定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

不思議なキャンプ場 - Cycling NewZealand -

ダニエルとルティアという素敵なサイクリストたちと別れ、再びひとりになった私は、しばしの休息を終え、ネイピアを後にした。

 

ネイピアからは海岸線を離れ、内陸のTaupoに向かう。

 

ネイピアからはしばらく平地が続く。

数日休息を取ったとはいえ、しばらく酷使し続けた膝の心配があったので、ペースはゆっくりとしたものだった。

 

道はやがて山岳に入っていく。

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ときおり休憩をしながら、ネイピアで買ったリンゴを齧った。

 

山道を走っているとアールデコフェスティバルに出ていたのだろうか、クラシックなオープンカーに乗った初老の夫婦が私を抜き去りながら、思いっきり手を振ってくれた。

私も思いっきり手を振り返した。

 

そう、一人でも、いつも誰かが応援してくれる。

 

こうやって元気をもらえば少しくらい膝が痛くても、ペダルは踏める。ペダルを踏めさえすれば、私たちはどこへでも行けるのだ。

 

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食事が出来そうな小さな集落があったが、さほど空腹でもなかったのでそのままパス。

すると、そこからずっとカフェも何もなかった。

 

そうなると腹が空いてくる。手持ちのもので、すぐ食べられそうな食料と言えば、ネイピアで買ったミューズリーバーが2本と、朝ごはんの残りのトーストが2枚、ヨーグルト、パワージェル、それから捨ててしまおうと思っていた潰れたキウィフルーツが残っているだけだった。

 

比較的大きな街の間の移動と思って、食料をあまり持ってこなかったが、こういうこともあるので、食料の予備はしっかり持っておかないといけないな、と改めて思った。

 

そういえば、ルティアはあれこれ食料を持ち歩いていたが、あれは見習わなければいけない。

 

残っていた食料を食べ、パワージェルを飲むと思いの外、すっきり飲めて驚いた。非常に味が濃く、普段はそのままだとなかなかか飲めないものだが、それほどに疲れていたのだと思う。こういうときに消耗していたことを自覚することは多い。

 

 

補給の後、あまりやる気が起きずに、だらだら走っていたが、峠の中ほどで空を見上げると太陽の回りに虹の輪が出来ていた。

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自転車を降りて、カメラのシャッターを切った。こうした景色との出会いが私の旅だ。

 

この日、三つ目の集落にたどり着く。少し先にアイスの店「TipTop」の看板が見えた。


「あぁ、アイス」

私は、店に吸い込まれていった。

 

アイス屋のおばさんは客にジョークを飛ばしながら、アイスを盛っていた。

私はクッキーアンドクリームをシングルで注文。シングル当時1.6ドル(120円ぐらい)だったが、ボリュームはサーティーワンのレギュラーダブルぐらいの印象だ。私が疲れた顔をしていたので、おばさんがサービスしてくれたのかもしれない。

 

アイスは最高にうまかった。

ほんとうにTiptopのアイスは美味しいと思う。

 

TipTopの集落から、道は大半が下りだった。やがてキャンプ場がある集落に着くが、肝心のキャンプ場が見当たらない。

 

どうしようか困ったところで、バーの外で草刈りをしていた男性に声をかけると「ここだ」と教えてくれた。
 
やれやれ。

 

バーに入ると、店の奥から年配の女性ひとり出て来た。先ほど草刈りをしていた男性の母親だろう。キャンプしたいというと10ドルだという。敷地の奥がキャンプ場になっているらしい。


まだ日は高かったが、ビールを頼んだ。

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ああダニエル、君の習慣はすっかり私のものになってしまったよ。

しばらくして、息子も戻ってきて、カウンターを挟んで話す。

客は私だけだ。

 

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自転車で旅をするなんて信じなれない、といった内容のよくする会話をしたと思う。

あと、店から30分ほどトレイルを歩くとHotspringsがあると教えてくれた。

ビールを空け、テントを張り、洗濯物まで片づけると、まだ日も高いのでHotspringsまで行くことにした。

 

トレイルの入り口までは分かりやすかったが、いざ道に入ると分かりにくく、何度も迷いそうになった。ほんとうに合っているか不安になりながら、歩き続けると
すこし開けた場所に出た。

 

そこには自然の中にいきなり不自然につくられた二つの浴槽が。

しかし、浴槽はカラだった。

私は周囲を探し、蛇口でもないか、と思ったがそれらしいものは発見できず、あきらめてバーに戻った。

 

バーで「バスタブは見つけたが、emptyだったよ」と、珍しく「empty」という単語がすぐ出てきて、我ながら驚いたが、そう言うと息子の方が驚いた様子で「ほんとうか、そんなはずはない」とわめいていた。


「悪かったな、あとで、プールに水を入れてやるよ」と彼は言い、ビールを一杯ごちそうしてくれた。


もう一杯飲みたかったが、息子はなんだがソワソワしていて、早く出て行ってほしそうだったので諦めてバーを出た。

私がバーを出た後、バーを閉めて母と息子は犬を車に乗せて出かけて行ってしまった。

 

その後も客は私一人だった。

 

夕食を食べながら、プールに水を入れてくれないか期待して待っていたが、結局、プールの水は入れてくれなかった。

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夜になり、外で涼みながら日記を書いていると蚊が増えてきた。

 
トイレに立つと、トイレの中はにおいもなく、明かりがあり、思いのほか快適であった。

 

他に客もいないことなので、私はトイレで日記の続きを書いた。

 

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眩しすぎる街 -cycling NewZealand -

海外で旅した街でどこが印象的だったか、と聞かれるとパッといくつかの街が思い浮かぶのはたいてい海辺の街だ。NZではピクトンやグレイマウス、タスマニアではセントへレンズやローヘッド、デボンポートなど。

 

日本の好きな場所を思い浮かべると、信州とか奥会津といった山深いところが浮かぶのに不思議なものだ。

 

なぜなんだろう、目を細めてしまうほど眩しい日差しや海の青さが強烈にまぶたの裏に焼き付いているからだろうか。

いや、それよりもそこで過ごした時間が穏やかで、心安らぐ自由な時間であったからではないだろうか。

 

***************

 

それぞれの旅に戻ったダニエルとルティアを見送った私は一人、ネイピアの街を見て回った。

 

小高い丘に登ると、街が一望できた。

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ネイピアはなんて美しい街なんだろう。

 

アールデコ建築の街並みとエメラルドグリーンの海。

しばらく飽きもせず、丘の上から見える街を眺めていた。

 

この2日間歩き回った街を見ていて、2日前にダニエルとビールを飲んでいたバーの建物が目に入った。

 

「今日、まだビール飲んでないな。」

私は立ち上がると眼下に見えるバーに向かった。

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ビールをタップで注文。NZだけかもしれないが、ビールをボトルや缶で買うより、店で生ビールを飲んだ方が安い。

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バーの店内から外を眺める。ネイピアの街はまだ祭りの喧騒に包まれている。

ジョッキを空けて、ようやくほろ酔いになった私は再び街の散策に出た。

 

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街の外れで後ろ姿がかっこよすぎる紳士を見つけ、写真を撮った。

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そしてそのまま海に出た。

 

地元の若者たちだろうか。

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楽しそうに語り合う彼らは、いろんなものを放り出して旅をしている私のにはあまりに眩しい光景だった。

 

 

 翌日、私はしばしの休息を終え、再びペダルを踏む日々に戻っていった。

別れ -cycling NeaZealand -

ネイピア滞在2日目。

この日、ダニエルとルティアと別れた。

朝、私はダニエルと朝食を共にした。


なんだかお互い言葉が少なかった。
ダニエルはいつものように、ここがよかった、とか シマ、これからどこに行くんだ、とか聞いてきた。

私はいつものように答えていたつもりだったが、なんだか違って感じた。

ふたりとも下を向いてばかりだった。

こういうとき、何を話せばいいんだろう?

「ダニエル、コーヒー飲むだろ?豆で淹れてやるよ」

私はコーヒーを淹れはじめた。

私の折り畳み式のコーヒーバネットを見て、「そんなの見たことない」とダニエルが言うので「これはMade in Japanだ。私の"endless holiday"が終わったら送るよ。ああ、そうだ、日本にはうまいビールがあるんだ。ビールも送ってやるよ。」
と私が言うと、「いいんだ、シマ、いいんだ、そんなの」としきりに言った。

私は彼に何をしてあげられたんだろう?


今でも思い出す、はじめてダニエルに会った日のこと。
雨の中スーパーを探して彷徨っていると、一緒にスーパーまでいってくれたこと。でっかいビール二人で飲んで、さんざん話して、食事をして休んでいると、彼が新しいビールを買ってきて、「これは君の分だ」と言った彼の笑顔、なんとも印象的だった。

毎日、走り終わるとテントを張りながら、二人でビールを飲み、(となりでルティアは呆れていたが)たくさんのことをお互い下手くそな英語で話した。

私たちは分かり合っていた、と思う。

私は足を痛めて走るのが本当に辛いときもあった。
テントのポールが折れて、途方に暮れたこともあった。
降りしきる雨と強風の中、諦めてしまいそうなこともあった。

そんなとき、いつも励まし、助けてくれたのがダニエルだった。

 

「シマ、ノープロブレムさ!」

私とは20歳も違うのにガンガン峠を上り、私のような中途半端な若造を励まし、前へと進む力を与えてくれた彼は本当にかっこいいと思う。

彼はこれから南に向かい、あと2週間もすれば国へ帰る。


もう、会うことはないかもしれない。


それに気がついたとき、とても寂しくなって、
別れ際、お互いどうしたらいいか分からない私たちは
ただ、うつむいた。

 

キャンプ場で、荷造りを終えたダニエルは、最後に私とルティア、それぞれと固い握手を交わし、私たちに見送られながら、いつものように走り去って行った。

 

さらば友よ。

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 [ダニエルはカステリのジャージとビールが本当によく似合う]

 

ルティアのほうはと言えば、彼女もこの日、ネイピアを離れるのだが、バスで一旦移動するという。

「さて、私も行かないと。シマ、予定は?私バスの時間までしばらくあるから、少しつきあって。」

 

私はルティアに誘われるがまま、ネイピアの街に出た。街は相変わらず祭り騒がしい。

 

私たちは一軒のベーカリーでコーヒーを飲むことにした。

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カウンターのビスコッティを買おうとしたが、小銭がなくて困っていると、店の女性が笑って「ひとつあげる」といってビスコッティをくれた。

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[ビスコッティをくれた女性。サンドもおいしそう]

 

ルティアの好きな外の席で、しばらく話した。

ダニエルのこと、それから自分たちのこと。ルティアはまだ一か月程度旅を続けるので、南島のどこかで会えるのでは、ということになった。北島を出るとき、メールすると約束した。

 

「私、別れ際に湿っぽいのって嫌なの。じゃあねシマ。コーヒーありがと。」

素敵な40代のスイス人サイクリストはいつものやさしい笑顔で手を振り、去って行った。

 

私たちはそれぞれの道へ戻っていく。これが私たちの旅だから。私たちの道はまたどこかで交わうかもしれない。もう、二度と会うことはないかもしれない。それが分かっているからこそ、出会いを、自分の旅を大事にしようと強く思うのだ。

 

一期一会の言葉が身に染みる。

 

***

NZの旅から数か月後、ダニエルはフランスから絵葉書を送ってくれた。サイクリストの聖地モン・ヴァントゥの絵葉書だった。

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内容は”Hi,mate.We cycle for two weeks inFrance.A lot of greats. Daniel Kummer from Switzerland”と言う彼らしいシンプルなものだ。

 

それを見て一瞬、「誰だよ、"we"って。」と思ったが、きっと例のダニエルの倍ビールを飲むという彼女のことだろう。

おかしさやら懐かしさで私は静かに笑った。

 

祭りのさなかのネイピア -cycling NeaZealand -

ようやくやってきたネイピアの街は、ちょうど祭りの最中だった。

アールデコフェステイバルと呼ばれる祭りが行われており、クラシックカーとクラシックな装いをした紳士、淑女が街に溢れていた。

 

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 アールデコフェステイバルについての説明はニュージーランド政府観光局メディアサイト「100% PURE NEW ZEALAND」から引用させてもらう。

1931年、ホークスベイ地震が起き、ネーピアの街は壊滅的な被害を受けました。震災直後から街は復興に取り組み、当時流行っていたアールデコ様式の建築物を街づくりに取り入れたのでした。そういったことからこのフェスティバルの背景には、街の再建を支えたアールデコ建築の美しさを称えること、そして最も重要なことには、復興に向けてたゆまず努力をした人々へ敬意を示すことにあります。そして建築物はもちろん、アールデコのファッションや音楽、ヴィンテージカー、飛行機や蒸気機関車、ダンスなどアールデコの魅力あふれるエッセンスに触れ、その時代の空気を直に感じていただけるでしょう。

 

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ダニエル、ルティア、私の三人は、この日は自由行動ということで思い思いに街に散らばった。

私は街の高揚感に飲まれるようになんだかうきうきしながら街を歩いた。

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服装が決まっているマダムがいたので「写真撮ってもいい?」と聞くと「ちょっと待って、シガレットくわえるから」とポーズをとってくれた。

お茶目で素敵なマダムだった。

 

私にはただ街を歩き回る以外にも目的があった。

装備品の補充だ。

このニュージーランド北島は暑い陽気だが、南島は南下するにつれ寒くなるという。シルク製の寝袋のインナーシーツと3シーズンの寝袋、それからレインスパッツを買った。

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3シーズンの寝袋はほとんど使った記憶がなく、そしてこの写真を見返すまで、買ったことすら思い出せなかった代物だ。帰国してすぐ、だれかにくれてやったのかもしれない。とにかく今は持っていない。

 

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街のメインストリートでダニエルに出会った。買い物の話をし、シルクシーツをNZ大手のアウトドアメーカー「katmandu」のショップで買った、と言うと「カトマンズは安いし、ものもいい」と太鼓判を押してくれた。いい買い物をしたようだ。

実際、ちょっと寒いときや寝袋不要の暑さの時に使えるので、今でも重宝している。

「ところでダニエル。もうビールは飲んだのか」思い出したように私が言うと

「いや、飲んでない。バーに行こう。」とダニエルは即答した。

 

ダニエルがいい店を知っているようなので、そこに行くことにする。

バーに向かう道すがら、私は前から気になっていたことをダニエルに尋ねた。

「なぁダニエル、君の国には徴兵があるだろ、どんな感じだ?」

「大変だ。重たいライフルを担いで何キロも歩かないといけないし、自転車はシングルスピードだしな。」とダニエル。

「?自転車ってどういうことだ?」

ダニエルによれば、彼は徴兵されると自転車部隊の兵士として働くらしく、さらに自転車がシングルスピードなのは、故障が少ないから、らしい。ちなみに当日、スイス軍に配備されていた自転車はTREKだそうだ。

 

これは興味深い話が聞けた。やるなスイス軍。

 

そんなことを話しているうちにバーについた。

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私たちはバーのカウンターでビールを注文し、通りの見える席に着くと、私たちは満面の笑みでビールジョッキを掲げ、いつものように明るい時間から乾杯した。

 

 

 

"Evil Hill"を越えろ -cycling NewZealand -

三人で朝食を食べながら、この日のルートについて相談。120キロ越えのハードなルートだ。

ここ数日間のライドで左ひざと右のくるぶしが痛むようなり、そろそろ休息日を取りたいと思っていたが、目的地のネイピアまで行けば、三人それぞれ別ルートになり、この日のライドで三人一緒に走るのは最後。私は多少無理をしてでも三人でネイピアまで行きたかった。

ルティアが自分のドイツ語のガイドブックを開き、

「今日の峠は"Evil Hill"って言うみたい。いかにも辛そうね。ちょうどいいところにカフェもなさそうだから、スーパーに寄ってランチを買っていきましょう。」と言った。

"Evil Hill"なんて言われて、すこし怯んだが、きっとこの三人なら行ける、そう思った。今であれば、どんな峠だってペダルを漕ぐのを止めなければ、必ず頂上へたどり着ける、と自信を持って言えるが、当時はそこまでの経験も自信もなかった。

大げさだが、"Evil Hill"と言われてそのくらいビビッていたのだ。

 

出発前、ルティアの提案に従い、スーパーで買い物をする。ダニエルと私はマフィンを買った。ダニエルはバナナマフィンが好物らしい。私はブルーベリーマフィンを買った。

近頃は日本でも大きなマフィンを見るようになったが、マフィンが大きなリンゴぐらいあるのに最初は驚いたものだ。今でもバナナマフィンを食べると、ビールとバナナマフィンをこよなく愛するダニエルのことを懐かしく思い出す。

 

買い物の後、私は体を伸ばして二人が準備できるのを見ていた。
「今日はだれが先頭走るんだ?」私が尋ねると、
「シマ、あなたがリーダーよ」とルティアが言った。

私はルティアの言葉に少し驚いたが、なんだか気合いが入った。


「準備はいいかい?」
二人の顔を見る。いつも陽気ダニエルも少し真面目な顔をしてうなずいた。

「もちろん、いいわよ。」ルティアはいつものように今日の旅に期待に胸を躍らせているのがわかった。


ネイピアまで峠二つ含んだ120キロ。不安のあるルート。だが、今日の三人なら行ける、私は確信した。

 

この日の空も青と白の世界だった。

 

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Evil hillはなかなかの峠だった。とはいえ、もっときついのを想像していたので、頂上に着いたとき、やや拍子抜けだった。

頂上近くの原っぱで昼食。

私がコーヒーを淹れ、マフィンを食べていると、ルティアはハンドルバッグの中からナイフとニンジンを出すと器用にニンジンの皮を剥き始めた。そして先っぽからポリポリと食べ始めた。そんなふうにニンジンを食べるのを私は初めて見たので、びっくりした。こっちの人にすればまあ普通のことらしい。

その後もルティアはしばしばニンジンをポリポリ食べていた。

 

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その後、ないと思っていたカフェを見つけて迷わず入る。

なぜかネイティブアメリカンの装飾品の飾られたカフェだった。

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タープの下のテラス席はとても気持ちが良かった。

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日が少し傾き始めた頃、ネイピアの街についた。

 

私は嬉しくて、思わず「着いたぞ!!」と叫んだ。

 

キャンプ場にチェックイン。

ダニエルとルティアは2泊、私は4泊することにした。

「4泊!」とダニエルは驚いていたが、私には休息が必要だったし、久しぶりの街であったから、ゆっくりしながら、今後の計画もゆっくり立てたかった。

 

夜はキャンプ場の隣のレストランで三人でこれまでともに走った日々に乾杯した。

ダニエルとルティア、彼らに出会うことが出来て、ともにここまで来られたこと、そのことに心から感謝した。

そして、二人の笑顔を見ながら、あんな人になれたら、と思った。

ステーキとビールとチャイニーズtake away -cycling NewZealand -

朝、チェンはバスでロトルアに行くため、ギズボンで別れた。

 

再び、ダニエルとルティア、私の3人になった。私たちはギズボンから約220キロ離れたNapierまで共に行くことを決めていた。

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[この日も暑く眩しい日だった]

 

朝、テント撤収すると、テントのポールが継ぎ目のところで繊維が裂けるようにパキパキと破断した。私は絶句した。旅の中で最も重要な道具といっても過言では無いテントのポール。これがないとテントが自立しない。それほど重要なテントポールが割れてしまったのだ。

このギスボンにアウトドア用品の店などあるのだろうか。

私がおろおろしていると、ダニエルが何事かと近寄ってきた。私は事情を話した。ダニエルは少し考えた後、ポールのリペアパイプを持っていないか私に聞いてきた。

テントは製品によっては、ポールが折れた場合に、応急処置できるようリペアパイプが付属している場合があるが、私のテントには付いていなかった。いろいろな状況を想定してきたはずだったが、ここでテントポールが破断するなんて思ってもみなかった。それだけ甘かったということだ。

ダニエルが何かないかと言われ、タープ用ポールがあるのを思い出し取りだした。長さはテントに使うには短いうえ、太さも少し太い。それを見てダニエルが、「シマ、これ切ってもいいか?」と彼はビクトリノックスのナイフを取り出すと、ノコギリ部分でポールを切り始めた。切り出したポールを少し地面のコンクリートで削って表面を整えると、テントポールの上にかぶせ、グルグルとダクトテープを巻いた。

「これで大丈夫だ、シマ」とダニエルは自身に満ちた笑みを浮かべた。

少し前まで私は何ともならないと思っていたトラブルを解決してくれたダニエル。

旅人としての経験値の違いを実感した。そして、彼が一緒にいてくれたことを心から感謝した。

 

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トラブルも解決し、三人で走り出す。

健脚のダニエルは峠で先にいってしまうこともあったが、遅れるルティアや私のペースに合わせたりもしてくてた。

三人のともお互いのペースに慣れてきて、とても一体感があった。

 

私は膝の痛みが日に日に辛くなっていたが、ネイピアまでは何とか三人で行きたかった。ネイピアから先は、3人ともそれぞれの目的地に向かうことになっており、そこまではがんばりたかった。

 

この日の目的地Wairoaに到着。

 

キャンプ場にチェックインし、おのおの、自分の寝床づくり。

ダニエルに補強してもらったポールは問題なし。驚くことだが、結局そのまま数年間使用した。

 

テントを張っていると、ダニエルがどこで仕入れたのかビールを持って戻ってきた。

「シマ、今日はビール12本だぞ!」ダニエルは高々とダースのビールを掲げた。

「またそんなに飲むの?」ルティアは呆れ顔だ。

そんな呆れ顔のルティアにも1本ビールを渡し、みんなで乾杯。

ビールを飲みながら、テント設営。そうこうして1本目のビールが空くころ、ダニエルが2本目をよこした。ダニエルはよく分かっている。

 

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[キャンプ場にあった車。開けると・・・]

 

 

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[バーベキューコンロ!!!]

 

誰が言い出したか、今日はみんなでステーキを食べに行こうということになり、キャンプ場で紹介してもらった店へ。

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三人でステーキを注文し、やっぱり乾杯。

ルティアはパンを使って上品に皿をきれいにして食べていた。

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ステーキはなるほど美味しかったが、「おや」っというほど小さく、私もダニエルもペロッと食べてしまった。

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[店の入り口のタイル。ブレブレ]

ステーキを食べ、店を後にし、キャンプ場に戻ろうとすると、通りのチャイニーズのtake away(持ち帰り)の店が開いていた。

 「なあ、ダニエル、まだフライドライスくらい食べられそうなんだが、いっしょにどうだ?」思った以上にステーキが足りなかったのでダニエルに聞くと、やはり彼もまだ、満腹とは程遠いらしい。

「いいね。コーラも飲みたい」とダニエル。それを聞いたルティアは「あなたたち本気なの?もう。」とまたまた完全に呆れ顔だ。

ルティアは「先に帰るわね」と先にキャンプ場に戻っていった。

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[夜の街で出会った犬]

 

NZ滞在中、米が食べたいときはよくチャイニーズのtake awayをよく使った。持ち帰りのパックのサイズで値段が決まっていて、チャーハン(フライドライス)や春巻、ギョーザなどの惣菜がつめ放題になっている。余談だが、NZのチャイニーズに行くまで春巻の英語がまんま”Spring Roll”というのを知らなかった。

店内にはテーブルがあったので、そこでダニエルとコーラで乾杯し、二度目の晩御飯を二人で満喫した。

 

空腹を満たしたダニエルと私は、幸せな気持ちでキャンプ場に戻り、再びビールを開けた。

Prost !

 

 

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NZトラフィックジャム - cycling NewZealand -

気持ちよく下り坂を下っていると先を行くダニエルが、ブレーキをかけて止まった。何かと思えば、前方には牛の群れ。

「すごいな、ダニエル。日本でトラフィックジャムといえば車だが、NZは牛なんだな」と私が言うとダニエルが「ハハッ」と声をあげて笑った。

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カールが抜けて、チェン、ダニエル、ルティアの 4人になった我々は、思い思いのペースで走っていた。チェンはロードで平地は楽そうだが、上りはギアが重くとてもつらそうだった。道は朝から上りが多い。

みんなそれぞれのペースなんで、私は景色のいいところで休憩しながら写真を何枚も撮った。

 

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[海沿いの道はアップダウンが続く]

Tolaga Bayという街の素敵なカフェでみんなで休憩。ホテルの一角がカフェになっているらしい。

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[洒落た店内に地元の人だろうか、タンクトップの男性がいるのが笑えた]

カフェと言えば、カフェに入るとたいてい、カプチーノかブラックコーヒーを頼むようになっていたが、このころぐらいまでどちらを頼むときも困っていた。

カプチーノを頼むと「Cinnamon or chocolate on top ?」と聞かれることが多いのだが、ずっと「シナモン」が聞き取れずにいつも「チョコレート」と答える日々が続いていた。或る日、シナモンが聞き取れて、「ああ、シナモンね!」と激しく納得したのを覚えている。

それからNZのカフェでコーヒーとオーダーすると、ミルクと砂糖の入ったコーヒーが出てきて、ブラックコーヒーは出てこない。NZの人はブラックコーヒーを飲まないのかとも思ったが、ほかの客を観察しているとそうでもないようだった。こちらも或る日、「Longblack」がいわゆるブラックコーヒーであることに気が付いた。

こんなことに気が付くまでに1週間以上かかっているということから、私の英語力がどの程度かは容易に察しがつくと思う。

ちなみに「Shortblack」と言うとエスプレッソが出てくるそうだ。

 

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[ルティアはテラス席が好き]

 

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[私は旅の間、カフェでチーズケーキとマフィンばかり食べていた]

 

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強烈な日差しが照りつける中、アップダウンの続く道を走り続けるのはなかなか大変だった。この頃、左ひざの調子がだんだん悪くなってきていて、上りが本当につらかった。

 

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[昔、よく読んだウォラーの『ボーダーミュージック』に出てきそうな家]

 

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しばらくいいペースで走り続け、海岸に出られる場所があったので、道を外れ、海岸に出た。

 

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[右からチェン、ルティア、ダニエル、私]

 

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[ダニエルのバイク。スイスのハンドメイドバイクらしい]

 

比較的早い時間に、目的の街Gisborneに到着。街についてもそこから、スーパーで夕食の買い物をし、キャンプ場まで行って、テントを張り、ビールを飲み、夕食を作ってビールを飲まないといけないから、少し早いぐらいの時間でつくのがいい。

120キロぐらい走った気分だったが、実際は90キロほどしか走っていなかったようだ。

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[ルティアのテント。私の好きなJackwolfskinのテント]

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[チェンのテント]

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[私のテント。使いすぎて床の防水が相当弱くなっていた]

 

チェンがここで別れることになったので、夜でみんなで飲みに行こうということになった。

 

まずは各自、腹ごしらえ。

私はスーパーでアボカドが安かったので、それとサーモンを購入し、アボカドサーモン丼を作った。米を炊いている間に、750mlのビールを空けたらけっこうアルコールが回ってしまった。チェンは私の食事を怪訝な表情で見ていたが、あとでなぜか米をくれた。

 

飲みに出かける前、チェンが「僕、長そでの服とかフォーマルな服持ってないんだ。大丈夫かな」と真面目な心配をしていたので、「そんな店行かないよ。おれだってこの恰好さ」と私はTシャツ、ハーフパンツ姿で答えた。

 

暗くなる少し前、街に出て小さな店に入った。みんなで乾杯。ダニエルがビールの王冠を素手で開けたのでビックリしていると、なんてことはない、頭は王冠でもスクリュートップになっているのだ。海外のビールではよくあることのようだ。

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それぞれのことをあれやこれや話す。チェンはマレーシアの大手通信会社に勤めており、休暇できているらしい。そのうち北海道にも行ってみたい、とも言っていた。店を出る前、みんなでメールアドレスや住所を交換し、暗くなった街をキャンプ場へと戻った。

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TOUR of EAST CAPE - cycling NewZealand -

陸地の先っぽに立って世界を眺めると、空と海はどこまでも青く、水平線で淡く溶け合っていた。

遠くではやさしい色をしている空だが、私の真上では見るもの全ての印象を一色にしてしまうほどの濃厚な青の世界が広がっている。

その中で唯一、存在感を際立たせているのは、地上のものを容赦なく照りつける白い太陽だけだった。

文字通り肌を焼く日差しに私は目を細めた。

 

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「今日も暑いわね。シマ、あなたちゃんとクリーム塗ったの?また耳だけ日焼けするわよ。私が塗ってあげまちょうか?」
ルティアがおどけながら、注意してくれた。ニュージーランドは紫外線が非常に強く、マメにUVクリームを塗るのかわ欠かせない。私がその辺いい加減なので、ルティアは心配してくれたようだ。ルティアはなにかにつけて私の心配をしてくれる。私はそんなに頼りないように見えるのだろうか。

ニュージーランド北島、イーストケープ。
ニュージーランドの最東端に位置し、世界で最初に朝日が昇るといわれる半島をルティア、ダニエル、私の三人ですでに半分回った。

朝、Te Kahaのバックパッカーで見かけたアジア人がいたので話をした。彼はマレーシア人で名をチャンという。彼はロードバイクで旅をしていた。

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キャンプ場には他にもサイクリストがいて、そのドイツ人サイクリスト、カールを加えてこの旅最大の五人で出発した。



計画性も無く、国も違う五人が一緒にツーリングをすれば面倒なことになりそうだが、みんな旅慣れたサイクリストだった。

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[朝立ち寄ったpohutukawaの古木。pohutukawaはニュージーランドクリスマスツリーと言われる木で、これが最も古いそうだ]


それぞれでペースの合う人間と走り、時に勝手に止っては写真を撮ったり休憩したりしていた。すぐ先に行ってしまうダニエルも適当なカフェで待っていたりした。
みんな勝手で気を遣わなが、なんとなくみんな一緒。この集団は心地よかった。

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[Tikitikiにあるセント・メアリー教会。建築は洋風だが、内装はマオリ風。]

 

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[イーストランドはマオリの文化が濃い]

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昼食はTikitikiにあったポストオフィス、集会所、カフェが集まっているところで食べた。

昔のアメリカ映画に出てきそうな、なんだか時間に取り残されたようなところだ。ダニエルは「なんてビックシティだ」と言っていた。

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[カフェのおばさんは見事なほどに無愛想]

チェンはベジタリアンで、フルーツバーガーう注文したが、普通のハンバーガー中にパインが挟んであるだけだったので、肉はダニエルに食べてもらっていた。

 

昼食を食べているとテレビでは大昔の映画をやっていた。途中、バレンタインのCMが流れた。ああそうか、明日はバレンタインだ。チェンが「君は彼女がいるのか。」と聞いてきたので「ああ、でもバレンタインなんて忘れてたよ。」 と私が答えて、2人で苦笑した。

さらにチェンが「彼女に『アイシテルー』って言うの?」と日本語で言うもんだからびっくりした。「そんなのシリアスな時にしか言わないよ」と答えると「何だ、君と彼女はシリアスなのか」と言われ、英語は難しいなと思った。

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昼食後、おのおの出発の準備をしていると、ポストオフィスのカウンターに誰かのパスポートが置いてあった。

ダニエルが中身を検める。

 

カールのものだった。

 

しばらくして、カールが建物から出てきた。

そしてパスポートがないことに気が付き、慌てはじめると、ダニエルが意地の悪い笑顔を浮かべながら、ドイツ語で何か言った。不思議なものでこの手のやり取りは身振りだけで十分わかる。

カールは少しダニエルにからかわれて、パスポートを取り戻した。

 

出発前、カフェの外で作業人の男性がルティアに声をかけた。
「何人いるんだ。リーダーは?」

ルティアは振り向いて 「五人よ。リーダー?いないわ」と笑った。


午後も相変わらず日差しが強い。道が上りになるとダニエルとカールがあっという間にいなくなってしまう。私はチェンとそこそこで上っていった。タフなルティアもこの日ばかりは遅れをとっていた。

 

途中の店で、みんなを待たせたから、と言ってルティアがアイスをおごってくれた。NZはアイスが安い。2スクープ、つまりサーティーワンで言うところのダブルで1.6ドル。当時1ドル70円程度なので相当安いんじゃないだろうか。

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夕方、Tokomaru Bayの街に到着。ここでカールとは別れた。

残りの4人でキャンプ場へ。

 

キャンプ場でスーパーの場所を確認し、近所のスーパーにいつものように買い出しに行く。FourSqureというNZの田舎によくあるスーパーにはビールがなかったので仕方なくワインを買った。

 

キャンプ場の外のテーブルに座り日記を書きながら、ワインを飲んでいると、ダニエルが「シマ、ワインをくれ」とカップを出してきた。そうかダニエルはビールだけでなくワインを飲むのか。そりゃそうだよな、スイス人だもんな。私は彼のカップにワインを注いでやった。

 

少し離れたところでマオリの一家が楽しそうにしてるなと思ったら、ゴルフボールがテーブルの上に飛んできた。

びっくりしてボールの飛んできた方を見ると、感じの良いマオリのお母さんが、ゴルフクラブを振りながら、「ごめんなさいねー。」と遠くから声をかけてきた。

日本でなら怒っているところだが、なんともNZらしくて、怒る気も起きなかった。

ダニエルと私は、ワインの入ったカップを持ち上げて、軽く会釈した。

 

ささいなことは何事もないように許せてしまう。これもニュージーランドの雰囲気なのだろう。ニュージーランドの一日はいろんなことがあっても、静かに緩やかに終わっていく。

私は空になったダニエルのカップにワインを注いでやった。

 

海岸へ - cycling NewZealand -

快晴。実に2日ぶりだ。朝からベーコン焼いていると、ルティアが「シマ、ランチ作ってるの?」と聞いてきた。ルティアはあまり朝から肉は食べないらしい。
「日本人は朝何を食べるの」と聞かれたので、「ライスと味噌スープ、それからフィッシュだ」と、答えておいた。通じただろうか?

 

バックパッカーを出るとき、アジア人にすれ違った。日本人かな。と思ったがよく分からなかった。

貸切別荘のような素敵なバックパッカーを後にして、スイス人2人と共にひたすら走る。この日は私が前を引いた。

快晴というだけで非常に気分がいい。海岸沿いの道を東へ進む。

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どこを切り取っても美しい景色が続く。ペダルを踏むたび、汗が噴き出す。前日の雨の寒さが嘘のようだ。

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[休憩中のルティア]

 

途中の街で昼食。「いい天気だから、外の席で食べましょう」とルティアが言った。日本人はテラス席があっても、あまり使わないことが多いが、外で食べるのは、なるほど気持ちがいい。ダニエルはまたビールを飲んでいた。彼がビールを飲んでいるとビールが本当にソフトドリンクではないかと思えてくる。

 

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[駐車場では犬が休憩していた。海外の犬の行儀がいいのはなぜだろう]

 

午後からもいいペースで走り、この日の目的地Te Araroaに到着。予定よりも早い時間にホリデーパーク(キャンプ場)に着くことができた。アップダウンが比較的少ないとはいえ、90キロ走ったので悪くない。天気がいいと、こうも違うものか。

ホリデーパーク内には、移動販売車がいて、バーガーやフィッシュ&チップス、それにビールを売っていた。

 

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 [田舎なので高くつくかと思ったが、良心的な値段だった]

 

せっかくなので、三人で夕食はそこで食べることにした。

英国系のニュージーランドは食文化にもその影響があり、フィッシュ&チップスはメジャーな食事だ。しかし、私はNZに来てからこれまで食べたことがなかった。いい機会なのでフィッシュ&チップスを初体験した。

 

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 [NZのビールと言えばこのSteinlager。味は…]

 

他にバーガーか何か注文しないと足りないかと思ったが、魚は30cm近くあるし、ポテトも山盛りで、一日走った空腹のお腹にも十分な量だった。そして安くて美味しかった。これ以降、しばしばフィッシュ&チップスにはお世話になった。

 

食事後、まだ明るかったので、近くのビーチに行こうということになった。ホリデーパークからビーチに続く小道があった。

 

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[この看板がお気に入り。ここから海岸線へ]

 

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[ビーチに向かって歩いていくダニエルとルティア]

 

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 途中、きれいな小川を越えて行くと、急に視界が開けた。

 

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なんて素敵な海なんだろう。

波打ち際でしばらく、海を見つめていた。

写真を撮っているとルティアが話しかけきた。

「シマ、カメラ貸して。」ぼーっと海を見ていた私は言われるがまま、ルティアにカメラを渡すと、私の写真を撮ってくれた。

「いいのが撮れたわよ、シマ」ルティアが微笑を浮かべて、カメラを返してよこした。

 

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 これほどリラックスして、何をしてもいい時間を楽しんだのはNZに来て以来、初めてだったかもしれない、と思う。

 

少し暗くなり始めるころ、私たちはキャンプ場へ戻った。

 

 

旅するサイクリストたち - cycling NewZealand -

 

この日は初めて終日、雨の中を走った。

 

キャンプ場で朝食をダニエルと食べていると、雨が降り出して来た。慌てて屋根のあるところにテントを移動させ、撤収。

撤収は少し大変だったが、走り出せば何とかなった。

 

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雨のPapamoreBeachを後にし、途中雨が止み、ウェアを脱ぐ。

しかし、しばらくするとまた雨が降りまたウェアを着込む。

「It's New Zealand!」

 

私がうんざりしながらウェアを着たり、脱いだりしていると、

ダニエルがそう繰り返す。

 

なるほど。

 

これがニュージーランドの天気のなのだ。

この天気とうまく付き合方を覚えていかなければいけない。

 

ルートは幸い平坦だった。

もし風が強く雨で上り坂ばかりで、しかも1人で走っていたら、

きっと惨めな思いをしていただろう。

しかし実際はダニエルがいてくれて

私が遅れれば、「no problem!no problem!」とか、

雨が瞬間、激しくなったりすれば「too much rain!」とか、いろいろ声をかけてくれたのでなんだか落ち着いた。

 

ただ、休憩を取ろうにも、途中何もないところが続き辛かった。

 

Matataという街で昼食。

ニュージーランドにはよくある小さな小さな町で

これまた小さなカフェで何とか食事ができた。

 

テーブルが数席しかなく、われわれは扉のそばの席についた。

雨の中も濡れて走った私からすれば、屋内で食事ができるだけでもありがたかった。

だがダニエルはもっと良い店で食事がしたいらしくずっと不平を口にしていた。

やはり、ダニエルはお金にゆとりがあるようだ。

 

小さなカフェでは繁盛しているようで、

途中たくさんの人が車でやってきてはバーガーを買って帰ったり、

車で食べていたりした。

 

午後からはとてもよく走り、目的の街、Whakataneまで

比較的早い時間に着くことができた。

もっとも、このペースがダニエルにとって早いペースかどうかは不明だが…

 

不要な荷物を送ろうと思ってポストオフィスに行こうとしたが、

ダニエルにうまく伝えることができなかった。

彼はスイス人で、英語もそこそこといったところで、

一方、私の英語力も褒められたものではないので、仕方がなかったのだが。

 

ワカタネの町では、バックパッカーズに泊まった。

ダニエルはテントにしたいと言い張ったが、

私はずぶ濡れの中、街まで来たのだから、暖かい布団で寝たかった。

ダニエルは知らない奴と一緒に寝るのがどうにも気に入らないらしく、

随分抵抗したが、幸い部屋はダニエルと私の2人で使うことが出来た。

 

チェックインの手続きをしながら宿の女性と話すと、

彼女は日本に行ったことがあるらしく少しそんな話題で盛り上がった。

また、子供の頃、父親と一緒に自転車で旅をしていたことがある、

とも言っていた。

ニュージーランドではこうした人にほんとによく出会う。

 

日本では特別に思えることを彼らは普通のことのように話す。

こういうことを経験してきた人が普通にいる。そしてみんないい顔している。

今、自分がしている旅は決して特別なことではない、と思えた。

 

宿では意外な再会があった。

 

タイルアのキャンプ場で出会ったスイス人の女性サイクリストだ。

走るルートが同じようだったので、いつか会うこともあるかなと思っていたが、思いのほか早く再会を果たした。

食事を済ませた後、彼女が話をした。名前をルティアと言った。

 

ルティアの英語は非常にわかりやすく、私の英語力でもそこそこ会話ができた。

彼女と話すのはとても楽しかった。

 

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 [ブリコのサングラスが似合うルティア]


朝、出発の準備をしていると、ダニエルとルティアが私を待っていた。

どういうことか、と訝しく思ったが、

どうやら昨夜のうちにダニエルとルティアの間で、一緒に行こう、

と言うことで話がまとまったらしい。

そういえば彼らは2人ともジャーマンスイスだった。

 

ルティアは本当によく走るので驚いた。

私はなかなかついていけずに、ヒーヒー言っていた。

私の様子を見たルティアが「あなた、サドルがちょっと低いんじゃないの?」と指摘してくれた。


なるほど。そういえば。

今もポジションは比較的無頓着だが、この頃は相当だった。

 

サドルを上げポジションを調整すると膝の負担がかなり減り、

ルティアにもついていけるようになった。


Opotikiという街まで45キロほど飛ばす。

この2人と一緒ならずっといいペースで走れそうだ。

朝は、ろくについていけずに「もうほっといてくれよ」などと思ったが、

2人の助けのおかげでポジティブな気持ちになれた。

 

本当に2人には感謝の気持ちでいっぱいだった。


この日の昼食は、Te Kahaの前のどこかの街でで食べたようだ。

当時の日記では「テカハで食べた」となっているが、

当日はテカハで泊まっているため、おそらくその手前のTorereかOmaioだろう。

 

店でダニエルとルティアはtoday's specialを注文していたが、

私はどうしてもバーガーが食べたい気分だったので、

バーガーをオーダーしたが、出てきたのは、

2人のtoday's specialが食べ終わる頃だった。

運んできた店の女性に、遅いよと言ったら、そんなの注文する方が悪いのよ、と言われた。


2人を待たせては申し訳ないと思い、私は慌ててバーガーにかじりついていると、

ダニエルはその様子をハンディカムで撮影していた。

かなりあわてて食べていたのだろう、ダニエルはその後、旅の途中、

ビールを飲みながら、何度も見返しは大笑いしていた。

 

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今日も途中雨が降ったりやんだりの繰り返しだったが、

ウェアを来たり脱いだりを繰り返してうまく走ることができた。

私は雨が降ったりしてネガティブな要素が出てくるとすぐ弱気なってしまう。
2人はいつもポジティブだ。

「100キロ?大丈夫でしょ。」と、言った感じだ。


日本ではキャンプ道具を積んで自転車で旅をするのは、学生がほとんどだ。

日本では、そんなのは学生のやることだ、というある種の固定観念があると思う。

ダニエルもルティアも当時40代だったが、決して彼らは特別な存在ではない。

その後、旅をした国で、国籍も年齢も性別も違う多くの旅するサイクリストに出会った。皆、ダニエルやルティアのように心から自転車の旅を楽しんでいた。

 

彼らのような40代になろう、と心に誓った。

 


この日は110キロほど走り、テカハのバックパッカーへ。

ここのはとても良いところで、15ドルでキッチン、ダイニング、テレビ付き。

しかも、受付のところはジェネラルストアになっており、野菜やビールも手に入った。

言うことなしだ。

しかも3人で1部屋が使えたので、一気にリラックスできた。

 

そして例のごとくダニエルがビールを半ダース買ってきた。

 

部屋のキッチンで3人で、それぞれ持っていた食材を出し合って、一緒にパスタを作った。

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ダニエルの買ってきたビールを飲みながら、3人で大いに盛り上がった。

 

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