定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

スワード 余韻の旅 2006年8月18日

雨の一日だった。

幸いキャンプ場を出るまではあまり降られることなく助かった。
雨の中、濡れたテントを撤収する作業は本当に大変である。
濡れたテントは畳みにくいうえ、その作業だけでずぶ濡れになるのは必至だ。
 また、それで一日が始まるとなるとその日のモチベーションが下がってしまう。

キャンプ場を後にするとその後は降られっぱなしだった。
さらに風は向かい風。
道は思ったより上ることなく、下り基調で助かった。

途中、ハイウェイの横にあったトイレの軒先で休憩。
レインウェアのポケットに入れてあったキャラメル味の小さなナッツバーを数個口に放り込んだ。


余談だが、ニュージーランドのスーパーでは
箱に5,6本入ったミューズリーバーがよく売られていて、補給食として非常に重宝したが、
アラスカではそうしたものはあまり見かけなくて、
小さめの個包装されたスニッカーズのようなものしか見つかられなかった。

このときもそうしたカロリーの高いお菓子をポケットに入れていた。
甘い甘い味が口に広がる。
甘すぎる味が走るエネルギーとなって体に満ちていくようで走る気力がわいてくる。

 

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ポーテジグレーシャーのポストカード。どうしてアラスカのポストカードはロゴがダサいのか。

 

 



今日スワードに着けば、夕方の列車でアンカレッジに戻る。


自転車でアラスカを走るのは今日が最後なのだ。

とはいえ、弱いとは言えない雨の中だ。

冷えた体は正直である。
自転車の旅が終わってしまうというという想いよりも
早くスワードの街に辿り着きいという気持ちの方が強かった。



雨の中、走り続けていると靴のクリート(ぺダルを靴とを固定する金具。靴の裏にある)から水が入ってきて靴の中がベチャベチャになってきた。
その上、シューズカバーとレインパンツの間から浸水してきた。
当時出たばかりの自転車用のゴアッテクスシューズの上からシューズカバーをしていても2時間雨の中走り続けていればこんなものである。

手袋も普通のグローブの上から雨用のモンベルのオーバーグローブをしていたが、これもダメだった。ないよりはマシ程度といったところか。

雨の中を走るのは大変である。
それでも走らなくてはならない人はレインギアにはちゃんと投資をしてほしい。






スワード手前、最後の6、7マイルが工事をしていて走りにくかったが、スワードには思いのほか早く到着した。

まずは食事だ。
レストランに入り、時計を見ると11時58分。
雨の中、30マイルを3時間弱ならいい内容だろう。

食事はハリバットバーガーを食べた。

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ハリバットは巨大なヒラメと思ってもらえればいいだろう。

スワードはスポーツフィッシングが盛んらしく、巨大なハリバットと映っている写真をよく見る。

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この手の写真をスワードでよく見る。web上より転載


バーガーの味はまぁフィレオフィシュだ。
結局アラスカではシーフードをほとんど食べなかった。


アンカレッジまで戻る列車の時間までまだ時間がある。
しばらく土産物屋を見て回るがめぼしいものがなかった。

夕食は列車の中になるので食事を用意しなくてはいけない。
食事をしたレストランはハーバー近くだが、周辺にスーパーが見当たらないので街の入り口まで戻る。

スーパーの前で自転車から降りると、おっさんに話しかけられる。
「あんたさっき見たよ。雨の中ハイウェイ走ってただろ?」

毎度おなじみの会話だが、こういう会話も最後かもしれないとおもうと少しさびしい。

スーパーでは安かったトビコの巻き寿司とポテトチップス、ビールとウィスキーを買った。
巻き寿司はまだマシなクオリティだったが、握り寿司は商品とは思えないぐらいぐちゃぐちゃで笑えた。

 

 

 
 
 

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鉄道の駅には2時半ごろ着いた。

寒い。

午前中、雨の中走り続けたせいで服がぬれたままだ。
乾いた服に着替えて、ウィスキーを口に入れるがあまり温まらない。
よほど体温が下がってしまったらしい。

もう一度街を一周しようかと思ったが、
雨の中出歩く気にならず、列車の出発まで待った。

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スワードの駅舎。web上より転載


スワード半島を走った数日間はアラスカの余韻といった感覚だった。
ダルトンハイウェイを北極海まで行き、帰国までの残された時間をどう過ごすか。

厳しい環境の中、強烈な経験となったダルトンハイウェイの旅の後で
気候も比較的温暖なスワードハイウェイの旅は極北とは違ったアラスカの自然を教えてくれた。
天候こそ恵まれなかったかもしれないが、穏やかな旅だった。

今思えば、ダルトンハイウェイよりも気負いなく旅ができて、自然体の旅であったと言えるかもしれない。




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午後6時になって列車が出発した。

しばらくして車窓を見ると14マイルのマイルポストが見えた。
スワードから14マイルである。
そうだ、午前中ハイウェイがぐっと上って線路を越えたが、ここだ。
踏切になっておらず、高架になっているのをうんざりして上ったのを思い出す。

午前中の出来事なのにもっとずっと前のことに思えた。


鉄道の旅はそれほどの感動もなく過ぎて行った。

それでも一度、正面にグレイシャーが大きく見えたときには感動した。
午後9時くらいに撮影した動画を見ると外が薄暗い。

白夜が終わったとはいえこのくらいの時間まで明るかった。



アンカレッジに到着した。

スケジュール通り午後10時過ぎに到着した。
自転車は貨物車両にサイドバッグと別に積まれていたが、
自転車が先に出てきた。

照明が明るく照らすホームに荷物がどんどん積まれていく。
ホームだけ明るい。

結局サイドバッグは一番最後に出てきた。


雨の中、鉄道の駅から予約をしてある宿、スピナードホステルへ向かう。
アンカレッジ滞在は全部スピナードに泊った。

フェアバンクスから戻ったときもそうだが、
駅のある市街地から空港近くのスピナードに行くのに自動車専用道路があり
スピナードに行くのに苦労した。


スピナードに到着。フロントはしまっていたが、
階段に名前の書いたメモがあり、部屋と指定のベッド番号が書いてあった。

少し前に着いたのだろうか、日本人の客が困った様子で立っていた。
あきらかに年上の男性だったが先輩面して話す。
カードも使えるがキャッシュのほうが安いこと、などなど。
男性は自分のメモを見つけると部屋へ消えていった。


部屋に荷物を置き、シャワーを浴びる。
今回はベッドが下で楽だ。
久しぶりのベッドでリラックスする。


明日は溜まった洗濯をしよう。
明日は荷物を整理しよう。
明日は土産を買って物欲を満たそう。
明日は米を炊いて食おう。

明後日の朝、ついに帰国だ。



リス、ブラックベア、白頭鷲  2006年8月17日

朝目覚めると、外は曇り模様。
テントを畳むとキャンプ場のオーナーの家の玄関を叩いた。
昨日の夜、食料の入ったバッグを預けたのだ。

私営のキャンプ場でクマが出る恐れがあるところで

ソフトシェルのテントで泊る場合は当たり前のことだ。

食料の入ったバッグを受け取るとキッチンスペースでコーヒーを入れるため湯を沸かす。

朝食の支度をしているとリスがやってきたので、
かわいいな、とその様子を見ていたらマーガリンの入れ物を齧りはじめた。


「コラ!」と私が手で追い払うとどこかに行ってしまったが、
すぐに戻ってきて今度はトーストを持って行こうとした。全く油断ならない。

 

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いたずら者のリス。リスぐらいならかわいいものだが。。

こういう動物はどこにでもいる。

きっとキャンプ場の客にエサをもらっているのだろう。

安易な考えで野生動物にエサをあげてしまう軽率な人間にうんざりする。
ちなみにこの旅の数年後訪れたオーストラリアのタスマニア島では
国定公園の駐車場でワラビーにカツアゲにあいそうになった。

人慣れした野生動物が一番危ない。

居心地のよかったキャンプ場を後にし、Portage Glacierへ向かう。

天気は相変わらず、曇りだ。
ただ道も舗装路で走りやすく、自転車で走るには悪くなかった。

 

Portage Glacierに続くトンネルの手前で前からやってくる車が
窓を開けて私に何か叫んでいた。

なんだろう?と思っていたが次に来た車の人の声がはっきり聞こえた。

"Be careful!Bear!"

 

 

私は思わずブレーキを掛け止まった。

 

クマ!

 


ブラウンか!ブラックか!

いずれにせよマズイ。

どうしたものか…引き返すか。
道を横切っただけでもういないかもしれない。

いや、むしろこちらに向かってるかも。

一瞬パニックになりながらもとりあえず、
サイドバックのポケットからベアスプレーを取り出し、
レインジャケットのポケットに差した。

少し迷った後、結局そのまま進むことにした。


果たしてクマはいた。

 

ブラックベアだ。

 

なるほど、ブラウンベアとは明らかに違う。背中にコブがない。
何より大きさが違う。遠くてよくわからないがあれは子グマのようだ。

それにしてもあの至近距離で写真を撮っているオッサンは大丈夫なのか?

 

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森から出てきたブラックベアの子供



私がひとりであたふたしている一方で
クマは特に周囲に気にするわけでもなく、悠々としていた。

そのときはさっぱり気が付かなかったが、写真を見るとあのとき周囲に観光客が写真を撮っていたのがわかる。車の観光客はのんきなもんだ。


とはいえ私も写真が撮りたいので、無謀なオッサンのうしろから写真を撮った。
ビビりすぎだとバカにされるかもしれないが、
至近距離で写真を撮っているオッサンがどうかしてるのであり、
これまでクマやオオカミの恐怖の中で旅をしてきた私からすれば、この距離が限界だった。

正直、万が一の際は、オッサンが襲われるのが先だと思っていた。

写真を撮り、カメラをハンドルバッグにしまうとペダルをいっきに踏み、
ブラックベアの前方を通り抜ける。

ちょうどブラックベアのいる茂みの前を横切るとき、茂みの奥にもう一頭見えた。
手前のよりずいぶん大きかった。母クマだろう。

私は興奮状態のままトンネルを抜け、Portage Lakeへ。


 



 


Portage Lakeから見える氷河は立派なものだったが、数ヶ月前にニュージーランドのFox GlacierとFranz Joseph Glacierに相次いで登った後だったので、氷河を見た!という感動はあまりなかったが、海に氷河のかけらが浮かんでいるのを見つけて、おぉっと思った。

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湖畔のビジターセンターに行く。
ビジターセンターにはクマの警告とエサを与えるなという注意。
それから周辺の街の気象予報。

まぁお約束の光景だ。


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赤白の線がスワードHwy。赤の線がJohnson Pass Trail


カウンターの女性にJohnson Pass Trailの情報を聞く。
このトレイルはちょうどスワードHwyから分岐し、再びスワードHwyに戻る道で
帰国までの限られた時間で寄り道にならないいいルートだった。

ニュージーランドではいいトレイルを走ることができたのでもし行けるならアラスカのトレイルも行きたいと考えたのだ。


そこでそもそも自転車で行けるか確認したかったのだ。
場所によっては自転車禁止の場合もある。

「自転車でいけるかって?あなたマウンテンバイク?なら大丈夫よ。」と
その女性はあっさり言った。


いいじゃないか。

私はビジターセンターを後にした。


風はback wind。しばらくいいペースで進む。


河原のビューポイントで川をみると中州に大きな猛禽類が見えた。


白頭鷲だ。


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大きい。数百メートル離れているはずだが、
その大きさと無駄のないしっかりとした躯がはっきりとわかる。

アラスカで見ることができるとは全く考えていなかったので
この出会いには単純に感動した。私はこの出会いに感謝した。


しばらくして白頭鷲は翼を広げた。
翼を広げるとさらにその大きさが際立った。

一度大きく羽ばたくとそのまま川の上を低く飛び去って行った。

私は白頭鷲が見えなくなるまで見送った。


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Johnson Pass Trailの入口に来る。
道はいわゆる普通のトレイルだ。登山道の入り口といってもいいかもしれない。

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荷物満載のマウンテンバイクで数百メートル走っていくと思ったより走りにくい。
荷物がなければいけるような気もするが、この状態では難しそうだ。

いつか純粋にマウンテンバイキングをしにこのトレイルを走りたいな、と思った。
アンカレッジから比較的近くてアラスカ鉄道も走っているから短期間でも行けそうだ。


そう思って引き返そうとすると大きな糞が数個転がっていた。

大きい。ムースかクマか。この際どっちでも結論は変わらない。
「ハイウェイに戻るか」 私はハイウェイに戻った。



その後はハイウェイはしばらく登りが続いた。そして追いうちをかけるように雨が降り始め気が滅入ってくる。

辛いからと言ってペダルを踏むのを止めれば先には進めない。
だましだまし走る。


Summt Lakeというところでレストランがあったので休憩。
コーヒーとチーズケーキを注文する。

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数ヶ月前、ニュージーランドを一時ともに旅をしたスイス人が
「シマ、あなたいつもチーズケーキばかり食べているわねぇ」と言っていたのを思い出した。

彼女は今どうしているだろうか。
また手紙を書こう。


レストランで支払いをするとき、チップのことをさっぱり忘れていたが
「釣りはいるか」と店の若い男性に言われ「要らない」と答えた。
こういうどうでもいいことははっきり覚えていたりするものだ。


サミットレイクから今日の目的地Moose Passまでは下り基調。
気合を入れてペダルを踏む。


ムースパスに到着。
キャンプ場での支払いをしようとすると小銭がなくて払えず、
向かいのジェネラルストアで買い物してお金を崩す。
ここは感じの悪い店だった。一日走って疲れたあとにはよくない。

ただ、その前に寄ったリカーストアの年配の女性は感じがよかった。
妹が沖縄生まれらしい。


キャンプ場は森の迷路のような作りで、水場が見つけられなった。
疲れていたので水場はあきらめ、今朝、昼食用に作ったサンドイッチの残りと
インスタントラーメンで夕食を済ませ、ビールとウィスキーの時間へなだれ込んだ。


本格的にアラスカで走るのは明日が最後になる。
天候は相変わらずのようだが後悔しないよう走りたいものだ。

 

キーナイ半島の自然 2006年8月16日

北極海を離れてからずっと天気が悪かった。
雨は降ったり止んだりを繰り返した。


一説には帰国まで断続的に続いたこの雨は日本からの影響という説があるが定かではない。


雨の中、ベトベトのままテントを撤収。朝からいい気持ちはしない。
帰国の時にもこのスピナードホステルに泊まる予定だが、

値段も考えると相部屋の宿泊が無難だ。

 

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残った日程は三日。
アンカレッジからスワードという街までスワードハイウェイを走ることにした。

今回もアンカレッジ中央部から郊外に出るまで一時間以上かかった。
自動車専用道があったりしてハイウェイと自転車の相性が悪い。
横に自転車道を作れば済む話だと思うのだが、そこまで需要はないのだろう。

スワードHwyに乗るまでそのそばを走るOld Seward Hwyを行く。
アラスカの基準でいえば狭い道路だが、交通量もそこそこで行くにはちょうどよかった。



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アンカレッジから続く海。極北の海より穏やかに見えた
 


道はやがてスワードHwyと合流した。
終日曇り空だったが、スワードハイウェイは大都市アンカレッジから観光地に向かう道だけあって舗装はきれいで休憩所も多く、全てが旅人にやさしかった。

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何もなく、荒れたダルトンハイウェイを走った後ではなお更そう感じた。


南部と北部では大きく自然が違う、ということに気が付いた。
どちらも自然が濃いが、北部のそれは、短い夏を必死に生きているのが伝わってきたが、南部のそれはもっと大らかな、豊かな自然がそこにあった。

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ビーバーの姿が見えなかったがビーバーダムがあった。

 

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川には多くのサーモンが見られた




花が咲いている。
雨にぬれる淡いピンクのポピーの一輪がとてもうれしかった。


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道端に咲くポピー

 

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道は途中からバイクトレイルになる。
キャンプ場の横を通るが、閉鎖されていた。

「Go North Hostel」でニュージーランドから来たジョッシュとメレウィンとクマの話をしていたとき、隣にいた男が新聞を投げてよこして「毎年、一人ぐらいキャンプ中にクマに襲われて死ぬんだ。今年はもうキーナイ半島で一人やられたみたいだから今年はもう大丈夫だろう」とあまり納得のいかない説明をしていたのを思い出した。

キャンプ場閉鎖の看板とともに今年の事故についても書かれており、どうやらこのあたりで事件が起きたことが分かった。

 クマは怖かったが、バイクトレイルの周辺はたくさんのラズベリーが実っており、私は夢中になってベリーを集めた。

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袋一杯に集まったラズベリー





ベリー狩りを楽しんだ後はひたすら向かい風と戦っていた。

スピードが時速8枚マイルまで落ちる。

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キャンプ場手前のクリーク。淡い乳白色の水が美しくて何枚も写真を撮った

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キャンプ場入口の橋から。クリークの水は氷河から来るらしい


夕方五時ごろ、当初の予定していたキャンプ場とは違うがちょうどいいところにキャンプ場があったので今日はここに宿泊することにした。

キャンプ場は1泊20ドルと少し高め。
これまでの相場は15ドルぐらいだからちょっと悩む金額だった。
しかし、これまで泊ったアラスカの民間のキャンプ場と比べてもでもここはかなりよかった。
ニュージーランドのキャンプ場はたいていキッチンスペースで水と火、もしくは電気の調理器具が使えることが多かったが、アラスカではランドリーはあってもそうしたことはほとんどなかった。

調理器具はちゃんと持っていたが、ガスカードリッジ(英語ではgas canister)は昨日宿泊したスピナードホステルのフリーラックに置いてあった誰かの使いさしのものを一個持っていただけだったので、ガスの心配をしないのはありがたかった。
 

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キャンプ場のキッチンスぺース

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チェックインをしてクマの情報を確認する。
このあたりはブラックベアしか出ないが、用心はしてほしいとのこと。
また、食糧のバッグは預かるので夕食が終わったら持ってきてほしいと言われる。
朝は早く食糧を取りに来ても大丈夫らしい。

途中で採ったベリーを見せて念のため食べられる種類か聞くと、ラズベリーとサーモンベリーで問題ないと教えてくれた。


天気は曇りだったが、風があったので今朝ドロドロのまましまったテントを乾かしていると風で飛んで行ってしまい、あろうことか水たまりに着水した。


一日走った後の疲れと相まって、かなりぐったりしたが30分ほどかけてテント全体を何となく乾かした。


私がテントで苦戦している間にファイアーピットにオーナーが焚火を起こしてくれた。
写真で見ると小さいがこのファイアーピットはかなり大きく、オーナー入れてくれる薪がまた大きかった。実にアラスカ的だ。

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当日の日記を引用する。
「今、焚火の前で日記を書いているが、実はかなり寒い。吐く息が白い。でもいい時間だ。このままずっといたい。」


実際、フリースを来て、ウィスキー片手に焚火の前に座っていた。そうしていないと寒いのだ。

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寒い。でもこの心地よさはなんだろう。
焚火の前にいる。ゆれる炎と時折はじける薪を眺めていると時間を忘れる。
他のキャンパーがたまに通るが、私が自分の時間を過ごしているのを理解してくれるのだろう、「ハイ」と軽く声をかけてくるだけだった。

 



日本にはなかなかない、静かなキャンプ場。
焚火が気軽にできるキャンプ場は皆無に等しい。
こうやってパブリックスペースにすればいいのに。

もっとも、アラスカのキャンプ場には日本のキャンプ場にない「BEAR WARNING」の看板があるのだが。。


Alaska Railroad 2006年8月15日

旅のスタート、アンカレッジまで戻ることになった。
帰国までの数日間、キーナイ半島で過ごすためだ。

フェアバンクスからアンカレッジまではアラスカ鉄道で移動することに決めた。

バスと飛行機という手段もあったが、
ニュージーランドから帰国する際、
南島の西海岸の果てHaastというところからQueenstownに移動する際に
激しい車酔いに襲われた記憶が新しく、丸一日のバス移動は乗り気になれなかった。
また、飛行機はコストが高いのと自転車の梱包が面倒なのですぐに選択肢から消した。


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アラスカ鉄道のBordingPass

いや、それより何よりアラスカ鉄道に乗ってみたかった。


私は鉄道マニアではないが、鉄道の旅は昔から好きで
国内でも学生時代には夏と冬の18切符を使い切るぐらい輪行していた。

とはいえ、アラスカ鉄道に乗るというのは
アラスカに行ったらやりたいことリストではあまり上位ではなかったが
これは経験することができてよかったと思う。


フェアバンクス発アンカレッジ行きは
フェアバンクスを8:15に出発し、終点アンカレッジ到着は20:00。

丸一日の旅だ。


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Fairbanks駅

 

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駅のエントランスで

 

 
 フェアバンクスの駅でチェックインをする。
自転車は別料金がかかった。ただ、そのまま載せてくれるので面倒がなくていい。
 
 
 

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列車が走りだした。
日本の列車に比べると走る速度がのんびりだ。

470マイル、750キロを12時間かけていくのだからのんびりだろう。

距離からすれば東京~岡山ぐらいで、
実際新幹線を使わないで行くと同じぐらい時間がかかるようだが
駅の数がそもそも違いすぎる。
アラスカ鉄道は10駅程度しかない。

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正直、はじめは遅いと思ってしまったが、日本の鉄道の速さが異常なのだろう。
アラスカ鉄道が観光鉄道ということもあるから当然ゆっくりというのもあるかもしれない。
日本の社会は急ぎすぎだ。

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屋根がガラス張りの展望車両

 

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アラスカ鉄道はフェアバンクスからデナリを通り、アンカレッジに至る。
つまり、私がアラスカの旅の前半で走ったパークスハイウェイをほぼ並走するルートだ。
しかし、ときおり現れる建物群がどこの街かわからなかったりすることがある。
鉄道とハイウェイの旅では見え方が違うものだなと思った。


 
 
 
 
 
 
 
 

 

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鉄道の旅にアルコールはかかせない


しばらくしてビールの栓をあけた。
これまでの旅について振り返った。

ダルトンハイウェイを走破して、何だがいまいち実感がない。
変な感じだが、実際そうなのだ。

 

旅の困難をいくつも思い出す。
本当にガムシャラだった。

ただ、北極海へデッドホースに辿り着くことだけを考えて前へ前へ進んだ。
それだけだった。
日本に戻った後、こんなに単純にガムシャラになれるだろうか。

答えは出るわけもなく、車窓を流れていくアラスカの景色を見ながらバドワイザーを飲んだ。

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車掌の若い女の子と乗客の老夫婦の会話が耳に入った。
多くのアラスカ鉄道の社員はアンカレッジかフェアバンクスに住んでいるらしい。

また車掌にはアラスカ鉄道の懐中時計が支給されるらしく、
車掌の女性は懐中時計を掲げて見せてくれた。
なんだかうらやましい仕事だな。

ふと冬のアラスカ鉄道にも乗ってみたいと思った。



列車がアンカレッジに着いた。
白夜が終わったとはいえ、アンカレッジは午後8時でもまだ日暮れといった感じだ。

初日と同じスピナードホステルを予約してあったので自転車で向かう。


途中、自動車専用道路を避け自転車道を行くが途中で道がなくなる。
階段をなんとか自転車を押して降りていくと 公園に出てた。


そこでムースの親子に出会った。

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 さすがだな。
大都市の真ん中でムースが普通に木の葉っぱを食べている。

この時間の迷子には参ったが、おかげでいいものを見ることができた。
これで出会っていない大型動物はブラックベアとジャコウウシぐらいだが、
ブラックベアには会わなくていいな。


少し迷子になったもののスピナードに到着。

スピナードでは今回、部屋ではなく、
庭のキャンプサイトに泊ることにしたが
地面が泥でテントが汚れてしまった。これで19ドルは高い。
帰国前は前のように相部屋を取るべきだな。


少し天候がよくないが明日からのキーナイ半島の旅を楽しむことにしよう。



再会と出会い 2006年8月13日~14日

Fairbanksに滞在した二日間、記録がほとんど残っていない。
あいまいな記憶を探りながら書くことにする。

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朝早く、渡辺さんはネーチャーイメージの牧栄さんに連れられて旅立って行った。
良い旅を。
渡辺さんはこのあと壮絶な旅をすることになる。
詳しくは渡辺さんのブログで

旅の途上〜カヌー野郎のツレヅレ〜 アラスカ珍道中




アリーとレオは朝早く帰国の途に就いた。
老練のサイクリストたちは笑顔で去って行った。
私もあんなふうに自分より若い異国のサイクリストに笑顔で話しかけ、
さりげなく励ますことができるだろうか。


私はダルトンハイウェイから戻った後のことをほとんど考えていなかった。
帰国のフライトは8月20日

まだ1週間ある。
「Go North」のキッチンに少々高いがカヌーツアーの案内があったので
電話してみるがつながらない。一応留守電を残す。


どうしようか。


帰国はアンカレッジからなのでどのみちアンカレッジには戻らなくてはならない。
一週間で東のリチャードソンハイウェイ回りで自走でもどるか、バスを使うか、
はたまたアラスカ鉄道で一日かけて戻るか。
何も決まらぬまま時間だけが過ぎた。

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ワイズマンの宿で作った食事。鮭をフレークにしてご飯に載せた

 

 
 



その日、また「Go North」に日本人がやってきた。
キッチンで出会ったその人は写真家の松本茂高さんだ。
〔松本さんの写真ブログhttp://shige0504.blogspot.jp/ ホームページhttp://blog.spiritbear.jp/

聞けば、mont-bellのカタログや『カヌーライフ』に写真が載っているらしい。
すごいな。


松本さんはザックから小袋に分けられた食糧をとりだしながらそんな話をしてくれた。

些細なことだが、きちんと小分けされたふりかけや調味料を見て
松本さんが本当に旅慣れた人だとすぐわかった。

衣食住を背負って旅をするには、荷物のパッキング術というのも非常に重要である。
どこに何が入っているのか、重さのバランスがいいか、きちんと分けてあるか、など。

そうした基本をちゃんとやっていくことが
疲れた時に食事を作る時などにも体への負担を少なくし、トラブルを軽減させることになる。

食糧を小分けにしたりするのは面倒だが、重要なことでもあるのだ。


アラスカやカナダを何度も訪れているという松本さんはいろんなことを教えてくれた。

アラスカの北部は火災が森を育て、南部は風、倒風木が森を作ること、
カリブーや狼の季節移動にも南北の風土の違いが見て取れること

南北の異なる世界がアラスカという一つの統一的な自然を形成しているということ。


松本さんに私があと一週間時間があると相談するとアンカレッジの南、キーナイ半島を薦めてくれた。
移動時間などを考えてもちょうどいいかもしれない。
キーナイ半島に行く方向で動き出した。

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アンカレッジの道端で。夏のアラスカの街は驚くほど花が多い。



午後から買い物へ。
ビーバースポーツという大型のアウトドア用品の店に行く。

うわさには聞いてたがほんとうに大きな店だった。


ビクトリノックスのVoygerというモデルが37ドルになっていたので購入。
それからダルトンハイウェイで失くしたサングラスの代わりに
新しいオークリーとケースも購入。このケースはいまだに現役である。

ビーバースポーツをうろうろしていると見覚えのある男とすれ違った。
Coldfootでガスカードリッジをくれた男だ。


お互い、顔を見合わせ、次の瞬間大きな声を出した。


「ワオ。元気だったか。ガスは役に立ったか。無事に北極海まで行ったのか?」
 彼は矢継ぎ早に話し出した。

これから彼は東回りでアンカレッジまで自転車で行くという。

私は無事にデッドホースまで行ったこと、
ガスはおかげで十分足りたことを伝え、何度もお礼を言った。

となりにいた新しい相棒を紹介してくれた。
こちらで知り合った男らしい。
こういうのも楽しそうだ。

アラスカは人がいる場所は限られているとはいえ、
こんなことがあるなんて感激だ。

結局、彼の名前は知らない。だが、彼のことは一生忘れないだろう。

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左がフェアバンクスで再会を果たした男。彼はいま何をしているだろうか。




ダルトンハイウェイへ向かうとき、人生のアドヴァイスをくれた日本人女性に会いに
インフォメーションに行くが、今日は不在。休みらしい。
今日は日曜日だ。

日本に北極海から無事に帰った報告をメールでしようと図書館に向かうが、
当然のように休み。

だが、さすがに日本のカレールーまで扱う超大型スーパー「フレッドマイヤー」は
ちゃんと営業していた。

晩御飯にクラムチャウダーを作ることにし、ベーコンなどを買う。

「Go North」に戻り、夕食にクラムにチャウダーを作る。
見た目はマズマズの出来だったが、ベーコンの脂がよくなかったのかしつこくなってしまった。


さしてうまくないスープをも飲みながら、
そろそろ帰国を考えて残りの食糧などを計算しなくてはならないなと思った。
帰国まで一週間だ。


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夜、松本さんとKさんと焚き火を囲む。
一時、日本のうまいものトークになってしまったが、
松本さんの過去の旅のことやフォトグラファーとしての暮らしなど
いろいろな話が聞けた。

アラスカを人生の基軸に据えて生きる人の話を聞くことができて心が震えた。

本の中の出来事でしかなかったことを実際にやっている人がいる。

私は人生を自分の力で切り開いている人に会って心から尊敬の念を覚えた。


帰国後、松本さんにメールを送ると次にような返信をくれた。

ブルックス山脈を10日間縦走しました。
トレイルも何も無い山域を藪漕ぎしながら進んでいくとてもハードな旅でしたが、

身も心も洗われる素晴らしい旅となりました。」

 

ブルックスに独りで入っていく。


私はその苦労を想像する一方でとてもうらやましく思った。

 

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フェアバンクス郊外のパイプライン

翌日、 再びインフォメーションセンターに行き、
恩人の日本人女性と会うことができた。

彼女は前に来た時ほど多くを語らなかった。


彼女は北極海まで行ったことへの賛辞を口にして少し話したが
しばらくして彼女はほかのお客に呼ばれて行ってしまった。
彼女にには私がもうなんとかやっていけることがわかったのかもしれない。

インフォメーションで私は明日のアラスカ鉄道を予約した。

松本さんと話してアラスカでの数日間を南部のキーナイ半島を旅することにしたからだ。
明日、鉄道でアンカレッジに戻り、そこからキーナイ半島をスワードまで行き、
再びアラスカ鉄道でアンカレッジに戻り、帰国の途に就くことに決めた。

その後図書館へ行き、日本へ生存報告と帰国時の迎えのお願いをした。


幸い大学時代の後輩が快諾してくれ
セントレア空港まで迎えに来てくれることになった。

自転車があるとおいそれと帰れず何かと不便なのだ。

 

それから『Milepost』のコピーをとらせてもらう。
図書館の人に、『Milepost』と何度か行ったが、
私の発音が悪くて『Milepost』が伝わらず、
紙に書くと「あぁ」と図書館の人はすぐに持ってきてくれた。

ホント英語力なんとかしなきゃな。

 

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ダルトンハイウェイのヤナギラン群生地

「Go North」に戻るとオフィスの人が

「おお、日本人のサイクリストは君か。カヌーツアーのことで電話があったから
電話かけてやってくれ」と教えてくれた。


カヌーツアーのところへ電話し、「今回は予定が合わなくなってしまったから、
次にアラスカに来るときにはまた連絡するよ」と伝えた。


残念ながらまだ「次」が来ていない。


「次」はぜひ家族で「Go North」に宿泊し、カヌーツアーに行きたいものだ。

北極圏からの離脱 ‐ 再びGo Northへ 2006年8月12日

 寝不足のまま、朝を迎えた。

 

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朝食が7時までということで早起きは辛かったが、レストランで朝食を済ませる。

食事はビュッフェスタイルだった。あまり食欲はなかったが一応食べた。

このホテルは石油採掘関係の労働者が多く使うらしく、
通路など至るところに作業服などがかけてあった。
 

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そうした労働者たちのランチのテイクアウト用だろうか、
レストランにはサンドイッチなどの包みがいくつも置いてあった。
 朝食を摂ると、包んであったサンドイッチ、マフィン、ポテトチップスの袋を2個ずつ貰っておいた。 ほんの思いつきだったが、のちにとても役に立った。

 

部屋に戻る。

 

泊った部屋はせまいシングルルームだった。
仕事で北極海まできて、一日働いた後、
この小さな部屋で故郷へ帰る日を指折り数えるのはどんな気分なんだろう。

 

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昨日空港で助けてくれたテリーの少し寂しそうな顔を思い出した。

 

部屋の小さなテレビをつけるとCNNがずっとイギリスのテロのニュースを繰り返し流していた。
私はそのテロが未遂ということに気がつくまで随分かかり、
どうして犯人逮捕の映像ばかりで被害者や現場の映像が出ないのだろと
不思議に思いながら画面を眺めていた。

テロの影響で飛行機の手荷物に水の入ったボトルが持ち込めなくなったのを
昨日の朝、アリーが教えてくれた。
そして、リップクリームなどもどうやらだめらしいと付け加えた。

その後、アラスカエアの窓口で確認したら念のために判断に迷うようなものは
持ち込まないでと窓口の女性が言っていたが、彼女自身も困っている様子だった。


簡単に荷造りを済ませて、ホテルのフロントに行く。
空港まで送ってもらうことになっていた。


空港に着くと多くの人でにぎわっていた。
昨日私の窮地を救ってくれたテリーもカウンターの列に並んでいた。

私を見つけると微笑を浮かべて小さく手を振ってくれた。
私は帰国後、彼にお礼の手紙を書いた。

空港の建物の端でアリーとレオがゆっくり荷造りをしていた。
とっくにチェックインの時間を過ぎているはずだが、
のんびり作業をする彼らを見て、旅慣れた男たちはさすがだなと妙に感心した。

 

今日は無事にチェックインのコールがかかり
アリーたちと話しながら飛行機に向かう。

 

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アラスカエアの機体に描かれたイヌイットを見てアリーが
「おい、シマ。あれはチェ・ゲバラか?」と言ったので笑ってしまった。
実は私もそう思っていたのだ。

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飛行機の中で久しぶりの冷えたビールを飲む。
ビールは別料金で5ドルだったが、100ドル札しか持っていなくてスチュワードの男性に迷惑をかけてしまった。

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アラスカエアはビール別料金5ドル

デッドホースからフェアバンクスまで1時間ほどのフライトだった。
さんざん苦労して自転車でやってきたが、飛行機に乗ってしまえばあっけないものだ。


フェアバンクス到着。
しかし、荷物の一部、というか自転車が別便で来るらしく届かなかった。
アラスカエアの女性に確認すると、宿に送るから泊るところを教えてほしいという。
私は「Go North」の名を告げた。女性はすぐわかったようだった。

アリーとレオはロサンゼルス経由でオランダに帰るらしい。
ロスまでのフライトに少し日があるようだ。
彼らはまだフェアバンクスでどこに泊るのか決めていないらしいので、「Go North」をすすめ電話番号をおしえてやると早速予約していた。


空港を出ると外は雨。
雨はさほど問題ではないが、自転車がなくてはGo Northまで行けない。
仕方ないのでタクシーを拾った。


タクシードライバーは別のホテルと間違えていたが、なんとか「Go North」に着いた。
前回泊った時からわずか10日余りだが、「Go North」に戻ってきてなんだか嬉しく、そしてほっとした。

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今回はテントサイトにテントを張った。
雨が降りやまず、食事はどうしようかとキッチンでボーっとしていた。
昼食に朝もらってきたサンドイッチなどを食べた。

キッチンの外の軒下で雨を見ていると
ベンチに座った男性に話しかけられた。

「日本人だよね?」

その人は名をケンジさんといい、ユーコン川をホワイトホースからサークルまで
カヌーで下ってきたらしい。すごいな。
聞けば日本人のパドラーは多いらしい。

「なぁ、ビール飲む?バドならあるよ」
私は遠慮せずもらった。

今思えば、ああして「Go North」で昼間からビールを飲みながら
雨を眺め、旅する人と話をするなんてなんて自由な時間だったんだろうか。


ふいにケンジさんが言った。
「ねぇ、カレー食いたくない?うさん臭いのじゃなくていわいる普通の日本のカレー。作らない?」

「いいですね。料理には少し自信があります。きっとあの巨大なフレッドマイヤーならカレー粉も手に入るんじゃないですか。」私は即答した。いいアイディアだと思った。


雨が弱くなるのを待って、二人でフレッドマイヤーへ行く。

カレー粉はアジア系食品のコーナーにエスビーのカレー粉があった。
「あった!!」二人で大きな声を出してしまった。

そのほか野菜と肉売り場でキチンを買い、フレッドマイヤーを後にした。


ケンジさんは米炊きには自信があると言い、私はカレーを作った。
明らかに二人分より多かったが、まあいいだろうということになった。

雨がやんだのでファイヤーピットで焚き火を囲んでカレーを食べる。
うまい。当り前か。

そのままさしてうまくないバドワイザーを飲んでいると
もう一人日本人がやってきた。
 

まだ夕食を食べていないという。

「キッチンにカレーとご飯あるからレンジで温めて食べなよ」
ケンジさんが言うと、感激してキッチンに消えていった。

その日本人を加えてさらにバドを飲んだ。

その日本人男性は岡崎出身で渡辺さんと言った。
聞けば、私がスタッフで参加した野田知佑を招いたイベントに参加していたらしい。
それは参加者わずか30名程度のイベントだったのだが
まさかその参加者とこのアラスカで出会うとは。

渡辺さんの住まいを場所を聞くと、だいたいすぐにわかった。
「あぁ、五味八珍とかあるへんですね。」と私が言うと
「ギャー、アラスカくんだりまで来て『五味八珍』とか言われちゃったよー」と渡辺さんが叫んでいた。
悪いことをした。。

渡辺さんは今日寝坊してしまい途方に暮れていたが、
私がダルトンハイウェイで会った「ネーチャーイメージ」の牧栄さんがなんとかしてくれるらしい。

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渡辺さんのブログから転載。右が渡辺さん。


※渡辺さんもまた自身のブログに当時の様子を書いている。こちらもぜひ見てほしい。
http://yukon780.blog.fc2.com/category13-2.html

:::::::::::::::::::::

三人でファイヤピットで焚火を囲み、さしてうまくないバドワイザーを飲み続けた。

誰かが探るように聞いた。「ねぇ、遺書って書いた?」

「書きました。」私は答えた。


そう、
死ぬ気はさらさらなかったが、
もしかしたら死ぬかもしれない、本気でそう思ったのだ。

私は家族と友人と当時好きだった女性に遺書を書いた。

「もし、私が自分の求める極北の地から戻らぬことがあるならば伝えて欲しい、、、」

そんな書き出しで始まる遺書だった。内容はさしてない。
あのとき、もう失うものは何も無かった。
ただ、伝えきれぬ想いを伝えることが出来るなら、そう考えたのだ。

遺書は必要なくなった。

死の恐怖に直面したが、私は生きて極北から戻ることができた。

「なんとなく、こう、もしかしたら、ってあるじゃん。
だから会社の後輩には全部引き継ぎしてきたし、彼女にも遺書書いたよ」
誰かがそう言うのが聞こえた。

アラスカの荒野に向かう人はこうした覚悟を誰しももっているのだ。

「知らない人からしたらバカばよね。でも、ねぇ?」
その言葉に私達は深く頷いた。

友人達に「なに、生きて帰るさ」と軽く言ったものの、
実際は自分が死ぬことも視野にあった。だからこそ、遺書を書いた。


「バド終っちゃたな。おれジャックダニエルあるんだ。もってくるよ。」
ひとりがそういって席を立った。

私は薪をくべ、炎を見つめた。


今なら笑い話だ。
でも当時、アラスカにいたときは本気だった。
ただ少なくとも当時の私たちにはそのぐらいの覚悟があったんだと思う。


北極の街 2006年8月11日

オランダ人サイクリスト、アリーとレオの部屋で一泊させてもらい、
パブリックスペースで日記を書いて時間を過ごしていた。

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オランダ人サイクリスト、レオ。デッドホースを散策していた。

午後からプルドーベイツアーに行くのだ。

ダルトンハイウェイの終点であるデッドホースという町は実は北極海の真横にあるわけではない。プルドーベイという湾まで少し離れている。

このデッドホースは北米最大級の石油採掘基地であり、
その石油がが埋蔵されているプルドーベイ一帯はPBなどの大手石油会社の所有物になっている。一般の人間はこのプルドーベイには立ち入ることは出来ない。


そのために、石油会社の主催でプルドーベイツアーというバスツアーが用意されている。


午後からカリブーインでツアーの担当者から出発前の説明会があった。

プルドーベイでの石油開発の歴史から、現在の採掘、自然への配慮など、長々とDVDを見せられる。

 

 




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説明会で配布されたパンフレット


なるほど、英語の講義を受けるとこんな感じか。英語がほとんどできない私にはまるで理解できない。



最後に説明者から

北極海で泳ぎたいひとは手を上げて!」と声が飛んだ。

オランダ人の二人はすぐに手を上げた。
彼らの後ろに座っていた私は躊躇していたが、

「おい、シマ、泳がないのか?ここまでわざわざきたんだぞ!」と
アリーが気は確かかと言わんばかりにまくし立ててきて

「あぁぁ」と曖昧な返事を返すか返さないうちに

「もう一人、追加だ!タオル用意してくれ!」とレオが言った。


もう、勝手にしてくれ。私は苦笑した。



デッドホースの町外れのゲートから北極海まで思ったより距離があった。

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途中、多くの石油関連施設や重機が点在していた。

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そうした建物の明かりが白霧の中にぽうっと浮かんでいた。

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バスの向かう先から、霧が流れてきているようだった。


そうか、この霧は北極海の霧なんだ。


バスが海に着いた。

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ドライバーは「泳ぐ人はタオルを」とバスを降りると白いタオルを渡してくれた。

 

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私とアリー、レオはタオルを持って波打ち際に向かった。


北極海は霧で白く、冷たい灰色をしていた。
浜は砂ではなく、小指大の砂利だった。


私達は早速水着姿になった。


気温四度。もう迷うことはない。


「よっしゃー、行くぞ!!」


私は飛び込んだ。
冷たい、痛い、あぁぁぁぁぁ、なにしてるんだおれは!!


同じく飛び込んだアリーとレオだが、レオは勢いよく飛び込んだのか、
水着が脱げてしまった。

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凍えながら、私とアリーは声をあげて笑った。

レオは「アメリカサイズは大きすぎるんだ」と困ったように言っていた。

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凍えた体で服を着るのは苦労した。
早く服を着たい焦りとかじかんだ手。
こんな時に限って靴下に五本指ソックスを履いてきてしまい、
履こうにもなかなか履けなかった。


帰り際、レオがポケットに石を入れていた。

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北極海の木片と石


私も北極海の石と流木の破片をポケットに詰め込んだ。


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プルドーベイツアーから戻るとその足で空港に向かった。
その日の夕方の便でフェアバンクスに戻る手筈になっていた。
アリーとレオに手短に別れの挨拶をした。


空港でギリギリの時間にチェックイン。
自転車その他は事前に梱包を済ませ、アラスカエアに預けてあった。
この前日、イギリスの飛行機テロ未遂があり、いつもよりチェックが厳しいようだった。



空港ロビーでしばし待つ。
時間が経つにつれ、人が増え、この町にこんなに人が居たのかと今更ながらに思われた。

定刻になっても、案内がかからない。

何事かアナウンスしたが、英語がよく聞こえなかった。
まさかキャンセルか?

そばにいた昔ERに出ていたアンソニー・エドワーズ似の男性に訊いた。
「すまん、私は英語がよくわからないんだ。フェアバンクス行きはキャンセルか?」

彼はゆっくりとした英語で説明してくれた。

「天候不順で今、着地のリトライをしているんだ。でも、難しそうだ」

ここでフェアバンクスに戻れないとなると、デッドホースでもう一泊?

冗談じゃない。

飢えたグリズリーが歩き回る街でまさかキャンプも出来ないし、宿泊施設はどこも高い。
それにパイプラインの故障で多くの労働者がこの街に集まっていて宿はどこも埋まっているとレオが言っていた。

不安なまま待っているとアナウンスが入り、人々がカウンターに並びだした。
先ほどの男性の方を見ると、小さく頷いた。

「そんな、キャンセルなんて、、」私はどうしていいか分からなくなった。

それでもどうにかするしかない。
ともかく行列に並び、明日の振り替え便の予約をした。


行くあてもなく、空港向かいの「Prudhoe Bay Hotel」に行く。
やはり泊まれる部屋はない。
フロントの女性が何かまくしたててきたが、うまく聞き取れなかった。

困っていると先ほど空港で会った男性が助けてくれた。
「彼は英語がうまく話せないんだ。…… そうか、わかった。ありがとう。」

彼はまた、優しく説明してくれた。

「North slope Boroughは空きがあるみたいだ。友達が車を貸してくれるっていうから送ってあげるよ。少し待ってって。」

私はは彼に知っている限りの言葉を使って感謝した。

彼の友人を待つ間、私は保険会社に電話した。
宿泊費が保険でカバー出来るようで少し安堵した。


しばらくして彼の友人がやってくる。


「お待たせ。さあ行こう。」彼が車を走らせた。

彼は名をテリーと言い、三週間のプルドーベイ勤務が終ってオレゴンに戻るところだったそうだ。

「早く帰りたいよ」そういって淋しそうに笑った。

聞けば、テリーも地元でMTBをやっているそうだ。
私は思わず、「今年のツールドフランスは誰が勝った?」と尋ねた。

フロイド・ランディスだ。でも彼は薬物検査で両方のサンプルがポジティブだったらしいよ。」とテリーは言った。

意外なところで意外な話をきくことが出来た。


車はデッドホース郊外「North slope Borough」に着いた。

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テリーはチェックインまでしてくれ、笑顔で去っていった。


有難う。


旅先では多くの人がこうやって私を助けてくれた。
どうして、と思う。

でもきっと、こうして手を差し伸べてくれる人に
助ける理由なんてささいな事でしかないのではないだろうか。
こんな人になりたい。



*********************

帰国後、しばらくしてデナリの近くで会った日本人女性と話す機会があった。
彼女もまた極北の街、バローに行ったらしい。

彼女と話しているうちに、極北の街の話題から離れられなくなった。
いつしかつかみどころのない北極海の街の雰囲気をなんとか表現しようと夢中になっていた。

我々が行った街は違うところだけど、
どちらも北極海に面したところだ。
話しているうちに、共通の何かがあることが分かった。


白の世界。
沈黙の街。
音と言えば、未舗装路を駆け抜けていくトレーラーの騒音。
それから北の果てから逃げるように飛んでいく飛行機。


普通の街と言えばそうかもしれない。

だが、白としか表現できない色。
沈黙と無機質でしかない音。


私はデッドホースを思い出すときなぜか、
カリブーインから小さな空港までのストリートにあった温度計の電光板を見上げる自分を思い出す。



「私、あそこから逃げ出したかった。さみしい景色で、でもそこに暮らしてる人がいて。なんだか不思議だった。」


そして彼女はこうも言った。
「もう一度行きたいかって聞かれたら行きたいって言うと思う。」


その気持ちがよくわかる。
世界の果てまで行こうと決めて、たどり着いた場所は
どこか淋しい景色で、これ以上ここにいてはいけない、
そう思わせる場所だった。

世界の果ての景色が私にとっての何なのか、
よくわからない。

だが、もう一度、そこに行って、ほんとうにそんな淋しい世界だったのか、
確かめたいと思う。


ここが世界の果てならば 2006年8月10日

ダルトンハィウェイ、マイルポスト332
北極海のデッドホースまであと、82マイル。


「今日が最後だ。」


いつものようにパンを焼き、珈琲を淹れる。
地図を眺め、どこで休憩をとるか、大まかな予定を立てる。
もっとも、予定通りにいった試しなどなかったが。

淀みのない動作でキャンプの撤収をし、自転車に荷物を積んだ。

ツンドラの中で過ごしたこの時間を私はきっと忘れないだろう。
この風景は私の一部になった。



今日行けばこの旅は終る。



この言葉を趨反するうちに静かな闘志が沸いてきた。


いつもよりペダルを踏む足に力が入る。
通り過ぎるマイルポストが1マイルずつ確実に進んでいることを教えてくれた。


今日で終わるという興奮を抑えきれないまま走り続けた。

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20マイルほど走ると丘の上に場所の割に立派なアウトハウスがあった。
ここの名前がなんともいい。
その名も「Last Chance」。確かにこの先、アウトハウスはデッドホースまでない。

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"Last Chance"web上から転載



Last Chanceのある丘からはダルトンハイウェイを一望することができた。
これまであったハイウェイ上に設けられたアウトハウスよりも周囲が開けており、
これならキャンプするのにももってこいだ。

実際「Last Chance」には多くのハンターがキャンプしていた。

あるハンターたちはまさにカリブーを解体しているところで
私はしばらくその風景を眺めていた。
のこぎりで乱暴に解体すると頭を谷の向こうに投げ捨てるのを見てなんだか残念な感じがした。きっと彼らは外から来たハンターなんだろう。

 彼らの一人と話をする。
カリブーのソテー食ったことあるか?ポークチョップみたいだぜ。食うか?」

食べてみたかったが、残念ながら私は「Last Chance」に着いてすぐ食事を作って食べてしまっていた。

「食べたことないんだけど、さっき食事して食べれないんだ。ありがとう。」
この時断ったことを今でも後悔している。

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別のハンターと話をする。
ジャン・レノのような風貌のちょっと厳つい男だ。
私の旅についていろいろ聞かれた。

「アンカレッジから17日だ」と言ったつもりだったが
seventeen」が「seventy」と聞こえたらしい。

するとジャン・レノ風の男は「お前今、70日って言っただろ?17日かよ」  と怒った様子だった。そんなことで怒るなよ。こっちは英語がロクにできなくて困っているんだから。


もうひと組、別のハンターたちがいたので声をかけようとすると 黒いレトリバーが威嚇してきた。

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何か小動物を解体していた男性が「ヘイ、彼は友達だ。」とレトリバーをなだめてくれた。
彼らはボウガンでライチョウをハンティングしているらしい。

ナイフ一本で上手にライチョウの皮と身を切り分けていた。
ハンターもいろいろな人がいるようだ。


ハンターたちに別れを告げ、再びハイウェイに戻る。



ツンドラの中にしばしばテントを見かけた。

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いいな、こういうの。
こういうところでキャンプしたりハンティングしたりして過ごすのは最高だろう。
 

 



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目に映る景色の全てが眩しかった。そして、やさしく強かった。


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空をゆく雲はツンドラの小さな池に映りこみ、空がふたつになったようだった。

 


茂みの間にいくつもの小さな花と真っ赤な実を見つけた。
そこかしこに命は生きていることを主張していた。

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これがほんとうに極北なのか。寒々しい先入観が冗談のように思えた。
アラスカの夏はもっと様々な表情をもっているんだろう。
視界の端に消えてゆく景色と先に広がる景色に想いを馳せた。


三度の休憩を挟み、残すところ20マイル。


ここまで来て止まる筈がなかった。
1マイル進むたび、残りのマイルを叫び、走った。

向こうに工場のような建物群が見えた。
デッドホースの街だ。


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道の終わりだ。



たどり着いた。ダルトンハイウェイ415マイル。走りきった。

私の「旅」という言葉に魅了され、それ故に苦しんだこともあった旅は終った。



デッドホースに入ると一番有名な宿、「カリブーイン」へ向かった。
ここで最果ての土産を買い、食事をすることにした。

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カリブーインで購入した土産。上のふざけたマグネットは今も冷蔵庫に貼ってある


宿の中でボーとしていると、
興奮した子連れの日本人夫婦が、

「日本人ですよね!自転車で走ってるの見ました!ここまで車でも大変なのに!」
と話しかけてきたが、疲れていたので軽くあしらってしまった。
今思えば、家族でわざわざデッドホースへ来るこの一家もなかなかやると思う。
もっと話せばよかった。悪いことをしたものである。
 
ただ、この時の私が話したかったのは実感をもって共感してくれる人だった。


ダルトンハイウェイを自転車で走ることは決して楽ではないけど、
やってみれば誰でもできることだと思う。
ただ、みんなあまりやろうとしないだけだ。


レストランが食事の値段が思いのほか高く、食事をとるかどうか躊躇したが、
空腹には勝てず、ビュッフェ形式の食事を食べることにした。

トレイに大盛りの食事とデザートの温かいベリーのパイを乗せると
キッチンの男性が笑顔でスプレー缶に入ったホイップクリームをパイに盛ってくれた。
好意は何でもうれしい。

レストランは仕事で来ている人だろうか。作業着の男性でごった返していた。
席を探してきょろきょろしていると奥から「Hi!」と声がした。

声をかけてくれたのは、最後の補給地点、コールドフットであった年配のサイクリスト二人組みのアリーとレオだった。
レーサージャージを着ているところを見ると、彼らも着いたばかりのようだった。

「あれからどうだった?そうか、ワイズマンで一泊か、あの日は雨だったもんな。それは正解だったかもしれん。あの日は辛かったよ。それから3日か。さすが若いだけあって速いな。」

レオが矢継ぎ早に話しかけてきた。

食事をするのを忘れてお互いのこれまでを話した。
共通の話題は私の拙い英語でも十分盛り上がった。


食事をしていると、もう一人、知っている人がやってきた。
『Milepost』のライター、シャロン・ナルトだ。

「Hi,Sharon!」私は彼女をテーブルに呼んだ。

「あら!無事に着いたのね。おめでとう。アティガンパスから3日って言ったのは正しかったでしょ?」と彼女はウィンクしてみせた。

私はその行程を5日と読んでいたが、コールドフットでシャロンにそう言われていたのだ。
実際その行程は三日で走破した。
さすが、長年ガイドブックを書いているだけの事はある。

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帰国後、レオが送ってくれた写真。カリブーインの前で。左がアリー、右がレオ。


シャロンと老練のサイクリスト二人を交えて食事をする。

アリーたちとシャロンはお互い気が付かなかったようだが、ガルバライスというところのキャンプ場でシャロンと彼らは同じ日に宿泊したようだ。

シャロンによるとその日は雪が降ったらしい。
ちょうど私がアティガンパスを越えた日だ。
確かにあの日はひどく寒かった。



食事を終えると私はデッドホースのジェネラルストアに向かうことにした。
ここに「End of the Dalton Highway」の看板がある。
どうしてもここの前で写真を撮りたかった。


カリブーイン」の前でシャロン
「もう少し写真撮らせてもらえる?自転車も一緒に」と言ってカメラを構えた。

このときの写真を後にシャロンは2007年版の『Milepost』に載せてくれた。

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シャロンが掲載してくれた『Milepost』の写真。小さな写真だったが感激した。



ジェネラルストアに移動する。町の反対側で思いのほか遠い。

記念撮影をしていると、車で乗り付けた男性が
「お前、自転車で来たのか?ワオ!アンカレッジから!すげぇな、この水全部やるよ」

と勝手に興奮しながら、ペットボトルの水を6,7本くれた。

 

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なんなんだ。ありゃ。

ジェネラルストアで切手を買い、その後「カリブーイン」で手紙を書いた。
もっともこのとき書いた手紙が届くのは私が帰国してからだが。


その日は野宿するつもりだったが、デッドホースの町をうろうろしていると
空港の近くでグリズリーが鉄のゴミのコンテナを「ゴンッ。ゴンッ」と殴っていた。

散歩していたレオとほかの旅行客が数100メーター向こうから遠巻きに見ていた。
「あれはメスのヤンググリズリーさ」と地元民だろうか、誰かがそんなことを言った。

周囲に人がいるから落ち着いていられるが、あんなのにハイウェイ上で遭遇したら終わりだったなと、会わずに済んだ幸運に感謝した。

これではとてもじゃないが野宿はできないなと悩んでいると
「シマ、俺達の部屋に泊まればいいさ。」とレオが言ってくれた。

私は彼の言葉に甘え、カリブーインで休んだ。
久々の温かいシャワーにありつけた。

私がメガネをしたまま寝袋に潜り込むと、それを見たアリーは
「シマ、そりゃ何だ?日本人はメガネはずさないで寝るのか」とおかしそうに聞いてきた。

「いや、私も普段はもちろん寝る前にははずすよ。アラスカに来てテント張って寝るようになってから、メガネを外して寝て、もしグリズリーに襲われたらと思うと怖くてね」と答えておいた。


メガネはかけたままだったが、野生動物に襲われない安心感で思いのほかよく眠れた。




*****************


デッドホースに着いたとき、フェアバンクスのインフォメーションセンターで言われた
北極海まで行けば人生観が変わる」という言葉の意味がいまいち分からなかった。



言葉の意味はあとからやってきた。
自分の行為が何であったのか。


ツンドラの只中で私は少年時代の自分の夢に自らの足で到達した。

自分の身の程を知った。
いつもどこか高い理想を目指し、勝手なイメージだけが先行して
壮大でぎこちなかった「旅」は等身大の私のものになった。

誰かのように旅をするのではなく、自分のする旅がようやく見えた。


弱くて情けない自分も少し誇れるようになった。

極北まで、道の終わりまで行ってよかった。
あの果てまで行かなければ、きっと分からなかった。


道の終わりは未来へ続く。

始まりの風景 2006年8月9日

朝、昨夜同様寒いであろうと思いながら意を決してテントの外へ出ると
昨日あれほど強かった風は止み、野営地を暖かい朝日が包んだ。

厳しかった寒さがうそのようだ。

寒いには寒いのだが、そこに厳しさはない。

やさしい極北の朝。

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コーヒーを淹れ、『Milepost』の切れ端を眺める。
今日はどこまで行けるだろうか。

コールドフットでシャロンが「アティガンパスから北のツンドラ地帯は平坦で舗装してある区間もあるから自転車でも2日で行くんじゃないかしら」と言っていたのを思い出す。
おおよそ残り160マイル。

まあいい。行こう。

私は朝食を終えるとキャンプを撤収した。

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自転車に荷物を積み、朝日を浴びる自分の自転車がいつになく格好よく見えた 。


出発。


ハイウェイは下り基調で時折アップダウン。
アティガンリバーを超える橋のところで川に顔を突っ込み顔を洗う。
雪解け水が流れてくるのだろう。冷たくて驚いたが、気持ちよかった。
水をボトルに詰めておく。


しばらく走るとハイウェイの脇に車が停まっていた。

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気になって近寄ってみると車のところで男性がスコープで何か探しているようだ。

「何してるんだ?」私が聞くと
「今、ドールシープを見ているんだ。明日から猟が解禁でこれから山に入って彼らを追いかけるのさ。」男性はそういうとスコープをのぞかせてくれた。

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「ん?どれだ?」何も見えない。
「ほら山の中腹に白い点があるだろ?あれがドールシープだ。」と教えてくれる。

もう一度スコープ覗くと、確かに見えた。
ただし、文字通り点にしか見えなかった。

あんな遠くのドールシープを解禁日前日から追うとはハンターも大変だ。


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パイプラインのPump Station 4.

ハンターと別れ、ハイウェイを進む。
風がツンドラの上を走っていく。

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ダルトンハイウェイと並走するパイプラインはやがて地中に潜る

しばしばハイウェイ上で見かけたメタリックグリーンの色の小型バスが追い抜いていく。
いつもはバスはそのまま行ってしまうのだが、今日は路肩に停車した。

バスからアジア人だろうか、乗客が降りてきてこちらにやってくる。

「自転車で走ってるの?」
「ひとりか?」
「日本人?」

すぐに10数人のアジア人に囲まれ、質問攻めにあう。

私がキョトンとしているとドライバーの白人女性が降りてきた。

「ハイ!あなたよくハイウェイで見かけてたんだけど、お客さんが停めてくれっていうもんだから。台湾のお客さんよ」

私がアジア人と気がついて、わざわざ停まってくれたらしい。
トライアスロンをやっているという教師の男性が興奮気味に
「きみはほんとにすごいよ!」と私の両手をつかんでブンブン振っていた。

みんなで記念撮影をするとバスは去って行った。
乗客たちは遠ざかるバスから手を振ってくれた。

少し面食らったが、喜んでもらえたみたいでなんだか嬉しかった。


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日差しが強くなる。
ハイウェイ脇のパイプラインに目をやるとカリブーがパイプラインの日陰で休んでいた。

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今日はカリブーをよく見る。気がついただけでも10頭以上はいたから実際はもっと多くのカリブーとすれ違っているのかもしれない。


穏やかな日だ。



**********************************



ダルトンハイウェイの終着点まで残り80マイル。
今日はハイウェイの傍にテントを張った。


ツンドラの広漠たる世界の只中に私はいた。

 

周囲に文明と言えるのは黒い土をむき出しにした背後のハイウェイだけだ。


雲ひとつない空。
極北の短い夏を生きるツンドラの植物の柔らかい若緑が目に眩しい。
見わたす限り、大地を覆い尽くすツンドラとその境からどこまでも続く青い空だけだった。

広がる壮大な風景に目を細め、
自分のテントに目を向けたとき不思議な感情に襲われた。


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胸がじんわりと熱くなった。

ずっと忘れていた感情がふと甦ったのだ。
昔、私がまだ小学生か中学生だったときに一枚の写真を見たときのことを思い出したのだ。

緑の大地が広がる世界にテントが一つと旅人が一人、そんな写真だった。


「いつの日かこんなところに行って、テントを張ってキャンプがしてみたい」


単純な想いだった。
それから時は流れて、アラスカ北極圏で、今まさに自分がそれと同じ世界にいることに気がついた。


旅をしたい、遠くに行きたい。


私を真の意味でここまで駆り立ててきたものは野田知佑でも星野道夫でもなかった。
私の心の奥底にひそかに生きづいていた自然の中を旅をし、そこに身を委ねたいという、
その想いだったのだ。


今までずっと自分の中にあったのにどうして忘れていたんだろう。


高校生のころから、自分なりのやり方で旅をするようになり、
変化する周囲の環境や社会の中で自分の想いは、少しづつそうしたしたものと摩擦を起こし、知らない間に形を変えていった。

そして私を旅に駆り立てた最初の気持ちは気がついてみると「旅」という言葉以上に説明がつかないものになってしまっていた。

私に旅というものに誘った根源的な想いが自分の中に戻ってきたのを理解したとき、熱いものがこみあげてきた。


あぁ、私の中にはこんな無垢な想いが生きていたんだ。


様々な人が語る旅という言葉やこれまでの自分の生活によって磨耗してしまった想いはまだ確かに生きていたのだ。


この景色に来たかったんだ。

 

パチャパチャと水音を立ててツンドラの草原の中を二頭のカリブーが駆けていった。


己の身の程 Atigun Pass 2006年8月8日

ワイズマンの宿で朝食を食べながら、宿泊者ノートを眺めていると日本のTVクルーの書き込みがあった。
 
迎えた晴れた朝への喜びとこれから出会うだろう素晴らしい景色に期待を膨らませる内容だった。
 

今朝の天気は晴れ。私もまさに同じ気持ちだ。
今日はどこまで行けるだろうか。
 

今日の難所、ブルックス山脈を越えるアティガンパスを越えなくてはならないかもという不安よりも、昨日の雨がやんで、晴れの中を旅ができる期待のほうが強かった。



ワイズマンから再びダルトンハイウェイに戻る。
昨日の雨で道はやや泥になっていたが、ダルトンハイウェイ前半の荒れ具合に比べたらたいしたことはない。 
 

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しばらく走っていると前方に大きな犬のような動物が見えた。

「コヨーテ?」
 

特に警戒する感じでもなく、その動物は近づいてきた。
動きはまさに人なつっこい野良犬のそれだったが、大きさが普通の犬より明らかに大きい。
のちに聞いた話でその動物はオオカミだったようだ。
オオカミはすぐに私に興味をなくしたらしくハイウェイの向こうの茂みに消えていった。
 
 
オオカミからの遭遇からほどなくして今度は人が走ってきた。
「Hi!」
 
お互い、面白いものを見つけたとばかりにしばらく話す。
彼は有名製薬会社を最近退職、思い立って旅に出たそうだ。
日本にも頻繁に来ていたらしく、私が愛知出身だと言うと、
「名古屋のヒルトンにはよくいったよ」と言っていた。
 
まだ、彼はデッドホースをスタートしてしばらくしかたっていないが、
これからフロリダまで!!歩くという。


いやはや。


さすがアラスカ。とんでもない人がいるもんだ。
「きみは私が初めて会うDalton Hwy Walkerだよ」と私が言うと
「Dalton Hwy Walkerか、そりゃいいな」と笑っていた。
 

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Dalton Hwy Walkerと別れ、再び北へひた走る。


昨日とは打って変わっての快晴。
道は相変わらずきついが、雄大すぎる景色が周囲に広がる。
 
ハイウェイの周囲を囲むように雄々しい山々がそびえていた。
 
なんというスケールだろう。
自分が小さいというより、山々が大きすぎるのだと思った。
 
 
 
 
 



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ダルトンハイウェイに突如あらわれたパブリックトイレで休憩。

駐車場で紅茶を淹れ、先日、コールドフットのジェネラルストアでもらったジャムを溶かして
飲んでいると、一台の車から降りてきた女性が話しかけてきた。

「あなた自転車で走っているの?勇気があるのね!」


私は「勇気?わかんないよ。ただ走ってるだけさ」そう答えた。

アティガンパスはまだ先、そしてこのパブリックトイレからいったん登りがきつくなるはずだった。


パブリックトイレの後の峠はけっこうな登りだった。
気持ちを奮い立たせてなんとか登った。

振り返ると眼下に谷を抜けるクリークが見えた。

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宮崎アニメのような壮大な景色だった。
あれは決して虚構の世界ではないな、と思った。


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もっとも北に生えるスプルース(トウヒ)。もう立ち枯れしていた。



その後、今日のキャンプを予定していた地点に着いたのは午後四時だった。

そこは最後のスプルース(トウヒ)のある森林限界から程近いところで、

 

北極圏を南北に分断するブルックス山脈から流れるいくつものクリークがあった。

クリークの水はオパールを溶かしたような淡い緑色で、
手を入れると驚くほど冷たかった。

このあたりにきて、より野生動物の気配が強くなってきた。
リスが頻繁に普通に目の前を横切っていく。


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キャンプ予定地まで来たがまだ十分走れる。
私はもっと進むことにした。


道の周りに木がなくなっていく。
この先はツンドラ地帯だ。


さらに行くと看板が見えた。「Atigun Pass」とある。


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ついにここまできた。
進むべきか、止まるべきか。



このブルックス山脈を越えるアティガンパスは
ダルトンハイウエイ最大の難所である。

アラスカのガイドブック『Milepost』によれば
ダルトンハイウェイ242マイル付近から「長く、急な(12%)登り坂がアティガンパスまで続く」とある。
そして言うまでもなく、道はダート。





今日のところはここで止めて、明日万全の体制でアティガンパスに望むべきか。

この日、三本目になるチョコレートバーをかじりながらしばし考えた。

体力はすでに一日分使っている。明日になれば万全で臨めるだろう。

しかし、問題は天候だ。
今は晴れているが、明日は分からない。
行けるうちに行けるところまで行こう。


私は腹を決めた。  行こう。


ずっと取っておいたエナジージェルをさらに飲み、気合を入れる。


今まで踏まずに来た一番小さいインナーローでひたすらのぼり始めた。
ときおり通り過ぎるトレーラーが砂埃を巻き上げ、視界を奪う。


ここまですでに一日分は走っていた。
限界ギリギリの体力でひたすらペダルを踏んだ。



いろんな想いが頭をよぎった。
どうしてこんな過酷な世界に来たんだろう。
過酷?いや、そんなはずはない。たかが標高1500メーターだ。
過酷に思うのは自分がそれだけ弱いんだ。

弱く情けない自分。
いつもいつもそれに目を背けてきた。

どうすれば強くなれるんだ。
少しでも気を緩めれば、足を止めてしまいそうだった。

足はつかない。立たない。アティガンパスの頂上まで。

何度も止まりそうだった。
それでも、その度に自分を奮い立たせた。

ここで止めたら、私はいつまでたっても困難から逃げる人間になってしまう。


どれほど上っただろう。峠が見えた。

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周囲の山々は夏の最中にあっても雪を抱いていた。

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口から荒く漏れる息はすぐに白くなった。
夏の北極圏の峠は十分に寒かった。

上りきった興奮でもう何がなんだか分からなかった。
とにかく、難所は乗り切った。

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だが、難関はこれだけではなかった。
峠の向こうはさらに寒く、アティガンパスの下りでは一気に体温が奪われ、
あわてて三重にしたグローブの中の手の感覚がすぐに無くなっていった。
 

下りが終ったところでテントを張ることにした。
ハイウェイからそう遠くないところを野営地に選んだ。
強風の中、テントを設営する。

ウインドスクリーンを立ててバーナーストーブで夕食にパスタを茹でようととするが
風が強すぎでなかなかお湯が沸かない。


それでもなんとかパスタを茹でて、一気にかき込んだ。


食事を終えたころ、一台のトラックが通り過ぎて
こちらに気がついたのかクラクションを鳴らしてくれた。

私は軽く手を上げてこたえた。

トラックの運転手には私はどんなふうに見えただろうか。


テントに入る。


寒い。そしてとにかく体が辛い。

私にとっては極限の状況だった。

寒くて日本から持ち込んだ日本の冬用装備を全て着込んだ。
上から下までフリース。
マイナス15℃まで対応する寝袋にシルクのシンナーシーツを使ってやっと暖を得た。

これ以上厳しい状況ではやっていけない、そう思った。


だが、北極海まであと三日のところまで来ていた。
こんな辛いことはもう続けられない。

逃げたい。逃げたいけど逃げない。負けない。

この旅を成し遂げるとこが出来なければ前に進むことは出来ない、そう思った。
一生懸命ひたすら前に進むことだけを考えて前へ。
この旅の意味が少し見えてきたから。
ようやく理解できそうだから。

 
 

 

 

白夜の名残の残る北極圏の夜の太陽に照らされたテントの中で私は眠りに落ちた。