ルティアがもう食料をあまり持っていない、というので、私が持っている食料で朝食を用意した。
バッグのなかで変形したトーストにハチミツを塗り、シナモンをかける。もちろんいつものように豆から淹れたコーヒーを添える。
「あなたのコーヒーはいつもreal beanね。私はいつもインスタントだけど。」
シンプルな朝食だったが、ルティアはとても美味しいと喜んでくれた。
ルティアは朝食後、航空会社にリコンファームしないと、と言ってゴソゴソやっていたが、結局、かけるべき電話番号が分からなかったようだ。
朝から再びアカロアを歩く。丘の上に向かって行くと、民家に植えられた赤い葉の植物にルティアが目を止めた。「これ素敵。うちでも育てたいわ。」ルティアはその植物を写真に収めていた。スイスの気候で育つのか、そもそもスイスで手に入るのか、疑問はいろいろあったが、そこはあんまり問題ではなかったのかもしれない。
「私の家の後ろはすぐ、こういう丘の道になっていて、そのままトレイルに入れるの。だからよくトレイルを走ってるのよ。」ルティアが教えてくれた。
なるほど、ルティアは普段から鍛えているんだ。
当時はその程度にしか思わなかったが、今となってはなんと羨ましい生活環境かと思う。家からトレイルまですぐなんて。気軽にアウトドアアクティビティが気軽にできる環境があるのは、さすがスイス、と言ったところか。
丘の上から羊の牧場が見える。赤いトタン屋根の建物がいい感じだ。
羊を見ているとルティアが「シマは羊珍しいかもしれないけど、私は家で沢山の羊を飼っていたから、珍しいとも何とも思わないわ。私は四人姉妹の三番目で、みんなで面倒みてたの。」と教えてくれた。
羊たちをよく見ると一頭が柵の外にいた。
「たまにいるのよね。どうしてか柵の外に出ちゃう羊が。」ルティアが懐かしそうに笑った。
ファッジの有名な店があるので、行こう、ということになった。
ファッジというのは、イギリスの伝統的なお菓子で、砂糖、バター、生クリームなどで作られている。口に入れるホロっと崩れて、ものによっては砂糖がザラッとする。
日本では馴染みはないが、ニュージーランドのカフェではよく見かける。私もこちらに来るまで知らなかったが、一つ2ドルほどで、5センチ四方ぐらいの大きさのものが出てくる。びっくりするほど甘いが、毎日自転車で走っている私にはちょうどいい補給食だった。私はこれまで何度か食べていて結構好きだ。
アカロアのファッジ専門店はかなりの種類があった。普段カフェで見るのは大抵チョコレートかキャラメル味の地味な色のだが、ピンクなど鮮やかなものもあった。
自分用に少しとアニータたちへの土産にもいくつか買った。味のほうは期待したほどではなく、まあ普通だった。観光地のせいか、値も多少張るし、大きさも小さかったと思う。これなら普通のカフェで買ったほうがいい。
アニータたちの土産にはファッジの他にチーズを買った。そうした土産もまあまあな金額になって、ルティアにお金を使い過ぎだ、と言うと、アニータたちにはとてもお世話になったんだからお礼をして当然でしよ、とたしなめられた。
ルティアが正しいのは分かっていたが、それぐらい今回の旅行での出費は痛かったのだ。
一通りアカロアは回った、というところで遅めの昼ごはん。久しぶりにカフェでハンバーガーを食べる。エッグバーガーだ。エッグバーガー好きなのでカフェでときどき注文していた。
アカロアを離れ、一路クライストチャーチに向かう。普通に行けば一時間半もあれば着いてしまう距離だ。
半島の真ん中を上っていく山道を進んでいく。
ニュージーランドは日本のようなガードレールはほとんどなく、山道でも崖側に太いワイヤーが張ってあればいいほうだ。またカーブミラーも少ない。
アカロアからの道もそんな感じだった。そんな見通しの悪い山道を私にしては珍しく慎重に走っていくと、突然対向車が出てきてビックリ!というのが何度かあった。向こうはどういうつもりで運転しているのだろう。
明日にはお別れになるルティアだが、40過ぎて一人で海外を自転車で旅しているのもさすがだと思うが、数年前まで自転車競技で企業からサポートを受けていたそうだ。今回のニュージーランド旅行でも着ていたジャージの一つがそれらしい。しかも競技はリカンベントのタイムトライアル。
リカンベントは日本ではほとんど見かけない寝そべって乗る自転車のことで、ヨーロッパではそれなりに見かけるらしい。たぶん日本ではリカンベントのタイムトライアルなんて競技すらないのではないだろうか。また彼女はリカンベントを二台所有しているらしい…
そこまで聞いて私は驚いて口を開けていたが、さらにすごいのはルティアの友達のローズマリーの話である。
ローズマリーはリカンベントのタイムトライアル女子の世界チャンピオンで、いつかのカテゴリーでタイトルを持っているらしい。またなんとリカンベントを10台以上所有し、ヨーロッパ各地のレースを転戦しているらしい。ルティアも一緒に行くことがあるらしいのだが、車ならスイスからベルギーあたりぐらいは行けるらしい。
Googleで調べたらスイスからベルギーまで8時間弱といったところのようだ。
それにしてもよくやるものだ。
何でもルティアがマフィンを焼いて持って行くらしい。ルティアに君のマフィンのレシピを教えてよ、と言うと後日メールでレシピを送ってくれた。
ルティアは今回のニュージーランドの旅にあたり、人材派遣会社のマネージャーの仕事を辞めてきたらしいが、また帰国して仕事はすぐ見つけられるから心配はしていない、という。
帰国しても全く仕事のあてのなかった自分には羨ましい話だった。それだけ努力してきたのだろう。とにかくルティアはかっこよかった。
クライストチャーチには早めに着いてしまったので、郊外の公園をウォーキングした。クライストチャーチには多くの公園がある。私たちが行った公園は何かの採掘場の跡のようなところを整備したものらしかった。
公園をウォーキングした後は、空港近くのレンタカー屋に車を返却。となりがガソリンスタンドで給油をしてそのまま返却できて都合がいい。
少し待っているとアニータが例のかわいいヴィッツで迎えに来てくれた。
晩御飯はフィッシュパイに、ポテトとサラダだ。フィッシュパイはパイといってもパイ生地に乗っているわけではなく、大きな深い皿に魚とホワイトソースが入ったものだ。後で知ったが、イギリス系の家庭料理では、こうした生地のないパイもよく食卓に並ぶらしい。
アニータはなかなか料理上手である。
アニータに旅行の土産を渡し、リビングで寛ぐ。
ニューカレドニアに行くときに、自転車を預かってくれないか頼んでみると、快諾してくれた。
「なんでわざわざニューカレドニアなの?出国するだけならオーストリアでたいいでしょ?」とアニータにごもっともな質問をされる。
「それは、白いビーチでカクテル飲みたいからさ」と私が嬉しそうに言うと、「ハッ、高いカクテルねー。カクテルくらい私が作ってあげるわ」と呆れた様子だった。