定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

a rainy day - cycling NewZealand -

スプリングフィールドからクライストチャーチに向かうその日、朝から雨模様だった。
雨が多い、と言われるニュージーランドだが私が旅をしているときに本格的に雨が降ったのはこの日と北島での数日だけ。

北で雨に降られたときは、街まで残りわずかな距離のときと、降ったり止んだりのニュージーランドウェザーの日で友人たちと走ったときだけだ。

つまり、このとき初めて本格的に終日雨の中、一人で走ったと言っていい。

決して強い雨ではなかったが、止むことのない雨と濡れて滑りやすくなった路面、ときおり私の横を走り抜けていく大型のトレイラーが巻き起こす突風、そうした悪条件の中私はひたすら自転車のペダルを踏んだ。
早くクライストチャーチに着きたいという焦りからか、知らず知らずのうちに普段より重いギアを回していた。

大都市近郊、ということで少しは休憩できるような場所があることを期待して走ったが、ここはニュージーランド
街の外は広い空と緑の牧場と道があるだけ。
雨の中、休むに休めない状況下では普段は美しいその景色も
ただ広漠な空間にしか見えなかった。


私は雨に打たれながら、ただひたすら走るしかなかった。


そんな最中、思い出した言葉がある。

『がんばらないけど、諦めない』

この言葉はニュージーランドに来る少し前、車で小旅行した際、小布施のユースホステルの部屋にあった旅帳で見つけたものだ。若い女性と思われる少し丸い文字で書いてあった。書いた人はどんな人だろうか。

書いた女性はどうしてこんなことを書いたのか。
 
旅先でこんなことを書いた女性を勝手に思い浮かべて、なんとなく気になる言葉だ、と思っていた。
しかし、仕事の追われる日常の中で、いつからかこんなことはがんばることの出来ないヤツのたわごとだと思うようになってしばらく忘れていた。

だが、このときふと、思い出した。

そう、今まさに『がんばらない、けど諦めない』瞬間だ。
いや、『がんばれないけど、諦めるわけにはいかない』と言ったほうが正しいか。

どうしようもない状況に追い込まれたとき、最後に頼れるのは自分だけ。しかしその頼りの自分は今にも挫けてしまいそうなときがる。それでも自分ががんばるしかない。
そんなとき自分をなんとか支える言葉なんだ、と気が付いた。

結局のところ、がんばらない人生なんて有得ない。
みんな知らず知らずのうちにがんばっているんだ。
それでも挫折してしまいそうになるから、
自分はとっても弱いから、
ペダルを回すのを止めてしまいそうになるから、
この言葉をつぶやいて進めるなら
それでいいと思う。

いつの日か、この言葉がなくても前に進む強さを手に入れることが出来るなら。

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自分の弱さにまた気が付いて、自嘲的な気分になりながら、がんばれない自分を受け入れ、ひたすらペダルを踏んだ。クライストチャーチの街が霧雨になった雨の向こうに見えた。またなんとか目的地までやって来れた。小布施のユースに言葉を残していった人に心の中で感謝した。