定着から放浪へ 放浪から定着へ

アラスカ、ニュージーランド、タスマニアなどの自転車の旅、そのほか愛知奥三河のことなどについて書いています。

ブドウ畑の風景 - ソロキャンプツーリング -

ローカル食堂を堪能した私は国道を離れ、釜無川の左岸の谷を走る道へ出て南下した。今回の旅のガイドブックにしている『ツーリングマップル』のオススメルートに乗ったのだ。『ツーリングマップル』はバイクツーリング用のガイドブックだが、車の少なく走りやすい道やソロでも使いやすいキャンプ場が紹介されており、自転車ツーリングでも使いやすい。今回のルートも国道からのアプローチやや上ったが、車が少なく快適だった。道は広域農道のようだ。

丘を上がっていく道の両側にブドウ畑が現れた。

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収穫を待つばかりといったブドウが鈴なりだ。畑によって作っている品種が異なっており、こちらは巨峰の仲間、少し進むとマスカットの仲間、と次から次へと現れる様々な種類のブドウ畑を眺めながら坂を上がって行く。

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ブドウ畑の間に田んぼが点在しており、ブドウ畑と黄金色に輝く稲穂が美しいコントラストを作り出していた。

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私の住む街も郊外に出るとブドウ畑は多いが、斜面にこんな風には作られない。甲斐の国はブドウの産地、と知ってはいても、こうして実際の景色を見るとここにしかない風景なんだな、と分かる。

 

そんなことを考えながら、「ああ、旅をしているんだ。」と実感が湧いてきた。

 

そうしてブドウ畑を見ていれば当然ブドウが食べたくなる。ある農園の直売所の看板が目立っていたのでそこに向かう。

 

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よく写真を見て欲しい。

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あまりに素っ気ない貼り紙に吹いてしまった。まあ縁がなかったということだな。

 

広域農道を外れ甲斐市の市街地に出る。更に南下するため、釜無川の河岸道路にでて走る。時折大きなダンプカーに追い越されたりしたが、街場を走るよりは走りやすかったのではないだろうか。

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途中、道沿いに「はくばく」の工場を見つける。

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そういえば山梨が本社だったか。どこかで土産にはくばくのほうとうでも買おうと思った。

 

この日の宿泊はツーリングマップルで見つけた四尾連湖(しびれこ)のキャンプ場だ。今回の旅で事前にまともに調べたのはキャンプ場と電車のダイヤぐらいのものである。

四尾連湖はかつて今の富士五湖を含めた富士八海の一つに数えられた湖で、綺麗な丸い形をしたカルデラ湖である。

山の中にあるのがなんともいいじゃないか。私は海外も含め中々の数のキャンプ場に泊まったが、やはり湖畔のキャンプ地は格別だ。私は一日目の宿泊地をすぐにそこに決めた。

決めてから調べてみると、湖の周囲は私有地で、二軒あるキャンプ場に予約が必要なようだ。しかもそのうちの一つはマンガ「ゆるキャン△」で舞台になったいわゆる聖地らしい。正直げんなりしたが、泊まるのは平日だし、混んでないだろうとタカをくくっていたが、聖地のほうのキャンプ場「水明荘」に電話をすると予約で一杯だという。ムムム。

仕方なくもう一軒の「龍雲荘」の方に電話すると感じのいいおばはさんが出て、予約は問題ないという。

自転車で4時か5時に行く、と伝えると、すごい山だから大変だと言われるが、まあいつものことであある。

 

キャンプ場を予約した後、Amazonプライムで「ゆるキャン△」のアニメが無料だったので参考に見てみたが、思ったよりいいアニメだった。私もキャンプを始めたころは学生で道具がなかなか買えなかったので、そのあたりの描写が共感できた。

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身延線市川大門駅近くのスーパーで買い出し。キャンプ場でも買える気がするが、キリンがなかったらコトである。

よその街のスーパーが楽しくて思いの外、時間を使ってしまう。すでに時間は4時を回っている。ここから四尾連湖まで約10キロの上りだが、まあ1時間見ておけば大丈夫だろうと過去の経験から判断した。

 

しかし、それは甘かった。

最初のアプローチからかなりいい斜度の上り。どうだろう15%くらいあるのではないだろうか。すぐにペースは落ちて時速7キロほどになる。一旦、市川三郷で一瞬下りになるが一瞬の話。そこからさらに長い上りが続く。気がつけば1時間以上上っている。とうに到着予定の5時は過ぎた。

集落の名前と地図を照らし合わせ、現在地を確認するが、全然進まない。

四尾連湖まで最後の集落を抜ける。あと少しのはずだが、また斜度がキツくなる。もう時速は5キロほどしか出ていない。それでもなんとかペダルを踏み続けると、ようやく四尾連湖の看板が見えた。

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予定より到着が遅れたので、とりあえず龍雲荘に行く。四尾連湖が見えた。静かな美しい湖だ。あとでゆっくり堪能しよう。

龍雲荘は昔ながらの観光地の食堂のような建物だった。近くまでいくと、電話で話したおばさんだろう、「予約の人?」と声を掛けてくれた。

 

「遅くなってすいません。」わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいであった。

 

「自転車で来るって言ってたから、時間通りに来れないんじゃないかって思ってたのよ」おばさんは笑って言った。おっしゃる通りで言葉もない。

 

チェックインの手続きをする。自転車は一泊1500円でいいという。しかも聞けば客は私だけらしい。ますます申し訳ない。

 

テントサイトは湖畔には面していないが、非常にきれいに掃除がされており、サイト上には落ち葉もほとんどないほどだ。施設は全体に昭和感満点だが、ちゃんと手入れがされていて非常に好感が持てた。

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ざっくりテントを張る場所を決め、自転車から荷物を下す。するとおばさんが「どこにする?東屋の下でもいいよ。雨降るかもしれないし。」と優しい言葉をかけてくれる。私は東屋のそばにテントを張ることにした。

 

さて、そこまでやれば、あとはどうとでもなる。

苦労して下から運んできたビールを持ち、湖畔に行く。湖は静かで美しい。

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長く充実した一日に乾杯した。

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久しぶりにいい湖に来たな。桟橋から対岸のキャンプ場が見える。あれが水明荘のサイトだろう。距離を置いてテントが二張。一方には焚火の明かりがみえる。サイトは湖畔に面しており、確かに良さそうだ。他にテントが見えないので、水明荘は静かに過ごせるよう予約をコントロールしているのだろう。ここは騒ぎにくる場所ではない。静寂が似合う。

 

ビールを飲みながらテントを張る。昔、ニュージーランドで一緒になったスイス人サイクリストがいつもビールを飲みながらテントを張っていた。テント張りながら、すぐに次のビールを投げて寄越したっけな。

 

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テントを張り終え、薪を拾いに行く。今どきにしては珍しく、このキャンプ場は直火OKだそうだ。薪と着火用の杉の葉を拾う。

 

空が暗くなってきた。お腹が空いたので晩ご飯を作る。晩ご飯はペンネだ。茹でてソースをかけるだけだが、私はドライハーブと粗挽き胡椒を加えて少しアレンジする。ペンネはスパゲティと違い、バッグのなかで折れたりしないので旅に携帯するのにいい。

 

食事を終えると、あとは焚火とウィスキータイムだ。

焚火は簡単についてくれた。

火の隣に焼きとりの缶詰めを置いて温める。これも私がソロキャンプでよくやる。

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四尾連湖は標高900m近くあり、9月半ばでも肌寒い。焚火が嬉しい。自転車のソロキャンプで焚火なんて贅沢だ。

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朝早かったこと、最後の上りがきつかったこと、アルコールが回ってきたことなどが重なり、もう10時くらいか?と思って時間を確認するとまだ8時だ。

 

子供たちはまだ起きている時間のはずなので、家に電話する。

長女はスイミングの日で疲れてもう寝てしまったらしい。次女に「明日は富士山のあたりに行く」と言うと「富士山の写真撮ってきてね」と言うので私は写真を撮ったらお母さんのケータイに送る、と約束した。

 

家族がこうして時間をくれるのは本当にありがたいことだ。私は残った火を処理するとそのままテントに潜り込んだ。

 

甲州へ - ソロキャンプツーリング2019-

昔の旅のブログを書いていて、ある日友人から「海外で出会った人が今何しているか気になるなら、会いに行けばいいじゃないか。」と言われた。今は仕事も家庭もあり、昔のように明日死んでも仕方がないような暮らしをしている訳でもなく、おいそれとは海外にしばらく旅に出るということなんてできる状況にはない。

だが、旅をしているときに出会った日本人なら、会いに行けるのでは?

 

そう思いついてからは早かった。

 

幸い、有休も使うと3日間はフルに使える日が取れそうだ。

私はアラスカで出会った写真家の松本さんに連絡をし、会う約束を取り付けた。

 

2泊3日で最後の日に小田原に住む松本さんに会う旅の計画をざっと考えた。

 

私の旅のスタイルはマウンテンバイクにキャンプ道具を積んでツーリングをするというのが多い。もちろん電車や車で行くこともある。行く地域が決まるとバイクツーリング用のガイドブック「ツーリングマップル」で走るルートをざっくり決める。キャンプ道具を積んだマウンテンバイクで寄り道をしながら走れる距離は私の場合、70〜80キロといったところ。もう少し距離を伸ばせないこともないが、そうするとただ走るだけになり、寄り道する時間がなくなってしまう。

今回は小田原ゴールなので、そこから逆算して、スタート地点を決めた。八ヶ岳の麓、野辺山だ。

 

金曜日の早朝、始発電車に乗り込み、野辺山に向かった。自宅のある豊橋から名古屋まで行き、そこから塩尻までワイドビューしなのに乗る。平日の朝ということもあり、豊橋から名古屋までの区間、自転車を持って電車に乗っても大丈夫か心配だったが、始発電車はそこまで混んでおらず、自転車を持ち込んでも迷惑になるレベルではなかった。

 

思いの外混んでいたのはワイドビューである。

 

自転車は前後のホイールを外し、専用の袋に入れているがかなりの大きさである。いつも電車に乗る時は車両一番後ろの座席と車両の壁紙のあいだに置くが、ワイドビューは登山客がたくさんいて、すでにザックが置かれていた。

困っているとザックの持ち主の男性がザックを網棚に上げて場所を譲ってくれた。ありがたい。

 

平日のワイドビューはスーツ姿の人と登山客が入り混じり、不思議な感じであった。私以外にもサイクリストと思われる人が乗っていて、その人は小径車を持っていた。なるほど、自転車を載せるなら、小さくて合理的だな、と思った。

 

塩尻ワイドビューを降り、小淵沢までスーパーあずさに乗り換える。指定席が後ろの車両で、ホームを移動するのに苦労した。自転車とキャンプ道具の入ったパニアバッグは相当な重量だ。右肩に自転車の入った輪行バッグ、左手にパニアバッグが二つ。更に左からハンドルバッグを斜めにかけた状態で移動するのだ。この乗り換えのための移動というのがソロキャンプツーリングで隠れた大変なところである。

 

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初めて乗るスーパーあずさは新幹線のような内装で非常に快適だった。

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しかし、それも小一時間といったところ。そのあと更に小淵沢小海線に乗り換えた。

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小海線は2両編成のワンマンカーでいかにもローカル線の雰囲気だ。車窓から白樺の林が見える。通路の向かいに座っていた30代くらいの女性2人が「旅行に来るといつも天気がねー」と話しているので、天気の心配をしていなかったことを思い出した。それまで曇り空だったのが、段々霧雨になっていく。これは予想以上に寒いかもしれない。私は荷物のどこにレインギアがあるか確認した。

 

野辺山駅に到着。

霧雨は大したことないが、寒い。

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早速、自転車を組み立てる。キャリアにパニアバッグを付ける。最近はバックパッキングスタイルが流行っているが、私のバイクはフレームサイズが小さくて思ったように荷物が付かない。まあ昔の装備がそのまま使えるので問題ないが。結局、自分が確立したスタイルが一番である。

 

駅最寄りのコンビニで水を買う。普段なら持ってくるが、荷物が重いので今回は現地調達だ。コンビニは何故かとても混んでいた。

コンビニの裏に黒い柴犬がいた。

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寝ているのか、口笛吹いて呼んでも反応しない。近寄るとようやく気がついて、元気に飛びついてきた。かわいいやつめ。

 

柴犬に別れを告げ、ようやく走り出す。

 

道の温度計は14度になっている。寒いはずだ。

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霧に覆われた野辺山の高原地帯はとても幻想的だった。若い頃、初めて買ったマウンテンバイクで北海道を旅したときのことを思い出す。

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今回はあまり計画を立てずに来たので、野辺山からずっと下りだということが全く頭から抜けていた。

 

ウェアが霧雨で濡れてきたので、レインジャケットを着て走るが、寒い。降っていく勢いで体温はみるみるうちに奪われていく。耐えられないレベルではなかったが、そのまま午前中は寒いままだった。

 

濡れた路面を走っているとき、少しヒヤッとした。下りの長いところで、ふいにバランスを崩しかけた。私のマウンテンバイクは元々26インチホイール用だが、インチアップして27.5インチのホイールを入れているせいで、重心が高い。また取り付けたキャリアの関係で荷物も全体的に上についていて、こちらもまた重心を高くしてしまっている。コーナーで軽く倒し込んだら、そこから一気に流されそうになったのだ。同じような人はなかなかいないと思うが気をつけて欲しい。

 

国道141号を南に降りて行く。

 

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有名なほうとうの店の前を通過する。体が冷えているので、お昼はほうとうでも食べたいところだが、まだ昼には早い時間だった。

 

清里方面から北杜市方面へどんどん降りていく。本当にずっと下り坂だ。当たり前だがかなりいいペースだ。

 

途中、南きよさとの道の駅に寄る。

国道から道の駅に降りていく道を進みながら、昔寄った道の駅であることを思い出した。だがいつ来たのかはっきり思い出せない。たぶん次女が産まれる前に北杜や小淵沢のあたりを旅行したときだと思うのだが。

 

そこから更に南下。

平坦になってきたとはいえ、まだ下り基調だ。

そろそろお昼が食べたくなる。

 

しかし、国道沿いにあるのはラーメン屋とかチェーン店ばかりで入る気がしない。道の駅なら、と韮崎の道の駅に行くがこちらもピンとこなかった。

 

続いてJAの産直へ。

なぜか納豆の自販機があり、納豆苦手な私は思わずムッとしてしまった。そこまで納豆食べたいのか。

 

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ここは食事するところはなかったが、何故かハーブとスパイスが破格の値段で売っていて、コリアンダーシードとサフランを買った。カボチャもかなり安かったが、流石に持っていけない。

 

いよいよ、昼ごはんをと思いケータイでランチを検索すると、JAのすぐそばに店がある。その名も「フレンズ」。

名前からして、ここは超ローカル店に違いない。私は迷わずフレンズに向かった。

 

フレンズは大衆食堂のようだ。

ガツガツ飯を食いそうな兄ちゃんたちが満足そうな顔をして出てくる。

 

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ここだ。こういう何というか正しい食堂は久しぶりだ。

店内はあまり広くなかったが、ピークタイムを過ぎていたので、すぐに座れた。

 

メニューを眺める。定食とラーメンが中心のようだ。チャーハンと半ラーメンを注文した。

店主だろうか、私と同じくらいの歳の男性が注文を取りに来てくれた。チャーハンは少し時間がかかるという。私は大丈夫、と答えた。

 

店のカウンターにはいろいろな名前の書かれた焼酎のボトルが並ぶ。地元に愛されているようだ。

山梨日日新聞だ。

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地元出身の政治家が亡くなったニュースや富士山の周囲に鉄道を走らせる構想の記事など、興味深い。

 

さほど待つこともなく、チャーハンと半ラーメンが出てきた。

 

おお。正統派チャーハンとラーメン。素晴らしい。

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チャーハンはしっかり油で炒めてあり、結構チャーシューが入っていて食べ応えがあった。隣に添えられた紅生姜もちょうどいい量だ。

ラーメンの方はといえば、和風出汁のスープがしっかり効いていて、びっくりするほど美味しかった。

素晴らしいランチであった。

 

私は「フレンズ」を後にすると、車通りの多い国道を外れ、山沿いの道に向かった。午後からはもっと走りを楽しめそうなところへ行こう、そう思った。

 

 

PEDAL MARK - ライド新城 -

週末、小学校3年生になる長女と新城市で開催されたサイクルフォトロゲイニング「PEDAL MARK」という自転車のイベントに参加した。

三河の玄関口である新城市は長篠設楽原の戦いなど、歴史的な街として知られているが、最近はスポーツによる地域振興に力を入れており、とくにアウトドアスポーツは定期的にイベントが開催されている。新城市役所にはその名も「スポーツツーリズム推進課」があったりして、その力の入れようが分かる。

 

今回のイベントは「フォトロゲイニングin新城」と同時開催で、こちらは一般社団法人ダモンデの主催。代表の有城さん(旧姓山田さん)は私の友人でもある。また、ペダルマークは新城市で地域おこし協力隊として活躍する"Hatch"こと蜂須賀さんが中心となって実行委員会方式で運営されている。ハッチさん含め運営に関わる人もほとんど友達で、子供を連れて参加するのには不安がなくていい。それにbucyo coffeeさんが飲食ブースを出してくれているので食事の心配もない。

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ちなみにフォトロゲイニングとは、地図上にあらかじめ設定されたチェックポイントを制限時間内で多く巡って、獲得した合計得点を競うスポーツで、チェックポイント通過の証明に目印を撮影した写真を使う。今回はランと自転車、それぞれ開催されるのだ。

 

以前、フォトロゲに長女と初めて出たので、今回はペダルマークに出たい、と考えていた。長女はあまり公道で自転車に乗らないので、最初はフォトロゲかいいかな、なんて言っていたが、話しているうちにペダルマークがいい!と言うようになった。直前に参加のお願いしたので主催者の方々にはご迷惑をかけてしまった。

ペダルマークにしたのは他に理由があって、普段、子供たちと自転車をやろうとすると下の子供たちがついてくるので、なかなか長女にみっちり付き合って自転車に乗れないのである。たまには長女と長い時間一緒に走って見たかった。

 

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朝9時、一般のカテゴリーの選手たちがスタートしていく。私たちファミリークラスは11時からのスタートだ。ゴールの時間はどちらのカテゴリーも午後2時で、一般は5時間、ファミリーは3時間の競技時間である。制限時間を超えるとペナルティがつく。しかも一分につき50ポイント。一箇所のチェックポイントで獲得できるポイントが最大100ポイントなので、どのくらいのものかお分かりいただけると思う。

 

一般クラスのスタートを見送り、長女と地図を見ながら作戦タイム。

 

私は比較的この地域のことを知っているので、地図を見れば大体行くべきポイントは分かる。あとは実際、長女がどのくらい走れるかだ。

 

長女と地図を見ながら、北に行くのか東に行くのか相談した。私はざっくり1時間行けるとこまで遠くに行って、あとはお昼食べながら帰ってくればちょうどいいだろうと考えていた。長女が道の駅「もっくる新城」のチェックポイントに行きたいというので、そこをお昼目標にして、周辺を回る計画を立てた。もっくる新城の観光案内所に友人が働いており、長女は彼女に会いたかったようだ。

 

11時になり、競技スタート。

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長女を前に走らせ、私が後ろにつく。

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長女は私が思っていたより走れるようだ。かつての国道沿いに進み、最初のチェックポイントに向かうはずが、早速行き過ぎてしまった。

長女に「ゴメンよ」と言い、二つ目に予定していたポイントに向かう。

 

チェックポイントは車通りの多い道から田んぼの間を抜け、更に川に向かって降りていく場所にあり、普段はあまり人が入らないのだろう。道には落ち葉が積もっていた。

長女はあまり悪路を走ったことがないので心配だったが、上手く乗って降りてきた。

チェックポイントで写真撮影。

次のポイントに向かう途中、フォトロゲの選手たちがやってきた。長女を見て「すごいねー。」と声をかけてくれる。

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次のポイントは田んぼの真ん中だ。

 

長女が黄金色に染まる田んぼの間の道を一生懸命ペダルを漕いで走っていく。

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大きくなったな。

 

少し前まで、自転車の後ろに乗せて、いつの間にか寝ていたなんてことがあったのに。

今は新城の田んぼ道を自分の足でペダルを踏んでいる。

 

ペダルを踏み続ければ、世界の果てだって行けるんだよ。

 

長女がそれを理解する日は来るのだろうか。

 

二つ目のポイント近くでもフォトロゲの参加に出会った。こういうのいいな。ロゲイニングだとチェックポイント近くで他の選手に遭遇すると、ポイントを教えるのも変なので、微妙な空気になることがあるが、今回はカテゴリーが違ったおかげで自然に挨拶できた。

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二つ目のポイントを無事に取り、もっくる新城に向かう。長女は体育の授業が好きではないので(私もだったが)、上り坂とか大丈夫かと思っていたが、予想していたよりもグイグイ走っていたので驚いた。これから家の近所でも行動範囲が広がるだろう。

 

もっくる新城チェックポイントは足湯。お客さんでいっぱいだったので、足湯には入らず、撮影だけする。

観光案内所には働いている友人の他に、赤ちゃんを連れてキャンプに行っていた友達も偶然いて驚いた。どちらも長女のことを知っているので、長女も嬉しそうだった。

 

もっくるはレストランが順番待ちだったので、中でパンを買って食べた。

食べ終わる頃、フォトロゲに出ている友人のチームがやってきた。本当に友達だらけである。

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もっくるからは設楽原歴史資料館の周辺のポイントを回る。

馬防柵がポイントになっており、馬防柵って何?という長女に説明する。何年か前に設楽原決戦場まつりに行ったとき、火縄銃を打っているの見たでしょ?というとどこのことか思い出したようだ。

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馬防柵は低い場所にあって、そこから大きな道には戻るには急坂を上らないといけない。

 

長女は少しサイズの大きいマウンテンバイクに乗っているが、まだ変速はあまり得意ではない。彼女の自転車はグリップシフトだが、変速させるのに力が足りないのだ。

急坂の下で、シフトをあらかじめ変えておいて、試しに上ってごらん、と言うと、長女はスイスイ上っていく。そんな様子に彼女自身も驚いていた。結局、途中までしか上れなかったが、少し自信がついたと思う。

 

残り時間も1時間を切り、スタート/ゴールを目指して戻りながら取れるポイントを回りながら進んでいく。

最後のポイントは最初に取りこぼした65点のポイントだ。ゴール近くのポイントとあって間際に行くフォトロゲの選手が多くいた。おかけで、場所はすぐに分かった。田んぼの砂利道の先にポイントはあった。

 

大きな道に戻るとき、砂利道のちょっとした上りで長女はタイヤを滑らせバランスを崩し、倒れてしまった。

それまで張っていた気が緩んだのか、疲れた様子だった。今までこんなに長い時間自転車乗ったことなかったもんな。よくがんばってると感心した。

 

ここからは旧国道を進み、ゴールに戻るだけだが、制限時間に間に合うか微妙なところだ。

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長女のペースが落ちてきたが、彼女は負けず嫌いなので、「もう残り時間が短いから頑張ろうか。」と声をかける。

「えっ!」

長女のペースが少し上がる。

しかし、このままだと間に合わない。

 

私はゴールまでのルートをいくつか考える。ゴール地点の新城文化会館は旧国道からもアクセス出来る。階段があるはずだが、スロープもあるはず、そう思い、長女にまっすぐ行くように指示した。

 

途中、仕事でお世話になった奥三河観光協議会の面々を追い抜いて行くが、挨拶している余裕がない。

 

文化会館の入り口に到着。

あと1分。

ゴールに急ぐ。

 

ゴールの電波時計を撮影したのは14時1分。惜しいあと1分だった。

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まあ、減点50点だが、最後のポイントは65ポイントだったし、差し引き15ポイントということでよかったとしよう。

 

ゴール手前で追い抜いた奥三河観光協議会の安彦局長さんが声をかけてくれた。「なんであんなとこから文化会館に入れるなんて知ってた?」と驚いた様子だった。

誰に教えてもらったか定かではないが、会議などで時々使っていたので覚えていたのだろう。思わぬところで役に立った。

 

長女はゴールした後、bucyo coffeeブースでお楽しみのジュースを飲んでいた。

私はGPSのログを確認すると走行距離は16キロになっていた。長女に16キロ走ったんだよ、と伝えるととても驚いていた。

これなら家の近くでも結構遠くまで行けそうだ。また楽しみが一つ増えた。

 

表彰式を見届け、みんなにお礼を言って会場を後にした。

 

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旧田口鉄道跡 - 奥三河ツーリング-

このブログでは長いこと旅の記録を書いてきたが、私の過去の大きな旅の話はあらかた書いたので、これからは国内の旅の話や自転車で走ったことなどを書きたいと思う。

 

私が住む地域は愛知県の東側のエリアで東三河と呼ばれる地域だ。私は休日になると、ロードバイクで走りに行くのだが、主に走るのがこの東三河エリアの北部、長野県と静岡県に接した奥三河地域である。奥三河は愛知県にあって、昔ながらの風景と自然が多くて残る地域で、私にとっては最初に一人で旅をした地域で非常に思い入れも強い。

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今回、50年前に廃線になった旧田口鉄道の遺構が一部、ダム工事のために入れなくなるということで、よく奥三河を一緒に走るタツマくんと走りに行くことにした。

 

旧田口鉄道の遺構は鉄道が走っていた現在のJR飯田線本長篠駅から設楽町田口まで、トンネルや橋脚など様々なものが残っている。また線路だったところは道路として走れるところもあり、奥三河にやってくるサイクリストには人気のルートとなっている。

 

新城市桜淵公園をスタートし、県道69号、国道257号で設楽町に向かう。天気予報はハッキリしない感じでやや不安があったものの、一瞬雨がパラついただけで一時的なものだった。

 

国道257号の旧鳳来町から設楽町清崎まで区間は川沿いの緩い上り基調の道で走りやすい。

私は昔のサイクリングターミナルを過ぎて、橋を渡る辺りの景色がとても好きで、ここを通る度に「奥三河に来たな」という気分になる。そこから地形が開けて空が広くなるのだ。

 

もうすぐ設楽町というあたりに昔一度だけ蕎麦を食べた富士屋旅館がある。しばらく見ない間に随分荒れていた。もう営業はしていないのだろうか。

いっしょに走ったタツマくんのペースもよく、順調に設楽町清崎に着く。トンネルを避け、集落を抜ける道を選ぶ。集落を抜ける道沿いには昔のブリキ看板の残る建物があったりして、ただ走り抜けるだけで楽しい。

 

設楽町清崎は新しい道の駅を建設中だ。前は集落から小学校まで回らないといけなかったが、道の駅の隣の新しい橋がもう渡れるようになっていたのでさっそく渡ったみる。

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写真を撮っていると、タツマくんが地元のおばあさんたちに話しかけられている。

三河ではよくあることである。タツマくんも慣れたもので、我々が走りに来た目的を簡単に説明していた。私は月に一度くらいは奥三河で走っていると思うが、休憩していると地元の人に本当によく話しかけられる。奥三河の人は人懐っこいのだ。

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清崎の道の駅の工事現場を横目にコンビニで休憩した後、いよいよ立ち入りが出来なくなるエリアに向かう。

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入り口で写真を撮っているとサイクリングがやってきた。聞けばこの方も通れなくなると聞いてきたらしい。この日は通行できる最後の土曜日だったが、出会ったサイクリストはこの人ぐらいだった。どうやら翌日曜日はもっとたくさんの人出だったらしい。

 

車一台分の幅しかない橋を渡り、旧田口鉄道の道を走る。トンネルの地面はダム工事の関係で一時よりきれいになっているが、上は素掘りで水が滴り落ちているのは相変わらずだ。

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途中の工事看板を頼りに、閉鎖されるエリアの入り口まで来る。

 

何度も他地域のサイクリストを連れてきたり、昔からの仲間と走ったりしたものだが、もう走れなくなるなんてまるで実感が湧かなかった。

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ダムサイトができる場所まで移動する。前に来たときはいつだったか忘れたが、そのときより工事は確実に進んでいる。土曜日にも関わらず、工事は行われていた。

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川に巨大な岩のある場所があり、「場所が場所ならこの岩だって名前がついていてもよさそうなものなのにな。」と思ったが、そんなこともダムに沈むという事実に飲み込まれてしまう。

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タツマくんといえば、名残惜しいのか沢山写真を撮っていた。彼もここによく来ていたのだ。

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工事箇所を抜けるとそこは旧田口駅の跡だ。

もう当時の様子を説明した看板くらいしか残っていなかった。 

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旧田口駅からは少し知らない道を探索したりしながら、更に山の奥を目指した。

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途中、ダムに沈む大名倉地区を通る。集落のあったところは家の基礎だけが残っていた。ここには確かに暮らしがあった。

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家庭を持ち、家を持った私にはこの光景はショックだった。ここから去っていくことになった人々はどんな気持ちだったのだろう。災害で家を失うとかニュースで見たりはするが、「家があった跡」をここまで意識して見たことがなかったので、いろいろなことを考えてしまった。

 

集落跡から国道257号に抜ける県道の入り口の小高いところに真新しい鳥居の小さな神社があった。ここまではダムの水は来ないのだろうか。鳥居を見ると平成27年に作られたようだ。神社には周辺にあったものだろう、馬頭観音が神社の片隅に置かれていた。

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この神社はダムの上からかつて集落があった場所を見守るのだろうか。ダムが出来たらまたこの神社に来よう、そう思った。

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初めて走る町道を抜け、国道257号に出る。設楽大橋の少し上だ。タイトなコーナーが続く下り坂を慎重に降りていく。最近、仲間で転倒して骨折、入院ということが続いており、いつもより慎重になっていた。

 

国道257号の設楽町田口に上がる道は道路がつけ変わっていた。まだダムができるまでどんどん変わるのだろう。

 

田口に出たところで昼食。田口で昼ごはんというのも珍しい。いつもは大体東栄町でお昼ということが多いのだ。

 

いくつか知っている店はあるが、タツマくんと相談して新規開拓することにした。

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国道沿いの定食屋「一よし」に入る。

 

予想通りの昭和感満点の店内。この日は汗ばむ陽気だったが、エアコンが入っておらず、少し暑かった。

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懐かしい卓上の容器。メニューの「スタミナカレー」と「カレーうどん」はマジックで消されていた。どうやらカレーはやめたらしい。

 

タツマくんはカツ丼、私は鳥蕎麦大盛りを注文。

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カツ丼はソースカツ丼であった。タツマくんは旨そうにカツ丼を平らげていた。

そういえば設楽町でカツ丼を食べるとソースカツ丼が出てくる。前に行った「芳水」でもソースカツ丼だった。ちょうど昨日、設楽町民に会ったのでその辺りのことを聞いたら、卵とじもソースも両方あるそうだ。

このあたり、もう少し詳しいひとに話を聞きたいものだ。

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私の蕎麦と言えば、優しい色のつゆの蕎麦だったが、塩味はしっかりしていた。東三河は蕎麦、うどんのつゆは甘めに仕上げる店が多いがここはそうでもなかった。

食事を済ませ、外へ出る。大盛り750円は消費税増税後もきっとそのままなのだろうな。

 

田口からは清崎へ戻り、そこから与良木峠へ。ここの峠を走るのは久しぶりだ。この与良木トンネルは愛知県で一番古い、とタツマくんが教えてくれた。

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与良木トンネルを抜け、新城市との境を越える。

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新城側の集落のに彼岸花が咲いていたのでしばし写真を撮りながら休憩。奥三河の山々は標高こそ高くないが、山が急峻である。当然山の集落は急な斜面に建っている。こういうのは非常に奥三河らしいと思う。

 

山を下りた我々は再び旧田口線の廃線跡を走り、桜淵公園に戻っていった。

 

 

 

春の空 -cycling NewZealand -

雨のハーストはモノクロの印象しかない。

 

私は西海岸果てのハーストの街から、最寄りの空港があるQueenstownに向かうバスに乗り込んだ。

バスのことはほとんど覚えていない。はじめは「ここを走る予定だったんだな。」とぼーっと雨に濡れる景色を見ていたと思うのだが、亡くなった祖母のこと、残された祖父のこと、キャンセルしたニューカレドニアのこと、そして何より予定の半分で帰国すること、そうしたことがグルグル頭の中を巡った。

となりに座ったドイツ人の男と少し話したが、しばらくして腹痛がしてきて、私は痛みに耐えながら、バスのシートに身を埋めた。変な汗が吹き出してくる。

バスに酔ったのだろうか。

 

途中バスはトイレのある展望台のようなところや、カフェに止まって休憩した。私はカフェで水を買った。

雨は降ったり止んだりを繰り返していた。

 

Wanakaの街を経由し、バスはクィーンズタウンに着いた。

クィーンズタウンに着く頃には幸い私の腹痛もだいぶ収まっていた。

 

クィーンズタウンは南島で有数の人気の観光地で、湖とお洒落な建物が立ち並んでいた。アウトドアアクティビティも盛んで、ヘリで山の上まで行って、マウンテンバイクで山を駆け下りるツアーなどもあった。

 

私はユースホステルにチェックインし、この先の帰国の手続きを始めた。

まずは日本に帰るエアチケットの出発日の変更だ。私は半年のオープンチケットで来ていたので、帰りの便は席の空きさえあれば、変更ができた。

エアラインに電話して、出発日を変更して欲しいと伝えたが、うまく伝わらなかったのか「旅行会社から頼んで」と言われてしまった。

仕方がないので旅行会社に行くと手数料を結構取られることがわかり、一度旅行会社を出た。

途方にくれてユースに戻ると受付にいた日本人の女性が「どうかしたの?」と聞いてくれた。私が旅の途中だったが、身内の不幸があり、帰ることになったが、エアチケットの変更が出来ずに困っている、と話すと「私が電話してあげる。」とその場でエアラインに電話をかけてくれ、フライトを変更してくれた。そのままクィーンズタウンの空港までのバス、オークランドまでの飛行機の手配と帰国に必要な手続きをほとんどやってくれた。

 

私が女性に感謝の言葉を伝えると「普通はこんなことしないんだけど。でもあなたとても困ってそうだったから。」と彼女は言った。また人に助けられてしまった。私はもう一度感謝の言葉を伝えた。

 

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そのあと再び街に出て、少し土産を買ったりした後、自転車屋に向かう。自転車を梱包するための段ボール箱をもらうためだ。クィーンズタウンは小さい街だが、アウトドアアクティビティが盛んなところとあって、複数の自転車屋があった。一番大きな店に入り、段ボール箱を譲って欲しい、というと「10ドル」と言われる。私は耳を疑った。「え?」自転車の箱は自転車屋からしたらゴミでしかないはずだが、ここでは販売しているという。私が帰国で焦っているのを見透かされているのか、と腹が立ったが、冷静に考えたら、マウンテンバイクの盛んな街で、自転車を持ち込んで帰りに自転車屋に箱を求める人は多いのだろう。

私は10ドル払って箱を持ってユースに戻った。

 

翌日、ユースホステルのバックヤードを借りて自転車を梱包する。作業に借りた部屋はユースの備品置き場なのかスタッフの休憩室なのか、ときどきスタッフが入ってきて、「あら?」という顔をするので、説明に困った。

自転車の車輪を外し、サイドバッグの中の荷物をバラバラにして自転車の間に緩衝材として段ボールに詰めていく。帰国までもう一泊しなくてはならないから、宿泊に必要な衣類や残った食料などは手荷物に回し、いっしょに梱包しないようにした。

 

梱包を終え、ユースを後にした。いろいろ手配してくれた受付の女性には会えなかったが、帰国後、メールでお礼を伝えた。

ユースの近くで空港行きのシャトルバスを待つ。しばらくしてバスはやってきたが、私と隣の大きな段ボールをみて、ドライバーの男性は「自転車があるなんて聞いていない」と電話で確認をした。

昨日ユースの女性が電話してくれたとき、自転車があると伝えていたのを隣で見ていたので釈然としなかった。

ドライバーの方も納得いっていない様子だったが、追加料金を払って何とか乗せてもらえた。

 

クィーンズタウンの空港から北島のオークランドまではすぐだった。

 

あと2ヶ月ほど先に戻ってくる予定だったオークランドにこういう形で来ることになったのは残念だ。

日本に出る飛行機が出るのは翌日。オークランドに一泊だ。クィーンズタウンのユースの女性はオークランドのユースも手配してくれていた。

こちらもバスで移動。荷物のほとんどは空港に預けてきた。

 

ユースにチェックインして、オークランドの街を歩く。

ネットカフェで友達に帰国の報告をして、久しぶりにチャイニーズの店で中華料理を食べる。2ヶ月前に初めてオークランドに来た時にも食べたワンタン麺だ。店のおばちゃんに「チリオイルあるよ。」と言われて「チリオイル?」と思ったがなんてことはない、ラー油だった。予定外の帰国を前に複雑な気持ちでいたが、チャイニーズの店のおばちゃんの些細なやりとりで随分気持ちが緩んだ。

時間があったので、散髪でもしようかと思ったが、ちょうどいいところが見つからなかった。旅を始めて2ヶ月。髪が随分伸びていた。

 

ユースに戻り、食料の整理をする。飛行機に乗ってしまえば食事の心配はないから、残った食料はユースのフリーラックに置いておく。

ユースのキッチンには大抵フリーラックがあって、必要のない食料を置いていき、また逆に欲しいものがあれば持っていっていい、というよく出来たシステムだ。私は食料の他、食器洗剤も置いておいた。ただ、私は漏れないようにペットボトルに詰め替えてあったので、一応、洗剤と書いておいたが、あれはどうなっただろう。誰かが間違えて飲んでないといいが。

 

それから、ある人から旅のお供に、と頂いた浅田次郎の『蒼穹の昴』を全て置いていく事にした。私は本の最後にその人が経営するカフェの名前と住所を書いて、短いメッセージを添えた。何年もしたら元の持ち主のところへ戻るかもしれないという淡い期待を込めて。

旅の間、移動の間やテントの中で何度も読み返していた。今もあの本はニュージーランドのどこかにあるのだろうか。

 

広いリビングでいつものようにビールを飲んでいると、日本人の女性、私の母くらいの年齢の人が給湯器の前で戸惑っているのが見えた。

 

「お湯ですか?こうやれば出ますよ。」私はその女性に給湯器の使い方を教えてあげた。

「ありがとう」女性はカップにお湯を入れ、飲み物を作るとテーブルについて私たちは話し始めた。

女性はバスツアーでニュージーランドを回るそうだ。ニュージーランドはバスツアーもたくさんあって、個人や小グループでツアーに参加して回っている若者をよく見かける。私は若い人たちの勢いとパワーに圧倒されそうで、ああいうのは少し苦手だ。

聞けばその女性は、子供が手を離れたので、前から来てみたかったニュージーランドに来たらしい。それにしても行動力があるなと、感心した。

私は自分のことを簡単に話した。「この歳になってさすがに自分探しとかではないですけどね。」

私がそんなことを言うと女性は「そう?私は今でも自分のことでも新しい発見がありますよ」そう言って微笑んだ。私は自分の旅を青臭い自分探しと同じにされなくないと思ってそう言ったのだと思うが、この人の言う通りだ。

旅をしていると自分と向き合う時間が長くなる。

最近、旅に出て感じたのは、旅を通じて、自分の新しい一面を見つけるとかいうわけではなく、「こういうことが好きなんだな」ということを再認識し、自分の軸がどこにあるかを確かめることが、旅の作用でもあるということだ。

 

翌日、私は日本へ帰国する飛行機に乗り込み、ニュージーランドを後にした。

 

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飛行機で時間を過ごすうちに複雑な心境も少し落ち着き日本に帰国した。

 

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空港から地元に向かうバスに乗り込む。ぼんやりと車窓の景色を眺める。何だかんだ言っても見慣れた日本の風景にほっとする。

四月の始めだったが、桜の花が目に入った。今年は見ることはないと思っていた桜だ。

 

淡い色の桜の花が、いつになく美しく、眩しく見えた。

 

「ここは美しい国だ」

ニュージーランドは見るものすべてが輝いていたけれど、 日本のよさはそれとは違う。
この雑然としたなかの静かなたたずまい。

 

ニュージーランドに比べたら取るに足らない、
なんて思ったこともあったけど
それは大きな間違いだ。

穏やかな春の日差しと時折吹き抜ける春風。

ニュージーランドの空は眩しくて強烈な青だ。そんな空がニュージーランドの印象の一つでもあるが、こうして改めて目にする日本の空は遠くが薄く霞んで空の青が柔らかく優しかった。私は日本の春の空をこれほど美しいと思ったことは無かった。

 

ニュージーランドから帰って来なかったら、私は日本の春の空に感動することはなかったかもしれない。

 

薄く、白く溶けてしまいそうな春霞の空をバスの車窓から眺めているうちに、私は眠りに落ちた。

 

 

ニュージーランド編 完

 

 

 

アラスカ編に続く

http://independent-traveller.hatenablog.com/archive/category/Alaska

 

 

訃報 -cycling NewZealand -

雨のハーストを朝から出歩くでもなく、ゆっくり起きて、朝食を食べる。

ユースに置いてある読めるわけでもない英語の本を手にとったり日記を書いたりして過ごす。

インターネットを使いたかったが、タダではないので午後の楽しみに取っておいた。

 

午後になり、バスが街に着いたのか何人かの客がまとまってやってきた。一人は日本人の女性だ。他の二人のデカイ外国人男性はお連れさんだろうか。仲よさそうに話している。

 

リビングでのんびりしていると先ほどの日本人女性が来たので話をする。一緒にいた二人はたまたまバスが一緒だっただけらしい。

 

日本人のTさんは、これから西海岸を北に向かうらしい。旅慣れた感じの人だ。ニュージーランドは長いらしい。Tさんがプナカイキのユースに行く、というので、ダメ元で1つお願いをした。

 

それは腕時計のことである。最初にグレイマウスに着いた頃、腕時計をどこかで失くしてしまったのだ。代わりのものはクライストチャーチで購入したが、もしあるならプナカイキのユースしか思い当たらなかった。

 

もしプナカイキに行って、覚えていたらで構わないので、日本人サイクリストが腕時計を忘れて行かなかったか聞いて欲しい、頼んだ。

 

後の話になるが、Tさんは私との約束を覚えていてくれて、プナカイキのユースでわざわざ確認してくれたらしい。

そして、やはりプナカイキのユースに私の腕時計はあったそうだ。

プナカイキのユースで「外国人って信じられない忘れ物をするのよ。」なんて話を聞いていたのに、まさか自分が忘れる側になるとは…

Tさんはすぐにメールをくれて、帰国したら送ってくれると連絡してくれた。お陰でこの腕時計は今でも家にある。

腕時計が届いたときは本当に嬉しかった。

 

そして、時計は受け取った日本時間より四時間進んでいた。

ニュージーランドの夏時間のままだった。

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この時計はあのときからニュージーランドの夏時間を刻み続けていたのだ。

確実に刻まれた時間、でもこうしてリアルな時差を目の当たりにすると時間が止まってやってきたような不思議な錯覚を覚えた。

 

これはもう少し後の話になるが。

 

 

Tさんに時計のお願いをした後、楽しみに取っておいたメールの確認をする。

 

 

「嘘だろ。」

 

 

姉からメールが届いていた。

自宅のとなりに住んでいた祖母が亡くなったらしい。

メールの日付を見る。もう三日も前だ。

私は言葉を失った。

私は外の公衆電話で自宅に電話をかけた。母と話すことができた。もう葬儀も終わって、今帰ってきても何かできるわけじゃないから、そのまま旅を続ければいい、母はそう言った。

 

母の言うことはもっともだ。しかし、これから先の私の予定はといえば、半月後にニューカレドニアに行ってバカンスである。この状態でとても楽しめるとは思えなかった。母には少し考える、と伝え電話を切った。

 

ユースに戻り、リビングの椅子に腰を下ろし、呆然とする。どうするべきか。

 

旅を最後まで続けたいという気持ちもあった。しかし、一方でこの辺境のハーストまで来て、旅に疲れてきているのも感じていた。雨の中走る気力を失っている事実からもそれは明らかだった。

 

帰るのか続けるのか。

 

ただ迷った。

 

リビングを通りがかったTさんが「顔色悪いけどどうしたの?」と声をかけてくれた。私は事情を話した。話したら少し楽になった。

 

それからしばらく悩んで、私は帰国することに決めた。

旅に疲れて、帰るのにちょうどいい理由が出来たんじゃないか、と思うところもあったが、一度帰らないと心の整理がつかないと思った。どうしてもまた来たいならまたハーストから旅を始めればいい。

 

私は帰る準備を始めた。

まずはニューカレドニア行きのキャンセルだ。

クライストチャーチの旅行代理店のMさんに電話をする。ユースから公衆電話に向かうと外はもう暗くなり始めていた。

「あなたどこにいるの?ハースト?それどこ?」

Mさんに西海岸の果てにいることを説明しながら、帰国することになった事情を話し、旅行のキャンセルをお願いした。エアチケットはもうキャンセル出来ないが、宿のほうは対応してくれるという。それからハーストからオークランドに最速で戻る方法を聞いた。私のチケットはオークランド往復だったからだ。

Mさんによれば、国内線の飛行機があるクィーンズタウンまで出て、そこから飛行機が早いそうだ。私はMさんにお礼をいい、電話を切った。

 

なぜか分からないが、この時のハーストの電話ボックスで疲れた姿で電話をしている自分の姿を道の向こうから見ている様子がやけに鮮明に思い出されるのだ。それも色のないモノクロで。実際に自分の姿なんて見ているはずないのに。

 

旅を終わらせるきっかけは姉からの訃報を知らせるメールだったが、自分で旅を終わりにしたのはこの電話だったと思う。そのときの印象が頭から離れないのかもしれない。

 

予定外の事態に混乱していたが、旅を途中でやめる悔しさと帰国できる安堵感もどこかにあって、いろんな感情を処理しきれないまま、私は濡れて路面の道を宿に向かって歩いていった。

 

私の旅は唐突に終わろうとしていた。

西海岸の果て -cycling NewZealand -

四月になった。

フォックスグレイシャーの朝は雨かと思っていたが、幸い晴れていた。

前日キッチンで見かけたじいさんが「いい天気で何よりだ」と声をかけてくれた。ここのキャンプ場はなぜか年配の人が多く、リラックス出来てよかった。若い人が多いとその元気の良さに疲れてしまうのだ。マイペースなじいさんたちは自分の緩やかなペースで話しかけてくれる。私ももっと英語が出来たらいろいろ話が出来るのに。

 

この日は120キロの久々の長丁場で、早起きして出発する予定だったが、前日の夜、テントの外にネコがウロウロしていたり、無性にお腹が空いて、夜トースト四枚食べたりしていたら、いつも通りの時間に起きることになってしまった。

 

起きた時間に引き摺られ、出発もいつも通りの八時半。

 

120キロということで気合いを入れて走り出したが、前半80キロはフラットな道のりで、冷静に考えれば急ぐ理由は全くなかった。

案 シダの覆い茂る森に囲まれた道をひたすらペダルを踏む。案の定、午前中で60キロ以上走ることが出来た。

 

途中、セントアーノルドで会ったKさん一押しの温泉へのアクセスである”Copland track”があったが、ここから温泉までは途中、川を越えながら8時間歩き続けなければならない。

Kさん曰く「乳白色の温泉を独り占めしてキャンプするのが最高」。そんなとこなら行ってみたいものだが、自転車がある私には難しい相談だった。諦めてコップランドトラックを後にした。

 

小さな湖のピクニックエリアでランチタイム。

前日作ったライム風味のチキンサンドとピーナツバターサンドを食べる。インスタントラーメンも食べようと思ったが、サンドフライの集団に襲撃に合い、ラーメンを断念。

サンドフライって何だ、という話であるが、ニュージーランドフィヨルドランド周辺に生息するハエのような生き物で、大きさは蚊ぐらいの小さいものである。しかし、形はまさにハエである。

何が大変かというと、奴らは皮膚を刺すのである。

刺されると猛烈に痒い。そして一旦痒みが収まっても、また忘れた頃に痒みがぶり返してくるという、まあ厄介な奴らなのである。しかも、服の上からも平気で刺してくるのだ。初めて遭遇したのは恐らくセントアーノルドあたりだが、グレイマウスを出たあたりから頻繁に遭遇することになり、この頃には毎日、サンドフライとの戦いだったと言っていい。とにかく勝ち目はないので、集団で遭遇したら逃げるしかなかった。

日記にはこうある「あいつらホント死ね!ワナカあたりまでいるのか?」と。

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ランチのあと、目的のHaastを目指して再び自転車を漕ぐ。

 

私と入れ違いでニュージーランドでワーキングホリデーをしていた友人のトオルが「島ちゃん、南島の南の方なんて100キロくらいホントに何にもないんだよ。島ちゃんそんなとこ行ったら死んじゃうって」と大げさに言っていたが、あながち間違いでもない。

これまで半日走ればなんだかんだでカフェやレストランの一軒くらいあったものだが、見事に何もない。翌日もこんな感じだろうか。雨じゃないといいが。

 

後半、山があったが、この日は非常に調子が良く、全く気にならなかった。天気は曇りだったが、Good ride Dayだ。

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目的地のハーストには3時台に到着した。随分早いペースだったな。

 

ハーストの街はなるほど、果て感が強い。一軒のゼネラルストア、ユースホステル、バス停、公衆電話。以上。これまでにない辺境感だ。

 

宿泊はキャンプサイトもやっているユースだ。キャンプにしようと思ったが、雨が降ってきたので、相部屋を取った。

 

ゼネラルストアは物の値段がほかの街の1.5倍だった。肉類で一番安いソーセージなどを買い、20ドル。高い。そしていつもそうたが、安いソーセージなど美味かった試しがない。

 

ユースに戻る。まだ時間が早いせいか、客は少ない。

天気予報を確認すると明日は雨らしい。明日は久々の難所の予定だ。雨の中正直走りたくない。とはいえ、物価の高いハーストに滞在というのも辛い。どうしたものか。

同室の男がサイクリストで彼は私と反対側から来たらしい。雨と物価が高いのが辛いというと、「日本円は今レートいいんだろ?大丈夫さ」と言われるものの、今のレートが分からない。雨については彼は面白い対策をしていた。靴ではなく、サンダルを履いて、防水のソックスを使えば濡れないという。防水ソックスなんて考えたこともなかったが、そういう手があるのかと感心した。

当たり前だが、濡れた靴はかなり不快だし、中々乾かない。いつも靴の雨対策には苦慮していた。

のちに自転車屋で防水ソックスを売っていたので、使い心地を聞くと、中に水が入ると抜けないと教えてくれた。どうやら彼が言っていたほど快適ではないようだ。

 

キッチンで安いソーセージを調理していると外でキャンプしているサイクリストの男が隣で調理を始めたので話す。イギリスから来たらしいが、とても聞き取りにくい英語を話していた。丸メガネでチリチリな金髪。ちょっと神経質そうな感じだ。

彼は「おれの鍋を気にしててくれ」と言ってコンロを離れた。私も自分のことで忙しく彼の鍋を気にする頃には焦げていた。

彼は焦げた鍋を見ると私には何も言わず、鍋を持ってブツブツ言いながら外へ出ていった。なんかすまん。火、止めてけよ。

 

予想通りうまくなかったソーセージを食べて食器を洗っていると、感じのいい中年女性と一緒になった。「洗剤とってください」とお願いすると「どうぞ」と渡してくれたので「ありがとう」とお礼を言うと”My pleasure”と言ってくれた。

その人のお連れさんだろう、アジア人の女性が「どういう意味?」と中年女性のほうに聞いて、説明してあげていた。

中年女性と話をしてみると、アジア人の女性をホームステイで受け入れていて、今は一緒に旅行中らしい。それでこのハーストに来るなんて中々やるな。

 

外を見ると雨が降り続いている。

 

金はないが、今すぐ尽きるというほどではない、と自分に言い聞かせて、一日待てば天候も良くなるかもしれない、と淡い期待を抱きながら、この何もないハーストにもう一日滞在することにした。

 

さて、明日一日。どうしたものか。

飲んで過ごすのか。

 

 

二つの氷河- cycling NewZealand -

Whataroaという街に着いて、バーガーを待ちながら日記を書いていた。

ハリハリからワタロアまでは二時間弱で到着した。悪くないペースだろう。Mt.ヘラクレスという強そうな地名があったが、走ってみれば大したことはなかった。途中のワタロア川の水の色が不思議な色をしていて美しいかった。もしかしたらフィヨルドランドから溶けた氷河が流れているのかもしれない。

 

それからやけにシッポの長い羊を見かけた。羊のシッポって伸びるのだろうか。

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その後はペースも上がらず、ダラダラ走る。翌日は街の間隔の問題で短い一日の予定だが、その次の日は120キロ越えだ。こんなペースで大丈夫だろうか。

 

走っていると途中で雨が降り、木の陰で止まり、レインギアを出して着たものの、すぐ雨は止んでしまった。相変わらずのニュージーランドウェザーである。このレインギアを着るかどうするか問題はアウトドアアクティビティをするすべての人の悩みだろう。着るのは面倒だし、また脱ぐのも面倒だからである。かといって身体を濡らしてしまうと後が大変である。このあたりをうまく出来る人がベテランということになるのだろうか。

 

ダラダラ走った割に目的地のフランツ・ジョセフグレイシャーには2時過ぎに着いた。その名の通り氷河の街で、観光客が数多くいた。

前日、トーンにトップ10のキャンプ場は街から遠いから、もう一つのキャンプ場がいいぞ。と言われていたので、街の中のキャンプ場「レインフォレストモーターキャンプ」に行く。

こちらのキャンプ場はまだ出来て間もないようだ。テント一泊11ドル。まあ観光地でこの料金ならまずまずだろう。テントサイトが入り口からやや遠いのがやや難点だ。

 

テントを張り、早速、氷河見物に行く。どこからどう行ったらいいのかよく分からなかったが、一番メジャーっぽいルートを進んでいくとDOC(Department of Conservation、ニュージーランド環境保護局)の”Caution!”のテープが張られているが、みんな無視しているのか何なのか、気にした様子もなく、どんどん進んでいく。

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氷河は白くて美しいものを想像したが、砂がついていて、そんな感じではなかった。白い氷河は後にアラスカで見ることになる。

 

実は次の日も山を越えたところにある氷河、フォックス氷河に行く予定ということもあり、他に人がいないところまで行くと戻ってきた。

 

キャンプ場に戻ると、夕食の準備をする。夕食はご飯と鶏肉でとり丼を作ることにした。ご飯を300gと多めに炊いて、鶏肉は醤油と砂糖で煮て濃いめの味付けをする。鶏肉が硬くなってしまった。翌日の昼御飯用に残ったご飯と鶏肉は半分はおにぎりにした。大きめのおにぎりが3個できた。毎日毎日、とにかくお腹が減るが、翌日の昼はこれで大丈夫だろう。

出費を計算してみたが、20ドル程度と当時のレートで1600円ほどだろうか。あまりお金を使わずに一日過ごせて満足した。

 

日付けが変わってフランツジョセフの朝。

この先の行程を考えて、ルートを調整。

この日のルートはフランツジョセフからわずか30キロ先のフォックスまでである。とはいえ峠が3つあるし、フォックスにはフランツジョセフ同様、氷河がある。まあゆっくり観光といったところか。

 

フランツジョセフを出るといきなりの登り。体が温まるまえで足が思うように回らない。一本目の峠は辛かったが、あとの2つは割と楽に登ることができた。峠3本で20キロ1.5時間。悪くないだろう。登りは実家の近くにも多い(本宮山の下の和田より下とか蔵王山の感じ)、ゆるく長く登るタイプの道だった。

 

二日後にはこの旅で屈指の難所、Haast Passが待っている。

ハースト峠はわずか標高600mだが、ニュージーランドの峠は標高が低くても油断出来ない。日本のように峠にトンネルがあるわけではなく、文字通り峠まで登る。そして、ハースト峠は海抜ゼロメートルから600メートルまで一気に上がる。今回の3つの峠は軽い前哨戦といったところだ。

 

フォックスまでわずか30キロということもあり、昼にはフォックスに到着した。

早速キャンプ場に向かう。氷河観光をするにしても、まずはテントを張って荷物を降ろしたい。キャンプ場は一泊13ドル。高い。

これまで一番高かったのはネイピアの14ドルだが、あそこは都市にあって街からも遠くないし、施設が充実していた。ちなみにそれ以外によかったキャンプ場はライティヒあたりか。

ライティヒのキャンプ場はキッチンが清潔で、調理道具や皿も豊富に用意されていた。私は夜は基本自炊をしていたので、キッチンが充実しているキャンプ場は印象がいい。あそこはオーナーが女性だったので、オーナーの趣味かもしれない。ニュージーランドに数あるキャンプ場もオーナーによっていろいろなところがあって面白い。

ちなみにロケーションがよかったのは、ゴールデンベイとグレイマウス。どちらのキャンプ場もビーチまですぐだ。ビールを飲みながら夕陽を眺めるのは贅沢としか言いようがない。

 

キャンプ場に着くと、さっとテントを張って荷物を置く。そしてそのまま連日の氷河観光に向かう。今回はコーヒーを淹れられるようにバーナーストーブとコーヒーセットを持って出かけた。

 

フォックスも前日のフランツジョセフに負けない観光客だ。

私は人の少ないところでコーヒーを沸かそうと思い、コーヒーセットを用意したが、なぜかバーナーストーブに火がつかない。

氷河の下は風が抜けて思いのほか寒い。体がだんだん冷えてくる。持ってくるべきはコーヒーじゃなくてウィスキーだったな、とどうでもいいことを考えた。

私はコーヒーをあきらめ、そのまま撤収した。

2日連続で氷河に行っても感動は薄い。あたりまえか。

 

街に戻っても時間は余裕だ。

なかなか感じのいいバーがあったのでビールにする。

観光地価格で普段の1.5倍くらいしたが、仕方がない。仕方がないから2杯飲む。

 

この頃になると都市部からどんどん離れていったので、食料品の値段がジワジワ上がってきていて、それがストレスだった。

朝はトースト、昼はカフェでランチ、夜はパスタ、というのが定番の食事サイクルだったが、南島に来てからは昼に都合よくカフェがないことが多く、前日の夕食に何か肉を焼いて、サンドイッチを作って、翌日の昼御飯にするようになった。値段の安い挽肉でバーガーサンドということが多かったが、このころになると、挽肉も含め、食料品の値段が上がってきていたのだ。

そんな中、フォックスのスーパーで見つけたのは下味のつけてある鶏肉だった。日本でもスーパーでよくあるあとは焼くだけのあれで、調理も楽で、値段も許容範囲だった。

フォックスんで売られていたのはライムとレモンのフレーバーのついたチキンだった。

カクテル用に使うライムジュースでも使っているのか、容器に入ったチキンは明るい黄緑色のソースに浸かっていた。興味本位で購入。

キャンプ場に戻って早速焼いてみる。チキンから漂ってくる香りはライムのそれというよりは、日本の食器洗剤のものだ。

甘めの味付けがしてあるのか、私の薄いコッフェルの蓋ではすぐに焦げてしまったが、何とか焼けた。

味は思った以上に美味しかった。ライムの人工的な香りが気にはなったが、ライムとチキンの組み合わせは悪くないな、と思った。

 

夜、使えなかったバーナーストーブをばらしてみると、ガスタンクとの接点になる部分のパッキンが劣化していた。裏返してみるとなんとか使えるようになった。

次の大きな街でパッキンを買わないとな。旅は長くなってくると道具もくたびれてくる。

考えてみれば、私のキャンプ道具はほとんどが10年近く使用しており、ここまでよく頑張っていると思う。

 

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Hokitika Harihari -cycling NewZealand -

コーヒー豆を買い忘れたことに気がついたのはグレイマウスを出るときだった。

 

次の街であるHokitikaまで行けば買えるだろうとわざわざ戻るのをやめた。北島であった無駄にはしゃいでる日本人の男にホキティカは西海岸では比較的物価が安い、と言っていたのを思い出した。

 

久しぶりの自転車である。ようやくいつもの旅に戻った感じだ。

 

ホキティカまでは30〜40キロ。

天気がとてもよい上に、風は珍しくゆるい追い風。ガンガンペダルを踏む。こういうのはとても嬉しい。いい道だった。ホキティカは早い時間に着いてそのまま通り過ぎてしまった。

 

久々の自転車なのでこの日は軽めにしようと思っていたが、宿泊を予定していたRossという街に昼に着いてしまう。

ロスは昔、鉱山があったらしく、そういう古い街の雰囲気が漂っていた。

 

昼御飯に前日の夜作っておいたバーガーサンドを食べる。我ながら美味しかった。スライストマトを挟んだこと、キャンプ場の冷蔵庫にあった誰かのバーベキューソースを拝借したのがよかったのであろう。コーヒーを淹れるが豆があと一回分しかない。しまったな。

 

この日の目的地をHarihariというなんだか痛そうな名前の街に決め、ロスを出発。

 

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ある湖のほとりで休憩。

西海岸には、湖とピクニックエリア(キャンプは禁止のベンチやテーブルがあるところ)、小さなキャンプ場が点在していた。キャンプ場はトイレ、水ありで5,6ドルと言ったところ。安くていいな。こういうところがニュージーランドらしい。

 

ハリハリに到着。

 

キャンプ場はシャワーとトイレ有り、キッチンなしの8ドル。シャワーがあるのが素晴らしい。

ここのキャンプ場はとにかくだだっ広く、運動場のようなサイトだった。ただ、珍しいことにキャンプ場のすぐとなりにバーがあった。キャンプ場はどこの街でもたいてい街の外れにあり、一日走ったあとで、買い物や食事などのために街に行くのは面倒なことが多かった。

 

キャンプ場には私の他にバンが2台ともう一人、サイクリストがいた。

 

オランダ人のサイクリスト、トーンだ。

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テントを立てながら、少し話す。

私のマウンテンバイクに使っているシフトレバーとブレーキレバーが一体になったデュアルコントロールレバーを珍しいそうに見ていた。当時、ロードバイクのようにブレーキレバー一つでシフト操作もできる画期的なアイテムとして登場し、私は導入していたが、マウンテンバイカーの間では、ブレーキング時にシフトが変速してしまうと不評で、しばらくして消えてしまったパーツである。

私は思い入れがあるパーツなので未だに手元にある。

レバーを操作して見せてトーンは「ロードみたいだな。」と納得していた。彼は国ではロードも乗るらしい。「ロードにカンパつけたいんだけど、高いんだよな。」とかしばらく自転車の話で盛り上がった。

 

それぞれ夕食を済ませた後、「バーに行かないか?」とトーンを飲みに誘うと「いいよ。」と快諾してくれた。そのまま我々はキャンプサイトから見えるバーに歩いて行った。

バーは明るい雰囲気のところで、我々はカウンター席に座った。私は迷わずビールを注文したが、トーンは飲まないらしく、カプチーノを注文していた。

トーンは 34歳。オランダでトラックの運転手をしていて、週に1000ドル稼いでいたが、2度しか家に帰れないのが悩みで仕事を辞めてニュージーランドに来たらしい。

ニュージーランドに来るのは何度目かで、前は車で旅行していたらしい。今回は自転車の旅を選んだそうだ。さすが自転車の盛んなオランダ。そういう選択肢があるところがオランダ人らしいなと思った。

 

トーンはこの先、北に向かうという。私とは反対方向だ。お互いにこれまで走ってきたところの情報を交換する。サイクリストの情報が一番あてになる。

 

メールアドレスを交換しようということになり、私は名刺代わりに何枚か作っていた名前、住所、メールアドレスの書いた紙をトーンに渡した。よくメールアドレスを交換するようになったので、前に作っておいたのだ。

 

紙には名前などの他に自転車の絵と「Cycling philosopher」と書いてあり、それを見たトーンに「フィロソファーって何を考えてるんだ?」と聞かれる。

 

「いろいろだよ。」

 

上手く英語で説明出来ないのも、実際にあったが、自転車に乗っている間中、空想と考えの連鎖で何を考えているのか、それ自体日本語でも上手く伝えられる気がしなかった。

 

 

彼とは本当に一期一会であったが、その後しばらくメールのやり取りをしていた。彼はその後、西海岸を北上し、北海岸のタカカ、フェアウェルスピットに行ったらしい。話していた通り、ちょうど私と逆を行ったようだ。

トーンはその後、どんな人生を歩んでいるのだろう。いい仕事は見つかったのだろうか。

よくアジアを長期で旅行しているバックパッカーがそのまま旅先で沈んでしまう、というのを本で読むが、私が旅先で会ったサイクリストたちはそんな感じではない。サイクリストにはいつも目的地があるし、その目的地が一日の目的地であれ、長旅の目的地であれ、そこに至れば区切りがくる。区切りがあれば、次を考える。旅するサイクリストたちは次をいつもどこかで考えていたのではないか。

長い旅に出て、日常に戻る。戻るというより、日常を再構築しているはずだ。トーンもそうだが、旅先で出会ったサイクリストたちはどんな生き方を選択しているのだろう。

私自身はその後、人並みにいろいろあって今の仕事をしているが、40歳が迫って来て、今の仕事、生き方が本当にいいのか疑問を抱くようになって、そんな年も国籍もバラバラなサイクリストたちの人生がその後、どうなっているか非常に気になるようになった。

旅で何かを見つけてしまった人々はそれを抱えて生きることになる。日常の中でそれが違和感なく、自分の一部となっているならば、何も問題ないと思う。それが仕事や家族と言った自分の一番近い環境の変化によって違和感が生じたとき、それをどう解決しているのだろう。最近よくそんなことを考える。

トランツアルパイン鉄道 - cycling NewZealand-

アニータとルティアに見送られて、アニータの家を後にした。

 

前に北島で別れた時に言っていたが、しんみりしたのは嫌い、という通り、ルティアとの別れはあっさりしたものだった。

 

ルティアには「あなたは黒い服が多いから、もっと目立つようにしないと車に轢かれるわよ。」と忠告された。その後は彼女のアドバイスに従って、蛍光ベストを使うようになった。

 

レイとは朝お別れが出来なかった。また来月戻ってきたら、そのときにきちんとお礼を言おうと思った。

 

また元のひとり旅だ。

 

一人自転車に乗り、クライストチャーチの街を駅に向かってゆっくり走る。

 

途中、公園を抜ける。クライストチャーチの公園は広くて本当に気持ちがいい。日本の公園は大きな公園でもどこか窮屈さを感じるところがあるが、ニュージーランドの公園は余計な人工物が少なく、作為的な匂いがしないからだろうか、公園が自然の延長といった印象だ。

 

クライストチャーチの駅は街の中心から少し離れていて、駅自体もそんなに大きい造りではなかった。クライストチャーチは駅を中心に街が発展したという訳ではないのかもしれない。とどうでもいいことを考えた。

 

トランツアルパインは一日一便、東海岸クライストチャーチから途中、アーサーズパスを越え、西海岸のグレイマウスまで走っている。私が当時買ったチケットで7500円程度だった。

駅には余裕を持って着いたがすでに多くの人で賑わっていた。

チェックインを済ませ、自転車を荷物ごと預ける。

ホームに待機していた車両に多くの乗客が電車に乗り込んでいく。夫婦や家族連れがほとんどのようであまりひとりの乗客はいないようだ。

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客車の中はグリーンの椅子が印象的な綺麗な特急列車といった感じだった。

 

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発車まで車内を歩いてまわる。食堂車があったが、走り出してしばらくしてからオープンするようだ。

 

定刻通り列車はクライストチャーチを出発する。

 

先週自走で越えてきた道を鉄道は戻っていく。私はまさにトランツアルパインと並走していたのだ。

 

当時の日記には景色を見て感動したような記載はない。どちらかといえばこうしたちゃんとした観光列車よりも、日本のローカル線のほうが楽しいと書いていた。一度走った景色で初めて見る感動、とかそういうものはあまりなかったのかもしれない。

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途中のスプリングフィールドの駅では、キャンプ場の場所を教えてくれた女性を見かけた。スプリングフィールドの駅は街のインフォメーションセンターにもなっているだ。女性は髪をポニーテールにして上品な感じの人だったのでよく覚えていた。短い停車時間にマフィンなどを乗客に売ると、手を振って電車を見送っていた。あの人はああやって電車を見送って、それ以外の時間はインフォメーションでクライストチャーチとアーサーズパスを移動する旅人に案内をしているのだろう。そんな暮らしが少し羨ましかった。

 

食堂車が開く時間になったので、食堂車に向かう。私は軽食とビールを買って席に戻った。

 

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列車には、デッキ車両があった。窓がなく、屋根が付いているだけの車両だ。ローカルな話で全く伝わらない例えだが、昔、飯田線トロッコ列車があったが、あれの椅子がない感じだ。

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デッキ車両は賑わっていた。みんなカメラを片手に持っている。

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サザンアルプスを越えていく列車が起こす風をまともに受ける。これはなかなか楽しかった。

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グレイマウス駅に列車が到着。

ホームで貨物車両の方へ移動し、自転車を受け取り、そのまま駅を後にする。

しばらく振りのグレイマウスだ。

明日からに備えて駅の近くにあるスーパー「fresh choice」で食料の買い出し。

ニュージーランドに来てから好きになったアイリッシュビールのキルケニーが安くなっていたので、迷わず購入。

 

グレイマウスでは、前に来たときに利用したTop10という全国展開しているキャンプ場をまた利用した。

Top10のキャンプ場は清潔で、リビングも広く、当時でもインターネットが使えるところが多かった。この日もメールを何通か確認し、返事を書いた。

 

夕食を済ませて、海岸に向かう。グレイマウスのキャンプ場は海のすぐそばで、キャンプ場でから海岸に降りる小道があった。

 

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前に来たときの夕日がとても美しく、感動したのだが、今回もそれを期待して海に出てきたのだ。

ニュージーランドの西海岸は雨が多いと聞いていたが、今回もいい天気で、また空を真っ赤に焼く素晴らしい夕日を見ることができた。気分が良くなって日本に手紙を書いた。

そして私以外にも夕日を求めてか、何人も人がいた。家の近くにこんなところがあったら素敵だろうな。

 

キャンプ場に戻ると日記を書くため、リビングに行くと誰もいなかった。今日 は静かだな、と思っていたが、しばらくして白人のカップルがやってきて部屋の端に座り、何やら話始める。

何を話しているかは分からないが、それがフランス語というのはなんとなく分かった。

私が日記を書き進めていると、カップルのほうから、チュッチュと後が聞こえてくる。

 

おいおい。

 

イチャつくのはいいが、他でやってくれよ。キャンプ場、広いんだぜ?

 

この日の日記は度々「うるせー、フランス人!よそでやれ!」といった記述で内容が中断している。

 

その後のタスマニアでもキャンプ場のリビングで日記を書いていたらカップルの痴話喧嘩が始まったことがあるが、この時ほどのインパクトはなかった。

 

二人の邪魔をしないよう、気を遣ってテントに戻った。何でこっちが気を遣わないといけなかったのか釈然としなかったが。