レイクセントクレアのバックパッカーは宿泊客の割にキッチンが狭かった。
昨日相席になったおっさんは声がでかくてうるさくてかなわなかったが、
今朝はドイツから来たという40くらいの綺麗な女性が前に座っていて、
ある意味落ち着かなかったが、周囲は静かで穏やかな朝食だった。
少しお互いの話をした。彼女は旅慣れた人らしい。
「ジャムもらってくれる?余っちゃって」と使い切りタイプのジャムのパックを
いくつか分けてくれた。
ジャムを切らしそうだったのでこのささやかなギフトはうれしかった。
朝食を済ませると、彼女は席を立った。
彼女の静かで、どこかさびしげな印象はなぜかずっと頭の片隅に残った。
ワラビーもよく見かけるようになった |
レイクセントクレアからは、三日連続の吹きっさらしの道。
強い風とゆるい上りで思ったより、距離が伸びない。
天候は朝から雨。
長距離を意識していつもより一時間早く出たが、
途中の平原で強烈な向かい風に阻まれ思ったより距離が伸びない。
この二日間は一日60キロほどしか走っていないが、
今日は100キロを越える予定。
食糧が心もとない、酒がない、という理由で何としても次の街、
クィーンズタウンまで走り切らなければならない。
イライラが募る。
ようやく西部に入る。ここも世界遺産 |
複雑なタスマニアンウェザーは突然雨がやんで
晴れ間が来たと思うと、また降り出すといったことを繰り返す、
という自転車乗り泣かせのものだ。
雨だったとおもうと突然晴れ間が現れる |
途中で下りになり、一旦ペースを上げるが、
雨が激しくなり、コーナーもタイトになり結局スピードが出なくなった。
その上、雨が霙になり、体を激しく打ち付けた。
「痛い!イタイ!」
唯一、肌が露出していた顔に霙が激しく当たり、下りの速度がそれに拍車をかけた。
なんなんだ、一体?
ひどい道だ。
道沿いにウォーキングトレイルがあったので、立ち寄る。
少し歩いて回り、トレイルの入り口にいた男性と話す。
なんとイスラエルから来て家族で旅行しているらしい。
イスラエルの人と話したのは初めてだった。
コールスのインスタントラーメンと勢川のマッチ。よくわからない組み合わせだ |
屋根のある休憩所で、少し早いがここでランチ。
とにかく寒くてコーヒーを二杯淹れる。
食事に昨日のパイの残りといつものようにインスタントラーメン。
足下がやたらと冷えるので、フリースの靴下を重ね履きした。
上も寒いので、起毛の長袖レーサージャージを着る。本当に夏なんだろうか。
旅に出る前、友人のスイス人サイクリストの忠告に従って、冬装備を持ってきてよかった。
後に知ったことだが、タスマニア西部は冷帯雨林気候で、
アフリカから西に吹く風が海から水分を吸収し、途中に遮る大陸もないことから、
タスマニアの山にぶつかって絶えず、雨をもたらすそうだ。
そのため、西側は雨が多く、寒いのに対し、東側は雨が少なく暑いらしかった。
その後は下り基調の道になった。
途中でアデレードから来たというクロモリロードに乗ったサイクリストに
あっという間に抜かれる。
2,3言話すとさっさと行ってしまった |
その後、雨で体力を消耗していたこと、
それから気が滅入っていたことでやる気が起きず、ダラダラと進んだ。
差しは時折射すものの、とても夏とは思えない寒さで、
足はレッグウォーマー、上もジャケットを着るのが普通になった。
それで雨も降ればさらに寒さは増し、冬の日本を旅するのと遜色ないような状態であった。
そうした状態にあっても、それに耐えうる装備を持っていたのでよかったが、
悪条件は重なるものだ。
Victoria Passという峠の前で、スローパンク。
雨が降ったりやんだりする中で、積んだ荷物を下ろし、タイヤを外す。
雨のパンク修理ははサイクリスト一人を惨めな気分にするのに十分である。
今まで良すぎたツケがきたのか。それにしてもひどいな。
予備のチューブもこれで使い切ってしまった。
工具入れの中を確認すると予備パッチもイージーパッチしかない。
しまった。ロンセストンの宿で買っておけばよかった。
後悔しても仕方が無い。次のクィーンズタウンで買おう。
パンク修理を終え、再び走り出す。
下りでもやはり強烈な向かい風に阻まれ、思うように進まない。
苦戦した峠はわずか標高530mだった |
峠まではダラッとしたのぼりだったが、頂上まで全然たどり着かなかった。
Nelson Falls。疲れていても寄り道。 |
バーバリーレイクという湖の横を通過。クィーンズタウンまで、残り15キロ。
雨が強く降るたびに、道路脇の木陰に避難し、今日どこまで行くか思案した。
雨が激しくなったので、少し雨がやむのを待とう、
と木の陰に入って補給食をとっていると、
反対側からグレーのGTに乗ったサイクリストがやってくるのが見えた。
レインギアフル装備の私とは対照的に
彼は蛍光イエローのウィンドブレイカーを羽織っただけで、
なんと下は海パンで足はサンダルだった。
私は習慣的に「Hi !」と手を挙げたが、
彼は私が立ちすくしてるのを見ると、片手をぶんぶん回して微笑み、
そのまま走り去って行った。
この彼の姿を見たとき、私はシビれてしまった。
彼はまるで「おいおい、何やってんだよ?走れ走れ!!」そう言っているようだった。
なにをやってるんだ?私は?
フル装備で、全身びしょぬれというわけではない。
装備に守られて中はまだ温かい。
それなのにここでどうして止まってるんだ?
彼は私よりはるかに軽い装備でなんでもないように走っていた。
そうだ、私たちはサイクリストだ。
雨がどうした。
ペダルを踏むのを止めたらどこにだって行けやしないんだ。
彼が答えを、エネルギーをくれた。
私はすぐにまた自転車にまたがり、ペダルを踏みだした。
「行くとも、そうさ、こんな雨ぐらいなんでもないよな」
名も知らぬサイクリストが前に進む勇気をくれた。
いつも誰かが、前に進む力を与えてくれる。
私は再び走り出した。
壮大な山々が正面に見える。
クィーンズタウンはあの山の向こうにあるようだ。
途中、かつて使われていたのだろうか
何かの採掘用の大型重機が放置されていた。
クィーンズタウンにようこそ、という看板から随分上った |
タスマニア特有の急峻な山道を上っていく。距離にして3キロぐらいだろうか。
疲れがピークに達していて、一番軽いギアを踏むのがやっとでなかなか山頂が見えない。
ふと視界が開ける。
正面の山のてっぺんに「WELCOME TO QUEENSTOWN」の文字が見える。
街は山の下だ。
クィーンズタウンは周囲を谷に囲まれた街だった。
すごいところだな。
昨日、セントクレアで「ニュージーランドのクィーンズタウンと比べてみて」といわれたが、
なるほど大違いだ。
NZのそれは湖畔の風光明媚な観光地だが、こちらは辺境の鉱山の街だ。
下りになったこと、街が見えたことで私は少しだけ再び元気を取り戻した。
街に入った。
街には古い建物が点在していた。
街の反対側にあるキャンプ場を目指す。
タスマニアのキャンプ場は5時過ぎになると受付が閉まるので
慌てて行った。
キャンプ場にいくと今まさに閉めるところだった。
ボロボロびしょびしょなので、高いがキャビンを取った。
一旦、市街に戻り、買い物をする。
なぜかスーパーでツナ缶を買うつもりが、オイルサーディンを買ってしまう。
「おお安いツナ!」と思って買ったのが、パッケージには間違えようがないほど
デカデカと「オイルサーディン」と書いてあった。
よほど疲れていたのだろう。
間違えて買ったオイルサーディン。温めて醤油と山椒をかけて食べた |
ワインも買い、キャンプ場へ戻る。
すっかり暗くなったキャンプ場のバスルームで
昼間、私を颯爽と抜き去ったローディーを見かけた。
彼もここに泊まっているようだった。
キャビンに戻り、ストーブの前でぬれた服を乾かす。
すぐに服から水蒸気が立ち上っていく。
疲れ切った体でパスタを料理し、ワインを開ける。
とにかく、一日走りきった。
スーパーで買ったリンゴ。日本のそれより小さいが「フジ」である。 |
私にとってタスマニアのクィーンズタウンは恐ろしく山の中にある、
という印象になってしまった。
雨模様なので、空が暗くてよくないが、晴れならばいい街に見えるだろう。
明日は晴れて欲しい。