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アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

旧田口鉄道跡 - 奥三河ツーリング-

このブログでは長いこと旅の記録を書いてきたが、私の過去の大きな旅の話はあらかた書いたので、これからは国内の旅の話や自転車で走ったことなどを書きたいと思う。

 

私が住む地域は愛知県の東側のエリアで東三河と呼ばれる地域だ。私は休日になると、ロードバイクで走りに行くのだが、主に走るのがこの東三河エリアの北部、長野県と静岡県に接した奥三河地域である。奥三河は愛知県にあって、昔ながらの風景と自然が多くて残る地域で、私にとっては最初に一人で旅をした地域で非常に思い入れも強い。

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今回、50年前に廃線になった旧田口鉄道の遺構が一部、ダム工事のために入れなくなるということで、よく奥三河を一緒に走るタツマくんと走りに行くことにした。

 

旧田口鉄道の遺構は鉄道が走っていた現在のJR飯田線本長篠駅から設楽町田口まで、トンネルや橋脚など様々なものが残っている。また線路だったところは道路として走れるところもあり、奥三河にやってくるサイクリストには人気のルートとなっている。

 

新城市桜淵公園をスタートし、県道69号、国道257号で設楽町に向かう。天気予報はハッキリしない感じでやや不安があったものの、一瞬雨がパラついただけで一時的なものだった。

 

国道257号の旧鳳来町から設楽町清崎まで区間は川沿いの緩い上り基調の道で走りやすい。

私は昔のサイクリングターミナルを過ぎて、橋を渡る辺りの景色がとても好きで、ここを通る度に「奥三河に来たな」という気分になる。そこから地形が開けて空が広くなるのだ。

 

もうすぐ設楽町というあたりに昔一度だけ蕎麦を食べた富士屋旅館がある。しばらく見ない間に随分荒れていた。もう営業はしていないのだろうか。

いっしょに走ったタツマくんのペースもよく、順調に設楽町清崎に着く。トンネルを避け、集落を抜ける道を選ぶ。集落を抜ける道沿いには昔のブリキ看板の残る建物があったりして、ただ走り抜けるだけで楽しい。

 

設楽町清崎は新しい道の駅を建設中だ。前は集落から小学校まで回らないといけなかったが、道の駅の隣の新しい橋がもう渡れるようになっていたのでさっそく渡ったみる。

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写真を撮っていると、タツマくんが地元のおばあさんたちに話しかけられている。

三河ではよくあることである。タツマくんも慣れたもので、我々が走りに来た目的を簡単に説明していた。私は月に一度くらいは奥三河で走っていると思うが、休憩していると地元の人に本当によく話しかけられる。奥三河の人は人懐っこいのだ。

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清崎の道の駅の工事現場を横目にコンビニで休憩した後、いよいよ立ち入りが出来なくなるエリアに向かう。

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入り口で写真を撮っているとサイクリングがやってきた。聞けばこの方も通れなくなると聞いてきたらしい。この日は通行できる最後の土曜日だったが、出会ったサイクリストはこの人ぐらいだった。どうやら翌日曜日はもっとたくさんの人出だったらしい。

 

車一台分の幅しかない橋を渡り、旧田口鉄道の道を走る。トンネルの地面はダム工事の関係で一時よりきれいになっているが、上は素掘りで水が滴り落ちているのは相変わらずだ。

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途中の工事看板を頼りに、閉鎖されるエリアの入り口まで来る。

 

何度も他地域のサイクリストを連れてきたり、昔からの仲間と走ったりしたものだが、もう走れなくなるなんてまるで実感が湧かなかった。

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ダムサイトができる場所まで移動する。前に来たときはいつだったか忘れたが、そのときより工事は確実に進んでいる。土曜日にも関わらず、工事は行われていた。

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川に巨大な岩のある場所があり、「場所が場所ならこの岩だって名前がついていてもよさそうなものなのにな。」と思ったが、そんなこともダムに沈むという事実に飲み込まれてしまう。

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タツマくんといえば、名残惜しいのか沢山写真を撮っていた。彼もここによく来ていたのだ。

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工事箇所を抜けるとそこは旧田口駅の跡だ。

もう当時の様子を説明した看板くらいしか残っていなかった。 

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旧田口駅からは少し知らない道を探索したりしながら、更に山の奥を目指した。

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途中、ダムに沈む大名倉地区を通る。集落のあったところは家の基礎だけが残っていた。ここには確かに暮らしがあった。

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家庭を持ち、家を持った私にはこの光景はショックだった。ここから去っていくことになった人々はどんな気持ちだったのだろう。災害で家を失うとかニュースで見たりはするが、「家があった跡」をここまで意識して見たことがなかったので、いろいろなことを考えてしまった。

 

集落跡から国道257号に抜ける県道の入り口の小高いところに真新しい鳥居の小さな神社があった。ここまではダムの水は来ないのだろうか。鳥居を見ると平成27年に作られたようだ。神社には周辺にあったものだろう、馬頭観音が神社の片隅に置かれていた。

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この神社はダムの上からかつて集落があった場所を見守るのだろうか。ダムが出来たらまたこの神社に来よう、そう思った。

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初めて走る町道を抜け、国道257号に出る。設楽大橋の少し上だ。タイトなコーナーが続く下り坂を慎重に降りていく。最近、仲間で転倒して骨折、入院ということが続いており、いつもより慎重になっていた。

 

国道257号の設楽町田口に上がる道は道路がつけ変わっていた。まだダムができるまでどんどん変わるのだろう。

 

田口に出たところで昼食。田口で昼ごはんというのも珍しい。いつもは大体東栄町でお昼ということが多いのだ。

 

いくつか知っている店はあるが、タツマくんと相談して新規開拓することにした。

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国道沿いの定食屋「一よし」に入る。

 

予想通りの昭和感満点の店内。この日は汗ばむ陽気だったが、エアコンが入っておらず、少し暑かった。

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懐かしい卓上の容器。メニューの「スタミナカレー」と「カレーうどん」はマジックで消されていた。どうやらカレーはやめたらしい。

 

タツマくんはカツ丼、私は鳥蕎麦大盛りを注文。

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カツ丼はソースカツ丼であった。タツマくんは旨そうにカツ丼を平らげていた。

そういえば設楽町でカツ丼を食べるとソースカツ丼が出てくる。前に行った「芳水」でもソースカツ丼だった。ちょうど昨日、設楽町民に会ったのでその辺りのことを聞いたら、卵とじもソースも両方あるそうだ。

このあたり、もう少し詳しいひとに話を聞きたいものだ。

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私の蕎麦と言えば、優しい色のつゆの蕎麦だったが、塩味はしっかりしていた。東三河は蕎麦、うどんのつゆは甘めに仕上げる店が多いがここはそうでもなかった。

食事を済ませ、外へ出る。大盛り750円は消費税増税後もきっとそのままなのだろうな。

 

田口からは清崎へ戻り、そこから与良木峠へ。ここの峠を走るのは久しぶりだ。この与良木トンネルは愛知県で一番古い、とタツマくんが教えてくれた。

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与良木トンネルを抜け、新城市との境を越える。

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新城側の集落のに彼岸花が咲いていたのでしばし写真を撮りながら休憩。奥三河の山々は標高こそ高くないが、山が急峻である。当然山の集落は急な斜面に建っている。こういうのは非常に奥三河らしいと思う。

 

山を下りた我々は再び旧田口線の廃線跡を走り、桜淵公園に戻っていった。