定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

ホームステイ day4 -cycling NewZealand -

ルティアがもう食料をあまり持っていない、というので、私が持っている食料で朝食を用意した。

バッグのなかで変形したトーストにハチミツを塗り、シナモンをかける。もちろんいつものように豆から淹れたコーヒーを添える。

「あなたのコーヒーはいつもreal beanね。私はいつもインスタントだけど。」

シンプルな朝食だったが、ルティアはとても美味しいと喜んでくれた。

 

ルティアは朝食後、航空会社にリコンファームしないと、と言ってゴソゴソやっていたが、結局、かけるべき電話番号が分からなかったようだ。

 

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海岸に行く道で見かけた干物

朝から再びアカロアを歩く。丘の上に向かって行くと、民家に植えられた赤い葉の植物にルティアが目を止めた。「これ素敵。うちでも育てたいわ。」ルティアはその植物を写真に収めていた。スイスの気候で育つのか、そもそもスイスで手に入るのか、疑問はいろいろあったが、そこはあんまり問題ではなかったのかもしれない。

 

「私の家の後ろはすぐ、こういう丘の道になっていて、そのままトレイルに入れるの。だからよくトレイルを走ってるのよ。」ルティアが教えてくれた。

なるほど、ルティアは普段から鍛えているんだ。

当時はその程度にしか思わなかったが、今となってはなんと羨ましい生活環境かと思う。家からトレイルまですぐなんて。気軽にアウトドアアクティビティが気軽にできる環境があるのは、さすがスイス、と言ったところか。

 

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丘の上から羊の牧場が見える。赤いトタン屋根の建物がいい感じだ。

羊を見ているとルティアが「シマは羊珍しいかもしれないけど、私は家で沢山の羊を飼っていたから、珍しいとも何とも思わないわ。私は四人姉妹の三番目で、みんなで面倒みてたの。」と教えてくれた。

 

羊たちをよく見ると一頭が柵の外にいた。

「たまにいるのよね。どうしてか柵の外に出ちゃう羊が。」ルティアが懐かしそうに笑った。

 

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どこかのカフェで食べたチョコとキャラメルのファッジ

ファッジの有名な店があるので、行こう、ということになった。

ファッジというのは、イギリスの伝統的なお菓子で、砂糖、バター、生クリームなどで作られている。口に入れるホロっと崩れて、ものによっては砂糖がザラッとする。

日本では馴染みはないが、ニュージーランドのカフェではよく見かける。私もこちらに来るまで知らなかったが、一つ2ドルほどで、5センチ四方ぐらいの大きさのものが出てくる。びっくりするほど甘いが、毎日自転車で走っている私にはちょうどいい補給食だった。私はこれまで何度か食べていて結構好きだ。

 

アカロアのファッジ専門店はかなりの種類があった。普段カフェで見るのは大抵チョコレートかキャラメル味の地味な色のだが、ピンクなど鮮やかなものもあった。

 

自分用に少しとアニータたちへの土産にもいくつか買った。味のほうは期待したほどではなく、まあ普通だった。観光地のせいか、値も多少張るし、大きさも小さかったと思う。これなら普通のカフェで買ったほうがいい。

 

アニータたちの土産にはファッジの他にチーズを買った。そうした土産もまあまあな金額になって、ルティアにお金を使い過ぎだ、と言うと、アニータたちにはとてもお世話になったんだからお礼をして当然でしよ、とたしなめられた。

ルティアが正しいのは分かっていたが、それぐらい今回の旅行での出費は痛かったのだ。

 

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一通りアカロアは回った、というところで遅めの昼ごはん。久しぶりにカフェでハンバーガーを食べる。エッグバーガーだ。エッグバーガー好きなのでカフェでときどき注文していた。

 

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アカロアを離れ、一路クライストチャーチに向かう。普通に行けば一時間半もあれば着いてしまう距離だ。

半島の真ん中を上っていく山道を進んでいく。

ニュージーランドは日本のようなガードレールはほとんどなく、山道でも崖側に太いワイヤーが張ってあればいいほうだ。またカーブミラーも少ない。

アカロアからの道もそんな感じだった。そんな見通しの悪い山道を私にしては珍しく慎重に走っていくと、突然対向車が出てきてビックリ!というのが何度かあった。向こうはどういうつもりで運転しているのだろう。

 

 

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リカンベントで走るルティア



 

 

明日にはお別れになるルティアだが、40過ぎて一人で海外を自転車で旅しているのもさすがだと思うが、数年前まで自転車競技で企業からサポートを受けていたそうだ。今回のニュージーランド旅行でも着ていたジャージの一つがそれらしい。しかも競技はリカンベントのタイムトライアル。

 

リカンベントは日本ではほとんど見かけない寝そべって乗る自転車のことで、ヨーロッパではそれなりに見かけるらしい。たぶん日本ではリカンベントのタイムトライアルなんて競技すらないのではないだろうか。また彼女はリカンベントを二台所有しているらしい…

そこまで聞いて私は驚いて口を開けていたが、さらにすごいのはルティアの友達のローズマリーの話である。

 

ローズマリーリカンベントのタイムトライアル女子の世界チャンピオンで、いつかのカテゴリーでタイトルを持っているらしい。またなんとリカンベントを10台以上所有し、ヨーロッパ各地のレースを転戦しているらしい。ルティアも一緒に行くことがあるらしいのだが、車ならスイスからベルギーあたりぐらいは行けるらしい。

Googleで調べたらスイスからベルギーまで8時間弱といったところのようだ。

それにしてもよくやるものだ。

何でもルティアがマフィンを焼いて持って行くらしい。ルティアに君のマフィンのレシピを教えてよ、と言うと後日メールでレシピを送ってくれた。

 

ルティアは今回のニュージーランドの旅にあたり、人材派遣会社のマネージャーの仕事を辞めてきたらしいが、また帰国して仕事はすぐ見つけられるから心配はしていない、という。

帰国しても全く仕事のあてのなかった自分には羨ましい話だった。それだけ努力してきたのだろう。とにかくルティアはかっこよかった。

 

 

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クライストチャーチには早めに着いてしまったので、郊外の公園をウォーキングした。クライストチャーチには多くの公園がある。私たちが行った公園は何かの採掘場の跡のようなところを整備したものらしかった。

 

公園をウォーキングした後は、空港近くのレンタカー屋に車を返却。となりがガソリンスタンドで給油をしてそのまま返却できて都合がいい。

 

少し待っているとアニータが例のかわいいヴィッツで迎えに来てくれた。

 

晩御飯はフィッシュパイに、ポテトとサラダだ。フィッシュパイはパイといってもパイ生地に乗っているわけではなく、大きな深い皿に魚とホワイトソースが入ったものだ。後で知ったが、イギリス系の家庭料理では、こうした生地のないパイもよく食卓に並ぶらしい。

アニータはなかなか料理上手である。

 

アニータに旅行の土産を渡し、リビングで寛ぐ。

 

ニューカレドニアに行くときに、自転車を預かってくれないか頼んでみると、快諾してくれた。

 

「なんでわざわざニューカレドニアなの?出国するだけならオーストリアでたいいでしょ?」とアニータにごもっともな質問をされる。

 

「それは、白いビーチでカクテル飲みたいからさ」と私が嬉しそうに言うと、「ハッ、高いカクテルねー。カクテルくらい私が作ってあげるわ」と呆れた様子だった。

 

 

 

Akaroa - cycling NewZealand -

ジェルダリンのバックパッカーを後にして、ルティアと私はクライストチャーチの南東にあるバンクス半島に向かう。テカポ湖からまたわざわざクライストチャーチに近い半島に戻るのはルティアが両方行きたいと希望したからである。ルティアは帰国間際だし、私としてはどちらとも行ったことのない場所だったので、車の移動ならいいな、と思い彼女のプランに同意したのだった。

 

車を再びクライストチャーチ方面に向かって走らせる。丘陵地帯を黄金色に染める小麦畑が美しい。丘の上で車を停める。

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そんな調子でのんびりとドライブを楽しんでいた。海外の運転はどうだろうと心配していたが、ニュージーランドは日本と同じく車は左車線の右ハンドルで、信号はほぼないし、時折現れるランナバウトも一度ルールを覚えれば難しいものではなかった。

 

小さな街で休憩。

カフェに入るともう薪ストーブに火が入っていた。そんなに寒いとは感じていなかったので驚いた。これからもっと寒くなる、そう思うとこの先の旅のことが少し不安になった。

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気をとりなおし、ショーケースのケーキを眺める。

色とりどりのケーキが並んでいる。私は白くてクリームがたっぷり乗ってるいるLemon meringue pieを選んだ。

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レモンは読めたが「meringue」が読めず苦戦しているとルティアが「メレンゲ。」と教えてくれた。ああ、レモンメレンゲパイね。

レモンメレンゲパイは甘くないヨーグルトかクリームを選ぶようになっていて、パイの横に添えてくれるらしい。私はヨーグルトを選んだ。小さなココットに入れられたヨーグルトがパイと一緒に出てきた。クリーム頼むと固めにホイップ?されたクリームがアイスのようにディッシャーでかたどられてついてくるらしい。

パイは下のレモンの層と上のメレンゲの層に分かれていて、メレンゲの甘さは想定内だったが、レモンの層がびっくりするぐらい酸っぱかった。そんなパイとヨーグルトの組み合わせはなかなか良かった。

 

ナイスなケーキを堪能し、一路バンクス半島アカロアに向かう。

 

バンクス半島は火山性の地形らしく、ほとんど円錐形の半島は中央が標高が高くなっている。アカロアまでの道は半島南の海岸線から一旦ウネウネと半島中央に登っていた。

中央で南に折れ、そのまま円錐形の半島に食い込んだアカロア湾に着く。

 

バンクス半島に入り、海岸に降りられるところを見つけて、車を降りる。

 

曇り空の海は荒々しい。

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波に削られたのだろう。海岸にはビスケットのように平たく丸い石で埋め尽くされていた。私は一つ石を掴むと荒波に向かって投げた。

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アカロア到着。

アカロアは街自体が観光地といった雰囲気だった。

この記事を書くために少しアカロアのことを調べたら、アカロアのあたりはフランス人の入植者が多く、その影響を受けた建築物が残っているところらしい。

 

 

まずはユースホステルに行き、宿を確保する。

ユースホステルには駐車場がなくて、どうしたものかと思ったが、そこは道の広いニュージーランド、路上駐車で問題ないらしかった。

 

チェックインするとき、フロントの女性が気を遣ってくれたのか「ダブル?相部屋?」と聞いてくれた。年齢も性別も国籍も違う私たちを見て、カップルかどうか判断しかねたのだろう。「相部屋で」ルティアは答えた。

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車と荷物を置き、アカロアの街を散策する。

 アカロアの街は可愛い建物が多く、歩いているだけでも楽しめた。

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ルティアは小腹が空いたのか、バッグからニンジンを取り出すと、器用にナイフで皮を剥いて、歩きながらポリポリ食べていた。前にも峠で休憩しているときにルティアがニンジンを食べているのを見たが、本当にリンゴかバナナでも食べるくらい自然である。

私が感心して見ていると「シマ、食べる?」とルティアがきいてくれる。

「私はいいよ。日本人もよくニンジンを食べるけど、そうやって皮を剥いて、そのまま食べたりしないんだ。」私が答えるとルティアは不思議そうに「ふーん。じゃあどうやって食べるの?」と更にきいてくる。

「生でも食べるけど、ボイルしたりするのが多いかな。」と答えておいた。

ルティアはこうやって食べるのが一番、といった様子で残ったニンジンをポリポリ食べた。

 

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この日は二人の夕食は最後だから、夕食は外で食べよう、ということになった。

 

昼間散策しながら、当たりをつけておいた店に入る。

 

落ち着いた雰囲気の洒落た店だったが、メニューもお洒落で値段のほうもそれなりである。

ムムム。

クライストチャーチに来てから、何だかんだで散財続きで、お金が出てく度にため息をついていた。私の旅は基本的にお金を使う一方である。ワーキングホリデーの人のように途中でフルーツピッキングのバイトでもしないといけないかもしれないと時々考えていた。

 

ルティアは昼間、外に出ていたメニューと違う、という。昼間見たときにはシーフードの盛り合わせみたいなものがあったという。そうだったかな。

 

長い間、メニューを眺め、店の人を呼んで聞いてみると、そういうメニューはない、という。ルティアがこだわるので、「別の店じゃないかな?」と私が言うと、結局、その店を出ることになった。

 

その後近くの他の店で、ルティアはシーフードの盛り合わせを見つけて、我々はようやく夕食にありつけた。

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夕食のテーブルには水の入ったグラスが出されていた。私は何も考えずに飲んでいたが、ルティアが「スイスだと水は高いの。外で食事するときは水がなくても大丈夫なの。慣れね。」そう言って、店員に水はフリーなのか確認して、水を口にした。スイスはいろいろ物価が高いというが、外食で水を飲まない、というのもちょっとした生活の知恵だな。私はお金がないと言いながらビールがないのはもっとよくないことだ、と言い訳してビールを飲んだ。

 

ルティアはシーフードの盛り合わせに満足した様子で、私たちは歩いてユースに戻った。ルティアと旅をするのもあと一日だ。

私は一人の旅が恋しくなり始めていた。

さよなら岬 - cycling NewZealand -

ルティアと私はレイクテカポに車で向かっていた。

街と街の間のカフェ兼雑貨屋で休憩をとる。
ルティアはいつものようにトーストサンドとカプチーノ、 私はマフィンとコーヒー、ニュージーランドで言うところの"long black" である。

席について店を見回すと、ポストカードが目に入った。
バースデイやウェディングなど、さまざまなイベントに合わせて分けられていたが、そのひとつに「Farewell」があった。

「Farewell」の意味を知らなかったので辞書を引いているとルティアが「シマ、なにしてるの?」と訊いてきた。

私はポストカードの棚を指差し、「『Farewell』の意味を調べていたんだ。「goodbye」の意味だって」そう答えた。

ルティアは優しく微笑み、「えぇ、さよならの意味よ。でもそれは『goodbye』より長い別れなのよ」と言った。

私はコーヒーのカップを置き、続けた。

「ルティア、話したと思うけど前に『Farewell Spit』に行ったんだ。でもそのときは『Farewell』にそんな意味だなんて知らなかった。ただ、あの景色を見た後なら、どうして『さよなら岬』って言われるのかわかる気がする。美しいけど、あの岬を歩くとなんだかさびしい気持ちになるんだ。」

そういうとルティアは目を細め、小さく微笑んだ。

「いい、シマ?私たちの別れはFarewellじゃなくてGoodbyeよ。また会えるわ。」

「さて、行きましょうか。この先も運転お願いね。」


いつか、スイスに彼女を尋ねようと思う。
そして、私たちの別れはやっぱり"Good bye"だったと言おうと思う。

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Lake Tekapo -cycling NewZealand -

ルティアとの旅が始まった。

アニータに空港近くのレンタカー店まで送ってもらい、レンタカーを借りた我々は南に向かった。

 

行き先はテカポ湖。

 

クライストチャーチから南西に約 240キロのところにある。

 

今は星空の聖地として有名なところだが、当時は湖と良き羊飼いの教会、という小さな教会がある風光明媚な場所として知られていた。

 

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私たちは途中のカフェで休憩したり、景色のいいところを見つけて少し歩いたりして、のんびりテカポ湖を目指した。

 

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ルティアは北島で私やダニエルと別れたあと、数日間一緒だったマレーシア人のチャンと合流して、しばらく共に走ったそうだ。彼はもう帰国して日常生活に戻ったはずだ。また彼にも会いたいな。北海道を走ってみたいと言っていたが、日本に来ないだろうか。

 

ルティアはレンタカーで行こうと言ったが、彼女は全く運転しなかった。彼女もまたスイスの国際運転免許証を持っていたが、ペーパードライバーだという。余談だが、スイスでは一度国際運転免許証を取ればずっと使えるらしい。ルティアの免許証を見せてもらったが、若い頃のルティアの写真が貼ってあった。

若い頃のルティアは80年代の海外ドラマに出てきそうなくるくる髪の赤毛の女の子だった。

結局、ルティアと一緒に旅行した3日間はずっと私が運転した。

 

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車で旅行するのはこれまで何度もやってきたのに、なんだかとても奇妙な感じがしてきた。遠くにきているのに実感が湧かないのだ。ずっと自転車で旅をしてきたので、いつも目的地にたどり着くことは達成感があるのだ。自転車の旅をしていると車の旅が味気なく感じてしまう。

 

テカポ湖までの道中は曇り空だったが、テカポ湖に着くと天気は快晴。

 

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テカポ湖は周囲をサザンアルプスに囲まれているが、湖のあたりは開けていて、とても空が広く感じた。

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湖畔に静かに佇む教会は、小さいが、建物の中に入ると、正面に祭壇があり、その後ろが窓になっていて、テカポ湖が見え、自然の風景を取り入れた祭壇はなんだかとてもニュージーランド的に思えた。

 

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私は何枚も写真を撮った。

 

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ルティアがカメラを貸して、というのでカメラを渡すと私の写真を撮ってくれた。ひと月前にもイーストケープの海岸でも彼女は写真を撮ってくれたっけな。

 

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私はルティアとの旅が終わったら、クライストチャーチから西海岸に鉄道で戻り、西海岸を南下、南島の南端をグルッと回り、テカポ湖のあたりにまたやってくる予定だった。

 

この頃、季節は夏から秋に向かうところで、日に日に寒くなっていた。私は長袖の上着を羽織るようになっていた。

テカポ湖の周囲はまだ紅葉が始まった頃だったが、私が再びやってくる頃には紅葉ももっと進んでいるに違いない、きっと紅葉のテカポ湖も美しいだろう。

 

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しばらくテカポ湖での時間を楽しみ、カフェに寄ってテカポ湖を後にした。

 

翌日はクライストチャーチの東、バンクス半島に行く予定なので再び東へ車を走らせる。

 

出発前にカフェでコーヒーをテイクアウトしたまではよかったのだが、車にドリンクホルダーがなかった。

「シマ、私があなたのドリンクホルダーになるわ」そう言って笑いながらコーヒーを持っていてくれた。

 

ニュージーランドの道は少し街を離れてしまえばひたすら一本道である。私たちの前に微妙に遅いSUVが長いこと走っていたので、そろそろ抜こうかなとアクセルを踏み込むと「シマ、No!No!」とドリンクホルダーになっているルティアが叫んだ。

「大丈夫だよ。」私はそのままSUVを抜き去った。

ルティアはしばらく不満そうな顔をしていた。運転してるのは私だからいいじゃないか。

そうこうしてのんびり走っていると、さっきの車が私たちを抜き去っていった。

「ほら」ルティアが憮然とした顔でこちらを見る。

「私が悪かったよ。コーヒーちょうだい。」私はルティアからコーヒーを受け取り、残っていたコーヒーを飲み干して、コーヒーホルダーからルティアを解放した。

 

「テカポにバスのグループいたでしょ?ああいうの私出来ない。」

そういえばバス旅行の団体客がいたな。

「ああいう人たちはルティアみたいに旅をする技術を持ってなかったり、時間がなかったりするんだよ。私も無理だな。」我々のような人種にバスのパック旅行なんて土台無理な話である。

 

テカポから100キロほど戻り、Geraldineという街に到着。日が暮れてきたので、バックパッカーを探した。丘の上にあるRawtihi Backpakersというところに入った。

 

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宿の建物は小さい街のバックパッカーにしては広く、白い壁の内装やリビングのテーブルなどが、合宿施設のような印象だった。元々、そういう施設だったのかもしれない。

廊下にはネパールやインドの山々やそこを走るサイクリストの写真が宿の中には飾られていた。宿のオーナーが旅をしていた頃の写真らしい。そういえば宿の看板は旅自転車に乗るキュウイの絵だった。

 

ネパールか。

 

アーサーズパスで出会った男はネパールに行く、と言って颯爽と峠を降りていったが、彼は今頃こうした風景に身を置いていることだろう。

私もいつかネパール行く日が来るのだろうか。

 

 

ホームステイ day3 -cycling NewZealand -

寝袋のジッパーを開ける。ここまではいつもの朝だ。だが、そこはまた女の子のベッドの上。もちろん安定のソロである。

 

アニータの家に来てもう3日目である。

ホントにいいのだろうか?

 

午前中はルティアが自転車はもう乗らないからと、帰国に向けた自転車の梱包作業を手伝った。うまく箱に入らないのでハンドル外そうとしたら、「直せないからダメ」と言われた。六角レンチ一本の作業だが、それでもダメだという。その知識でよくツーリングするな、と少し呆れた。ある意味すごいと思う。

 

この日はお昼までアニータにご馳走になってしまった。なかなかアニータとレイにお礼らしいお礼も出来そうにない。

代わりに帰国したら私も迷える旅人を見つけたらご馳走してやろうと決めた。

 

 

午後からはアニータにセントラルでまで送ってもらい、先日予約したニューカレドニア旅行の支払いをしに旅行代理店に行く。前日行く予定が行けなかったので担当してくれた日本人女性のスタッフが心配していた。

「日本人だから大丈夫だとは思っていたけどね。」申し訳ない。

 

ルティアはもう数日で帰国だが、私は西海岸に戻る予定だ。西海岸にはアーサーズパスを自走で越えて行く、わけではなく、観光列車として有名なトランツアルパインを使うことにした。少々高いが、私は鉄道も好きなので、せっかくなので乗ってみたかったのだ。インフォメーションセンターで無事予約できた。

 

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カフェで食べたカプチーノマフィンとカプチーノ

その後、ルティアとニュージーランドのアウトドアメーカー、カトマンズのショップに行く。日本で言うところのモンベルのようなメーカーだ。

カトマンズはどこの店舗も品数豊富で見ているだけでたのしい。値段もマズマズである。

ちょうどセールをしているという話だったので行きたかったのだ。これからの季節、ニュージーランドはどんどん寒くなっていく。キャンプの夜を考えてフリースのパンツ(家に帰ればあるけど)とオーバーソックス(家に帰ればあるけど)、それからジッパーでガバッと開くスタッフバッグ(家に帰ってもないけど)を購入した。

フリースのパンツは大きめのキッズサイズで私には十分だった。お陰でかなり安く買えた。ちなみにスタッフバッグは中の防水の加工がとれてしまったが、今でもレースやイベントの遠征の際にウェアを入れるのに重宝している。

 

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一旦、アニータの家に戻ったあと、ルティアとスーパーに行く。

晩御飯はルティアの発案でルティアと私で何か作ることになったのだ。

 

私はココナッツカレーを作ることにした。具はパプリカ、タマネギ、アスパラガス、チキン。それからルティアのオススメで油で炒めたフライドバナナを加えた。

 

バナナ?と懐疑的だったが、ルティアが「美味しいから!」と何度も言うので入れることにした。

 

ルティア二人でキッチンに立って料理をした。

買ってきた食材を見てアニータが「アスパラはクリスマスまでは安いけど、今の時期は高いでしょ?」と言った。クリスマスにアスパラが安いというのは南半球ならではである。

私はココが持ち込んだライスクッカー(炊飯器)を借りて米を炊き、野菜を切り、ニンニクをフライパンで炒めはじめる。

ルティアがフライドバナナを作ってくれた。フライパンの蓋を指して「これは英語でなんていうのかしら?」と私にきいてきたが「知らない。何て言うんだろ?」と首をすくめるとアニータが「lidよ」と教えてくれた。

ルティアはフルーツサラダを作りながら、アニータにユースホステルのキッチンではいろんな国の人がいろんな料理を作っているから、嗅いだことない香りがして、とても楽しい。あなたも泊まってみたらいいのにと言っていたが、アニータは知らない人と相部屋で寝るのは嫌みだ、みたいなことを言っていた。

 

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のちに再現したカレー

食卓にはルティアの作ったフルーツサラダ(カットしたフルーツにヨーグルトを和えたもの)と野菜の炒め物、私が作った照り焼きチキンとココナッツカレーが並んだ。

私の作ったココナッツカレーはみんなに好評だった。ルティアの言う通り、フライドバナナはかなり良かった。火が入って甘くてトロトロになったバナナはカレーとよく合った。

ファンキーなチャイニーズガールのココもスプーンを前後に振りながら、美味しいと言ってくれた。

 

アニータは普段、ニンニクは苦手で食べないがこれなら食べられると驚いた顔をしていた。私は思わずガッツポーズをした。

 

後に日本のあるゲストハウスのイベントでカレー自慢大会があって、この時作ったカレーを再現して出した。思ったほどの出来栄えにならなかったが。

その時に「ニュージーランドのある家庭に世話になったとき、晩御飯を作ることになって…そうそう、バナナは一緒にいたスイス人がどうしても入れろっていうものだから、」とこの日の話をしたのだった。

 

食後、リビングでテレビを見ながら団欒。アニータの家ではテレビを見る時に照明を暗くしてテレビを見ていた。向こうではそういうものなのだろうか。

 

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アニータのネコ

CMで流れてきた風景がひと月前に行った街だった。「あ、ヘイスティングスだ!あそこ行ったよ。」私は声をあげた。

 

テレビはチャンネルワンのニュース番組から料理番組になった。

中華の炒めものを作っている。

シェフが茶色いペーストを中華鍋に加えた。「シマ、あれなに?」ルティアがきいてきた。「あれはオイスターのペーストだよ。チャイニーズじゃよく使うんだ。味が良くなる。」と教えてあげる。

 

「あなた今までうちに来た日本人とは違うわね。自分で料理する日本人はいなかったし、英語も殆ど通じない子が多かったのよ。」とアニータが言った。

 

今までどんなヤツがホームステイしていたんだろう?

アニータは頭が切れる人で、ルティアや私と話すときは英語が聞き取れるようゆっくり話してくれた。それからニュージーランドの人はよく”lovely”という言葉を”nice”とかそういう意味で使うと聞いていたが、アニータはよく”lovely”と言っていた。

 

私はときどき思い出して、"lovely”と口に出して言ってみるときがある。人に聞かれたら変なオッサンだろうけど、旅人に寛大なニュージーランドの大らかな気持ちになれる気がするのだ。

 

 

 

ホームステイday2 -cycling NewZealand -

朝、腕時計のアラームが鳴り、ふかふかのベッドの上で目を覚ます。

ここはレイとアニータの家だ。

さらに言うとこの家にホームステイしているチャイニーズガールのベッドの上である。もっと言えば、残念ながらベッドの上には私一人である。

 

 

どうしてこんなことになったのか、成り行きという他ないのだが。

 

借りた部屋はホームステイしているチャイニーズガール、ココのカバンや雑誌がたくさん置いてあった。ホームステイしているときはこんなにいろいろ持ち込むものなのだろうか?

 

家の人より遅く起きてもいけないかと妙な気を遣い、アラームをかけて起きたのだが、昨夜が遅かったせいか、みんなが起きてきたのは8時半頃だった。

 

アニータが朝食を用意してくれ、朝食はトーストとベーコンとジュースが出された。食卓にはジャムの他、ベジマイトが置かれていた。

ベジマイトはオーストラリアやニュージーランドではパンに塗ってよく食べられる野菜の発酵食品で、茶色というか紫色のペーストで独特の風味がある。

日本人はたいてい「酷い味」と言う。

 

これまで試す機会がなかったのでいい機会だ。私はベジマイトの瓶を手に取ると、トーストに塗った。

 

食べてみたが、意外と悪くない。

 

と、日記には書かれているが、最近気になって購入して食べてみたが、思った以上に美味しくなかった。あの頃はいつもお腹を空かせていたから何でも美味しく食べられたのかもしれない。

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ベジマイトをトーストに塗って美味そうに食べている私を見て、アニータが「今まで来た日本人は食べなかった」と言っていた。

 

朝食後、今後の予定をルティアと相談した。

彼女は3月28日に帰国予定で、25日から2泊3で二人でレンタカーを借り、彼女が行きたいところを回ることになった。この日は3月23日で、それまで我々はアニータの家にお世話になることになった。

 

ルティアは北島で私と別れたあと、自動車事故にあったそうだ。幸い足を何針か縫うぐらいで済んだらしいが、そのせいでネルソンあたりで休養していたそうだ。

 

まだ荷物満載の自転車でサイクリング出来るほどまでは回復していないらしい。そこで私と合流して車で南島の南部を回ることになったのだ。

 

あまり必要性を感じてはいなかったが、私は一応国際運転免許を持ってきていた。ニュージーランドに来る前に何人かの人から身分証明書の代わりになるからあるといい、と言われていたので用意しておいたのだ。

時々、酒を買うときに提示していたりしていたが、ちゃんと免許証として使うことになるとは思っていなかった。

ちなみに国際運転免許証は運転免許証さえあれば運転免許証試験場で簡単に取れる。

 

 

午前中はアニータの運転でクライストチャーチ東海岸に連れて行ってもらった。

途中、トンネルを抜ける。

ニュージーランドはトンネル少ないね。日本はトンネルだらけだよ。」とアニータに言うと「ニュージーランドにはトンネルは3つしかないのよ。日本は有料道路がとても高いんでしょ?」とアニータが質問を返してくる。

「そうだ。だから私は本当に必要なときにしか使わないんだ。」

そうした何気ない会話をなぜかよく覚えている。

 

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アニータは港の見える丘や海岸に連れてきてくれた。アニータは今まで何にも海外の学生をホームステイさせており、そういう学生をこうしたところに連れて来たりするのだろう。

 

 

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10年以上昔のことということもあってどんな感じだったかあまり覚えていない。写真で見ると、「ああ、こんな感じだったな」と思うが、自転車で、つまり自分の力で行っていないところは印象が薄いのだ。

 

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昼を少し回ったところで軽食。カフェに入るとルティアがショーケースに並んだチーズケーキを見て「あなたチーズケーキ食べるんでしょ?」ときいてきた。「もちろん!」私は力強く答えた。

ルティアと北島を走っていた数日間、私はカフェでよくチーズケーキを食べていた。ルティアはよくそのことを覚えていた。

 

私は真っ赤なベリーがたっぷりと盛られたチーズケーキを堪能した。

 

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午後からはAntarctic centerに行く。国際南極センターだ。

行くまで意識したことがなかったが、ニュージーランドは南極まで比較的近い。そのためニュージーランドは南極探検の拠点となっているそうだ。

 

私は何となく見ていたが、様々な展示物がある中、ルティアが映像コーナーの前で立ち止まった。

流れていた映像は南極基地、スコットベースの隊員の活動を追ったドキュメンタリーで、ブリザードに襲われる基地の様子や朝の来ない極夜を過ごす様子など、なかなか興味深い内容だった。

 

ルティアは飽きることなく、30分ほどのそのドキュメンタリーを終わりまでずっと見ていた。

 

随分熱心に見ていたので、ルティアにたずねると「私、南極に行くのが夢なの。」と。

本気か?と聞くまでもなく彼女は真剣だった。

Antarctic centerの売店にはキーホルダーといったよくあるお土産のほか『lonely Planet』の南極版も売られていた。少し買おうか悩んだ。南極もお金と行く気があれば行けない場所ではないようだ。

 

アニータに迎えにきてもらい、夕食をまたご馳走になる。明日はルティアが二人で何か晩御飯を作ろうということになった。

 

夕食はウィンナー4種の盛り合わせに、チーズ、それからオムレツ。毎日変わり映えのしないパスタばかり食べていた私には豪華なディナーであった。

 

そろそろビールが飲みたいなと思っていると、アニータの家にホームステイしているココが冷蔵庫からビールを出して「飲む?」と聞いてくれた。「ああ、ありがとう」見た目は遊びまくっている感じだったが、彼女もいいやつであった。

 

私がリビングでくつろいで靴を脱ぐと靴下が5本指で、それを見たアニータが「ワオ、ストレンジなソックスね。ライ、ちょっと見て!」と怪訝な顔をしたので、私は面白がって指をバラバラに動かした。するとアニータはますます怪訝な顔をするので私は大笑いした。

アニータとレイ - cycling NewZealand -

Dear Shima

I arrived in Christchurch today and I can stay in my friends place. It's
near to the city center.

Please call me under the phone number: 〇〇〇〇. You can also leave a
message on the answering machine.

See you soon.
Luzia

 

これが前日のルティアからのメールであった。

 

ルティアの友達の家がクライストチャーチにあるなんていうのは初耳である。てっきりまたどこかのユースかバックパッカーに滞在していて、そこで合流だろうぐらいに思っていたので、予定外の展開に混乱した。

 

電話番号こそ教えてくれたが、家主の名前は分からない。

ううん……

悩んでいても解決しないので、とりあえず私はルティアのメールにあった連絡先へ電話してみる。

 

公衆電話からメールにあった電話番号にかける。数コールして、年配の女性の声がした。

「スイス人サイクリストのルティアの友達で…」確かそんなことを伝えたと思う。相手の女性は「ああ、ルティアの友達ね。ルティアならセントラルへ行くって出かけていったわ。」と教えてくれた。私も今ちょうどカテドラルスクエアのあたりにいるから、彼女を探してみる、と言い、電話を切った。

 

そう言ってみたものの、ルティアがどこにいるのかサッパリ検討がつかない。

 

カテドラルスクエアのベンチで前日ユースで作ったオニギリを食べる。走ってない日でもお腹はすぐに空く。持ってきたオニギリだけでは足りなかった。

 

2016年の大地震クライストチャーチのシンボルであった大聖堂は崩壊してしまったが、当時はまだ大聖堂が健在だった。

 

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大聖堂の横にインフォメーションセンターとスターバックスが入っていた。

昼ごはんも足りなかったし、コーヒーでも飲みながらカテドラルスクエアを見ていればルティアが通るかもしれない、そう思い、スターバックスに入った。

 

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スターバックスではフラペチーノのラージにベーコン&エッグパイを注文した。日本よりサイズが大きいのでお得感がある。

注文すると、店員に名前を聞かれた。なにかと思えばフラペチーノの容器に私の名前を書いていた。なるほど、出来たら名前で呼ばれる訳だ。

コーヒー豆を切らしていたので、ついでにコーヒー豆を買う。豆を挽いてもらおうと思ったが、挽き方を聞かれて「紙のフィルターで」と言っても通じない。”French press?”と聞かれるが、そんな荒く挽いてもらっても、と困っていると、中から日本人の若い男性が出てきて助けてくれた。「drip」と答えるのが正解だったようだ。

 

カテドラルスクエアに出されたテーブルに座り、軽食を取りながら、人の往来をしばらく見ていた。

 

カフェの外でこうしてのんびりするのは久しぶりだ。

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やはりカフェは外の席がいいな。ルティアはよく外の席に座りたがっていたっけな。

 

それにしてもルティアはどこにいるんだろう?

 

やがて私はルティアを探すのを諦め、また教えられた電話番号にかけることにした。

 

また先ほどのマダムが電話に出て、事情を伝えると、車で迎えに来てくれるらしい。あるホテルの前を待ち合わせ場所に指定された。「車で来てもらうのはいいけど、自転車があるんだ」と伝える前に電話は切れてしまった。

 

やれやれ。

ここまで来たらなるようにしかならない。

 

指定されたホテルの前で待っているとミントグリーンのビッツ、いやニュージーランドではヤリスか、とにかくやってきて、私の前で止まった。

 

中からいかにもな感じのマダムが出てきた。年は60ぐらいだろうか、海外のよくいる感じの恰幅のいいマダムである。

 

彼女は私の自転車を見るなり「自転車は運べないわね。ついてらっしゃい」

マダムはそう言うと、車に乗り込み、すぐにミントグリーンのヤリスは走り出した。

 

マダム、待ってくれ。

そんなに速く走れない。

 

しかし、そこはさすがにしばらく行くとミントグリーンのヤリスは待っていてくれた。

 

セントラルからそう遠くないところにマダムの家があった。

 

白い平屋でガレージと庭のある明るくてかわいい家だ。いいな、こういう家。

 

マダムは名をアニータといい、まだルティアは戻ってないから、とリビングでジュースを出してくれた。

 

ジュースを頂いていると旦那さんが現れた。旦那さんはレイ。少しパーキンソン病の気があるらしく、ゆっくり体を動かしていた。

 

特にすることもなく、リビングでボッーとしていたが、レイが車でどこかに出かけるようで、成り行きでわたしもついていくことになった。

例のミントグリーンのヤリスの助手席に乗り込む。レイの運転は非常にのんびりしたものだった。むしろゆっくり過ぎてドキドキするぐらいの運転だった。

車はカーディーラーに着いた。レイは駐車したが、サイドブレーキを引かなかったので、私が降りるときにさりげなくサイドブレーキを引いておいた。

 

ディーラーでレイはしばらく何か相談していたようだが、私の英語力ではよく分からなかった。コーヒーを出されたので有り難く頂く。ディーラーの人からしたら、私はよくわからない人間だったと思うが。

 

ディーラーでレイが用件を済ませ、レイの家に戻ると、ルティアが待っていた。

 

“Shima!”

ルティアは私の姿を認めると、嬉しそうに名前を呼んでくれた。

我々は再会を喜んだ。

 

ルティアは帰国まであと一週間ほどあり、しばらくここに滞在するという。アニータたちとの関係を聞くと、直接の友達ではなく、ルティアの妹とアニータが友達、ということだった。

 

うん?

 

アニータからすれば、ルティアは友達の姉というのはいいが、私はその友達である。このままの流れだと晩御飯をご馳走になってそのまま泊めてもらう勢いだが、どうしたものか。

 

ルティアにそのあたりの話をすると「あなたが来ることは伝えてあるから、いいのよ。」とルティアは言う。

 

そうこうしていると、レイがバスタオルを持ってきて「シャワーを浴びてきなさい」と言う。

 

まあいいか。

ご厚意に甘えよう。

 

夕食の時間になった。

アニータとレイの友人夫婦を迎えて、さらに我々もいるからなかなか大所帯だ。

夕食は焼いたジャガイモとサツマイモ、カボチャが主食で、ボイルした野菜がたっぷりとラムが出た。ニュージーランドに来たら一度はラムをと思いながら食べていなかったので嬉しかった。

 

「あなたラム大丈夫?まえにうちにホームスティしてた日本人は食べなかったわ。」とアニータに聞かれた。

「ラム美味しいね。私はだいたい何でも食べるよ」と答えた。いつもお腹を空かしているせいもあったがとても美味しい食事だった。

 

食事が終わり、リビングでいろいろ話す。もっとも、私はほとんど聞き役だったが。

 

ルティアはこれまでにグリーンランドに3回も行ったことがあるらしい。

さすがだ。。羨ましいクレイジーレディである。またそれでいてクレバーなのがカッコいい。

 

そんなことを話していると、アジア人の女の子が部屋に入ってきた。どうやら彼女はここにホームスティしているらしい。名をココと言った。

この日彼女は友達の家に泊まるらしく、何と私が彼女のベッドを借りることになった。

 

やいやい。

 

成り行きとはいえ、ニュージーランドに来て女の子のベッドで寝ることになるとは…

一応、自分のシュラフシーツにくるまってからベッドに入った。

ココのベッドはドキドキしたが、ふかふかのベッドが久しぶりということもあり、意外とあっさり寝てしまったのであった。

 

 

 

クライストチャーチ - cycling in NewZealand -

一日雨の中を走り続けクライストチャーチにたどり着いた。

 

南島最大都市であるクライストチャーチ。郊外から中心部に近づくにつれ、建物が増えてくるが、あまり背の高い建物がない。土地が広いから上に伸ばす必要がないのだろう。

久しぶりに都会と実感したのはNZでおそらく一番安いスーパーpack’n saveを見つけたときだ。大きな街でないとないスーパーで北島ではしばしば見たが、南島でみたのは初めてだ。黄色に黒字のマツモトキヨシのような看板を久しぶりに見つけて気分が上がる。

 

パッキンセーブにはなぜかアサヒのスーパードライが安売りされていた。地元のビールも売られていたので、両方買うことにした。この日はユースホステル泊だったので、しっかり料理出来るように買い物をした。ビール以外に米と玉子、鶏のひき肉を買う。

スーパーのあと、少し街を見て回り、自転車屋を見つける。自転車屋が久しぶりだ。大きくはないが、なかなか良さそうな店だ。

ずっと荷物の大半を自転車のうしろに積んで走っていて、後ろのタイヤがかなり減ってきていた。

当時履いていたタイヤがロングツーリング用の耐久性の高いタイヤではなく、コンパウンドの柔らかいタイヤであったのも減りが早かった理由だろう。いずれにせよ、そろそろ交換が必要だ。

自転車屋は時間の関係で開いていなかったので、また寄ることにする。

 

街をさっと見て回り、ユースホステルへ。宿泊したのは「YHA クライストチャーチ ロールストン ハウス」。久しぶりの都会のユースである。割と街の中心部に近いところにあった。ニュージーランドの昔ながらの家といった雰囲気のクリーム色の木の建物で、赤で縁取られたかわいいところだ。

ユースには多くの宿泊客がいて、キッチンではいろんな国のいろんな料理の香りがした。

 

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買ってきた食材で晩御飯を作る。夕食は鶏そぼろ丼である。米を多めに炊き、翌日のお昼用にオニギリを作っておいた。具は残った鶏肉でつくねを作り、オニギリに入れたが、つくね大きくてオニギリにうまく包めなかったが仕方あるまい。今ならさしずめ「おにぎらず」と言ったかんじだが、まだそんなものは生み出されていない時代の話である。とりあえず握りきれなかったオニギリはラップで包んで誤魔化した。

 

一方、晩御飯の鶏そぼろ丼は我ながら上手く出来た。鶏そぼろ丼にアサヒのスーパードライ日本食に日本のビールは悪くない。

 

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ひとりでご機嫌で夕食を食べていると、ヒゲの初老男性に話しかけられる。

ああ、アーサーズパスのユースにいたお客さんだ。クレイジーなスイス人と日本人とばかり話していたが、この男性とも言葉を交わしていたのだった。

「アーサーズパスから無事に走って来たんだな。」ヒゲの男性は嬉しそうに言った。この男性は数日後、国際南極センターでも会うことになる。

 

宿泊したユースホステルクライストチャーチの東側で中心部からは少し離れたところだ。

 

翌日、作っておいた鶏つくねのオニギリを持ってクライストチャーチ中心部へ出かけた。

クライストチャーチ滞在の間にしておきたいことがあった。

 

それはニュージーランドからの一時出国の手筈だ。当時、私は最長1年間滞在出来るワーキングホリデーのビザを取得してニュージーランドに来る予定だったが、結局取れず終いで、ビザなし出来ていた。ニュージーランドは3ヶ月はビザなしで滞在が出来る。

ただニュージーランドをくまなく自転車で回ろうと思うと3ヶ月ではとても足りなかった。2ヶ月で何とか南北縦断、単純に往復しても倍はかかる。私はニュージーランドをぐるっと一周するつもりだった。

そのため、一旦ニュージーランドから他国へ出国してまた戻ってくるプランを考えていたのだ。

 

それでどこに出国するかだが、いつからかどこか南の島(ニュージーランドから見れば北の島にだが)に行こうと思うようになっていた。

 

ニュージーランドで天気予報を見るとオーストリアとフィジーソロモン諸島の天気などもやるのである。

 

また、ある人が教えてくれたが、ニュージーランドからだと、南の島を安く回れるエアチケットもあるらしい。

 

お金ことだけ言えば、オーストラリアにしばらく出るのが一番安上がりではあったが、そんな状況であったから、多少お金がかかってもいいのでどうせなら南の島でバカンスしてやろう、と思ったのである。

私が南の島と聞いて思いつくのはニューカレドニアであった。

 

『天国に一番近い島』

あの本は読んだことはないが、そのタイトルは強く心を惹かれた。

いくらかかるか分からないが、聞くだけ聞いてみよう、そう思った。

 

2016年の大地震で今はなくなってしまったクライストチャーチ大聖堂の辺りで旅行代理店を見つけて入った。

 

幸運なことにたまたま入った旅行代理店に日本人女性が働いていた。

私は運に恵まれていると思う。英語で自分のビザの問題などをうまく説明できる自信がなかったので正直助かった。

 

その女性はMさんといい、名古屋出身らしい。日本人のサイクリストは珍しい、と言われた。たしかにこれまでほとんど会ったことはない。

 

簡単にこれまでの旅の話などをして、ニューカレドニア行きのことについて相談する。

宿泊を短期滞在の貸しアパートのようなところにすれば、比較的安く出来るということだった。

クライストチャーチから北島オークランド経由でニューカレドニア最大都市ニューカレまでの往復のチケットと5日間の宿泊代で1600ドルだった。1600ドルといえば贅沢に暮らしても一ヶ月過ごせるだけの金額である。

ここまでくると勢いである。私はMさんのすすめるプランでチケットを購入した。

 

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クライストチャーチの街を走るトラム



大きな問題であった一時出国の手筈を整えて、一安心。

 

あともうひとつやることがあった。こちらは些細なことだが、ひとつは腕時計を買うことだ。

プナカイキのユースホステルに使っていた腕時計を忘れたらしく、時計ぐらい無くても平気かと思っていたが、時間と日にち、特に日にちが分からないと意外と不便ということがわかったので、買い求めることにした。

小さいジュエリーショップを見つけて入る。年配の女性がひとり、ショーケースのところに座っていた。「自転車で旅をしているんだけど、腕時計をなくしちゃって。高いのでなくていいんだけど。」

私が店の女性にそう伝えると、いくつかお手頃な価格の腕時計を出してくれた。見た目から安っぽい黒いナイロン製のベルトのものや、文字盤の周りがシルバーのメッキになっているデジタル時計などを見せてくれた。

旅のことなどを店の女性と話しながら、どちらを買うか考えた。少し迷いはしたが、どちらの値段も出してもいいと思っていた予算内だったので、少し値は張るがシルバーの方を購入することにした。

店の女性も「こちらのほうが私もいいと思うわ。」そう言って腕時計を包んでくれた。値札に書かれた値段より少しまけてくれた。こうした好意はいつでも歓迎だ。NZは旅人に優しい。

 

腕時計を購入し、とりあえず、クライストチャーチでやりたかったことを済ませた。

 

インフォメーションセンターでメールをチェックする。

 

「しまった」

 

メールを見るとルティアからメールが届いており、すでにクライストチャーチにいるらしかった。

 

この数日、ネット環境がなかったから仕方ない。私はルティアからのメールをよく読み始めた。

 

a rainy day - cycling NewZealand -

スプリングフィールドからクライストチャーチに向かうその日、朝から雨模様だった。
雨が多い、と言われるニュージーランドだが私が旅をしているときに本格的に雨が降ったのはこの日と北島での数日だけ。

北で雨に降られたときは、街まで残りわずかな距離のときと、降ったり止んだりのニュージーランドウェザーの日で友人たちと走ったときだけだ。

つまり、このとき初めて本格的に終日雨の中、一人で走ったと言っていい。

決して強い雨ではなかったが、止むことのない雨と濡れて滑りやすくなった路面、ときおり私の横を走り抜けていく大型のトレイラーが巻き起こす突風、そうした悪条件の中私はひたすら自転車のペダルを踏んだ。
早くクライストチャーチに着きたいという焦りからか、知らず知らずのうちに普段より重いギアを回していた。

大都市近郊、ということで少しは休憩できるような場所があることを期待して走ったが、ここはニュージーランド
街の外は広い空と緑の牧場と道があるだけ。
雨の中、休むに休めない状況下では普段は美しいその景色も
ただ広漠な空間にしか見えなかった。


私は雨に打たれながら、ただひたすら走るしかなかった。


そんな最中、思い出した言葉がある。

『がんばらないけど、諦めない』

この言葉はニュージーランドに来る少し前、車で小旅行した際、小布施のユースホステルの部屋にあった旅帳で見つけたものだ。若い女性と思われる少し丸い文字で書いてあった。書いた人はどんな人だろうか。

書いた女性はどうしてこんなことを書いたのか。
 
旅先でこんなことを書いた女性を勝手に思い浮かべて、なんとなく気になる言葉だ、と思っていた。
しかし、仕事の追われる日常の中で、いつからかこんなことはがんばることの出来ないヤツのたわごとだと思うようになってしばらく忘れていた。

だが、このときふと、思い出した。

そう、今まさに『がんばらない、けど諦めない』瞬間だ。
いや、『がんばれないけど、諦めるわけにはいかない』と言ったほうが正しいか。

どうしようもない状況に追い込まれたとき、最後に頼れるのは自分だけ。しかしその頼りの自分は今にも挫けてしまいそうなときがる。それでも自分ががんばるしかない。
そんなとき自分をなんとか支える言葉なんだ、と気が付いた。

結局のところ、がんばらない人生なんて有得ない。
みんな知らず知らずのうちにがんばっているんだ。
それでも挫折してしまいそうになるから、
自分はとっても弱いから、
ペダルを回すのを止めてしまいそうになるから、
この言葉をつぶやいて進めるなら
それでいいと思う。

いつの日か、この言葉がなくても前に進む強さを手に入れることが出来るなら。

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自分の弱さにまた気が付いて、自嘲的な気分になりながら、がんばれない自分を受け入れ、ひたすらペダルを踏んだ。クライストチャーチの街が霧雨になった雨の向こうに見えた。またなんとか目的地までやって来れた。小布施のユースに言葉を残していった人に心の中で感謝した。
 

カンタベリー平原 -cycling NewZealand -

出発の準備をしていると昨日のスイス人サイクリストが話しかけてきた。彼はこれからクライストチャーチに行き、クライストチャーチからはなんとネパール、カトマンズに飛ぶらしい。

「エアチケットも安いし、今が一番いいときなんだ。」彼はそう言っていたが、3月のネパールは寒いのではないだろうか。

「君はレースもやるのか?」と聞かれたので「ああ、クロスカントリーをたまにね。」と答えると「クレイジーだな。」と言われた。これからカトマンズに飛ぶやつに言われたくない。「君もな」私は言い返した。

NZではいろんな人に「クレイジー」と言われたが挨拶代りだったと思う。それこそ彼のようなクレイジーな男がよく言っていた気がする。だが、言われて悪い気はしなかった。一端のサイクリストとして認められたように思えたからだ。

 

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ネパールに行くと言っていたサイクリスト。Tシャツはどこで・・

彼と行く方向は同じだったが、私はもう出発するところだったので、そのままユースを後にした。

 

朝方少し降られたが、その後すぐに止んだ。アーサーズパスからは気持ちのいい下り基調の道が続き、順調に距離を稼ぐ。

一時間もしないうちにカトマンズ行きのスイス人が追い越して行く。

“Everything OK?”

私のペースが遅いからだろう、心配して声をかけてくれたようだ。

“No problem! Thanks!”彼の背中にそう言葉を投げた。彼は重たいギアをガンガン踏んで、あっという間に見えなくなった。

まあ、彼らからしたら私は相当遅いかもしれない。つい先日もドイツ人女性のサイクリストにサッと追い抜かれてしまったしな。

もっと頑張りたいのはやまやまだが、この頃また膝の調子がよくなく、重たいギアを踏むと膝がピキッというので無理なない範囲でペダルを踏んでいた。

クライストチャーチでしばらく自転車には乗らない予定なので、回復すると良いが。

 

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この日はPorters Passという峠があり、そこが一番の難関かと思っていたが、その手前の登り返しのほうがきつかった。軽めのギアにいれ、クルクルペダルを回して登って行く。重いギアを無理に踏むのではなく、軽いギアをたくさん回して回転数で稼ぐのだ。今でも山岳系の道では、私はこのスタイルを踏襲している。グレイマウスでメンテナンスしたおかげで、軽いギアにするのもシフティングがスムーズだった。

 

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何よりこの日嬉しかったのは珍しく風が追い風だったことだ。

風の強いNZは不思議と向かい風に捕まる気がする。

 

昼はこの日も店がないのでピクニック状態。

買っておいたマフィン数個とインスタントラーメン、あと疲れていたのだろう、ハチミツを舐めた。

この時、NZに来て最初に買ったバーナーストーブ用のガスカートリッジが一つ空になった。よくここまで保ったものだが、それだけ今まで泊まった場所の宿泊先の施設が充実していて、あまり使う必要がなかった、ということだろう。

 

一つ荷物が減って、自由になる。自由になる分、少し不安になる。旅はいつもその繰り返しだ。物が減っても自由になるだけの人は相当旅慣れた人だろう。私はその領域とは程遠かった。心配でいつも何かを買い足したりして、ちっとも荷物は減らなかった。それが私の力量、と言えるのかもしれない。

 

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ポーターズパスから先はカンタベリー平原に降りて行く道になる。

 

 

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長い下りで順調に進む。

この日の目的地、Springfieldに着いた。トランツアルパイン鉄道の駅がインフォメーションセンターになっており、上品な感じの中年女性が応対してくれた。

 

食品が買える場所とキャンプ場の場所を聞くと、その足で食品ストアに向かう。ストアはカフェを併設した店だった。

店内には日本人らしい女性が働いていた。矢場とんのTシャツを着ているので間違いない。

会計のとき、彼女が対応してくれたのだが、日本語で「6ドル90セントです。」と言われ、私のほうも普通に「はい」と答えてしまった。

「どうして日本人ってわかりました?」私が尋ねると、「だって中国人は自転車でなんて旅行しないでしょ?あとはなんとなく。」なるほど。どちらの理由も納得がいった。不思議と海外で日本人とそれ以外のアジア人は見分けがついたりするのだ。

 

矢場とんのTシャツを着ていたので、「名古屋ですか?」と聞くと「一宮。あなたもその辺り?」と聞き返された。

豊橋だよ。」と言うと「田舎ね。」と言われて少々ムッとしたが、まあ否定するとこでもないな、と思った。

店を出る際、彼女はお客さんの忘れ物だけど、とクッキーをくれた。こういうのは本当に助かる。豊橋を田舎と言ったことは許すとしよう。

 

食料の買い出しのあとはボトルストア寄り、ビールを購入。

 

キャンプ場に向かうがキャンプ場は無人で、料金はある民家で払った。6ドルと安かったが、シャワーとトイレだけあるシンプルなところだ。

 

建物がひとつあり、キッチンかリビングが使えるかと思ったがカギがかかっていた。後ほどやってきた男性がカギをあけて建物に入っていったので、開けてくれたのかと思い、入ろうとすると「ダメダメ」と止められた。どうやら建物はこの地域のコミュニティが使っているもので、キャンプ場もコミュニティで管理しているようだ。そうでなければ民家の玄関先でお金を支払ったりしないだろう。

 

キャンプサイトの目の前に牧場があり、広大な平原の向こうにさっきまで走っていた山々がその背後に見える。ここは東海岸クライストチャーチまで広がるカンタベリー平原の一番端になるのだろう。

 

いいキャンプサイトだ。設備がいいのも嬉しいが、やはり景色がいいのが最高のキャンプ場である。

あと、静かなのも重要だが。

 

そういう意味では街はずれにあって、周囲が牧場というスプリングフィールドのキャンプ場は素晴らしかった。

 

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夕食は前日、アーサーズパスのユースのフリーラックにあった乾麺の蕎麦である。前日これを見つけたとき思わず「おおっ!」と声を出してしまった。

 

持っている調味料で蕎麦つゆをつくり、先ほどストアで買った卵を入れて月見蕎麦にした。

 

広々としたニュージーランドキャンプサイトで月見蕎麦を心ゆくまで食べる。

 

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なんだか幸せだった。