定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

Triabunnaのドクター 2008年12月15日

 

今日はとてもいい天気だ。
快晴と言える晴れはタスマニアに来て初めてではないだろうか。 
 

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だか今日は走らない。

昨夜から腹痛と熱っぽさが抜けず、調子が悪かった。
まだ走り出したばかりだが、先のことを考えるとちゃんとしたほうがいい。
一日休息を取り、念のため医者に行くことにした。
 

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Triabunnaのキャンプ場。居心地が良かった。
 
キャンプ場のオーナーに連泊することを伝え、病院の場所を教えてもらう。
 
 

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Myテント

自転車の一人旅だというと、オーナーの奥さんが感激したのか、宿泊費をまけてくれた。
全く現金な話だが、これは嬉しかった。

病院、というかTriabunnaの診療所はキャンプ場の裏手にあった。 
 

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Triabunnaの海
海のそばの素敵な建物だ。
診療所で状況を話すと3時45分にまた来て、と言われてしまい、また出直す。

街で少し買い物をする。 
 

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Triabunna 海沿いの小さな街だ
 

小さなスーパーでフルーツを少し買った。

レジには見るからにティーンエイジャーの女の子がいた。
スーパーの娘だろうか。退屈そうに店番をしていた。 
 

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トリアブナは小さな街だ。
普通の旅行者はホバートからこの先の国立公園フレシネ半島まで一気に行ってしまうだろうから、
わざわざ寄らない場所だろう。お客は地元住人がほとんどではないだろうか。
気だるそうな彼女を見て、ふとそんなことを思った。 
 
 

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NZを旅したころからのパンの定番お供
 

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毎朝、紅茶に多めの砂糖を溶かし、走行中のドリンクを作る。ちょっとした節約。
 

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キッチンの建物
 
 

キャンプ場に戻り、キッチンのソファでお茶を飲んで休んでいると
バックパックを背負った女性が入ってきた。

年齢は50代くらいだろうか、白人女性ながらよく焼けた肌。
同じくらいよく焼けた背中の大型のバックパックが目を引く。

ベテラン、という言葉が相応しい旅人だ。


無駄な肉がなく引き締まった体型のその人は旅する者の一つの理想に見えた。


”Hi.”私は軽く手を上げた。
彼女は大きな瞳でこちらに笑顔を見せて”Hi!”と答えると、
キッチンを見回し、満足そうに出て行った。



あぁ、あんな旅人がいるんだ。


わずかな時間であったが、そんな出会いがあったことに感謝した。 
 

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キャンプ場のキッチン
 
2014年の現在でも時折、彼女は今どんな旅をしているんだろうと思うことがある。

連絡先を知るわけでもない、こうした人のことがときどき思い出される。
これも旅のよさだろう。


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キッチンにあったマグカップ

 

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その日の食事。トーストにはピーナツバターとハチミツにシナモンがふってある。
 
 
 

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海辺で風を浴びる
 
 
時間になったので診療所に行くと
白いヒゲをたくわえたメガネの「いかにも」という風貌の初老の男性ドクターが診察してくれた。

診察室に入るとドクターが「カプチーノ飲ませて」と
大きなマグに入ってきたカプチーノを美味そうに飲んだ。
大らかだな。いい。


診察が始まったが、知ってのとおり私の英語は褒められたものではない。

私は辞書片手に一生懸命説明したが、肝心な質問を私が理解できずにドクターは困り果てていた。


しばらく考えた後、ドクターはジェスチャーと擬音語で質問を再開した。

「口から『ウベベベベ-』か?おなかは?『ジャー』?」
先生はそう言いながら吐くまねとお腹から下に激しく両手をふった。


きっと幼児にはこうやって説明するんだろうな。。。

『ウベベベベー』はノー、『ジャー』はヘビーかマッチと言った気がする。


「ごめんよ。私は日本語は『コンニチハ』しか知らないんだ。」
とドクターは本当に申し訳なさそうに言った。


ドクター、アホな私が悪いんだ。あなたは悪くないです。



これほど英語ができないのを悔んだことはない。


ドクターは強い薬を処方してくれたらしく、ファーマシーで出された薬はよく効いた。



ドクター、ほんとうにありがとう。

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心やさしいドクターのいるTriabunnaの診療所

strong winds and steep hills 2008年12月14日

昨日は日本人と盛り上がって深夜まで盛りあがったため、飲みすぎてしまった。
今日から本格的に自転車に乗るのだが。。

ベッドで荷物をまとめ出発の準備をする。
ニュージーランドを旅していた頃からの習慣で朝食前に出発準備を概ね済ませておく。
何でもいいが、隣のベッドの女の子の足とサンダルが猛烈に臭く、辛い。
隣の女の子の足の臭いに耐えながら何とか荷物のパッキングは終了。
なかなかかわいい子だったのでちょっとショックだ。

キッチンへ行くときのう一緒に飲んだ日本人学生のヒロキくんがいた。
彼は今日コールズベイへ行くという。彼はしばらくタスマニアを旅するらしい。
また会えるといいな。

ヒロキくんは私に牛乳をくれた。ありがたく頂く。
昨日の飲みすぎが響いて胃の調子はいまいち。朝食は洋ナシとバナナで済ませた。


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バックパッカーの前にて



ホバート出発。


西へ向かう。いよいよだ。

天気は曇り。ときおり雨がぱらつく。
上にレインジャケットを着る。
タスマニアは夏の盛りのはずだが気温はあまり高くない。
レインジャケットを着てちょうどいいぐらいだった。


日本を発つ前、スイス人の友人ダニエルが人づてのメールでタスマニアについてのアドヴァイスをくれた。

" it can be really cold in Tasmania, that you should bring a waterproof tent (remember Coromandel Island), a warm sleeping bag and warm clothes."

なるほど夏と思うと寒い気候だ。

ダニエルはさらにニュージーランドよりもさらに強い風と急坂が多いと忠告してくれた。
すぐにこれが誇張でも何でもないことを理解することになる。



ホバートから出るため大きな橋を渡ろうとするが、
サイクリングロードからそのまま橋に突入すると橋の入り口の段差が高く、
荷物を満載した自転車を上まで持ち上げることができず、一旦荷物を外した。
全く手間がかかる。


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不思議と私がこれまで行った海外の都市では
郊外に出るのに自転車だと不都合なことが多い。


橋の上に出ると猛烈な風に襲われた。
とてもじゃないが、自転車に乗って行けない。なんて風だ。


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橋の上から。猛烈な風が吹き抜けていく

橋をなんとか渡り終わると今度はサイクリングロードから一般道に戻るのに軽く迷子になる。
過去の経験上、初日に街から出るのに時間がかかることがわかっていたのでウンザリはしたが、イライラはしなかった。

ホバートから西のSorellへ行くつもりだったが、こちらはさらに橋を越えていかないといけないので、コースを北にとり、Richmondに向かうことにする。

Richmondへの道は郊外の緩やかなアップダウンの続く道で走っていてとても気持ちよかった。
天気がよくなくても楽しめた。
こんな道ならずっと走っていたい。

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Richmondへ向かう道。快走。

 

 

気持ちよく走っていると地元のライダーだろう、
ロード乗りが颯爽と私を抜き去って行った。
こんなところを普段から走れるなんてうらやましい。


 
 

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タスマニアはワインも有名。残念ながら日本にはほとんど入ってこない


一か所かなり上ったが、Richmondに到着。

Richmondはオーストラリアでは古い街で19世紀からの遺構が残っている。
ロンリープラネット』によれば、銀行もない小さな街だ。

昔風の建物が並ぶ街のメインストリートには土産屋やレストランがあった。
昼食にしようかとも思ったが、昼前の早い時間だったので見送った。


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Richmondに残る古い橋。Richmond Bridge


Richmond BridgeというRichmondで一番有名な橋を越え、さらに東に向かう。

久しぶりに荷物を満載した自転車で思ったように進まない。
まだ40キロの走っていないが、体がキツイ。
体調が良くないような気もする。

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馬の標識は街の郊外では比較的よく見る


Tasman Highwayに出て、地図に書いてあるOrieltonというところで昼食にする予定だったが
ここは数戸の家があるだけで食事できる場所はなかった。
カフェぐらいあるだろうと勝手に決め付けていた自分が悪い。
地図に街の名は書いてあるが『ロンリープラネット』には何も記載がなかった。


ハイウェイ沿いの大きな建物の横で休憩。
自転車を立て掛け、補給にビスケットを食べていると、
道の向こう側からびしょぬれのサイクリストがこちらに走ってきた。

こちらに気がついて、私の方へやってきた。
彼はルーマニア人でシドニーから来て(と聞こえた。はっきりしない)、
タスマニアには北部のデボンポートから走っているらしい。

ちなみにデボンポートは港町で本土メルボルンとの間にフェリーがある。

私があまり降られていないのに彼がびしょぬれなので聞いてみると
向こうは大雨だったという。
そいうえばニュージーランドもすぐ向こうは晴れていても、今いる場所は豪雨とかいうことがよくあったが、同じようなかんじなのかもしれない。

道について訊ねるとこのさきもuphill、steepらしい。いやはや。

彼が私の自転車を見て「自分のバイクをわざわざ持ち込んだのか」というので「そうだ」と答えると、彼はこちらでバイクを調達したらしい。彼によればバイクを現地調達して旅をしている人も少なくないそうだ。


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北からやってきた男。ここから先はsteep hillらしい

ルーマニア人と別れて再び走りだす。

幸い雨はそこまで強く降らなかった。
タスマニアンウェザーは気まぐれらしい。


彼が言っていたらしき上り坂にさしかかる。坂の途中で何度も何度も休んでしまう。
ほんとうにびっくりするような急坂が続く。
なるほど、ニュージーランドのコロマンデル半島も日本ではお目にかかれないほどの急坂だったが、それに勝るとも劣らない。

過去に走ったところでは
アラスカダルトンハイウェイのローラーコースターセクションもやばかったが、
斜度でいったらこちらの方がキツイかもしれない。



ダニエルが「コロマンデルを思い出せ」と言っていた理由がよくわかった。



先に進めさえすれば遅くても構わないが、
それにしても日ごろの運動不足ときのうの飲みすぎ、過剰な荷物が自分を苦しめているのは明らかだ。しばらく手持ちの食糧を消費しようと決めた。
お買い得だった1キロのパスタが重すぎる。


 
 

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タスマニアは花の季節

 

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"Bicycle Friendly"と言っているが、猛烈な登り坂の連続である。



3つ目のきつい登りの途中で休憩しているとサイクリストが二人やってくるのであわてて出発したが、あっけなく抜かれた。無念。

先に抜いていったサイクリストの一人は女性でショックだった。
峠の上で二人に会えた。彼らはイギリス人でカップルでツーリングしているようだ。
なんてうらやましい。
聞けば彼らもOrfordに向かうらしい。

私は男性の方に写真を撮ってもらうと出発した。またOrfordで会えるだろう。

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峠の頂上。あんなにきつくて標高がわずか336mとは。。

イギリス人カップルと別れ、峠を下る。
上った分だけちゃんと下りがあった。やれやれ。

スピードに乗って走っているとBucklandの街に入る。
待望のカフェを見つけて入る。

カプチーノ マグ3.8ドルとチーズバーガー&チップス6.5ドルを注文する。
海外のカフェのバーガーはほんとうに美味しいと思う。

完食したが、思ったより腹いっぱいだ。やはりなんだか体調がすぐれない気がする。

カフェでトイレを借りようとすると外にあって鍵がかけてあるからと鍵を貸してくれる。
ガソリンスタンド併設で勝手に使う人が多いのだろうか。


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カプチーノに添えられたミントチョコが美味しい

 

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大したボリュームに見えないがなかなかのサイズ

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中はこんな感じ

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カフェの犬。海外の宿やカフェにはよく躾された犬がいる。


Orfordへ到着。
うろうろしていると先ほどのイギリス人カップルと遭遇した。

どうやらここのキャンプ場はやっていないらしい。
彼らはOrfordから北に10キロほどのTriabunnaの街までに行くらしいので
ついていくことにした。


彼らはペースが速く、ついていくのがやっとだった。
最後の1キロぐらいで千切られてしまったが、彼らの女性もほうも千切れてしまい、
男性の方は街の入り口の分岐で待っていた。

街に入ったところで彼らと別れた。


キャンプ場はニュージーランドのそれとほぼ同じであったが、
なぜか持ち込みテントサイトの料金が2名料金からとなっており、
18ドル取られた。ニュージーの倍だ。これがオージールールなのか?

これなら場合によってはバックパッカーに泊ってもいいな。


キャンプサイトの芝生の端にテントを張り、すぐに眠りに落ちた。
タスマニアライディングの一日目はこうして終わった。

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タスマニアツーリング初日のルート。99.3キロ

サマランカマーケット 2008年12月13日

午前三時、アラームが鳴ってとなりのベッドから身支度をする音が聞こえる。
Sunnyが出発するようだ。
彼女は私が目を覚ましたのに気がついたのか、去る前に一言声をかけてくれた。
元気で。君のおかげでこれからの旅が楽しみになったよ。

そのあとすぐ再び眠りに落ちたが日が昇る頃には目が覚め、
8時頃には動きだすことができた。 

昨日はあまり食べていないがあまりお腹はすかない。こんなものか。


今日は旅に必要な道具や食料の買い出しをするが、
ぜひ行っておきたいところがあった。

それはサマランカという場所で毎週土曜日に開催されるマーケット。

今日はちょうど土曜日。
海外の市場に行くのはこれが初めてだ。楽しみである。


天気は雨が降ったり止んだりで、レインギアを着込んで宿を出発した。


Lonely planet』の地図を見ながら、サマランカマーケットを目指すが早速迷子。
ストリートの名前を見ると明らかに行き過ぎたようだが、
曲がるべきところがわからなかった。
 
Take awayの店に入り、店員の男の男性に道を尋ねた。
やはり行き過ぎてしまったらしい。
店の男性はやさしく教えてくれた。
やれやれ、何回同じことを繰り返せばいいのだろう。街ですぐ迷子になる。


Take awayの店の男性のおかげでサマランカマーケットに到着。
少し雨が降ってきた。
 

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サマランカマーケットでは軽い食事や野菜などが売られていた。
立ち並ぶ店を見ているだけで楽しい。
 

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ちょっといいキッチン用品でもあれば買い込んで日本に送ろうと思ったが
そういうものはなかった。売られているものはどちらかというと食べものが中心のようだ。
食べ物の他には工芸品などが売られていた。
 

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自家製パンを売るお店

 

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ジャムの店でイチジクとバルサミコのジャムがあったので早速土産に買った。
ちなみにここのジャム http://www.countrylarder.com.au/
大変美味しかった。 
 
このほか土産にはラベンダー柄の豆皿(オージーサイズ)と蜂蜜を購入した。
残念ながら豆皿はのちに日本に荷物を送った際、割れてしまった。 
他にタスマニアンウールの製品とラベンダーの石鹸がよかったが、旅は長いので今回は見送った。 
 
 
店を見て回っているとフレッシュジュースを売るおばさんの店に声をかけられる。
 

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かんじのいいおばさん二人が店をやっていた。
 

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おいしそうなフルーツが並ぶ
 
ちょっと迷ってラズベリーヨーグルトをもらった。
甘酸っぱい味が口に広がる。ヨーグルトの味もなかなか濃厚だ。
 
楽しいな。サマランカマーケット。 
  

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ラズベリーヨーグルト3ドル(当時1ドル75~80円)
 
サマランカマーケットのすぐそばにアウトドアショップの「Katmandu」があった。
Katmanduはオーストラリアのモンベルのようなもので、リーズナブルでいい製品が多い。
ニュージーランドにも都市に行けばたいてい店舗があり、ニュージーランドを旅した時にも世話になった。 



Katmanduのアイテムは帰国後も使用している。

 http://www.kathmandu.com.au/  Katmanduホームページ

Katmanduの店は広かった。
ヘッドライトといった小物からテント、ウェアまで製品のラインナップは幅広い。
自社製品の自転車製品も数多くあり、シンプルなデザインのレーサージャージは値段も安く1着買ってもいいなと思った。全般的に値段は安い。


明日の出発に備え、自炊用のガスカードリッジを探したが見当たらない。
店員に「ガズキャニスターはどこ?」と尋ねると鍵のかかった棚から出してくれた。
安全上の配慮だろうか。ニュージーランドでは普通に売っていたが、少し事情が違うのかもしれない。

レインギアをみていたが、これは気持ち安い程度だった。
あれこれ見ていると隣で同じようにレインギアを見ていた女性が
「ちょっと高いわよね?」と言ったので「そうだね。安くはないね。」と私は答えた。
こうやって店で他の客から話しかけられるのはいかにも海外だ。



Katmanduを後にし、ホバートの中心に戻る。
途中で自転車屋を見つけたので入った。
ニュージーランドのバイクブランド「AVANTI」のショップだ。

店内を見る。為替レートのせいもあるが全般に日本より安いようだ。
アームウォーマーがよさそうなので購入する。
店主にサイズを確認すると「君はXSだ。」と断定的に言われた。
まぁKatmandu製品もキッズサイズでいけるときがあるからそんなもんだろう。

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ニュージーランドでよく見かけるAVANTI plus

街の中心地で自転車を置き、歩く。
タスマニアに来たばかりだが、街の印象はニュージーランドとほとんど変わらない。
AVANTIの自転車もよく見るし、ニュージーランドにもある家電量販店「Dick Smith」もある。
ANZ銀行は言うに及ばずといったところだ。
これならニュージーランドの感覚でいけばそこまで困ることもなさそうだ。

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軽めの昼食ブルベリーマフィンとコーヒー。7ドル。

カフェで昼食を済ませた後、インフォメーションセンターへ行き、タスマニア全域の地図を購入した。
地図は道路の区間距離が掲載され、アイコンで街の施設等が一目で分かるものだ。
キャンプ場とワイナリーのアイコンがあるのがなんともタスマニア的である。

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こうした使い勝手のいい地図があるのは、それだけ観光に力を入れているのと需要があるからだろう。
地図の値段は5ドル。日本から用意した100ドルのT/Cで支払いすると
インフォメーションセンター「ほんとは20ドル以上の支払いじゃないとだめなんだけど。。」といいながらT/Cでやってくれた。T/Cは使えるところが少なそうだ。
500ドル用意してきたが早く使ってしまった方がいいだろう。


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街にはクリスマスのフラッグ


きのうSunnyが「ミュージアムが無料だから行くといい」と言っていたのを思い出し、
ミュージアムに向かう。

ミュージアムでは1800年代から入植がはじまったホバートはの歴史や絶滅したタスマニアタイガーのことなどを紹介していて興味深かった。
ただ、例のごとく英語が断片的にしかわからなかったので展示物から想像力を働かせた部分も多かったが。。

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ホバートは海の街。ヨットもさかんだ。



宿に戻る前にスーパーで買い物。
スーパーはウールワース。タスマニア滞在中ずっとお世話になることになるスーパーだ。

きのこが安かったが、日本では見ない種類だったのでちょっとビビって買わなかった。
海外のスーパーでは野菜や果物は量り売りが基本なので、一個単位で購入でき、一人旅の身には都合がいい。

これから毎日使うであろうニンニク、ショウガ、玉ねぎなどの野菜と果物、パスタとトーストブレッドなどを買った。
食料は調理器具と合わせて自転車の前輪側のサイドバッグ一個分になった。
だいたい2、3日分といったところか。
タスマニアは街から街までがだいたい70~100キロぐらいで
一日走れば街に辿り着ける計算なので過剰といえば過剰な食料だが、
日本と違って平日の夜と週末に店が開いていなことを考えれば妥当だろう。



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タスマニアの代表的なビール「カスケードドラフト」

宿に戻ってキッチンで食事に支度をし始めると、
となりで調理をしていたアジア人が話しかけてきた。日本人だ。

旅の始まりからいきなり日本人か、と思ったが話してみると感じのいい男で
オーストラリアの大学を卒業するのに合わせ、オーストラリアを旅しているそうだ。


結局、彼と私の同室に宿泊している他の日本人女性を交えて遅くまで飲んで盛りあがった。
二人とも英語が大変上手いのでうらやましい。


部屋に戻ると併設されたバーの騒音が響いてうるさかった。
なるほど、この部屋の料金が他の部屋より安いのはそういうわけか、
などとどうでもいいことをかんがえているうちにアルコールがよく回ったせいか
あっという間に眠りに落ちた。


明日からようやく自転車で出発する。

まずは北東に向かい、東海岸を目指すことになる。

新たな旅 Tasmaniaへ 2008年12月11日~12日

アラスカの旅からおよそ2年半。


私は再び旅に出ることにした。
どこに行くべきか、いや、どこに行きたいか。

行き地場所はたくさんある。

北欧、カナダ、アラスカ、ニュージーランドアイルランド、モロッコタスマニアパタゴニアキューバ・・・
あげれば切りがない。

どこなら行くことができるか。

行くのは12月から1月。北半球の冬の時期。
行くならまた自転車の旅がいい、いや自転車以外で海外をどう旅していいかわからない。
そう思うと雪に覆われる北欧、カナダ、アラスカは却下。

残った地域の中でアイルランド、モロッコタスマニアの3つに絞り、
各地域の『lonely planet』をアマゾンで購入した。

lonely planet』はおそらく世界中のバックパッカーが使っているガイドブックで
地球の歩き方』の数百倍役に立つ。
残念ながら『地球の歩き方』には街のキャンプ場の情報は載っていないし、小さな町の情報も書かれていないことも多い。


英語があまり得意ではないのでイントロダクションだけざっと読んで考えた。


ロッコは砂漠とあって大変そうだ。
街から街の距離、風、水の補給、トラブル時の対応など心配要素が多い。
困難があるほど燃える冒険者タイプの人もいるが、私は決してそうではない。


アイルランドは私の大好きなビール「キルケニー」とジャック・ヒギンズが愛するウィスキィ「ブッスミルズ」の国だ。

ぜひ行きたい。

しかし、気候のデータを見ると驚くほど雨が多い。

・・・雨か。

自転車旅での困難は峠よりも雨であると思う。




結局、私はどんな旅がしたいんだろう。

海外のツーリングも3度目。
自分の力量もよくわかっている。

自分らしく自由を振り回して旅ができるところ。





やはりタスマニアだ。


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かつてニュージーランドをしばらくともに旅したスイス人サイクリスト、ダニエルが
 「シマ、ニュージーランドもいいが、タスマニアもベリーナイスだ。おれは7回も行ったぞ」っと言っていた。これがずっと気になっていた。

 


ダニエルは当時40代のベテランサイクリストで
毎年冬になると自営のぺインターの仕事を休業し、自転車の旅に出るというつわものだ(注:独身)。

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昼間からビールを飲むサイクリスト ダニエル。ビールはソフトドリンクだそうだ。



彼はニュージーランド7回、タスマニア7回、キューバパタゴニア、オーストラリア本土、カナリア諸島などを旅をしており、彼のことを考えているうちに彼が薦める場所に行ってみたいと強く思うようになった。


「夏のタスマニアタスマニアワインを飲みながら、オイスターを食おう。」


私は決めた。
オーストラリアの南に浮かぶタスマニア島へ行こう。
私が尊敬するサイクリストの一人が最高というその島へ。

南半球でクリスマスを過ごし、旅先から年賀状を書いてやろうじゃないか。
私は準備を始めた。我ながら準備は順調に進んだ。

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一番安いエアチケットだったキャセイパシフィックを取ったが、
いきなりチェックインで荷物の追加料金を取られた。
前回アラスカの出国時に痛い思いをしたので手荷物をかなり増やしたがダメだった。
24,000円取られる。
いきなり現地での一週間分ぐらいの滞在費が消えた。。。

当然の出費で飛行機に乗る前のビールは我慢したが、
飛行機に乗ったあとはいつも通り飲んだくれであった。

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香港の空港でビールを飲みながら日記を書く



キャセイは安かったが、台北、香港でトランジットし、機内食は4食食べた。
2006年に行ったニュージーランドより飛行機で過ごす時間がしんどい。
とにかく早く着かないかなとそればかり考えていた。
日本から持ち込んだ隆慶一郎の『かぶいて候』はすぐに読んでしまった。
東野圭吾の『宿命』は読まずに我慢した。


日付が変わってシドニー着。シドニーは雨。
例のごとく入国で時間を取られる。
出国前に日本を代表するMTBメカニックのバスマン氏から
「オーストラリアに行くならタイヤの泥とかは極力落とした方が入国時にトラブルにならない」と言われており、タイヤをきれいにしておいたおかげで特に指摘されなかった。
食糧も持ち込んだがうるさく言われなかった。



シドニーからはカンタスタスマニアの州都ホバートへ。


飛行機から眼下にタスマニア島が見え、気分が高ぶってくる。


新しい旅が始まる。


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lonely planet』より。タスマニアはオーストラリア南に浮かぶ島



ホバートに到着。

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予約してあるユースホステルに行くため、
シャトルバスのドライバーに行き先を伝える。


しかし、私の荷物が出てこない。
待っているとアナウンスがかかり、呼び出される。

自転車を入れた段ボール箱が壊れたらしい。

シドニーでちらっと私の箱らしい荷物が雨の中、
フォークリフトで運び出されているのが見えた気がしたのだが、
どうもその結果段ボールが壊れたようだ(真相は不明)。

どうしてくれるんだと聞くと、今カンタスの段ボールに入れ替えているから
待ってくれと言われる。

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さらにしばらく待つとカンタスの箱に入った自転車が出てきた。
カンタスはバイクボックスも持っているのかと妙なところで感心した。

しかし、カートがなくて運べずに困っていると
なかなか来ない私を待っていてくれたシャトルバスの運転手のおじさんが
手伝ってくれた。


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タスマニア州ホバートタスマニアの南部に位置する
 


バスの車窓から見えるタスマニアの景色はニュージーランドのようで
なんだか懐かしく、うれしかった。
ニュージーランドを旅していた頃、よく「タスマニアニュージーランドみたいだよ」という話を聞いたのを思い出した。

しかし、それは自転車以外の方法で旅をする人の認識であることを思い知ることになる。




バスが予約した宿に着いたが、私が気がつかないでいると
「おまえここだろ?」と男性の乗客が教えてくれた。

彼はバスを降りて、自転車の段ボールを運ぶのを手伝ってくれた。

まったく、人の助けがないとなにもできない。



宿はバーを併設しているユースホステルだ。


タスマニアというかオーストラリアがそうなんだろうが
昔の名残でパブが宿をやっているケースが多い。

これはかつて遅くまで酒を出す店は宿泊出来ないといけないと法律で決まっていたこと何かで読んだのを思い出した。

部屋に荷物を運び込む。
なんだかやたらと複雑な作りの宿である。

二階の一番奥の8人部屋だった。
この手の宿はドミトリーと呼ばれ、安いが相部屋でベッド一つが割り当てられる。
日本では男女別だが、タスマニアでは男女関係なく同じ部屋だ。
食事は共同で使えるキッチンで食材を持ち込んで勝手に作ることができる。

私はベッドに荷物を置いて食料のバッグを持ってキッチンに向かった。

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私のベッド

 

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サーフボードを持ち込んでいたのは日本人だった

 

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階下のキッチンに通じるドアを開けると
なんともいえないスパイスの混ざったような香りが漂ってきた。



「あっ、キッチンのにおいだ」



ニュージーランドをともにしばらく旅をした友人のルティア(彼女もスイス人だ)がユースホステルに泊まったことがないという人にユースのキッチンの様子を話していたのを思い出す。


「ああいう宿はキッチンがあって、いろんな国からきた人たちが同じキッチンでいろんな料理を作るのよ。
とってもスパイシーな香りがすると思ったら、甘い香りが別のなべから漂ってきたりして。
それでよく同じテーブルになった他の人と情報交換したり、お互いのことを話したりするの。
おもしろいからあなたも一度泊まってみればいいわ。」



何のにおいかははっきりしない、「ユースのキッチンのにおい」。
甘いような気もするし、ガーリックの香ばしい香りもする。
それ以外に何か分からないにおいも混じっている。

空港で否応なしに英語の会話を始めた時から
外国にきた、という感じはした。

しかし、キッチンのにおいをかいだとき、
「あぁ、おれまた旅に来たんだ」という実感が初めて湧いた。

キッチンに入ってそこにいる人に「Hi」と軽く挨拶して、
キッチンの設備、皿やグラス、鍋やカトラリーを確認したり、
旅人が不要になった食料を置いていく「FREE FOOD」のラックを確認したり。

なんだかそのすべてが懐かしかった。

そしてその懐かしさが再び一定の日常になるのにさして時間はかからなかったと思う。



シドニーからホバートの便が予定より遅れたため、宿には夕方到着した。
予定ではもう少し早く着く予定だったので、
その日の食事ぐらいは買いに出るつもりだったが、億劫になってやめてしまった。
食事はフロントで売っていたインスタントラーメンになった。


キッチンには日本人女性がいた。話しかけるか迷ったが、
他の日本人女性とワーホリトークを日本語で始めたので、話しかけるのをやめた。
初日からこれは鬱陶しかった。


部屋に戻ると部屋にはひとりだけ客がいた。
隣のベッドの韓国人女性だ。

名前をSunnyといい、27歳。韓国でLGに勤めていたが、
今は自分の時間を過ごしているらしい。Sunnyによれば彼女のような韓国人が増えているらしい。なんでもオーストラリアはビザが取りやすいそうだ。

 「働いていた時は休みなんてなくて、今は自分の時間を過ごしているの」

そう言って笑った。
それからお互いのこと、日本人と韓国人について、彼女のタスマニアでの出来事、英語についてなど旅行者同士のお約束的な話をした。
 
彼女は明日の早朝、帰国するらしい。
私がタスマニアのオススメを聞くと
「フレシネ国立公園のMt.アモスから見るワイングラスベイが素敵よ」と教えてくれた。
私は最初の目的地をワイングラスベイに決めた。

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モンゴメリーYHAで同室になったSunny



彼女の話で印象的だったのは"favor"についてだった。


「あなたも他の人に"favor"をしなきゃいけないわ。こうやって旅人同士の助け合いの輪が広がっていくのはとてもいいことだと思うの。」

英語がロクに話せない私は"favor"の意味がそのときはわからなかったが、
「援助、親切」という意味だというのを辞書を引いてわかった。



彼女は自分にはもう必要ないからとホバートの地図をくれた。



今回の旅が多くの"favor"のおかげで素晴らしいことになることをこのときまだ私は知らない。




明日は雨らしいが、ホバートの街を回って食料や地図を買って旅の支度を整えよう。
明日はいい日になりますように。


帰国  2006年8月19日~20日

スワードからアンカレッジに戻り、いよいよ帰国となった。

街が動き出す時間を考えながらキッチンで朝食を作る。

日本から持ち込んだタラコスパのソースが残っていたので
朝からタラコスパを作って食べた。

前回ニュージーランドを旅したときに無性にタラコスパが食べたくなって
テントの中で悶絶したことがあったので、
今回はたくさん持ち込んだが結局残ってしまい今日食べることになった。

米も残っていたので炊いて昼ごはん用におにぎりを4つ作った。



おにぎりをバッグに入れて外に出る。
なんと外は晴れていた。久しぶりの晴れでテンションがあがる。

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アンカレッジの街


自転車で市街へ。
土産物屋をいくつか回り、家族や友人に土産を買った。
「カンアラスカン」という日本人の経営する土産屋でオーナーの女性と話す。

 

「今年は何十年降りの異常気象で大雨が降ってねぇ。アラスカに来て長いけどこんなの初めてよ。ウィローのあたりじゃ橋が流されたそうよ。」

ウィローはアンカレッジ近くの街で私が最初に泊った街だ。
信じられない。


その頃、フェアバンクスで会った日本のある旅人が窮地に陥っていたのを知る由もなかった。(参考ブログ:http://yukon780.blog.fc2.com/blog-entry-138.html


カンアラスカンの後、ネイティヴアメリカンの店で買い物をするとレジの女性が
「どこの出身?」と聞くので「日本だよ」と言うと「私たちに似ているからネイティヴかと思ったわ」と言われた。

一時ネイティヴアメリカンの思想に傾倒していた時期があったのでなんだか嬉しかった。
ただ、日焼けしてそう見えたただけかもしれないが。。

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気になって撮った写真


最後にR.E.I.に行く。
帰国に際し、自転車梱包用の段ボールを手に入れるためだ。
R.E.Iは大型のアウトドアショップでキャンプ用品はもちろん、カヌー、自転車、浄水器まで何でもある。
ここで発売間もなかったPolarの保冷ドリンクボトルと安かったボトルゲージ、それから日本未発売のパワーバーを大量に買った。
レジの女性に「パワーバーたくさん買うのね。」と笑われた。

「日本じゃ2種類しか売ってないんだ。珍しくてね。」と言っておいた。

それから自転車の箱を欲しいと言うと、自転車担当者だろうか若い男性がGiantの箱を持ってきてくれた。しかし厚みがなくて心配なったので「申し訳ないが、荷物多いんだ。もっと大きいのくれ」というとR.E.I.オリジナルの厚さのある箱を出してくれた。

前回ニュージーランドで箱代をとられたのでいくらか聞くと
「ハハ、要らないよ」と言ってくれた。

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R.E.I.にいた賢い犬。入国直後の写真


昼食に用意したおにぎり4つは早々に食べてしまった。
宿に戻ってパスタを茹でて、夜またパスタを食べた。4食目は多いかと思ったがぺろりと食べてしまった。しかもパスタは全部タラコである。

残った食糧は宿のフリーラックに置いていけばいいが、タラコソースなど置いていっても困るだろうと思い、頑張ってしまった。妙なところで気を遣ってしまうものだ。

自転車で旅をしていたせいで体が異常に食べ物を求めてしまう。太らないか心配だ。



************


いよいよ帰国の日。
早朝起きて、朝食を作って食べる。
時間があったのでリビングでぼんやりテレビを見ていると
一人の男性が話しかけてきた。

アラスカの住人でこれからフィリピンでバカンスに行くという。
私と同じく今日のフライトだそうだ。彼は楽しそうにいろいろ話してくれた。
このスピナードホステルは空港から近いので地元の人も利用するらしい。


R.E.I.でもらった大きな段ボールを折りたたんで小脇に抱えたまま自転車で空港へ向かった。
空港の玄関横で自転車を分解し、段ボールに詰めていく。

自転車と段ボールの隙間には寝袋などをつかってクッション代わりにするのを忘れない。
普通よりも大きい箱を貰ったおかげで作業はすんなり終わった。



自転車の入った大きな段ボールを持ってKorean Airのチェックインカウンターへ。
スムーズにいくかと思ったチェックインだが、荷物が重いから追加料金を払ってほしいとKorean Air若い女性に言われる。

「No,行きも自転車を持ってきたけど追加料金は払ってないよ」私は珍しくきっぱり英語で言った。

すると女性は奥に消えていき、代わりにゴツイ見るからにベテランのマダムが出てきた。
いやな予感がする。。


現れたマダムはすごい勢いで端末をたたいたかと思うと、グイッと顔をあげて私に言った。


「あなたの行きの荷物は26キロ。で、今は36キロ。行きより10キロ重いわよ。300ドル追加料金いただきます」

ぐうの音も出ないとはこのことである。私は即座に訊いた。
"Can you accept credit cards?"

"Yes,sure"マダムは私の差し出したクレジットカードを無表情で受け取った。完敗であった。


10キロ増。。土産はそんなに買った覚えはないが自転車を梱包した箱が大きいのをいいことに調子に乗って荷物のほぼ全部詰め込んでいたのだ。
はぁ。土産だって300ドルも買ってないぞ。


私は落胆したまま出国手続きを済ませ、免税店を見ていると日本人に話しかけられた。
どうやらチェックインカウンターで私の後ろに並んでおり、あのやりとりを見ていたらしい。

「結局いくら取られたの?300ドル!うわー、ついてないねー。行き先一緒だったら、私の荷物分シェアしたのに」

その手は考えなかったな。全く迂闊であった。
この痛い教訓はのちに生かされることになる。

この日本人の方は福岡に帰るとのことだったが、そのほかにも大阪に帰ると言う人もいた。
私が乗ったKorean Airはインチョン空港まで飛んで、日本人はその後日本各地に飛ぶようだ。なるほどハブ空港だ。



飛行機に乗り込む。不思議な気分だ。
旅が終わる。アラスカの旅はガムシャラだった。興奮のうちに終わったと言っていい。

やがて飛行機が飛び去った。
眼下についこの間までいたキーナイ半島が見える。

感慨が深すぎて自分の中で処理しきれていない。
ただ、またこの大地を旅したい、そう思った。



************

アラスカの後、以前から自分の夢だったCafeをやっている外食企業に就職したが、しばしば15時間を越える勤務に体重をかなり減らしてしまい、1年で辞めてしまった。

その後、多少回り道をしたが、なんとか再々就職をすることができた。



 アラスカの旅が自分にとって何であったのか。


いまだによくわからない。
その直後はその経験が強烈過ぎて自分でもうまく消化できずにいた。


ただ、あれからずいぶん経って、自分の家族を持つことができるようになった。
経験の割に平凡だと思うが、あの経験の上に今の生活があると思うとそれで十分に思える。


目をつぶると、今でもすぐに思い出す。
360度自分の回りを取り囲むツンドラの中にいるところを。
カリブーが蹄で水をピシャピシャ音を立てて走っていくのを。


いつかまた、あの世界を旅しよう。
世界の大きさを体感し、自分が解き放ち、野生動物の気配におびえ、自然と対等になり、ただ自分が生きていることに感謝するアラスカの大地を。


あの景色を生涯忘れることはないだろう。

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スワード 余韻の旅 2006年8月18日

雨の一日だった。

幸いキャンプ場を出るまではあまり降られることなく助かった。
雨の中、濡れたテントを撤収する作業は本当に大変である。
濡れたテントは畳みにくいうえ、その作業だけでずぶ濡れになるのは必至だ。
 また、それで一日が始まるとなるとその日のモチベーションが下がってしまう。

キャンプ場を後にするとその後は降られっぱなしだった。
さらに風は向かい風。
道は思ったより上ることなく、下り基調で助かった。

途中、ハイウェイの横にあったトイレの軒先で休憩。
レインウェアのポケットに入れてあったキャラメル味の小さなナッツバーを数個口に放り込んだ。


余談だが、ニュージーランドのスーパーでは
箱に5,6本入ったミューズリーバーがよく売られていて、補給食として非常に重宝したが、
アラスカではそうしたものはあまり見かけなくて、
小さめの個包装されたスニッカーズのようなものしか見つかられなかった。

このときもそうしたカロリーの高いお菓子をポケットに入れていた。
甘い甘い味が口に広がる。
甘すぎる味が走るエネルギーとなって体に満ちていくようで走る気力がわいてくる。

 

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ポーテジグレーシャーのポストカード。どうしてアラスカのポストカードはロゴがダサいのか。

 

 



今日スワードに着けば、夕方の列車でアンカレッジに戻る。


自転車でアラスカを走るのは今日が最後なのだ。

とはいえ、弱いとは言えない雨の中だ。

冷えた体は正直である。
自転車の旅が終わってしまうというという想いよりも
早くスワードの街に辿り着きいという気持ちの方が強かった。



雨の中、走り続けていると靴のクリート(ぺダルを靴とを固定する金具。靴の裏にある)から水が入ってきて靴の中がベチャベチャになってきた。
その上、シューズカバーとレインパンツの間から浸水してきた。
当時出たばかりの自転車用のゴアッテクスシューズの上からシューズカバーをしていても2時間雨の中走り続けていればこんなものである。

手袋も普通のグローブの上から雨用のモンベルのオーバーグローブをしていたが、これもダメだった。ないよりはマシ程度といったところか。

雨の中を走るのは大変である。
それでも走らなくてはならない人はレインギアにはちゃんと投資をしてほしい。






スワード手前、最後の6、7マイルが工事をしていて走りにくかったが、スワードには思いのほか早く到着した。

まずは食事だ。
レストランに入り、時計を見ると11時58分。
雨の中、30マイルを3時間弱ならいい内容だろう。

食事はハリバットバーガーを食べた。

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ハリバットは巨大なヒラメと思ってもらえればいいだろう。

スワードはスポーツフィッシングが盛んらしく、巨大なハリバットと映っている写真をよく見る。

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この手の写真をスワードでよく見る。web上より転載


バーガーの味はまぁフィレオフィシュだ。
結局アラスカではシーフードをほとんど食べなかった。


アンカレッジまで戻る列車の時間までまだ時間がある。
しばらく土産物屋を見て回るがめぼしいものがなかった。

夕食は列車の中になるので食事を用意しなくてはいけない。
食事をしたレストランはハーバー近くだが、周辺にスーパーが見当たらないので街の入り口まで戻る。

スーパーの前で自転車から降りると、おっさんに話しかけられる。
「あんたさっき見たよ。雨の中ハイウェイ走ってただろ?」

毎度おなじみの会話だが、こういう会話も最後かもしれないとおもうと少しさびしい。

スーパーでは安かったトビコの巻き寿司とポテトチップス、ビールとウィスキーを買った。
巻き寿司はまだマシなクオリティだったが、握り寿司は商品とは思えないぐらいぐちゃぐちゃで笑えた。

 

 

 
 
 

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鉄道の駅には2時半ごろ着いた。

寒い。

午前中、雨の中走り続けたせいで服がぬれたままだ。
乾いた服に着替えて、ウィスキーを口に入れるがあまり温まらない。
よほど体温が下がってしまったらしい。

もう一度街を一周しようかと思ったが、
雨の中出歩く気にならず、列車の出発まで待った。

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スワードの駅舎。web上より転載


スワード半島を走った数日間はアラスカの余韻といった感覚だった。
ダルトンハイウェイを北極海まで行き、帰国までの残された時間をどう過ごすか。

厳しい環境の中、強烈な経験となったダルトンハイウェイの旅の後で
気候も比較的温暖なスワードハイウェイの旅は極北とは違ったアラスカの自然を教えてくれた。
天候こそ恵まれなかったかもしれないが、穏やかな旅だった。

今思えば、ダルトンハイウェイよりも気負いなく旅ができて、自然体の旅であったと言えるかもしれない。




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午後6時になって列車が出発した。

しばらくして車窓を見ると14マイルのマイルポストが見えた。
スワードから14マイルである。
そうだ、午前中ハイウェイがぐっと上って線路を越えたが、ここだ。
踏切になっておらず、高架になっているのをうんざりして上ったのを思い出す。

午前中の出来事なのにもっとずっと前のことに思えた。


鉄道の旅はそれほどの感動もなく過ぎて行った。

それでも一度、正面にグレイシャーが大きく見えたときには感動した。
午後9時くらいに撮影した動画を見ると外が薄暗い。

白夜が終わったとはいえこのくらいの時間まで明るかった。



アンカレッジに到着した。

スケジュール通り午後10時過ぎに到着した。
自転車は貨物車両にサイドバッグと別に積まれていたが、
自転車が先に出てきた。

照明が明るく照らすホームに荷物がどんどん積まれていく。
ホームだけ明るい。

結局サイドバッグは一番最後に出てきた。


雨の中、鉄道の駅から予約をしてある宿、スピナードホステルへ向かう。
アンカレッジ滞在は全部スピナードに泊った。

フェアバンクスから戻ったときもそうだが、
駅のある市街地から空港近くのスピナードに行くのに自動車専用道路があり
スピナードに行くのに苦労した。


スピナードに到着。フロントはしまっていたが、
階段に名前の書いたメモがあり、部屋と指定のベッド番号が書いてあった。

少し前に着いたのだろうか、日本人の客が困った様子で立っていた。
あきらかに年上の男性だったが先輩面して話す。
カードも使えるがキャッシュのほうが安いこと、などなど。
男性は自分のメモを見つけると部屋へ消えていった。


部屋に荷物を置き、シャワーを浴びる。
今回はベッドが下で楽だ。
久しぶりのベッドでリラックスする。


明日は溜まった洗濯をしよう。
明日は荷物を整理しよう。
明日は土産を買って物欲を満たそう。
明日は米を炊いて食おう。

明後日の朝、ついに帰国だ。



リス、ブラックベア、白頭鷲  2006年8月17日

朝目覚めると、外は曇り模様。
テントを畳むとキャンプ場のオーナーの家の玄関を叩いた。
昨日の夜、食料の入ったバッグを預けたのだ。

私営のキャンプ場でクマが出る恐れがあるところで

ソフトシェルのテントで泊る場合は当たり前のことだ。

食料の入ったバッグを受け取るとキッチンスペースでコーヒーを入れるため湯を沸かす。

朝食の支度をしているとリスがやってきたので、
かわいいな、とその様子を見ていたらマーガリンの入れ物を齧りはじめた。


「コラ!」と私が手で追い払うとどこかに行ってしまったが、
すぐに戻ってきて今度はトーストを持って行こうとした。全く油断ならない。

 

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いたずら者のリス。リスぐらいならかわいいものだが。。

こういう動物はどこにでもいる。

きっとキャンプ場の客にエサをもらっているのだろう。

安易な考えで野生動物にエサをあげてしまう軽率な人間にうんざりする。
ちなみにこの旅の数年後訪れたオーストラリアのタスマニア島では
国定公園の駐車場でワラビーにカツアゲにあいそうになった。

人慣れした野生動物が一番危ない。

居心地のよかったキャンプ場を後にし、Portage Glacierへ向かう。

天気は相変わらず、曇りだ。
ただ道も舗装路で走りやすく、自転車で走るには悪くなかった。

 

Portage Glacierに続くトンネルの手前で前からやってくる車が
窓を開けて私に何か叫んでいた。

なんだろう?と思っていたが次に来た車の人の声がはっきり聞こえた。

"Be careful!Bear!"

 

 

私は思わずブレーキを掛け止まった。

 

クマ!

 


ブラウンか!ブラックか!

いずれにせよマズイ。

どうしたものか…引き返すか。
道を横切っただけでもういないかもしれない。

いや、むしろこちらに向かってるかも。

一瞬パニックになりながらもとりあえず、
サイドバックのポケットからベアスプレーを取り出し、
レインジャケットのポケットに差した。

少し迷った後、結局そのまま進むことにした。


果たしてクマはいた。

 

ブラックベアだ。

 

なるほど、ブラウンベアとは明らかに違う。背中にコブがない。
何より大きさが違う。遠くてよくわからないがあれは子グマのようだ。

それにしてもあの至近距離で写真を撮っているオッサンは大丈夫なのか?

 

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森から出てきたブラックベアの子供



私がひとりであたふたしている一方で
クマは特に周囲に気にするわけでもなく、悠々としていた。

そのときはさっぱり気が付かなかったが、写真を見るとあのとき周囲に観光客が写真を撮っていたのがわかる。車の観光客はのんきなもんだ。


とはいえ私も写真が撮りたいので、無謀なオッサンのうしろから写真を撮った。
ビビりすぎだとバカにされるかもしれないが、
至近距離で写真を撮っているオッサンがどうかしてるのであり、
これまでクマやオオカミの恐怖の中で旅をしてきた私からすれば、この距離が限界だった。

正直、万が一の際は、オッサンが襲われるのが先だと思っていた。

写真を撮り、カメラをハンドルバッグにしまうとペダルをいっきに踏み、
ブラックベアの前方を通り抜ける。

ちょうどブラックベアのいる茂みの前を横切るとき、茂みの奥にもう一頭見えた。
手前のよりずいぶん大きかった。母クマだろう。

私は興奮状態のままトンネルを抜け、Portage Lakeへ。


 



 


Portage Lakeから見える氷河は立派なものだったが、数ヶ月前にニュージーランドのFox GlacierとFranz Joseph Glacierに相次いで登った後だったので、氷河を見た!という感動はあまりなかったが、海に氷河のかけらが浮かんでいるのを見つけて、おぉっと思った。

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湖畔のビジターセンターに行く。
ビジターセンターにはクマの警告とエサを与えるなという注意。
それから周辺の街の気象予報。

まぁお約束の光景だ。


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赤白の線がスワードHwy。赤の線がJohnson Pass Trail


カウンターの女性にJohnson Pass Trailの情報を聞く。
このトレイルはちょうどスワードHwyから分岐し、再びスワードHwyに戻る道で
帰国までの限られた時間で寄り道にならないいいルートだった。

ニュージーランドではいいトレイルを走ることができたのでもし行けるならアラスカのトレイルも行きたいと考えたのだ。


そこでそもそも自転車で行けるか確認したかったのだ。
場所によっては自転車禁止の場合もある。

「自転車でいけるかって?あなたマウンテンバイク?なら大丈夫よ。」と
その女性はあっさり言った。


いいじゃないか。

私はビジターセンターを後にした。


風はback wind。しばらくいいペースで進む。


河原のビューポイントで川をみると中州に大きな猛禽類が見えた。


白頭鷲だ。


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大きい。数百メートル離れているはずだが、
その大きさと無駄のないしっかりとした躯がはっきりとわかる。

アラスカで見ることができるとは全く考えていなかったので
この出会いには単純に感動した。私はこの出会いに感謝した。


しばらくして白頭鷲は翼を広げた。
翼を広げるとさらにその大きさが際立った。

一度大きく羽ばたくとそのまま川の上を低く飛び去って行った。

私は白頭鷲が見えなくなるまで見送った。


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Johnson Pass Trailの入口に来る。
道はいわゆる普通のトレイルだ。登山道の入り口といってもいいかもしれない。

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荷物満載のマウンテンバイクで数百メートル走っていくと思ったより走りにくい。
荷物がなければいけるような気もするが、この状態では難しそうだ。

いつか純粋にマウンテンバイキングをしにこのトレイルを走りたいな、と思った。
アンカレッジから比較的近くてアラスカ鉄道も走っているから短期間でも行けそうだ。


そう思って引き返そうとすると大きな糞が数個転がっていた。

大きい。ムースかクマか。この際どっちでも結論は変わらない。
「ハイウェイに戻るか」 私はハイウェイに戻った。



その後はハイウェイはしばらく登りが続いた。そして追いうちをかけるように雨が降り始め気が滅入ってくる。

辛いからと言ってペダルを踏むのを止めれば先には進めない。
だましだまし走る。


Summt Lakeというところでレストランがあったので休憩。
コーヒーとチーズケーキを注文する。

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数ヶ月前、ニュージーランドを一時ともに旅をしたスイス人が
「シマ、あなたいつもチーズケーキばかり食べているわねぇ」と言っていたのを思い出した。

彼女は今どうしているだろうか。
また手紙を書こう。


レストランで支払いをするとき、チップのことをさっぱり忘れていたが
「釣りはいるか」と店の若い男性に言われ「要らない」と答えた。
こういうどうでもいいことははっきり覚えていたりするものだ。


サミットレイクから今日の目的地Moose Passまでは下り基調。
気合を入れてペダルを踏む。


ムースパスに到着。
キャンプ場での支払いをしようとすると小銭がなくて払えず、
向かいのジェネラルストアで買い物してお金を崩す。
ここは感じの悪い店だった。一日走って疲れたあとにはよくない。

ただ、その前に寄ったリカーストアの年配の女性は感じがよかった。
妹が沖縄生まれらしい。


キャンプ場は森の迷路のような作りで、水場が見つけられなった。
疲れていたので水場はあきらめ、今朝、昼食用に作ったサンドイッチの残りと
インスタントラーメンで夕食を済ませ、ビールとウィスキーの時間へなだれ込んだ。


本格的にアラスカで走るのは明日が最後になる。
天候は相変わらずのようだが後悔しないよう走りたいものだ。

 

キーナイ半島の自然 2006年8月16日

北極海を離れてからずっと天気が悪かった。
雨は降ったり止んだりを繰り返した。


一説には帰国まで断続的に続いたこの雨は日本からの影響という説があるが定かではない。


雨の中、ベトベトのままテントを撤収。朝からいい気持ちはしない。
帰国の時にもこのスピナードホステルに泊まる予定だが、

値段も考えると相部屋の宿泊が無難だ。

 

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残った日程は三日。
アンカレッジからスワードという街までスワードハイウェイを走ることにした。

今回もアンカレッジ中央部から郊外に出るまで一時間以上かかった。
自動車専用道があったりしてハイウェイと自転車の相性が悪い。
横に自転車道を作れば済む話だと思うのだが、そこまで需要はないのだろう。

スワードHwyに乗るまでそのそばを走るOld Seward Hwyを行く。
アラスカの基準でいえば狭い道路だが、交通量もそこそこで行くにはちょうどよかった。



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アンカレッジから続く海。極北の海より穏やかに見えた
 


道はやがてスワードHwyと合流した。
終日曇り空だったが、スワードハイウェイは大都市アンカレッジから観光地に向かう道だけあって舗装はきれいで休憩所も多く、全てが旅人にやさしかった。

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何もなく、荒れたダルトンハイウェイを走った後ではなお更そう感じた。


南部と北部では大きく自然が違う、ということに気が付いた。
どちらも自然が濃いが、北部のそれは、短い夏を必死に生きているのが伝わってきたが、南部のそれはもっと大らかな、豊かな自然がそこにあった。

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ビーバーの姿が見えなかったがビーバーダムがあった。

 

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川には多くのサーモンが見られた




花が咲いている。
雨にぬれる淡いピンクのポピーの一輪がとてもうれしかった。


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道端に咲くポピー

 

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道は途中からバイクトレイルになる。
キャンプ場の横を通るが、閉鎖されていた。

「Go North Hostel」でニュージーランドから来たジョッシュとメレウィンとクマの話をしていたとき、隣にいた男が新聞を投げてよこして「毎年、一人ぐらいキャンプ中にクマに襲われて死ぬんだ。今年はもうキーナイ半島で一人やられたみたいだから今年はもう大丈夫だろう」とあまり納得のいかない説明をしていたのを思い出した。

キャンプ場閉鎖の看板とともに今年の事故についても書かれており、どうやらこのあたりで事件が起きたことが分かった。

 クマは怖かったが、バイクトレイルの周辺はたくさんのラズベリーが実っており、私は夢中になってベリーを集めた。

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袋一杯に集まったラズベリー





ベリー狩りを楽しんだ後はひたすら向かい風と戦っていた。

スピードが時速8枚マイルまで落ちる。

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キャンプ場手前のクリーク。淡い乳白色の水が美しくて何枚も写真を撮った

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キャンプ場入口の橋から。クリークの水は氷河から来るらしい


夕方五時ごろ、当初の予定していたキャンプ場とは違うがちょうどいいところにキャンプ場があったので今日はここに宿泊することにした。

キャンプ場は1泊20ドルと少し高め。
これまでの相場は15ドルぐらいだからちょっと悩む金額だった。
しかし、これまで泊ったアラスカの民間のキャンプ場と比べてもでもここはかなりよかった。
ニュージーランドのキャンプ場はたいていキッチンスペースで水と火、もしくは電気の調理器具が使えることが多かったが、アラスカではランドリーはあってもそうしたことはほとんどなかった。

調理器具はちゃんと持っていたが、ガスカードリッジ(英語ではgas canister)は昨日宿泊したスピナードホステルのフリーラックに置いてあった誰かの使いさしのものを一個持っていただけだったので、ガスの心配をしないのはありがたかった。
 

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キャンプ場のキッチンスぺース

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チェックインをしてクマの情報を確認する。
このあたりはブラックベアしか出ないが、用心はしてほしいとのこと。
また、食糧のバッグは預かるので夕食が終わったら持ってきてほしいと言われる。
朝は早く食糧を取りに来ても大丈夫らしい。

途中で採ったベリーを見せて念のため食べられる種類か聞くと、ラズベリーとサーモンベリーで問題ないと教えてくれた。


天気は曇りだったが、風があったので今朝ドロドロのまましまったテントを乾かしていると風で飛んで行ってしまい、あろうことか水たまりに着水した。


一日走った後の疲れと相まって、かなりぐったりしたが30分ほどかけてテント全体を何となく乾かした。


私がテントで苦戦している間にファイアーピットにオーナーが焚火を起こしてくれた。
写真で見ると小さいがこのファイアーピットはかなり大きく、オーナー入れてくれる薪がまた大きかった。実にアラスカ的だ。

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当日の日記を引用する。
「今、焚火の前で日記を書いているが、実はかなり寒い。吐く息が白い。でもいい時間だ。このままずっといたい。」


実際、フリースを来て、ウィスキー片手に焚火の前に座っていた。そうしていないと寒いのだ。

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寒い。でもこの心地よさはなんだろう。
焚火の前にいる。ゆれる炎と時折はじける薪を眺めていると時間を忘れる。
他のキャンパーがたまに通るが、私が自分の時間を過ごしているのを理解してくれるのだろう、「ハイ」と軽く声をかけてくるだけだった。

 



日本にはなかなかない、静かなキャンプ場。
焚火が気軽にできるキャンプ場は皆無に等しい。
こうやってパブリックスペースにすればいいのに。

もっとも、アラスカのキャンプ場には日本のキャンプ場にない「BEAR WARNING」の看板があるのだが。。


Alaska Railroad 2006年8月15日

旅のスタート、アンカレッジまで戻ることになった。
帰国までの数日間、キーナイ半島で過ごすためだ。

フェアバンクスからアンカレッジまではアラスカ鉄道で移動することに決めた。

バスと飛行機という手段もあったが、
ニュージーランドから帰国する際、
南島の西海岸の果てHaastというところからQueenstownに移動する際に
激しい車酔いに襲われた記憶が新しく、丸一日のバス移動は乗り気になれなかった。
また、飛行機はコストが高いのと自転車の梱包が面倒なのですぐに選択肢から消した。


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アラスカ鉄道のBordingPass

いや、それより何よりアラスカ鉄道に乗ってみたかった。


私は鉄道マニアではないが、鉄道の旅は昔から好きで
国内でも学生時代には夏と冬の18切符を使い切るぐらい輪行していた。

とはいえ、アラスカ鉄道に乗るというのは
アラスカに行ったらやりたいことリストではあまり上位ではなかったが
これは経験することができてよかったと思う。


フェアバンクス発アンカレッジ行きは
フェアバンクスを8:15に出発し、終点アンカレッジ到着は20:00。

丸一日の旅だ。


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Fairbanks駅

 

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駅のエントランスで

 

 
 フェアバンクスの駅でチェックインをする。
自転車は別料金がかかった。ただ、そのまま載せてくれるので面倒がなくていい。
 
 
 

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列車が走りだした。
日本の列車に比べると走る速度がのんびりだ。

470マイル、750キロを12時間かけていくのだからのんびりだろう。

距離からすれば東京~岡山ぐらいで、
実際新幹線を使わないで行くと同じぐらい時間がかかるようだが
駅の数がそもそも違いすぎる。
アラスカ鉄道は10駅程度しかない。

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正直、はじめは遅いと思ってしまったが、日本の鉄道の速さが異常なのだろう。
アラスカ鉄道が観光鉄道ということもあるから当然ゆっくりというのもあるかもしれない。
日本の社会は急ぎすぎだ。

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屋根がガラス張りの展望車両

 

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アラスカ鉄道はフェアバンクスからデナリを通り、アンカレッジに至る。
つまり、私がアラスカの旅の前半で走ったパークスハイウェイをほぼ並走するルートだ。
しかし、ときおり現れる建物群がどこの街かわからなかったりすることがある。
鉄道とハイウェイの旅では見え方が違うものだなと思った。


 
 
 
 
 
 
 
 

 

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鉄道の旅にアルコールはかかせない


しばらくしてビールの栓をあけた。
これまでの旅について振り返った。

ダルトンハイウェイを走破して、何だがいまいち実感がない。
変な感じだが、実際そうなのだ。

 

旅の困難をいくつも思い出す。
本当にガムシャラだった。

ただ、北極海へデッドホースに辿り着くことだけを考えて前へ前へ進んだ。
それだけだった。
日本に戻った後、こんなに単純にガムシャラになれるだろうか。

答えは出るわけもなく、車窓を流れていくアラスカの景色を見ながらバドワイザーを飲んだ。

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車掌の若い女の子と乗客の老夫婦の会話が耳に入った。
多くのアラスカ鉄道の社員はアンカレッジかフェアバンクスに住んでいるらしい。

また車掌にはアラスカ鉄道の懐中時計が支給されるらしく、
車掌の女性は懐中時計を掲げて見せてくれた。
なんだかうらやましい仕事だな。

ふと冬のアラスカ鉄道にも乗ってみたいと思った。



列車がアンカレッジに着いた。
白夜が終わったとはいえ、アンカレッジは午後8時でもまだ日暮れといった感じだ。

初日と同じスピナードホステルを予約してあったので自転車で向かう。


途中、自動車専用道路を避け自転車道を行くが途中で道がなくなる。
階段をなんとか自転車を押して降りていくと 公園に出てた。


そこでムースの親子に出会った。

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 さすがだな。
大都市の真ん中でムースが普通に木の葉っぱを食べている。

この時間の迷子には参ったが、おかげでいいものを見ることができた。
これで出会っていない大型動物はブラックベアとジャコウウシぐらいだが、
ブラックベアには会わなくていいな。


少し迷子になったもののスピナードに到着。

スピナードでは今回、部屋ではなく、
庭のキャンプサイトに泊ることにしたが
地面が泥でテントが汚れてしまった。これで19ドルは高い。
帰国前は前のように相部屋を取るべきだな。


少し天候がよくないが明日からのキーナイ半島の旅を楽しむことにしよう。



再会と出会い 2006年8月13日~14日

Fairbanksに滞在した二日間、記録がほとんど残っていない。
あいまいな記憶を探りながら書くことにする。

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朝早く、渡辺さんはネーチャーイメージの牧栄さんに連れられて旅立って行った。
良い旅を。
渡辺さんはこのあと壮絶な旅をすることになる。
詳しくは渡辺さんのブログで

旅の途上〜カヌー野郎のツレヅレ〜 アラスカ珍道中




アリーとレオは朝早く帰国の途に就いた。
老練のサイクリストたちは笑顔で去って行った。
私もあんなふうに自分より若い異国のサイクリストに笑顔で話しかけ、
さりげなく励ますことができるだろうか。


私はダルトンハイウェイから戻った後のことをほとんど考えていなかった。
帰国のフライトは8月20日

まだ1週間ある。
「Go North」のキッチンに少々高いがカヌーツアーの案内があったので
電話してみるがつながらない。一応留守電を残す。


どうしようか。


帰国はアンカレッジからなのでどのみちアンカレッジには戻らなくてはならない。
一週間で東のリチャードソンハイウェイ回りで自走でもどるか、バスを使うか、
はたまたアラスカ鉄道で一日かけて戻るか。
何も決まらぬまま時間だけが過ぎた。

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ワイズマンの宿で作った食事。鮭をフレークにしてご飯に載せた

 

 
 



その日、また「Go North」に日本人がやってきた。
キッチンで出会ったその人は写真家の松本茂高さんだ。
〔松本さんの写真ブログhttp://shige0504.blogspot.jp/ ホームページhttp://blog.spiritbear.jp/

聞けば、mont-bellのカタログや『カヌーライフ』に写真が載っているらしい。
すごいな。


松本さんはザックから小袋に分けられた食糧をとりだしながらそんな話をしてくれた。

些細なことだが、きちんと小分けされたふりかけや調味料を見て
松本さんが本当に旅慣れた人だとすぐわかった。

衣食住を背負って旅をするには、荷物のパッキング術というのも非常に重要である。
どこに何が入っているのか、重さのバランスがいいか、きちんと分けてあるか、など。

そうした基本をちゃんとやっていくことが
疲れた時に食事を作る時などにも体への負担を少なくし、トラブルを軽減させることになる。

食糧を小分けにしたりするのは面倒だが、重要なことでもあるのだ。


アラスカやカナダを何度も訪れているという松本さんはいろんなことを教えてくれた。

アラスカの北部は火災が森を育て、南部は風、倒風木が森を作ること、
カリブーや狼の季節移動にも南北の風土の違いが見て取れること

南北の異なる世界がアラスカという一つの統一的な自然を形成しているということ。


松本さんに私があと一週間時間があると相談するとアンカレッジの南、キーナイ半島を薦めてくれた。
移動時間などを考えてもちょうどいいかもしれない。
キーナイ半島に行く方向で動き出した。

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アンカレッジの道端で。夏のアラスカの街は驚くほど花が多い。



午後から買い物へ。
ビーバースポーツという大型のアウトドア用品の店に行く。

うわさには聞いてたがほんとうに大きな店だった。


ビクトリノックスのVoygerというモデルが37ドルになっていたので購入。
それからダルトンハイウェイで失くしたサングラスの代わりに
新しいオークリーとケースも購入。このケースはいまだに現役である。

ビーバースポーツをうろうろしていると見覚えのある男とすれ違った。
Coldfootでガスカードリッジをくれた男だ。


お互い、顔を見合わせ、次の瞬間大きな声を出した。


「ワオ。元気だったか。ガスは役に立ったか。無事に北極海まで行ったのか?」
 彼は矢継ぎ早に話し出した。

これから彼は東回りでアンカレッジまで自転車で行くという。

私は無事にデッドホースまで行ったこと、
ガスはおかげで十分足りたことを伝え、何度もお礼を言った。

となりにいた新しい相棒を紹介してくれた。
こちらで知り合った男らしい。
こういうのも楽しそうだ。

アラスカは人がいる場所は限られているとはいえ、
こんなことがあるなんて感激だ。

結局、彼の名前は知らない。だが、彼のことは一生忘れないだろう。

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左がフェアバンクスで再会を果たした男。彼はいま何をしているだろうか。




ダルトンハイウェイへ向かうとき、人生のアドヴァイスをくれた日本人女性に会いに
インフォメーションに行くが、今日は不在。休みらしい。
今日は日曜日だ。

日本に北極海から無事に帰った報告をメールでしようと図書館に向かうが、
当然のように休み。

だが、さすがに日本のカレールーまで扱う超大型スーパー「フレッドマイヤー」は
ちゃんと営業していた。

晩御飯にクラムチャウダーを作ることにし、ベーコンなどを買う。

「Go North」に戻り、夕食にクラムにチャウダーを作る。
見た目はマズマズの出来だったが、ベーコンの脂がよくなかったのかしつこくなってしまった。


さしてうまくないスープをも飲みながら、
そろそろ帰国を考えて残りの食糧などを計算しなくてはならないなと思った。
帰国まで一週間だ。


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夜、松本さんとKさんと焚き火を囲む。
一時、日本のうまいものトークになってしまったが、
松本さんの過去の旅のことやフォトグラファーとしての暮らしなど
いろいろな話が聞けた。

アラスカを人生の基軸に据えて生きる人の話を聞くことができて心が震えた。

本の中の出来事でしかなかったことを実際にやっている人がいる。

私は人生を自分の力で切り開いている人に会って心から尊敬の念を覚えた。


帰国後、松本さんにメールを送ると次にような返信をくれた。

ブルックス山脈を10日間縦走しました。
トレイルも何も無い山域を藪漕ぎしながら進んでいくとてもハードな旅でしたが、

身も心も洗われる素晴らしい旅となりました。」

 

ブルックスに独りで入っていく。


私はその苦労を想像する一方でとてもうらやましく思った。

 

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フェアバンクス郊外のパイプライン

翌日、 再びインフォメーションセンターに行き、
恩人の日本人女性と会うことができた。

彼女は前に来た時ほど多くを語らなかった。


彼女は北極海まで行ったことへの賛辞を口にして少し話したが
しばらくして彼女はほかのお客に呼ばれて行ってしまった。
彼女にには私がもうなんとかやっていけることがわかったのかもしれない。

インフォメーションで私は明日のアラスカ鉄道を予約した。

松本さんと話してアラスカでの数日間を南部のキーナイ半島を旅することにしたからだ。
明日、鉄道でアンカレッジに戻り、そこからキーナイ半島をスワードまで行き、
再びアラスカ鉄道でアンカレッジに戻り、帰国の途に就くことに決めた。

その後図書館へ行き、日本へ生存報告と帰国時の迎えのお願いをした。


幸い大学時代の後輩が快諾してくれ
セントレア空港まで迎えに来てくれることになった。

自転車があるとおいそれと帰れず何かと不便なのだ。

 

それから『Milepost』のコピーをとらせてもらう。
図書館の人に、『Milepost』と何度か行ったが、
私の発音が悪くて『Milepost』が伝わらず、
紙に書くと「あぁ」と図書館の人はすぐに持ってきてくれた。

ホント英語力なんとかしなきゃな。

 

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ダルトンハイウェイのヤナギラン群生地

「Go North」に戻るとオフィスの人が

「おお、日本人のサイクリストは君か。カヌーツアーのことで電話があったから
電話かけてやってくれ」と教えてくれた。


カヌーツアーのところへ電話し、「今回は予定が合わなくなってしまったから、
次にアラスカに来るときにはまた連絡するよ」と伝えた。


残念ながらまだ「次」が来ていない。


「次」はぜひ家族で「Go North」に宿泊し、カヌーツアーに行きたいものだ。