雨のハーストはモノクロの印象しかない。
私は西海岸果てのハーストの街から、最寄りの空港があるQueenstownに向かうバスに乗り込んだ。
バスのことはほとんど覚えていない。はじめは「ここを走る予定だったんだな。」とぼーっと雨に濡れる景色を見ていたと思うのだが、亡くなった祖母のこと、残された祖父のこと、キャンセルしたニューカレドニアのこと、そして何より予定の半分で帰国すること、そうしたことがグルグル頭の中を巡った。
となりに座ったドイツ人の男と少し話したが、しばらくして腹痛がしてきて、私は痛みに耐えながら、バスのシートに身を埋めた。変な汗が吹き出してくる。
バスに酔ったのだろうか。
途中バスはトイレのある展望台のようなところや、カフェに止まって休憩した。私はカフェで水を買った。
雨は降ったり止んだりを繰り返していた。
Wanakaの街を経由し、バスはクィーンズタウンに着いた。
クィーンズタウンに着く頃には幸い私の腹痛もだいぶ収まっていた。
クィーンズタウンは南島で有数の人気の観光地で、湖とお洒落な建物が立ち並んでいた。アウトドアアクティビティも盛んで、ヘリで山の上まで行って、マウンテンバイクで山を駆け下りるツアーなどもあった。
私はユースホステルにチェックインし、この先の帰国の手続きを始めた。
まずは日本に帰るエアチケットの出発日の変更だ。私は半年のオープンチケットで来ていたので、帰りの便は席の空きさえあれば、変更ができた。
エアラインに電話して、出発日を変更して欲しいと伝えたが、うまく伝わらなかったのか「旅行会社から頼んで」と言われてしまった。
仕方がないので旅行会社に行くと手数料を結構取られることがわかり、一度旅行会社を出た。
途方にくれてユースに戻ると受付にいた日本人の女性が「どうかしたの?」と聞いてくれた。私が旅の途中だったが、身内の不幸があり、帰ることになったが、エアチケットの変更が出来ずに困っている、と話すと「私が電話してあげる。」とその場でエアラインに電話をかけてくれ、フライトを変更してくれた。そのままクィーンズタウンの空港までのバス、オークランドまでの飛行機の手配と帰国に必要な手続きをほとんどやってくれた。
私が女性に感謝の言葉を伝えると「普通はこんなことしないんだけど。でもあなたとても困ってそうだったから。」と彼女は言った。また人に助けられてしまった。私はもう一度感謝の言葉を伝えた。
そのあと再び街に出て、少し土産を買ったりした後、自転車屋に向かう。自転車を梱包するための段ボール箱をもらうためだ。クィーンズタウンは小さい街だが、アウトドアアクティビティが盛んなところとあって、複数の自転車屋があった。一番大きな店に入り、段ボール箱を譲って欲しい、というと「10ドル」と言われる。私は耳を疑った。「え?」自転車の箱は自転車屋からしたらゴミでしかないはずだが、ここでは販売しているという。私が帰国で焦っているのを見透かされているのか、と腹が立ったが、冷静に考えたら、マウンテンバイクの盛んな街で、自転車を持ち込んで帰りに自転車屋に箱を求める人は多いのだろう。
私は10ドル払って箱を持ってユースに戻った。
翌日、ユースホステルのバックヤードを借りて自転車を梱包する。作業に借りた部屋はユースの備品置き場なのかスタッフの休憩室なのか、ときどきスタッフが入ってきて、「あら?」という顔をするので、説明に困った。
自転車の車輪を外し、サイドバッグの中の荷物をバラバラにして自転車の間に緩衝材として段ボールに詰めていく。帰国までもう一泊しなくてはならないから、宿泊に必要な衣類や残った食料などは手荷物に回し、いっしょに梱包しないようにした。
梱包を終え、ユースを後にした。いろいろ手配してくれた受付の女性には会えなかったが、帰国後、メールでお礼を伝えた。
ユースの近くで空港行きのシャトルバスを待つ。しばらくしてバスはやってきたが、私と隣の大きな段ボールをみて、ドライバーの男性は「自転車があるなんて聞いていない」と電話で確認をした。
昨日ユースの女性が電話してくれたとき、自転車があると伝えていたのを隣で見ていたので釈然としなかった。
ドライバーの方も納得いっていない様子だったが、追加料金を払って何とか乗せてもらえた。
クィーンズタウンの空港から北島のオークランドまではすぐだった。
あと2ヶ月ほど先に戻ってくる予定だったオークランドにこういう形で来ることになったのは残念だ。
日本に出る飛行機が出るのは翌日。オークランドに一泊だ。クィーンズタウンのユースの女性はオークランドのユースも手配してくれていた。
こちらもバスで移動。荷物のほとんどは空港に預けてきた。
ユースにチェックインして、オークランドの街を歩く。
ネットカフェで友達に帰国の報告をして、久しぶりにチャイニーズの店で中華料理を食べる。2ヶ月前に初めてオークランドに来た時にも食べたワンタン麺だ。店のおばちゃんに「チリオイルあるよ。」と言われて「チリオイル?」と思ったがなんてことはない、ラー油だった。予定外の帰国を前に複雑な気持ちでいたが、チャイニーズの店のおばちゃんの些細なやりとりで随分気持ちが緩んだ。
時間があったので、散髪でもしようかと思ったが、ちょうどいいところが見つからなかった。旅を始めて2ヶ月。髪が随分伸びていた。
ユースに戻り、食料の整理をする。飛行機に乗ってしまえば食事の心配はないから、残った食料はユースのフリーラックに置いておく。
ユースのキッチンには大抵フリーラックがあって、必要のない食料を置いていき、また逆に欲しいものがあれば持っていっていい、というよく出来たシステムだ。私は食料の他、食器洗剤も置いておいた。ただ、私は漏れないようにペットボトルに詰め替えてあったので、一応、洗剤と書いておいたが、あれはどうなっただろう。誰かが間違えて飲んでないといいが。
それから、ある人から旅のお供に、と頂いた浅田次郎の『蒼穹の昴』を全て置いていく事にした。私は本の最後にその人が経営するカフェの名前と住所を書いて、短いメッセージを添えた。何年もしたら元の持ち主のところへ戻るかもしれないという淡い期待を込めて。
旅の間、移動の間やテントの中で何度も読み返していた。今もあの本はニュージーランドのどこかにあるのだろうか。
広いリビングでいつものようにビールを飲んでいると、日本人の女性、私の母くらいの年齢の人が給湯器の前で戸惑っているのが見えた。
「お湯ですか?こうやれば出ますよ。」私はその女性に給湯器の使い方を教えてあげた。
「ありがとう」女性はカップにお湯を入れ、飲み物を作るとテーブルについて私たちは話し始めた。
女性はバスツアーでニュージーランドを回るそうだ。ニュージーランドはバスツアーもたくさんあって、個人や小グループでツアーに参加して回っている若者をよく見かける。私は若い人たちの勢いとパワーに圧倒されそうで、ああいうのは少し苦手だ。
聞けばその女性は、子供が手を離れたので、前から来てみたかったニュージーランドに来たらしい。それにしても行動力があるなと、感心した。
私は自分のことを簡単に話した。「この歳になってさすがに自分探しとかではないですけどね。」
私がそんなことを言うと女性は「そう?私は今でも自分のことでも新しい発見がありますよ」そう言って微笑んだ。私は自分の旅を青臭い自分探しと同じにされなくないと思ってそう言ったのだと思うが、この人の言う通りだ。
旅をしていると自分と向き合う時間が長くなる。
最近、旅に出て感じたのは、旅を通じて、自分の新しい一面を見つけるとかいうわけではなく、「こういうことが好きなんだな」ということを再認識し、自分の軸がどこにあるかを確かめることが、旅の作用でもあるということだ。
翌日、私は日本へ帰国する飛行機に乗り込み、ニュージーランドを後にした。
飛行機で時間を過ごすうちに複雑な心境も少し落ち着き日本に帰国した。
空港から地元に向かうバスに乗り込む。ぼんやりと車窓の景色を眺める。何だかんだ言っても見慣れた日本の風景にほっとする。
四月の始めだったが、桜の花が目に入った。今年は見ることはないと思っていた桜だ。
淡い色の桜の花が、いつになく美しく、眩しく見えた。
「ここは美しい国だ」
ニュージーランドは見るものすべてが輝いていたけれど、 日本のよさはそれとは違う。
この雑然としたなかの静かなたたずまい。
ニュージーランドに比べたら取るに足らない、
なんて思ったこともあったけど
それは大きな間違いだ。
穏やかな春の日差しと時折吹き抜ける春風。
ニュージーランドの空は眩しくて強烈な青だ。そんな空がニュージーランドの印象の一つでもあるが、こうして改めて目にする日本の空は遠くが薄く霞んで空の青が柔らかく優しかった。私は日本の春の空をこれほど美しいと思ったことは無かった。
ニュージーランドから帰って来なかったら、私は日本の春の空に感動することはなかったかもしれない。
薄く、白く溶けてしまいそうな春霞の空をバスの車窓から眺めているうちに、私は眠りに落ちた。
ニュージーランド編 完
アラスカ編に続く
http://independent-traveller.hatenablog.com/archive/category/Alaska