定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

Hokitika Harihari -cycling NewZealand -

コーヒー豆を買い忘れたことに気がついたのはグレイマウスを出るときだった。

 

次の街であるHokitikaまで行けば買えるだろうとわざわざ戻るのをやめた。北島であった無駄にはしゃいでる日本人の男にホキティカは西海岸では比較的物価が安い、と言っていたのを思い出した。

 

久しぶりの自転車である。ようやくいつもの旅に戻った感じだ。

 

ホキティカまでは30〜40キロ。

天気がとてもよい上に、風は珍しくゆるい追い風。ガンガンペダルを踏む。こういうのはとても嬉しい。いい道だった。ホキティカは早い時間に着いてそのまま通り過ぎてしまった。

 

久々の自転車なのでこの日は軽めにしようと思っていたが、宿泊を予定していたRossという街に昼に着いてしまう。

ロスは昔、鉱山があったらしく、そういう古い街の雰囲気が漂っていた。

 

昼御飯に前日の夜作っておいたバーガーサンドを食べる。我ながら美味しかった。スライストマトを挟んだこと、キャンプ場の冷蔵庫にあった誰かのバーベキューソースを拝借したのがよかったのであろう。コーヒーを淹れるが豆があと一回分しかない。しまったな。

 

この日の目的地をHarihariというなんだか痛そうな名前の街に決め、ロスを出発。

 

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ある湖のほとりで休憩。

西海岸には、湖とピクニックエリア(キャンプは禁止のベンチやテーブルがあるところ)、小さなキャンプ場が点在していた。キャンプ場はトイレ、水ありで5,6ドルと言ったところ。安くていいな。こういうところがニュージーランドらしい。

 

ハリハリに到着。

 

キャンプ場はシャワーとトイレ有り、キッチンなしの8ドル。シャワーがあるのが素晴らしい。

ここのキャンプ場はとにかくだだっ広く、運動場のようなサイトだった。ただ、珍しいことにキャンプ場のすぐとなりにバーがあった。キャンプ場はどこの街でもたいてい街の外れにあり、一日走ったあとで、買い物や食事などのために街に行くのは面倒なことが多かった。

 

キャンプ場には私の他にバンが2台ともう一人、サイクリストがいた。

 

オランダ人のサイクリスト、トーンだ。

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テントを立てながら、少し話す。

私のマウンテンバイクに使っているシフトレバーとブレーキレバーが一体になったデュアルコントロールレバーを珍しいそうに見ていた。当時、ロードバイクのようにブレーキレバー一つでシフト操作もできる画期的なアイテムとして登場し、私は導入していたが、マウンテンバイカーの間では、ブレーキング時にシフトが変速してしまうと不評で、しばらくして消えてしまったパーツである。

私は思い入れがあるパーツなので未だに手元にある。

レバーを操作して見せてトーンは「ロードみたいだな。」と納得していた。彼は国ではロードも乗るらしい。「ロードにカンパつけたいんだけど、高いんだよな。」とかしばらく自転車の話で盛り上がった。

 

それぞれ夕食を済ませた後、「バーに行かないか?」とトーンを飲みに誘うと「いいよ。」と快諾してくれた。そのまま我々はキャンプサイトから見えるバーに歩いて行った。

バーは明るい雰囲気のところで、我々はカウンター席に座った。私は迷わずビールを注文したが、トーンは飲まないらしく、カプチーノを注文していた。

トーンは 34歳。オランダでトラックの運転手をしていて、週に1000ドル稼いでいたが、2度しか家に帰れないのが悩みで仕事を辞めてニュージーランドに来たらしい。

ニュージーランドに来るのは何度目かで、前は車で旅行していたらしい。今回は自転車の旅を選んだそうだ。さすが自転車の盛んなオランダ。そういう選択肢があるところがオランダ人らしいなと思った。

 

トーンはこの先、北に向かうという。私とは反対方向だ。お互いにこれまで走ってきたところの情報を交換する。サイクリストの情報が一番あてになる。

 

メールアドレスを交換しようということになり、私は名刺代わりに何枚か作っていた名前、住所、メールアドレスの書いた紙をトーンに渡した。よくメールアドレスを交換するようになったので、前に作っておいたのだ。

 

紙には名前などの他に自転車の絵と「Cycling philosopher」と書いてあり、それを見たトーンに「フィロソファーって何を考えてるんだ?」と聞かれる。

 

「いろいろだよ。」

 

上手く英語で説明出来ないのも、実際にあったが、自転車に乗っている間中、空想と考えの連鎖で何を考えているのか、それ自体日本語でも上手く伝えられる気がしなかった。

 

 

彼とは本当に一期一会であったが、その後しばらくメールのやり取りをしていた。彼はその後、西海岸を北上し、北海岸のタカカ、フェアウェルスピットに行ったらしい。話していた通り、ちょうど私と逆を行ったようだ。

トーンはその後、どんな人生を歩んでいるのだろう。いい仕事は見つかったのだろうか。

よくアジアを長期で旅行しているバックパッカーがそのまま旅先で沈んでしまう、というのを本で読むが、私が旅先で会ったサイクリストたちはそんな感じではない。サイクリストにはいつも目的地があるし、その目的地が一日の目的地であれ、長旅の目的地であれ、そこに至れば区切りがくる。区切りがあれば、次を考える。旅するサイクリストたちは次をいつもどこかで考えていたのではないか。

長い旅に出て、日常に戻る。戻るというより、日常を再構築しているはずだ。トーンもそうだが、旅先で出会ったサイクリストたちはどんな生き方を選択しているのだろう。

私自身はその後、人並みにいろいろあって今の仕事をしているが、40歳が迫って来て、今の仕事、生き方が本当にいいのか疑問を抱くようになって、そんな年も国籍もバラバラなサイクリストたちの人生がその後、どうなっているか非常に気になるようになった。

旅で何かを見つけてしまった人々はそれを抱えて生きることになる。日常の中でそれが違和感なく、自分の一部となっているならば、何も問題ないと思う。それが仕事や家族と言った自分の一番近い環境の変化によって違和感が生じたとき、それをどう解決しているのだろう。最近よくそんなことを考える。