昼ご飯でやや食べ過ぎた感は否めないが、いざ目的地の小入峠を目指す。
※小入峠は「おにゅう峠」と平仮名表記が一般的のようだが、文章にすると読みにくいので漢字表記で記載する。
JR東小浜駅の前の道を南に真っ直ぐ進む。約19キロで峠のようだ。時間は午後一時。下ってからキャンプ場まで行く時間を考えると2時間で何とか登り切りたい。
アプローチの平坦区間をやや重たいギアで踏んでいく。
少しずつ傾斜が出てくるが、ペースよく踏める。荷物の重さもそこまで気にならない。さすがリッチー。よく走るバイクだ。
平坦区間が終わり、あからさまに斜度が急になる。ここから本格的な峠道のようだ。
フロントのチェーンリングを46Tから33Tに落とす。リアのギヤはまだゆとりがある。
出来るだけ淡々と踏む。斜度が上がるたび、リアのギアを軽くしていくが、一番軽い42Tは使わないようにした。最後の切り札、というところだ。
時折、バイクと車が後ろから追い抜いていく。向かうからやって来たバイクのライダーが手を上げて挨拶をしてくれる。私も軽く手を上げて挨拶を返す。こんな些細なことだが、普段ではなかなかないことだ。自転車の荷物を見て、ツーリストと思ってくれたのだろう。何だかとても嬉しかった。
ひとりのロード乗りが向こうから降りてくる。あの人は峠を越えてきたのだろう。あとどのくらいあるのか。まだ私は上り始めたばかりだ。
数キロごとに出てくる大小様々な看板に「鯖街道」と書いてあり、手前は小浜、向こうは京都となっている。この小入峠越えのルートは針畑越えと呼ばれるもので、大きく分けて4ルートある鯖街道のうちの一本であるらしい。
それにしてもかなりキツい斜度だ。
上根来の集落に地図があったので止まる。
まだまだ先は長い。
道はほぼ一車線になり、急カーブと急斜面の道を向こうからバイクや車が降りてくるのはなかなかヒヤヒヤした。ただ、ほとんどの対向車は私に気がつくと通り過ぎるまで止まって待ってくれた。
ありがたい。
かなり進んだと思うが、まだまだ山の稜線は視界の上だ。気がつけばギアはもうない。
ときおりダンシングをしながらキツいところをやり過ごす。
短いヘアピンのコーナーが続き、短い距離で高度が更に上がる。向こうから自転車の集団がおりてきた。最初のライダーが「あの人、すごい荷物つけてるよ!」と私に聞こえるぐらいの声で後続に話しかけていた。私は何だか光栄な気分になった。
そしてそのあと見た最後尾の数名はEバイクだった。
「あれが正解だな。」思わず本音が漏れる。
道の周りの紅葉はもうピークを過ぎているようだ。今回の旅の目的は素晴らしい紅葉の小入峠の風景だったはずだが、それがこの峠道を上っているうちに気持ちが変わってきた。
この先にある峠の景色が何であれ、この峠を自分の力で上りきりたい。そして、その景色を自分で手に入れたい。
そう思った。
これまでの旅でも、ずっとそうだった。
そしてそうやって手に入れて、自分のものにした景色は何ものにも変えがたいものだった。
私は自分を奮い立たせ、ペダルを踏む足に力を込めた。
道の先にバイクが数台停まっているのが見える。
小入峠だ。
ついに来た。なんとキツい峠であったことか。
峠の反対側を見ると直ぐに滋賀県側の山々が見える。これほどはっきりと県境にあり、両側の山々が眼下に広がる峠はなかなかない。
これだけでも来た甲斐があった。
峠には何台の車とバイクがいた。道も狭いことであるし、きっと車やバイクでも大変だろう。
後で走行ログを見たら、上りの始まる区間の15.7キロからの平均勾配が5.1%で、そのうち最後の6.3キロの平均勾配が8.1%、さらに一番最後の2.4キロに至っては平坦勾配9.9%となっていた。
そりゃキツいわけだ。
私は自転車を立てかけると昼にスーパーで買った大福を食べる。柔らかい餅と甘い餡子が嬉しい。
若いバイクの兄ちゃん3人組が近くにいたので、声をかけて写真を撮ってもらう。ちょっとやんちゃ風だったがいい兄ちゃんたちだった。
「これでいいですかね。頑張ってください。」
自分より遥かに若い(もしかしたら10代だったかもしれない)人に励まされるなんて、なかなか出来る体験じゃないな、と思った。この一事だけでも旅に出てよかったと思った。
峠道を滋賀県側に慎重に降りていく。
こちらも道は狭く、タイトコーナーが続き、スピードはあまり出せない。
私のブレーキはグロータックのワイヤー引きディスクだが、荷物を積んだバイクでも制動力に不安はなかった。
「ドスン」と何かが落ちた音がした。
私はすぐに止まり、バイクを置いた。
落ちたのはテントだった。
ガードレールのないところで、そのまま谷底まで落ちていたらと思うと冷や汗が出た。
道はやがて降り基調の平坦ルートになる。
予定のキャンプ場に暗くなる前に辿り着きたい。そう考えると、少しペースを上げる必要があったが、何もしなくてもかなりいいペースで走ることができた。
滋賀県側のほうが集落が多い。
途中でカフェののぼりを見つけて、道を少し逸れた。降りで身体が冷えてしまったので、何か温かいものが欲しかった。
「山帰来」という山間地のコミュニティスペースといった感じのところで、移住者だろうか、若い女性が応対してくれた。
私はカフェオレを頼み、窓際の席に着いた。
飾りっ気のないカフェオレは好感が持てた。
「ご馳走様でした。」
心も身体も温かくなり、私は外へ出た。
あとはキャンプ場まで走ればいい。
そう思っていたが、そうはいかなかったのである。
…続く