定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

旅の終わりにまた旅を想う 2009年1月6日

帰りの飛行機が出るのは夕方。

 


まだ自転車の梱包をしなくてはならないが、そこまで急がなくてもいい。

朝はゆっくり食事をし、宿をチェックアウトするとまずは昨日の自転車屋に向かった。

自転車屋に続く坂道を登る。


自転車屋のドアを開けるとスキンヘッドのオヤジが私の顔を見て、
一瞬、「何だ?」って顔をしたが、
すぐに思い出したようで"bikebox!"と言った。

なんとなくそうだろうなと思ったが、
予想通り、GIANTの段ボールが出てきた。

段ボール代はいいと言うので、土産にGUのエナジージェルをいくつか買った。
まだ日本に入っていなかったものだ。
こういうのはあまり高くなくて、サイクリストたちにはいい土産になる。

スキンヘッドのオヤジに礼をいい、店を後にした。

一旦、インフォメーションセンターに行き、もらってきた段ボールを預けた。

それから海に向かった。海に行って見たいものがあった。

それはオーストラリア本土メルボルンタスマニアを結ぶフェリー"Sprint of Tasmania"だ。

せっかくの機会なので乗ろうかとも検討したが、
本土とタスマニアの間のバス海峡は潮の流れが激しく、フェリーはよく揺れるらしかった。
ニュージーランドの北島から南島に渡るフェリーで酷く船酔いしたのを思い出してやめてしまった。
今思うと勿体無い。

海に出るとタスマニアらしい強風が海を渡って吹き付きけてくる。



何度こうした風に悩まされただろうか。

帰国して随分になるが、強風の日に自転車に乗ると、ふとタスマニアを思い出すことがある。
そして、そのたびに「タスマニアに比べたらマシだ。」と思うのだ。




海沿いの道はとても明るくて気持ちがよかった。






 

もしかしたら今日は停泊していないかと思ったが、幸い"Sprint of Tasmania"、
港に停泊していた。


あれで本土からタスマニアに渡って来たらワクワクするだろうな。

立派な船体だ。

昔、フェリーで北海道や四国に渡ったときのワクワクを思い出した。


昼食を食べるため、モリーマローンズへ戻る。

宿の方ではなく、宿の下にあるバーの方だ。

 

 


昼間のバーはすいていた。


ランチはサーモンのソテーを注文した。
そしてお供はアイリッシュバーではお約束のキルケニー。



食事とアイリッシュビールを堪能すると今回の旅を振り返ってみた。

 

一番の問題はやはり英語であった。


いつも困ったときには誰かが助けてくれた。
当たり前だが、知らない誰か。
あるときは同じ旅人であり、またあるときは通りすがりの人。

そんな人ともっと上手に話がしたかった。


それから、旅ということについて考えた。

今回、出会った多くの旅人達は、放浪を続けている人よりも
日常から少し離れてやってきた人が多かった。
それはこのタスマニアという土地の性質かもしれない。
 長い旅、というよりはきっと長い休暇、という人が多かったと思う。


日常の延長線上にある、非日常。
それを休暇と呼ぶのか、旅と呼ぶのかは、その過ごし方によると思う。

ただ、その素晴らしい時間を過ごした後、みんな日常に帰っていく。


日常の延長にある旅。


キルケニーが1パイント空くころ、次の目指すべき地平が見えた気がした。



モリーマローンズのそばのリカーストアで土産のスパークリングワインを探した。

東海岸のBay of fire で飲んだスパークリングワイン"Kreglinger"が印象的だったので
どうしても土産にしたかった。

無事にKreglingerを手に入れ、 インフォメーションセンターに戻る。

空港までのシャトルはここにに来るので、
インフォメーションセンターで自転車の梱包を始めた。

あまり重いものを調子に乗って段ボールに詰めると
また飛行機のチェックインで追加料金を取られかねないので、
考えながらGIANTの箱に自転車とキャンプ道具を詰めた。
ここは前回アラスカの帰りで3万円余分に払った痛い経験が生きた。
昨日土産に買ったカッティングボードがなかなかの重さだったので、手荷物に回した。

後の話だか、空港の手荷物検査で女性の職員に「これ何?絵?」と言われ、
「カッティングボードだ」と答えて不思議な顔をされた。そりゃそうだよな。

手荷物には寝袋を入れるのを忘れなかった。
今日はメルボルンまでの移動で、
明日が国際線のフライトなので、空港で一泊しないといけないからだ。

何とか梱包を終えると、荷物を再びインフォメーションセンターに預け、少し歩いた。
ネットカフェを見つけて入る。

日本への最後の連絡をし、マフィンを食べ、コーヒーを飲んだ。
現金の残りはもうわずかだ。

再びインフォメーションセンターに戻り、シャトルバスを待つ。

時間より早く着いてまっていたが、時間になっても当たり前のようにシャトルは来ない。
フライトに間に合うかと心配になり、自分の心配性に笑えてきた。

予定よりずいぶん遅れてシャトルが来た。

「間に合うのか」とドライバーの女性に聞くと
「何時のフライト?大丈夫よ!」と自信満々で笑った。

シャトルが走り出し、車のスピードで景色が流れていく。
いつもと違う速さでながれていく景色を見て、旅が終わることを思い知らされた。


空港でのチェックインはすんなりいった。
窓の向こうで自分の自転車が積み込まれるのが見えた。





歩いて飛行機に搭乗すると、ほどなく飛行機は飛び立った。


しばらくしてワインをもらった。
ワインを飲みながら、物思いに耽った。



思えばいろんなことがあった。


いつも行く先にあった激坂の上り

旅を始めて3日目に襲われた腹痛

行く先々で出会った老練なサイクリストたち

フレシネ国定公園アモス山から見たワイングラスベイ

"favor"という言葉の意味

車に轢かれたフェアリーペンギン

長い上り坂と向かい風の後に街が見えたときの喜び

焚火にかけてあったお湯をくれたグレッグとスー、それからかわいい犬のミッチー

ウェストコーストの寒い日々

雨に降られて、心が沈んでしまったときに知らない人とジェイムズテイラーを歌った大晦日

ヘンティ砂丘の年明け

美しい風景の中に自分がいることに気が付いた瞬間






素晴らしい旅だった。






機上から窓の外に目を向けるとオーストラリア本土の半島が見えた。

あの半島から見える景色はどんなだろう。

晴れの日はどんな感じだろう。
雨の日はどんな感じだろう。
風の日はどんな感じだろう。

果たして私がたどり着くときは、どんな感じなんだろう。

一本の道さえあれば、一台の自転車さえあれば、私たちはどこまでも行ける。



旅は終わらない。



このタスマニアの旅は終わってしまうけれども、私はまた旅に出るだろう。



日本かもしれない。海外かもしれない。アフリカかヨーロッパか。またアラスカか。

自転車で行くかもしれない。車かもしれない。ヒッチハイクかもしれない。

30代か、60代か。

今回の旅で私はまた自由になった。

旅に出たい、この気持ちさえあれば、いつでも旅に出られる。
もう焦る必要はない。歳も時間も関係ない。

自分が旅に出たそのときにしか出会えないものが
いつもそこにあるということを知ることが出来たから。


タスマニア編          完