朝、プナカイキのユースで出発の支度をしていると、前日とは違う日本人女性がキッチンでマフィンを焼いていた。
聞けば、毎日ヘルパーが交代で早起きし、パンとマフィンを焼くらしい。彼女は埼玉出身だそうだ。「外国人って信じられないような忘れものをする」とか「トランピング(山歩きのこと)のハイシーズンはマフィンを焼けるのを待ってる客がいるくらい人気で、ドイツ人とかホントに目の前で待ってて困る」とかいつの間にか長話をしていた。
ひとつマフィンを買おうかとも思ったが、安くないので悩んでいると「きのうのマフィンが一人残ってるから、内緒であげる」
そう言ってマフィンを一つ渡してくれた。「他のお客さんに見られないように隠して!」
私は持っていたコーヒーセットの袋に無理矢理マフィンを詰め込んだ。
珍しく朝食はコーヒーだけにした。
すぐにカフェに入る予定があったからである。
「プナカイキってところにPancake Rocksって場所があって、そこの前のカフェでパンケーキが食べれるよ」
プナカイキのユースホステルをすすめてくれた無邪気な日本人の若い男が、そんなことも言っていたのだ。
ユースからパンケーキロックスまではそんなに遠くなかった。
パンケーキロックスは海岸の断崖絶壁の場所で、波が作り出す独特の地形だったが、どのあたりがパンケーキなのかサッパリ分からなかった。
そう言えば、タカカで会った日本人の女性が「パンケーキロックスは東尋坊みたいなとこ。」と話していたが、なるほど火曜サスペンスで見たような断崖絶壁の岩場だ。
私は当時、東尋坊には行ったことはなかったが、これがきっかけで後に東尋坊に行くことになる。
東尋坊では「まるでプナカイキのパンケーキロックスみたいだな。近くにパンケーキの食べられるカフェはないみたいだが。」とひとり呟いていた。それが言いたかっただけである。
パンケーキロックスから道を挟んだ向かいにカフェはあった。その名も”Pancake Rocks Cafe”
NZのカフェでパンケーキなんて見た覚えはないが、たしかにここのメニューにはあった。
もちろん注文する。ついでにホットチョコレートも。
しばらくして粉砂糖がふんだんにかけられたパンケーキが運ばれてきた。
それとメープルシロップの入ったボトルが置かれ、メープルシロップかけ放題という夢のようなパンケーキだった。
こちらのスイーツでは甘くもなんともないホイップクリームみたいなのが添えられていることが多いのだが、このパンケーキにもやはりついていた。いつもどうしていいか処遇に困る。まあ食べるだけだが。今回はメープルシロップがあったのでそれでいただいた。
食べ終わってから、シロップかけ放題のパンケーキとホットチョコレートは甘すぎたな、と思った。
カフェの並びには珍しくお土産物屋があった。木の民芸品のようなものを扱っているところで、アロマオイルの入れ物が比較的手の届く値段なので、それを一つ買った。
今でもこれは我が家の寝室の一角にぶら下がっている。
西海岸を南下して行く。
道はずっとアップダウンを繰り返す。
アップダウンにウンザリしてきた頃、南からサイクリストがやってきた。
アジア人のようだ。
今はどうか分からないが、当時はアジア人のサイクリストは珍しいかった。たまたまかもしれないが、私がNZに来てからの一か月あまり、日本人サイクリストはピクトンで遠くでそれらしい人を見ただけだったし、あとは北島で一緒に走ったマレーシア人のチェンぐらいなものだ。
だんだん近づいてくる。向こうもこちらがアジア人と気がついたのだろう。スピードを緩めて止まってくれた。
彼は韓国人だった。
私がNZで出会った韓国人サイクリストは彼だけだ。お互いアジア人サイクリストに会うのが珍しくてしばらく話をした。
この日の昼ごはんはユースで貰ったマフィンと自分で作ったキャラメルピーナッツバターサンド。コーヒーは淹れたが甘すぎなメニューだった。
朝パンケーキを食べたとはいえ、すぐに小腹がすいてきて、結局、昼食から一時間ほどして、インスタントラーメンを作って食べた。ちなみに食べたインスタントラーメンは出前一丁であった。NZではよく見かけたインスタントラーメンだった。
Greymouthまであと10キロくらいのところまで来ると道が平坦になってきてホッとした。はやり平坦がいい。
ほどなくして、この日の目的地、グレイマウスに到着。
プナカイキからグレイマウスは50〜60キロといったところで、明るい時間だった。
このグレイマウスはNZの南島西海岸の主要な街で、中央の山脈を越えて、東海岸のクライストチャーチを結ぶトランツアルパイン鉄道の西側の起点・終点である。
スーパーも数軒あり、翌日以降の行程を考えて、グレイマウスに連泊することにした。
このとき泊まったキャンプ場はときどきお世話なるTop10系列のキャンプ場で、市街地から少し離れるが施設も充実していてとても快適だった。
なんと言ってもロケーションがよかった。キャンプ場の向こうはすぐタスマン海である。
テントを張り、荷物を置いて街に出る。NZの都市には必ずあるホームセンターwarehouseでスパイス用の容器を買った。スーパーでは連泊するので、ビールを半ダース、ダニエルが言うところの6packs購入。カールスバーグが安かった。ダニエルは元気だろうか。
街を散策してキャンプ場に戻る。
キャンプ場のそばでチャイニーズのテイクアウェイを見つけたのでそこでチャーハンを買う。チャイニーズのテイクアウェイは中国人がやっていることが多いがここは白人女性がやっていた。
チャーハンは数日前、自分で作って食べた気がするが、チャイニーズのテイクアウェイを久しぶりに見つけて入りたかったのと、食べたかったのがチャーハンだった、というだけだ。
チャーハンは何で味を付けたのかやや茶色で、サイの目に切られた人参が硬かったのを覚えている。
キャンプ場に戻るともう夕方だった。
チャーハンとカールスバーグを持って海岸に出た。
遠浅の海岸にはちらほら人の姿があった。
真っ赤な夕日がタスマン海に沈んでゆく。ウェストコーストは雨が多いと言われてきたので、こんなに美しい夕日が見られるとは思っていなかった。
波打ちぎわに年配の夫婦が見える。ふたりの影が波で洗われた砂浜に映って一つに重なって見えた。
目に映るものが夕日の朱に染まり、人影は黒いコントラストを作っていた。
この景色はいったい何のご褒美だろか。
こんな美しい世界にいられるなんて。
目頭が熱くなってきて、私はカールスバーグを煽った。