定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

別れ -cycling NeaZealand -

ネイピア滞在2日目。

この日、ダニエルとルティアと別れた。

朝、私はダニエルと朝食を共にした。


なんだかお互い言葉が少なかった。
ダニエルはいつものように、ここがよかった、とか シマ、これからどこに行くんだ、とか聞いてきた。

私はいつものように答えていたつもりだったが、なんだか違って感じた。

ふたりとも下を向いてばかりだった。

こういうとき、何を話せばいいんだろう?

「ダニエル、コーヒー飲むだろ?豆で淹れてやるよ」

私はコーヒーを淹れはじめた。

私の折り畳み式のコーヒーバネットを見て、「そんなの見たことない」とダニエルが言うので「これはMade in Japanだ。私の"endless holiday"が終わったら送るよ。ああ、そうだ、日本にはうまいビールがあるんだ。ビールも送ってやるよ。」
と私が言うと、「いいんだ、シマ、いいんだ、そんなの」としきりに言った。

私は彼に何をしてあげられたんだろう?


今でも思い出す、はじめてダニエルに会った日のこと。
雨の中スーパーを探して彷徨っていると、一緒にスーパーまでいってくれたこと。でっかいビール二人で飲んで、さんざん話して、食事をして休んでいると、彼が新しいビールを買ってきて、「これは君の分だ」と言った彼の笑顔、なんとも印象的だった。

毎日、走り終わるとテントを張りながら、二人でビールを飲み、(となりでルティアは呆れていたが)たくさんのことをお互い下手くそな英語で話した。

私たちは分かり合っていた、と思う。

私は足を痛めて走るのが本当に辛いときもあった。
テントのポールが折れて、途方に暮れたこともあった。
降りしきる雨と強風の中、諦めてしまいそうなこともあった。

そんなとき、いつも励まし、助けてくれたのがダニエルだった。

 

「シマ、ノープロブレムさ!」

私とは20歳も違うのにガンガン峠を上り、私のような中途半端な若造を励まし、前へと進む力を与えてくれた彼は本当にかっこいいと思う。

彼はこれから南に向かい、あと2週間もすれば国へ帰る。


もう、会うことはないかもしれない。


それに気がついたとき、とても寂しくなって、
別れ際、お互いどうしたらいいか分からない私たちは
ただ、うつむいた。

 

キャンプ場で、荷造りを終えたダニエルは、最後に私とルティア、それぞれと固い握手を交わし、私たちに見送られながら、いつものように走り去って行った。

 

さらば友よ。

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 [ダニエルはカステリのジャージとビールが本当によく似合う]

 

ルティアのほうはと言えば、彼女もこの日、ネイピアを離れるのだが、バスで一旦移動するという。

「さて、私も行かないと。シマ、予定は?私バスの時間までしばらくあるから、少しつきあって。」

 

私はルティアに誘われるがまま、ネイピアの街に出た。街は相変わらず祭り騒がしい。

 

私たちは一軒のベーカリーでコーヒーを飲むことにした。

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カウンターのビスコッティを買おうとしたが、小銭がなくて困っていると、店の女性が笑って「ひとつあげる」といってビスコッティをくれた。

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[ビスコッティをくれた女性。サンドもおいしそう]

 

ルティアの好きな外の席で、しばらく話した。

ダニエルのこと、それから自分たちのこと。ルティアはまだ一か月程度旅を続けるので、南島のどこかで会えるのでは、ということになった。北島を出るとき、メールすると約束した。

 

「私、別れ際に湿っぽいのって嫌なの。じゃあねシマ。コーヒーありがと。」

素敵な40代のスイス人サイクリストはいつものやさしい笑顔で手を振り、去って行った。

 

私たちはそれぞれの道へ戻っていく。これが私たちの旅だから。私たちの道はまたどこかで交わうかもしれない。もう、二度と会うことはないかもしれない。それが分かっているからこそ、出会いを、自分の旅を大事にしようと強く思うのだ。

 

一期一会の言葉が身に染みる。

 

***

NZの旅から数か月後、ダニエルはフランスから絵葉書を送ってくれた。サイクリストの聖地モン・ヴァントゥの絵葉書だった。

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内容は”Hi,mate.We cycle for two weeks inFrance.A lot of greats. Daniel Kummer from Switzerland”と言う彼らしいシンプルなものだ。

 

それを見て一瞬、「誰だよ、"we"って。」と思ったが、きっと例のダニエルの倍ビールを飲むという彼女のことだろう。

おかしさやら懐かしさで私は静かに笑った。

 

祭りのさなかのネイピア -cycling NeaZealand -

ようやくやってきたネイピアの街は、ちょうど祭りの最中だった。

アールデコフェステイバルと呼ばれる祭りが行われており、クラシックカーとクラシックな装いをした紳士、淑女が街に溢れていた。

 

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 アールデコフェステイバルについての説明はニュージーランド政府観光局メディアサイト「100% PURE NEW ZEALAND」から引用させてもらう。

1931年、ホークスベイ地震が起き、ネーピアの街は壊滅的な被害を受けました。震災直後から街は復興に取り組み、当時流行っていたアールデコ様式の建築物を街づくりに取り入れたのでした。そういったことからこのフェスティバルの背景には、街の再建を支えたアールデコ建築の美しさを称えること、そして最も重要なことには、復興に向けてたゆまず努力をした人々へ敬意を示すことにあります。そして建築物はもちろん、アールデコのファッションや音楽、ヴィンテージカー、飛行機や蒸気機関車、ダンスなどアールデコの魅力あふれるエッセンスに触れ、その時代の空気を直に感じていただけるでしょう。

 

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ダニエル、ルティア、私の三人は、この日は自由行動ということで思い思いに街に散らばった。

私は街の高揚感に飲まれるようになんだかうきうきしながら街を歩いた。

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服装が決まっているマダムがいたので「写真撮ってもいい?」と聞くと「ちょっと待って、シガレットくわえるから」とポーズをとってくれた。

お茶目で素敵なマダムだった。

 

私にはただ街を歩き回る以外にも目的があった。

装備品の補充だ。

このニュージーランド北島は暑い陽気だが、南島は南下するにつれ寒くなるという。シルク製の寝袋のインナーシーツと3シーズンの寝袋、それからレインスパッツを買った。

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3シーズンの寝袋はほとんど使った記憶がなく、そしてこの写真を見返すまで、買ったことすら思い出せなかった代物だ。帰国してすぐ、だれかにくれてやったのかもしれない。とにかく今は持っていない。

 

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街のメインストリートでダニエルに出会った。買い物の話をし、シルクシーツをNZ大手のアウトドアメーカー「katmandu」のショップで買った、と言うと「カトマンズは安いし、ものもいい」と太鼓判を押してくれた。いい買い物をしたようだ。

実際、ちょっと寒いときや寝袋不要の暑さの時に使えるので、今でも重宝している。

「ところでダニエル。もうビールは飲んだのか」思い出したように私が言うと

「いや、飲んでない。バーに行こう。」とダニエルは即答した。

 

ダニエルがいい店を知っているようなので、そこに行くことにする。

バーに向かう道すがら、私は前から気になっていたことをダニエルに尋ねた。

「なぁダニエル、君の国には徴兵があるだろ、どんな感じだ?」

「大変だ。重たいライフルを担いで何キロも歩かないといけないし、自転車はシングルスピードだしな。」とダニエル。

「?自転車ってどういうことだ?」

ダニエルによれば、彼は徴兵されると自転車部隊の兵士として働くらしく、さらに自転車がシングルスピードなのは、故障が少ないから、らしい。ちなみに当日、スイス軍に配備されていた自転車はTREKだそうだ。

 

これは興味深い話が聞けた。やるなスイス軍。

 

そんなことを話しているうちにバーについた。

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私たちはバーのカウンターでビールを注文し、通りの見える席に着くと、私たちは満面の笑みでビールジョッキを掲げ、いつものように明るい時間から乾杯した。

 

 

 

"Evil Hill"を越えろ -cycling NewZealand -

三人で朝食を食べながら、この日のルートについて相談。120キロ越えのハードなルートだ。

ここ数日間のライドで左ひざと右のくるぶしが痛むようなり、そろそろ休息日を取りたいと思っていたが、目的地のネイピアまで行けば、三人それぞれ別ルートになり、この日のライドで三人一緒に走るのは最後。私は多少無理をしてでも三人でネイピアまで行きたかった。

ルティアが自分のドイツ語のガイドブックを開き、

「今日の峠は"Evil Hill"って言うみたい。いかにも辛そうね。ちょうどいいところにカフェもなさそうだから、スーパーに寄ってランチを買っていきましょう。」と言った。

"Evil Hill"なんて言われて、すこし怯んだが、きっとこの三人なら行ける、そう思った。今であれば、どんな峠だってペダルを漕ぐのを止めなければ、必ず頂上へたどり着ける、と自信を持って言えるが、当時はそこまでの経験も自信もなかった。

大げさだが、"Evil Hill"と言われてそのくらいビビッていたのだ。

 

出発前、ルティアの提案に従い、スーパーで買い物をする。ダニエルと私はマフィンを買った。ダニエルはバナナマフィンが好物らしい。私はブルーベリーマフィンを買った。

近頃は日本でも大きなマフィンを見るようになったが、マフィンが大きなリンゴぐらいあるのに最初は驚いたものだ。今でもバナナマフィンを食べると、ビールとバナナマフィンをこよなく愛するダニエルのことを懐かしく思い出す。

 

買い物の後、私は体を伸ばして二人が準備できるのを見ていた。
「今日はだれが先頭走るんだ?」私が尋ねると、
「シマ、あなたがリーダーよ」とルティアが言った。

私はルティアの言葉に少し驚いたが、なんだか気合いが入った。


「準備はいいかい?」
二人の顔を見る。いつも陽気ダニエルも少し真面目な顔をしてうなずいた。

「もちろん、いいわよ。」ルティアはいつものように今日の旅に期待に胸を躍らせているのがわかった。


ネイピアまで峠二つ含んだ120キロ。不安のあるルート。だが、今日の三人なら行ける、私は確信した。

 

この日の空も青と白の世界だった。

 

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Evil hillはなかなかの峠だった。とはいえ、もっときついのを想像していたので、頂上に着いたとき、やや拍子抜けだった。

頂上近くの原っぱで昼食。

私がコーヒーを淹れ、マフィンを食べていると、ルティアはハンドルバッグの中からナイフとニンジンを出すと器用にニンジンの皮を剥き始めた。そして先っぽからポリポリと食べ始めた。そんなふうにニンジンを食べるのを私は初めて見たので、びっくりした。こっちの人にすればまあ普通のことらしい。

その後もルティアはしばしばニンジンをポリポリ食べていた。

 

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その後、ないと思っていたカフェを見つけて迷わず入る。

なぜかネイティブアメリカンの装飾品の飾られたカフェだった。

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タープの下のテラス席はとても気持ちが良かった。

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日が少し傾き始めた頃、ネイピアの街についた。

 

私は嬉しくて、思わず「着いたぞ!!」と叫んだ。

 

キャンプ場にチェックイン。

ダニエルとルティアは2泊、私は4泊することにした。

「4泊!」とダニエルは驚いていたが、私には休息が必要だったし、久しぶりの街であったから、ゆっくりしながら、今後の計画もゆっくり立てたかった。

 

夜はキャンプ場の隣のレストランで三人でこれまでともに走った日々に乾杯した。

ダニエルとルティア、彼らに出会うことが出来て、ともにここまで来られたこと、そのことに心から感謝した。

そして、二人の笑顔を見ながら、あんな人になれたら、と思った。

ステーキとビールとチャイニーズtake away -cycling NewZealand -

朝、チェンはバスでロトルアに行くため、ギズボンで別れた。

 

再び、ダニエルとルティア、私の3人になった。私たちはギズボンから約220キロ離れたNapierまで共に行くことを決めていた。

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[この日も暑く眩しい日だった]

 

朝、テント撤収すると、テントのポールが継ぎ目のところで繊維が裂けるようにパキパキと破断した。私は絶句した。旅の中で最も重要な道具といっても過言では無いテントのポール。これがないとテントが自立しない。それほど重要なテントポールが割れてしまったのだ。

このギスボンにアウトドア用品の店などあるのだろうか。

私がおろおろしていると、ダニエルが何事かと近寄ってきた。私は事情を話した。ダニエルは少し考えた後、ポールのリペアパイプを持っていないか私に聞いてきた。

テントは製品によっては、ポールが折れた場合に、応急処置できるようリペアパイプが付属している場合があるが、私のテントには付いていなかった。いろいろな状況を想定してきたはずだったが、ここでテントポールが破断するなんて思ってもみなかった。それだけ甘かったということだ。

ダニエルが何かないかと言われ、タープ用ポールがあるのを思い出し取りだした。長さはテントに使うには短いうえ、太さも少し太い。それを見てダニエルが、「シマ、これ切ってもいいか?」と彼はビクトリノックスのナイフを取り出すと、ノコギリ部分でポールを切り始めた。切り出したポールを少し地面のコンクリートで削って表面を整えると、テントポールの上にかぶせ、グルグルとダクトテープを巻いた。

「これで大丈夫だ、シマ」とダニエルは自身に満ちた笑みを浮かべた。

少し前まで私は何ともならないと思っていたトラブルを解決してくれたダニエル。

旅人としての経験値の違いを実感した。そして、彼が一緒にいてくれたことを心から感謝した。

 

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トラブルも解決し、三人で走り出す。

健脚のダニエルは峠で先にいってしまうこともあったが、遅れるルティアや私のペースに合わせたりもしてくてた。

三人のともお互いのペースに慣れてきて、とても一体感があった。

 

私は膝の痛みが日に日に辛くなっていたが、ネイピアまでは何とか三人で行きたかった。ネイピアから先は、3人ともそれぞれの目的地に向かうことになっており、そこまではがんばりたかった。

 

この日の目的地Wairoaに到着。

 

キャンプ場にチェックインし、おのおの、自分の寝床づくり。

ダニエルに補強してもらったポールは問題なし。驚くことだが、結局そのまま数年間使用した。

 

テントを張っていると、ダニエルがどこで仕入れたのかビールを持って戻ってきた。

「シマ、今日はビール12本だぞ!」ダニエルは高々とダースのビールを掲げた。

「またそんなに飲むの?」ルティアは呆れ顔だ。

そんな呆れ顔のルティアにも1本ビールを渡し、みんなで乾杯。

ビールを飲みながら、テント設営。そうこうして1本目のビールが空くころ、ダニエルが2本目をよこした。ダニエルはよく分かっている。

 

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[キャンプ場にあった車。開けると・・・]

 

 

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[バーベキューコンロ!!!]

 

誰が言い出したか、今日はみんなでステーキを食べに行こうということになり、キャンプ場で紹介してもらった店へ。

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三人でステーキを注文し、やっぱり乾杯。

ルティアはパンを使って上品に皿をきれいにして食べていた。

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ステーキはなるほど美味しかったが、「おや」っというほど小さく、私もダニエルもペロッと食べてしまった。

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[店の入り口のタイル。ブレブレ]

ステーキを食べ、店を後にし、キャンプ場に戻ろうとすると、通りのチャイニーズのtake away(持ち帰り)の店が開いていた。

 「なあ、ダニエル、まだフライドライスくらい食べられそうなんだが、いっしょにどうだ?」思った以上にステーキが足りなかったのでダニエルに聞くと、やはり彼もまだ、満腹とは程遠いらしい。

「いいね。コーラも飲みたい」とダニエル。それを聞いたルティアは「あなたたち本気なの?もう。」とまたまた完全に呆れ顔だ。

ルティアは「先に帰るわね」と先にキャンプ場に戻っていった。

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[夜の街で出会った犬]

 

NZ滞在中、米が食べたいときはよくチャイニーズのtake awayをよく使った。持ち帰りのパックのサイズで値段が決まっていて、チャーハン(フライドライス)や春巻、ギョーザなどの惣菜がつめ放題になっている。余談だが、NZのチャイニーズに行くまで春巻の英語がまんま”Spring Roll”というのを知らなかった。

店内にはテーブルがあったので、そこでダニエルとコーラで乾杯し、二度目の晩御飯を二人で満喫した。

 

空腹を満たしたダニエルと私は、幸せな気持ちでキャンプ場に戻り、再びビールを開けた。

Prost !

 

 

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NZトラフィックジャム - cycling NewZealand -

気持ちよく下り坂を下っていると先を行くダニエルが、ブレーキをかけて止まった。何かと思えば、前方には牛の群れ。

「すごいな、ダニエル。日本でトラフィックジャムといえば車だが、NZは牛なんだな」と私が言うとダニエルが「ハハッ」と声をあげて笑った。

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カールが抜けて、チェン、ダニエル、ルティアの 4人になった我々は、思い思いのペースで走っていた。チェンはロードで平地は楽そうだが、上りはギアが重くとてもつらそうだった。道は朝から上りが多い。

みんなそれぞれのペースなんで、私は景色のいいところで休憩しながら写真を何枚も撮った。

 

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[海沿いの道はアップダウンが続く]

Tolaga Bayという街の素敵なカフェでみんなで休憩。ホテルの一角がカフェになっているらしい。

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[洒落た店内に地元の人だろうか、タンクトップの男性がいるのが笑えた]

カフェと言えば、カフェに入るとたいてい、カプチーノかブラックコーヒーを頼むようになっていたが、このころぐらいまでどちらを頼むときも困っていた。

カプチーノを頼むと「Cinnamon or chocolate on top ?」と聞かれることが多いのだが、ずっと「シナモン」が聞き取れずにいつも「チョコレート」と答える日々が続いていた。或る日、シナモンが聞き取れて、「ああ、シナモンね!」と激しく納得したのを覚えている。

それからNZのカフェでコーヒーとオーダーすると、ミルクと砂糖の入ったコーヒーが出てきて、ブラックコーヒーは出てこない。NZの人はブラックコーヒーを飲まないのかとも思ったが、ほかの客を観察しているとそうでもないようだった。こちらも或る日、「Longblack」がいわゆるブラックコーヒーであることに気が付いた。

こんなことに気が付くまでに1週間以上かかっているということから、私の英語力がどの程度かは容易に察しがつくと思う。

ちなみに「Shortblack」と言うとエスプレッソが出てくるそうだ。

 

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[ルティアはテラス席が好き]

 

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[私は旅の間、カフェでチーズケーキとマフィンばかり食べていた]

 

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強烈な日差しが照りつける中、アップダウンの続く道を走り続けるのはなかなか大変だった。この頃、左ひざの調子がだんだん悪くなってきていて、上りが本当につらかった。

 

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[昔、よく読んだウォラーの『ボーダーミュージック』に出てきそうな家]

 

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しばらくいいペースで走り続け、海岸に出られる場所があったので、道を外れ、海岸に出た。

 

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[右からチェン、ルティア、ダニエル、私]

 

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[ダニエルのバイク。スイスのハンドメイドバイクらしい]

 

比較的早い時間に、目的の街Gisborneに到着。街についてもそこから、スーパーで夕食の買い物をし、キャンプ場まで行って、テントを張り、ビールを飲み、夕食を作ってビールを飲まないといけないから、少し早いぐらいの時間でつくのがいい。

120キロぐらい走った気分だったが、実際は90キロほどしか走っていなかったようだ。

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[ルティアのテント。私の好きなJackwolfskinのテント]

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[チェンのテント]

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[私のテント。使いすぎて床の防水が相当弱くなっていた]

 

チェンがここで別れることになったので、夜でみんなで飲みに行こうということになった。

 

まずは各自、腹ごしらえ。

私はスーパーでアボカドが安かったので、それとサーモンを購入し、アボカドサーモン丼を作った。米を炊いている間に、750mlのビールを空けたらけっこうアルコールが回ってしまった。チェンは私の食事を怪訝な表情で見ていたが、あとでなぜか米をくれた。

 

飲みに出かける前、チェンが「僕、長そでの服とかフォーマルな服持ってないんだ。大丈夫かな」と真面目な心配をしていたので、「そんな店行かないよ。おれだってこの恰好さ」と私はTシャツ、ハーフパンツ姿で答えた。

 

暗くなる少し前、街に出て小さな店に入った。みんなで乾杯。ダニエルがビールの王冠を素手で開けたのでビックリしていると、なんてことはない、頭は王冠でもスクリュートップになっているのだ。海外のビールではよくあることのようだ。

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それぞれのことをあれやこれや話す。チェンはマレーシアの大手通信会社に勤めており、休暇できているらしい。そのうち北海道にも行ってみたい、とも言っていた。店を出る前、みんなでメールアドレスや住所を交換し、暗くなった街をキャンプ場へと戻った。

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TOUR of EAST CAPE - cycling NewZealand -

陸地の先っぽに立って世界を眺めると、空と海はどこまでも青く、水平線で淡く溶け合っていた。

遠くではやさしい色をしている空だが、私の真上では見るもの全ての印象を一色にしてしまうほどの濃厚な青の世界が広がっている。

その中で唯一、存在感を際立たせているのは、地上のものを容赦なく照りつける白い太陽だけだった。

文字通り肌を焼く日差しに私は目を細めた。

 

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「今日も暑いわね。シマ、あなたちゃんとクリーム塗ったの?また耳だけ日焼けするわよ。私が塗ってあげまちょうか?」
ルティアがおどけながら、注意してくれた。ニュージーランドは紫外線が非常に強く、マメにUVクリームを塗るのかわ欠かせない。私がその辺いい加減なので、ルティアは心配してくれたようだ。ルティアはなにかにつけて私の心配をしてくれる。私はそんなに頼りないように見えるのだろうか。

ニュージーランド北島、イーストケープ。
ニュージーランドの最東端に位置し、世界で最初に朝日が昇るといわれる半島をルティア、ダニエル、私の三人ですでに半分回った。

朝、Te Kahaのバックパッカーで見かけたアジア人がいたので話をした。彼はマレーシア人で名をチャンという。彼はロードバイクで旅をしていた。

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キャンプ場には他にもサイクリストがいて、そのドイツ人サイクリスト、カールを加えてこの旅最大の五人で出発した。



計画性も無く、国も違う五人が一緒にツーリングをすれば面倒なことになりそうだが、みんな旅慣れたサイクリストだった。

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[朝立ち寄ったpohutukawaの古木。pohutukawaはニュージーランドクリスマスツリーと言われる木で、これが最も古いそうだ]


それぞれでペースの合う人間と走り、時に勝手に止っては写真を撮ったり休憩したりしていた。すぐ先に行ってしまうダニエルも適当なカフェで待っていたりした。
みんな勝手で気を遣わなが、なんとなくみんな一緒。この集団は心地よかった。

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[Tikitikiにあるセント・メアリー教会。建築は洋風だが、内装はマオリ風。]

 

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[イーストランドはマオリの文化が濃い]

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昼食はTikitikiにあったポストオフィス、集会所、カフェが集まっているところで食べた。

昔のアメリカ映画に出てきそうな、なんだか時間に取り残されたようなところだ。ダニエルは「なんてビックシティだ」と言っていた。

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[カフェのおばさんは見事なほどに無愛想]

チェンはベジタリアンで、フルーツバーガーう注文したが、普通のハンバーガー中にパインが挟んであるだけだったので、肉はダニエルに食べてもらっていた。

 

昼食を食べているとテレビでは大昔の映画をやっていた。途中、バレンタインのCMが流れた。ああそうか、明日はバレンタインだ。チェンが「君は彼女がいるのか。」と聞いてきたので「ああ、でもバレンタインなんて忘れてたよ。」 と私が答えて、2人で苦笑した。

さらにチェンが「彼女に『アイシテルー』って言うの?」と日本語で言うもんだからびっくりした。「そんなのシリアスな時にしか言わないよ」と答えると「何だ、君と彼女はシリアスなのか」と言われ、英語は難しいなと思った。

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昼食後、おのおの出発の準備をしていると、ポストオフィスのカウンターに誰かのパスポートが置いてあった。

ダニエルが中身を検める。

 

カールのものだった。

 

しばらくして、カールが建物から出てきた。

そしてパスポートがないことに気が付き、慌てはじめると、ダニエルが意地の悪い笑顔を浮かべながら、ドイツ語で何か言った。不思議なものでこの手のやり取りは身振りだけで十分わかる。

カールは少しダニエルにからかわれて、パスポートを取り戻した。

 

出発前、カフェの外で作業人の男性がルティアに声をかけた。
「何人いるんだ。リーダーは?」

ルティアは振り向いて 「五人よ。リーダー?いないわ」と笑った。


午後も相変わらず日差しが強い。道が上りになるとダニエルとカールがあっという間にいなくなってしまう。私はチェンとそこそこで上っていった。タフなルティアもこの日ばかりは遅れをとっていた。

 

途中の店で、みんなを待たせたから、と言ってルティアがアイスをおごってくれた。NZはアイスが安い。2スクープ、つまりサーティーワンで言うところのダブルで1.6ドル。当時1ドル70円程度なので相当安いんじゃないだろうか。

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夕方、Tokomaru Bayの街に到着。ここでカールとは別れた。

残りの4人でキャンプ場へ。

 

キャンプ場でスーパーの場所を確認し、近所のスーパーにいつものように買い出しに行く。FourSqureというNZの田舎によくあるスーパーにはビールがなかったので仕方なくワインを買った。

 

キャンプ場の外のテーブルに座り日記を書きながら、ワインを飲んでいると、ダニエルが「シマ、ワインをくれ」とカップを出してきた。そうかダニエルはビールだけでなくワインを飲むのか。そりゃそうだよな、スイス人だもんな。私は彼のカップにワインを注いでやった。

 

少し離れたところでマオリの一家が楽しそうにしてるなと思ったら、ゴルフボールがテーブルの上に飛んできた。

びっくりしてボールの飛んできた方を見ると、感じの良いマオリのお母さんが、ゴルフクラブを振りながら、「ごめんなさいねー。」と遠くから声をかけてきた。

日本でなら怒っているところだが、なんともNZらしくて、怒る気も起きなかった。

ダニエルと私は、ワインの入ったカップを持ち上げて、軽く会釈した。

 

ささいなことは何事もないように許せてしまう。これもニュージーランドの雰囲気なのだろう。ニュージーランドの一日はいろんなことがあっても、静かに緩やかに終わっていく。

私は空になったダニエルのカップにワインを注いでやった。

 

海岸へ - cycling NewZealand -

快晴。実に2日ぶりだ。朝からベーコン焼いていると、ルティアが「シマ、ランチ作ってるの?」と聞いてきた。ルティアはあまり朝から肉は食べないらしい。
「日本人は朝何を食べるの」と聞かれたので、「ライスと味噌スープ、それからフィッシュだ」と、答えておいた。通じただろうか?

 

バックパッカーを出るとき、アジア人にすれ違った。日本人かな。と思ったがよく分からなかった。

貸切別荘のような素敵なバックパッカーを後にして、スイス人2人と共にひたすら走る。この日は私が前を引いた。

快晴というだけで非常に気分がいい。海岸沿いの道を東へ進む。

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どこを切り取っても美しい景色が続く。ペダルを踏むたび、汗が噴き出す。前日の雨の寒さが嘘のようだ。

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[休憩中のルティア]

 

途中の街で昼食。「いい天気だから、外の席で食べましょう」とルティアが言った。日本人はテラス席があっても、あまり使わないことが多いが、外で食べるのは、なるほど気持ちがいい。ダニエルはまたビールを飲んでいた。彼がビールを飲んでいるとビールが本当にソフトドリンクではないかと思えてくる。

 

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[駐車場では犬が休憩していた。海外の犬の行儀がいいのはなぜだろう]

 

午後からもいいペースで走り、この日の目的地Te Araroaに到着。予定よりも早い時間にホリデーパーク(キャンプ場)に着くことができた。アップダウンが比較的少ないとはいえ、90キロ走ったので悪くない。天気がいいと、こうも違うものか。

ホリデーパーク内には、移動販売車がいて、バーガーやフィッシュ&チップス、それにビールを売っていた。

 

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 [田舎なので高くつくかと思ったが、良心的な値段だった]

 

せっかくなので、三人で夕食はそこで食べることにした。

英国系のニュージーランドは食文化にもその影響があり、フィッシュ&チップスはメジャーな食事だ。しかし、私はNZに来てからこれまで食べたことがなかった。いい機会なのでフィッシュ&チップスを初体験した。

 

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 [NZのビールと言えばこのSteinlager。味は…]

 

他にバーガーか何か注文しないと足りないかと思ったが、魚は30cm近くあるし、ポテトも山盛りで、一日走った空腹のお腹にも十分な量だった。そして安くて美味しかった。これ以降、しばしばフィッシュ&チップスにはお世話になった。

 

食事後、まだ明るかったので、近くのビーチに行こうということになった。ホリデーパークからビーチに続く小道があった。

 

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[この看板がお気に入り。ここから海岸線へ]

 

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[ビーチに向かって歩いていくダニエルとルティア]

 

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 途中、きれいな小川を越えて行くと、急に視界が開けた。

 

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なんて素敵な海なんだろう。

波打ち際でしばらく、海を見つめていた。

写真を撮っているとルティアが話しかけきた。

「シマ、カメラ貸して。」ぼーっと海を見ていた私は言われるがまま、ルティアにカメラを渡すと、私の写真を撮ってくれた。

「いいのが撮れたわよ、シマ」ルティアが微笑を浮かべて、カメラを返してよこした。

 

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 これほどリラックスして、何をしてもいい時間を楽しんだのはNZに来て以来、初めてだったかもしれない、と思う。

 

少し暗くなり始めるころ、私たちはキャンプ場へ戻った。

 

 

旅するサイクリストたち - cycling NewZealand -

 

この日は初めて終日、雨の中を走った。

 

キャンプ場で朝食をダニエルと食べていると、雨が降り出して来た。慌てて屋根のあるところにテントを移動させ、撤収。

撤収は少し大変だったが、走り出せば何とかなった。

 

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雨のPapamoreBeachを後にし、途中雨が止み、ウェアを脱ぐ。

しかし、しばらくするとまた雨が降りまたウェアを着込む。

「It's New Zealand!」

 

私がうんざりしながらウェアを着たり、脱いだりしていると、

ダニエルがそう繰り返す。

 

なるほど。

 

これがニュージーランドの天気のなのだ。

この天気とうまく付き合方を覚えていかなければいけない。

 

ルートは幸い平坦だった。

もし風が強く雨で上り坂ばかりで、しかも1人で走っていたら、

きっと惨めな思いをしていただろう。

しかし実際はダニエルがいてくれて

私が遅れれば、「no problem!no problem!」とか、

雨が瞬間、激しくなったりすれば「too much rain!」とか、いろいろ声をかけてくれたのでなんだか落ち着いた。

 

ただ、休憩を取ろうにも、途中何もないところが続き辛かった。

 

Matataという街で昼食。

ニュージーランドにはよくある小さな小さな町で

これまた小さなカフェで何とか食事ができた。

 

テーブルが数席しかなく、われわれは扉のそばの席についた。

雨の中も濡れて走った私からすれば、屋内で食事ができるだけでもありがたかった。

だがダニエルはもっと良い店で食事がしたいらしくずっと不平を口にしていた。

やはり、ダニエルはお金にゆとりがあるようだ。

 

小さなカフェでは繁盛しているようで、

途中たくさんの人が車でやってきてはバーガーを買って帰ったり、

車で食べていたりした。

 

午後からはとてもよく走り、目的の街、Whakataneまで

比較的早い時間に着くことができた。

もっとも、このペースがダニエルにとって早いペースかどうかは不明だが…

 

不要な荷物を送ろうと思ってポストオフィスに行こうとしたが、

ダニエルにうまく伝えることができなかった。

彼はスイス人で、英語もそこそこといったところで、

一方、私の英語力も褒められたものではないので、仕方がなかったのだが。

 

ワカタネの町では、バックパッカーズに泊まった。

ダニエルはテントにしたいと言い張ったが、

私はずぶ濡れの中、街まで来たのだから、暖かい布団で寝たかった。

ダニエルは知らない奴と一緒に寝るのがどうにも気に入らないらしく、

随分抵抗したが、幸い部屋はダニエルと私の2人で使うことが出来た。

 

チェックインの手続きをしながら宿の女性と話すと、

彼女は日本に行ったことがあるらしく少しそんな話題で盛り上がった。

また、子供の頃、父親と一緒に自転車で旅をしていたことがある、

とも言っていた。

ニュージーランドではこうした人にほんとによく出会う。

 

日本では特別に思えることを彼らは普通のことのように話す。

こういうことを経験してきた人が普通にいる。そしてみんないい顔している。

今、自分がしている旅は決して特別なことではない、と思えた。

 

宿では意外な再会があった。

 

タイルアのキャンプ場で出会ったスイス人の女性サイクリストだ。

走るルートが同じようだったので、いつか会うこともあるかなと思っていたが、思いのほか早く再会を果たした。

食事を済ませた後、彼女が話をした。名前をルティアと言った。

 

ルティアの英語は非常にわかりやすく、私の英語力でもそこそこ会話ができた。

彼女と話すのはとても楽しかった。

 

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 [ブリコのサングラスが似合うルティア]


朝、出発の準備をしていると、ダニエルとルティアが私を待っていた。

どういうことか、と訝しく思ったが、

どうやら昨夜のうちにダニエルとルティアの間で、一緒に行こう、

と言うことで話がまとまったらしい。

そういえば彼らは2人ともジャーマンスイスだった。

 

ルティアは本当によく走るので驚いた。

私はなかなかついていけずに、ヒーヒー言っていた。

私の様子を見たルティアが「あなた、サドルがちょっと低いんじゃないの?」と指摘してくれた。


なるほど。そういえば。

今もポジションは比較的無頓着だが、この頃は相当だった。

 

サドルを上げポジションを調整すると膝の負担がかなり減り、

ルティアにもついていけるようになった。


Opotikiという街まで45キロほど飛ばす。

この2人と一緒ならずっといいペースで走れそうだ。

朝は、ろくについていけずに「もうほっといてくれよ」などと思ったが、

2人の助けのおかげでポジティブな気持ちになれた。

 

本当に2人には感謝の気持ちでいっぱいだった。


この日の昼食は、Te Kahaの前のどこかの街でで食べたようだ。

当時の日記では「テカハで食べた」となっているが、

当日はテカハで泊まっているため、おそらくその手前のTorereかOmaioだろう。

 

店でダニエルとルティアはtoday's specialを注文していたが、

私はどうしてもバーガーが食べたい気分だったので、

バーガーをオーダーしたが、出てきたのは、

2人のtoday's specialが食べ終わる頃だった。

運んできた店の女性に、遅いよと言ったら、そんなの注文する方が悪いのよ、と言われた。


2人を待たせては申し訳ないと思い、私は慌ててバーガーにかじりついていると、

ダニエルはその様子をハンディカムで撮影していた。

かなりあわてて食べていたのだろう、ダニエルはその後、旅の途中、

ビールを飲みながら、何度も見返しは大笑いしていた。

 

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今日も途中雨が降ったりやんだりの繰り返しだったが、

ウェアを来たり脱いだりを繰り返してうまく走ることができた。

私は雨が降ったりしてネガティブな要素が出てくるとすぐ弱気なってしまう。
2人はいつもポジティブだ。

「100キロ?大丈夫でしょ。」と、言った感じだ。


日本ではキャンプ道具を積んで自転車で旅をするのは、学生がほとんどだ。

日本では、そんなのは学生のやることだ、というある種の固定観念があると思う。

ダニエルもルティアも当時40代だったが、決して彼らは特別な存在ではない。

その後、旅をした国で、国籍も年齢も性別も違う多くの旅するサイクリストに出会った。皆、ダニエルやルティアのように心から自転車の旅を楽しんでいた。

 

彼らのような40代になろう、と心に誓った。

 


この日は110キロほど走り、テカハのバックパッカーへ。

ここのはとても良いところで、15ドルでキッチン、ダイニング、テレビ付き。

しかも、受付のところはジェネラルストアになっており、野菜やビールも手に入った。

言うことなしだ。

しかも3人で1部屋が使えたので、一気にリラックスできた。

 

そして例のごとくダニエルがビールを半ダース買ってきた。

 

部屋のキッチンで3人で、それぞれ持っていた食材を出し合って、一緒にパスタを作った。

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ダニエルの買ってきたビールを飲みながら、3人で大いに盛り上がった。

 

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その男 -Cycling NewZealand-

ダニエル・クーマーに出会ったのは、Waihiの街だった。

彼に会わなければ、私の人生は大きく変わっていたと思う。
旅と日常とどう付き合って生きていくのか、
そうした人生の可能性を私に教えてくれた男であり、
数年後、私がタスマニアに行くきっかけを作った男でもある。


*******

Tairuaを出た後、あまりペースが上がらず、
ダラダラ走っていたが、午後になり雨模様になった。

雨は容赦なく身体を打ち付ける。

濡れて冷えた身体から、体温がじわじわ奪われていく。
 だんだん気持ちが重くなるのも当然だろう。


Waihiの街に着く頃には、雨はだいぶ弱くなっていた。
泊まるところを探すため、インフォメーションセンターを探したが、見つからなかった。
Tiptopのアイスクリーム屋に入り、店のじいさんに道を聞いた。
じいさん耳は遠いが、ちゃんと教えてくれた。

余談だが、インフォメーションセンターの看板を見つけて入った建物は別の施設だった。
のちにWaihiに行った友人にその話をしたら、
彼女も同じように間違えた、と言っていた。どうもあそこは分かりにくい。


インフォメーションセンターには、いかにも世話好きな感じの年配の女性がおり、
こちらが何か言う前に向うからあれこれ聞いてくれた。
紹介してくれたキャンプ場はバックパッカーズもキャビンもあり、
今日ならバックパッカーズもキャビンも空きがある、とのことだった。

インフォメーションセンターの女性はとてもゆっくり話してくれて、
私でも十分に英語が理解できた。
これは私の思い込みかもしれないが、クレバーな人ほど、
相手の語学力を配慮して、ゆっくり話してくれることが多い気がする。


泊まる所へ行く前に、スーパーで買出しをしなければ、と街をさまよっていると、
ひとりの長身のサイクリストが声をかけてきた。


それがダニエルだった。


私が何か聞いたわけでもなく、私の姿を認めると
「スーパーか?スーパーなら、こっちだ。キャンプ場ならあっちだ。」と教えてくれた。
「スーパー、そのあとキャンプ場だ」というと、
いっしょにスーパーに行ってくれ、さらにキャンプ場まで連れて行ってくれた。


この男は何者だろう?


キャンプ場では、結局バックパッカーズを取った。
このずぶ濡れの状態で、テントを張る気にはなれなかった。
幸い、この日はあまり宿泊客がいなかったようで、部屋は私ひとりだった。
荷物を広げ、濡れたものを乾かす。


疲れたな。


窓の外を見ると、個人用のキャビンの前に先ほどのサイクリストのバイクが見えた。



彼はキャビンか。いい身分だな。

キャビンは戸建ての個室なので、どうしても高くつく。
相部屋の2,3倍はかかるのではないだろうか。
結局、私はこの旅の間、使うことはなかった。


夕食の支度でもするか、と思っていると誰かが、部屋をノックした。

出てみると、先ほどのサイクリストだ。



「ハイ、ビール飲もう!」そう言って、笑顔ででかいビール瓶を差し出してきた。

私は少し面食らったが、悪いやつではなさそうなので、
部屋の中に招き入れ、座ってとりあえず乾杯した。


彼は自分のことをいろいろ話し始めた。


彼は名をダニエル・クーマーといい、ドイツ系スイスで歳は44歳。
国ではペインターをしており、けっこういい稼ぎがあるらしい。
冬の間、だいたい2か月ぐらい海外を自転車で回るのが毎年の通例だという。

なんて羨ましい生活をしているんだ。
海外の人は休みが長く取れるとは聞いていたが、これほどとは。

ダニエルはニュージーランドに来るのは7回目で、
これから北島を回り、南島のクライストチャーチを目指すという。

彼は他にも、自分の自転車のことや、当時活躍していた自転車選手のことなど、
ほんとうにいろいろ話した。

特に自転車選手の話は盛り上がった。
彼はパンターニチッポリーニが特に好きだという。
彼は仕事用の車をチッポリーニ風にゼブラに塗ったといって、写真を見せてくれた。


ダニエルが自分のキャビンに戻っていった後、夕食を作りにキッチンへ行った。


スーパーで買った牛肉で牛丼を作ったが、肉が厚くてあまりうまくできなかった。
このころは食事で苦戦していたことが多かった。



そんな夕食をひとりで取っていると、またダニエルがビールを持って現れた。
「君の分だ。」持っていたビールを一本、私によこした。

それからまた、ビールを飲みながら長々と話をした。

朝食。トーストはバッグの中でひしゃげてしまう。



翌朝、雨も上がり、外で荷物をパッキングしていると、ダニエルが話しかけてきた。

「どこへ行くんだ?」

私は地図を広げて、
「タウポ、ロトルアに行きたいけど、その前にイーストケープを回りたいな。」
そう言うとダニエルが「おれもイーストケープに行くんだ。一緒に行こう!」と言い出した。


私はペースが遅いぞ、と言ったが、
「No problem, No problem!」と笑顔で繰り返すだけだった。


かくして、ダニエルとの旅が始まった。


私が前を走り、ダニエルが後ろからついてきた。


天気は幸い快晴。


彼は過去に同じルートを走ったことがあるようで、
道の分岐では、「あっちだ」とすぐ教えてくれた。

私は決していいペースではなかったが、ダニエルは私のペースに合わせてくれた。

途中、休憩を入れてTaurungaまで走る。




ウランガは明るい街だ。


しばらくぶりの都会。


昼食にしようということになり、
一軒のカレー屋に入った。

ダニエルは迷うことなく、ビールを注文した。
「ツーリング中もアルコール飲むのか?」私が尋ねると、
「何言ってるんだ。ビールはソフトドリンクだぞ。」とうまそうにビールを飲んだ。



運ばれてきたカレーは真っ赤だったが、見た目ほど辛くなかった。

昼食後は前後をダニエルと交代する。

始めは頑張ってついて行っていたが、すぐに大きく遅れてしまった。
ダニエルは折をみて、止まって待ってくれていた。
「遅れてしまっても君は困らないか。」と聞くと「いや、No problemだ」と言ってくれる。
ほんとうにやさしい男だ。


その後も、ペースが上がらず、
ウランガからそう遠くないPapamora Beachで一泊することになった。
ダニエルによれば、いいキャンプ場があるらしい。


街のスーパーで食事の材料を買う。
レジの女性が「バケーション?いいわね。」と声をかけてくれた。
私は笑顔で「Yes!」と答えた。

本当に何気ないやりとりだが、こういう些細なことは
10年たっても忘れないから不思議なものだ。


ダニエルはスーパーで売っていたビールの種類が気に入らなかったらしく、
別のリカーストアに行くといった。
私は1リットルの大きなビールをスーパーで買っていたので、外で待っていると、
ダニエルは6本パックのビールを買って出て来た。


「一人で全部飲むのか?」

「そりゃそうさ、こんなの4.9%か?ソフトドリンクだ、こんなの。
おれの彼女なんかもっと飲むんだぜ」と笑った。


まったく、どうなってるんだジャーマンスイス。


ダニエルが案内してくれたキャンプ場は「Top10 Holidayparks」というところが
経営するキャンプ場で、とても施設が清潔だった。

ダニエルはここの会員証を持っていて、会員料金だ。

会員証はユースの会員証などと同じで、20ドル(確か)。


作ろうかどうしようか悩んでいると受付の女性が
「何か月、ニュージーランドにいるの?2か月?
ならかえって高くついちゃうかも。
使う見込みがあればいいけど、予定がないなら無理に作らなくてもいいんじゃないかしら」
と言ってくれた。

こんなにちゃんとしたキャンプ場を運営しているのに、
商売第一じゃないとこにとても好感が持てた。

その後も似たようなことがあったが、
ニュージーランドの人はほんとうに相手のことを考えてアドバイスをくれる。
ニュージーランドの印象がずっといいのは、あの美しい景色のせいだけではないと思う。

左が私のMTB、右がダニエルのもの




受付を済ませ、目の前にビーチの広がるところでテントを張っていると、
早速、ダニエルはビールを出した。また一本くれる。

「乾杯はドイツ語で何ていうんだっけ?」
「プロッシュトだ」

「プロッシュト、ダニエル」

私がビールを軽く掲げると
「プロッシュト!ええっとお前名前なんだっけ?」とダニエルが聞いてきた。

おい、今頃かよ。

「シマだ。シマ。コンポーネントシマノのシマだ」。そう説明すると、

シマノ、シマ!プロッシュト!」ダニエルはようやく私の名前を覚えたようだ。


少し雲は出ていたが、せっかくのビーチなので少し泳いだ。


ダニエルに泳がないのか、と聞くと泳がないという。
海がない国の人間なので、てっきり海にあこがれがあるのかと思ったら、そうでもないようだ。

ダニエルはかなりのアナログ人間らしく、
デジカメも持っていなければ、メールアドレスすら持っていなかった。


旅の記録は主にビデオカメラでするらしく、ビデオを回していた。


泳ぎ終わって、テントに戻ると、ダニエルがランドリーを洗ってくれるという。
走るペース合わせてもらったり、いろいろ助けてもらって申し訳なく思ったが、
ダニエルの方はさして気にしているわけでもなさそうだった。


ようやく、ニュージーランドに来て、1週間が経過しようとしていた。






Coromandel -Cycling NewZealand -

ようやくニュージーランドを自転車で走り始めた。


幸い天気は快晴。



Papakuraの駅を出ると、少し家が点在しているだけで、
あとは緑の広がるのどかな道が続いていた。



かつて自転車で旅をした北海道も広大だったが、
それよりもはるかに広く感じられる。

そして、空の青さが眩しい。
日本の空より青く見える。



オークランドから近いためか、多くのサイクリストとすれ違った。
みんな軽くあいさつをしてくれる。こういうのはいつでもうれしい。



やがて最初の町「Cleredon」に到着。
市街地はどこだろうと走っていくと、そのまま町の外に出てしまった。
小さい町だ。町と言うより集落と言ったほうがいいか。
集落が終わると急に建物がなくなるので、
日本との違いにおどろいたが、その後の小さな町はどこも似たようなものだった。

店があったところまで戻り、店に入る。
店主はマオリの人だった。

飲み物の補充にペプシワインオープナーやライターなど小物を買う。
このとき買ったフランス製のライターはとても使いにくかった。日本製はよく出来ているのを実感した。

支払いにクレジットカードを使い、漢字でサインをすると、
マオリの店主は不思議な顔をした。私は顔を見合わせて微笑んだ。




ツーリング初日はMirandaという街で一泊。温泉があり、体を休ませることが出来た。
もっとも温泉と言うよりは温水プールだったが。
それでも湯につかれるのはありがたかった。

翌日は朝方、曇り空だったが、出発する頃には晴れてきた。

ニュージーランドは日差しが強く、皮膚ガンの発病率が高い、と言われるが、なるほど日差しは強烈である。
前日に日焼けしたところが痛かった。

朝食をパンだけで済ませたせいか、走り出してしばらくすると猛烈におなかがすいた。
そういえば、この数日、パスタばかり食べている。肉もタマゴもご無沙汰だ。
「何かボリュームのあるもの食べたいな」一度そう思ったら、しばらく食べ物のことしか考えられなくなってしまった。

Thamesの街の手前でカフェを見つけて入った。
こういうローカルなカフェに入るのは初めてだ。少しどきどきした。

タマゴとベーコン、マッシュポテトのサンドとレモンシュガーの乗ったスィーツをもらう。
マオリ人の奥さんがとても感じが良かった。

ゆっくり食事をしていると、トラックの運転手がやってきて、
サンドウィッチを買うとすぐに出て行った。
何気ない光景だが、なんかこういうの海外っぽいなと思った。

Thamesの近くのワイナリー。白ワインを一本薦めてもらい購入



一日100キロくらい走るのが、日本での私のキャンプツーリングスタイルだが、
この日の目的地のThamesまで30キロ程度しかなく、のんびりしていた。

Thamesはちょっとした街だった。

メインストリートには大きな店もあり、賑やかだったが、
一本裏通りにはいると閑静な住宅街が広がっていた。
その先はもう海だ。



そんな住宅地の中にバックパッカーズはあった。


バックパッカーズに行くと、ドミトリー(相部屋)かテントサイトか訊かれる。
どういうことか確認すると、テントサイトは言ってみれば庭にテントを張って宿泊できるそうで、中のキッチンなどの共同スペースはドミトリーの客同様使っていいらしい。
外ということで、少し料金が安いようだ。
天気もよさそうなので、テントサイトにした。


ワイナリーで買ったワインを早速いただく


テントサイト、といっても宿の庭の一角にテントを張っていい場所がある、という程度だったが、テントを張ったら、なんだか落ち着いた。
やはり自分のテントが一番だ。長年使っているので、だいぶヨレヨレだが。

ニュージーランドが一人旅に向くと思う理由のひとつに、宿泊施設の充実性があると思う。
街の郊外にには「Bed & Breakfast(B&B)」と呼ばれる民宿のようなところが数多くあり、
また、街にはたいていキャンプ場がある。

街のキャンプ場はキッチンやリビングなどの共同施設が使えるというところが多く、
非常に快適である。

もちろん、我々が想像するようなキャンプ場も国立公園などには数多くあり、さすがはアウトドア大国である。


宿には猫が。ペットを飼っているアコモデーションも多い。



少し街を歩こうと宿を出ようとしたところで、宿のオーナーに会った。
手には竿と釣り道具。これから釣りに行くという。

釣れるといいな、
私は「Good luck!」と言うと彼は振り返り、「そうだな、おれには運が必要だよ」と苦笑し、
軽く手を上げて、海に向かって歩いて行った。

Thamesの海
 




Thamesから先、コロマンデル半島を回る。

 

コロマンデルの街。観光地とあって多くの人でにぎわっていた



ここはとにかく登りがきつかった。
その後、Auther’s PassやTakaka Hillといった有名な峠を登ったが、
ここの斜度は特筆ものだ。後にサイクリストと会うたびにここは話題になった。
(Auther’sPassも相当キツイが。)



キツイ中、なんとか100キロほど走り、日が暮れる頃、Whitiangaという街にたどり着いた。



もうほんとうにヘトヘトだった。
この街は観光地らしく、宿は高かったが、疲れていたので構わずベッドを取った。


部屋で荷物を解いていると、Jackwolfskinのジャケットを着た女性が話しかけてきた。
「あなたどこから?ここはいいところよ、長居するといいわ。コロマンデルは山を越えてきたの?私もあそこを越えてきたの。すごい坂よね。」
いかにも旅慣れたサイクリストらしく、日によく焼けた肌がとても健康そうだった。

キッチンで食事を作っているとやけに日本人が多いに気が付く。
一人つかまえて話を聞くと、ここには8人の日本人がスタッフとして働いているという。
なんでもオーナーが日本人好きらしい。

わざわざこんなところまで来て日本人と話していることに違和感を覚えた。

とはいえ、慣れない旅の始めで、日本人と話せることで少しほっとしたのも事実だ。

一通りニュージーランドを回ったという一人の日本人と仲良くなり、
いろいろ旅のアドヴァイスをもらった。

夕日のきれいな日だった


少し滞在すればいいじゃないかと薦められたが、宿代が高いこと、
それから日本人が多いのがどうにも耐えられず、翌日、朝食を食べると出発した。

 
Thames郊外の店。TIPTOPのアイスはおいしい

 


きのうの日本人に薦められたWhitianga から比較的近い
HaheiというところにあるCathedral Coveというところへ向かう。


とにかく絶景だから、ということだった。


自転車や車で行けるのは途中までで、Cathedral Coveまでは遊歩道になっていた。
海に向かう小さな半島の道は歩いていて、とても気持ちが良かった。


すれ違う観光客がみんな「ハイ!」とか「ハロー!」とか軽く挨拶してくれるのがうれしい。



30分ほど歩いただろうか。砂浜に出た。




「おお」私は思わず声を上げた。



ニュージーランドはほんとうに美しいところばかりだが、ここは最高だ。
海に浸食され、大きく削られた岩の向こうに青い空と海が見える。


また、ここがいいな、と思ったのはこの景色の中で普通に人が遊んでいることだ。
波と戯れたり、泳いだり、カヌーをしたり。



日本だったら、柵がしてあったり、遊泳禁止などと書いてあったりしてげんなりするが、
そういった余計なものがなくて、自然体で遊べることがよかった。

そんな様子をしばらく眺めたり、少し海に入ったりして楽しんだあと、Cathedral Coveを後にした。


途中、カフェ「Colenso Country Café&Counrtyshop」に入る。

庭の素敵なカフェだ。

 



ショーケースの中のパイを眺める。どれもおいしそうだ。
悩んでパイを二つとサラダを注文し、ペロッと平らげた。


北島にいる間は、昼はカフェで摂ることが多くなったのはこの頃からだ。
日記には「毎日、お金がかかって仕方がない」と書いているが、
こんなものを毎日食べて、酒も飲んでいたのでは当然だと思う。


その後はTairuaという街まで行った。

Pakuという山。マオリの言葉で"women's breasts"




キャンプ場に行くと、管理人不在。


入り口にメモが。


勝手にやっていいようだ。
キャンプ場には、私のほかにもサイクリストがいた。

一組はドイツから来た一家で、夫婦と10歳くらいの子と3歳ぐらいの子連れだった。
父親の自転車のサドルのところから、後輪の下に向かって一本パイプが伸びていて、そこにハンドルとペダルがついた椅子がついていて、子供はそれに座っていた。
(残念ながら同じものは日本で見たことがない)

アタッチメントの参考イメージ。こんな感じのバイクで子供を二人牽引していた。こんなに飛ばしてはないはず(笑)



父親はテントを張っている間、母親は洗濯をしており、まさに旅する家族といった感じだった。



ニュージーランドではキャンプ場のことを「Holiday Park」とか「Caravan Park」と呼ぶ。ニュージーランドではキャンピングカーなど旅をする人も多く、そうした人の利用も多いからそう呼ばれるのだと思うが、この家族は、まさにキャラバンだった。

あんな風に家族で旅をしたら、きっと子供の心にずっと残るだろうな。
私も家族とあんな旅がしてみたい。



もう一人は女性のサイクリストだった。



外のベンチで一緒に食事をした。
私はこの日、スーパーで玉子と鶏肉を買ったので、親子丼を作って食べていると、
「何それ?」と怪訝な顔で聞いてきた。とてもおいしそうには見えなかったのだろう。

親子丼をうまく説明できなかったので、「卵と鶏肉を使った日本料理だ」と説明しておいた。

彼女のほうはと言えば、フィッシュ&チップスを食べていた。
「とても大きくておいしいし、安かったのよ」と言っていた。

彼女はスイス人で43歳。スイスの人材派遣会社でマネージャーをしているという。
管理職でもこうしてキャンプ道具を満載した自転車で海外を旅が出来るなんて、素晴らしい。日本じゃ考えられない。
私は職場では一番下っ端だったのに、ここに来るために仕事を辞めて来なくてはならなかった。彼女の国との文化レベルの差を痛感した。


夕食を終えて、くつろいでいると、一人の男が近づいてきて、何か言った。


「オーナーだ」


はじめ何のことだ?と思ったが、スイス人サイクリストがパッと立ち上がり、
「あぁ、オーナー!お金払います!」とテントに戻っていった。


続く。。