コロナの影響で春は中止となったダモンデトレイルは、先日、「Damonde Trail run for joy」として開催された。
ある日、ダモンデの拠点、ヤングキャッスルで山田さんが「秋のダモンデは…」と秋の開催の構想を話してくれた。
「やらないのは簡単だけど、そうじゃないと思うんだよね。」
参加人数を抑えた上でレースという形式から大会コースを自由に走るフリーランの形式に変更しての開催にするという。
私が聞いた開催への想いはより明確な形で後日、ダモンデホームページにアップされた。
『まだまだ予断と緊張を許さない状況下にあって、こうした新しい何らかのアクションを起こすこと、それに伴うリスクを考えれば 考えるほど「何もしない方が良い」という結論に激しく傾きたくなる中で、それでも暮らしも、経済も、地域も、少しずつ新しい 回復軌道に向かうため、いま私たちができること、少しでもスポーツの力で自分たちの暮らす世界を鮮やかに、元気に、楽しい方 向にその歯車を回すようにと考えた末の結論です。こうした決断にはご批判や不安の声もあるかもしれません。しかしこうした新しい挑戦を模索し行動を起こす中にこそ、これからの厳しい時代にあっても、この地域を支える活力や可能性が秘められていると 信じ行動を起こしたいと思います。参加を希望する皆様、支えてくださる地域の皆様をはじめ関係各所の皆様にご理解いただきま すようお願いいたします。』
そう、やめてしまうのは簡単だ。
この状況下でイベントを開催するのは相当勇気が必要だったと思う。
そして私は今回もスタッフとして声をかけてもらうことができ、新しいスタイルのダモンデに参加することとなった。
Damonde Trail run for joy当日。
早朝の愛知県民の森にスタッフが集合する。私は家族を連れていたこともあり、やや遅れ気味に到着した。すでにほとんどのスタッフが集まっている。久しぶりに会う人もいてこれだけでもきた甲斐があると思った。
無線を受け取ると、山田さんから朝のブリーフィングを受ける。
山田さんを囲んだスタッフがその言葉を耳を傾ける。
我々は戻って来たのだ。
ブリーフィングが終わると、各自会場まで歩いていく。私の家族もスタッフに混じって歩いて行く。
子供達も朝早くから眠いだろうが、ダモンデは我が家にとっては大事な年中行事であり、みんな行くことを楽しみにしていた。
大会のメイン会場の愛知県民の森 芝生広場では出店者の人が開店の準備をしている。
私は自分の準備をし、お店の準備が終わったブースを早速みて回る。
大会が終わってからだと物がほとんどないので、朝、お目当のものがないか見ておくのだ。
スタッフが落ち着いたところで、私は担当エリアの仲間を集めて簡単にミーティングをした。今回はスイーパーで新しい方が二人来てくれたので、自己紹介をし、我々が担当する右岸エリアのスタッフで基本的な動きの確認をした。
朝食を食べながらのラフな感じだ。
私の担当する右岸エリアは一部、足場の悪いところで、ここ数回はこのエリアを任せてもらっている。業務としては、エリア全体を気にしながら、主に選手に注意喚起したり、怪我や事故があったりした場合の対応にあたるのだ。
同じエリアの担当は、通常より人は少ないが友人のタツマくんを始め、いつも一緒にコースを見てくれる人たちで安心だ。
打ち合わせの後、担架やAEDなどをコース内に運びながら、コースウォーク。危険箇所の確認と、怪我人が出た場合の動きを確かめる。
その際にいくつかコーステープを追加で張る必要があるということになったので、スタート前の配置につくときに対応することにして、我々は一旦本部に戻った。
本部に戻ると選手が続々とやって来ていたが、やはりいつもと比べるとかなり少ない。いつもより400人少ないのだから当然である。広い会場が更に広く感じる。
見上げると空は快晴だ。青が眩しい。
本部に戻った子供達が私を見つけて走ってくる。出店ブースも営業を始めたので、焼き菓子のお店「chacha」さんと「ぶどうの小枝」さんに行き、いくつかお菓子を買う。これも毎回の楽しみだ。
コーヒーを片手にしばらく家族とブースを見て回る。
自由な時間を満喫している鈴木夫妻はハマーの上にテントを出してコロナビールを売っていた。子供達は早速テントに入れてもらい遊んでいた。特に長男はその後も何度も遊んでもらったようだ。
鈴木夫妻のとなりは東栄町でゲストハウスをやっている金ちゃんだ。今回はキッチンカーでタコライスとカレーの販売とのこと。そうした出店者の仲間や他のスタッフと話したりしてスタートまでの時間を過ごした。
スタートまでの時間は、ダモンデの緩やかな空気とこれから大会が始まるわくわく感に包まれている。
時間を見るともうスタート20分前だ。
担当エリアの仲間と共にコースに入った。
持ってきたコーステープを17番付近の林道に上がるところにコーステープを追加で張る。ここは過去に何度かミスコースする選手が出ている。
それから木の階段が1か所割れそうなところがあったのでコーステープを巻いておく。これで選手は危ないところかな、と思ってくれるはずだ。
あれこれしているうちにスタート時間の10時になった。
特に無線が鳴るわけでもなく、コース内はいつになく静かだ。いつになく川を流れる水の音が大きく聞こえる。
私は担当エリアの一番奥、木の橋と階段のあるところで、選手がやってくるのを待った。
やがて川の対岸に先頭の選手が見えた。
最初の周回は選手が続いてきたが、その後はまばらにくる感じだった。
フリーランというスタイルのせいか、これまでのダモンデよりも、普段からトレランをやっている人が少なく、家族で走っている人を何人も見かけた。
いつもダモンデでハンモックを出して子供達に人気の「新城キッコリーズ」の田實さんも娘さんたちと走っていた。はじめは一緒に走っていたが、娘さんたちはなかなか速く、周回を重ねるうちにバラバラになっていった。
田實さんに「娘さんたち随分先ですよ!」と声をかけると、「いや、こけちゃって」と疲れた様子を見せながらもとても楽しそうだった。
そうでなくても緩い大会のダモンデだが、今回フリーランの緩さを象徴していたのはこれである。
この犬以外にあと2匹、抱っこされたりしながらフリーランを満喫?していた。
こういうのも悪くない。
それから普段は本部に張り付けのMCハヤッチも走っていた。他にも普段の大会中は持ち場をほとんど動くことのないスタッフも何人かコースを回っていた。
私も担当エリアを中心にコース内を見て回る。
私の担当エリアの一番南側、小さな沢を渡り、林道に戻る箇所だが、ここは今回、ベテラントレイルランナーの松宮さんが見ていてくれていた。
シングルトラックから沢に出るところで急に視界が開けるので、一瞬コースを見失う選手がいるところで、それもあってスタッフが配置されているのだが、松宮さんは石を器用に積んで並べ、コースが分かる様にしてくれていた。
なかなか見事にならんでいたので、思わず「おおっ」と声を出してしまった。
普段のダモンデであれば、無線で軽傷者の情報などが流れてきたりするものだが、無線もほとんどなることなく、緩やかに3時間が過ぎた。
スイーパーが来ると、我々は慣れた手つきで現場のコーステープなどを回収し、本部に戻った。
あとで、大会の写真を見て気がついたのだが、毎回、ショッカーの仮装をして走っている選手が今回はいないなと思っていたが、今回はショッカーにならず走っていたようだ。他にも大会の常連さんがたくさん来てくれたことも嬉しかった。
いつもなら表彰とじゃんけん大会まで時間があるのだが、今回はそうしたセレモニーはないので、選手たちがはけていくのは早かった。
選手たちの多くが会場を後にし、本部の片付けがひと段落したところで、スタッフが集まった。
山田さんがみんなにお礼を言う。
そして「こういう緩いのもありだよね、といろんな人が言ってくれました」と。
緩くやれることが、ありなんだって分かったのは、大会のやり方を本当に考えて、ダモンデらしい方法でやれる形にした山田さんがいたからだ。
終わりの挨拶をしていた山田さんはいつになく眩しかった。
春のダモンデで再びここに選手とスタッフが集うことができますように。