私の家に来て、食事にラタトゥイユが出てきたら、こんな話をするかもしれない。
「ニュージーランドのコリンウッドって小さな街でバスを待っていたら、地元の夫婦が声をかけてくれてね…」
*******************
この日はモトゥエカに戻るためにバスに乗ることになっていた。
わざわざバスを使ったのはコリンウッドから出るにはTakaka Hillをもう一度登るという 選択肢しかなく、ちょっと面倒だったのと、一度ローカルのバスを使ってみたかったからだ。
朝、バスが来るまでの時間「Collingwood Cafe」でまたカプチーノを飲む。
前日来たことを店員の女性は私のことを覚えていたらしく、注文を書くノートを遡って見て、
「カプチーノの上にはシナモンだったかしら?」ときいてきた。
「そうだ。でも今日はチョコレートにしてくれるかな?」と笑顔で答えた。
こういう、ささやかな会話が旅先の街の印象を決める。コリンウッドの印象が非常にいいのは彼女のおかげでもある。
カフェでバス停の場所を聞き、(カフェのはす向かいだった。)
バスを待った。
コリンウッドの街には特別なものは何も無い。
空の色を映した遠浅の海と小さなストリートがあるだけだ。
そんな街のことは10年以上経った今でも、しばしば思い出されるのだ。
バス停と思われる場所でうろうろしていると、一人の女性が声をかけてきた。
「あなたバスに乗るの?バスを待つならここでいいのよ。私はネルソンまで行くの。私はイェン。彼はレイ。あなたは?」
「シマです。イェン。」
いつものように、自分はサイクリストで、北島を回って、南島を回り始めたところだ、と言っておいた。イェンはとなりに立っていたレイと一緒にコリンウッド郊外に住んでいると言う。
レイは赤いクラシックカーでイェンの見送りに来ていた。三人でしばらく話す。
バスは定刻になっても来ない。
「遅いですね。」などと言っていると、一台のバンが止まり、運転席から男が身を乗り出した。
「ネルソンでバスが故障したんだ。代わりが来るまで一時間くらいかかるから待ってくれ。」
男は我々にそういい残すと、走り去った。
「私は別に急いでないよ。」というとイェンが「私も」と相槌をうった。
"Me,Neither"と言ったのがなんとも英語らしい表現だ、と思った。
それからイェンとレイがなにやら話し合ったあと、
「シマ、向こうの自動車工場のガレージで君の自転車を預かってくれるから、おいてきなさい。時間まで私たちの家でお茶しましょう。」とイェンが嬉しいお誘いをしてくれた。
もちろん、「行く!」と答えた。
レイご自慢のクラシックカーで「Farewell Spit」の方角で向かう。1930年代の彼の車はシートベルトが無かった。
コリンウッドから10分ほど行くとかわいらしい白い家があった。
ふたりの家は大きくはないけれど、天井が高くて明るかった。小さな庭は小道を抜けると砂浜に続いていた。なんて素敵なところに住んでいるんだろう。
庭の白いテーブルでお茶をしながら、いろんな話をした。
ふたりはずっと一緒にいて、いろいろな街で、いろいろな仕事をして、子供を二人育て上げ、少し前にコリンウッドに移ってきたという。
仲むつまじいふたりがとてもうらやましかった。
二人で少しずつ少しずつ人生を歩んでいたんだろう。
青い海へ続く小さな庭を持つ白い家はふたりにふさわしい、と思った。
イェンが庭を案内してくれた。「少しだけど、野菜を作ってるのよ。たまに潮でやられてしまうけど。トマトとかね。シマ、あなた野菜は食べるの?」
私は「食べるようにしている」と答えると、イェンは「ちょっと待っててね。」と家の中に消えていった。
しばらくしてイェンがまるでヘチマのような大きなズッキーニをもって戻ってきた。大きすぎてはじめは何か分からなかったほどだ。
横で聞いていたレイが「ズッキーニのスペルはどうだっけ」といいながら、辞書を出してきて調べ始めた。こういうところも素敵な人だな。
その後、このズッキーニは炒めものやラタトゥユになった。
楽しいひと時をふたりの家で過ごした後、レイがバス停まで送ってくれた。
バス停に戻るとやがてバスが来た。バスはいわゆるバスではなくワンボックスだった。
バスではイェンが助手席に座り、私は自転車と共に一番うしろに座った。イェンはさかんにうしろの私に「シマ、Are you OK?」と何度も声をかけてくれた。
モトゥエカで私がバスを降りると、イェンが「シマ、ハグよ。」と目に涙を浮かべて、やさしくハグしてくれた。
ありがとう、イェン、レイ。
ほんとうの幸せって何か少し分かった気がする。
あんなふうになれたらいい、強くそう思った。
あの日、もしネルソンでバスが故障しなかったら。
旅の出会いは偶然の産物。