アラスカの旅からおよそ2年半。
私は再び旅に出ることにした。
どこに行くべきか、いや、どこに行きたいか。
行き地場所はたくさんある。
北欧、カナダ、アラスカ、ニュージーランド、アイルランド、モロッコ、タスマニア、パタゴニア、キューバ・・・
あげれば切りがない。
どこなら行くことができるか。
行くのは12月から1月。北半球の冬の時期。
行くならまた自転車の旅がいい、いや自転車以外で海外をどう旅していいかわからない。
そう思うと雪に覆われる北欧、カナダ、アラスカは却下。
残った地域の中でアイルランド、モロッコ、タスマニアの3つに絞り、
各地域の『lonely planet』をアマゾンで購入した。
『lonely planet』はおそらく世界中のバックパッカーが使っているガイドブックで
『地球の歩き方』の数百倍役に立つ。
残念ながら『地球の歩き方』には街のキャンプ場の情報は載っていないし、小さな町の情報も書かれていないことも多い。
英語があまり得意ではないのでイントロダクションだけざっと読んで考えた。
モロッコは砂漠とあって大変そうだ。
街から街の距離、風、水の補給、トラブル時の対応など心配要素が多い。
困難があるほど燃える冒険者タイプの人もいるが、私は決してそうではない。
アイルランドは私の大好きなビール「キルケニー」とジャック・ヒギンズが愛するウィスキィ「ブッスミルズ」の国だ。
ぜひ行きたい。
しかし、気候のデータを見ると驚くほど雨が多い。
・・・雨か。
自転車旅での困難は峠よりも雨であると思う。
結局、私はどんな旅がしたいんだろう。
海外のツーリングも3度目。
自分の力量もよくわかっている。
自分らしく自由を振り回して旅ができるところ。
やはりタスマニアだ。
かつてニュージーランドをしばらくともに旅したスイス人サイクリスト、ダニエルが
「シマ、ニュージーランドもいいが、タスマニアもベリーナイスだ。おれは7回も行ったぞ」っと言っていた。これがずっと気になっていた。
ダニエルは当時40代のベテランサイクリストで
毎年冬になると自営のぺインターの仕事を休業し、自転車の旅に出るというつわものだ(注:独身)。
昼間からビールを飲むサイクリスト ダニエル。ビールはソフトドリンクだそうだ。 |
彼はニュージーランド7回、タスマニア7回、キューバ、パタゴニア、オーストラリア本土、カナリア諸島などを旅をしており、彼のことを考えているうちに彼が薦める場所に行ってみたいと強く思うようになった。
「夏のタスマニアでタスマニアワインを飲みながら、オイスターを食おう。」
私は決めた。
オーストラリアの南に浮かぶタスマニア島へ行こう。
私が尊敬するサイクリストの一人が最高というその島へ。
南半球でクリスマスを過ごし、旅先から年賀状を書いてやろうじゃないか。
私は準備を始めた。我ながら準備は順調に進んだ。
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一番安いエアチケットだったキャセイパシフィックを取ったが、
いきなりチェックインで荷物の追加料金を取られた。
前回アラスカの出国時に痛い思いをしたので手荷物をかなり増やしたがダメだった。
24,000円取られる。
いきなり現地での一週間分ぐらいの滞在費が消えた。。。
当然の出費で飛行機に乗る前のビールは我慢したが、
飛行機に乗ったあとはいつも通り飲んだくれであった。
香港の空港でビールを飲みながら日記を書く |
キャセイは安かったが、台北、香港でトランジットし、機内食は4食食べた。
2006年に行ったニュージーランドより飛行機で過ごす時間がしんどい。
とにかく早く着かないかなとそればかり考えていた。
日本から持ち込んだ隆慶一郎の『かぶいて候』はすぐに読んでしまった。
東野圭吾の『宿命』は読まずに我慢した。
日付が変わってシドニー着。シドニーは雨。
例のごとく入国で時間を取られる。
出国前に日本を代表するMTBメカニックのバスマン氏から
「オーストラリアに行くならタイヤの泥とかは極力落とした方が入国時にトラブルにならない」と言われており、タイヤをきれいにしておいたおかげで特に指摘されなかった。
食糧も持ち込んだがうるさく言われなかった。
シドニーからはカンタスでタスマニアの州都ホバートへ。
飛行機から眼下にタスマニア島が見え、気分が高ぶってくる。
新しい旅が始まる。
『lonely planet』より。タスマニアはオーストラリア南に浮かぶ島 |
ホバートに到着。
予約してあるユースホステルに行くため、
シャトルバスのドライバーに行き先を伝える。
しかし、私の荷物が出てこない。
待っているとアナウンスがかかり、呼び出される。
自転車を入れた段ボール箱が壊れたらしい。
シドニーでちらっと私の箱らしい荷物が雨の中、
フォークリフトで運び出されているのが見えた気がしたのだが、
どうもその結果段ボールが壊れたようだ(真相は不明)。
どうしてくれるんだと聞くと、今カンタスの段ボールに入れ替えているから
待ってくれと言われる。
さらにしばらく待つとカンタスの箱に入った自転車が出てきた。
カンタスはバイクボックスも持っているのかと妙なところで感心した。
しかし、カートがなくて運べずに困っていると
なかなか来ない私を待っていてくれたシャトルバスの運転手のおじさんが
手伝ってくれた。
タスマニア州都ホバートはタスマニアの南部に位置する |
バスの車窓から見えるタスマニアの景色はニュージーランドのようで
なんだか懐かしく、うれしかった。
ニュージーランドを旅していた頃、よく「タスマニアはニュージーランドみたいだよ」という話を聞いたのを思い出した。
しかし、それは自転車以外の方法で旅をする人の認識であることを思い知ることになる。
バスが予約した宿に着いたが、私が気がつかないでいると
「おまえここだろ?」と男性の乗客が教えてくれた。
彼はバスを降りて、自転車の段ボールを運ぶのを手伝ってくれた。
まったく、人の助けがないとなにもできない。
宿はバーを併設しているユースホステルだ。
タスマニアというかオーストラリアがそうなんだろうが
昔の名残でパブが宿をやっているケースが多い。
これはかつて遅くまで酒を出す店は宿泊出来ないといけないと法律で決まっていたこと何かで読んだのを思い出した。
部屋に荷物を運び込む。
なんだかやたらと複雑な作りの宿である。
二階の一番奥の8人部屋だった。
この手の宿はドミトリーと呼ばれ、安いが相部屋でベッド一つが割り当てられる。
日本では男女別だが、タスマニアでは男女関係なく同じ部屋だ。
食事は共同で使えるキッチンで食材を持ち込んで勝手に作ることができる。
私はベッドに荷物を置いて食料のバッグを持ってキッチンに向かった。
私のベッド |
サーフボードを持ち込んでいたのは日本人だった |
階下のキッチンに通じるドアを開けると
なんともいえないスパイスの混ざったような香りが漂ってきた。
「あっ、キッチンのにおいだ」
ニュージーランドをともにしばらく旅をした友人のルティア(彼女もスイス人だ)がユースホステルに泊まったことがないという人にユースのキッチンの様子を話していたのを思い出す。
「ああいう宿はキッチンがあって、いろんな国からきた人たちが同じキッチンでいろんな料理を作るのよ。
とってもスパイシーな香りがすると思ったら、甘い香りが別のなべから漂ってきたりして。
それでよく同じテーブルになった他の人と情報交換したり、お互いのことを話したりするの。
おもしろいからあなたも一度泊まってみればいいわ。」
何のにおいかははっきりしない、「ユースのキッチンのにおい」。
甘いような気もするし、ガーリックの香ばしい香りもする。
それ以外に何か分からないにおいも混じっている。
空港で否応なしに英語の会話を始めた時から
外国にきた、という感じはした。
しかし、キッチンのにおいをかいだとき、
「あぁ、おれまた旅に来たんだ」という実感が初めて湧いた。
キッチンに入ってそこにいる人に「Hi」と軽く挨拶して、
キッチンの設備、皿やグラス、鍋やカトラリーを確認したり、
旅人が不要になった食料を置いていく「FREE FOOD」のラックを確認したり。
なんだかそのすべてが懐かしかった。
そしてその懐かしさが再び一定の日常になるのにさして時間はかからなかったと思う。
シドニーからホバートの便が予定より遅れたため、宿には夕方到着した。
予定ではもう少し早く着く予定だったので、
その日の食事ぐらいは買いに出るつもりだったが、億劫になってやめてしまった。
食事はフロントで売っていたインスタントラーメンになった。
キッチンには日本人女性がいた。話しかけるか迷ったが、
他の日本人女性とワーホリトークを日本語で始めたので、話しかけるのをやめた。
初日からこれは鬱陶しかった。
部屋に戻ると部屋にはひとりだけ客がいた。
隣のベッドの韓国人女性だ。
名前をSunnyといい、27歳。韓国でLGに勤めていたが、
今は自分の時間を過ごしているらしい。Sunnyによれば彼女のような韓国人が増えているらしい。なんでもオーストラリアはビザが取りやすいそうだ。
「働いていた時は休みなんてなくて、今は自分の時間を過ごしているの」
そう言って笑った。
それからお互いのこと、日本人と韓国人について、彼女のタスマニアでの出来事、英語についてなど旅行者同士のお約束的な話をした。
彼女は明日の早朝、帰国するらしい。
私がタスマニアのオススメを聞くと
「フレシネ国立公園のMt.アモスから見るワイングラスベイが素敵よ」と教えてくれた。
私は最初の目的地をワイングラスベイに決めた。
モンゴメリーYHAで同室になったSunny |
彼女の話で印象的だったのは"favor"についてだった。
「あなたも他の人に"favor"をしなきゃいけないわ。こうやって旅人同士の助け合いの輪が広がっていくのはとてもいいことだと思うの。」
英語がロクに話せない私は"favor"の意味がそのときはわからなかったが、
「援助、親切」という意味だというのを辞書を引いてわかった。
彼女は自分にはもう必要ないからとホバートの地図をくれた。
今回の旅が多くの"favor"のおかげで素晴らしいことになることをこのときまだ私は知らない。
明日は雨らしいが、ホバートの街を回って食料や地図を買って旅の支度を整えよう。
明日はいい日になりますように。