定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

Lake St.Clair 2008年12月28日

7時過ぎにゆっくり目覚めた。
キッチンで朝食を摂っていると、キッチンにいたおっさんが「今日は雨だぜ」と脅してくる。
窓の外を見れば、なるほど、そんな天気だ。


まずは次の集落、Bronte Parkを目指す。
グレートレイクから離れると道は再びダートになった。


道は再びダートに
 

走っているうちに体が温まってきたので、着込んでいたレインギアを道の端で脱いでいると通りがかった車が止まって、ドライバーの若い男性が「おい、トラブルか?」と声をかけてくれた。

「いや、何でもない。大丈夫だ」私が答えると、安心したのか走り去っていった。
やさしい人もいるものだ。ささやかな好意はいつでも大歓迎だ。





道は川と交わるところで、一度川の高さまで下った後、再び上りになる。
川に橋を架けるのに一番橋が短くて済むところに橋を作っているのだろう。
日本のように谷にそのまま橋をつくってしまわないのがいい。



自然にはやさしいが、サイクリスト泣かせの道だ。
この先の数日間、こうした道が続くことになる。

川のアップダウンがあったもののブロンテパークまでは思ったより早く着く。

ブロンテパークのジェネラルストア


ジェネラルストアでいくつかパイを買い、食べていると「Good morning」と声をかけられたので時計を見るとまだ、10時半だった。ここまでいいペースで来たな。


行儀のいい犬
 








ブロンテパークからは昨日に続いて、吹きっさらしの向かい風。
長い下りと上りも笑ってやり過ごせるようになった。人間変われば変われるものだ。



そう思っていたが、途中から道に飽きてきた。それに加えて雨が降ってくる。
次の集落Derwent Bridgeまで13キロという看板からがひどく長く感じられた。


いつもこんな感じでアップダウンだ



途中から今回の旅で初めて、雨対策としてレインオーバーグローブを投入した。
レインウェアのおかげで体が濡れることはなかったが、雨に長いこと降られれば気が滅入ってくる。そして体も冷えてくる。

ダーベントブリッジの手前に「The wall」というミュージアムを見つけ、入ることにした。



「The wall」はパイン材の板を彫刻・研磨し、
人物や道具などをリアルに表現した作品が展示されていた。



「The wall」の名前のとおり、壁一面に板に彫られた作品が並び、圧巻だった。


Web上から転載。場内は通常、撮影禁止


また、革手袋を題材にした彫刻作品があったが、木で作っているのにもかかわらず、皮の質感が見事に表現されており、ほんとうに素晴らしかった。

私は自分が旅をしていることを忘れてひたすら作品に見入っていた。

帰りがけにポストカードを2枚買った。そのうちの1枚で友人に手紙を書いた。



ミュージアムを出ると、雨はだいぶ弱くなっていた。
「The wall」からダーベントブリッジまではあまり遠くなかった。
ダーベントブリッジでビールを購入。少し高いが仕方ない。

ダーベントブリッジから今日の目的地であるLake St.Clairまでは目と鼻の先だ。

さりげなく世界遺産だ。どこかの国のように「世界遺産にようこそ!」とか書いてなくていい。



レイクセントクレアに到着。
寄り道をした割に、思ったよりも早く着くことが出来た。

ここは国定公園で多くのトレッキング客がやってくる。
インフォメーションセンターの建物も立派だ。



インフォメーションの入り口に指定キャンプ場とバックパッカーの空き情報が出ていたが、
ともに「No Vacancy」となっていた。

インフォメーションで話をすると、キャンプ場はいっぱいだが、バックパッカーは空きがあるという。キャンプ場でよかったのだが、仕方が無い。
当然のように国定公園内は指定地域以外キャンプ禁止である。


ビジターセンターに行く。ビジターセンターの職員に日本人の女性がいた。

これから湖の周りを少し歩いて、翌日はQueenstownの方へ向かう、
と言うとレイクセントクレア周辺地図の他に、クィーンズタウンまでの地図をくれる。

彼女に「ニュージーランドのクィーンズタウンに行ったことは?」と聞かれたので、
「ありますよ。小さいけれどきれいな街ですよね」と答えると、
「こっちのクィーンズタウンと比べてみて下さい」と意味ありげに笑って言った。


どういう意味だろう?だが、それ以上教えてくれなかった。


彼女はこちらの学校でレンジャー関係の勉強した後、ここで勤めているそうだ。
ここで働けるのは運がいい、と言っていた。

なんでもタスマニアでは就職するのにコネがないと難しいことも多いらしい。

ふと、東海岸のコールズベイで出会ったヒロキくんが、
レイクセントクレアからクレドルマウンテンに連なるトレイルを
1週間ほどかけて歩くと言っていたのを思い出し、
ヒロキくんが来なかったか聞いてみたが、彼女は見ていないという。
もう一度ヒロキくんに会いたかったな。


レイクセントクレアの周りのトレイルを1、2時間歩いた。






 





ときどき小雨が降る中、鮮やかなレインウェアに身を包んだ人々がトレイルの入り口を行き交う。少しトレイルを進むと人もまばらになった。





湖畔に下りると、風がゆられた水が岸に当たって小さく砕ける音が聞こえる。


あいにくの空模様だが、グレーの静寂の風景はずっと印象に残った。



この日の日記には「少し歩いただけでは、良さがわからない」と書いてあるが、
思い返すといろいろな景色が蘇ってきて、いいところだったんだなと思う。


旅のあと、旅を振り返るというのは、すぐにはわからなかった気持ちや感動を再発見するのにいいのかもしれない。


旅する老夫婦 2008年12月27日

朝、テントを撤収する際に少し雨に降られたが、その後は晴天に恵まれた。

グレッグとスー、それから犬のミッチーに別れを告げ、再びダートロードを走る。

昨日ほどではないが、峠と思われるところの前後でよく上った。


ダートの道は思いの外、長く続いた。道の途中で舗装になるかと思ったが、Hwy A5、ハイランドレイクスロードにぶつかるまでダートロードだった。

 

 

朝方は冷えたので、レインジャケットを着て、レッグウォーマーをつけていたが、日差しが強くなっていたので休憩のとき、ジャケットを脱いだ。
今日は降られないといいな。


この「今日は降られないといいな」という言葉は毎日口にした。
キャンプ暮らしの身には切実な問題なのだ。


巨大な倒木のそばで休憩。補給はリンゴやビスケットがいい。


今日の目的地、Great Lakeに向かうA5に入ると、急に視界が開けた。
主要道路なのだろう、道も広く走りやすい道であったが、北から猛烈な風が吹き続けており、向かい風の中、ペダルを踏み続けた。


このあたり一帯はSt.Patoric Planesという平原らしい。道路の脇にぽつんと標識が立っていた。


平原に一本伸びるハイウェイをひたすら進む。
まさに吹きっさらしというのがふさわしい状況で、時速も10キロ程度しか出ない。
めげそうになりながらも、気持ちを奮い立たせ、平原の終わりを目指した。
タスマニアはサイクリスト泣かせの地形が多い。



セントパトリック平原では羊の牧場があった。彼はどこから出たのか柵の外にいた。


昼を過ぎた頃、ジャンクションに到着。
ちょうど大きな木が生えていて、周囲が広くなっており、休憩するのにちょうどよかった。

昼食にインスタントラーメンを作る。

ラーメンができあがる頃、私が来たのと同じ方向から、小径車に乗ったじいさんがやってきた。すごいな、小径車か。
話を聞くとリッチモンド方面から来たらしい。


「食事は?」と私が尋ねると「今、妻が来る」と言って、道の先をずっと見つめて待っていた。

しばらく待っても姿が見えないので、本当に来るのか?と訝っていると遠くにようやく奥さんの姿が見えた。

この向かい風の中、よく走るなぁ。


スピードこそゆっくりであるが、確実に近づいてくる。

奥さんも旦那さんに負けず、もう老人と言っていいような年齢に見える。
すごいな。


二人はアメリカ、ペンシルバニアから来ており、オーストラリアはタスマニアとパース~アデレードを結ぶグレートオーシャンロード、それからニュージーランドを4ヶ月かけて回るらしい。この年になって夫婦でこんなことができるなんて素晴らしい。

こんな風に年を重ねる事が出来たらいいな。



二人の小径車は「bike Friday」だった。ヘッドパーツがChris kingだったので、
「いいヘッドパーツだね」と私が言うと、
奥さんが「ヘッドチューブが長いから、強いパーツがいいのよ」と答えた。

すごい、奥さん。ちゃんと分かって使ってるんだ。
このご夫婦、本当にすごいな。

二人は簡単に食事を済ませていた。ずいぶん少ないように見えたが、あれで足りるのだろうか。

私はインスタントラーメンを食べた後、残ったスープにインスタントのマッシュポテトを投入して食べたが、これは失敗だ。不味い。

それから昨日、ロスのベーカリーで買ったキャラメルファッジを食べる。
甘すぎなくて美味しい。少し食事の量が足りない気もするが、さっきも休憩でリンゴとビスケットを食べたことだし、どのみち旅をしているときはいつも空腹だ。

小径車のご夫婦に聞くと、彼らも今日はグレートレイク泊まりらしい。
「じゃあ、またあとで」そういって、ご夫婦より先に出発した。


再びハイランドレイクスロードを北に向かう。


地図の情報によれば、この先はダートとなっていたが、実際は舗装がされていた。道の状態がいいのは救いだが、相変わらず、強い風向かい風が行く手を阻んだ。
ペダルを踏むたび、膝がきしむ。

グレートレイクのあるMienaに到着。
グレートレイクといはなんともわかりやすい名前の湖だ。確かに大きい。



少し水量が少ないのか、草木に覆われた岸から砂利が少しむき出しになっていた。


街をうろうろするが、今日の宿泊予定のグレートレイクホテルが見つからない。
同じおっさんに2回遭遇して、今度また会ったらホテルの場所を聞こうと思っていたら、3回目遭遇したときにオッサンのほうから話しかけてきてくれた。

「パブか?パブならもっと向こうだ」そういって湖の向こう側を指さした。


なんだ、全然見当違いの場所じゃないか。

どうやら、グレートレイクホテルは街から離れた場所にあるらしい。

ロンリープラネット』をよくよく見れば、「turn off to Bronte Park」と書いてあり、私がちゃんと読んでなかっただけであった。


グレートレイクホテル、と言っても、実際はモーテルに近い。
バーでチェックインを済ませ、ついでにビールを買う。

夏のはずだが、暖炉に火が入っていた


田舎のバーはよそ者を寄せ付けない雰囲気があって、あまり好きになれない。

部屋はなかなか清潔だった。
さすが35ドルしただけのことはある。タオルが付いてきた。



少し休憩し、たまった洗濯物を片づける。
数日分の洗濯物を手洗いするのはなかなか苦労する。

洗濯物を干し終わる頃、小径車のご夫婦がやってきた。けっこう時間はかかったが、ちゃんと走って来られるものだなと思った。



夕食は前にかっておいたツナ缶でチャーハンを作る。



キッチンが使えるときは米が食べたくなる。たいてい、調理器具も食器も使える。
キャンプで自分の鍋でやってもいいが、洗うのが面倒なので、そうしている。

安くてお世話になった大手スーパーcolesのツナ缶


そろそろ朝食のパンに付けるジャムがないので、
砂糖を買ってキャラメルソースでも作ろうかと思ったが、砂糖が高かったのでやめにした。
次の大きな街はどこだろう。Queenstownか。

キッチンのテレビで「料理の鉄人」が吹き替えで流れていた。
海外で流行っていると聞いたことがあるが本当らしい。


ふと思い出して、外の電話ボックスから日本のお世話になっている自転車屋さんに電話した。
店長さんはいつもの調子で元気そうだ。注文しておいたロードのフレームが届いたらしい。
自転車乗りの友人たちによろしく伝えてもらうよう頼んだ。



明日はタスマニア有数の国定公園であり、世界遺産であるLake St.Clairに向かう。
ひさしぶりに少しハイキングをしよう。

タスマニア湖沼地帯へ 2008年12月26日


昨日はテントで横になっているうちに寝てしまった。

夕方、あたりが少し暗くなってきた頃、バーベキュースペースに人が集まっていた。




キャンプ場のオーナーがソーセージを焼いている。
私の姿を見つけるとトングを持った手を軽く上げ、私を呼んだ。



「パンやマスタードはそこにあるから、焼けたソーセージ挟んで適当にやってくれ」と
バーベキュースペースの奥をトングで示した。

 




実は私はこういう感じにあまり慣れていない。
空いている席に腰を下ろし、ホットドッグを頬張りながらビールをチビチビ飲んだ。

これがキャンプ場のクリスマス、というところだろう。

回ってきたビスケット


しばらくして、隣にいたじいさんと話をするが、
じいさんモゴモゴ言っていて、何を言っているのかよくわからない。

何度か聞き返すと、数日中にホバートに大きな嵐が来るらしい。

おいおい勘弁してくれよ。


******************


朝、ロンフォードを後にする。
ロンフォードの街から出るのに少し苦労するが、これもいつものこと。








 

 


ロンフォード郊外は麦畑が広がり、とても豊かな景色だ。


天気は雨が降りそうな曇り空だが、Rossまで快走。

 

 



途中のCambelltownとManaraで休憩し、平均速度20キロで走ることが出来た。
タスマニアに来てからこのペースは珍しい。いつも15キロも出ればいいほうである。



 





ロスの街は古い町並みが有名だが、日本人には他に有名な場所がある。
Ross Village Bakeryである。

何が有名かというと宮崎映画「魔女の宅急便」に出てくるパン屋のモデルになったのでは、
と言われているからだ。


実際、見てみると、
まあ、言われてみれば、そうかもしれないという感じだ。




店内に入る。

あまり広くないが、お客さんはお客さんは多く、賑わっていた。
ショーケースには美味しそうなパイやファッジが並ぶ。



 




私は昼食にフィッシャーマンズパイとチョコレートファッジ、ベーコンエッグパイそれにキャラメルファッジを注文した。


 

フィッシャーマンズパイはホタテと何か練り物のようなものが入っており、とてもおいしかった。

 

ベーコンエッグパイ。真ん中に卵。これもおいしかった


チョコレートファッジはココナッツとクッキーが入っていて、
タスマニアのスィーツにしてはそこまで甘くなくて、口によくあった。

ファッジというと甘すぎて、自転車で旅をしていて体力を消耗していなくては
とても食べられないほど甘いものが多いものだが、ここのはそうでもなかった。

別にキャラメルファッジを購入したが、
こちらは『ロンリープラネット』オススメ商品である。テイクアウトにした。


充実した昼食を終え、リカーストアで夜のビールを買い、ロスを後にする。


当初、ロスからは南にずっと抜けて、
最初の都市ホバート近くまで行こうかと考えていたが、
なぜかそのあたりの街にはキャンプ場がないようなので、
そこまで南下せず、西に向かうことにする。

西へ行くルートはタスマニア中部の湖沼地帯に続いている。


ロスからしばらく強い向かい風にやられるが、ジャンクションに到着。

ジャンクションからルートに入るが、
主要ハイウェイではないためか道はやがてダートになった。
これは想定内だ。

ダートといっても、かなりしっかりしたものだ。
日記の記述によれば、「ダルトンハイウェイの後半程度」とあるので、
日本の未舗装路と変わらないぐらいだろう。


しかし、その後、目の前にこれまでツーリングでは経験したことがないくらいの
激坂が立ちはだかった。


私は絶句した。


これはマウンテンバイクでトレイルを走りに行って、何とか乗って登っていけるレベルだ。

登りで足をつく、ということはほとんどないが、今回ばかりはそうはいかなかった。
頂上か、と思って止まるとまだ先がある。

そんなことが何度もあって、ようやく頂上まできた。

これはひどい
私はこれまでそれなりに場数を踏んできたが、これは最大級の峠だ。
タスマニアの峠はどこも急峻だが、まさにこれはその最たるものだろう。





ひどい峠の後は、下るわけでもなく、道はフラットになった。
のぼりが終わってほっとした。

疲れた。当たり前だ。
早くテントを張って寝たい。




セルフタイマーがうまく使えずちゃんと取れなかった。3テイク目。


しばらく走りInterlakenに到着。
「Interlaken」と看板があり、街というほどでもなく集落があるだけ。
キャンプ場があると『ロンリープラネット』と書いてある。
今日はここで宿泊の予定。


一か所車が多く停まっている場所があったが、そこはキャンプ場ではなかった。
何かの集会場だろうか。
こんな辺境で車が多すぎる。怪しすぎて近寄れなかった。



道の周囲に木々が深く茂っており、夕方にしては暗く感じた。


少し迷ったが、キャンプ場を見つけた。
キャンプ場には先客のキャンピングカーが一台。


 
 
 
キャンピングカーのそばにいた男性が、水場とトイレを教えてくれた。
 
自分のテントを張っていると、先ほどの男性が、お湯の入った鍋を一つ持ってきてくれた。
 
「これ使うといいよ」
 
男性はグレッグといい、奥さんとキャンプしながら旅行しているそうだ。
 
私は礼を言うと、もらったお湯で体を拭いた。
 
最後に残ったお湯を背中にかけた。
疲れてはいたが、湖畔のキャンプ場で服を脱いで湯を浴びるのは爽快だった。
 
 
 

 

 

 

 

 

夕食は日本から持ってきたタラコスパゲッティのソースでパスタを作る。
食事をしながら、明日のドリンク用にお茶を沸かす。

そして『ロンリープラネット』の地図を何度も見て、明日の予定を考える。
旅の日常だ。


ふと思い出し、自転車のサイクルコンピューターを見ると、
今日の走行距離は116.5キロになっていた。

午前中は調子よかったとはいえ、よくやった一日だったな。


今は夏のはずだが、少し肌寒い。
グレッグに頼んで火に当たらせてもらう。


左の鍋のお湯をもらった

焚火に当たりながら、ビールをあける。
焚火の前で飲むビールはなぜこんなにうまいのだろう。

グレッグと奥さんのスーと話す。

 
 

 

二人はタスマニア北部、ビューティーポイントに住んでいるそうだ。
 
 
 
 

 

グレッグたちの愛犬ミッチー。愛想のいい愛くるしい犬であった。
 
私はビューティーポイントの近くを通ったのでバッドマンブリッジを通ったことなどを話した。
途中でタスマニアの鉄道の話になったが、タスマニア在住の人からしても
鉄道が貨物だけで旅客がないのはおかしいことらしい。
ちょっと安心した。
 
スーが手作りのパウンドケーキをくれた。
フルーツがふんだんに使ってあってとてもおいしい。
 
3人でしばらく話した。
夫妻は昨日もここに滞在しており、きのうは中国人の若者たちが車で来て、
夜、ウォンバットに興奮していたらしい。
 
ウォンバット。Web上から転載
 

 

夜、物音がして起きたがウォンバットの姿は見えなかった。。

 

 
 
 
 

焚火を囲んで話している時間。

旅をしているとこういう時間を過ごす機会に恵まれるが、
本当に何物にも代えがたい時間だと思う。


 

真夏のクリスマスはLongfortdで 2008年12月25日

クリスマスの朝。


街はどんな感じなんだろう?
普段通りなのか、騒がしいのか、それとも静かなのか。




自転車を宿の外に出し、出発の支度をしているとリアタイヤがパンクしていた。

フロントはホイールを外すときにキャリアの一部を外さないといけないので(下がクイックに挟んで固定している)、リアでよかった。

どうやらスローパンクのようだ。クリスマスの朝からパンク修理とは。


ホイールを外していると、宿の女性が「パッチとかうちで売ってるわよ」と声をかけてくれた。

「大丈夫、全部持っているから。ありがとう。」
私は礼を言い、作業に戻った。

タイヤに何も刺さっていないようなので、チューブを交換して済ませた。今
思えば、このときパッチを買っておけばよかった。
のちに後悔することになる。


修理完了。


これまで雨もあったので、タイヤは真っ黒だった。
もちろん、そのタイヤを作業をした私の手も真っ黒に汚れた。

ちょうど宿の玄関を掃除していた女性に、真っ黒の手を見せて、
「手、洗わせてもらってもいいかな?」ときくと、
少し笑って「Absolutely」と言ってバスルームの方を指さした。

バスルームで手を洗い、玄関の女性に礼を言い、握手して別れた。
「クリスマスよ。車に気をつけてね!」


アートハウスバックパッカーズを後にする。
最後まで印象のいい宿だった。


 

 

 


 ロンセストンを後にし、南に向かう。

タスマニアは北部のロンセストンと南部のホバートを結ぶハイウェイが走っており、オールドタスマンハイウェイと呼ばれている。



その名の通り、タスマニアでも古い街道で、特にロンセストン周辺には昔からの小さい街が点在している。


今日はこうした街を巡り、のんびり過ごすのだ。

ロンセストンの町外れからハイウェイが2キロほど、真っ直ぐな上り坂になった。都市から出るとき、ときどき出くわす状況だ。メインのハイウェイを使うと多いケースだと思う。

長いのぼりの後は平穏な道だった。

タスマニアには鉄道が走っているが基本貨物用。旅客はごく一部。


夏のクリスマスの陽射しが眩しい。




昼にはEvandaleの街に入る。

 



ロンセストンもだったが、外に人がほとんどいない。
なぜか見かけたのはロード乗りばかりだ。




エヴァンデールの教会の横にある公園で昼食。



 
 

 

 



メニューはインスタントラーメンにインスタントのマッシュポテト、それからリンゴ。





こんなものでも外で食べればうまい。


昼食を食べた後、シューズのクリートの位置をずらした。膝がずっと痛いのだ。多少でも痛みが軽減されるといいが。

昼食後、エヴァンデールからPerthという街に立ち寄る。
ここにもさっぱり人影がない。


 

 


その後、今日の目的地、Longfordまではすぐ着いてしまった。

キャンプ場に向かうと、無事に営業していた。よかった。
レセプションのおじさんもとても感じがいい。

夜、バーベキュースペースでソーセージを焼くからおいで、と誘ってくれた。

カーストアの場所を聞き、クリスマスでも営業しているか尋ねると、
「やっているんじゃないかな。酒なら夜パーティしてるときに誰かがワインぐらいくれるかもしれないよ」と教えてくれた。

私は礼を言い、テントサイトに向かった。

キャンプ場は背の高い木がほどよい間隔で伸び伸び茂っており、木陰がとても気持ちよかった。

 
 



キャンプサイトは草に覆われていて、寝そべっても気持ちがいい。
また、大きな木がほどよい間隔で繁っており、やさしい木陰を作っている。

さらにテントサイトの横には小さな川が流れており、カヌーに乗っている人が見えた。



施設のいいキャンプ場は珍しくないが、
街中にあってこういう気持ちのいいキャンプ場は珍しいのではないだろうか。

 

 

 



こういうキャンプ場が近所にあれば毎週末に行きたいぐらいだ。



一本の木の下にテントを張り、とりあえずビールを買いに行く。
夜、誰かに貰えるかもしれないと言われても、
こんなに気持ちがいいのにビールを飲まない手はない。



カーストアも無事にいていた。
店は中に入ると暗く、狭い通路の奥に格子付きのカウンターがあった。
そのカウンターの向こうにいくつかの酒の瓶が並び、真ん中に店主がいた。
なんだか、怪しい店みたいだな。

というより、荒くれた時代から続く店なのかもしれない。

ビールは見当たらなかったが、「Boag's二つ」と言うとちゃんと出てきた。ありがたい。




キャンプ場に戻り、早速ビールを開け、草っ原に寝転んだ。

 





いい時間だ。



こうして本を読み、ビールを飲みながら川を眺めてもいい。



コーヒーを淹れて、チョコレートをつまむのもいいかもしれない。

音楽をかけて眠ってしまってもいい。

或いは歴史小説を読んで戦国時代に想いを馳せてもいいだろう。



となり、と言っても200mぐらい先のおじいさんは
木陰で犬と寝そべっていて、とても満足そうだ。




私も音楽を聴きながら、ビールを飲み、マッシュポテトをつまみながら
日記を書いているが、なんともいい。


今度の旅はこれでいいのだと思う。


どこか目的地に到達すること、それだけが重要ではない。

このタスマニアという土地で、この風土にあった自分なりの自由というものを求めていく。
そういう旅だ。


 




Launceston散策  2008年12月24日

今日は休息日。ロンセストンの街を一日散策する予定だ。
偶然、クリスマスイブだが、そこはあまり重要ではない。
 

 
ハチミツを塗ったトーストとコーヒーで朝食。
シンプルな朝食を済ませるとに自転車で街の中心部に出た。

荷物のない自転車は軽い。

街の中心地を散策する。
いろんな店を眺めて通りを歩いていると楽しい。

 
立ち寄ってしまうのはやっぱり自転車屋。
ニュージーランドを代表するバイクメーカー「AVANTI」のショップはスペシャライズドも数多く取り扱っていた。販売系列が同じなのかもしれない。
 
いいウィンドブレーカーがあれば欲しかったが、見つからなかった。
 
 

かわりに私が勝手にオセアニアユニクロアウトドアと呼んでいる「カトマンズ」で
レーサージャージと帽子を買った。98ドル(7,500円)。
カトマンズ商品が増えてきたな。


思わず撮ってしまったラボバンク。当時はプロチームがあった

自転車屋の他、チッキン用品の店に入る。
日本で買うより安いものがあればと思ったが、
ルクルーゼなどの外国製品は日本とさして変わらない値段だった。

こういう店も楽しい。日本のGlobalの包丁があった。


一旦、宿に戻り、昼食。


昨日オリーブオイル、香味野菜、ハーブでマリネしておいたチキンを焼いて
フリーフードのラックにあった誰かが置いていったマスタードをかけていただく。

マスタードの甘みと酸味が程良い。

昨日、チキンをマリネしようとモモ肉の掃除していると、
それを見ていたマダムが「あなた料理好きなのね」と言ったので、「Yes!」と笑って答えると
マダムも満足したのか満面の笑みを返してくれた。


昼食
キッチンの棚。上には宿泊客の食料。
棚の上のフリーフード。宿泊客が置いていく。

 

アートハウスのキッチンにあったお皿とマグ。この宿は本当にセンスがいい。



よく見かけたポスター
宿の中庭
自転車は中庭に置かせてくれる。安心。

昼食後、ロンセストン南部へ。

 
高そうな食品雑貨のお店をのぞく。 タマーリバーの横に立つその店は黒い扉がなんともお洒落だった。
店内には美味そうなチーズとハム、それにワインが並んでいたが、どれも見た目通りの値段だった。
帰国直前なら考えたが…
 
街を一回りして、最後にスーパーに寄って買い物。
ジャム売り場で、当時日本で売られていなかったボンヌママンのルバーブジャムを見つけたので、土産に購入。ただ、瓶が割と重く次の2週間持って走るのが躊躇われた。実はルバーブが読めずに何のジャムか分からなかったが。
  

毎日のようにお世話になるビール"BOAGS"の工場
 
 
 

 



街の公園。BMXで遊ぶ子供たち。この環境ならうまくなるわけだ

 

 

 

ロンセストンにはヨットも多い

 

Tamar riverの奥の谷

 

街の花屋

 

 

アートハウスの昔の写真

 

あてがわれたベッド。清潔だった。
宿にふたたび戻り、晩御飯。
今日はチャーハンだ。

旅先で食べるチャーハンとビールは最強だ。
休息日はこれに限る。




リビングにはサムスンの大きな薄型テレビが置かれていた。
こちらではLGとかサムスンをよく見る気がする。
この古い建物に薄型の大型テレビはどうかと思ったが、
他の客がテレビを見てくつろいでいるのを眺めていたらこれでいいような気がしてきた。


イスに座って日記を書いていて、ふと目を上げると
おばさんが三人。それぞれ本を読んだり、テレビを見たりしている。

なんだが笑えた。

一人のおばあちゃんと話す。
おばあちゃんは70歳を超え、最初の息子はもう50歳を過ぎているらしい。

70歳!? 70でバックパッカーに独りで泊るなんてやるなぁ。

これまでニュージーランドのハミルトン、オーストラリア本土、台湾に住んだことがあるらしい。

昨日も今日も、見かけたときはボイルした野菜をパクパク食べていた。

元気なおばあちゃんだ。
たくましい。

こういう70代は素敵だ。



こんな人に出会えるならバックパッカー泊りも悪くない。

 
 

そろそろ日本に生存報告をしようと思い、宿のパソコンでネットに繋ぐ。

8ドルも使った割にあんまり上手く使えなかった。これならビールもっと飲めたな。
 
 

 

これからの旅の予定を考えてみた。
 

  

 
帰国は年明け1月7日。帰りの飛行機はデボンポートから出る。
フライト前日にはデボンポートに入りたい。
 
これからの2週間で中部から南西部をまわり、ふたたび北部へ出てデボンポートに行く。

その途中で、なんとかクレイドルマウンテンには行きたい。

やはり、そうなると北西部のスタンレーまで行こうとすると、かなり日程に無理が生じる。
 
 
悩んだ末、スタンレー行きはやめることにした。
 

 

 
無理せず、自分のペースで旅をしよう。
 
明日はクリスマス。
ロンセストン周辺の古い街を巡って、キャンプ場のある街でのんびりしよう。
 
 
さて、クリスマスでもキャンプ場はやっているのか?

それ以上にリカーストアは空いているのか?

 
重要な疑問は解消されないまま、クリスマスイブの夜は更けていった。

 




Tamar Valley 2008年12月

ローヘッドのキャンプ場を後にして、ジョージタウンまで戻る。
ジョージタウンで昨日立ち寄ったインフォメーションセンターに行く。
ジョージタウンからロンセストンに広がるタマーバレーは両岸に道があるが、
ロンリープラネット』によれば、谷の西側の道ほうがおすすめらしい。


今いるジョージタウンは谷の東側である。
対岸の街、Beauty Pointへ渡るフェリーがあるというので、
タイムテーブルを確認して、都合が会えば使いたいところだ。


インフォメーションセンターには昨日のペンギンツアーのスタッフの女性が働いていた。
インフォメーションがツアーもやってるのかもしれない。

フェリーについて尋ねると、「クリスマス休暇かも。確認しますね。」と電話してくれた。


フェリーはやはり、クリスマス休暇だそうだ。まだ一週間は動かないらしい。


いやはや。


フェリーと言ってものんびりしたものである。
これぐらい日本もゆっくりしていてもいいのにな、と思った。

インフォメーションにはサイクリスト向けのタスマニア全土の主要な道路と参考ルートを網羅したマップが置いてあった。
地図には参考ルートだけでなく、ルートの高低差が記載してあり、かなり充実した内容であった。きっと作った人は自転車を分かる人だろう。
アクティビティ全般でオーストラリアは進んでいる。



インフォメーションを後にして、しばらくタマーバレーの東岸を南下する。
フェリーは使えないが、タマーバレーには一本橋があるので、そちらに向かうルートを取ることにした。


橋はその名を「Batman Bridge」といい、『ロンリープラネット』によれば
1968年に開通したこの橋はこの手のつり橋としては世界で初のものらしい。



バットマンブリッジの下はちょっとしたレクリエーションエリアになっていた。
駐車場に果物を売る店が出ていた。



バットマンブリッジを渡る。


日本で本州~四国間にかかる橋を多く渡っているが、
大きな橋を渡るのはとてもわくわくする。

橋の上からの景色もいい。

 

橋の向こうの道はどんな道だろう?

バットマンブリッジを越え、タマーバレーの西岸に出る。  雲ひとつない快晴。
今日は青い空が眩しい。


強く陽射しが、剥き出しの腕を容赦なく焼いていく。暑い。

谷を抜ける風が強く吹くかと思っていたが、
思ったほど風はなく、順調に進んだ。
とはいえ、道はいつもの楽とは言えないアップダウンだ。
今日は水ぐらいしか飲みものを持っていないが、思ったより大丈夫そうだ。

タマーバレーを行くハイウェイからは
大きく湾曲するタマーリバーと対岸の緑がとても美しい。
また、ワイン街道であるこのハイウェイにはぶどう畑が点在していた。


いい道だ。

ハイウェイはLeganeの街に入る。 街で昼食にするつもりでいたが、店を探しながらハイウェイを進んでいると左手におなじみの大型スーパー、ウールワースがあった。
 スーパーの飲食店じゃなぁ、と思って、ウールワースの横を通り抜けると、すぐに街の外れまで来てしまった。
 
日本の感覚でいると、こういうことがよくある。街がコンパクトで、次に店があったら入ろうと思って進むと結局何もなくてそのまま街の外に出てしまうのだ。
 
腹は空いていたが、まずまずのペースで走っていたこともあり、戻るのも面倒なので、そのままロンセストンへ向かうことにした。

 

ロンセストンまでそんなに距離はないはずだが、
だんだん腹が空いてきた。


「どうしたものかな」


道はいつの間にか川と同じ高さになっていた。

このあたりは湿地帯になっており多くの鳥を見ることができた。


ハイウェイ沿いにちょうど保護区の入り口があったので
ここで昼食にすることにした。

今日は街が点在するルートなので、

どこかのカフェで昼ごはんかなと思っていたので特に昼食は用意していない。

 

自転車のフロントキャリアから食料の入ったパニアバッグごと外し、

強烈な日差しを避けて日陰に行く。

 

いつも食料はパスタとツナ缶、パスタソースになるようなもの、

香味野菜(たいていタマネギ、ニンニク、ショウガぐらい)、

朝食用のトーストブレッド、あとインスタントラーメンを欠かさないように持っている。

 

簡単に済ませようと、ラーメンとピーナッツバターを塗ったトースト、

ビスケットにコーヒーでランチにした。

 

 
 

 

 

水辺の木陰で湿地に集まる鳥たちを見ながら食事をするのは悪くなかった。 

穏やかなランチタイムであった。

  

湿地の保護区から10キロも行かずにロンセストンに入る。

 

予想したよりもかなりの都会だ。

さすがタスマニア北部最大の都市。

中心部はすごい賑わいだ。久々の都市でこれはこれでなんだかうれしかった。

 

まずはトランジットセンターに向かう。

 

実は、これから先、タスマニア全土を回ろうとすると
どう考えても日数が足りず、
タスマニアでもっとも有名なクレイドルマウンテンへ行こうとすると
日程に無理が出るため、クレイドルマウンテンへは自走で行くのは諦め、
ロンセストンに数日滞在し、ロンセストンからクレイドルマウンテンへ出ている
バスが使えないかと思ったのだ。


トランジットセンターの入り口で青いワンピースを着た女性に声をかけられた。


東海岸で出会ったレベッカだった!

スポーツウエア姿しか見たことがなかったので、見違えた。

 

となりにアダムスもいた。

「ハイ!今着いたのか?」アダムスが矢継ぎ早に質問してくる。


彼らは東海岸のセントヘレンズで私と別れた後、
セントヘレンズにもう一泊し、ブランクスホルムで一泊!し、
(ちょうど私の一日あとだったようだ。)

そのままスコットデールからロンセストンに入ったらしい。

 

彼らはこれから、メルボルンへ飛び、親戚とクリスマスを過ごすそうだ。

 

「もうタスマニアで会うことはないな。次はどこだ?フランスか?スペインか?」
私がそう言うとアダムスは笑った。

 

旅する者たちはこうあるべきだと思う。

 

彼らは結婚したのだろうか。そんなことを想像するのも楽しい。

 

トランジットセンターでバスについて聞いてみたが、
都合良く行って帰ることができる便がないことが分かった。
係の女性に「レンタカー使えばどう?」と言われたが、
今回は国際免許を持ってきていない。

たかが一か月と思い、国際免許を取ってこなかったことを後悔した。

 

結局、当てになるのは自分の足ということか。

 

トランジットセンターの女性に「おすすめのバックパッカーはあるかい?」と訊くと
「とてもprettyなところがあるわ」と言って「Arthouse Backpakers」を紹介してくれた。

場所も値段もいい。そこに泊ることにした。

 

アートハウスは歴史的な建物らしく、その概観はとても美しかった。
中はぼろくても仕方ないと思ったが、とても清潔だった。

しかも一泊23ドル(2000円弱)と普通のバックパッカーと変わらない値段だった。

これなら非常に安いと思う。

 

 
 

近所のスーパーで買い物をし、久しぶりに夕食に米を炊く。
宿での楽しみの一つだ。今日は親子丼を作った。

 

 

宿泊客に日本人の女性がいたので、親子丼をおすそ分けし、
ビールを飲みながらしばらく話す。日本で助産師をしていたそうだ。

 

日本語の会話を聞きつけて、若い日本人の男性も会話に加わった。
結局、三人で遅くまで話し込んだ。

 

内容は特に覚えていない。

だが、このときはそれでよかったのだ。

明日は一日、ロンセストンの街を回ろう。

 

Low Head Penguin Tour 2008年12月22日

朝、腕時計のアラームで目を覚ました。いつも寝過ごすのを防止するためにアラームをかけるようにしている。一日走って、ビールを飲んで寝るとテントが明るくなっても目を覚まさないことがあるのだ。

よく寝たな。
昨夜は10時過ぎには眠ってしまったのではないだろうか。

タスマニアの車のナンバープレート 絶滅したとされるタスマニアデビルが描かれている

 

 

 
 
 


いつも通り朝の支度をする。
キャンプ場は昨日より人が多いように感じた。タスマニアのキャンプ場はオフィスが五時には閉まってしまうのだが、その後で来る人も多いようだ。

いつもより少し準備に時間がかかった。

昨日のオランダ人サイクリストの夫婦はまだ起きたところのようだ。今日はここに滞在するのかもしれない。



ブリッドポートから走り出す。
道は概ね平坦。空には少し雲が多いが、風は弱い追い風。なかなかいいペースだ。

ハイウェイの周囲にはブドウ畑が広がる。このあたりはワイナリーが多く、ハイウェイにはブドウのマークの標識に”WINE ROUTE”と書いてある。

どこかで土産にワインを買いたいなと走っていると、"DELMERE"というおしゃれな看板のワイナリーがハイウェイ沿いにあったので立ち寄る。



ワイナリーのカウンターには綺麗な女性がひとり。もちろんカウンターの上にはワインが並んでいた。







「試飲してみる?どれがいい?」

私が図々しく「全部試したいな。」と言うと、
「いいわ!」と言って、順番に説明しながら出してくれた。

 

 
 



私が日本から来たというと、昔福岡にいたことがある、と言っていた。
前にもNZでそんなことを言っていた女性がいたっけな。



私は甘めのロゼのスパークリングワインを土産用に一本購入した。
荷物が随分重たくなるが、この前のアンティークショップの土産や、最初にホバートで買ったジャムもあることだし、そろそろ一度荷物を日本に送ればいいだろう。





Pipers riverの街でジェネラルストアに立ち寄るが、店員の感じが悪かった。
腹が減ってきたが、食事ができそうな店もないので、
昨日スーパーで買ったビスケットをかじってしのぐ。

次のGeorge Townは大きい街なようなので、そこまで我慢しよう。


NZを旅したときに一時行動を共にしたマレーシア人サイクリストが
ある峠の上でビスケットを分けてくれたことを思い出した。
彼はいつか北海道に行きたいと言っていた。元気だろうか。



道は相変わらずのアップダウン。ほんとにタスマニアはすごいな。
日本のアップダウンは比較的小さいのが続く感じが多いが、
こちらは一つ一つのアップダウンが長い上、その斜度がケタ違いだ。

アップダウンのあとはフラットになる。
意外とよく走ることができた。


ジョージタウンに入る。

ジョージタウンタスマニア北部の都市Launcestonからバス海峡へ向かって広がる
Tamar Valleyという大きな谷の東海岸に位置する街だ。

タスマニアは北部に街が多い。

南部は州都ホバートがあるものの、
西側は道さえないところもある手つかずの自然が残るエリアだ。
そのあたりは旅の後半に行くことになる。



インフォメーションセンターで道を確認。
空腹なので、その足でカフェに入る。




カフェはそこそこ客が入っていて、なかなかオーダーを取りに来てくれなかった。

ようやくオーダーを取りに来た女性にカウンターの裏の黒板の一番上に書かれていた「Chicken Schnit Zel Berger」とchipsのsmall、それからMoccaccinoを注文した。


バーガーはサクサクチキンのフィレをメインに、パイン、パプリカ、トマト、レタスが入っていた。ちょっと変わり種な感じがしたが、なかなか美味しかった。


食事を済ませ、モカッチーノを飲みながら日記を書く。
ここのラジオの選局はいい。
ジャニス・ジョプリンの「Me and Bobby Mcgee」が聴こえてきた。


さあ、土産を送りにポストオフィスに行こう。


ポストオフィスで荷物を梱包する。
今日買ったワインに、セントヘレンズのアンティークショップで購入したコーヒーカップ、
ホバートのサマランカマーケットで手に入れたジャムとラベンダー柄の豆皿などを
段ボールに詰めた。

船便で100ドル。
私の帰国より後に届くだろう。

帰国後、届いた荷物をほどくと
残念ながら、豆皿とコーヒーカップの2枚あるソーサーの1枚が割れていた。

日本に送ったコーヒーカップ。このソーサーの下にもう一枚ソーサーがついていた。



ポストオフィスを出て、出発しようとすると
自転車に乗った少年が勢いよく近づいてきて「この自転車乗ってるの?」と聞いてきた。
「そうだよ。キャンプしながら旅をしているんだ」私が答えると満足したのか、
少年は来た時の勢いでそのままどこかに行ってしまった。


ときどきこういうことがあるんだよな。
なんだか、野良犬みたいで笑えた。


今日の宿泊予定であるLow Headは小さな街のようなので念のため、ビールを買った。

タスマニア産のカスケードペールエール。
この旅で飲んだ中ではうまいビールだ。


ビールを買う頃、雨が降り出してきて
雨の中、走るのはまだしもテントを張るのは気が重いなと思いながら
ローヘッドに向かう。

幸い、雨はしばらくして弱くなってきた。


ローヘッドまでは割と近かった。
本日のキャンプ場は「Low Head Beachfront Holiday Village」。

一泊23ドルと高いが、その名の通り、道を挟んですぐ先が海で
タスマニアのキャンプ場にしては設備が整っていて快適だ。

 ニュージーランドの「Top10 Holiday park」がこんな感じだった。



テントを張り、キャンプ場のレセプションに戻り、
近くでやっているペンギンツアーの予約をお願いしにくと
キャンプ場の女性は「予約?要らないわよ。時間になったら、そのまま現地に行けばいいわ。場所は分かる?」と教えてくれた。

ニュージーランドでは宿やキャンプ場のオフィスが
各種アクティビティのあっせんをしてくれるのだが、タスマニアは少し事情が違うようだ。


あたりが暗くなる頃、再びライトハウスを目指す。
眩しい夕日があたりを照らす。




なんて美しいのだろう。



夕日に輝く草の上をタスマニア特有の強風が流れていく。
北から吹くこの風はオーストラリア本土から来るのだろうか。


ペンギンツアーのことを忘れて、しばらく草原のなかに立ち尽くした。




ペンギンツアーは道沿いの小さな小屋で、周囲が暗くなる頃、入り口が開いた。
16ドルを支払い受付をしてもらう。
「日本人?」と訊かれ、「ああ」と答えると、日本語の解説文をくれた。

もっともツアー中は暗くて読めなかったが。


ツアーの客は20人くらいだっただろうか。
ガイドがこのあたりに生息するフェアリーペンギンについて説明をしてくれた。
このあたりはフェアリーペンギンのコロニーで、産卵地になっているらしい。

それ以上は英語が聞き取れなかった。

ガイドに連れられ、波打ち際に行くと、
体長30センチほどしかないフェアリーペンギンが次々と浜に上がって、
ブッシュに入っていく。




すごい数だ。



こうやってペンギンが自然な状態で守られているのはとてもいいと思う。
ツアーのお金やツアーの小屋で売っていた土産はペンギンのための環境保全に使われるそうだ。

あれで16ドル。安いよな。
ただ、英語がイマイチ理解できなくて、そこだけ消化不良な感じだ。


キャンプ場に戻り、自分の英語力のなさを嘆きながら、ビールを飲んで眠りに落ちた。

 






夕暮れのBridport 2008年12月21日

Rengerwoodで道を尋ねたら、別れ際に、"Have a merry Christmas!!"と言われた。
なるほど、あと数日でクリスマスだ。
こっちはクリスマス期間はお店とか営業するのだろうか?こういう基本的なことが分からない。
まあ、なるようにしかならない。


**************************


朝はいつもよりゆっくり起きて、出発の支度をする。
キャンプ場のキーをスーパーに返却し、デポジットの20ドルを返してもらう。
スーパーには昨日会ったオランダ人サイクリストの夫妻がいた。

昨日はブランクスホルムの手前、Derbyまで行ったらしい。
本当にすごいな。今日はScottsdaleまで行くそうだ。

スーパーの男性にハイウェイを避けて、Rengerwoodという街へ迂回するルートを回った方が激しく坂が少ないからそちらへ行くといいと教えてもらう。

オランダ人夫妻にも教えてやったが、距離が伸びるからハイウェイを行くと言っていた。


走り出すと左の膝が痛む。
道は激しくアップダウンだ。

リンガーウッドに入る。街の入り口に巨大な木のモニュメントがあった。街を進むと至るところにそうした木のモニュメントがあった。



モニュメントの下に何かの碑があるものもあり、お墓かもしれないな、と思った。

リンガーウッドは街というより集落というぐらいのところだが、教えてもらった迂回路がわからず、家の前で芝刈り機で芝を刈っていたおばさんに道を聞いた。

おばさんは「えっ?何?」と芝刈り機を止め、つけていた防音のイヤーマフとサングラスを外して応対してくれた。


すまんすまん。


芝刈り機おばさんによれば、迂回路はずっとダートロードだから、どっちもどっちじゃない?ということだった。



結局、私は近くの道からハイウェイに戻った。
まあ、木のモニュメントも見ることが出来たし、いいとしよう。

ハイウェイを少し行くと、オランダ人夫妻の姿が見えた。
近道を教えておいて、結局遠回りをしてしまい、彼らを抜き去るときなんだか恥ずかしかった。



昨日のブランクスホルムまでの道ももなかなかの坂だったが、スコッツデールまでの道は更に上をいく劇坂アップダウンだ。

 東海岸のアップダウンも「おいおい」というレベルのアップダウンだったが、このあたりは周りが開けている分、よけいに激しく見える。



お年寄りが坂の上で転んだら、どこまでも転げ落ちてしまいそうなぐらいの劇坂だ。

スコッツデールの街。坂が凄過ぎて笑える




今日は天気がいいからアップダウンにはうんざりしながらも、気持ち良く走れるが、雨だったら最悪だな、と思った。



スコッツデールの街へ続くハイウェイは前に伸びているというより、上に伸びているように見えた。

 


苦労の末、スコッツデール到着。
街にはスーパーマーケットのウールワースがあった。
大手スーパーなので、いろいろ安い。ガムテープとツナ缶などを買う。

お腹がすいてきたので、見つけたカフェに入る。
Cafe on kingという店だ。

 



ステーキサンドとMaggcinoを注文。サンド8.5ドルは少々高い。




挟んであるのはチーズ、トマト、レタス、タナネギ、ケチャップ、ステーキか。
半熟の卵と甘いケチャップがうれしい。日本に帰ったら作りたいな。
食べにくかったが、味は良かった。ただ、イマイチ満腹ではない。

サンドを食べていると、奥の席に座っていたじいさんが私のところにやってきて話しかけてきた。

「今日はどこから?」「どこへ?」

私は「Bridportまでだ」と言うと、どこからか地図を持ってきてあれこれ説明してくれた。
全くいい人がいるものである。



スコッツデールからもあきれるしかないアップダウンが続いた。

 

 



とはいえ、午前中よりは順調に進んだ。




今日の目的地、ブリッドポートに近付いた頃、「Garden Cafe」の看板を見つけ、
誘惑に負けて立ち寄った。


このガーデンカフェ、「Flying Teapot」はその名の通り、庭がとても広く綺麗だった。

 
 

 

 
 
 

 


店の中に入ると、なんともかわいい感じだ。


愛想のいい年配の女性が「何にする?」と聞いてきた。
私は迷わずいつもの通り「カプチーノ」と答えた。お腹がすいていたので
「何か甘いものある?」と聞くと店の女性はショーケースのチーズケーキを指差した。

いいねぇ、チーズケーキ。ニュージーランドでは本当によく食べた。

チーズケーキは大変おいしかった。ペロッと平らげる。
 



店には常連だろうか、奥に年配の女性が座っており、いつものように「どこから来たの?」と聞かれたので話す。
「今日はブランクスホルムから走ってきたよ」というと、店の女性といっしょに驚いていた。
私は簡単にこれまでの旅の話をした。


カプチーノを飲みながら日記を書いていると
カフェの向こうの芝生にプロペラ機が着陸した。



おお、なるほどFlying teapot。

プロペラ機から降りたパイロットが飛行場側の入り口からそのままカフェに入ってきた。
なんだか『紅の豚』のワンシーンのようだ。

店の女性はパイロットと話をしていて忙しそうだったので
出発することにした。

会計を済まそうとすると「お構いできないでごめんなさい。4ドルね。」と言われた。
これではチーズケーキの代金は入っていない。
チーズケーキの代金もちゃんと払うと言ったのだが、聞いてもらえなかった。
私は「ありがとう。ケーキとっても美味しかったよ。」と伝え、カフェを後にした。

旅先での善意はほんとうにうれしい。



ブリッドポート到着。ブリッドポートはタスマニア北海岸の街だ。

海沿いの街はどうしてこんなにも眩しいのだろう。

街の入り口でオシャレな建物が出迎えてくれた。街に着くと単純にうれしくなる。今日はここまで。今日も日が高いうちにテントを張ってゆっくり出来そうだ。



街の入り口のリカーストアでビールを買い、キャンプ場へ向かう。

キャンプ場は一泊20ドルと高めの値段だが、海岸のすぐ隣にあり、ランドリーやシャワーなどが充実していた。きっと家族連れなどがたくさん使うのだろう。

テントを張っていると、例のオランダ人夫婦に会った。

旦那さんは相変わらずちょっと偏屈な感じだが、奥さんは優しく話しかけてくれた。

ふたりはテントの横に座って、ワインとチーズとパンを分け合うようにして食べていた。

シンプルな食事。

ああやってずっと旅をしているのだろうか。
いや、そうやって人生をふたりで歩んできたんだろう。
「年を重ねる」ということを垣間見た気がした。


オランダ人夫妻の自転車とテント



自分のテントを張って、海岸に向かった。


キャンプ場を抜け、岩場を越えると海岸線が見えた。


 

 



なんて綺麗なとこなんだろう。


遠くにカヌーが見えた。



この海で遊ぶのは楽しいに違いない。
なるほど、この街にしばらく滞在するのも魅力的だな。
私は海に降りて、しばらく波間を漂った。



キャンプ場に戻り、いつものようにビールを飲みながら夕食を済ませた。


日が傾いてきた。


私はカメラを持って浜辺に戻った。


浜辺に至る道はすでに暗くなっていたが、浜辺に出ると空はまだうっすら明るかった。



岩場に腰を下ろし、私はただ海を眺めた。



浜辺には私しかいなかった。


空が淡いピンク色に染まり、波を浴びた砂浜はその色を優しく映した。




また素晴らしい景色に出会えた。
私はこの景色を決して忘れないだろう。

旅は続く。



 
 

山岳の日 Branxholm 2008年12月20日

セントへレンズを8時ころに出て走り出す。

セントヘレンズは小さいが、必要なものはだいたいそろう街で、
通りも海も空もとてもいい印象の街だった。また来たい街の一つだ。

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セントはレンズからハイウェイA3を西へ。あまり走らないうちに、一軒の店が見えた。

手前に看板があり、赤と黄色の看板の印象がなんだかいかが

わしい感じで、一瞬、アラスカの「Skinny & Dicks」を思い出したが、全然違った。

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アンティークのお店だ。

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中に入ると感じのいい老人がカウンターにいた。


 

 

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整然とカトラリーが並ぶ。店主の許可を得て写真を撮った。

 

 


こういう店には一度来てみたいと思っていたので、店の中を何度も見て回った。
整然と並ぶクリスタルガラスやコーヒーカップ。見ているだけで嬉しくなってきた。

自転車旅でなく、普通の旅行だったら、きっとたくさん買い物をしていたところだろう。

使い方の分からない小さいナイフのような道具があり、店主に聞くと爪の生え際の皮を切る道具だそうだ。

ははっ。面白いな。

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悩んだ末、古いコルク抜きとテーブルクロスを購入した。

会計の際、店主に「カップが欲しいが、自転車の旅で荷物はあまり持てないし、それに割れてしまいそうだからやめておくよ」と言うと、

「大丈夫、ちゃんと梱包するよ」と言ってくれたのでコーヒーカップのセットも購入した。
カップはいわゆる「プチプチ」できれいに包んでくれた。

こういう商品を扱う店の店主は「欲しければ売ってやる」的なものかと勝手に思っていたが、
全然そんな感じではなかった。

せめて日本国内であれば、買い付けに行きたい店であった。


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非常に感じのいい店主

 

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素敵なアンティークショップを出て、再び走り出す。
上りがひたすら続く。今日、宿泊を予定している街までは70キロほどなので
そこまで急ぐ必要はないが、なかなか辛い。

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ある坂の上に着くと、二人の年配のサイクリストがいた。

オランダ人の夫婦である。もう老人と言っていい年齢の二人だ。
ワォ!

7週間旅をする予定で、タスマニアを3週間、
後の4週間はオーストラリア本土を旅するらしい。

いやはや。

私も年を重ねたらあんな風になれるのだろうか。
自分がお手本にしたい年の重ね方がそこにはあった。


それから余談だが、オーストラリア本土のことは"Main land"でいいようだ。



オランダ人老夫婦を追い越した後、そこからもずっと道は上りだ。



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途中、集落に入ったところで一旦、平坦になるもののその後も上りが続く。

ここまでくるとさすがにへばってくる。

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休憩をはさみながらだが、2時間ほど上り続け、WELD PASSの頂上に到着。

日本の感覚では標高1,500mぐらいまで上がった感じだが、
峠の看板をみるとわずか373m。

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ウソだろ?たった400m弱って。

この先も続くことになるが、
タスマニアの峠はがんばって上った割に、実際の標高は低い峠が多い。


峠で昼食を摂った。
前日、夕食の際に作っておいたテリヤキサンドをペロッと3個平らげ、コーヒーを淹れる。

コーヒー豆の粉を携帯用のドリッパーにセットし、コーヒーを淹れている時間は
私にとって旅の日常であり、一番大事なことの一つでもある。

外で食べる食事は格別だ。

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峠から次の街までは下りだった。
さらにその次の街までの道は、周囲に広大な丘が広がり、
圧倒される景色だった。

私はなぜか、かつて旅したニュージーランドと北海道を同時に思い出した。

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丘の間を走るのはとても気持ちがいいのだが、なかなかスピードが出ない。


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Derbyという少し大きな集落まで、時間がかかってしまう。

ダービーは川沿いの谷に作られた街だ。
住宅はそこそこあるが、店は多くない。

思ったより時間にゆとりがあるので、休憩。

ジェネラルストアに外にアイスの看板があり、
思わずアイスを購入。3.4ドル。

ビールより高いとは。。さすが田舎。

それでも欲しかったから仕方がない。
朝からとても暑いのである。

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アイスを食べた後、すぐにギャラリーカフェを発見したので入ってみる。

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落ち着くいい場所だ。

ずっと太陽の下にいたので、カフェの中がとても涼しく感じられた。

いつものようにカプチーノを注文し、しばらく日記を書く。

 

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カフェの入り口。この透明のビラビラはスーパーの入り口とかでも目にする

 

カフェの後はしばらく平坦な道が続いた後、再度アップダウン。
 
 

しばらく走って今日の宿泊地、Branxholmの街に着いた。
街の入り口の長い坂を下ると、街の中心地だ。

まだ日は高いが、今日はここまで。
次のScottsdale まで行くと、キャンプ場が開いている時間につけるか微妙なところだろう。



まあ、ビールでも飲んでゆっくりすればいい。



キャンプ場は街のプールの隣にあり、道を挟んだ向かいのスーパーで支払いをする。
テント泊は8ドル。水は使えるが、飲む場合は沸かさないといけないそうだ。
そのくらいは問題ではない。


私は芝生に悠々と立つスペード型の木の下にテントを張った。



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やはり明るい時間にテントを張るのが楽でいい。

荷物をテントに置いて、ブランクスホルムの街を歩いた。

ビールを買いにバーに入ると、もうビールを飲んでいる人が何人もいた。
他の街でも見かけたが、缶ビールに保冷用のカバーを付けてビールを飲んでいる人が多い。みんなマイカバーを持っているようだ。


奥のビリヤード台が騒がしい。

正しい田舎のバーだ。

私はタップでビールを注文し、バーテンと特に話す訳でもなく、カウンターで一杯飲むと、
一本テイクアウトしてキャンプ場に戻った。


キャンプ場でシャワーを浴び、洗濯をする。

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夕食。キャンプの日はいつもパスタを食べた



食事を作っていると白い犬がやってきた。

特に何かをねだるでもなく、キャンプ場の敷地内を走り回りながら、ときどき私の前にやってきて、頭を撫でてやると、しばらく私のテントの横で座っていた。

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犬は暗くなるとしばらくして、何処かに行ってしまった。

きっと近所に住んでいる犬なのだろう。毎日こうしてキャンプ場を見回りしているのかもしれない。

 

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上りと日差しがきつかったが、旅らしい一日だった。
明日も晴れるといいな。


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Binalongbay 2008年12月19日

 


St.Helensのユースホステルの朝は静かなものだ。



電気ポットでコーヒー用のお湯を沸かし、ポップアップトースターでトーストを焼く。
ニュージーランドタスマニアも大抵のユースやキャンプ場にこの二つのキッチン家電はある。

こちらで売られているトーストは厚さ2cmぐらいの薄切りのものが
一斤で売られているのがほとんどで、自転車のサイドバッグに入れていると
必ずと言ってほど、潰れてクタクタになってしまう。

そのため、焼く前に形を直して、トースターにセットするのだが、
変形しているおかげで、焼けても「ポンッ」と出てこない。

よくキッチンでいっしょになった客に
「おまえのトーストはグニャグニャだなぁ」とからかわれた。


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今朝はピーナッツバターを塗ったトーストとフルーツ。
窓際の席に腰を下ろし、地図を眺めながら朝食を食べた。

今日は荷物を宿に置いて、セントへレンズから程近い
bay of fireの北、Binalongbayで一日過ごす予定だ。

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ちなみにbay of fireとはタスマニア東海岸の岩が赤い地域一帯のこと。
この赤い岩を見るたびにタスマニアだなと思う。

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facebookページ「discover Tasmania」より




窓の外には素晴らしい快晴が広がっていた。
海で泳ぐのもいいかもしれないな。

朝食の皿を洗い、私は宿を出た。


荷物がほとんどないマウンテンバイクは軽い。
いつもこうだといいんだが。

ビナロングベイには南部から走ってきたハイウェイを離れて、田舎道をゆく。
タスマニアはハイウェイでものどかだが、このあたりはさらに何もない。
いい朝だ。

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ビナロングベイは幾つかのアコモデーションとレストランがある程度の小さな街。


ピクニックエリアにマウンテンバイクを置き、ビーチに向かう。

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小道を進むと、真っ白な砂の向こうに青い海が見えた。

白い砂浜に足を踏み入れると砂がキュっと音をたてた。



なんて素晴らしい場所なんだろう。

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私はしばらく海を見て立ち尽くした。

こんなに素晴らしい場所なのにほとんど人はいなかった。
こんな場所があるんだな。

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お昼時になり、レストランに入る。
ビナロングベイを見ただけでもう満足だが、今日の目的は実はランチである。

今日はたくさんお金を使うことになってもいいからクレイフィッシュ(イセエビ)を食べるのだ。
ニュージーランドを旅したときにカイコウラという街に着いたら食べるつもりでいたら、
急遽きこくすることになって食べられなかった、ということがあり、
名物と言うのでここで食べようと決めていたのだ。

選んだ店は先ほどのビーチが見下ろせるレストランで、シルバーとブラックの内装がオシャレな店だった。

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私はレーサージャージにパンツだったので、入り口で出迎えてくれた店の女性に「こんな格好だけどいいかな?」と聞くと、「もちろんよ!海が見えるテラスの席が空いてるからそこに座るといいわ」と案内してくれた。

席からは先ほどのビーチがよく見えた。
メニューを持ってきてくれた先ほどの女性に「クレイフィッシュはあるかい?」と尋ねると「ごめんなさい、今日は入ってきてないの」と言われてしまった。オススメを聞くと「オイスターがあるわ」と牡蠣をすすめてくれた。

残念だが仕方がない。

オススメの 牡蠣とフライドポテト、それからスパークリングワインを注文した。


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牡蠣は申し分なかった。味は予想通りだったが、レストランのテラスから見える景色と地元のスパークリングワイン「KRLOLINGER」が素晴らしく、優雅な時間を過ごすことができた。
日本への土産はこのスパークリングワインにしよう。

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海を見ながら、日本の友達に年賀状を書いた。
真面目に働いている人たちに「タスマニアは夏で暑くて仕方がない。今、青い海が見えるレストランで、牡蠣を食べながら、地元のスパークリングワインを飲んでこれを書いている」
という、自分がもらったらブチ切れ間違いなしの年賀状を書いた。

我ながら最低だが、書いていて気分がよかった。
このブチ切れ年賀状が届いた方にはほんとうに申し分ない。




食事を終え、スパークリングワインの余韻に浸り、ぼっーと海を眺めていると、先ほどのウェイトレスが「美味しかった?」と聞いてきたので「Very nice!」と答えた。


レストランからビーチを見ると、トリアブアナで一緒になったイングランド人カップルが見えた。

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レストランを出てビーチに行く。

女性の方は浜辺で何やらやっていたので、男性の方に話しかけた。

彼の名はアダムス。彼女のほうはレベッカ。二人は以前ニュージーランドを三ヶ月ほど旅をしたことがあるそうだ。

これから二人は西へ向かい、タスマニア北中部の都市、ロンセストンに出て、そこからメルボルンへ飛ぶそうだ。何でも親類がメルボルンにいて、クリスマスをメルボルンで過ごすらしい。


レベッカが砂浜で何やら作っていたのは、海藻で作ったHappy Xmasの文字だった。

私は文字の前で二人の写真を撮った。

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私も写真を撮ってもらった。

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砂浜に座り、お互いのことを話す。二人もかなり旅好きのようだ。
共通の話題が多い。
青く輝く海を眺めながら、こうして他の旅人と話をする、ほんとうに贅沢な時間だ。
お互い自然体で話が出来たのも良かった。

二人とまた会えるだろうか。

明日からは彼らとは別の道だ。
私は明日から山に入る。

アダムスたちと別れ、セントへレンズに戻るが、膝にかなりきている。明日からの山が心配だ。

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アダムスだ撮ってくれた写真。なかなかセンスのいいサンタだ。







セントヘレンズに戻ると、タスマニアに来て、初めてネットを利用した。
30分4ドル。まあこんなものだろう。


宿に戻るが、誰もいない。
せっかくなのでユースの紹介ビデオを撮影した。



今夜は晩御飯にチャーハンを作った。合わせて明日のお昼用にテリヤキチキンサンドも作る。サンドは、やや味が濃いが、どうせ走って疲れるのだから、ちょうどいいだろう。

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晩御飯を終えると、ようやく一人客が来た。

リビングのソファにいたその男性と話をした。
彼はドイツ出身で、何か事業をしているらしく、毎年二ヶ月ほど、会社を閉めて旅に出るという。

全くうらやましい。

彼は自転車で旅することもあるらしい。どうだろう、年齢は50といったところか。
海外で出会う人は割とこういう人が多いのは気のせいだろうか。
日本もこうならないといけない。


聞けば、ニュージーランドには4回行ったことがあり、
この前はPunakaikiのキャンプ場で2カ月滞在したらしい。

「PunakaikiってPancake Rocksのそばの集落だろ?行ったことあるけど、あそこに行ったときはバックパッカーに泊ったよ。評判のいい宿だったからな。」
私はPunakaikiの記憶を呼び起こした。
Punakaikiではいろいろあったな。


「いや、キャンプ場の方がいいんだ。ほんとにいいところなんだ。」と彼は答えた。

しばらくニュージーランドの話で盛り上がった。
Wanakaのキャンプ場にこれまた長期で暮らすじいさんがいて、
このじいさんがどうやらおもしろいらしい。

私は残念ながら、Wanakaはバスで通っただけだ。

またニュージーランドにも行かないとな。


中国人だろうか、アジア系の若者が集団でやってきてリビングが騒がしくなったので
部屋に戻ることにした。

オランダ人の彼に「もう寝るよ、おやすみ」と言うと
「次はPunakaikiで会おうな!」と彼は答えた。

いやはや。そんなことを言われたら、
旅をしているのにもっと旅がしたくなるじゃないか。