その日は梅雨時期にあって、朝から天気は晴れだった。車で出かける予定があったが、午前中、新城市方面にライドに行くことにした。
紫陽花の季節なので、せっかくなら紫陽花を見に行こうと決めた。奥三河で紫陽花というと、設楽町の平山地区、新城市の四谷千枚田それから冨賀寺が知られている。
設楽の平山は集落の人が大事に育てた紫陽花が一面に咲く、非常に見応えのある場所だが、今回は時間の制約もあるので、そこまでは行けない。
行けたら四谷千枚田、ひとまずは新城市南部にある冨賀寺に向かうことにした。
走り慣れた朝の道を北東方向に走っていく。
街場をすぐに離れ、周囲の景色はすぐに田畑になる。つい先日も走ったところだが、田畑の作物は前よりずいぶん大きくなったように感じる。雨の恵みを受けて、ぐんぐん成長しているのだろう。
郊外のあるカフェの外に出された黒板のメニューがふと、目に入った。
とたんに懐かしい記憶が蘇った。
まだ海外を自転車で旅をしていた頃、とにかく毎日お腹が空いていた。
早朝にキャンプを撤収して走り出し、カフェの前を通ると、道のほうに向かって出されていた黒板のメニューをよく眺めていた。
まだカフェに入るには早い、と。昼まで我慢しようと、思い直しそのまま通り過ぎだカフェがいくつあったことか。いつもカフェに入るのはお昼だった。
旅をしているときのような朝の雰囲気を、朝のライドのどこかで感じていたのだろう、カフェの黒板を見て、そんなことを思い出した。
冨賀寺に行く前に近くにある車神社に寄ることにした。
車神社の社紋は,源氏車の車輪を形象化したものだそうで、交通安全祈願にふさわしい神社として、最近では地元サイクリストにも知られた存在になっている。
私は何十回と車神社の前を通っていたが、訪れるのは今回が初めてだ。車神社の前の道は信号のない開けた直線で、自転車で走っていると気持ちよくペダルが踏めてしまうので、ついつい通り過ぎてしまうのだ。
田んぼの真ん中にある車神社は山を背にして建っており、道から見ると田んぼの真ん中に浮かんでいるようで、非常に画になる場所だ。
いつもは通り過ぎる神社の前で止まり、鳥居をくぐり、車神社に足を踏み入れた。
神社の入り口にはバイクラックも設置されており、自転車の人がよく訪れることが伺えた。
社殿の前には社紋である車輪が左右に置かれていた。
ひと気のない朝の神社は清々しかった。
朝の神社はどこか張り詰めた空気があるが、ここは周囲が田んぼで開けているからだろう、とても穏やかなたたずまいだ。
本殿で安全祈願をし、車神社を後にする。
車神社からは、周囲の田んぼの道を走ってみる。途中から未舗装になるが、そのまま舗装路に戻りそうだ。最近、未舗装を走るのがサイクリストの間で流行っているが、脇道にそれて、どこに行くのかちょっと冒険気分になれるのがいいかもしれない。
しばらく走るといつもの道に戻った。
車神社から冨賀寺まではすぐの距離だ。
冨賀寺も実は来るのは初めてだ。
入り口の看板を見ると飛鳥時代からの由緒あるお寺だそうだ。そんな歴史のあるお寺とは知らなかった。
お寺の敷地に足を踏み入れる。
森に囲まれた冨賀寺は先程の開けた車神社とは対照的に奥までいくと少し薄暗く、梅雨の季節のひんやりとした静謐な空気の中に存在していた。
紫陽花の名所と聞いていたので、紫陽花の花が咲き乱れているような様子を想像していたが、参道に行儀良く咲いていた。
そうか、ここはこれが正しいのだ。
森に囲まれた静かな歴史ある寺院に咲く紫陽花。
華やかに咲くものばかりを想像していた自分が恥ずかしくなった。
本堂から参道の横道を行くと「観音の道」という歩道がある。余談だが、苔むして水分をたっぷりと含んだ道なので、ビンディングシューズのサイクリストは用心して欲しい。私は数回転びそうになった。
冨賀寺からはよくショップのライドで行く桧峠を越え、鳳来方面に向かう。
桧峠は北側の舗装がきれいになっていた。舗装がイマイチなのは南側なのだが。
そこからさらに北に向かう。
寒狭峡大橋まで来ると下に鮎滝が見えた。前日の雨で水量が多い。
鮎滝は江戸時代から続く伝統の『笠網漁』と呼ばれる滝を越えようと跳ぶ鮎を、竿の付いた網で捕らえるという珍しい漁法が行われている場所で、ちょうど網を持った人が二人ほど見えた。
橋の上で止まったついでに時間を確認する。
昼に妻とランチの約束をしているので、このまま四谷千枚田まで行くと時間に間に合わない。
私は予定を変更し、鳳来寺山の表参道に向かった。
この日はちょうど旧門谷小でカフェをやっているのだ。のんびりコーヒーを飲んでから、山を降りていけばちょうどいい時間のはずだ。
さして時間もかからずに鳳来寺山の参道に着く。門谷小は相変わらず雰囲気がいい。
月火水とこの場所でカフェ爾今の店主トラさんがコーヒーを出している。
何気なく頼んだコーヒーが美味しくてびっくりした。
私は同じタイミングで来た女性と先客のおじさんとしばらく会話を楽しんだ。
コーヒーを飲んでいるとトラさん目当てにいろんなお客さんがやってくる。
どのお客さんも一癖二癖ありそうだ。
そんなお客さんにトラさんは「70年生きてきて今が一番楽しいよ!」と言い放っていた。
全くあやかりたいものである。
そのまま鳳来市街へ向かい、車で来た妻と合流した。
ランチは新城市の大海にあるイタリアン「St.Thomas」。
以前は豊川に店があり、妻とよく通ったのだが、そちらはしばらく前に閉めてしまい、最近また新城で店を再開したのだ。
この店について書くとブログが3回は書けるので詳しくは書かないが、とにかく好きな店だ。
初めて行く方にはぜひ、ポルチーニかスカンピのクリームパスタを食べて欲しい。濃厚なソースが癖になること請け合いだ。
この日は限定でペスカトーレがメニューに出ていたのでそれを注文。
たっぷりと魚介の入ったパスタが美味しくないわけがない。
お気に入りのお店で久しぶりに妻と二人でゆっくり食事ができた。
会計の時、店主の中澤さんと話したが、コロナの影響でこちらも客足が遠のいているそうだ。また来るようにしよう。応援らしい応援はそれしか出来ない。
「ちょっと食べ過ぎたかな?」
そんなことをいいながら、帰りは妻と車で帰った。