定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

カンタベリー平原 -cycling NewZealand -

出発の準備をしていると昨日のスイス人サイクリストが話しかけてきた。彼はこれからクライストチャーチに行き、クライストチャーチからはなんとネパール、カトマンズに飛ぶらしい。

「エアチケットも安いし、今が一番いいときなんだ。」彼はそう言っていたが、3月のネパールは寒いのではないだろうか。

「君はレースもやるのか?」と聞かれたので「ああ、クロスカントリーをたまにね。」と答えると「クレイジーだな。」と言われた。これからカトマンズに飛ぶやつに言われたくない。「君もな」私は言い返した。

NZではいろんな人に「クレイジー」と言われたが挨拶代りだったと思う。それこそ彼のようなクレイジーな男がよく言っていた気がする。だが、言われて悪い気はしなかった。一端のサイクリストとして認められたように思えたからだ。

 

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ネパールに行くと言っていたサイクリスト。Tシャツはどこで・・

彼と行く方向は同じだったが、私はもう出発するところだったので、そのままユースを後にした。

 

朝方少し降られたが、その後すぐに止んだ。アーサーズパスからは気持ちのいい下り基調の道が続き、順調に距離を稼ぐ。

一時間もしないうちにカトマンズ行きのスイス人が追い越して行く。

“Everything OK?”

私のペースが遅いからだろう、心配して声をかけてくれたようだ。

“No problem! Thanks!”彼の背中にそう言葉を投げた。彼は重たいギアをガンガン踏んで、あっという間に見えなくなった。

まあ、彼らからしたら私は相当遅いかもしれない。つい先日もドイツ人女性のサイクリストにサッと追い抜かれてしまったしな。

もっと頑張りたいのはやまやまだが、この頃また膝の調子がよくなく、重たいギアを踏むと膝がピキッというので無理なない範囲でペダルを踏んでいた。

クライストチャーチでしばらく自転車には乗らない予定なので、回復すると良いが。

 

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この日はPorters Passという峠があり、そこが一番の難関かと思っていたが、その手前の登り返しのほうがきつかった。軽めのギアにいれ、クルクルペダルを回して登って行く。重いギアを無理に踏むのではなく、軽いギアをたくさん回して回転数で稼ぐのだ。今でも山岳系の道では、私はこのスタイルを踏襲している。グレイマウスでメンテナンスしたおかげで、軽いギアにするのもシフティングがスムーズだった。

 

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何よりこの日嬉しかったのは珍しく風が追い風だったことだ。

風の強いNZは不思議と向かい風に捕まる気がする。

 

昼はこの日も店がないのでピクニック状態。

買っておいたマフィン数個とインスタントラーメン、あと疲れていたのだろう、ハチミツを舐めた。

この時、NZに来て最初に買ったバーナーストーブ用のガスカートリッジが一つ空になった。よくここまで保ったものだが、それだけ今まで泊まった場所の宿泊先の施設が充実していて、あまり使う必要がなかった、ということだろう。

 

一つ荷物が減って、自由になる。自由になる分、少し不安になる。旅はいつもその繰り返しだ。物が減っても自由になるだけの人は相当旅慣れた人だろう。私はその領域とは程遠かった。心配でいつも何かを買い足したりして、ちっとも荷物は減らなかった。それが私の力量、と言えるのかもしれない。

 

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ポーターズパスから先はカンタベリー平原に降りて行く道になる。

 

 

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長い下りで順調に進む。

この日の目的地、Springfieldに着いた。トランツアルパイン鉄道の駅がインフォメーションセンターになっており、上品な感じの中年女性が応対してくれた。

 

食品が買える場所とキャンプ場の場所を聞くと、その足で食品ストアに向かう。ストアはカフェを併設した店だった。

店内には日本人らしい女性が働いていた。矢場とんのTシャツを着ているので間違いない。

会計のとき、彼女が対応してくれたのだが、日本語で「6ドル90セントです。」と言われ、私のほうも普通に「はい」と答えてしまった。

「どうして日本人ってわかりました?」私が尋ねると、「だって中国人は自転車でなんて旅行しないでしょ?あとはなんとなく。」なるほど。どちらの理由も納得がいった。不思議と海外で日本人とそれ以外のアジア人は見分けがついたりするのだ。

 

矢場とんのTシャツを着ていたので、「名古屋ですか?」と聞くと「一宮。あなたもその辺り?」と聞き返された。

豊橋だよ。」と言うと「田舎ね。」と言われて少々ムッとしたが、まあ否定するとこでもないな、と思った。

店を出る際、彼女はお客さんの忘れ物だけど、とクッキーをくれた。こういうのは本当に助かる。豊橋を田舎と言ったことは許すとしよう。

 

食料の買い出しのあとはボトルストア寄り、ビールを購入。

 

キャンプ場に向かうがキャンプ場は無人で、料金はある民家で払った。6ドルと安かったが、シャワーとトイレだけあるシンプルなところだ。

 

建物がひとつあり、キッチンかリビングが使えるかと思ったがカギがかかっていた。後ほどやってきた男性がカギをあけて建物に入っていったので、開けてくれたのかと思い、入ろうとすると「ダメダメ」と止められた。どうやら建物はこの地域のコミュニティが使っているもので、キャンプ場もコミュニティで管理しているようだ。そうでなければ民家の玄関先でお金を支払ったりしないだろう。

 

キャンプサイトの目の前に牧場があり、広大な平原の向こうにさっきまで走っていた山々がその背後に見える。ここは東海岸クライストチャーチまで広がるカンタベリー平原の一番端になるのだろう。

 

いいキャンプサイトだ。設備がいいのも嬉しいが、やはり景色がいいのが最高のキャンプ場である。

あと、静かなのも重要だが。

 

そういう意味では街はずれにあって、周囲が牧場というスプリングフィールドのキャンプ場は素晴らしかった。

 

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夕食は前日、アーサーズパスのユースのフリーラックにあった乾麺の蕎麦である。前日これを見つけたとき思わず「おおっ!」と声を出してしまった。

 

持っている調味料で蕎麦つゆをつくり、先ほどストアで買った卵を入れて月見蕎麦にした。

 

広々としたニュージーランドキャンプサイトで月見蕎麦を心ゆくまで食べる。

 

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なんだか幸せだった。

Arthur’s Pass -cycling NewZealand -

グレイマウスから先の旅のプランは東海岸にある南島最大都市、クライストチャーチで北島で一時共に旅をしたルティアと合流し、クライストチャーチ周辺を回ることになっていた。

 

北島でルティアと別れた後、彼女と時々メールをやり取りしていた。まだスマホのない時代だったので、ある程度の規模の街でネットカフェを見つけると日本からのメールと共にルティアからのメールをチェックしていた。

 

ルティアはクライストチャーチからスイスに帰国予定で、帰国までクライストチャーチでしばらく過ごすらしい。

 

クライストチャーチでルティアに会うためには西海岸から一度、サザンアルプスを越え、東海岸に出ないとならない。

 

そのルートはグレイマウスからアーサーズパスというNZで最も有名な峠を越えて行くもので、並行して観光列車のトランツアルパインも走っている。トランツアルパインも乗りたいが、サイクリストとしてはやはり、自走で峠越えだろう。

 

ルティアとクライストチャーチ周辺を回ったあとは、また西海岸に戻るつもりだった。トランツアルパインはその時乗ればいい。

 

久しぶりに厳しい峠を含む100キロ超えのルートということで、早めに出発の準備をした。

 

前日の夜、テレビの天気予報で見た通り雨。雨の止み間にテントを撤収。

走り出してからは少し小雨が降っていたものの、気になるほどではなかった。幸い雨はしばらくして止んだ。

 

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アーサーズパスに続く道は大小の川があったり美しい湖があったりして、景色を楽しみながら走ることができた。

この頃、少し寒くなってきたなとは思っていたが、山の下のほうでも紅葉が始まっていた。

川の向うに見える並んだ木が緑から黄色に変わっていく様はとても美しかった。

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晴れていたら、とふと思ったが、それでも充分どこを見渡しても美しい景色だった。

 

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例のごとく、途中街があるわけではないので、湖畔で写真を撮ったりしながら、小休止を取りながら走る。

早い時間に出発したので、心理的にゆとりがある。

 

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あるクリークの横で昼ご飯。

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この頃はたまにはカフェで昼ご飯食べたいなぁ、とか思っていたが、名もないクリークの横でバーナーストーブで温かいものを作り、食べているのは今の私からしたらものすごく贅沢なことだ。

いや、NZの時間はすべて贅沢な時間だったのだ。

 

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アーサーズパスの登り口に到着。

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アーサーズパスの標高は1000m以下である。有名な峠ではあるが、1000m以下なら大したことないだろうと高を括っていたが、そこはさすがNZ。

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そうは簡単に行かなかった。

登りが始まるまでは、と思い一番軽いギアを残していたが、それもしばらくして使い始める。それでもなかなか辛い、と思っていたところ、更に道の勾配が急になる。

 

「おおお」

 

動揺して一度自転車から降りる。

サミットまであと何キロぐらいだろう?

 

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途中、休憩を挟みながら、なんとか登っていく。

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いつになったら終わるんだ、と思いながらゆっくりゆっくりペダルを回す。

どれだけ登ったか、やがて頂上が見えた。

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アーサーズパスを何とか登りきった。いやはや、こっちに来てから一番大変だったのではないだろうか。

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峠の頂上からさらにしばらく行くと鉄道の駅とトランピングを楽しむ人がたち向けだろう、いつくも宿泊施設があった。

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この日は事前にユースホステルを押さえてあった。ユースに行く前にビールだ。頑張ったからな。

 

バーでビールのテイクアウトを求めるとお馴染みのステインラガーが2本で11.5ドル。おいおい、高いな。しかし、あれだけ登ってビールなしなんて考えられない。迷ったのは一瞬で、ビールを持ってバーを出た。

 

ユースホステルに着くと、スイス人のサイクリストがいた。

「どっちから登った?スティープだったろ?押したか?」と矢継ぎ早に聞かれた。

「グレイマウスからだ。押してはないが、ストップ&ゴーだったよ。」と答えた。

 

ユースには珍しく40代後半ぐらいの日本人男性がいた。頭の上は禿げ上がっていたが、横の髪が長めで、風貌が何というか、天才系というか芸術家系というか、あまりそういうことは気にしていない感じの人だった。

話してみるととても面白い人で、近くの山に日帰りのつもりで行ったらそのまま遭難してしまい、二日間かけて戻ってきたという。

滝の場所を頼りに自分の位置を確認しながら、なんとか下に降りられるところを探して戻ってきたらしい。

「急いでも仕方ないから、楽天的にいこうって思ったんですよ。これがよかったみたいですね。」

木から木へジャンプしたりして、いろんなところを怪我したりして、痛い痛いと言う割には元気である。

街に戻ってくると、警察にいろいろ聞かれたらしい。

 

そりゃそうだろう。

 

警察できかれたとき、ちゃんと説明したのだが、警察はなかなか話を信じてくれなかったらしい。この辺りでの遭難や事故はしばしばあるらしく、このわずか2週間前にもイギリス人女性が事故で亡くなっているそうだ。

 

この男性はタクラマカン砂漠のツアーガイドをやったりもしているそうで、見た目は芸術家系だが、相当なサバイバル能力を持っているようだ。

 

旅先ではこういう人と頻繁に出会う。出会って、しばし時間を共にする。それだけだが、そのとき過ごした時間や雰囲気はずっと何となく覚えているものだ。

日常でもどこかでこういう人とすれ違っているはずだが、出会うことはない。旅を求めるのは刺激的な人との出会いを求めているのかもしれない。

 

 

 

 

晩餐のロブスターテール - cycling NewZealand -

美しい夕日を堪能した次の日、キャンプ場でマウンテンバイクとテントのメンテナンスをした。

 

キャンプ場の受付で古新聞をもらい、汚れたチェーンを拭く。伸びているようだったので一コマ短くした。ワイヤー類も一通りオイルをさし、ワイヤーを張り直すと変速がスムーズになった。

テントは前に購入した防水スプレーとシムシール用のワックスを塗っておいた。

 

それから長年使ってきた自転車用のサンダルが壊れてきて、もはや直し用もなくなって諦めて捨てた。長年の使用でソールが劣化し、ボロボロと崩れてきたのだ。

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このサンダルはビンディング対応の珍しいモデルで、ツーリングの際は靴下を履かなくて済み、非常に重宝した。毎日の洗濯物で乾きにくい靴下があるとないとでは大違いなのである。これから寒くなるので出番もあまりないはずだった。

代わりに走ったあとリラックス出来るよう3.5ドルでビーチサンダルを買った。

 

メンテナンスが終わったら特にやることもないので、トランツアルパイン鉄道の駅を見に行きながら、ビールを飲みに行った。キャンプ場の受付でいいバーがないか聞いたが、ここのオーナーはビールを飲まないのか、あるホテルのバーを紹介されただけだった。

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結局紹介されたホテルで一杯ひっかけて、駅のすぐ横にあるスーパー「fresh choice」で夕食と翌日以降の買い出しをする。

 

魚売り場のショーケースに大きなエビのボイルされた剥き身を見つけた。「Robster tail 2$」とある。

安い。

こんなものは見たことがない。グレイマウスはロブスターがよく獲れるのだろうか。東海岸のカイコウラは伊勢海老で有名だが。

まあいい、これはまた何かのご褒美だろう。一つ買うことにした。

 

ロブスターテールを手に入れて浮かれ気分でキャンプ場に戻る。

 

奮発して一緒に買ったトマトやブロッコリーとともにスープパスタにした。

珍しくいろいろな野菜が入り、華やかなコッフェルのど真ん中にロブスターテールを載せる。

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おお、何と素晴らしいビジュアル。

 

期待に胸が高鳴る。

カールスバーグを開け、いざロブスターテールにかぶりつく。

 

 

…あ、そういうこと。

 

 

ロブスターテールを噛んだ瞬間、全てを理解した。

 

 

 

ロブスターテールはそれらしく作られた練り物であった。

 

 

ロブスターテールの味はまあまあだった。

 

調理するときに気がつかないのも、我ながら信じられないが、見た目はよくできていたのだ。

 

「まあ2$だもんね。」

 

自分を納得させるように呟いた。

その後、残念ながらNZでロブスターテールもロブスターも食べることはなかった。

Pancake Rocks -cycling NewZealand -

朝、プナカイキのユースで出発の支度をしていると、前日とは違う日本人女性がキッチンでマフィンを焼いていた。

 

聞けば、毎日ヘルパーが交代で早起きし、パンとマフィンを焼くらしい。彼女は埼玉出身だそうだ。「外国人って信じられないような忘れものをする」とか「トランピング(山歩きのこと)のハイシーズンはマフィンを焼けるのを待ってる客がいるくらい人気で、ドイツ人とかホントに目の前で待ってて困る」とかいつの間にか長話をしていた。

ひとつマフィンを買おうかとも思ったが、安くないので悩んでいると「きのうのマフィンが一人残ってるから、内緒であげる」

そう言ってマフィンを一つ渡してくれた。「他のお客さんに見られないように隠して!」

私は持っていたコーヒーセットの袋に無理矢理マフィンを詰め込んだ。

 

珍しく朝食はコーヒーだけにした。

 

すぐにカフェに入る予定があったからである。

 

「プナカイキってところにPancake Rocksって場所があって、そこの前のカフェでパンケーキが食べれるよ」

プナカイキのユースホステルをすすめてくれた無邪気な日本人の若い男が、そんなことも言っていたのだ。

 

ユースからパンケーキロックスまではそんなに遠くなかった。

 

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パンケーキロックスは海岸の断崖絶壁の場所で、波が作り出す独特の地形だったが、どのあたりがパンケーキなのかサッパリ分からなかった。

 

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そう言えば、タカカで会った日本人の女性が「パンケーキロックスは東尋坊みたいなとこ。」と話していたが、なるほど火曜サスペンスで見たような断崖絶壁の岩場だ。

 

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私は当時、東尋坊には行ったことはなかったが、これがきっかけで後に東尋坊に行くことになる。

東尋坊では「まるでプナカイキのパンケーキロックスみたいだな。近くにパンケーキの食べられるカフェはないみたいだが。」とひとり呟いていた。それが言いたかっただけである。

 

パンケーキロックスから道を挟んだ向かいにカフェはあった。その名も”Pancake Rocks Cafe”

 

NZのカフェでパンケーキなんて見た覚えはないが、たしかにここのメニューにはあった。

もちろん注文する。ついでにホットチョコレートも。

 

しばらくして粉砂糖がふんだんにかけられたパンケーキが運ばれてきた。

それとメープルシロップの入ったボトルが置かれ、メープルシロップかけ放題という夢のようなパンケーキだった。

 

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こちらのスイーツでは甘くもなんともないホイップクリームみたいなのが添えられていることが多いのだが、このパンケーキにもやはりついていた。いつもどうしていいか処遇に困る。まあ食べるだけだが。今回はメープルシロップがあったのでそれでいただいた。

 

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食べ終わってから、シロップかけ放題のパンケーキとホットチョコレートは甘すぎたな、と思った。

 

カフェの並びには珍しくお土産物屋があった。木の民芸品のようなものを扱っているところで、アロマオイルの入れ物が比較的手の届く値段なので、それを一つ買った。

今でもこれは我が家の寝室の一角にぶら下がっている。

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西海岸を南下して行く。

道はずっとアップダウンを繰り返す。

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アップダウンにウンザリしてきた頃、南からサイクリストがやってきた。

アジア人のようだ。

今はどうか分からないが、当時はアジア人のサイクリストは珍しいかった。たまたまかもしれないが、私がNZに来てからの一か月あまり、日本人サイクリストはピクトンで遠くでそれらしい人を見ただけだったし、あとは北島で一緒に走ったマレーシア人のチェンぐらいなものだ。

 

だんだん近づいてくる。向こうもこちらがアジア人と気がついたのだろう。スピードを緩めて止まってくれた。

 

彼は韓国人だった。

 

私がNZで出会った韓国人サイクリストは彼だけだ。お互いアジア人サイクリストに会うのが珍しくてしばらく話をした。

 

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この日の昼ごはんはユースで貰ったマフィンと自分で作ったキャラメルピーナッツバターサンド。コーヒーは淹れたが甘すぎなメニューだった。

朝パンケーキを食べたとはいえ、すぐに小腹がすいてきて、結局、昼食から一時間ほどして、インスタントラーメンを作って食べた。ちなみに食べたインスタントラーメンは出前一丁であった。NZではよく見かけたインスタントラーメンだった。

 

Greymouthまであと10キロくらいのところまで来ると道が平坦になってきてホッとした。はやり平坦がいい。

 

ほどなくして、この日の目的地、グレイマウスに到着。

プナカイキからグレイマウスは50〜60キロといったところで、明るい時間だった。

このグレイマウスはNZの南島西海岸の主要な街で、中央の山脈を越えて、東海岸クライストチャーチを結ぶトランツアルパイン鉄道の西側の起点・終点である。

スーパーも数軒あり、翌日以降の行程を考えて、グレイマウスに連泊することにした。

このとき泊まったキャンプ場はときどきお世話なるTop10系列のキャンプ場で、市街地から少し離れるが施設も充実していてとても快適だった。

なんと言ってもロケーションがよかった。キャンプ場の向こうはすぐタスマン海である。

 

テントを張り、荷物を置いて街に出る。NZの都市には必ずあるホームセンターwarehouseでスパイス用の容器を買った。スーパーでは連泊するので、ビールを半ダース、ダニエルが言うところの6packs購入。カールスバーグが安かった。ダニエルは元気だろうか。

 

街を散策してキャンプ場に戻る。

 

キャンプ場のそばでチャイニーズのテイクアウェイを見つけたのでそこでチャーハンを買う。チャイニーズのテイクアウェイは中国人がやっていることが多いがここは白人女性がやっていた。

チャーハンは数日前、自分で作って食べた気がするが、チャイニーズのテイクアウェイを久しぶりに見つけて入りたかったのと、食べたかったのがチャーハンだった、というだけだ。

チャーハンは何で味を付けたのかやや茶色で、サイの目に切られた人参が硬かったのを覚えている。

 

キャンプ場に戻るともう夕方だった。

 

チャーハンとカールスバーグを持って海岸に出た。

 

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遠浅の海岸にはちらほら人の姿があった。

 

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真っ赤な夕日がタスマン海に沈んでゆく。ウェストコーストは雨が多いと言われてきたので、こんなに美しい夕日が見られるとは思っていなかった。

 

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波打ちぎわに年配の夫婦が見える。ふたりの影が波で洗われた砂浜に映って一つに重なって見えた。

 

 

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目に映るものが夕日の朱に染まり、人影は黒いコントラストを作っていた。

 

 

この景色はいったい何のご褒美だろか。

こんな美しい世界にいられるなんて。

 

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目頭が熱くなってきて、私はカールスバーグを煽った。

 

Foulwind lighthouse -cycling NewZealand -

ニュージーランドの空はとにかく青い。

青が強い。

 

広い海のせいなのか、

白くそびえる灯台のせいなのか、

黄色く鮮やかに咲く花のせいなのか、

とにかく青い空だった。

 

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このとても素晴らしい場所には、私以外誰もいなかった。

 

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灯台と強烈な青空が作り出す景色をひとりで満喫した。

 

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どんなに風が強くても、多少膝が痛くても、登り坂がきつくても、こうした素晴らしい場所に来ることさえできれば、月並みではあるが、「苦労して来た甲斐があった」と心から思える。旅をする理由はいくつかあるが、私はやはりこうした景色を求めているのだと思う。

 

その美しい灯台はFoulwind Capeの灯台だった。

 

もっとも、岬の名前は最近調べるまで知らなかった。あのときは灯台よりも近くにあるアザラシのコロニーを見にいくのが目的だったせいだろう。

 

灯台近くの海岸の岩場にコロニーがあり、私がいた場所からはやや遠かったが、岩場で寝そべるアザラシが見えた。

 

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エーベルタズマンでシーカヤックをしたときにもアザラシのコロニーを見たが、この辺りの海には広く生息しているのかもしれない。

 

アザラシを見た後、この日の目的地、Punakaikiに向かった。

 

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少し前まであんなにいい天気だったのに雲行きが怪しくなってきた。どれだけ天気がよくても結局はニュージーランドウェザーなんだな。

 

 

道は呆れるほどのアップダウンが続く。これはどのサイクリストもウンザリするだろう。

ただ、曇り空でも西海岸の風景はなかなか悪くなかった。

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このあたりの海岸は断崖絶壁になっており、道は海よりも高いところを走っていて、遠くまでよく見えた。

 

朝の出発が遅かったのが響いて、プナカイキに着いたのは5時半を回っていた。そのため、途中の商店は閉まっていた。

食料とビールの買い出しは諦め、ユースホステルに向かった。

 

プナカイキにはキャンプ場があったが私はあえてユースに泊まると決めていた。

 

ひと月前にウィティアンガのユースホステルで会った日本人の若い男が教えてくれたのだ。

 

「プナカイキのユースホステルはとにかくいいから絶対泊まったほうがいいよ!」

 

元気がいいだけなのか何なのか、無邪気にいろいろ教えてくれた男だった。とにかく楽しくて仕方ないという様子でこの男には帰国してからどうしよう、とか心配はないのだろうかと、アドバイスを貰いながら余計な心配をしてしまった。

 

プナカイキのユースホステルは森の中にいくつかのマオリ風のロッジがあるところで、なるほど面白いところだ。

 

チェックインの手続きをしにフロントを訪ねると、スタッフは日本人女性だった。何でもここは日本人女性のスタッフばかりだという。

 

本当にNZのユースのスタッフは日本人が多いな。

 

このユースは少し販売もしていてワインもあったので買おうか悩んだが、15ドル以上したので諦めた。NZにはもっと安くても美味しいワインはある。

 

受付の女性が「あなた日本人だし、本当は相部屋なんだけど、部屋割りの都合もあるから、特別にキャビン一つ、一人で使っていいよ!」

 

そう言ってキャビンの場所を教えてくれた。

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キャビンに行き、荷物を下ろす。通常はベッドを数えると7人部屋のようだ。

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シャワーと食事のため、フロントのある建物へ行く。食事を終えて、キャビンに戻る頃にはあたりはすっかり暗かった。

暗い森の道を歩いていると騒がしい女性の声がする。向こうから女性たちが歩いてきた。

「あ、彼!彼!ラッキーな自転車の人」フロントにいた女性が周囲の女性にそういいながら、「広いところ満喫してね!」とすれ違うときに声をかけてきた。

私はやや当惑しながら、一応「ありがとう」と答えた。

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キャビンに戻ると広い空間に初めは興奮していたが、やがて一人では広すぎるということに気がついて、何故かおいてあったギネスブックを読んで時間を過ごした。

 

いくつか泊まったNZのユースホステルの中で、記憶に残るところだったが、ややモヤモヤ感の残るユースになった。

 

そして、プナカイキのユースでの別の出来事である方に助けてもらうことになるのだが、それはもう少し先の話である。

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老人の話 -cycling NewZealand -

マチソンから西海岸の都市ウェストポートまでは100キロほどの道のりで、山岳エリアから海岸に出る道は予想通りのアップダウンの道だった。多少ウンザリしながらもペダルを踏む。

 

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途中で、ウェストポート側から来た年配の夫婦のサイクリストと行き合い、話をする。

「そっちもずっとアップダウン?ここから先、ウェストコーストはずっとこーんな感じのアップダウンよ。」

どう見ても60歳は超えている感じの奥様が西海岸のアップダウンの様子を腕を波ように動かしながら、ジェスチャーを交えて笑顔で教えてくれた。

 

少し話しただけだが、アップダウンの道が続いて大変という様子よりも、私という同じサイクリストに出会って話ができて嬉しい、といった感じだった。

すごいな。こんな風に歳を重ねて自然体で旅ができるなんて。

NZには素敵な人が多い。こんな風に年を重ねることが出来たらいいな。

 

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ウェストポート到着。

 

この頃、右膝の調子があまり良くなく、ウェストポートでは病院に行ったようだ。

「行ったようだ」というのは、どこかの街で病院に行ったことは覚えているが、そこがどこで、何か処置してもらった覚えがサッパリなく、当時の手帳の走り書きを見たら、医者に行った、膝が痛いと書いてあったのだ。

膝のほうと言えば、のちにシューズの中敷を薄いのに替えたら収まった。

 

この日はバックパッカーズのキャンプサイトに宿泊。キャンプサイトと言えば聞こえがいいが、要は宿の広い庭の一角にテントを張っていいエリアがあるだけだ。

しかし、これはなかなかいいシステムで、普通にバックパッカーズの相部屋に泊まるよりも安く泊まることが出来て、しかも宿のキッチンやリビングは他の宿泊客同様に使うことが出来る。相部屋はイビキをかく人もいるし、何よりプライバシーが確保されない。その点、テントならプライバシーも確保されるので、雨さえ降らなければ、断然テントをオススメしたい。

 

夕食にいつものようにツナとオニオンの具のパスタを食べ、リビングで寛いでいると、隣で食事をしていたおじいさんが話しかけてきた。

 

年上の人と話すのは楽しい。

向こうは少し話して私があまり英語が話せないと分かると、ゆっくり話をしてくれた。

 

いつもの通り、「明日はどちらへ?」から始まり、話しているうちに「人生をどう生きるのがベストか」という話になった。

「私はビルダーだから、例えば3日働いたら休んで、続けて働かないといけないときは4日間休んだりしていたよ。今はリタイアして、こうして妻と旅をしているんだ。」

 

「君は仕事なにをしてるんだ?そうかホテルのレセプションか。それならクィーンズタウンに行きなさい。あそこならアコモデーションも多いからすぐに雇ってもらえるよ。」

 

「例えばね、テニスプレーヤーやゴルフプレーヤーは自分の好きなことでお金を稼ぐことが出来るけど、だからちゃんと休みを取って働かないといけない。毎日、帰ってワインを飲むだけではつまらんだろ?」

 

まさに毎日仕事を終わって帰るとビールを飲んで寝るだけだった私には、ひどく羨ましい話に聞こえた。

 

おじいさんは更に続ける。

 

「生きていくにはお金はどうしても必要だ。だから少しずつ節約する。私は車は自分で修理するよ。」

 

ただ、ワインでほろ酔いのおじいさんがとりとめもなく話していただけかもしれない。

ただ、やはり何か惹かれるものがあって、十分には理解出来なかったが、私は一生懸命その話を聞いた。

自分の人生を自分の身の丈に合った形で、素晴らしいものにしようと、コツコツ日々を重ねてきたおじいさんの話、いつも夢を持って生きてきた、というのが、その話ぶりと、優しい顔から伝わってきた。

 

私は話しているうちに、そんなおじいさんの幸せを少しお裾分けしてもらった気がした。このおじいさんが丁寧に生きて、大事にしてきた幸せのほんのわずかを。

こんな風に私も見知らぬ旅人に自分の幸せを分けてあげる人になりたい、そう思った。

ジンジャースライスと墓地とチャーハンと -cycling NewZealand -

その街は小さな街だったが、旅をしている私には必要なものがちゃんと揃う町でちょっと意外だった。南島の田舎街なんて全く期待していなかったので、失礼な話だが、もっとシケた街かと思っていた。あれぐらいの街は住むのに心地良さそうだ。

 

その街、Murchsonはその日の朝いたセントアーノルドから70キロ足らず。南島の北部の山岳エリアを走り、西海岸へ抜ける途中にある街だ。

 

この日はセントアーノルドの湖畔が目の前に広がる素晴らしいロケーションのキャンプサイトを後にして、アップダウンの道を走った。

 

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南島は北島より街が少ないというが納得だ。北島だと50キロぐらい行くと次の街に着く印象だが、南島だともう少し街から街まで離れている、というか街がない。

この日も地図を見て、ルート上に昼ごはんが食べられる街はなさそうだったので、前日に昼ごはんを用意しておいた。

 

この頃から前日の夜に次の昼食を用意しておくことが多くなった。昼にカフェでカプチーノとバーガーを食べるより、もちろんこの方が経済的である。

 

昼ごはんにはサンドイッチのようなものをよく作った。スーパーで安く売っている味付けしてあるチキンをソテーして、トーストブレッドで挟んだサンドみたいなものか、ひき肉を多めに買って、夜のパスタに使って、残りはハンバーガー風のサンドを作っておいて、翌日持って走ることが多かった。

野菜は基本スライスオニオンぐらいしか入らない。野菜はオニオンくらいしか買わないからだ。オニオンは、夕食のパスタに入れてもいいし、葉物野菜より日持ちする上、携帯しやすい。NZのスーパーでは野菜は量り売りなので少量買えるとこもよかった。

ちなみにいつも朝食はあちらの薄いトースト3枚くらいにジャムを塗り、コーヒーと食べる、というのが定番で、夜はといえば、パスタだが、スパゲティはバッグの中で折れてしまうので、ネジネジのフジッリをいつも持っており、大抵パスタにすることが多かった。

 

日によってはスーパーでパスタ用のシーズニング(NZではマギーのシーズニングがよく売っていた)を買い、ひき肉かツナ(他の具はなかなか高くて買えない。)でパスタを作るのだが、シーズニングが予想と違う味がすることがあって、なかなか面白かった。今だにあのときの不思議なカレー風味のパスタが食べたいな、と思うことがある。

 

 

昼を過ぎて、割と早い時間にマチソンに着いた。

 

キャンプ場に向かいチェックインの手続き。

川沿いの切り立った崖のそばのなかなかのロケーションの上、キッチンとリビングがしっかりしていて、全体的に清潔なキャンプ場だ。これで10ドルなら安い。もっとも、墓地の隣ではあったが…とはいえ、眩しいNZの青い空の下に並ぶ墓は草が綺麗にかられており、明るい雰囲気で全く気にならなかった。

 

テントを張って荷物を下ろすと洗濯物に取り掛かった。ランドリールームの大きな流しで、ゴシゴシ洗う。有料の洗濯機も大抵置いてあるが、私は殆ど手洗いでランドリー代を節約していた。

 

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洗濯物を干すと、買い物に出かけた。

マチソンは小さい街だが、カフェは数件あり、スーパーも一応あった。

 

そろそろ米が食べたいな、と思い、米を買う。キャンプだと米は炊いた後、鍋を洗うのが面倒だが、この日のキャンプ場はキッチンも使えるし、鍋も食器も充実していた。こういうとき、思いっきり米を炊くのだ。

 

米と卵、それと忘れてはいけないビールを買い、スーパーを後にする。ビールを買って一日の出費が30ドル未満だと気分がいい。当時のレートで日本円にして2500円といったところか。

 

スーパーからキャンプ場に戻る途中、カフェの前を通るとストリートに面したカウンターの上に瓶に入ったビスケットなどが目に入った。

なんとなく見ていると”Ginger slice $1”と茶色くて薄いチョコレートのようなお菓子があった。見かけたことないお菓子だし、1ドルくらいなら、と買うことにした。

ジンジャースライスは薄いパリッとした砂糖菓子で、どうやら生姜と砂糖を煮て、薄く伸ばして固めただけのような感じだった。

久しぶりに食べる生姜の味としっかり甘い砂糖が軽めとはいえ、一日走った体にはくどくもなく美味しく感じられた。後にも先にもジンジャースライスを見かけたのはあれきりである。凄く美味しかった、という訳ではないはずだが、どこかにないかなぁ、とふと思い出すことがあるのだ。

 

キャンプ場に戻ってくる。

客はあまりいないようだ。こういう方が気楽でいい。NZはいいところだが、元気の良すぎる若者が、その有り余るエネルギーを持ったまま、ユースやバックパッカーに来ることも多く、直接何か話す訳でもないのだが、そんな様子を見ているだけで疲れる、ということがたびたびあった。

 

楽しみにしていた米を炊き、炊いた米をそのままチャーハンにする。

どうみても作り過ぎな量が出来上がったが、食べれない気がしなかった。旅するサイクリストはいつも腹っ減りなのだ。

 

キッチンでご機嫌でチャーハンを作っていると、若い女性の二人組が入ってきた。二人で盛り上げていたが、私のチャーハンの量を見て、そのうちの一人が「あなたそれ一人で食べるの!」ときいてきた。

「食べるよ。腹が減ってるんだ。」と答えると信じられない、という顔をして、友達のところに戻っていった。

 

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大盛りチャーハンの夕食を終え、ビールをチビチビ飲みながら、地図とガイドブック「ロンリープラネット」を眺める。

翌日には西海岸に出る。一旦、北のWestPortかそこより南のPunakaikiに出るか、その先はどうするか。

 

北島で一緒に走ったスイスのルティアとクライストチャーチあたりで合流する話も考えないといけなかった。

 

彼女とはネイピアで別れたあと、度々メールで連絡を取っていて、「クライストチャーチあたりで会おう」ということになっていた。

 

「どうしようかな」さして考えている訳でもないのだが、

そう呟きながらビールを飲んでいると

 「あなた、車で旅行しているの?」と、

いつのまに来たのか、さっきの女性がきいてきた。

「いや、自転車だ。北島を一か月走って明日は西海岸だ。ウェストポートかな。」私が答えると

「自転車なの!?信じられない。」聞けば彼女とそのお友達は車で旅行しているらしい。

向こうから話しかけてきたので、もっと仲良くなれるかな、と淡い期待を抱いたが、彼女はそのままリビングを出ていった。

 

 

「なんだ。ネコみたいな女だな。」

 

 

St.Arnord -cycling NewZealand -

バスでモトウェカに戻った私は、前日宿泊していたキャンプ場に再び泊まった。

わざわざモトウェカまで戻ったのは、フェアウェルスピットから先は西に進む道がないため 、一旦南の山岳地帯に入り、西海岸を目指すことにしたからだ。

 

この日、モトウェカからどのルートを走ったのか記録が残っていないため不明だが、西海岸との間にあるMurchisonを目指して走っていたようだ。

 

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途中、反対側からやってきた初老のアメリカ人サイクリストと話すとなんと、愛知県の大学で先生をしているそうだ。私も愛知から来た、と伝えると話が盛り上がった。

彼は是非、セントアーノードに行くべきだ、と勧めるので、そちらに向かうことにした。

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途中、大きなホップの畑を横切った。

帰国後、ある日本のビールメーカーが「ネルソン産ホップ使用」のビールを売っていたが、このあたりのホップを使っていたのだろうか。

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無人販売所で売っていた洋ナシ。食べるまで洋ナシと分からなかった




 

アップダウンの続く道走り、珍しく110キロ走った。この頃は一日走っても100キロいかないことが多かった。

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セントアーノルドのキャンプ場はDOC管理のところで、無人だった(DOCについてはこちらの記事参照)。DOCのキャンプ場は施設が最小限と聞いていたが、ここはトイレの他にキャビンがあり、充実していた。

 

理想の湖畔のキャンプ場というのは、あるようでなかなかない。

日本だと長野あたりには湖畔のキャンプ場があるが、人気で人が多く、理想の環境からは遠い。

ここは広くて人はほとんどいないし、何よりRotoiti湖が目の前、というのがよかった。

 

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キャンプ場の利用料は10ドルだったが、管理人不在のポストにお金入れるだけの方式で、たまたま細かい紙幣がなく、支払いに困った。ほかのキャンパーに「お金を崩してくれ」と頼んだが、「大丈夫だよ」と言われてしまった。

まあ、DOCの人が来れば払えばいいし、来なければ次のDOCのキャンプ場で払えばいいだろう、ということにしておいた。

 

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素晴らしいキャンプ場であったが、ここでフィヨルドランド名物のサンドフライと初めて遭遇した。これ以降、南島の旅はサンドフライとの戦いになる。サンドフライに刺されるととにかく猛烈に痒くなるのだ。サンドフライについて説明すると長くなるので、またの機会にする。

 

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地ビール。これは美味しかった。

夜、屋根のあるところで食事を作っていると、日本人がやってきた。「あなたのそのレインジャケット見覚えがある。コリンウッドカフェにいなかった?」

話してみると、同じ日にコリンウッドにいたようだ。

よく焼けた肌と短い髪型から男性かと思ったが(失礼)、女性だった。装備を見て、私より旅慣れた人だ、とすぐに分かった。

 

彼女はNZ各地で温泉巡りをしているらしい。中でも南島の西海岸にある「copland track」というトレイルの奥にある温泉が見事なエメラルドグリーンで美しいと教えてくれた。ただトレイルの入り口から、途中、川に半分つかりながら道を進んで丸一日歩き、辿り着けるという。

「行くのは大変だけど、キャンプして、夜中に一人で温泉に入って夜空を眺めるのは、本当に素晴らしいの!」

彼女は熱く語ってくれた。

「でも、あそこはDOCの職員が来て、キャンプ場の利用料をワザワザ徴収しにくるの!びっくりでしょ?」

エーベルタズマンで会ったドイツ人夫婦もそんなことを言っていたが、ここにはいないようだ。僻地で人気のキャンプ場は積極的に見回りしてるのかもな、と勝手に思った。

 

レイにもらったズッキーニをニンニクとオリーブオイルで炒めて出すと、彼女は美味しそうに食べてくれた。

 

お礼に、と言って彼女は薄いグレーのツルツルした貝をビニール袋からジャラジャラ出して見せてくれ、少し炒めて出してくれた。味はアサリのようだ。

「あなた、フェアウェルスピットに行ったのに貝掘ってないの?」

彼女は驚いたように聞いてきた。

「いや」

私にとってフェアウェルスピットは風と砂と空が支配する独特の世界で、私はただその景色に圧倒されていたので、まさか貝が掘れるなどとは思ってもみなかった。

 

「フェアウェルスピットに行ったらこれを掘らないと。」

それから食べ物の話になり、海岸でムール貝を取ってブランデーで煮て瓶詰めにしている日本人旅行者の話などをした。

 

ビールが終わる頃、それぞれのテントに戻った。

思わぬところで出くわす日本人は面白い人が多いな。

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遅れたバスを待つ間に -cycling NewZealand -

私の家に来て、食事にラタトゥイユが出てきたら、こんな話をするかもしれない。

ニュージーランドのコリンウッドって小さな街でバスを待っていたら、地元の夫婦が声をかけてくれてね…」

 

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この日はモトゥエカに戻るためにバスに乗ることになっていた。

わざわざバスを使ったのはコリンウッドから出るにはTakaka Hillをもう一度登るという 選択肢しかなく、ちょっと面倒だったのと、一度ローカルのバスを使ってみたかったからだ。


朝、バスが来るまでの時間「Collingwood Cafe」でまたカプチーノを飲む。
前日来たことを店員の女性は私のことを覚えていたらしく、注文を書くノートを遡って見て、

カプチーノの上にはシナモンだったかしら?」ときいてきた。

「そうだ。でも今日はチョコレートにしてくれるかな?」と笑顔で答えた。

こういう、ささやかな会話が旅先の街の印象を決める。コリンウッドの印象が非常にいいのは彼女のおかげでもある。

カフェでバス停の場所を聞き、(カフェのはす向かいだった。)
バスを待った。

 

コリンウッドの街には特別なものは何も無い。 

空の色を映した遠浅の海と小さなストリートがあるだけだ。

そんな街のことは10年以上経った今でも、しばしば思い出されるのだ。

 

 

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バス停と思われる場所でうろうろしていると、一人の女性が声をかけてきた。

「あなたバスに乗るの?バスを待つならここでいいのよ。私はネルソンまで行くの。私はイェン。彼はレイ。あなたは?」

「シマです。イェン。」

いつものように、自分はサイクリストで、北島を回って、南島を回り始めたところだ、と言っておいた。イェンはとなりに立っていたレイと一緒にコリンウッド郊外に住んでいると言う。

レイは赤いクラシックカーでイェンの見送りに来ていた。三人でしばらく話す。

 

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バスは定刻になっても来ない。


「遅いですね。」などと言っていると、一台のバンが止まり、運転席から男が身を乗り出した。

 

「ネルソンでバスが故障したんだ。代わりが来るまで一時間くらいかかるから待ってくれ。」

男は我々にそういい残すと、走り去った。

 

「私は別に急いでないよ。」というとイェンが「私も」と相槌をうった。

"Me,Neither"と言ったのがなんとも英語らしい表現だ、と思った。

 

それからイェンとレイがなにやら話し合ったあと、

「シマ、向こうの自動車工場のガレージで君の自転車を預かってくれるから、おいてきなさい。時間まで私たちの家でお茶しましょう。」とイェンが嬉しいお誘いをしてくれた。

 

もちろん、「行く!」と答えた。

 

レイご自慢のクラシックカーで「Farewell Spit」の方角で向かう。1930年代の彼の車はシートベルトが無かった。

 

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おちゃめなイェン

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イェンが撮ってくれた

 

コリンウッドから10分ほど行くとかわいらしい白い家があった。

 

ふたりの家は大きくはないけれど、天井が高くて明るかった。小さな庭は小道を抜けると砂浜に続いていた。なんて素敵なところに住んでいるんだろう。

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庭の白いテーブルでお茶をしながら、いろんな話をした。

 

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ふたりはずっと一緒にいて、いろいろな街で、いろいろな仕事をして、子供を二人育て上げ、少し前にコリンウッドに移ってきたという。


仲むつまじいふたりがとてもうらやましかった。

二人で少しずつ少しずつ人生を歩んでいたんだろう。

青い海へ続く小さな庭を持つ白い家はふたりにふさわしい、と思った。

 

イェンが庭を案内してくれた。「少しだけど、野菜を作ってるのよ。たまに潮でやられてしまうけど。トマトとかね。シマ、あなた野菜は食べるの?」
私は「食べるようにしている」と答えると、イェンは「ちょっと待っててね。」と家の中に消えていった。

しばらくしてイェンがまるでヘチマのような大きなズッキーニをもって戻ってきた。大きすぎてはじめは何か分からなかったほどだ。

 

横で聞いていたレイが「ズッキーニのスペルはどうだっけ」といいながら、辞書を出してきて調べ始めた。こういうところも素敵な人だな。


その後、このズッキーニは炒めものやラタトゥユになった。

 

楽しいひと時をふたりの家で過ごした後、レイがバス停まで送ってくれた。

 

バス停に戻るとやがてバスが来た。バスはいわゆるバスではなくワンボックスだった。

 

バスではイェンが助手席に座り、私は自転車と共に一番うしろに座った。イェンはさかんにうしろの私に「シマ、Are you OK?」と何度も声をかけてくれた。

 

モトゥエカで私がバスを降りると、イェンが「シマ、ハグよ。」と目に涙を浮かべて、やさしくハグしてくれた。

 

ありがとう、イェン、レイ。

ほんとうの幸せって何か少し分かった気がする。
あんなふうになれたらいい、強くそう思った。

 

あの日、もしネルソンでバスが故障しなかったら。

旅の出会いは偶然の産物。

 

Farewell Spit -cycling NewZealand -

タカカの朝は快晴。

南島最北端のFarewell Spitを目指した。

フェアウェルスピットは鳥の嘴のように細長く伸びた海岸線が作り出す独特の地形でその長さは26キロにも及ぶという。

サイクリストは、「最北端」とか「果て」という言葉に弱い。

 

「北の果てか。」

声に出してみると、なんだかわくわくしてきた。

 

フェアウェルスピットに行く前に、途中にあるPupu springsに向かう。

ウティアンガで会った人が「ぜひ行った方がいい」と薦めてくれた場所だ。

ここは透明度の高い湧き水で有名らしい。

 

あまり有名な観光地ではないせいなのか、私が朝から行ったせいか分からなかったが、私以外に訪問者はいなかった。

 

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よく整備された静かな場所で、噂通りのターコイズブルーの湧き水を見ることが出来た。

 

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ププスプリングスを後にし、Coolingwoodの街に向かう。

南島の西の先端から陸地が細く弓なりに伸びるフェアウェルスピットが作り出す湾はゴールデンベイと呼ばれており、コリンウッドはその玄関口。

 

タカカからコリンウッドに続く道は内陸からやがて、海岸線に出た。

 

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淡いグレーの干潟が広がる景色はとても美しかった。

いろいろ期待して行ったププスプリングスよりも、こちらの方が感動した。

 

ほどなくしてたどり着いたコリンウッドは昔のロードムービーに出てきそうな小さな街だった。

Lonely Planet』によれば人口わずか250人。

スーパー、カフェ、バー、バックパカーズにキャンプ場、街のすべてが500mほどのメインストリートに並んでいた。
二階建てより大きな建物が無く、他の街よりも空が広く見えた。

 

「なんてのどかな街なんだ。」

 

ゆるやかに流れる街の時間に私は自然に取り込まれていった。

 

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メインストリートのカフェで食事をする。カフェの名はその名も「Coolingwood Cafe」。

 

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店のドアを開けるとレジカウンターの女性が愛想よくあいさつしてくれた。

そのままカウンターで注文。

飲み物はいつものようにカプチーノだが、上にかけてもらうのはチョコレートではなく、シナモンにした。

実は少し前まで、カプチーノを注文した際に聞かれる「Cinnamon or Chocolate on top?」というのがずっと「chocolate」の部分しか聞き取れず、この頃になって、ようやく何を聞かれているのか分かったのだった。

 

店の女性は、マス目に仕切られたノートに注文を書き込んでいた。

 

 

食事の方はと言えば、普段はハンバーガーが多いが、この日は珍しくフィッシュバーガーを注文した。

 

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昼食の後、キャンプ場に行く。この小さな街にキャンプ場もバックパッカーもあるなんて奇跡のようだが、これもフェアウェルスピットが近く、私のような旅行者がよくやって来るからだろう、と勝手に想像した。

 

キャンプ場はちょっと古いところだったが、一応キッチンもあって、一泊10ドル。キャンプサイトの隣がすぐ海というのがうれしかった。

 

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キャンプ場には私以外にも客がいた。

古いタイプのソロテントが張られている。しばらくすると、丸いメガネが印象的なサイクリストが外からテントに戻ってきた。自転車は古いスポルティーフだ。

何から何までクラシックな感じで、彼なりのこだわりなのだろうが、なんだかおもしろかった。何を話したかは全く覚えていないが、テントの前で食事をしながら、はにかんでいた彼の顔が今でも思い浮かぶ。

 

キャンプ場に荷物を置くと、軽くなった自転車でフェアウェルスピットに向かった。

 

コリンウッドからフェアウェルスピットの付け根までは10数キロほど。

 

当時は知らなかったが、フェアウェルスピットは自然保護区になっており、一番奥まではツアーに申し込まないと入れないらしい。

 

フェアウェルスピットを望む丘までは自転車で入ることができた。

 

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弓なりに伸びるフェアウェルスピット



私は自転車を置いて、フェアウェルスピットへ降りて行った。

 

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どこまでも続くのではないかと思われる砂浜。

砂浜という言葉はどこかしっくりこない。普段は海で潮が引いているところなのだろう。


美しいと思う。だが、どこか荒涼とした景色。

 

強い風が身体から体温を奪っていき、砂が地面を走っていく。

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私は不思議な気持ちになり、しばらく黙々とただ前に進んだ。

 

 

旅の感覚や、ひとりで世界の只中にいるような感覚、冒険の最中で苦境に陥っている感覚、こうした感覚は経験したものでないと理解できない類のものであろう。

 

冒険者の感覚と哲学者の思想との乖離。いつか学んだ学問のことが頭を巡っていた。

 

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どこまでも広がる空、遠くに近くに見える海、足元に広がる砂の世界でひとり強い風に背中を押されながら、そんなことを思った。

 

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