ルティアとの旅が始まった。
アニータに空港近くのレンタカー店まで送ってもらい、レンタカーを借りた我々は南に向かった。
行き先はテカポ湖。
クライストチャーチから南西に約 240キロのところにある。
今は星空の聖地として有名なところだが、当時は湖と良き羊飼いの教会、という小さな教会がある風光明媚な場所として知られていた。
私たちは途中のカフェで休憩したり、景色のいいところを見つけて少し歩いたりして、のんびりテカポ湖を目指した。
ルティアは北島で私やダニエルと別れたあと、数日間一緒だったマレーシア人のチャンと合流して、しばらく共に走ったそうだ。彼はもう帰国して日常生活に戻ったはずだ。また彼にも会いたいな。北海道を走ってみたいと言っていたが、日本に来ないだろうか。
ルティアはレンタカーで行こうと言ったが、彼女は全く運転しなかった。彼女もまたスイスの国際運転免許証を持っていたが、ペーパードライバーだという。余談だが、スイスでは一度国際運転免許証を取ればずっと使えるらしい。ルティアの免許証を見せてもらったが、若い頃のルティアの写真が貼ってあった。
若い頃のルティアは80年代の海外ドラマに出てきそうなくるくる髪の赤毛の女の子だった。
結局、ルティアと一緒に旅行した3日間はずっと私が運転した。
車で旅行するのはこれまで何度もやってきたのに、なんだかとても奇妙な感じがしてきた。遠くにきているのに実感が湧かないのだ。ずっと自転車で旅をしてきたので、いつも目的地にたどり着くことは達成感があるのだ。自転車の旅をしていると車の旅が味気なく感じてしまう。
テカポ湖までの道中は曇り空だったが、テカポ湖に着くと天気は快晴。
テカポ湖は周囲をサザンアルプスに囲まれているが、湖のあたりは開けていて、とても空が広く感じた。
湖畔に静かに佇む教会は、小さいが、建物の中に入ると、正面に祭壇があり、その後ろが窓になっていて、テカポ湖が見え、自然の風景を取り入れた祭壇はなんだかとてもニュージーランド的に思えた。
私は何枚も写真を撮った。
ルティアがカメラを貸して、というのでカメラを渡すと私の写真を撮ってくれた。ひと月前にもイーストケープの海岸でも彼女は写真を撮ってくれたっけな。
私はルティアとの旅が終わったら、クライストチャーチから西海岸に鉄道で戻り、西海岸を南下、南島の南端をグルッと回り、テカポ湖のあたりにまたやってくる予定だった。
この頃、季節は夏から秋に向かうところで、日に日に寒くなっていた。私は長袖の上着を羽織るようになっていた。
テカポ湖の周囲はまだ紅葉が始まった頃だったが、私が再びやってくる頃には紅葉ももっと進んでいるに違いない、きっと紅葉のテカポ湖も美しいだろう。
しばらくテカポ湖での時間を楽しみ、カフェに寄ってテカポ湖を後にした。
翌日はクライストチャーチの東、バンクス半島に行く予定なので再び東へ車を走らせる。
出発前にカフェでコーヒーをテイクアウトしたまではよかったのだが、車にドリンクホルダーがなかった。
「シマ、私があなたのドリンクホルダーになるわ」そう言って笑いながらコーヒーを持っていてくれた。
ニュージーランドの道は少し街を離れてしまえばひたすら一本道である。私たちの前に微妙に遅いSUVが長いこと走っていたので、そろそろ抜こうかなとアクセルを踏み込むと「シマ、No!No!」とドリンクホルダーになっているルティアが叫んだ。
「大丈夫だよ。」私はそのままSUVを抜き去った。
ルティアはしばらく不満そうな顔をしていた。運転してるのは私だからいいじゃないか。
そうこうしてのんびり走っていると、さっきの車が私たちを抜き去っていった。
「ほら」ルティアが憮然とした顔でこちらを見る。
「私が悪かったよ。コーヒーちょうだい。」私はルティアからコーヒーを受け取り、残っていたコーヒーを飲み干して、コーヒーホルダーからルティアを解放した。
「テカポにバスのグループいたでしょ?ああいうの私出来ない。」
そういえばバス旅行の団体客がいたな。
「ああいう人たちはルティアみたいに旅をする技術を持ってなかったり、時間がなかったりするんだよ。私も無理だな。」我々のような人種にバスのパック旅行なんて土台無理な話である。
テカポから100キロほど戻り、Geraldineという街に到着。日が暮れてきたので、バックパッカーを探した。丘の上にあるRawtihi Backpakersというところに入った。
宿の建物は小さい街のバックパッカーにしては広く、白い壁の内装やリビングのテーブルなどが、合宿施設のような印象だった。元々、そういう施設だったのかもしれない。
廊下にはネパールやインドの山々やそこを走るサイクリストの写真が宿の中には飾られていた。宿のオーナーが旅をしていた頃の写真らしい。そういえば宿の看板は旅自転車に乗るキュウイの絵だった。
ネパールか。
アーサーズパスで出会った男はネパールに行く、と言って颯爽と峠を降りていったが、彼は今頃こうした風景に身を置いていることだろう。
私もいつかネパール行く日が来るのだろうか。