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定着から放浪へ 放浪から定着へ

自転車の旅、そのほかの旅について書いています。

始まりの風景 2006年8月9日

朝、昨夜同様寒いであろうと思いながら意を決してテントの外へ出ると
昨日あれほど強かった風は止み、野営地を暖かい朝日が包んだ。

厳しかった寒さがうそのようだ。

寒いには寒いのだが、そこに厳しさはない。

やさしい極北の朝。


コーヒーを淹れ、『Milepost』の切れ端を眺める。
今日はどこまで行けるだろうか。

コールドフットでシャロンが「アティガンパスから北のツンドラ地帯は平坦で舗装してある区間もあるから自転車でも2日で行くんじゃないかしら」と言っていたのを思い出す。
おおよそ残り160マイル。

まあいい。行こう。

私は朝食を終えるとキャンプを撤収した。


自転車に荷物を積み、朝日を浴びる自分の自転車がいつになく格好よく見えた 。


出発。


ハイウェイは下り基調で時折アップダウン。
アティガンリバーを超える橋のところで川に顔を突っ込み顔を洗う。
雪解け水が流れてくるのだろう。冷たくて驚いたが、気持ちよかった。
水をボトルに詰めておく。


しばらく走るとハイウェイの脇に車が停まっていた。


気になって近寄ってみると車のところで男性がスコープで何か探しているようだ。

「何してるんだ?」私が聞くと
「今、ドールシープを見ているんだ。明日から猟が解禁でこれから山に入って彼らを追いかけるのさ。」男性はそういうとスコープをのぞかせてくれた。


「ん?どれだ?」何も見えない。
「ほら山の中腹に白い点があるだろ?あれがドールシープだ。」と教えてくれる。

もう一度スコープ覗くと、確かに見えた。
ただし、文字通り点にしか見えなかった。

あんな遠くのドールシープを解禁日前日から追うとはハンターも大変だ。


パイプラインのPump Station 4.

ハンターと別れ、ハイウェイを進む。
風がツンドラの上を走っていく。

ダルトンハイウェイと並走するパイプラインはやがて地中に潜る

しばしばハイウェイ上で見かけたメタリックグリーンの色の小型バスが追い抜いていく。
いつもはバスはそのまま行ってしまうのだが、今日は路肩に停車した。

バスからアジア人だろうか、乗客が降りてきてこちらにやってくる。

「自転車で走ってるの?」
「ひとりか?」
「日本人?」

すぐに10数人のアジア人に囲まれ、質問攻めにあう。

私がキョトンとしているとドライバーの白人女性が降りてきた。

「ハイ!あなたよくハイウェイで見かけてたんだけど、お客さんが停めてくれっていうもんだから。台湾のお客さんよ」

私がアジア人と気がついて、わざわざ停まってくれたらしい。
トライアスロンをやっているという教師の男性が興奮気味に
「きみはほんとにすごいよ!」と私の両手をつかんでブンブン振っていた。

みんなで記念撮影をするとバスは去って行った。
乗客たちは遠ざかるバスから手を振ってくれた。

少し面食らったが、喜んでもらえたみたいでなんだか嬉しかった。



日差しが強くなる。
ハイウェイ脇のパイプラインに目をやるとカリブーがパイプラインの日陰で休んでいた。


今日はカリブーをよく見る。気がついただけでも10頭以上はいたから実際はもっと多くのカリブーとすれ違っているのかもしれない。


穏やかな日だ。



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ダルトンハイウェイの終着点まで残り80マイル。
今日はハイウェイの傍にテントを張った。


ツンドラの広漠たる世界の只中に私はいた。

 

周囲に文明と言えるのは黒い土をむき出しにした背後のハイウェイだけだ。


雲ひとつない空。
極北の短い夏を生きるツンドラの植物の柔らかい若緑が目に眩しい。
見わたす限り、大地を覆い尽くすツンドラとその境からどこまでも続く青い空だけだった。

広がる壮大な風景に目を細め、
自分のテントに目を向けたとき不思議な感情に襲われた。





胸がじんわりと熱くなった。

ずっと忘れていた感情がふと甦ったのだ。
昔、私がまだ小学生か中学生だったときに一枚の写真を見たときのことを思い出したのだ。

緑の大地が広がる世界にテントが一つと旅人が一人、そんな写真だった。


「いつの日かこんなところに行って、テントを張ってキャンプがしてみたい」


単純な想いだった。
それから時は流れて、アラスカ北極圏で、今まさに自分がそれと同じ世界にいることに気がついた。


旅をしたい、遠くに行きたい。


私を真の意味でここまで駆り立ててきたものは野田知佑でも星野道夫でもなかった。
私の心の奥底にひそかに生きづいていた自然の中を旅をし、そこに身を委ねたいという、
その想いだったのだ。


今までずっと自分の中にあったのにどうして忘れていたんだろう。


高校生のころから、自分なりのやり方で旅をするようになり、
変化する周囲の環境や社会の中で自分の想いは、少しづつそうしたしたものと摩擦を起こし、知らない間に形を変えていった。

そして私を旅に駆り立てた最初の気持ちは気がついてみると「旅」という言葉以上に説明がつかないものになってしまっていた。

私に旅というものに誘った根源的な想いが自分の中に戻ってきたのを理解したとき、熱いものがこみあげてきた。


あぁ、私の中にはこんな無垢な想いが生きていたんだ。


様々な人が語る旅という言葉やこれまでの自分の生活によって磨耗してしまった想いはまだ確かに生きていたのだ。


この景色に来たかったんだ。

 

パチャパチャと水音を立ててツンドラの草原の中を二頭のカリブーが駆けていった。


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