定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

北極圏からの離脱 ‐ 再びGo Northへ 2006年8月12日

 寝不足のまま、朝を迎えた。

 

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朝食が7時までということで早起きは辛かったが、レストランで朝食を済ませる。

食事はビュッフェスタイルだった。あまり食欲はなかったが一応食べた。

このホテルは石油採掘関係の労働者が多く使うらしく、
通路など至るところに作業服などがかけてあった。
 

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そうした労働者たちのランチのテイクアウト用だろうか、
レストランにはサンドイッチなどの包みがいくつも置いてあった。
 朝食を摂ると、包んであったサンドイッチ、マフィン、ポテトチップスの袋を2個ずつ貰っておいた。 ほんの思いつきだったが、のちにとても役に立った。

 

部屋に戻る。

 

泊った部屋はせまいシングルルームだった。
仕事で北極海まできて、一日働いた後、
この小さな部屋で故郷へ帰る日を指折り数えるのはどんな気分なんだろう。

 

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昨日空港で助けてくれたテリーの少し寂しそうな顔を思い出した。

 

部屋の小さなテレビをつけるとCNNがずっとイギリスのテロのニュースを繰り返し流していた。
私はそのテロが未遂ということに気がつくまで随分かかり、
どうして犯人逮捕の映像ばかりで被害者や現場の映像が出ないのだろと
不思議に思いながら画面を眺めていた。

テロの影響で飛行機の手荷物に水の入ったボトルが持ち込めなくなったのを
昨日の朝、アリーが教えてくれた。
そして、リップクリームなどもどうやらだめらしいと付け加えた。

その後、アラスカエアの窓口で確認したら念のために判断に迷うようなものは
持ち込まないでと窓口の女性が言っていたが、彼女自身も困っている様子だった。


簡単に荷造りを済ませて、ホテルのフロントに行く。
空港まで送ってもらうことになっていた。


空港に着くと多くの人でにぎわっていた。
昨日私の窮地を救ってくれたテリーもカウンターの列に並んでいた。

私を見つけると微笑を浮かべて小さく手を振ってくれた。
私は帰国後、彼にお礼の手紙を書いた。

空港の建物の端でアリーとレオがゆっくり荷造りをしていた。
とっくにチェックインの時間を過ぎているはずだが、
のんびり作業をする彼らを見て、旅慣れた男たちはさすがだなと妙に感心した。

 

今日は無事にチェックインのコールがかかり
アリーたちと話しながら飛行機に向かう。

 

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アラスカエアの機体に描かれたイヌイットを見てアリーが
「おい、シマ。あれはチェ・ゲバラか?」と言ったので笑ってしまった。
実は私もそう思っていたのだ。

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飛行機の中で久しぶりの冷えたビールを飲む。
ビールは別料金で5ドルだったが、100ドル札しか持っていなくてスチュワードの男性に迷惑をかけてしまった。

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アラスカエアはビール別料金5ドル

デッドホースからフェアバンクスまで1時間ほどのフライトだった。
さんざん苦労して自転車でやってきたが、飛行機に乗ってしまえばあっけないものだ。


フェアバンクス到着。
しかし、荷物の一部、というか自転車が別便で来るらしく届かなかった。
アラスカエアの女性に確認すると、宿に送るから泊るところを教えてほしいという。
私は「Go North」の名を告げた。女性はすぐわかったようだった。

アリーとレオはロサンゼルス経由でオランダに帰るらしい。
ロスまでのフライトに少し日があるようだ。
彼らはまだフェアバンクスでどこに泊るのか決めていないらしいので、「Go North」をすすめ電話番号をおしえてやると早速予約していた。


空港を出ると外は雨。
雨はさほど問題ではないが、自転車がなくてはGo Northまで行けない。
仕方ないのでタクシーを拾った。


タクシードライバーは別のホテルと間違えていたが、なんとか「Go North」に着いた。
前回泊った時からわずか10日余りだが、「Go North」に戻ってきてなんだか嬉しく、そしてほっとした。

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今回はテントサイトにテントを張った。
雨が降りやまず、食事はどうしようかとキッチンでボーっとしていた。
昼食に朝もらってきたサンドイッチなどを食べた。

キッチンの外の軒下で雨を見ていると
ベンチに座った男性に話しかけられた。

「日本人だよね?」

その人は名をケンジさんといい、ユーコン川をホワイトホースからサークルまで
カヌーで下ってきたらしい。すごいな。
聞けば日本人のパドラーは多いらしい。

「なぁ、ビール飲む?バドならあるよ」
私は遠慮せずもらった。

今思えば、ああして「Go North」で昼間からビールを飲みながら
雨を眺め、旅する人と話をするなんてなんて自由な時間だったんだろうか。


ふいにケンジさんが言った。
「ねぇ、カレー食いたくない?うさん臭いのじゃなくていわいる普通の日本のカレー。作らない?」

「いいですね。料理には少し自信があります。きっとあの巨大なフレッドマイヤーならカレー粉も手に入るんじゃないですか。」私は即答した。いいアイディアだと思った。


雨が弱くなるのを待って、二人でフレッドマイヤーへ行く。

カレー粉はアジア系食品のコーナーにエスビーのカレー粉があった。
「あった!!」二人で大きな声を出してしまった。

そのほか野菜と肉売り場でキチンを買い、フレッドマイヤーを後にした。


ケンジさんは米炊きには自信があると言い、私はカレーを作った。
明らかに二人分より多かったが、まあいいだろうということになった。

雨がやんだのでファイヤーピットで焚き火を囲んでカレーを食べる。
うまい。当り前か。

そのままさしてうまくないバドワイザーを飲んでいると
もう一人日本人がやってきた。
 

まだ夕食を食べていないという。

「キッチンにカレーとご飯あるからレンジで温めて食べなよ」
ケンジさんが言うと、感激してキッチンに消えていった。

その日本人を加えてさらにバドを飲んだ。

その日本人男性は岡崎出身で渡辺さんと言った。
聞けば、私がスタッフで参加した野田知佑を招いたイベントに参加していたらしい。
それは参加者わずか30名程度のイベントだったのだが
まさかその参加者とこのアラスカで出会うとは。

渡辺さんの住まいを場所を聞くと、だいたいすぐにわかった。
「あぁ、五味八珍とかあるへんですね。」と私が言うと
「ギャー、アラスカくんだりまで来て『五味八珍』とか言われちゃったよー」と渡辺さんが叫んでいた。
悪いことをした。。

渡辺さんは今日寝坊してしまい途方に暮れていたが、
私がダルトンハイウェイで会った「ネーチャーイメージ」の牧栄さんがなんとかしてくれるらしい。

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渡辺さんのブログから転載。右が渡辺さん。


※渡辺さんもまた自身のブログに当時の様子を書いている。こちらもぜひ見てほしい。
http://yukon780.blog.fc2.com/category13-2.html

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三人でファイヤピットで焚火を囲み、さしてうまくないバドワイザーを飲み続けた。

誰かが探るように聞いた。「ねぇ、遺書って書いた?」

「書きました。」私は答えた。


そう、
死ぬ気はさらさらなかったが、
もしかしたら死ぬかもしれない、本気でそう思ったのだ。

私は家族と友人と当時好きだった女性に遺書を書いた。

「もし、私が自分の求める極北の地から戻らぬことがあるならば伝えて欲しい、、、」

そんな書き出しで始まる遺書だった。内容はさしてない。
あのとき、もう失うものは何も無かった。
ただ、伝えきれぬ想いを伝えることが出来るなら、そう考えたのだ。

遺書は必要なくなった。

死の恐怖に直面したが、私は生きて極北から戻ることができた。

「なんとなく、こう、もしかしたら、ってあるじゃん。
だから会社の後輩には全部引き継ぎしてきたし、彼女にも遺書書いたよ」
誰かがそう言うのが聞こえた。

アラスカの荒野に向かう人はこうした覚悟を誰しももっているのだ。

「知らない人からしたらバカばよね。でも、ねぇ?」
その言葉に私達は深く頷いた。

友人達に「なに、生きて帰るさ」と軽く言ったものの、
実際は自分が死ぬことも視野にあった。だからこそ、遺書を書いた。


「バド終っちゃたな。おれジャックダニエルあるんだ。もってくるよ。」
ひとりがそういって席を立った。

私は薪をくべ、炎を見つめた。


今なら笑い話だ。
でも当時、アラスカにいたときは本気だった。
ただ少なくとも当時の私たちにはそのぐらいの覚悟があったんだと思う。


北極の街 2006年8月11日

オランダ人サイクリスト、アリーとレオの部屋で一泊させてもらい、
パブリックスペースで日記を書いて時間を過ごしていた。

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オランダ人サイクリスト、レオ。デッドホースを散策していた。

午後からプルドーベイツアーに行くのだ。

ダルトンハイウェイの終点であるデッドホースという町は実は北極海の真横にあるわけではない。プルドーベイという湾まで少し離れている。

このデッドホースは北米最大級の石油採掘基地であり、
その石油がが埋蔵されているプルドーベイ一帯はPBなどの大手石油会社の所有物になっている。一般の人間はこのプルドーベイには立ち入ることは出来ない。


そのために、石油会社の主催でプルドーベイツアーというバスツアーが用意されている。


午後からカリブーインでツアーの担当者から出発前の説明会があった。

プルドーベイでの石油開発の歴史から、現在の採掘、自然への配慮など、長々とDVDを見せられる。

 

 




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説明会で配布されたパンフレット


なるほど、英語の講義を受けるとこんな感じか。英語がほとんどできない私にはまるで理解できない。



最後に説明者から

北極海で泳ぎたいひとは手を上げて!」と声が飛んだ。

オランダ人の二人はすぐに手を上げた。
彼らの後ろに座っていた私は躊躇していたが、

「おい、シマ、泳がないのか?ここまでわざわざきたんだぞ!」と
アリーが気は確かかと言わんばかりにまくし立ててきて

「あぁぁ」と曖昧な返事を返すか返さないうちに

「もう一人、追加だ!タオル用意してくれ!」とレオが言った。


もう、勝手にしてくれ。私は苦笑した。



デッドホースの町外れのゲートから北極海まで思ったより距離があった。

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途中、多くの石油関連施設や重機が点在していた。

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そうした建物の明かりが白霧の中にぽうっと浮かんでいた。

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バスの向かう先から、霧が流れてきているようだった。


そうか、この霧は北極海の霧なんだ。


バスが海に着いた。

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ドライバーは「泳ぐ人はタオルを」とバスを降りると白いタオルを渡してくれた。

 

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私とアリー、レオはタオルを持って波打ち際に向かった。


北極海は霧で白く、冷たい灰色をしていた。
浜は砂ではなく、小指大の砂利だった。


私達は早速水着姿になった。


気温四度。もう迷うことはない。


「よっしゃー、行くぞ!!」


私は飛び込んだ。
冷たい、痛い、あぁぁぁぁぁ、なにしてるんだおれは!!


同じく飛び込んだアリーとレオだが、レオは勢いよく飛び込んだのか、
水着が脱げてしまった。

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凍えながら、私とアリーは声をあげて笑った。

レオは「アメリカサイズは大きすぎるんだ」と困ったように言っていた。

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凍えた体で服を着るのは苦労した。
早く服を着たい焦りとかじかんだ手。
こんな時に限って靴下に五本指ソックスを履いてきてしまい、
履こうにもなかなか履けなかった。


帰り際、レオがポケットに石を入れていた。

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北極海の木片と石


私も北極海の石と流木の破片をポケットに詰め込んだ。


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プルドーベイツアーから戻るとその足で空港に向かった。
その日の夕方の便でフェアバンクスに戻る手筈になっていた。
アリーとレオに手短に別れの挨拶をした。


空港でギリギリの時間にチェックイン。
自転車その他は事前に梱包を済ませ、アラスカエアに預けてあった。
この前日、イギリスの飛行機テロ未遂があり、いつもよりチェックが厳しいようだった。



空港ロビーでしばし待つ。
時間が経つにつれ、人が増え、この町にこんなに人が居たのかと今更ながらに思われた。

定刻になっても、案内がかからない。

何事かアナウンスしたが、英語がよく聞こえなかった。
まさかキャンセルか?

そばにいた昔ERに出ていたアンソニー・エドワーズ似の男性に訊いた。
「すまん、私は英語がよくわからないんだ。フェアバンクス行きはキャンセルか?」

彼はゆっくりとした英語で説明してくれた。

「天候不順で今、着地のリトライをしているんだ。でも、難しそうだ」

ここでフェアバンクスに戻れないとなると、デッドホースでもう一泊?

冗談じゃない。

飢えたグリズリーが歩き回る街でまさかキャンプも出来ないし、宿泊施設はどこも高い。
それにパイプラインの故障で多くの労働者がこの街に集まっていて宿はどこも埋まっているとレオが言っていた。

不安なまま待っているとアナウンスが入り、人々がカウンターに並びだした。
先ほどの男性の方を見ると、小さく頷いた。

「そんな、キャンセルなんて、、」私はどうしていいか分からなくなった。

それでもどうにかするしかない。
ともかく行列に並び、明日の振り替え便の予約をした。


行くあてもなく、空港向かいの「Prudhoe Bay Hotel」に行く。
やはり泊まれる部屋はない。
フロントの女性が何かまくしたててきたが、うまく聞き取れなかった。

困っていると先ほど空港で会った男性が助けてくれた。
「彼は英語がうまく話せないんだ。…… そうか、わかった。ありがとう。」

彼はまた、優しく説明してくれた。

「North slope Boroughは空きがあるみたいだ。友達が車を貸してくれるっていうから送ってあげるよ。少し待ってって。」

私はは彼に知っている限りの言葉を使って感謝した。

彼の友人を待つ間、私は保険会社に電話した。
宿泊費が保険でカバー出来るようで少し安堵した。


しばらくして彼の友人がやってくる。


「お待たせ。さあ行こう。」彼が車を走らせた。

彼は名をテリーと言い、三週間のプルドーベイ勤務が終ってオレゴンに戻るところだったそうだ。

「早く帰りたいよ」そういって淋しそうに笑った。

聞けば、テリーも地元でMTBをやっているそうだ。
私は思わず、「今年のツールドフランスは誰が勝った?」と尋ねた。

フロイド・ランディスだ。でも彼は薬物検査で両方のサンプルがポジティブだったらしいよ。」とテリーは言った。

意外なところで意外な話をきくことが出来た。


車はデッドホース郊外「North slope Borough」に着いた。

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テリーはチェックインまでしてくれ、笑顔で去っていった。


有難う。


旅先では多くの人がこうやって私を助けてくれた。
どうして、と思う。

でもきっと、こうして手を差し伸べてくれる人に
助ける理由なんてささいな事でしかないのではないだろうか。
こんな人になりたい。



*********************

帰国後、しばらくしてデナリの近くで会った日本人女性と話す機会があった。
彼女もまた極北の街、バローに行ったらしい。

彼女と話しているうちに、極北の街の話題から離れられなくなった。
いつしかつかみどころのない北極海の街の雰囲気をなんとか表現しようと夢中になっていた。

我々が行った街は違うところだけど、
どちらも北極海に面したところだ。
話しているうちに、共通の何かがあることが分かった。


白の世界。
沈黙の街。
音と言えば、未舗装路を駆け抜けていくトレーラーの騒音。
それから北の果てから逃げるように飛んでいく飛行機。


普通の街と言えばそうかもしれない。

だが、白としか表現できない色。
沈黙と無機質でしかない音。


私はデッドホースを思い出すときなぜか、
カリブーインから小さな空港までのストリートにあった温度計の電光板を見上げる自分を思い出す。



「私、あそこから逃げ出したかった。さみしい景色で、でもそこに暮らしてる人がいて。なんだか不思議だった。」


そして彼女はこうも言った。
「もう一度行きたいかって聞かれたら行きたいって言うと思う。」


その気持ちがよくわかる。
世界の果てまで行こうと決めて、たどり着いた場所は
どこか淋しい景色で、これ以上ここにいてはいけない、
そう思わせる場所だった。

世界の果ての景色が私にとっての何なのか、
よくわからない。

だが、もう一度、そこに行って、ほんとうにそんな淋しい世界だったのか、
確かめたいと思う。


ここが世界の果てならば 2006年8月10日

ダルトンハィウェイ、マイルポスト332
北極海のデッドホースまであと、82マイル。


「今日が最後だ。」


いつものようにパンを焼き、珈琲を淹れる。
地図を眺め、どこで休憩をとるか、大まかな予定を立てる。
もっとも、予定通りにいった試しなどなかったが。

淀みのない動作でキャンプの撤収をし、自転車に荷物を積んだ。

ツンドラの中で過ごしたこの時間を私はきっと忘れないだろう。
この風景は私の一部になった。



今日行けばこの旅は終る。



この言葉を趨反するうちに静かな闘志が沸いてきた。


いつもよりペダルを踏む足に力が入る。
通り過ぎるマイルポストが1マイルずつ確実に進んでいることを教えてくれた。


今日で終わるという興奮を抑えきれないまま走り続けた。

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20マイルほど走ると丘の上に場所の割に立派なアウトハウスがあった。
ここの名前がなんともいい。
その名も「Last Chance」。確かにこの先、アウトハウスはデッドホースまでない。

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"Last Chance"web上から転載



Last Chanceのある丘からはダルトンハイウェイを一望することができた。
これまであったハイウェイ上に設けられたアウトハウスよりも周囲が開けており、
これならキャンプするのにももってこいだ。

実際「Last Chance」には多くのハンターがキャンプしていた。

あるハンターたちはまさにカリブーを解体しているところで
私はしばらくその風景を眺めていた。
のこぎりで乱暴に解体すると頭を谷の向こうに投げ捨てるのを見てなんだか残念な感じがした。きっと彼らは外から来たハンターなんだろう。

 彼らの一人と話をする。
カリブーのソテー食ったことあるか?ポークチョップみたいだぜ。食うか?」

食べてみたかったが、残念ながら私は「Last Chance」に着いてすぐ食事を作って食べてしまっていた。

「食べたことないんだけど、さっき食事して食べれないんだ。ありがとう。」
この時断ったことを今でも後悔している。

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別のハンターと話をする。
ジャン・レノのような風貌のちょっと厳つい男だ。
私の旅についていろいろ聞かれた。

「アンカレッジから17日だ」と言ったつもりだったが
seventeen」が「seventy」と聞こえたらしい。

するとジャン・レノ風の男は「お前今、70日って言っただろ?17日かよ」  と怒った様子だった。そんなことで怒るなよ。こっちは英語がロクにできなくて困っているんだから。


もうひと組、別のハンターたちがいたので声をかけようとすると 黒いレトリバーが威嚇してきた。

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何か小動物を解体していた男性が「ヘイ、彼は友達だ。」とレトリバーをなだめてくれた。
彼らはボウガンでライチョウをハンティングしているらしい。

ナイフ一本で上手にライチョウの皮と身を切り分けていた。
ハンターもいろいろな人がいるようだ。


ハンターたちに別れを告げ、再びハイウェイに戻る。



ツンドラの中にしばしばテントを見かけた。

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いいな、こういうの。
こういうところでキャンプしたりハンティングしたりして過ごすのは最高だろう。
 

 



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目に映る景色の全てが眩しかった。そして、やさしく強かった。


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空をゆく雲はツンドラの小さな池に映りこみ、空がふたつになったようだった。

 


茂みの間にいくつもの小さな花と真っ赤な実を見つけた。
そこかしこに命は生きていることを主張していた。

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これがほんとうに極北なのか。寒々しい先入観が冗談のように思えた。
アラスカの夏はもっと様々な表情をもっているんだろう。
視界の端に消えてゆく景色と先に広がる景色に想いを馳せた。


三度の休憩を挟み、残すところ20マイル。


ここまで来て止まる筈がなかった。
1マイル進むたび、残りのマイルを叫び、走った。

向こうに工場のような建物群が見えた。
デッドホースの街だ。


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道の終わりだ。



たどり着いた。ダルトンハイウェイ415マイル。走りきった。

私の「旅」という言葉に魅了され、それ故に苦しんだこともあった旅は終った。



デッドホースに入ると一番有名な宿、「カリブーイン」へ向かった。
ここで最果ての土産を買い、食事をすることにした。

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カリブーインで購入した土産。上のふざけたマグネットは今も冷蔵庫に貼ってある


宿の中でボーとしていると、
興奮した子連れの日本人夫婦が、

「日本人ですよね!自転車で走ってるの見ました!ここまで車でも大変なのに!」
と話しかけてきたが、疲れていたので軽くあしらってしまった。
今思えば、家族でわざわざデッドホースへ来るこの一家もなかなかやると思う。
もっと話せばよかった。悪いことをしたものである。
 
ただ、この時の私が話したかったのは実感をもって共感してくれる人だった。


ダルトンハイウェイを自転車で走ることは決して楽ではないけど、
やってみれば誰でもできることだと思う。
ただ、みんなあまりやろうとしないだけだ。


レストランが食事の値段が思いのほか高く、食事をとるかどうか躊躇したが、
空腹には勝てず、ビュッフェ形式の食事を食べることにした。

トレイに大盛りの食事とデザートの温かいベリーのパイを乗せると
キッチンの男性が笑顔でスプレー缶に入ったホイップクリームをパイに盛ってくれた。
好意は何でもうれしい。

レストランは仕事で来ている人だろうか。作業着の男性でごった返していた。
席を探してきょろきょろしていると奥から「Hi!」と声がした。

声をかけてくれたのは、最後の補給地点、コールドフットであった年配のサイクリスト二人組みのアリーとレオだった。
レーサージャージを着ているところを見ると、彼らも着いたばかりのようだった。

「あれからどうだった?そうか、ワイズマンで一泊か、あの日は雨だったもんな。それは正解だったかもしれん。あの日は辛かったよ。それから3日か。さすが若いだけあって速いな。」

レオが矢継ぎ早に話しかけてきた。

食事をするのを忘れてお互いのこれまでを話した。
共通の話題は私の拙い英語でも十分盛り上がった。


食事をしていると、もう一人、知っている人がやってきた。
『Milepost』のライター、シャロン・ナルトだ。

「Hi,Sharon!」私は彼女をテーブルに呼んだ。

「あら!無事に着いたのね。おめでとう。アティガンパスから3日って言ったのは正しかったでしょ?」と彼女はウィンクしてみせた。

私はその行程を5日と読んでいたが、コールドフットでシャロンにそう言われていたのだ。
実際その行程は三日で走破した。
さすが、長年ガイドブックを書いているだけの事はある。

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帰国後、レオが送ってくれた写真。カリブーインの前で。左がアリー、右がレオ。


シャロンと老練のサイクリスト二人を交えて食事をする。

アリーたちとシャロンはお互い気が付かなかったようだが、ガルバライスというところのキャンプ場でシャロンと彼らは同じ日に宿泊したようだ。

シャロンによるとその日は雪が降ったらしい。
ちょうど私がアティガンパスを越えた日だ。
確かにあの日はひどく寒かった。



食事を終えると私はデッドホースのジェネラルストアに向かうことにした。
ここに「End of the Dalton Highway」の看板がある。
どうしてもここの前で写真を撮りたかった。


カリブーイン」の前でシャロン
「もう少し写真撮らせてもらえる?自転車も一緒に」と言ってカメラを構えた。

このときの写真を後にシャロンは2007年版の『Milepost』に載せてくれた。

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シャロンが掲載してくれた『Milepost』の写真。小さな写真だったが感激した。



ジェネラルストアに移動する。町の反対側で思いのほか遠い。

記念撮影をしていると、車で乗り付けた男性が
「お前、自転車で来たのか?ワオ!アンカレッジから!すげぇな、この水全部やるよ」

と勝手に興奮しながら、ペットボトルの水を6,7本くれた。

 

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なんなんだ。ありゃ。

ジェネラルストアで切手を買い、その後「カリブーイン」で手紙を書いた。
もっともこのとき書いた手紙が届くのは私が帰国してからだが。


その日は野宿するつもりだったが、デッドホースの町をうろうろしていると
空港の近くでグリズリーが鉄のゴミのコンテナを「ゴンッ。ゴンッ」と殴っていた。

散歩していたレオとほかの旅行客が数100メーター向こうから遠巻きに見ていた。
「あれはメスのヤンググリズリーさ」と地元民だろうか、誰かがそんなことを言った。

周囲に人がいるから落ち着いていられるが、あんなのにハイウェイ上で遭遇したら終わりだったなと、会わずに済んだ幸運に感謝した。

これではとてもじゃないが野宿はできないなと悩んでいると
「シマ、俺達の部屋に泊まればいいさ。」とレオが言ってくれた。

私は彼の言葉に甘え、カリブーインで休んだ。
久々の温かいシャワーにありつけた。

私がメガネをしたまま寝袋に潜り込むと、それを見たアリーは
「シマ、そりゃ何だ?日本人はメガネはずさないで寝るのか」とおかしそうに聞いてきた。

「いや、私も普段はもちろん寝る前にははずすよ。アラスカに来てテント張って寝るようになってから、メガネを外して寝て、もしグリズリーに襲われたらと思うと怖くてね」と答えておいた。


メガネはかけたままだったが、野生動物に襲われない安心感で思いのほかよく眠れた。




*****************


デッドホースに着いたとき、フェアバンクスのインフォメーションセンターで言われた
北極海まで行けば人生観が変わる」という言葉の意味がいまいち分からなかった。



言葉の意味はあとからやってきた。
自分の行為が何であったのか。


ツンドラの只中で私は少年時代の自分の夢に自らの足で到達した。

自分の身の程を知った。
いつもどこか高い理想を目指し、勝手なイメージだけが先行して
壮大でぎこちなかった「旅」は等身大の私のものになった。

誰かのように旅をするのではなく、自分のする旅がようやく見えた。


弱くて情けない自分も少し誇れるようになった。

極北まで、道の終わりまで行ってよかった。
あの果てまで行かなければ、きっと分からなかった。


道の終わりは未来へ続く。

始まりの風景 2006年8月9日

朝、昨夜同様寒いであろうと思いながら意を決してテントの外へ出ると
昨日あれほど強かった風は止み、野営地を暖かい朝日が包んだ。

厳しかった寒さがうそのようだ。

寒いには寒いのだが、そこに厳しさはない。

やさしい極北の朝。

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コーヒーを淹れ、『Milepost』の切れ端を眺める。
今日はどこまで行けるだろうか。

コールドフットでシャロンが「アティガンパスから北のツンドラ地帯は平坦で舗装してある区間もあるから自転車でも2日で行くんじゃないかしら」と言っていたのを思い出す。
おおよそ残り160マイル。

まあいい。行こう。

私は朝食を終えるとキャンプを撤収した。

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自転車に荷物を積み、朝日を浴びる自分の自転車がいつになく格好よく見えた 。


出発。


ハイウェイは下り基調で時折アップダウン。
アティガンリバーを超える橋のところで川に顔を突っ込み顔を洗う。
雪解け水が流れてくるのだろう。冷たくて驚いたが、気持ちよかった。
水をボトルに詰めておく。


しばらく走るとハイウェイの脇に車が停まっていた。

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気になって近寄ってみると車のところで男性がスコープで何か探しているようだ。

「何してるんだ?」私が聞くと
「今、ドールシープを見ているんだ。明日から猟が解禁でこれから山に入って彼らを追いかけるのさ。」男性はそういうとスコープをのぞかせてくれた。

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「ん?どれだ?」何も見えない。
「ほら山の中腹に白い点があるだろ?あれがドールシープだ。」と教えてくれる。

もう一度スコープ覗くと、確かに見えた。
ただし、文字通り点にしか見えなかった。

あんな遠くのドールシープを解禁日前日から追うとはハンターも大変だ。


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パイプラインのPump Station 4.

ハンターと別れ、ハイウェイを進む。
風がツンドラの上を走っていく。

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ダルトンハイウェイと並走するパイプラインはやがて地中に潜る

しばしばハイウェイ上で見かけたメタリックグリーンの色の小型バスが追い抜いていく。
いつもはバスはそのまま行ってしまうのだが、今日は路肩に停車した。

バスからアジア人だろうか、乗客が降りてきてこちらにやってくる。

「自転車で走ってるの?」
「ひとりか?」
「日本人?」

すぐに10数人のアジア人に囲まれ、質問攻めにあう。

私がキョトンとしているとドライバーの白人女性が降りてきた。

「ハイ!あなたよくハイウェイで見かけてたんだけど、お客さんが停めてくれっていうもんだから。台湾のお客さんよ」

私がアジア人と気がついて、わざわざ停まってくれたらしい。
トライアスロンをやっているという教師の男性が興奮気味に
「きみはほんとにすごいよ!」と私の両手をつかんでブンブン振っていた。

みんなで記念撮影をするとバスは去って行った。
乗客たちは遠ざかるバスから手を振ってくれた。

少し面食らったが、喜んでもらえたみたいでなんだか嬉しかった。


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日差しが強くなる。
ハイウェイ脇のパイプラインに目をやるとカリブーがパイプラインの日陰で休んでいた。

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今日はカリブーをよく見る。気がついただけでも10頭以上はいたから実際はもっと多くのカリブーとすれ違っているのかもしれない。


穏やかな日だ。



**********************************



ダルトンハイウェイの終着点まで残り80マイル。
今日はハイウェイの傍にテントを張った。


ツンドラの広漠たる世界の只中に私はいた。

 

周囲に文明と言えるのは黒い土をむき出しにした背後のハイウェイだけだ。


雲ひとつない空。
極北の短い夏を生きるツンドラの植物の柔らかい若緑が目に眩しい。
見わたす限り、大地を覆い尽くすツンドラとその境からどこまでも続く青い空だけだった。

広がる壮大な風景に目を細め、
自分のテントに目を向けたとき不思議な感情に襲われた。


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胸がじんわりと熱くなった。

ずっと忘れていた感情がふと甦ったのだ。
昔、私がまだ小学生か中学生だったときに一枚の写真を見たときのことを思い出したのだ。

緑の大地が広がる世界にテントが一つと旅人が一人、そんな写真だった。


「いつの日かこんなところに行って、テントを張ってキャンプがしてみたい」


単純な想いだった。
それから時は流れて、アラスカ北極圏で、今まさに自分がそれと同じ世界にいることに気がついた。


旅をしたい、遠くに行きたい。


私を真の意味でここまで駆り立ててきたものは野田知佑でも星野道夫でもなかった。
私の心の奥底にひそかに生きづいていた自然の中を旅をし、そこに身を委ねたいという、
その想いだったのだ。


今までずっと自分の中にあったのにどうして忘れていたんだろう。


高校生のころから、自分なりのやり方で旅をするようになり、
変化する周囲の環境や社会の中で自分の想いは、少しづつそうしたしたものと摩擦を起こし、知らない間に形を変えていった。

そして私を旅に駆り立てた最初の気持ちは気がついてみると「旅」という言葉以上に説明がつかないものになってしまっていた。

私に旅というものに誘った根源的な想いが自分の中に戻ってきたのを理解したとき、熱いものがこみあげてきた。


あぁ、私の中にはこんな無垢な想いが生きていたんだ。


様々な人が語る旅という言葉やこれまでの自分の生活によって磨耗してしまった想いはまだ確かに生きていたのだ。


この景色に来たかったんだ。

 

パチャパチャと水音を立ててツンドラの草原の中を二頭のカリブーが駆けていった。


己の身の程 Atigun Pass 2006年8月8日

ワイズマンの宿で朝食を食べながら、宿泊者ノートを眺めていると日本のTVクルーの書き込みがあった。
 
迎えた晴れた朝への喜びとこれから出会うだろう素晴らしい景色に期待を膨らませる内容だった。
 

今朝の天気は晴れ。私もまさに同じ気持ちだ。
今日はどこまで行けるだろうか。
 

今日の難所、ブルックス山脈を越えるアティガンパスを越えなくてはならないかもという不安よりも、昨日の雨がやんで、晴れの中を旅ができる期待のほうが強かった。



ワイズマンから再びダルトンハイウェイに戻る。
昨日の雨で道はやや泥になっていたが、ダルトンハイウェイ前半の荒れ具合に比べたらたいしたことはない。 
 

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しばらく走っていると前方に大きな犬のような動物が見えた。

「コヨーテ?」
 

特に警戒する感じでもなく、その動物は近づいてきた。
動きはまさに人なつっこい野良犬のそれだったが、大きさが普通の犬より明らかに大きい。
のちに聞いた話でその動物はオオカミだったようだ。
オオカミはすぐに私に興味をなくしたらしくハイウェイの向こうの茂みに消えていった。
 
 
オオカミからの遭遇からほどなくして今度は人が走ってきた。
「Hi!」
 
お互い、面白いものを見つけたとばかりにしばらく話す。
彼は有名製薬会社を最近退職、思い立って旅に出たそうだ。
日本にも頻繁に来ていたらしく、私が愛知出身だと言うと、
「名古屋のヒルトンにはよくいったよ」と言っていた。
 
まだ、彼はデッドホースをスタートしてしばらくしかたっていないが、
これからフロリダまで!!歩くという。


いやはや。


さすがアラスカ。とんでもない人がいるもんだ。
「きみは私が初めて会うDalton Hwy Walkerだよ」と私が言うと
「Dalton Hwy Walkerか、そりゃいいな」と笑っていた。
 

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Dalton Hwy Walkerと別れ、再び北へひた走る。


昨日とは打って変わっての快晴。
道は相変わらずきついが、雄大すぎる景色が周囲に広がる。
 
ハイウェイの周囲を囲むように雄々しい山々がそびえていた。
 
なんというスケールだろう。
自分が小さいというより、山々が大きすぎるのだと思った。
 
 
 
 
 



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ダルトンハイウェイに突如あらわれたパブリックトイレで休憩。

駐車場で紅茶を淹れ、先日、コールドフットのジェネラルストアでもらったジャムを溶かして
飲んでいると、一台の車から降りてきた女性が話しかけてきた。

「あなた自転車で走っているの?勇気があるのね!」


私は「勇気?わかんないよ。ただ走ってるだけさ」そう答えた。

アティガンパスはまだ先、そしてこのパブリックトイレからいったん登りがきつくなるはずだった。


パブリックトイレの後の峠はけっこうな登りだった。
気持ちを奮い立たせてなんとか登った。

振り返ると眼下に谷を抜けるクリークが見えた。

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宮崎アニメのような壮大な景色だった。
あれは決して虚構の世界ではないな、と思った。


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もっとも北に生えるスプルース(トウヒ)。もう立ち枯れしていた。



その後、今日のキャンプを予定していた地点に着いたのは午後四時だった。

そこは最後のスプルース(トウヒ)のある森林限界から程近いところで、

 

北極圏を南北に分断するブルックス山脈から流れるいくつものクリークがあった。

クリークの水はオパールを溶かしたような淡い緑色で、
手を入れると驚くほど冷たかった。

このあたりにきて、より野生動物の気配が強くなってきた。
リスが頻繁に普通に目の前を横切っていく。


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キャンプ予定地まで来たがまだ十分走れる。
私はもっと進むことにした。


道の周りに木がなくなっていく。
この先はツンドラ地帯だ。


さらに行くと看板が見えた。「Atigun Pass」とある。


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ついにここまできた。
進むべきか、止まるべきか。



このブルックス山脈を越えるアティガンパスは
ダルトンハイウエイ最大の難所である。

アラスカのガイドブック『Milepost』によれば
ダルトンハイウェイ242マイル付近から「長く、急な(12%)登り坂がアティガンパスまで続く」とある。
そして言うまでもなく、道はダート。





今日のところはここで止めて、明日万全の体制でアティガンパスに望むべきか。

この日、三本目になるチョコレートバーをかじりながらしばし考えた。

体力はすでに一日分使っている。明日になれば万全で臨めるだろう。

しかし、問題は天候だ。
今は晴れているが、明日は分からない。
行けるうちに行けるところまで行こう。


私は腹を決めた。  行こう。


ずっと取っておいたエナジージェルをさらに飲み、気合を入れる。


今まで踏まずに来た一番小さいインナーローでひたすらのぼり始めた。
ときおり通り過ぎるトレーラーが砂埃を巻き上げ、視界を奪う。


ここまですでに一日分は走っていた。
限界ギリギリの体力でひたすらペダルを踏んだ。



いろんな想いが頭をよぎった。
どうしてこんな過酷な世界に来たんだろう。
過酷?いや、そんなはずはない。たかが標高1500メーターだ。
過酷に思うのは自分がそれだけ弱いんだ。

弱く情けない自分。
いつもいつもそれに目を背けてきた。

どうすれば強くなれるんだ。
少しでも気を緩めれば、足を止めてしまいそうだった。

足はつかない。立たない。アティガンパスの頂上まで。

何度も止まりそうだった。
それでも、その度に自分を奮い立たせた。

ここで止めたら、私はいつまでたっても困難から逃げる人間になってしまう。


どれほど上っただろう。峠が見えた。

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周囲の山々は夏の最中にあっても雪を抱いていた。

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口から荒く漏れる息はすぐに白くなった。
夏の北極圏の峠は十分に寒かった。

上りきった興奮でもう何がなんだか分からなかった。
とにかく、難所は乗り切った。

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だが、難関はこれだけではなかった。
峠の向こうはさらに寒く、アティガンパスの下りでは一気に体温が奪われ、
あわてて三重にしたグローブの中の手の感覚がすぐに無くなっていった。
 

下りが終ったところでテントを張ることにした。
ハイウェイからそう遠くないところを野営地に選んだ。
強風の中、テントを設営する。

ウインドスクリーンを立ててバーナーストーブで夕食にパスタを茹でようととするが
風が強すぎでなかなかお湯が沸かない。


それでもなんとかパスタを茹でて、一気にかき込んだ。


食事を終えたころ、一台のトラックが通り過ぎて
こちらに気がついたのかクラクションを鳴らしてくれた。

私は軽く手を上げてこたえた。

トラックの運転手には私はどんなふうに見えただろうか。


テントに入る。


寒い。そしてとにかく体が辛い。

私にとっては極限の状況だった。

寒くて日本から持ち込んだ日本の冬用装備を全て着込んだ。
上から下までフリース。
マイナス15℃まで対応する寝袋にシルクのシンナーシーツを使ってやっと暖を得た。

これ以上厳しい状況ではやっていけない、そう思った。


だが、北極海まであと三日のところまで来ていた。
こんな辛いことはもう続けられない。

逃げたい。逃げたいけど逃げない。負けない。

この旅を成し遂げるとこが出来なければ前に進むことは出来ない、そう思った。
一生懸命ひたすら前に進むことだけを考えて前へ。
この旅の意味が少し見えてきたから。
ようやく理解できそうだから。

 
 

 

 

白夜の名残の残る北極圏の夜の太陽に照らされたテントの中で私は眠りに落ちた。




雨のWiseman 2006年8月7日

「こんにちは、予約の人ね。オフィスはこっちよ。」

カリブーの角がたくさん架かったゲートを抜けると
建て増しをしているログハウスから女性が声をかけてきた。

「雨が降る前に着いて良かったわね。」

女性の後をついてログハウスに入る。中は家族だろうか、中年の男性と中学生ぐらいの子がソファに座ってテレビを見ていた。

オフィスの前にここはホストの家、というわけか。
宿泊者のフォームを記入していると黒のラブラドールが隣の部屋から軽い足取りでやってきた。

久しぶりにゆっくり休めそうだ。

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Boreal Lodgeのポストカード



*******


朝、出発するシャロンを見送りながら、キャンプを撤収。
今日は殆ど走らないのでゆっくりしたものだ。
遅めの朝食を摂りにレストラン兼ジェネラルストアに行く。

今日泊まるワイズマンの宿へ予約の電話。
さっぱり使えなかった『地球の歩き方』だったが、ここにきて役に立った。

「日本のガイドブック持っているが、ディスカウントできるか?」と訊くと
「大丈夫よ、10%ディスカウントしておくわ。」と電話口の女性が答えてくれた。


食事に行くときのうとは別の女性がカウンターにいた。

コールドフットの女性はかわいいな。

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遅いとはいえ、バターがたっぷり塗られた薄切りのトーストと
ハッシュポテト、カリカリベーコンはボリューム満点だ。
自転車旅のさなかでなければとても食べ切れないだろう。

そんな朝食を楽しんでいると数人のサイクリストが見えた。


ささっと食事を済ませ、彼らと話す。



自炊用のバーナーストーブのガスの残量が少なくなってきていたので
どうしているか聞いてみると、
彼らは水を入れるとパッケージごと温まる携帯食を使ったりしているようだ。

昨日も話したサイクリストがガスカードリッジを投げて寄越した。

「使いかけだけど、使ってくれよ」

「いいのか?」

「一人ここで帰ることになったんだ。使ってくれ。」

いいやつだ。本当に私は周りに迷惑かけてばかりだ。
彼は黒いウェアに身を包み、腕にはipod、バイクはスペシャライズドのM5だった。
おしゃれなサイクリストだ。

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左はオランダ人アリー。真ん中の男がガスをくれた男だ。右の男は名も知らない。だが、いいヤツだった。

 

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アリーが後に送ってくれた写真  


彼は連れ二人と三人でデッドホースへ行くそうだ。
彼らのスケジュールを聞くと私と考えていることはだいたい同じで
ブルックス山脈を越えるのに2日、峠からは3日を見ているようだ。
年配の男性も一緒ですごいなと思った。


コールドフットを後にする。
舗装路は終わっていたが、それでも土がしまった道で舗装路とあまり遜色なかった。

ゆるいペースで走る。

アークティックサークルの日のような空で
雨が降るな、と思っていると昼を回ったころ、雨が降り出した。


雨がひどくなる前、ワイズマンに到着。

今日の宿、Boreal Lodgeは少し迷ったが見つかった。
荷物を出そうとまごまごしていると、電話で話した女性だろう、出てきてくれた。 

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コールドフット北、34マイルに位置する
かつて炭鉱で栄えた人口わずか20人ほどの村、「ワイズマン」。
『アラスカ物語』のフランク安田が一時期暮らした村だ。

前日のコールドフットからわずかしか離れていないが、
このアラスカの歴史的な村でゆっくりしたいと前々から思っていた。

この機会を逃せば、次はあるかどうかも分からなかったからだ。



オフィス兼住宅のログハウスから100メートルほど奥に砂利の私道を進むと客用の建物が見えた。
五つほどの部屋の並んだログハウスだった。

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部屋はシングルを頼んだがツインをあてがわれた。
見た目ログハウスだったので、部屋の中は殺風景なものかと思ったが
並みのホテルより清潔で私は少し驚いた。

これなら来るのが面倒でなければ何度でも来たいな。


荷物を部屋に運び終る頃、雨が降ってきた。


「寒いな」


部屋の外に置かれた温度計に目をやると
華氏55度(摂氏12度)。

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北極圏に入ってから北に進むにつれ、日に日に寒くなっていた。
着るものは自然と厚くなっていったが、こうして数字として知ると余計に寒く感じた。

村を歩こうと思ったが、少し雨が弱くなるのを待つことにした。

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イクメンテナンス。すぐにチェーンが黒くなる。



久しぶりのシャワーを浴び、ランドリーを片づける。
ホストファミリーの家に行って、息子に両替してもらい、ランドリーのスイッチを入れてもらった。

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ホストの家。今は使われていないのだろう。思わずシャッターを切った。




昼食。シャロンにもらったサーモンをほぐしてフレークにし、どんぶりにした。

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昼食後、キッチンでココアを見つけたので、ココアに少しウィスキーを加えて飲み始めた。
体を沈めたソファーが心地よい。

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もう何度読んだか分からない歴史小説を読む。

屋根のあるところ、暖房のある部屋の贅沢。
普段の生活の有り難味をふと思った。

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雨が小降りになったのでレインジャケットを着て
ワイズマンの村を歩き始めた。


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衛星放送のアンテナ。これも一つのアラスカ。




人口25人と聞いていたが、村はそのわりに広かった。
針葉樹の間を小道が延びており、隠れるように家があった。

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それらの家は真新しいログハウスであったり、
何かの寄せ集めの危うく廃屋に見えるような家もあった。

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かつてのポストオフィス。
営業時間のかかれた看板がそのままになったままポストオフィスは閉まっていた。

村のジェネラルストアを見つけ、入る。

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ここは村が活気づいていた頃、ここには多くのひとが訪れたのだろう。
今は古びた様々な日用品が並んでいて、小さな博物館のようだった。

そうしたかつての名残の中に、いくつか土産物と食料が置いてあり、無人販売になっていた。


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昔の古びた日用品の中に真新らしいコーラなどが置いてあるのはなんだか不思議だった。

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宿に戻る途中、多くの花壇を見つけた。
北極圏に住む人々が短い夏の間に花を育てると思うとなんだかやさしい気持ちになった。

 

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いつもは雨を恨めしく思うが、
雨の中、こうして静かにアラスカのにおいのする村を歩くのは悪くなかった。




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Jap Creek。フランク安田も妻とこの川を見たのだろうか。  



 

 

 

 

 

 

 
 

昼食後飲んだ、ウィスキー入りのココアのせいか少し頭がぼーっとする。
レインウェアを打つ冷たい雨が心地よかった。

人気のない村を歩いて宿へ帰った。





 

 

 





Coldfoot 2006年8月6日

朝、シャロンの車で目が覚めた。

運転席でも十分広かった。少し背中が痛いがよく眠れた。

外でビクビクしながらテントを張らずに済んでよかった。


外はとてもいい天気だ。


シャロンが出てきたのでお礼を言う。

今日はシャロンは友人とここで会う約束をしているらしく、すぐには出ないそうだ。
私が自転車のメンテナンスをしていると珍しそうに写真を撮っていた。


アークティックサークルの前で写真を撮っていると、
シャロンは私のフィルムカメラで一枚撮ってくれた。

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「フィルムのカメラなら任せておいて!」
シャロンは嬉しそうに笑った。
シャロンに再びお礼を言い、走り出した。


ダルトンハイウェイはアークティックサークルからしばらく舗装路になる。
正直、この区間はかなり助かった。
ただ道は相変わらずアップダウンというよりアップのほうが多い気がする。

きつい上りが4本。
今後はこれよりきついのがあるぐらいに思っていないといけないかもしれない。
ブルックス山脈を越えるAtigun Passはこんなものではないだろう。



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昨日はときおり雨に降られるような天気だったが、今日は打って変わって快晴。

本当に気持ちがいい。

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日射しは強いが吹き抜ける風は冷たい。

 
 

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なぜか橋の上に置いてあった未開封のビール。天の恵みだ。有難く頂いた。

 

 
 



もうここは北極圏の中なのだ。


上りも多こともあったが、
とにかく景色が良くて写真ばかり撮っていてペースが上がらない。

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ハイウェイ上にときおり落ちている棒。道幅を示すものらしい。抜けて放置されたものをもらってスタンド代わりにした。調子よし。

 

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ダルトンハイウェイの終り、デッドホースまで244マイル。


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随分来たんだな。


今日の目的地のコールドフットに到着した。

街の手前のビジターセンターはかなり立派な施設だった。

 

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中にノートが置いてあり、訪れた人たちがいろいろ書いていたが、意外と日本人の記載が多い。
ほとんど車で何人かで来ているようだった。

ビジターセンターから少し離れたところにコールドフットの街がある。

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ColdfootのPost office 午前中しか開いていないらしい。Web上から転載  


北極海のデッドホースまでの最後の補給基地だ。

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Coldfootのレストラン。必要なものはすべてここにある。Web上から転載


コールドフットは街とはいえ、郵便局にレストラン、ガソリンスタンドに宿泊施設があるだけだ。
『Milepost』によれば、キャンプ出来る場所があるようだが、分からない。

困っていると、感じのいい男性が「テントならあっちの方ならどこでもいい」と、草地の駐車場のようなところを指してを教えてくれた。
キャンプは無料だった。

水も使えて快適だ。


レストランに入ると、 レジの前でシャロンに再会。
しばらく話す。明日はワイズマンに行く予定なので
ワイズマンで食料が手に入るか尋ねると。店の女性に確認してくれた。
店の女性によれば、ワイズマンでは満足に食料は買えないのでは、ということだった。

そこで「ジェネラルストアはどこだ」ときくと「ここよ」と言うので
「?」という顔をしていたら
「必要なものを書いてくれたら用意するわ」と言った。

欲しいものをリストアップし、女性に渡す。

どうやら奥の倉庫から出してきてくれるようだ。
食パンは一斤凍ったものが出てきた。
インスタントのマッシュポテトやラーメンは無いという。

パスタは何がいい?と訊かれたので「ねじったやつ」と言うと希望の物が出てきた。
またフルーツの缶詰、昼食用のパイ、ツナ缶4つを手に入れた。

「ジャムはない?」と訊くと彼女は
「この中のものを必要なだけ持って行って」と、レストラン用だろう
一回分の小分けになったジャムの入った瓶を差しだした。

私は一つかみジャムを頂いた。


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Coldfootのレストラン兼ジェネラルストアの女性



レストランでビュッフェスタイルの食事。
冷えたビールがあった。2杯ほど飲む。

料理を取ってテーブルを探していると声をかけられた。
シャロンだ。


彼女のテーブルで一緒に食事する。

シャロンの亡くなった旦那さんは日本を訪れたことがあり、
シャロン自身も約40年ほど前の1963年に日本に行ったことがあるそうだ。

シャロンに「どうしてアラスカに来たの?思っていたアラスカと実際来たアラスカはどう?」と訊かれる。

私は野田知佑星野道夫の話をし、彼らが語るアラスカにあこがれたんだと伝えた。

しかし、私の拙い英語では十分伝わらなかったようで、
困っていると隣のテーブルの男が立ち上がって話しかけてきた。

聞けば、14年前に8ヶ月の間、ヒッチハイクで日本を旅したことがるらしい。

 

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北海道からスタートし、鹿児島まで行ったという。
シャロンの間に入って通訳してくれた。

彼が突然「オドリアホウニミルアホウ」と言って阿波踊りのまねをはじめたので笑ってしまった。
四国にも行ったらしい。

「四国いいところだよな。私も好きだよ」と私は答えた。
四国か。また行きたいな。


シャロンに明日はWisemanに行くと話してしているうちに
『アラスカ物語』のフランク安田の話になった。
Wisemanに彼が住んでいた近くの川が「Jap Creek」と呼ばれていると話すと
彼女はその話を知らないようで興味を持ったようだ。

それから思い出して、ア-クティックサークルからここまでで
『Milepost』の記載が間違っていたところがあったので、
そのことを伝えるとシャロンが意外なことを言った。

「そう、『Milepost』はまだ発展途上のものよ。だから間違いもいっぱいあると思う。
気がついたことは言ってね」

『Milepost』はかなり細かいガイドブックであり、完成度も高い。
ライターからそういう言葉が出るのは意外だった。


食後、レストランを出て外でぶらぶらしていると
トレイラーのドライバーの男性が話しかけてきた。

「君をハイウェイで見かけたよ。バイカーだろ?すごいな。」
そう言うと握手を求めてきた。

「何度か見たんだ。よくコールドフットまで来たな。」

トレイラーはしばしば走っているが、
ドライバーからどう見られているのかわからなかったので
そう言ってもらえるのはうれしかった。


テントに戻るとシャロンの車が隣にいた。
シャロンは車から降りてくるとたくさんの食料をくれた。
そういえば、食事の時にシャロンに「食料がちょっと心配だ」って言ったけな。

有難い。今回は出されたものはすべて頂いた。


明日はワイズマンへ行く。
コールドフットから20マイルもないのでゆっくりできるだろう。



コールドフットのキャンプ場はなんというか、ただ広くて、
ハイウェイを行きかう人々を眺めていると、ここはまさに旅の拠点なんだなと思った。

なんだかいい気分でテントに入った。


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Sharon Nalutの車






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Sharonがくれた食料






 











Arctic Circle 2006年8月5日

 

 

 

 

 

 

 


長い一日だった。




今日もまたゆっくり起きた。
昨日は真夜中に目が覚めて、少し眠れなかったからだ。



朝食に日本から持ち込んだひやむぎを食べる。随分塩辛い。


しまったことに昨日水場のところにオークリーのサングラス 置き忘れてしまったのを思い出した。
一応慌てて水場に戻ってみるが、やはりない。
まあ私でなくてもオークリーのサングラスが落ちていたら拾って持って行くだろう。




念のため、近くにいた男にサングラスを見なかったか聞く。

「いや、知らないな」
男は古いフォードにカナディアンカヌーを積み、立派な黒い犬を連れていた。
犬はなかなか愛想のいいやつだった。
テンガロンハットとサングラス(当然私のではない)が様になる男だ。


 

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A real Alaskan
 




彼はパンニングで生計を立てているらしい。

パンニングとは川の泥水を皿ですくって、泥を洗い流し、砂金を集めるというもの。
アラスカではこうした金の採取がまだ行われており、実際に金を換金できる場所がある。

水の中に小さな金の破片が封入された小指の先ほどの透明なカプセルをいくつも持っていた。

一つで10ドルだという。金は高いんだな。


彼こそ本物のアラスカンの一人だろう。


キャンプ場を後にする。

ダルトンハイウェイは相変わらずアップダウンだ。
もう諦めた。そういえば、ニュージーランドもわりとこんな感じだったな。
このあたりの『Milepost』の記載は他のページと比べものにならないくらい
赤の斜文体の文字が並ぶ。

たとえばこんな感じだ。

"Highway descends steep 0.5mile ascent of Sand Hill northbound"


そしてやたらとsteepという言葉が並ぶ。
実際走ってみるとそうでもないところもあるが
期待を裏切らない急坂が続く。

今日もまた上りの途中で大量の蚊に襲われる。
さすがにイライラが募る。

ユーコン川の上でもこんな感じなんだろうか。
帰国したら『ユーコン漂流』を読もう。


ダートが続くが道は再び工事区間に入り、工事車両が道に水を撒いていた。
道路を引き締めるためなのだろうか。
しかし、おかげで泥は飛ぶし、走りにくくてかなわなかった。


やがて激しいアップダウンのある"Roller Coaster"と呼ばれる場所へ。
上りもキツイが下りも怖い。怖くても下りはスピードはガンガン出るので一気に下った。

 

 

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雨が降り始めた。

未舗装の道は泥で滑りやすくなった。

当たり前だが、雨をしのげるような場所はなく、休憩を取るのもままならなかった。
時折立ち止まってはレインウェアのポケットからミューズリーバーを取り出して食べた。

もうすでに体力の限界に思えたが、ペダルを踏み続けた。
止まれるような状況ではなかった。

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野火事のあとだろう。Fireweedが一面を覆う



長い登りの後、道は舗装路になった。

 
ハイウェイはしばらく舗装路になる。右にはパイプラインが見える。



ここからコールドフットまでは舗装路になるらしい。
舗装路になって走りやすくはなったが、疲れのせいで登りが一向に進まない。


そんな中、突然、目の前に一台の車が止まった。
 人が降りてくる。日本人だ。

ヒゲの似合うその人は名前を河内牧栄さんといった。
 岐阜出身でフェアバンクスに住んでいるそうだ。

私はその時知らなかったが、
日本人のネーチャーガイド・写真家として有名な方で
最近まで中日新聞で毎週月曜日『アラスカに暮らす』の連載を書いていた。

牧栄さんは小さな男の子と奥さんを連れていた。

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牧栄さんは私を見て、珍しいものでも見つけたかのように
たくさん写真を取っていた。

しばらく話をする。
いろいろアドヴァイスをくれた。

私が今日目指しているArctic Circleのキャンプ場は例のオオカミ騒動の為、閉鎖されている。
だから手前のKanuti Riverで泊まるといい、日本人サイクリストはしばしば泊まっているよと教えてくれた。川の水も煮沸すれば問題ないそうだ。

一通り説明してくれると、最後に「大丈夫だ、ガハハ」と豪快に笑っていた。いい人だ。



河内一家に別れを告げ、さらに進む。

少し行くと、不思議な場所に着いた。
Finger rocks Mountainという場所らしい。

それまでハイウェイの周囲は森におおわれていたが、急に岩場が現れた。
そして果てしなく広く見えた。

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後に出会うカヌーでアラスカを旅していた渡邉さんが、
この場所を「別の惑星みたいだった」と言っていたが、
その表現が一番しっくりくると思う。
アラスカ、特にダルトンハイウェイには印象的な場所が多くあるが、ここもその一つだ。

遠くに何かが動いているのが見えた。


カリブーだ。


初めて見た。
木の生えない草が覆うその大地の真ん中で悠々と草を食んでいた。
それが日常なのだろう。

美しかった。

またひとつ、アラスカを見ることが出来た。


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ここには駐車スペースと立派なアウトハウスがあった。
昨日のHot Spotのキャンプ場のアウトハウスは落書きだらけだったが
ここのはとてもきれいだった。

駐車場の片隅で少し遅い昼食にする。
「Go North」の同室の男に貰ったシチューのようなものを作るが
水の量を間違えたのか、味が濃くうまくなかった。
それでも貴重な食料なのでかきこんだ。


Finger Rocks Mountainのあたりでは雨がやんでいたが再び雨が降り出す。
時折強くなる雨が、激しく顔を打つ。
目の前の登りの向こうが明るく見える。
「明るく陽が差すほうへ」 。私はがむしゃらにペダルを踏んだ。

牧栄さんが言っていたKanuti Riverに着いた。
なるほど、橋の横は広い空き地になっている。

川の水は飲むのが躊躇われるほど茶色だ。

体力的にはもうかなり辛いが、時間はまだ早い。
この感じならぺースが遅くてもAirctic Circleまで行けそうだ。


私がどうしようか考えているとバイクに乗った二人組がやってきて、すぐに出て行った。

「行くか。」

私はペットボトルに入れておいたメープルシロップをラッパ飲み、再び走り出した。
濃いメープルシロップがとても美味しく感じられたのはそれだけ疲れていたのだと思う。


再び走り出したものの、登りのペースはやはり上がらない。
やがてFish Creekという川に着く。
狭いが川のそばで何とかテントが張れそうだ。


近くで車を止めていたじいさんがいたので話してみると
車のタイヤがパンクしたらしい。

道のコンディションが良くないダルトンハイウェイではパンクはよくあることらしく、
レンタカー会社によってはダルトンハイウェイに行く場合、車を貸してくれないケースもあると言う。

雨のじいさんをほっておくのは気がひけたのでタイヤ交換を手伝った。
初めて車のタイヤ交換をしたが、難しくはなかった。いい勉強になった。
日本に戻ったら、自分の車もどうやるか確認しよう。
自分の車にレインポンチョを積んでおくようになったのはこれがきっかけだ。

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じいさんはポーランドから出稼ぎに来ているらしい。
後部座席にむき出しのライフルが無造作に置いてあり、流石だなと思った。


お礼に真っ赤なゲータレードを貰った。
コーラが終わったところだったのでうれしかった。
じいさん、有難う。



あとわずかでArctic CircleなのでFish Creekを離れ、急な坂を登る。


来た。


北緯66度33分 西経150度48分。
ダルトンハイウェイと白夜の世界が交わるArctic Circle。

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アークティックサークル。ここから北が北極圏。


ここから北は北極圏だ。 ついに北極圏まで来た。
一日長かったので感動もひとしおだ。
「Far north」そう口に出してみると、本当に北の果てへ向かっているという実感がわいた。


ここにはキャンプ場があったが、牧栄さんの言っていたとおり、やはり「Closed」だった。
例のオオカミのせいだ。

キャンプ場の張り紙によれば、ここでランニングしていたキャンプ客がオオカミに襲われ、
ヘリコプターで搬送されたらしい。

そのため、ソフトシェルのテントでのキャンプは禁止とのことだった。


一瞬迷ってFish Creekへ戻りかけたが、
オオカミがその気になれば、その程度の距離は問題ではないだろう。

お腹がすいてきたのでとりあえずArctic Circleへ戻り、食事を作って食べた。

どうしようか。
この際、扉のしっかりしたアウトハウスで一夜を過ごすか。
見たところ、蚊の量も大したことないので蚊取り線香を焚けば何とかなるだろう。

そんなことを考えていると、キャンプ場の敷地に一台のキャンピングカーがいたことを思い出す。
あのサイズなら運転席で寝れるんじゃないか?

キャンプルームに泊めてくれというのはおこがましいので
運転席ならあるいは、、


私は意を決してキャンピングカーのドアをたたいた。
ゴツイおっさんが出てきたらどうしようと思ったが、中から出てきたのは
感じのいい年配の女性だった。

事情を話し、運転席を一晩貸してくれ、
状況が状況じゃなければおかしなお願いを笑って快諾してくれた。

「散らかってるから、片づけるわね。ちょっと待っていて」
そう言って運転席を空けてくれた。


もう涙がでそうだった。


彼女は名をシャロンといい、なんと私が使っているガイドブック『Milepost』のライターだという。
2013年の今でも『Milepost』のfacebookページの写真にはときおり彼女のクレジットが入る。
それを見るたびにとてもうれしくなる。


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シャロン・ナルト。『Milepost』ライターでダルトンHwyやデナリHwyを担当


もし、テントを張っても何も起こらなかったかもしれない。
いや、最悪の事態が起こっていたかもしれない。

それは分からない。

そこで「最悪の事態」が起こっていたら、それは私には「自己責任」でしかない。

しかし、ここで私がそんなことになったら、
私より後から来る日本人はなんて言われるんだろう、と極めて日本人的なことを考えた。
とにかく無謀で無責任なことをしなくて済んだ。

ありがとうシャロン

 

 

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シャロンの車の運転席から。





ユーコン川を越えて 2006年8月4日

 

熊に襲われることなく無事に起きることができた。

命の心配をしていた割には間抜けな話だが、
テントが明るくなってようやく目が覚めた。

かなり眠れた。

頭が冴えてくるにつれ、今こうして生きていることに感謝をした。
何事もなく朝を迎えることが出来たのだ。

この当り前の「朝を迎える」ということへの感謝。
自然の中で生きるということは、毎日がこうした生への感謝なのであろう。



テント内で一通り片付けをする。
昨日やはり、かなり消耗したようだ。朝から空腹だ。
バナナにトーストスライスのパンを巻いて食べる。結構うまい。
二つ目もペロリと食べた。

飲み水が心配になってきたが、水はまだ2リットルほど残っており、
ペットボトルに移してみる結構大丈夫そうだった。

蚊の襲撃をかわしてキャンプを撤収。
いつになくクマの気配が強いので少しでも早くここから離れたかった。


 
道は今日も荒れている。そしてアップダウンだ。
ただ幾分か道が締まってきた気がする。

とはいえ、荒れたダートの登りでスピードが上がらない上、風もなく、大量の汗が噴き出してくる。
そんなところへ容赦なく蚊の集団が襲ってくる。

あんな不快な上りは後にも先にもない。

上り終わってそのまま下って、また上る。
振り返ればこんな感じだ。


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そんなことを繰り返し、いい加減うんざりだが、
『Milepost』によれば今日の難所はそろそろだ。

しかし、前方を見ると派手に道路工事をしている。

Stopの看板を持った女性がいて何か言っているがわからない。

聞き返す。
すると工事でこの先進めないので、一般の車は工事車両が先導して行くが
自転車は工事区間の終わりまで車で乗せていってくれるという。


ここで本物の冒険家は「いや、私はなんとしても自力で北の果てまで行くんだ!」
とか言うのだろうが、私はただの旅する自転車乗りで、いわゆるヘタレ野郎だ。


正直、「助かった。」と思った。


かなり待たされたが、ピックアップトラックがやってきて
私の自転車はそのままドンと積まれた。

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搬送される自転車。後ろに続くのは一般の車両。


この日の山場と思っていたところはあっさり終わった。

搬送される車の中からダルトンハイウェイを見る。
道は谷の底まで一気に下りて、再び登っていく。
ハイウェイというより採石場か何かに近い。

ドライバーの女性と話す。
彼女は日本語を習っているそうで「コンニチワー」とか言ってにこにこしていた。
ユーコン川まで出れば、Cafeがあるのでおいしいアメリカンフードにありつけると教えてくれた。

 

 

 



そう、次のポイントはユーコン川ダルトンハイウェイが交差する場所。


中学生ぐらいから読みだした野田知佑の世界と
今、自分が進んでいるハイウェイがまさに交差するのだ。


期待が高まる。


しかし、体は正直で下り基調のアップダウンが続いて
なんだかとても疲れてしまった。



やがてユーコン川が見えた。

 
 
 
 
 
 
 

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ユーコン川にかかる橋
 
 
 
 



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とてつもなく広い川にグレーの水がゆっくり流れていた。まさに大河と呼ぶにふさわしい。
野田知佑が河口に近づくにつれ、水は濁ってくると書いていたがその通りだった。

こんな川を何カ月もかけて下る野田知佑はやはりすごい人だ。
昨日のキャンプの苦労やら恐怖やらの後で、
そんなことをものともしない野田知佑を心からすごい人だと改めて思ったものだ


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ユーコン川へ来た感動を打ち消してしまうぐらい嫌なものを見た。
狼についての警告のビラだ。
7月7日にArctic Circleのキャンプ場で狼がキャンパー襲ったらしい。

おいおい。

熊の心配はしていたがまさか狼とは。
さすがアラスカと言ったとこだが、冗談ではない。
ベアバスターは熊にも効くのだろうか。
そもそもその狼たちは今どこにいるのだろうか。
ハイウェイ上にはいないのだろうか。

狼を見てみたい気はするが、襲われるのは御免だ。

昨日といい今日といい、自然のなかの動物の序列いうものを改めて考えさせられる。


ユーコン川を渡った対岸ににあるユーコンリバーキャンプというところでコーヒーを飲み休憩。
アジア系の顔立ちの店員の女性がとても綺麗だが、英語が早すぎて全く聞き取れない。

『Milepost』を眺めながら今日泊まる予定のキャンプサイトの情報を見る。
キャンプグランドの横にある「Hot Sot Cafe」のバーガーアラスカナンバーワンとある。
今日はそこで夕食だ。


ユーコン川を離れてしばらくすると、向こうからゆっくりやって来た車が止まった。

フェアバンクス「Go North」で一緒だったリチャードだった。


彼もアラスカにやってくる男だけあって筋金入りだ。
彼はときおり皿洗いなどのバイトをしながら車でカナダを横断し、アラスカまでやってきたそうだ。
そしてこれからパナマへ行くという。いやはや。

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オランダ人リチャード。カナダを車で横断し、アラスカからパナマまで行くという



リチャードはフェアバンクスで別れたあと、車で北極海まで行き、泳いでそうだ。
「水温4℃だったけどね。」と笑った。

それからメレウィンとジョッシュからだと言って、チョコレートを二つくれた。
それぞれから一個ずつ、ということだろう。
リチャードとしばらく話し、メールアドレスを交換した。
パナマに着いたら教えてもらいたいものだ。いい男に出会えた。うれしいものだ。




リチャードと別れてすぐ、Five Mile Campgrandに到着。
ここでこの旅初のサイクリストに出会う。

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彼はテイラー。サウスダコタ出身でプルドーベイから南下してきているという。
北の状況が気になるのでいろいろ質問をする。

私が「ユーコンからダルトンハイウェイの終わりまではアップダウンでうんざりするぞ」というと
テイラーは「プルドーベイからブルックス山脈まではフラットだ」と教えてくれた。


最近、水が不足するようになり水の心配し始めた後だったので、
水をどうしているか聞くと彼は浄水器を持っていた。
浄水器を買うべきだったかなと少し後悔した。
幸い、このキャンプ場はそのまま飲むことが出来る水があり、しばらくは大丈夫そうだ。


テイラーの自転車はツーリング車だ。
タイヤは私と同じくシュワルベのマラソンだった。
ニュージーランドでも出会ったサイクリストの多くがそのタイヤを履いていた。

私の感覚では海外のサイクリスト50%以上はマラソンを履いているのではないだろうか。
それぐらいの装着率の高いタイヤだ。
そしてまたテイラーも「おれは一度しかパンクしていない。いいタイヤだ。高いけどな。」と話していた。

他にも自転車の話が通じたので、ツールドフランスのことをきいてみた。
「多分優勝はフロイド・ランディスじゃないかな。わかんないよ。」と答えてくれた。
ランディスか。妥当なところだな。


ツールの話をしたところで私は思い出してあるサイクルキャップを取りだした。
アラスカに来る前、当時ブリジストンアンカーのメカニックだったバスマンさんからもらった
カザフスタンの英雄、ヴィノクロフのキャップだ。
テイラーはそれを見てとても驚いていた。
おかげで写真を撮られる。


彼は今日ここに泊まるわけではなく、テント張って少し休んでいただけらしい。
今日はユーコン川まで出るそうだ。

テイラーは去っていった。もっとたくさんのサイクリストに会えるといい。

 




キャンプ場でテント張り、寝袋をテントの中に広げ、晩御飯を食べに行くことにする。

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Hot Spot Cafeの入り口


キャンプ場の横にあるカフェ、Hot Spot Cafeが
アラスカナンバーワンサイズのバーガーを出すという。
ビールないかな。


残念、ビールはなかった。
そのかわりこれでもか、というぐらいの量のコーヒーが出てできた。

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あまり待ってることもなく、噂のビックバーガーが出てくる。
噂ほどのサイズでもなかったが、味は悪くなかった。
しかし今の私には足りなかった。


後でウイスキーと先日、エリオットハイウェイでキャンプしてるときにもらった
ライスチップスで一杯やるとしよう。
バーガーの写真を一生懸命とっていると、
隣のテーブルで見ていたオッサンがおれが撮ってやるといたのでお願いする。

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カフェは土産物も置いてあり、季節外れのクリスマス用の熊のオーナメント買った。
これは2012年の我が家の小さなクリスマスツリー飾り付けられていた。

キャンプ場に戻る。


 

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キャンプ場には比較的多くの人が宿泊しているようだった。どの車もハイウェイのRoaddustを巻き上げて白くなっていた。
 
夕方になって少しキャンプ場がにぎやかになる。
どうやら道路工事の労働者で泊まっている人もいるようだ。


昨日が1人でキャンプをしていたのでこうやって人の中でテントが張れるのがとても有難い。
今日は安心して眠ることができそうだ。

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そう思うとウイスキーも進む。
日記を書き、読書すると眠くなってきたので、テントに入って眠ることにした。
明日はどこまでいけるだろうか。




いい感じにウィスキーが回ったのか
眠るころにはユーコン川で見た狼の警告を私は完全に忘れていた。


 
 



 



 

ダルトンハイウェイの洗礼 2006年8月3日




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昨日、寝ていると少年の声で起こされた。
私がテントを張っていた場所はまさにトレイルの出口で
トレイルから四輪バギーでやってきた少年とその家族を邪魔してしまったようだ。

テントを動かし、いっしょにいた父親と話す。

クマについてきくと
このあたりはブラックベアしかいないのでそんなに心配することはないとのこと。

会ったことはないが、ブラックベアなら大丈夫という感覚がよくわからない。
とにかくそれよりブラウンベア、つまりグリズリーはより危険ということだろう。


白夜の終わりで夜9時を回っても明るいが、
一日走って眠くて仕方がない私は
「子供はこんな時間まで遊んでいるのか」ときくと
父親は「明るくて子供が遊びたがって寝ないんだ」と教えてくれた。
そりゃ、子供からしてみたらトレイルでバギー乗りまわせるなら
寝る時間なんて関係ないよな。
冬が長くて大変な分、アラスカでは夏の時間は貴重なものなんだろう。

一家は車で去って行った。

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朝。


テントを張ったトレイルの入り口が ちょうど山の上だったらしく、
道はしばらく下りが続いた。
朝はなかなか冷えるので服を厚めにした。



10マイル少々走ったところにあったTartalina Riverでビーバーが泳いでいるのを発見。
感激してしばらく見ていると対岸でキャンプしていた人に「こんにちは!」と声をかけられた。
よく見れば日本人男性であった。

奥さんらしい女性も交えてしばらく川を挟んで話していたが、
 ブルーベリーをくれると言うので橋を渡って対岸へ移動する。

 
 
 
 
 
 



「まあまあ、座って」と椅子をすすめられ、コーヒーとお菓子をごちそうになる。

一家はKさんといい、富良野在住。
雰囲気が何と言うか、そんな感じだ。

今は育児休暇中でカナダとアラスカを一家で旅しているらしい。
小さい子を二人連れていても大らかなものだ。
会う日本人はこういう人ばかりでなんだかとてもうれしくなる。


聞けば、数日前にカリブーの季節移動に遭遇したらしい。


「ほんとうにすごい数だったよ。」と旦那さんが興奮気味に語った。
私も見てみたいな。カリブーの大移動。

星野道夫の世界が確かにここにはある。


Kさんは昨日獲ったというブルーベリーをくれた。
そういえば昨日、ハイウェイ上のひらけたところでKさん一家の車を見た気がするが、
あそこでブルーベリーを狩っていたんだな。

「それにしてもすごいよねー。自転車でアラスカなんて」
旦那さんはひどく感心した様子で言ってくれたが、
みんなあまりやろうとしないだけで、やればそんなに難しくないことだから
なんて答えていいかわからなかった。

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Kさん一家と分かれ、エリオットハイウェイを数マイル進むとArctic Circle Trading Postに到着。
随分雰囲気のある建物だ。

 
 
 
 
土産物のほか、ちょっとした食料もあり、飲み物を中心に補給する。
店のポストカードをもらう。
店の女性に「トイレはあるか」と訊くと
「外にナイスなアウトハウスがあるわよ。」と笑って言った。
アウトハウスを探すと、あった。なるほどこれはアウトハウスにしては立派だ。
アウトハウスというのはアラスカ式のトイレで、要は縦穴を掘って上物をかぶせただけのもの。
ここのはよかった。
感動して写真撮ってしまった。



                



その後も相変わらずエリオットハイウェイはアップダウンが続く。
疲れるが景色が抜群にいい。

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もう少しでエリオットハイウェイとダルトンハイウェイの分岐というところで
Livengood(ライビングッド)の入り口に来る。

ここはかつて金鉱が会った場所で現在は採掘会社が管理しており、一般人は全く入れない。
フェアバンクスのインフォメーションでも
「ライビングッド?あそこは完全に入れないわよ」と言われたが、
なるほど、大きなゲートが道をふさいでおり、外部の人間を拒絶していた。
なんだか異様な感じがした。

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WEB上の写真から転載。



フェアバンクスの北70マイル、
マインリーホットスプリングスへ伸びる
エリオットハイウェイとの分岐点を起点とし、
ダルトンハイウェイは北極海、デッドホースまで続いている。

その距離414マイル。

アンカレッジを出発して10日目。
ついにやってきた。

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Dalton Hwy。しかし、ここからが本番である。
この起点に来るまで、何度も「ダルトンハイウェイなんて本当に行けるのだろうか。」
という問いを繰り返した。


もう、進むしかない。
迷いは尽きないが、これ以上情けない自分は見たくなかった。
なんとしても北極海ヘたどり着く。


エリオットハイウェイは分岐までずっと舗装路だったが、
ダルトンハイウェイはgravel road、つまり未舗装の砂利道になる。

エリオットハイウェイはなかなかきついぞと思っていたが
ダルトンハイウェイはその比ではなかった。


ダルトンハイウェイに入った途端、荒れた道が続く。
砂と砂利の浮いた土の道が時折、長いアップダウンを繰り返しながら伸びている。


自転車の後ろに大量の荷物を積んでいて、
相当荷重がかかっているはずだが、
いつもどおりペダルを踏むとタイヤは容赦なく空転した。
これまでの舗装路より慎重な乗り方が求められることを今更ながら実感した。



中でも一番怖かったのは、急で長い下り坂だ。
荒れた道路の長い下り坂では振動が自転車に予想以上にかかり、
積み方の甘かった荷物は自転車から吹き飛んでいった。
幸いにもそうした荷物は何度かトラックの運転手が拾ってくれたりした。


また、そうした道では予想以上にスピードが出て、
自転車の制御が難しくなることもあった。
落車も怖かったが、そのときに巨大なトレ-ラーが突っ込んでくる可能性を考えたら恐ろしくなった。
自転車も止まるのが辛いのに加速のかかった巨大なトレーラーが簡単に止まれるはずがない。



ひとつ山を越えると次の山が見えた。
北極海への道は残酷なまでに果てしなく長く思えた。


そんな中で走り続け、Hess Creakという川にたどり着く。
川原で一泊することにした。

しかし、川原は泥でテントを張るのにはよくなかった。
そしてさらに真新しいクマの足跡を発見した。

「!!!!!!!」

大慌てで川から離れた。

結局、そこからしばらくいった湖でテントを張った。


アラスカのバックカントリーでキャンプする場合、
守らなくてはならない鉄則がある。

・食事はテントの風下、100m以上離れたところでする。

・においのする食料、医薬品、アルコールは同じくテントの風下に置き、可能ならば木につるす。

などだ。これはクマ対策のためである。
それ以外にも、クマに存在を知らせるため、
鈴で音を出すとか、クマと対峙してしまったときに使うベアスプレーも用意したりしておいた。


湖のそばで、大量の蚊に襲われながら、なんとか夕食を作り、モスキートネットをかぶったまま
そそくさと食べた。もう味なんてわからなかった。


それでもキャンプのルールは守った。いくら疲れていてもクマとのトラブルは避けたかった。
つい一週間にキーナイ半島でひとりキャンパーが襲われて死亡している。

テントに入り、惰性で日記を書く。

この日の日記が面白いので引用する。

『クマ対策をし、蚊と戦いながらメシ。もう何がなんだか分からん。
帰りたい。けどあと390マイルだ。でももう二度と来ない。』

ダルトンハイウェイショック。
とでもいえばいいだろうか。

疲労と緊張の中、眠りに落ちた。
白夜に近い空は夜10時を過ぎても明るかった。