定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

ストローンの大晦日は歌とともに更けて 2008年12月31日

朝起きると、Mattはすでにいなかった。
まぁ、私が三日で行く予定のところをその日のうちに行くと言っていたから
朝が早いのも当然だろう。


休息日の大晦日。


休息日と言っての走らないだけで、特に予定があるわけでもない。

朝も宿でゆったり過ごした。

宿の庭に現れたウサギ



少し自転車のメンテナンスをする。
ブレーキシューの減りが気になったので予備と交換。
ペンチを持っていなかったので、宿の人に貸してもらった。

「何に使うんだ?」と聞かれて、説明したがうまく伝わらない。
実際にブレーキシューを交換している作業を見たら

「おぉ、そんなふうに交換できるのか」と感心していた。


とはいえ、あと2,3日は上りしかないだろうから、活躍するのはしばらく先だろう。


だが、使い古したシューと新品のシューを比べるとゾッとするぐらい
古いシューは減っていた。




宿の庭に洗濯物を取り込みに行くと、夜雨が降ったのか洗濯物は半乾きであった。
さすが、西海岸。降っては止んでのタスマニアンウェザーだ。
外に干すのはよそう。

部屋のヒーターを入れ、乾かすことにした。


宿ですべきことは終わってしまったので街に出る。
といっても、特段ストローンの街で何かするわけでもない。

ストローンはゴードン川クルーズの観光の拠点として栄えているが、
所詮タスマニア西海岸である。


栄えているといっても、人口1000人に満たない小さな街で、
一部の商店、公共サービスもクリスマス休暇のさなかという有様である。

わずかにある土産屋みて回ったがこれというものがないし、
ゴードン川クルーズなんてものに興味は湧かなかった。
どのみち船酔いするのがおちである。

観光案内所で少しインターネットを使うが勝手が悪い。

インターネットの後はスーパーで食料、リカーストアでカスケードドラフトを購入。

カーストアでは缶ビールを紙袋に入れてくれる。缶ビールを裸で持って歩いてはいけないらしい



昼は宿に戻りインスタントラーメンで済ませた。

スーパーで買った卵。賞味期限が1ケ月後。加熱前提ということだろう。


珍しくスーパーで牛肉を買ったので、
明日の昼食のサンド用にオイルと香草でマリネにした。

安い肉を柔らかく、おいしく食べるオススメの方法だ。
やり方はニュージーランドのTakakaでバックパッカーを経営している日本人に教わった。
Takakaか。あの日も雨だったな。

晩御飯。自分で作るチャーハンがやっぱりうまい。



宿のキッチンでコーヒーを淹れて地図を眺める。
相変わらずはっきりしない天気とまだ数日続く山岳ルートにいいかげんうんざりしていた。
それからこの数日でかなり金を使っていて、それも気分を沈める要因になっていた。

「どうしたもんかな。。。」

ニュージーランドの南島西海岸のHaastにいたときのことを思い出した。
数日続く雨と、これと言って何もない街。

何とも陰鬱な気分だった。

あのときは、祖母の訃報を宿で受け取って、急遽帰国したが、
今思えば、そんな閉塞的な状況から逃げたくて帰国したのかもしれない。



誰かが付けっぱなしにしたらしいテレビからは「New Year's eve」という言葉が聞こえてきた。

各地のお祭り騒ぎがとても遠いことのように思えた。






机でビールを飲みながら日記を書き出した。

『今日は大晦日。これといって書くことはない。』

これだけ書くと止まってしまった。
なんとさびしい大晦日か。



カスケードビールを眺めていると外からギターの音と女性が歌う声が聞こえてきた。

私は誘われるように表へ出た。


テラスの隅でクーラーボックスに座った男性がギターを弾き、テラスの手すりに背中を預けていた女性がビール片手に歌っていた。

歌は反戦の歌のようだった。
"no war"とか"for children"とか歌っていたと思う。

歌い終わったところで私は小さく拍手した。

少し驚いたように二人が私を見た。

女性が微笑んで煙草に火を点けると私を手招きした。



女性の名前はケリー、男性のほうはケビンといった。
20代の子供がいるという。
二人はオーストラリア本土、クィーンズランドから車とフェリーで来たらしい。


「あなた自転車で旅してるんでしょ?どうして?こんなに坂だらけなのに?ほんと信じられないわ?」
ケリーは絵に描いたようなオーバーなジェスチャーをして見せた。

そう問われて、自分でもどうしてなんだろうな、と少し考えた後、

「自由だからかな。自分の意思でいつでも停まれるし、
ベリーファームだってワイナリーだって寄り放題だ」
と答えてみたが、ケリーは馬鹿げてると言わんばかりに大きく首を振った。


時折、ケビンの演奏でケリーが歌うのを聴いて、それぞれにビールを煽った。


「とても静かな夜ね。タスマニアでも人のいないところですものね。」

いろんな話をした。


二人が一時住んでいた中国のこと、日本のこと、クィーンズランドのこと、
文化について、教育について。

「教育が受けられるってとても幸せなことよ。
私たちの子供たちは戦争を体験せずに済んでいるし。
戦争があって教育を受けられない子供がたくさんいるのに」

ついさっきまでおどけていたケリーがしみじみ話す。

「私はちゃんと教育を受けさせてもらたけど、
学生の時はどうして勉強しなきゃいけないか理解していなかったよ。
今はとてもそのことに感謝している。」 

タスマニアでこんな話をするとは思わなかった。



「ところで、あなた、歌は何を聴くの?」ケリーがきいてきた。

「実はジェームズテイラーとキャロルキングだ」と私がいうと二人はハハッと笑った。


「そりゃまた古いな、『Tapestry』か『too late』だな」と
ケビンが「too late」を弾き始めたが、よく思い出せないようだった。

「私はあれよ、『Carolina in my mind』よ」とケリーはアカペラで歌いだした。
思わず私も歌いだす。

「Yes,I'm gone to Carolina in my mind」合唱して乾杯した。


やがてケビンが「寒くて指が動かないよ」といいながらまた歌いだした。

「カスケードビールを飲んでるシマは明日ストローンへ自転車でいくのさ~♪
彼の望みは晴れと追い風さ~♪」

それから「フラットな道ね」ケリーが付け加える。

私は大きな声で笑った。


「日本人にとって大晦日は特別な日なんだ。
ついさっきまで独りで過ごすと思っていたんだ。
こんなに静かで素敵な夜を過ごすことができてとってもうれしいよ。ほんとうに有難う。」

2009年はそこまで来ていた。