長い一日だった。
今日もまたゆっくり起きた。
昨日は真夜中に目が覚めて、少し眠れなかったからだ。
朝食に日本から持ち込んだひやむぎを食べる。随分塩辛い。
しまったことに昨日水場のところにオークリーのサングラス 置き忘れてしまったのを思い出した。
一応慌てて水場に戻ってみるが、やはりない。
まあ私でなくてもオークリーのサングラスが落ちていたら拾って持って行くだろう。
念のため、近くにいた男にサングラスを見なかったか聞く。
「いや、知らないな」
男は古いフォードにカナディアンカヌーを積み、立派な黒い犬を連れていた。
犬はなかなか愛想のいいやつだった。
テンガロンハットとサングラス(当然私のではない)が様になる男だ。
A real Alaskan |
彼はパンニングで生計を立てているらしい。
パンニングとは川の泥水を皿ですくって、泥を洗い流し、砂金を集めるというもの。
アラスカではこうした金の採取がまだ行われており、実際に金を換金できる場所がある。
水の中に小さな金の破片が封入された小指の先ほどの透明なカプセルをいくつも持っていた。
一つで10ドルだという。金は高いんだな。
彼こそ本物のアラスカンの一人だろう。
キャンプ場を後にする。
ダルトンハイウェイは相変わらずアップダウンだ。
もう諦めた。そういえば、ニュージーランドもわりとこんな感じだったな。
このあたりの『Milepost』の記載は他のページと比べものにならないくらい
赤の斜文体の文字が並ぶ。
たとえばこんな感じだ。
"Highway descends steep 0.5mile ascent of Sand Hill northbound"
そしてやたらとsteepという言葉が並ぶ。
実際走ってみるとそうでもないところもあるが
期待を裏切らない急坂が続く。
今日もまた上りの途中で大量の蚊に襲われる。
さすがにイライラが募る。
ユーコン川の上でもこんな感じなんだろうか。
帰国したら『ユーコン漂流』を読もう。
ダートが続くが道は再び工事区間に入り、工事車両が道に水を撒いていた。
道路を引き締めるためなのだろうか。
しかし、おかげで泥は飛ぶし、走りにくくてかなわなかった。
やがて激しいアップダウンのある"Roller Coaster"と呼ばれる場所へ。
上りもキツイが下りも怖い。怖くても下りはスピードはガンガン出るので一気に下った。
雨が降り始めた。
未舗装の道は泥で滑りやすくなった。
当たり前だが、雨をしのげるような場所はなく、休憩を取るのもままならなかった。
時折立ち止まってはレインウェアのポケットからミューズリーバーを取り出して食べた。
もうすでに体力の限界に思えたが、ペダルを踏み続けた。
止まれるような状況ではなかった。
野火事のあとだろう。Fireweedが一面を覆う |
長い登りの後、道は舗装路になった。
ハイウェイはしばらく舗装路になる。右にはパイプラインが見える。 |
ここからコールドフットまでは舗装路になるらしい。
舗装路になって走りやすくはなったが、疲れのせいで登りが一向に進まない。
そんな中、突然、目の前に一台の車が止まった。
人が降りてくる。日本人だ。
ヒゲの似合うその人は名前を河内牧栄さんといった。
岐阜出身でフェアバンクスに住んでいるそうだ。
私はその時知らなかったが、
日本人のネーチャーガイド・写真家として有名な方で
最近まで中日新聞で毎週月曜日『アラスカに暮らす』の連載を書いていた。
牧栄さんは小さな男の子と奥さんを連れていた。
牧栄さんは私を見て、珍しいものでも見つけたかのように
たくさん写真を取っていた。
しばらく話をする。
いろいろアドヴァイスをくれた。
私が今日目指しているArctic Circleのキャンプ場は例のオオカミ騒動の為、閉鎖されている。
だから手前のKanuti Riverで泊まるといい、日本人サイクリストはしばしば泊まっているよと教えてくれた。川の水も煮沸すれば問題ないそうだ。
一通り説明してくれると、最後に「大丈夫だ、ガハハ」と豪快に笑っていた。いい人だ。
河内一家に別れを告げ、さらに進む。
少し行くと、不思議な場所に着いた。
Finger rocks Mountainという場所らしい。
それまでハイウェイの周囲は森におおわれていたが、急に岩場が現れた。
そして果てしなく広く見えた。
後に出会うカヌーでアラスカを旅していた渡邉さんが、
この場所を「別の惑星みたいだった」と言っていたが、
その表現が一番しっくりくると思う。
アラスカ、特にダルトンハイウェイには印象的な場所が多くあるが、ここもその一つだ。
遠くに何かが動いているのが見えた。
カリブーだ。
初めて見た。
木の生えない草が覆うその大地の真ん中で悠々と草を食んでいた。
それが日常なのだろう。
美しかった。
またひとつ、アラスカを見ることが出来た。
ここには駐車スペースと立派なアウトハウスがあった。
昨日のHot Spotのキャンプ場のアウトハウスは落書きだらけだったが
ここのはとてもきれいだった。
駐車場の片隅で少し遅い昼食にする。
「Go North」の同室の男に貰ったシチューのようなものを作るが
水の量を間違えたのか、味が濃くうまくなかった。
それでも貴重な食料なのでかきこんだ。
Finger Rocks Mountainのあたりでは雨がやんでいたが再び雨が降り出す。
時折強くなる雨が、激しく顔を打つ。
目の前の登りの向こうが明るく見える。
「明るく陽が差すほうへ」 。私はがむしゃらにペダルを踏んだ。
牧栄さんが言っていたKanuti Riverに着いた。
なるほど、橋の横は広い空き地になっている。
川の水は飲むのが躊躇われるほど茶色だ。
体力的にはもうかなり辛いが、時間はまだ早い。
この感じならぺースが遅くてもAirctic Circleまで行けそうだ。
私がどうしようか考えているとバイクに乗った二人組がやってきて、すぐに出て行った。
「行くか。」
私はペットボトルに入れておいたメープルシロップをラッパ飲み、再び走り出した。
濃いメープルシロップがとても美味しく感じられたのはそれだけ疲れていたのだと思う。
再び走り出したものの、登りのペースはやはり上がらない。
やがてFish Creekという川に着く。
狭いが川のそばで何とかテントが張れそうだ。
近くで車を止めていたじいさんがいたので話してみると
車のタイヤがパンクしたらしい。
道のコンディションが良くないダルトンハイウェイではパンクはよくあることらしく、
レンタカー会社によってはダルトンハイウェイに行く場合、車を貸してくれないケースもあると言う。
雨のじいさんをほっておくのは気がひけたのでタイヤ交換を手伝った。
初めて車のタイヤ交換をしたが、難しくはなかった。いい勉強になった。
日本に戻ったら、自分の車もどうやるか確認しよう。
自分の車にレインポンチョを積んでおくようになったのはこれがきっかけだ。
じいさんはポーランドから出稼ぎに来ているらしい。
後部座席にむき出しのライフルが無造作に置いてあり、流石だなと思った。
お礼に真っ赤なゲータレードを貰った。
コーラが終わったところだったのでうれしかった。
じいさん、有難う。
あとわずかでArctic CircleなのでFish Creekを離れ、急な坂を登る。
来た。
北緯66度33分 西経150度48分。
ダルトンハイウェイと白夜の世界が交わるArctic Circle。
アークティックサークル。ここから北が北極圏。 |
ここから北は北極圏だ。 ついに北極圏まで来た。
一日長かったので感動もひとしおだ。
「Far north」そう口に出してみると、本当に北の果てへ向かっているという実感がわいた。
ここにはキャンプ場があったが、牧栄さんの言っていたとおり、やはり「Closed」だった。
例のオオカミのせいだ。
キャンプ場の張り紙によれば、ここでランニングしていたキャンプ客がオオカミに襲われ、
ヘリコプターで搬送されたらしい。
そのため、ソフトシェルのテントでのキャンプは禁止とのことだった。
一瞬迷ってFish Creekへ戻りかけたが、
オオカミがその気になれば、その程度の距離は問題ではないだろう。
お腹がすいてきたのでとりあえずArctic Circleへ戻り、食事を作って食べた。
どうしようか。
この際、扉のしっかりしたアウトハウスで一夜を過ごすか。
見たところ、蚊の量も大したことないので蚊取り線香を焚けば何とかなるだろう。
そんなことを考えていると、キャンプ場の敷地に一台のキャンピングカーがいたことを思い出す。
あのサイズなら運転席で寝れるんじゃないか?
キャンプルームに泊めてくれというのはおこがましいので
運転席ならあるいは、、
私は意を決してキャンピングカーのドアをたたいた。
ゴツイおっさんが出てきたらどうしようと思ったが、中から出てきたのは
感じのいい年配の女性だった。
事情を話し、運転席を一晩貸してくれ、
状況が状況じゃなければおかしなお願いを笑って快諾してくれた。
「散らかってるから、片づけるわね。ちょっと待っていて」
そう言って運転席を空けてくれた。
もう涙がでそうだった。
彼女は名をシャロンといい、なんと私が使っているガイドブック『Milepost』のライターだという。
2013年の今でも『Milepost』のfacebookページの写真にはときおり彼女のクレジットが入る。
それを見るたびにとてもうれしくなる。
シャロン・ナルト。『Milepost』ライターでダルトンHwyやデナリHwyを担当 |
もし、テントを張っても何も起こらなかったかもしれない。
いや、最悪の事態が起こっていたかもしれない。
それは分からない。
そこで「最悪の事態」が起こっていたら、それは私には「自己責任」でしかない。
しかし、ここで私がそんなことになったら、
私より後から来る日本人はなんて言われるんだろう、と極めて日本人的なことを考えた。
とにかく無謀で無責任なことをしなくて済んだ。
ありがとうシャロン。
シャロンの車の運転席から。 |