおばさんは驚いていた。
いやいやそんな奴この辺にごろごろしてるよ。
私はそう思い、苦笑した。

宿へ戻る道すがら、自転車以外の荷物を送るための段ボールは
スーパーマーケットでもらってきた。



宿に戻り、キッチンで食事を作りニュースを見る。

テレビをつけると連日、ニュースでやっているイスラエル問題を放送していた。
もっとも私には詳しい内容はわからないのだが。

キッチンでくつろいでいると、日本人の女の子がやってきた。
少し話したがあまり考えずにタスマニアに来たようだ。
話していることが中途半端過ぎて、話すのが嫌になってしまった。大丈夫かなこの子?

いつものパスタとタスマニア産ビール「カスケードドラフト」



宿のキッチンでこうして普段通りビールを飲みながら日記を書いていると、
まだこれからずっと旅が続くんじゃないかという気がしてくる。

明日の朝6時ごろには目が覚めて、朝の支度をし、8時ごろには出発して、10時には腹が減り、ランチまで我慢できず何か食べたりしちゃうんじゃないか、そんな気がしてしまう。

 


この日々が終わってしまうのか。

空になったカスケードドラフトの缶を持ち上げつぶやいた。

「お世話になりました。カスケードドラフト。」


 

Sheffield 2009年1月5日

朝、テントの外に出ると、昨日ほど快晴はないが、悪くない天気。

旅の最大の目的地であったクレイドルマウンテンも満喫出来て良かった。

チェックアウトするため、テントサイトにぶら下げていた名札を受付に返却する。

精算してもらうと、2泊で30ドルでいいという。
ラッキーだな。

予約の電話からチェックインの対応までしてくれた感じのいい女性は残念ながら不在だった。
記念に一枚写真を撮りたかったのだが。

受付の建物にあったパソコンでメールが来ていないか確認する。
知り合いの小学生とフレシネ半島で会ったヒロキくんからメールが来ていたが、
文字化けして読めなかった。


さらば、クレイドルマウンテン。
少し曇った空の中、走り出す。




もう少しでこの旅も終わりなんだ、と思うと少しさみしい。


クレイドルから北に進むにつれ、気温が上がってくる。
この10日あまり、ずっと冬のような恰好をしていたが、タスマニアは今、夏なのだ。

昨日、キャンプ場から実家に電話したところ、
「こっちは気温5度だ」というと、それは日本より寒いと言われた。
全く、どっちが冬なのかわからない状態だった。


冬物のサイクリングジャージを脱ぎ、半袖になる。
これほど日差しを浴びて走るのは、いつぶりだろうか。
Tamar Valleyあたりか。


寒冷な地域から離れていくのを体で実感する。
道が下りになり、ガンガンペダルをふんでいると、
私を追い抜いた一台のセダンが路肩に停まった。


「何だ?」


車からカップルが下りてきた。Tullaの宿で会った人たちだ。
女性の方の顔を見て思い出した。

宿のキッチンでピールやワインを飲みながら
ニュージーランドの話などをしたな。

旅人同士、こうしてまた会って、少し話しするだけでもうれしいものだ。


こういうことも旅が終われば、もう無いんだなと思うと寂しかった。


カップルと別れ、Gowie Parkという集落へ向かう。


今度は上りがガンガン来る。
タスマニアの道は長い周期のアップダウンが続くことが多いが、
この道は珍しくひたすら上ってサミットに行くパターンだった。


けっこう斜度がきつく、腰が痛くなってきた。
上っていくと、地元のライダーだろうか、たくさんのサイクリストが下ってきた。
このあたりだとDevomportあたりの人が走りに来るのだろうか。









峠を抜け、Gowie Parkへ。

分岐で悩むが、ずいぶん腹も空いてきたし、上らない方へ向かう。

Gowie Parkはキャンプ場とバックパッカーがあるだけで、
食事出来る店が無く、何も食べられなかった。

空腹で少しいらだってきたが、手持ち最後のインスタントラーメンを食べてしのいだ。


簡単な昼食を終え、走り出すと
いつしか周囲は淡い緑の草に覆われた丘陵地帯になっていた。


丘を抜けていく風が心地よい。


ときおり、強烈に吹いてここがやはりタスマニアであることを思い出させる。


気持ちがよくて、ペダルを踏む足に自然と力が入る。


気持ちよく丘を抜けると、Sheffieldの街に着いた。

 



 

 




シェフィールドは街の至る所に描かれた壁画が有名だ。
後に調べたところ、1970年代に人口が減少し、
その際に観光の呼び物として描かれるようになったそうだ。




インフォメーションで宿を聞くと、キャンプ場もバックパッカーもなく、
普通のホテルしかないらしい。

やはりか。『Lonely planet』にキャンプ場が書いてないということは、
つまりそういうことだった。

インフォメーションの人によるとバックパッカーならゴーウィパークが最寄で
キャンプ場ならデボンポートだという。

戻るのも面倒だし、デボンポートは帰国準備をするために
もう明日から宿を抑えてあるから、無理に行きたくなかった。

 
 
 
 
 
結局、インフォメーションでバーの2階にあるホテルを紹介してもらう。
宿は45ドル。高いが仕方がない。
 
バーで支払いをしてチェックインする。
タスマニアはこの手の宿が多い。
宿に関して言えば、ニュージーランドよりイギリス色が強いようだ。
 
宿自体は悪くない。部屋に荷物を置いて、街に出た。
 
 



昼食をちゃんと食べていなかったので、ベーカリーカフェを見つけて入った。



午後ということもありもうあまり商品が無かった。

よくわからない名前のパイとカプチーノを注文する。
おばさん二人でやっている感じのいい店だ。

  



ほかに客がいないな、と思いながら日記を書いていると、
店に人に閉店だといわれる。

そうか、ベーカリーだもんな。


  



ベーカリーを出て歩いて、街を歩いて土産ものを買ったりする。

デボンポートから近いからだろう、
小さな街の割に土産物屋がいくつかあった。

街の目抜き通りは少し歩けば
すぐ端まで来てしまう。

こういう普通の街が好きだ。



歩いているとなんだかだるくなって
宿でしばらく横になった。


夕方、この街で有名なジェラート屋へ行くが、
機械の調子が悪いらしく,ジェラートは売っていなかった。

ここは一緒にチャイニーズのテイクアウェイをやっていたので、晩御飯用にチャーハンと春巻きを買う。
そろそろ米が食べたかったところだ。

宿に帰り、バーでビールを買って、
ビールを飲みながらチャーハンを食べる。


チャイニーズのテイクアウェイはたまに使っていたが、今回のはびっくりするぐらい不味かった。
自分で塩を振り直し、かきこんで、ビールで流した。

窓からシェフィールドの街を見る。

まあ、こんなこともあるさ。

明日はいよいよ、最後の街デボンポート。このタスマニアで走るのは明日が最後だ。