定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

訃報 -cycling NewZealand -

雨のハーストを朝から出歩くでもなく、ゆっくり起きて、朝食を食べる。

ユースに置いてある読めるわけでもない英語の本を手にとったり日記を書いたりして過ごす。

インターネットを使いたかったが、タダではないので午後の楽しみに取っておいた。

 

午後になり、バスが街に着いたのか何人かの客がまとまってやってきた。一人は日本人の女性だ。他の二人のデカイ外国人男性はお連れさんだろうか。仲よさそうに話している。

 

リビングでのんびりしていると先ほどの日本人女性が来たので話をする。一緒にいた二人はたまたまバスが一緒だっただけらしい。

 

日本人のTさんは、これから西海岸を北に向かうらしい。旅慣れた感じの人だ。ニュージーランドは長いらしい。Tさんがプナカイキのユースに行く、というので、ダメ元で1つお願いをした。

 

それは腕時計のことである。最初にグレイマウスに着いた頃、腕時計をどこかで失くしてしまったのだ。代わりのものはクライストチャーチで購入したが、もしあるならプナカイキのユースしか思い当たらなかった。

 

もしプナカイキに行って、覚えていたらで構わないので、日本人サイクリストが腕時計を忘れて行かなかったか聞いて欲しい、頼んだ。

 

後の話になるが、Tさんは私との約束を覚えていてくれて、プナカイキのユースでわざわざ確認してくれたらしい。

そして、やはりプナカイキのユースに私の腕時計はあったそうだ。

プナカイキのユースで「外国人って信じられない忘れ物をするのよ。」なんて話を聞いていたのに、まさか自分が忘れる側になるとは…

Tさんはすぐにメールをくれて、帰国したら送ってくれると連絡してくれた。お陰でこの腕時計は今でも家にある。

腕時計が届いたときは本当に嬉しかった。

 

そして、時計は受け取った日本時間より四時間進んでいた。

ニュージーランドの夏時間のままだった。

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この時計はあのときからニュージーランドの夏時間を刻み続けていたのだ。

確実に刻まれた時間、でもこうしてリアルな時差を目の当たりにすると時間が止まってやってきたような不思議な錯覚を覚えた。

 

これはもう少し後の話になるが。

 

 

Tさんに時計のお願いをした後、楽しみに取っておいたメールの確認をする。

 

 

「嘘だろ。」

 

 

姉からメールが届いていた。

自宅のとなりに住んでいた祖母が亡くなったらしい。

メールの日付を見る。もう三日も前だ。

私は言葉を失った。

私は外の公衆電話で自宅に電話をかけた。母と話すことができた。もう葬儀も終わって、今帰ってきても何かできるわけじゃないから、そのまま旅を続ければいい、母はそう言った。

 

母の言うことはもっともだ。しかし、これから先の私の予定はといえば、半月後にニューカレドニアに行ってバカンスである。この状態でとても楽しめるとは思えなかった。母には少し考える、と伝え電話を切った。

 

ユースに戻り、リビングの椅子に腰を下ろし、呆然とする。どうするべきか。

 

旅を最後まで続けたいという気持ちもあった。しかし、一方でこの辺境のハーストまで来て、旅に疲れてきているのも感じていた。雨の中走る気力を失っている事実からもそれは明らかだった。

 

帰るのか続けるのか。

 

ただ迷った。

 

リビングを通りがかったTさんが「顔色悪いけどどうしたの?」と声をかけてくれた。私は事情を話した。話したら少し楽になった。

 

それからしばらく悩んで、私は帰国することに決めた。

旅に疲れて、帰るのにちょうどいい理由が出来たんじゃないか、と思うところもあったが、一度帰らないと心の整理がつかないと思った。どうしてもまた来たいならまたハーストから旅を始めればいい。

 

私は帰る準備を始めた。

まずはニューカレドニア行きのキャンセルだ。

クライストチャーチの旅行代理店のMさんに電話をする。ユースから公衆電話に向かうと外はもう暗くなり始めていた。

「あなたどこにいるの?ハースト?それどこ?」

Mさんに西海岸の果てにいることを説明しながら、帰国することになった事情を話し、旅行のキャンセルをお願いした。エアチケットはもうキャンセル出来ないが、宿のほうは対応してくれるという。それからハーストからオークランドに最速で戻る方法を聞いた。私のチケットはオークランド往復だったからだ。

Mさんによれば、国内線の飛行機があるクィーンズタウンまで出て、そこから飛行機が早いそうだ。私はMさんにお礼をいい、電話を切った。

 

なぜか分からないが、この時のハーストの電話ボックスで疲れた姿で電話をしている自分の姿を道の向こうから見ている様子がやけに鮮明に思い出されるのだ。それも色のないモノクロで。実際に自分の姿なんて見ているはずないのに。

 

旅を終わらせるきっかけは姉からの訃報を知らせるメールだったが、自分で旅を終わりにしたのはこの電話だったと思う。そのときの印象が頭から離れないのかもしれない。

 

予定外の事態に混乱していたが、旅を途中でやめる悔しさと帰国できる安堵感もどこかにあって、いろんな感情を処理しきれないまま、私は濡れて路面の道を宿に向かって歩いていった。

 

私の旅は唐突に終わろうとしていた。