昨日、寝ていると少年の声で起こされた。
私がテントを張っていた場所はまさにトレイルの出口で
トレイルから四輪バギーでやってきた少年とその家族を邪魔してしまったようだ。
テントを動かし、いっしょにいた父親と話す。
クマについてきくと
このあたりはブラックベアしかいないのでそんなに心配することはないとのこと。
会ったことはないが、ブラックベアなら大丈夫という感覚がよくわからない。
とにかくそれよりブラウンベア、つまりグリズリーはより危険ということだろう。
白夜の終わりで夜9時を回っても明るいが、
一日走って眠くて仕方がない私は
「子供はこんな時間まで遊んでいるのか」ときくと
父親は「明るくて子供が遊びたがって寝ないんだ」と教えてくれた。
そりゃ、子供からしてみたらトレイルでバギー乗りまわせるなら
寝る時間なんて関係ないよな。
冬が長くて大変な分、アラスカでは夏の時間は貴重なものなんだろう。
一家は車で去って行った。
朝。
テントを張ったトレイルの入り口が ちょうど山の上だったらしく、
道はしばらく下りが続いた。
朝はなかなか冷えるので服を厚めにした。
10マイル少々走ったところにあったTartalina Riverでビーバーが泳いでいるのを発見。
感激してしばらく見ていると対岸でキャンプしていた人に「こんにちは!」と声をかけられた。
よく見れば日本人男性であった。
奥さんらしい女性も交えてしばらく川を挟んで話していたが、
ブルーベリーをくれると言うので橋を渡って対岸へ移動する。
「まあまあ、座って」と椅子をすすめられ、コーヒーとお菓子をごちそうになる。
一家はKさんといい、富良野在住。
雰囲気が何と言うか、そんな感じだ。
今は育児休暇中でカナダとアラスカを一家で旅しているらしい。
小さい子を二人連れていても大らかなものだ。
会う日本人はこういう人ばかりでなんだかとてもうれしくなる。
聞けば、数日前にカリブーの季節移動に遭遇したらしい。
「ほんとうにすごい数だったよ。」と旦那さんが興奮気味に語った。
私も見てみたいな。カリブーの大移動。
星野道夫の世界が確かにここにはある。
Kさんは昨日獲ったというブルーベリーをくれた。
そういえば昨日、ハイウェイ上のひらけたところでKさん一家の車を見た気がするが、
あそこでブルーベリーを狩っていたんだな。
「それにしてもすごいよねー。自転車でアラスカなんて」
旦那さんはひどく感心した様子で言ってくれたが、
みんなあまりやろうとしないだけで、やればそんなに難しくないことだから
なんて答えていいかわからなかった。
Kさん一家と分かれ、エリオットハイウェイを数マイル進むとArctic Circle Trading Postに到着。
随分雰囲気のある建物だ。
その後も相変わらずエリオットハイウェイはアップダウンが続く。
疲れるが景色が抜群にいい。
もう少しでエリオットハイウェイとダルトンハイウェイの分岐というところで
Livengood(ライビングッド)の入り口に来る。
ここはかつて金鉱が会った場所で現在は採掘会社が管理しており、一般人は全く入れない。
フェアバンクスのインフォメーションでも
「ライビングッド?あそこは完全に入れないわよ」と言われたが、
なるほど、大きなゲートが道をふさいでおり、外部の人間を拒絶していた。
なんだか異様な感じがした。
WEB上の写真から転載。 |
フェアバンクスの北70マイル、
マインリーホットスプリングスへ伸びる
エリオットハイウェイとの分岐点を起点とし、
ダルトンハイウェイは北極海、デッドホースまで続いている。
その距離414マイル。
アンカレッジを出発して10日目。
ついにやってきた。
Dalton Hwy。しかし、ここからが本番である。
この起点に来るまで、何度も「ダルトンハイウェイなんて本当に行けるのだろうか。」
という問いを繰り返した。
もう、進むしかない。
迷いは尽きないが、これ以上情けない自分は見たくなかった。
なんとしても北極海ヘたどり着く。
エリオットハイウェイは分岐までずっと舗装路だったが、
ダルトンハイウェイはgravel road、つまり未舗装の砂利道になる。
エリオットハイウェイはなかなかきついぞと思っていたが
ダルトンハイウェイはその比ではなかった。
ダルトンハイウェイに入った途端、荒れた道が続く。
砂と砂利の浮いた土の道が時折、長いアップダウンを繰り返しながら伸びている。
自転車の後ろに大量の荷物を積んでいて、
相当荷重がかかっているはずだが、
いつもどおりペダルを踏むとタイヤは容赦なく空転した。
これまでの舗装路より慎重な乗り方が求められることを今更ながら実感した。
中でも一番怖かったのは、急で長い下り坂だ。
荒れた道路の長い下り坂では振動が自転車に予想以上にかかり、
積み方の甘かった荷物は自転車から吹き飛んでいった。
幸いにもそうした荷物は何度かトラックの運転手が拾ってくれたりした。
また、そうした道では予想以上にスピードが出て、
自転車の制御が難しくなることもあった。
落車も怖かったが、そのときに巨大なトレ-ラーが突っ込んでくる可能性を考えたら恐ろしくなった。
自転車も止まるのが辛いのに加速のかかった巨大なトレーラーが簡単に止まれるはずがない。
ひとつ山を越えると次の山が見えた。
北極海への道は残酷なまでに果てしなく長く思えた。
そんな中で走り続け、Hess Creakという川にたどり着く。
川原で一泊することにした。
しかし、川原は泥でテントを張るのにはよくなかった。
そしてさらに真新しいクマの足跡を発見した。
「!!!!!!!」
大慌てで川から離れた。
結局、そこからしばらくいった湖でテントを張った。
アラスカのバックカントリーでキャンプする場合、
守らなくてはならない鉄則がある。
・食事はテントの風下、100m以上離れたところでする。
・においのする食料、医薬品、アルコールは同じくテントの風下に置き、可能ならば木につるす。
などだ。これはクマ対策のためである。
それ以外にも、クマに存在を知らせるため、
鈴で音を出すとか、クマと対峙してしまったときに使うベアスプレーも用意したりしておいた。
湖のそばで、大量の蚊に襲われながら、なんとか夕食を作り、モスキートネットをかぶったまま
そそくさと食べた。もう味なんてわからなかった。
それでもキャンプのルールは守った。いくら疲れていてもクマとのトラブルは避けたかった。
つい一週間にキーナイ半島でひとりキャンパーが襲われて死亡している。
テントに入り、惰性で日記を書く。
この日の日記が面白いので引用する。
『クマ対策をし、蚊と戦いながらメシ。もう何がなんだか分からん。
帰りたい。けどあと390マイルだ。でももう二度と来ない。』
ダルトンハイウェイショック。
とでもいえばいいだろうか。
疲労と緊張の中、眠りに落ちた。
白夜に近い空は夜10時を過ぎても明るかった。