定着から放浪へ 放浪から定着へ

自転車の旅、そのほかの旅について書いています。

2006年7月24日 Alaska,Anchorage

2006年夏。
アラスカ、アンカレッジの空港に到着した。

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祖母の訃報を受け、予定を残り2ヶ月繰り上げて
旅先のニュージーランドから帰国したのがその年の4月だった。

帰国後、再びニュージーランドへ行くか、それともしばらく日本で過ごし、
アラスカに行くかしばらく考えていたが、アラスカを自転車で旅をするなら短い夏の期間しかない
という結論に至り、アラスカ行きを決めた。


韓国経由でアラスカ入りした私は入国審査を済ませ、さして広くない空港の建物の外へ
自転車の入った大きな段ボールを運び出すと自転車を組み立て始めた。

自転車を組み立てていると一人の男性が話しかけてきた。


「自転車でどこまで行くんだ?」
「プルドーベイ。デッドホースまでだ。」私は答えた。
「デッドホース!ワオ、far northだな。気をつけてな!」男性は少し驚いた様子でそう言い、去っていった。


アンカレッジはアラスカの南部、アラスカ湾に面している。
デッドホースはアラスカ北岸、北極海の街である。
分かりやすく言えば、アラスカの地図の真ん中に縦に線を引くと
南端がアンカレッジ、北端がデッドホースだ。

今回、旅の目的地をデッドホースに決めていた。
文字通り世界の果てに行く、ということにあこがれていたのだと思う。
きかれたからそう答えたが、正直このとき行ける気は全くしなかった。
ただ、誰かに宣言しなくては行けない気がしたのも事実だ。


自転車を組み立て終わると空港から近い宿に向かった。
宿は相部屋の安宿で一泊20ドル程度。
共用のキッチンとバス・トイレがあり、庭では部屋より安い料金で
持ち込みテントで泊まることが出来るらしかった。
海外ではこういう宿泊施設は多いようだ。

チェックインを済ませ、アンカレッジ中心部へ買い物に出かける。
まずは数日分の食料の確保をし、アウトドアショップでアラスカの旅の必需品、
ベアスプレーを購入する。これから始まるキャンプ生活に備えてだ。

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アラスカでキャンプというのは常にクマに襲われるリスクが伴う。
北米最高峰のマッキンリーのあるデナリ国立公園のようなところだけでなく、
小さな街の郊外のキャンプ場でも例外ではない。
そしてクマに襲われるというリスクはそのまま生命のリスクになる。

管理人のいるキャンプではテントにクマが来ないように食料を預けるのが当たり前だし、
原野で寝る場合は食料、医薬品の類はテントより風上に離して置くようにしなくてはならない。
そして万が一の場合に使うのがベアスプレーだ。

これは強烈な唐辛子スプレーで一応クマが撃退できるということになっており、
アラスカを旅する人は必ずと言っていいほど持っている。
私は一ヶ月の旅の間、幸いにも使わなくて済んだ。


宿には二泊し、出発の準備をした。
その間、日本人の宿泊客からデナリの情報を聞いたり、キャンプしている人から周辺のキャンプ場の状況など話を聞いた。

アンカレッジを離れる前夜、緊張で全然眠れなかった。
未だかつて経験したことのない広大な自然に足を踏み出すことに恐れを抱いていたのだと思う。
日本から持ち込んだウィスキーを飲む。

二段ベッドの上にいたが、下で寝ていた男が声をかけてきて
「なあ、歯磨き粉持ってない?」と言った。
マイペースなやつだなと思いながら歯磨き粉を貸してやった。

彼のおかげで少し緊張はほぐれたが、 結局朝まで眠れなかった。


朝が来た。
全く眠れなかったが、身支度をし、衣食住のすべてを自転車に積みアンカレッジを後にした。
まずはアラスカ中部の都市、フェアバンクスまで行こう。
デッドホースに行くかどうかはそこまで行って考えればいい。

こうして私のアラスカの旅が始まった。

 
 

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アンカレッジの観光案内の隣にある看板。極北のプルドーベイまでの847マイルはとてつもなく遠く思えた。

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