まだ暗い夜明け前の豊橋駅でバラした自転車を広げた輪行袋に納めていく。
輪行袋はホイールを収めるポケットが付いているタイプで嵩張るが自転車を入れるのは容易だ。私は10分ほどで作業を終えた。
その場を離れる前に周囲を確認する。工具や外したペダルを置き忘れた、なんて話はよくあるだが、致命的なトラブルだ。
大丈夫、忘れ物はない。
私は輪行袋を肩に担ぐと2階のコンコースに向かう。構内のコンビニで朝食とコーヒーを買い、そのままJRの窓口に行く。
「天竜峡まで。」私はそれだけ言うと女性の駅員さんは慣れた様子で切符を発券してくれた。
始発の飯田線はほとんど乗客はいない。
私は車窓の風景をぼーっと眺める。以前は新城に通勤で使っていた飯田線。見慣れた景色が流れていく。
飯田線で輪行して飯田線の無人駅、特に秘境駅と言われる駅を巡ろうと前から考えていた。もう何年も前になるが、紅葉の季節に友人にそんなサイクリングに連れてきてもらったのだが、非常に印象的で、また行きたいと思っていた。
そんな折、急に休みが取れることになり、私はほんの思いつきで日帰り小旅行に出ることにしたのだ。
自転車旅のスタートに決めた天竜峡駅までは50駅あり、所要時間は約3時間。
見慣れた新城を抜け、静岡県に入ると周囲の山々が険しくなり、集落が減ってくる。
浦川で地元の高校生が車両に乗り込んでくる。ああ、飯田線は生活の足なんだな。学生たちは佐久間で降りて行った。
私は朝食に買ったサンドイッチを齧り、スマホで行き先の情報を調べ始めた。
しかしトンネルの多い飯田線は電波状態がよくない。「そうだったな。」私はスマホで調べるのを諦めた。
目を閉じて、しばらく眠ることにした。
平岡を過ぎた頃、目を覚ました。駅で電車を降りた老人が電車に乗る男性に話しかける。顔見知りらしい。飯田線はこうして田舎の人を繋いでいるのだ。なんだか飯田線らしい光景だな。
電車が天竜峡駅に着いた。乗客が一斉に降りていく。ホームで母親に連れられた女の子に「おはようございます!」と元気よく声をかけられた。少し私は驚いたが私も「おはようございます!」とはっきりした声で答えた。清々しい朝だ。
天気は快晴。電車の中は少し寒かったが、快晴の天竜峡は暖かかった。
飯田線にしては珍しい有人の改札で駅員さんに切符を渡すと駅舎の外で自転車を組み立て始める。
駅を掃除していたおばさんに「前にも自転車の人が来たよ」と話しかけてくれる。なんとなく遠くに来た感覚になってきた。
今回選択した自転車はリッチーのグラベルバイク。旅するバイクとして組んだ自転車である。荷物積載の拡張性が高く、ギアのレンジも幅広く設定してあり、厳しい地形にも対応できる。
私はバイクを組むと天竜川に架かる橋に向かって走り出した。
まずは三遠南信自動車道の橋に設けられた遊歩道「そらんぽ天竜峡」を目指す。
南信州はしばしば走りに来ていたが、天竜峡付近はあまり走った覚えがない。駅の周辺を離れていくといくつもリンゴ農園があった。
リンゴというともっと北のイメージがあるが南信州でもたくさん作られているようだ。
そらんぽ天竜峡に到着。自転車は降りて押して行くのであれば渡ることができる。
はるか下には天竜川。
ビューポイントで写真を撮ろうとしているとタイミングよく、ちょうど飯田線の列車が通過して行くのが見えた。
地図を確認し、最寄りの飯田線の駅を確認する。そらんぽ天竜峡の近くに「千代駅」があるようだ。
今回のメインルートに選んだ県道1号富山佐久間線。天竜川の東側、伊那谷の高いところを南北に走る道である。
千代駅へは富山佐久間線から天竜川に向かって沢沿いの細い道を下っていく。
こんな人気のないところに駅があるんだな。さすが飯田線。細い道の行き止まりに千代駅はあった。
ホームと小さな待合だけの小さな駅。ただこうした駅は飯田線では珍しくない。
千代駅には来訪者用のノートがあったが、あいにく私はペンを持っておらず、何も書けなかった。
県道へ戻る途中、城のような立派な石垣の民家が目に入る。このあたりの歴史が少し気になった。歳を重ねて、ちょっとした史跡に目が向くようになってきたと思う。
県道1号はなかなかのアップダウンを繰り返す。私は躊躇なく、フロントギアをインナーに入れ、上り坂を淡々と踏んでいく。結局これが速いのだ。
次の駅である「金野駅」は県道から3キロほど離れている。少し遠いがまだ午前中である。次にいつ行けるか分からない、そう考えて県道1号から脇道に降りていく。
途中美しい棚田に出会う。今でも地域の人により守られているのだろう。きちんと手が入っているようだ。
道は車一台がやっと通れる程度の道幅で、タイトで急な下りが続く。これ以上降ると戻るのが大変だな、と警戒するが道は容赦なく川の見える谷底近くまで降りていく。結局、小さい峠一つ分くらい降りてしまった。
今回も道の行き止まりが駅であった。
金野駅は秘境駅ランキングの6位と全国でもトップランクの秘境駅である。
最寄りの集落は県道1号の近くにしかない。なぜこんなところに駅が、と思うが、鉄道が開通した当時は集落から多少離れた場所でも都市と繋がる駅があることが重要だったのだろう。きっとこの距離でも駅があることが有り難かったに違いない。
そんなことを考える一方、自身としてはあの下りを戻ると思うとぐったりした。時刻表を確認し、ちょうど電車が来たら一駅輪行しようかと思うが、そこは飯田線。まだ30分は来ない。
私は諦めて来た道を戻っていった。県道に戻る頃には正午を告げる田舎の音楽が流れていた。
県道1号富山佐久間線は相変わらずのアップダウンだ。昔、南側から来たことがあるが、こんなにアップダウンだっただろうか。
少しお腹が空いてきた。
金野の集落は泰阜村になるが、村のホームページによると「村内に信号、国道、コンビニ、スーパーはない」らしい。Googleマップで調べると役場の近くに商店と食堂はあるようだ。
役場の辺りまで出て、地元の商店「東商店」に入る。
懐かしい感じの田舎の雑貨屋という感じで食料品を中心に生活用品が売られていた。
私は土産にゆずようかんと日本酒「喜久水」を購入。
続いてお昼ご飯である。
少しでも進みながら、と思い、東商店の南にある「あいパークやすおか」の中にある「おより亭」に向かう。またしても上り。これが南信州の旅なのだ。
丘の上に建つ「おより亭」は若い男性が一人で切り盛りしていたが、タイミング悪く、7人ほどの家族が注文したところで私はしばらく待たせてもらうことにした。
昼食はタッカルビチャーハンをチョイス。
昼食を食べながら、この先のルートを考える。
次の門島駅はパスし、以前反対側からアプローチした田本駅を目指そうと決めた。
帰りはどこかの駅から輪行すればよい。だが、駅に隣接して温泉のある平岡駅から帰るプランが理想的と考え、本数の少ない飯田線に合わせると門島駅はパスするしかない、と思ったのだ。
私は食堂を出ると丘を下りていった。
…続く